岡田有希子5
[1]
名前:名無しさん
:2021/05/09 (日) 02:15:19 No.6078
[2]
名前:名無しさん
:2021/05/09 (日) 02:55:20 No.6079
投稿写真の85年7月号から、素人の撮った写真の右下です。
(1の続き)
岡田有希子にしても、本田美奈子にしても、可愛いアイドルは、何故早くして亡くなって
しまうのでしょう。トップアイドルではなかったど、甲斐智枝美も可愛かったです。
亡くなった訳ではなく、引退した石川秀美も可愛かったです。
ユッコや美奈子とクラスメートだったナンノが、「ユッコは永遠に若い姿だけが
覚えられていて、羨ましい。」と、数年前に発言していました。
最初は、30年以上芸能界で頑張っているナンノより、ユッコの方がファンに愛されていると、
ナンノが思って、やっかみ半分で発言しているのかと思いました。
しかし、トップアイドルの若い姿は、やはり特別な輝きがあるからだ。ナンノも、
自分の若い頃を客観的に思うと、好きだから、上記のような発言になったと思い直しました。
今も芸能界で活躍している元アイドル達も、多分同じ思いだと感じます。
[3]
名前:名無しさん
:2021/05/09 (日) 02:57:37 No.6080
熱写ボーイの85年7月号から、素人が撮った写真の1ページ目のメインカットです。
ユッコは様々な表情を見せるので、油断ポーズも多くなり、
カメラ少年の標的になっていたのでしょう。
[4]
名前:名無しさん
:2021/05/13 (木) 09:47:41 No.6105
熱写ボーイの85年7月号から、素人が撮った写真の1ページ目の、左下です。
タクシーの運転手に頼んで撮ってもらったのかも知れません。
[5]
名前:名無しさん
:2021/05/13 (木) 09:50:33 No.6106
熱写ボーイの85年7月号から、素人が撮った写真の2ページ目の、上です。
普通の女の子というより、水がかかって可哀想なユッコです。
こういうポーズをすると、確かにボインに見えます。
[6]
名前:名無しさん
:2021/05/13 (木) 09:52:23 No.6107
熱写ボーイの85年7月号から、素人が撮った写真の2ページ目の、右下です。
このユッコは、時々ある、とんでもなく可愛い表情をしています。
[7]
名前:名無しさん
:2021/05/13 (木) 10:01:05 No.6108
熱写ボーイの85年7月号から、素人が撮った写真の2ページ目の、左下です。
前々スレ44に載せたカットと、同じ水泳大会の競技のカットでしょう。
書いてあるように、前の人の左腕が邪魔ですね。
それでも、ユッコの立派なバストが確認出来ます。
[8]
名前:名無しさん
:2021/05/13 (木) 10:14:28 No.6109
熱烈投稿の85年8月号の、1ページ目の左下です。
「割と大きな胸です。もっと豊かになるでしょう。」と書いてありますが、
バストはもっと小さくなりたい。と言っていたユッコなので、
この後痩せて、バストも小さくなりました。
[9]
名前:名無しさん
:2021/05/17 (月) 12:25:52 No.6134
プレイボーイの年鑑「86おんな年鑑」の、1ページ目です。
次ページと繋がる風景とプロフィールです。
[10]
名前:名無しさん
:2021/05/17 (月) 12:35:58 No.6135
プレイボーイの年鑑「86おんな年鑑」(86年2月20日発行)の、2ページ目です。
週プレの85年12月3日のグラビアと、同時撮影のカットと思われます。
[11]
名前:名無しさん
:2021/05/17 (月) 12:46:39 No.6136
スーパー写真塾の85年11月号から、素人が撮った写真です。
「フライデーには、河合奈保子ちゃんのオッパイが出てたけど。」と書いてありますが、
フライデーは、プロが撮った写真でしょう。
グラビア撮影なのか、隠撮りなのかは分かりませんが。
こちらは、素人が撮った写真なのですが、他の人と握手している時に、
上手いタイミングで撮ったのかも知れません。
この頃は、F・F戦争(フォーカス・フライデー)と言われていましたが、
素人(カメラ小僧)が撮った写真も、あなどれない事が分かるカットです。
[12]
名前:名無しさん
:2021/05/17 (月) 12:52:51 No.6137
スーパー写真塾の85年11月号から、これも素人が撮った写真です。
修学旅行で、仲の良かったクラスメートの田中久美との2ショットです。
[13]
名前:名無しさん
:2021/05/17 (月) 13:11:03 No.6138
トークオンの85年11月号から、1ページものです。
8月22日に18歳になったユッコが、31日に誕生パーティーを開いた時の写真が載っています。
ユッコって、女の子供たちに人気がある、お姫様のようなファッションが似合うので、
子供たちが自然に寄ってくるのでしょう。
[14]
名前:名無しさん
:2021/05/21 (金) 14:36:23 No.6163
DUNKの86年1月号の、1ページ目です。
写真集「SWEET LOVE DREAM」と連動したグラビアが、
7ページに渡って載っています。
[15]
名前:名無しさん
