小泉今日子5
[1]
名前:名無しさん
:2021/09/05 (日) 14:18:13 No.6872
[81]
名前:名無しさん
:2021/11/09 (火) 20:33:00 No.7258
20世紀アイドルスター大全集〜80年代編の、4ページ目の中央です。
この写真では、まだ短めの聖子ちゃんカットの頃なので、ルンルンナイトでしょう。
初めてのラジオ番組のレギュラーでした。
ウィキによると、月〜金の帯番組であり、パーソナリティの他に、
アイドル・レギュラーパートナーとして、キョンキョンは火曜日に出演していました。
(82年10月〜83年3月)
ちなみに、月曜日は三田寛子、水曜日は甲斐智枝美→堀ちえみ、
木曜日は、伊藤さやか→石川秀美、金曜日は坂上とし恵でした。
[82]
名前:名無しさん
:2021/11/09 (火) 20:40:14 No.7259
20世紀アイドルスター大全集〜80年代編の、4ページ目の左下です。
4ページ目の右下は、23と同じなので省略します。
このムック本からは、最後のカットになります。
82年デビュー組8人の集合写真です。この中では、キョンキョンとちえみが、
デビュー時から人気だったので、センターにいます。
この中で、顔の印象が一番変わっていないのは、三田寛子かな?
キョンキョンは、まだ顔がふっくらしていました。
[83]
名前:名無しさん
:2021/11/09 (火) 20:59:56 No.7260
2006年5月10日発売のアイドルデビュー伝説(1980〜82年編)から、
近代映画に初登場した時、82年3月号のグラビアの再現です。
近代映画自体にはカラー2ページで載っているはずですが、
このムック本では白黒になっています。右が当時の記事、左がムック本で加筆された記事です。
当時の記事の「ようやくめぐってきたチャンスですから ガンバリま〜す」と言う言葉は、
その後のキョンキョンの発言から、「せっかく厳しいレッスンに1年間耐えてきたから、
ガンバリま〜す。」という風に聞こえます。
[84]
名前:名無しさん
:2021/11/09 (火) 21:06:35 No.7261
アイドルデビュー伝説から、近代映画の83年3月号に載っている、
17歳の直筆手記の再録です。
4ページに渡って載っている手記の、これは1ページ目です。
なお、近代映画の82年11月号の採録である堀ちえみとの比較記事は、
堀ちえみ3スレの、62・64・66・68・70・72・74に、載せています。
[85]
名前:名無しさん
:2021/11/09 (火) 21:09:48 No.7262
アイドルデビュー伝説から、近代映画の83年3月号の直筆手記の、2ページ目です。
17歳は、セブンティーンという言葉の響きから憧れるアイドルが多かったですが、
冷静なキョンキョンは、単に16歳からの延長と言っています。
16歳の方が、バイクの免許が取れたり、親が認めれば結婚出来る年齢なので、
全然違うと、冷静に分析しています。
芸能界入りした事は、今までと大きく変わったと言っています。
もしスタ誕に出ていなかったら、本当に美容師になっていたかも知れません。
高校入試の少し前には、美容学校のパンフレットを集めていたそうです。
[86]
名前:名無しさん
:2021/11/13 (土) 13:14:02 No.7280
アイドルデビュー伝説から、近代映画の83年3月号の直筆手記の、3ページ目です。
「私って、昔からかわいい人より大人っぽい人に憧れちゃうんですよね。」
キョンキョンは可愛いイメージが浸透していたので、24歳になっても、
まだ「見逃してくれよ」といったアイドルらしい曲を歌っていました。
大人っぽいかどうかは別にして、キョンキョン本来の美しさが表面化したのは、
27歳の時のドラマ「愛するということ」あたりからだと思います。
「ドラマならドラマに出て、回りの人の演技を見て勉強する。」
デビュー二年目に初めてレギュラー出演したドラマ「あとは寝るだけ」で、
早速それを実践していました。
[87]
名前:名無しさん
:2021/11/13 (土) 13:17:38 No.7281
アイドルデビュー伝説から、近代映画の83年3月号の直筆手記の、4ページ目です。
デビューが5ヶ月早い伊代だけではなく、ちえみ・秀美・明菜もデビューした年に
初コンサートを行っていましたが、キョンキョンは翌年になりました。
それだけに、気合が入っていたと思います。そして、キョンキョン独特の、
ファンとの掛け合いで盛り上がるコンサートが、徐々に完成して行きました。
「明るくひょうきんで、実は暗〜いという性格」