:2021/05/21 (金) 14:39:11 No.6164
DUNKの86年1月号の、2〜3ページ目です。
「微笑んでるかと思うと、急にさみしげな顔」
この表情の変化が憂鬱症となって、悲劇へと続くとは、
この時は誰も考えていなかった事でしょう。
10ヶ月前のDUNKのビキニ姿では、「少しでもいいスタイルの水着姿を見せたい。」と
1日1食で頑張ったユッコ。その頃と比べると、かなり痩せて見えます。
「もっと小さくなりない」と言っていた胸は、その通りになりましたが。
痩せた理由は、本人の努力なのか、殺人的スケジュールが原因か、
充実しているというドラマでも、初主演ともなれば体力的に厳しかったためか。
恋すると女の子は痩せるといいますが、峰岸徹との関係が、
そこまで深かったとは思いたくありません。
[16]
名前:名無しさん
:2021/05/21 (金) 14:41:02 No.6165
DUNKの86年1月号の、4ページ目の上です。
真剣な表情です。ユッコスマイルや、大人びた表情の有希子さんだけでなく、
様々な表情を、自然に出せるようになったのは、
リラックスした気分で撮影していたからでしょう。
[17]
名前:名無しさん
:2021/05/21 (金) 14:42:09 No.6166
DUNKの86年1月号の、4ページ目の下です。
こちらは、満面の笑みではなく、微かに微笑んでいる表情です。
[18]
名前:名無しさん
:2021/05/21 (金) 14:43:53 No.6167
DUNKの86年1月号の、5ページ目です。
リラックスして寝ている表情です。
自然なまま撮ろうと決めたので、本当に気持ちよさそうに眠っているかのようです。
[19]
名前:名無しさん
:2021/05/25 (火) 20:25:55 No.6201
DUNKの86年1月号の、6ページ目です。
写真集とこのグラビアを撮る時の、ユッコの気持ちが書いてあります。
ユッコは近眼なので、色々な場所で仕事をしていると、挨拶した人なのかかどうかが気になり、
疲れちゃうそうです。やはり心が繊細なのでしょう。その点、連ドラの仕事ならば、
毎日同じ人と会うので、挨拶が気になる心配がなく、その分気楽なのでしょう。
本業が歌手業という事もあり、ドラマの撮影では開き直る事が出来たのも、
気楽な気分にさせたと思います。その気楽な気分が、自分に素直に生きられる事につながり、
背伸びをせず、自然なまま撮ろうと決めたのが、今回の写真集とグラビアでした。
「来年は、英会話、水泳、テニスetcいろいろやってみたいなあ。」
いまはまだヒ・ミ・ツと言っている次のシングルが、悲劇への始まりとなり、
いろいろやってみる事が出来ないままだった事が、残念です。
[20]
名前:名無しさん
:2021/05/25 (火) 20:28:40 No.6202
DUNKの86年1月号の、7ページ目です。
85年8月号で言っていた二人の自分「いつまでも子供のままでいたがっているユッコと、
早く大人になりたがっている有希子さん。」とは違い、このグラビアでは、自然な表情が、
滲み出ています。このカットでも、自然の海辺で潮風に吹かれながら、
自然な笑顔を見せています。リラックスした気分で撮影したのでしょう。
85年3月号の、水着を着たユッコスマイルとは、大分違います。
[21]
名前:名無しさん
:2021/05/25 (火) 20:30:19 No.6203
DUNKの86年1月号から、プレゼントコーナーです。
今回は、マグカップ。1年前のプレゼントコーナーでは、おちゃわんと箸でした。
ファンシーショップが大好きなユッコのプレゼントでは、
前回はミッキーマウス、今回はドナルドダックの絵が描かれています。
[22]
名前:名無しさん
:2021/05/25 (火) 20:32:47 No.6204
DUNKの86年2月号から、ビデオ紹介コーナーです。
85年10月号に載っていたビデオ「Yukiko in SWISS」の紹介に続き、
同じスイスロケのビデオ「Memories of Switzerland」の紹介が、載っています。
[23]
名前:名無しさん
:2021/05/25 (火) 20:41:32 No.6205
DUNKの86年2月号の、1〜2ページ目です。
8thシングル「くちびるNetwork」のレコーディングの際に撮った、
作詞:松田聖子 作曲:坂本龍一 との3ショットです。
事務所の大先輩の聖子が、結婚後の休業時に作詞した曲として、大きな話題になりましたが、
坂本龍一がアイドルのシングルを作曲する事も珍しく、他には85年に同期の荻野目ちゃんに
作曲した「無国籍ロマンス」しかないと思います。
ユッコと聖子が笑顔で並ぶと、瞳の輝き・頬や口の形・顔の輪郭が、意外にソックリな事が
分かります。ユッコだけ写っているカットでは、聖子と似ている印象がありませんでした。
この瞳の輝きは、この歌に賭ける情熱が、ユッコと聖子の間で共有されているからでしょう。
「歌手にとって、3年目は大きく飛躍出来るかどうかという大切な年。」
一昔前の桜田淳子の時代から、柏原芳恵・キョンキョン・明菜・ちえみ・秀美、そして
同期の荻野目ちゃんと、3年目に大きく飛躍したアイドルは、長い間活躍しています。
ユッコも、その可能性が高かっただけに、残念です。
[24]
名前:名無しさん
:2021/05/29 (土) 23:06:07 No.6231
DUNKの86年2月号の、3ページ目です。
「くちびるNetwork」は、詞だけ読むと、今までのユッコの世界とはかけ離れていますが、
坂本龍一の曲と一緒になると、今までのユッコの世界の発展形に聞こえるから不思議です。
坂本龍一としても、会心の出来だったのではないかと思います。
聖子が自分で吹き込んだデモ・テープを聞いたユッコの感想。
「聖子さんの歌って、聴いているだけでルンルンしちゃうの。やっぱりすごいなあ。」
やはり松田聖子は、作詞の才能より歌唱力の方で評価されると思います。
「わたしもがんばって、自分の色をはっきり出せる歌を歌いたいです。」
次に発売が予定されていたシングル「花のイマージュ」は、もし発売されていたら、
自分の色をはっきり出せる歌になっていただけに、残念です。
聖子が休業している間、聖子の代わりを事務所が期待していたら、そのプレッシャーや、
ユッコ自身が目指す方向性とのギャップ、それらがもしかしたら自殺の原因かも知れません。
[25]
名前:名無しさん
:2021/05/29 (土) 23:12:11 No.6232
DUNKの86年2月号の、4ページ目です。
前ページの文章に書いてある、「P207」です。「くちびるNetwork 」の歌詞が載っています。
カネボウ・春のキャンペーンソングになっています。
この時の資生堂・春のキャンペーンソングは、中山美穂の「色・ホワイトブレンド」。
奇しくもユッコのデビューからの3部作を作詞・作曲した、竹内まりあの作品です。
78年頃から、ニューミュージック勢のブレイクのきっかけとなっていた、
資生堂やカネボウのキャンペーンソングが、いつの間にかアイドル対決に変わっていました。
それほどアイドルが歌う曲の完成度が上がってきた証だと思います。
もちろん曲の提供者は、職業作家ではなく、ロック・ニューミュージック勢に変わっています。
カネボウの春のキャンペーンソングになったのが、聖子が84年の春のキャンペーンソング
「Rock'n Rouge」を歌っていた関係かどうかは判りませんが、聖子が「Rock'n Rouge」を
意識して作詞したと思えるような詞の世界になっています。
聖子は春が似合うアイドルだったのに対し、ユッコは秋が似合います。聖子とは違う
「自分の色をはっきり出せる歌を歌いたいです。」の夢が叶わなかった事が残念です。
[26]
名前:名無しさん
:2021/05/29 (土) 23:16:46 No.6233
DUNKの86年3月号の、1ページ目です。
初めての香港旅行を楽しんでいるユッコが、2ページに渡って載っています。
[ドライヤー事件]:エアコンつけずにドライヤー使うと、警報器がなるとは。
ユッコでなくても、警報器鳴らした人は多い事でしょう。家ではブレイカーが落ちないように、
ドライヤーを使う時は、エアコンを消す習慣が付いている人も多いと思います。
[ムキ鳥事件]:鳥を捌いているところを見て、気持ち悪くなって鶏肉が苦手になった人も
結構いると思います。ユッコは近眼なので、救われました。
[カジノ大勝利事件]:スロットマシンの600倍に当たるのは凄い確率ですが、25円だと
600倍でも1万5000円なので、冷静に考えると、さほどの額でもないです。
日本でもカジノが出来たら、芸能人が当たった時は、ニュースになるのでしょう。
こんなに楽しそうなユッコなのに、2ヶ月後には...。
[27]
名前:名無しさん
:2021/05/29 (土) 23:19:56 No.6234
DUNKの86年3月号の、2ページ目です。
ユッコを始め、日本の人気アイドルが、香港の芸能誌にも登場し、
人気を博している事が分かります。
ほとんどが日本の雑誌のコピーだそうですが、ユッコはどの雑誌でも登場。
事務所の後輩ののりピーが、日本での人気のピークを過ぎた頃から、
台湾や香港での活動を始め、日本での人気以上の人気と知名度を獲得しました。
80年代後半の日本では、正統派アイドルよりも、おニャン子クラブを初めとした
ユニークアイドルの方に人気が集中していました。
しかし、アジアでは日本の正統派アイドルが大人気でした。
事務所がもっと早くその事に気がつき、正統派アイドルの代表的存在のユッコに、
アジア進出させていたら、上手く成功していたかも知れません。
[28]
名前:名無しさん
:2021/05/29 (土) 23:39:58 No.6235
DUNKの86年3月号にも、「くちびるNetwork」の歌詞が載っています。
ちなみに、中森明菜「DESIRE」と同じページです。
オリコンチャートでは、2月10日付けの週間1位が 「くちびるNetwork」で、
翌週の2月17日付けの週間1位が 「DESIRE」でした。
いずれも1週のみの1位です。この頃は、おニャン子旋風が吹き荒れていた時代。
中森明菜の代表曲「DESIRE」でさえ、1週しか1位を取れなかったので、
ユッコが1位を取れたのは、やはり松田聖子・坂本龍一の強力タッグがあったからでしょう。
次作予定のシングル「花のイマージュ」が、どんなに良い曲でも、この時代に1位を取るのは、