の前半はアイドル時代に全開でしたが、後半はアイドル時代にはあまり見せませんでした。
[88]
名前:名無しさん
:2021/11/13 (土) 13:24:31 No.7282
84年1月5日発行のデラックス近代映画・小泉今日子写真集の、表紙です。
87年の中山美穂主演のドラマ「ママはアイドル」では、中山美穂の年上の息子役の永瀬正敏が、
隠れキョンキョンファンという設定で、この写真集をこっそり持ち歩いているシーンが
出てきます。(表紙が写っていた。)
結婚している時(95〜03年)は、「昔の永瀬くんの意外な一面を見た。」と言っていたので、
このドラマの事も、話題にしていた事でしょう。
[89]
名前:名無しさん
:2021/11/13 (土) 13:27:41 No.7283
デラックス近代映画・小泉今日子写真集の、1ページ目です。
[90]
名前:名無しさん
:2021/11/13 (土) 13:29:24 No.7284
デラックス近代映画・小泉今日子写真集の、2ページ目です。
2ページに渡って、風景が載っています。
[91]
名前:名無しさん
:2021/11/17 (水) 11:21:01 No.7300
写真集「わたし今日子」の、69ページ目の右下です。
小柄なキョンキョンは、小2の時はもっと小柄で、2歳年上のひろこ姉さまと喧嘩しても、
勝負にならない事は、二人並んでいる左の写真からも、良く分かります。
いつも負けて悔しかったので、「悪魔のような姉」と思っていたそうです。
(パンダのアンアン等より)
右の浮き輪を持っている水着写真。浮き輪を持って砂浜に座っているカットが、
93年のJR東日本のCM(小沢健二とデュエットしている歌が流れるCM)で、
使われていました。
[92]
名前:名無しさん
:2021/11/18 (木) 18:25:41 No.7305
何故だか、写真集「わたし今日子」を載せようとするとエラーになるので、
デラックス近代映画・小泉今日子写真集の、3ページ目を載せます。
[93]
名前:名無しさん
:2021/11/18 (木) 18:26:55 No.7306
デラックス近代映画・小泉今日子写真集の、4〜5ページ目です。
[94]
名前:名無しさん
:2021/11/18 (木) 18:28:07 No.7307
デラックス近代映画・小泉今日子写真集の、6〜7ページ目です。
[95]
名前:名無しさん
:2021/11/18 (木) 18:29:16 No.7308
デラックス近代映画・小泉今日子写真集の、8ページ目です。
[96]
名前:名無しさん
:2021/11/21 (日) 18:59:37 No.7323
写真集「わたし今日子」の、70ページ目の左上です。
アップ出来ないのは、文章に禁止文字があるかも知れないので、画像ファイルにして載せます。
[97]
名前:名無しさん
:2021/11/21 (日) 19:04:11 No.7324
96の画像に関するコメント文です。
[98]
名前:名無しさん
:2021/11/21 (日) 19:08:46 No.7325
写真集「わたし今日子」の、70ページ目の左下です。
これもアップ出来ないので、コメント文を画像ファイルにして載せます。
[99]
名前:名無しさん
:2021/11/21 (日) 19:11:13 No.7326
98の画像に関するコメント文です。
[100]
名前:名無しさん
:2021/11/21 (日) 19:17:33 No.7327
写真集「わたし今日子」の、71ページ目の上です。
キョンキョン自身はさっちゃんと読んでいる幸代と、
無二の親友になったのは中学生になった頃でした。
スポーツの苦手なキョンキョンですが、さっちゃんと一緒に過ごしたいがために、
ソフトボール部に入部します。1年の時からレギュラーのピッチャーで活躍するさっちゃんを、
補欠のキョンキョンは、元気良く応援していたのでしょう。
二人の友情は、キョンキョンがトップアイドルとして大活躍している頃も、続いていました。
キョンキョンが、芸能界に入っても、常に普通人としての感覚を失わなかったのは、
さっちゃんの貴重なアドバイスがあったからだと思います。
そんなさっちゃんとみわ子との3ショットでは、既に可愛いキョンキョンの顔になっています。
中一の運動会の頃は、写し方にもよるのでしょうが、
まだキョンキョンらしい面影が見られません。
サボリ魔だったキョンキョンは、保健室や更衣室をこよなく愛するだけでなく、
昼休みに自宅に帰って、ビートたけしが出ている「笑ってる場合ですよ」を見ていました。