至難の業です。2位以下になった時は、「くちびるNetwork」の1位は、ユッコの実力ではなく、
松田聖子・坂本龍一コンビの力だったと、言われてしまうのが、頭の良いユッコなら、
分かる過ぎるほど分かっていたはずです。そして、「花のイマージュ」発売前に、悲劇が。
[29]
名前:名無しさん
:2021/06/02 (水) 22:02:35 No.6259
DUNKの86年4月号の、1ページ目です。
「くちびるNetwork」大ヒットを記念して、4000人のファンと
握手のNETWORKを作るビッグ・イベントの様子が、3ページに渡って載っています。
このページのユッコの横顔は、とてもチャーミングで素敵です。
DUNKの86年4月号は、3月8日発売。こんなに可愛いユッコなのに、
この1ヶ月後に悲劇が訪れるとは、誰も予想出来なかったと思います。
これで、ハリコと明和に載せた画像の再アップは終わりです。
次回からは、ペースダウンして、新規画像を貼って行きます。
[30]
名前:名無しさん
:2021/06/15 (火) 13:08:58 No.6353
DUNKの86年4月号の、2ページ目です。
学年末試験の出来がイマイチで、追試を3科目受けた事は、次の5月号の記事に載っています。
「私、ファンの人たちと直接会えるのが、いちばんうれしいの。」
そのファンと会える全国コンサート「Heart Jack」を、4月5日の東京と、
6日の地元・名古屋で行った2日後、自殺したのは、何故でしょう。
[31]
名前:名無しさん
:2021/06/30 (水) 23:29:40 No.6453
DUNKの86年4月号の、3ページ目です。
ファンの女の子二人の意見「ユッコちゃんは、顔も頭も性格も、み〜んないいもん」
女性アイドルを見る女の子の意見には、鋭いものが多いから、
女の子のファンが多くなる女性アイドルは、人気が長続きするのでしょう。
ユッコも、もし生きていたら、アイドル歌手だけではなく、様々な分野で活躍出来たと思います。
[32]
名前:名無しさん
:2021/07/14 (水) 23:40:43 No.6550
DUNKの86年4月号から、ニューアルバムの紹介コーナーです。
86年3月21日リリースの4枚目アルバム「ヴィーナス誕生」を紹介しています。
松田聖子作詞の「くちびるNet Work」ともう一曲を含むこのアルバムは、
「情熱的でセクシー」と「さわやか」という、互いに相いれない要素を両立させた、
ユッコのヴォーカルの進歩が、分かるアルバムになっています。
1stアルバム「シンデレラ」からの3枚を、ユッコの歌の第一章とすれば、
この4枚目アルバム「ヴィーナス誕生」から、ユッコの歌の第二章が始まるはずでした。
それが、アルバム発売から18日後に、悲劇が起こるなんて。
[33]
名前:名無しさん
:2021/07/29 (木) 16:30:55 No.6647
DUNKの86年5月号は、白黒の記事1ページしか載っていません。
この号の発売日は、4月9日。そう、ユッコが亡くなった翌日です。
ユッコが亡くなった速報を聞いて、今まで3〜5ページは常に載っていたカラーページを
没にしたのでしょうか。もちろん、追悼特集を載せる時間の余裕はありません。
新聞なら、1日で没にする事は可能でしょうが、月刊誌でそんな迅速な対応が出来るものなのか。
ちなみに、同じく4月9日発売のBOMBの86年5月号では、
カラー4ページのグラビアが載っています。
この記事では、ユッコの堀越高校卒業について、「あの、アッタマ、いい有希子ちゃんが」
追試を受けた事、中学時代オール5だった通信簿から、成績がガタ落ちした事について、
書いてあります。その理由について、人気アイドルの殺人的スケジュールで、
勉強する時間が無かった事や、仕事に熱中するユッコの性格(中途半端は大嫌いで、
やりかけた事は、納得いくまでとことんやらないと気が済まない)を挙げています。
思えば、スタ誕のテレビ予選で合格してから、決戦大会に出て芸能界入りする事を目標に、
親が出したノルマをクリアするために、勉強を頑張ったのでした。
成績がガタ落ちした事を、ユッコが悔しく思ったかどうかは判りませんが、
それが、自殺の理由ではないでしょう。でも、この記事が、DUNK最後の記事に
なってしまった事については、ファンの人たちにとっては、悔しかった事でしょう。
[34]
名前:名無しさん
:2021/08/14 (土) 20:02:22 No.6742
プレイボーイの86年4月29日号に、ユッコの哀悼特集と、
自殺の原因についての記事が、10ページに渡って載っています。その1ページ目です。
なお、この特集を載せ終わったら、初期のユッコの記事・グラビアに戻ります。
[35]
名前:名無しさん
:2021/08/22 (日) 14:33:39 No.6789
(`・ω・´)ノ
[36]
名前:名無しさん
:2021/08/30 (月) 23:09:49 No.6846
プレイボーイの86年4月29日号の、2ページ目です。
4月5日(自殺の3日前)、サン・ミュージックの相澤社長が、
「お前はこれから事務所を背負って立つ存在なのだから頑張って」と言ったのは、
松田聖子が、2年間の休業(85年夏〜87年春)期間中だけでも、
聖子の穴を埋めてくれという社長の願望であり、ユッコもそう感じていたと思います。
でもその2年間は、おニャン子クラブの全盛期に当たり、仮に松田聖子が休業していなくても、
1位の記録を更新し続けられたかどうかは、疑問です。そんな時期に、
聖子作詞の「くちびるNetwork」が1位になり、もし次の曲(聖子作詞ではない)の
「花のイマージュ」が、1位を取れなかったら(その可能性は十分あった)、
「聖子の力を借りなければ1位を取れない」と揶揄されていた事でしょう。
「くちびるNetwork」の前まで、ユッコのシングルは5位前後だったのに、
「花のイマージュ」が、5位前後かそれ以上でも、1位を取らない限り、
落ち目のレッテルを貼られる事を、ユッコ自身が感じていたはずです。
ユッコが自殺した日が、「花のイマージュ」のプロモーションが始まる少し前である事を
考えると、自殺の原因が、プレッシャーなのは明白だと思います。
>>35ユッコの画像アップ、ありがとうございます。
[37]
名前:名無しさん
:2021/09/13 (月) 20:17:23 No.6927
おかしいな・・・。
画像が貼れない
[38]
名前:名無しさん
:2021/09/14 (火) 15:28:07 No.6933
ナマ写真ほいっ (`・ω・´)ノ
[39]
名前:名無しさん
:2021/09/15 (水) 22:23:55 No.6937
プレイボーイの86年4月29日号の、3ページ目です。
自殺現場に多くのファンが集まり、花束を置いているシーンです。
ユッコの自殺は、4月8日当日、「ニュース・ステーション」で、久米宏が、
「連鎖反応を起こす心配があるので、今日は自殺の報道を控えました」と対応したにも関わらず、
翌日の報道番組やワイドショーでは、現場の遺体をそのまま放送。
視聴率目当てのこの放送によって、ショックを受けた若者(ファンかどうか不明)の
相次ぐ自殺が顕著となり、「ユッコ・シンドローム」と呼ばれました。(以上、ウィキより)
そして、発売予定だったシングル「花のイマージュ」は、ファンの懇願にも関わらず、
発売中止になり、同じく発売予定だったコンサート・ビデオも発売中止。
発売されたばかりの写真集は、回収されました。
すべて「ユッコ・シンドローム」を、抑えるための処置でしょう。
ユッコの自殺から、今年で既に36年が経過しています。それでも未だに、
過去の歌謡曲やアイドルを振り返る番組に、ユッコが取り上げられる事は非常に少なく、
同期の菊池桃子や荻野目洋子も、ユッコの事を敢えて避けているかのように、
口にしません。(テレビ局から、話題にしないように言われているのかも。)
まるで、岡田有希子というアイドルが、存在していなかったかのような扱いに、
寂しさと憤りを感じます。
>>38ナマ写真のアップ、ありがとうございます。
素人が撮った写真ではなく、プロが撮って、ナマ写真として発売されていた物でしょう。
[40]
名前:名無しさん
:2021/10/01 (金) 23:15:21 No.7032
暗い話が続かないように、今回はプレイボーイの86年4月29日号を休み、
スター誕生のCD&DVDーBOXから、デビューシングルブックレットの
岡田有希子のページです。
デビュー曲「ファースト・デイト」は、一度聴いたら忘れられないほど、素晴らしい曲です。
松本伊代「センチメンタル・ジャーニー」のように、アイドルっぽい、キャピキャピした
弾んだ曲で、完成度の高いデビュー曲は、他にもあると思いますが、
マイナー調でありながら、乙女チックな、完成度の高いデビュー曲は、
「ファースト・デイト」が、最高だと思います。中森明菜「スローモーション」と
同じほど完成度が高く、私は「ファースト・デイト」の方が好きです。
竹内まりやの作品としても、一番好きな曲です。
こんな完成度の高いデビュー曲も、ユッコの事を避けるマスコミによって、
忘れ去られていく事を、悲しく思います。
[41]
名前:名無しさん
:2021/10/17 (日) 16:56:11 No.7122
酷くガッカリです♪
部屋割りの時に♪
彼はホストだよと聞きました♪
[42]
名前:名無しさん
:2021/10/18 (月) 19:51:26 No.7131
プレイボーイの86年4月29日号の、4ページ目です。
プレイボーイらしく、哀悼特集でも、水着姿をメインに載せています。
ユッコが自殺する4日前、社長宅の下宿を出て、マンションで一人暮らしを始めますが、
これが、オートロック方式のマンションが見付かるまでの仮住まいだったそうです。
ここまで慌てて一人暮らしを始めたかったのは、ユッコが自殺する決意を、
この時点で固めていたのでしょう。それを事務側が見抜けなかったのは、仕方ないとしても、
セキュリティの不完全なマンションへの引っ越しを認めてしまったのは、事務側の失敗でしょう。
安全な社長宅の下宿を離れるのなら、当然、オートロック方式のマンションが見付かるまで
待つように、説得すべきだったと思います。その説得の過程から、
もしかしたら、自殺の意図があった事を、察知出来たかも知れません。
>>41画像アップ、ありがとうございます。
[43]
名前:名無しさん
:2021/10/21 (木) 00:11:23 No.7146
>>41😫 彼はバイト!!
[44]
名前:名無しさん
:2021/11/03 (水) 21:48:44 No.7226
デビュー当時の記事も、並行して載せて行きます。
これは、BOMBの84年1月号の、期待の新人コーナーからです。
伸びのある声は、岩崎宏美を可愛くした感じだったので、
もし生きていれば、岩崎宏美のように、息の長い歌手になれたかも知れないと思うと、残念です。
[45]
名前:名無しさん
:2021/11/20 (土) 16:27:08 No.7321
プレイボーイの86年4月29日号の、5ページ目です。
いくらアイドルの中では、豊満なバストを持っていたからといっても、
哀悼特集の1ページ分を、バストを強調するビキニカットにするなんて。
プレイボーイらしい。と言ってしまえばそれまでですが、
若さ溢れるひとりの女の子が、自殺してしまった。という事を強調したため。
と、いい意味にとらえましょう。
[46]
名前:名無しさん
:2021/12/05 (日) 22:17:29 No.7415
BOMBの84年1月号の、新人アイドルを占うコーナーからです。
「シンは強く硬質で、王位を射止める日を思い描いている、たくましいコだ。」
そんなたくましい性格をも上回る、殺人的スケジュールを組んだ事務所に問題あり。
なのかも知れません。
[47]
名前:名無しさん
:2021/12/09 (木) 13:31:04 No.7436
あれは素人目に見ても明らかに過労鬱
なにが共演俳優との失恋だよw
ファンからフルボッコにされるのが恐ろしくて話をでっちあげただけじゃねぇか
[48]
名前:名無しさん
:2021/12/21 (火) 23:00:42 No.7509
84年12月25日発行の、近映文庫・アイドル水着100人Prat1には、
近代映画用に撮影したと思われるユッコのビキニ・カットが、12ページ載っています。
その1ページ目です。フォト・1984と書いてあります。
>>47画像アップ、ありがとうございます。自殺の真相を知っているはずの
元チーフ・マネージャーまで、後に首吊り自殺するのだから、怖い事務所です。
[49]
名前:名無しさん
:2022/01/02 (日) 00:05:08 No.7575
神田沙也加もサンミュージックの呪いの犠牲者かもしれないと思うと気が重くなる。
すべてはクズ社長がユッコの死の真相を失恋話に捏造したせいだとするなら、因果の根深さを感じずにいられない。
[50]
名前:名無しさん
:2022/01/08 (土) 00:38:42 No.7630
プレイボーイの86年4月29日号の、6ページ目です。
1度目の自殺未遂で、再度自殺を試みる危険がある事は明白なのに、病院に入院させずに、
応急手当だけで、事務所に連れていった事務所の管理責任の甘さに、問題があるでしょう。
(例え、ユッコが「事務所に行きたい」と本当に言ったとしても)。元々躁鬱症だったら、
2年間もトップアイドルとしての、殺人的スケジュールをこなせる訳がないので、
殺人的スケジュールをこなしている内に、徐々に躁鬱症的な面が、芽生えていったと思います。
ユッコを妹のように可愛がっていた中森明菜も、ユッコと似た性格を持っていたと思います。
明菜の場合は、本当に失恋が原因でしょうが、自殺未遂後、病院に1か月入院した後、
心のケアのため、更に1か月、休業しています。
>>49画像アップ、ありがとうございます。神田沙也加は、関係ないだろうと思いましたが、
聖子が沙也加を産んだ時は、まだサンミュージック在籍中でしたね。
しかも、ユッコが自殺した時は、聖子のお腹の中にいました。やはり、呪いの犠牲者?
[51]
名前:名無しさん
:2022/01/23 (日) 01:24:47 No.7727
近映文庫・アイドル水着100人Prat1の、2ページ目です。
全12ページ中、5ページ目までは、このビキニを着たカットです。
バストとヒップが大きく、そのわりにウェストがギュッと締まっていて、人気アイドルの中でも、
ユッコは明菜に次いで2番目にプロポーションが良い事が、判ります。
ユッコを妹のように可愛がっていた明菜とは、そんな共通点もあります。
[52]
名前:名無しさん
:2022/02/07 (月) 23:19:31 No.7829
プレイボーイの86年4月29日号の、7ページ目です。
このページの前半は、50で私が書いた事です。
「警察が事情を本人から聞きたいから退院させた。」これは、嘘でしょう。
自殺未遂は明白であり、急いで聞く必要がない事。病院に入院し、トランキライザーが効いて、
精神が安定してから、病院で聞けばいい事です。
「退院させなければならなかったサンミュージックの特別な事情があったのだろうか。」
自殺未遂が報道されて大騒ぎになる前に、急いで謝罪会見をやらせて、ユッコのイメージダウン
(商品価値)の低下を、出来るだけ防ごうとしたのは、明白です。
サンミュージックの福田専務が、社長に呼ばれて(謝罪会見の相談?)電話するために
別の部屋へ行き、ユッコから離れた隙に、自殺しました。
ユッコの精神状態より、謝罪会見の方が大事だったから、離れたのでしょう。
[53]
名前:名無しさん
:2022/02/23 (水) 18:51:31 No.7923
[54]
名前:名無しさん
:2022/03/11 (金) 20:24:33 No.8011
プレイボーイの86年4月29日号の、8ページ目です。
ユッコは、確かに他のタレントと話す事は少なかったですが、タレントの友達がいない訳では
ありません。同期デビューの荻野目ちゃんや桃子、堀越の同級生だったナンノ、石野陽子、
長山洋子、宮崎ますみと仲が良く、特に、同期で同級生だった田中久美と、仲良しでした。
当時のアイドル界では、1年でも先輩や年上にアイドルとは、話をする事が、
タブー視されていたので、人気アイドルが多かった先輩たちと話が出来ないのは、当然です。
遺書は結局存在しませんでした。走り書きの中に、4か月前までドラマで共演した「根岸徹」
の名前があったので、事務所が「自殺の原因が、根岸徹に振られた事」とでっち上げ、
根岸徹は、事実無根で、デートした事もない。という記者会見まで行う始末になりました。
ユッコが綴った日記の中にも、「根岸徹」の名前はありません。
[55]
名前:名無しさん
:2022/03/28 (月) 10:56:03 No.8096
近映文庫・アイドル水着100人Prat1の、4〜5ページ目です。
1スレ目の10に載せたカットと、同じ元ネガでしょうが、こちらの方が写真が大きく、
スキャン画像が鮮明になるので、載せます。
[56]
名前:名無しさん
:2022/04/13 (水) 23:31:44 No.8177
プレイボーイの86年4月29日号の、9ページ目です。
前半の7〜8ページ目は、わりと真面な事が書いてありますが、
この後半は、一転して俗な週刊誌と同じような結論に陥っています。
だいたい、社長宅に居候していたのは、ユッコの先輩の桑田靖子や、後輩の橋本美加子・
水谷麻里・酒井法子も一緒だったので、ひとりだけ抜けていれば、すぐにバレます。
死亡した日が1日違いだっただけで、萩原光と結びつけるのは、乱暴です。
この手の根も葉もない噂は、70年代からあって、76年に桜田淳子が太った時には、
ジュリーの子供を妊娠した等と書かれ、淳子は処女を貫く事になりました。
79年には、その淳子や山口百恵・西城秀樹達が証人席に立った「スター交歓図裁判」が
行われ、芸能人たちの性的な行為をイラスト等で表現した記事に対し、有罪判決が出ました。
せっかく70年代アイドル達が勝ち取った、根も葉もない噂を書く記事の違法性が、
80年代に入ると、新たなアイドル達の台頭と共に崩れてしまったのは、残念です。
[57]
名前:名無しさん
:2022/05/01 (日) 12:01:48 No.8256
近映文庫・アイドル水着100人Prat1の、6ページ目です。
ここから、赤と黒に色違いのビキニ・カットになります。
このカットは、斜め横から撮って、ユッコの豊満なバストを強調しています。
口を閉じて、ちょっと頬を膨らませていますが、目元が可愛いので、
不満な表情には見えないところが、ユッコらしい個性です。
[58]
名前:名無しさん
:2022/05/18 (水) 01:39:17 No.8338
プレイボーイの86年4月29日号の、10ページ目です。
この文章(前ページの最後から)では、アイドルが厳格な管理システムの中で育てられていた
中で起こった、木ノ内みどり失踪事件。その反省から、アイドルのプライベートを、
監視すべきでないという風潮が生まれ、高部知子の事件が起こった。と書いています。
本当にそうでしょうか。
74年デビューの木ノ内みどりは、4年間ヒット曲がなく、5年目の21歳になって、
ようやくヒット曲「横浜いれぶん」(といってもオリコン28位)が出た、歌手としては、
B級クラスのアイドルでした。今で言うグラビア・アイドル的な存在でした。
だからこそ、管理が甘く、簡単に海外へ逃避行出来たのでしょう。
高部知子も、アイドルというより、欽ちゃんファミリーの一員である「わらべ」の
メンバーであり、倉沢淳美以外は、アイドル的人気は、ありませんでした。
この2例だけで、アイドルの管理システムの変遷を語るのは、乱暴な飛躍だと思います。
アイドルが厳格な管理システムの中に置かれていたのは、70年代も80年代も関係なく、
A級アイドルが置かれていたのであり、その中でも、管理システムが緩い人もいれば、
キツイ人もいました。ユッコは後者でしょう。なお、「アイドル促成栽培」は、
おニャン子クラブからのソロ・デビューの事を、言っているのでしょう。
[59]
名前:名無しさん
:2022/06/03 (金) 18:42:30 No.8415
近映文庫・アイドル水着100人Prat1の、7ページ目です。
このカットは、1スレ目の16に載せた、20世紀アイドルスター大全集〜80年代編と、
同じカットです。同じ近代映画社だからでしょう。
[60]
名前:名無しさん
:2022/06/20 (月) 16:12:48 No.8494
BOMBの84年5月号の、1ページ目です。
正統派アイドルは、年が近い男性アイドル・芸能人が好きと言うと、
ファンから嫌われると思って、年がずっと上の男性芸能人を好きち言う事が多いですが、
ユッコは恋愛にオクテな方なので、本当のような感じがします。
[61]
名前:名無しさん
:2022/07/05 (火) 17:31:39 No.8570
近映文庫・アイドル水着100人Prat1の、8ページ目です。
後ろから横に振り向いたポーズで、身体を細く見せようとしています。
水着撮影の時は、食事をしないユッコらしいこだわりを感じるカットです。
[62]
名前:名無しさん
:2022/07/20 (水) 21:16:24 No.8643
BOMBの84年5月号の、2ページ目です。
(1ページ目の続き)
デビュー前のイベント「ファースト・デイト」では、イラスト風の漫画の入ったトレーナーを、
プレゼントしていたそうです。ユッコは絵やイラストが上手かったので、
もし生きていたら、堀越で同級生だったナンノのように、自分でデザインした衣装で、
歌うようになっていたかも知れませんね。
[63]
名前:名無しさん
:2022/08/05 (金) 13:10:31 No.8713
近映文庫・アイドル水着100人Prat1の、9ページ目です。
腰を少し捻りながら、正面から撮ると、豊かなバストや、
プロポーションの良さが、強調されます。
[64]
名前:名無しさん
:2022/08/20 (土) 19:20:56 No.8784
BOMBの84年5月号の、新人アイドル特集コーナーからです。
繊細な感じだけれども、意外とノンビリ屋の面がある事を、新人の頃から見せています。
[65]
名前:名無しさん
:2022/09/06 (火) 19:53:19 No.8845
近映文庫・アイドル水着100人Prat1の、10〜11ページ目です。
バストは豊かでも、若くて張りがあるので、このポーズでも垂れません。
[66]
名前:名無しさん
:2022/09/23 (金) 21:42:53 No.8907
BOMBの84年7月号の、1ページ目です。
先月号に載った、アヒルと一緒のカットは、1スレ目の91に載せています。
https://gakinko.net/bbs2/80nen35/img/4241.jpg 参照。
特別、ユッコが可愛く撮れているわけではないので、ユッコが鋭く指摘した通り、
アヒルに合わせているのでしょう。
ユッコの体重が、40kgもないでしょう。と言った人は、身長が他の新人アイドルより
低いので、そういったのでしょうが、素直に喜ぶところが、ユッコらしいです。
ボムの記者も、44kgもあるようには見えない。といい、
「そりゃそうですよ。43.6kgだもん。」と言う、乙女心を見せつつ、
茶目っ気もあるユッコの答えが、いいです。
[67]
名前:名無しさん
:2022/10/10 (月) 09:27:26 No.8979
近映文庫・アイドル水着100人Prat1の、12ページ目です。
両腕を斜め上に開いて、デビュー当時の前途洋々な感じがするカットです。
豊かなバストも、強調されています。
[68]
名前:名無しさん
:2022/10/27 (木) 01:57:28 No.9044
BOMBの84年7月号の、2ページ目です。
(66(1ページ目)の続き)
下の段の「でもホント、ときどきフッと不安になってくるんですよ。(以下省略)」
のくだり、心配性のユッコの性格が表れています。最後に「死ぬとまでは言わないけど」が、
が、本当に「死ぬ」になってしまいました。
[69]
名前:名無しさん
:2022/11/12 (土) 14:08:38 No.9113
DUNKの84年7月号の、1ページ目です。
横を向きながら、斜め前に振り向いている、ユッコの豊かなバストを強調しているポーズが、
「シーサイド小町やね〜ェ」です。
[70]
名前:名無しさん
:2022/11/28 (月) 23:06:52 No.9174
DUNKの84年7月号の、2ページ目です。
初ビキニが、中2の時、デパートの屋上で受けたオーディション会場で、
しかも雪が降っていた時とは、驚きです。ピンク・レディーの初ビキニが、
スキー場だったので、それに近いものがありますね。でも、この時のビキニが気に入って、
ビキニ党になったと言うから、かなりユニークな性格です。