岡田有希子
[1]
名前:名無しさん
:2020/01/30 (木) 02:35:40 No.3879
ハリコに載せた岡田有希子の画像を、再アップしていきます。
レタッチが必要な画像は、後回しにします。
これは、DUNKの84年10月号の2ページ目です。
菊池桃子は、どんな表情をしても、アベレージ的に可愛いけれど、
ユッコは、様々な表情を見せる内、時々とんでもなく可愛いカットがあって、
それがユッコの表情の魅力だと思います。このカットも、そんな1枚なので、スレ画にしました。
「恋、はじめまして」をリリースした頃であり、
曲に合わえたイメージ作りに成功していると思います。
アイドル=アイドル歌手だった最後の存在が、岡田有希子だと思います。
[2]
名前:名無しさん
:2020/01/30 (木) 03:09:52 No.3880
2000年4月25日発売の20世紀アイドルスター大全集〜80年代編から、
「近代映画」に載っていたカット集と思われる、2ページ、11カットの内、
プロフィール付きのメインカットです。
「遺書があり失恋が原因とわかる。」と断定されて書いてありますが、
これは所属事務所からの説明であり、遺書とは書かれていない、単なるノートがあるだけです。
自殺の原因は諸説あります。
[3]
名前:名無しさん
:2020/01/30 (木) 03:13:09 No.3881
20世紀アイドルスター大全集〜80年代編の、1ページ目の左上です。
「スター誕生」出身のアイドル達とともに育った、スタ誕世代にとっては、
最後の「スター誕生」出身アイドルとして、また、デビュー後たった2年で、
悲劇的な最後を遂げたアイドルとして、岡田有希子は忘れられない存在です。
[4]
名前:名無しさん
:2020/01/30 (木) 03:17:01 No.3882
20世紀アイドルスター大全集〜80年代編の、1ページ目の右下です。
私が最初に好きになったアイドルが桜田淳子で、サンミュージック所属でした。
桜田淳子から同じ所属事務所の松田聖子へ、正統派アイドルとしてのノウハウが受け継がれ、
それが岡田有希子に受け継がれました。
(早見優も、同じサンミュージック所属でしたが、バイリンガル少女で売り出したので、
正統派アイドルとしての売り出し方とは、少し違う感じ。)
[5]
名前:名無しさん
:2020/01/30 (木) 03:20:41 No.3883
20世紀アイドルスター大全集〜80年代編の、1ページ目の左の下から2番目です。
そして、最後の正統派アイドルとも言うべき酒井法子がデビュー前、
サンミュージックの後輩として、岡田有希子に紹介され、自分の後継者の姿を見て、
自殺した岡田有希子。正統派アイドルの系譜が、岡田有希子の自殺で、
プッツリ途切れた感じを抱いたのは、私だけではないでしょう。
[6]
名前:名無しさん
:2020/02/05 (水) 03:17:20 No.3905
20世紀アイドルスター大全集〜80年代編の、1ページ目の左下です。
サンミュージックで、松田聖子から正統派アイドルとしてのノウハウを受け継いでいる事を、
「わたし、聖子さんの妹です...」と表現してデビューしました。
西城秀樹の妹コンテストでデビューした河合奈保子や石川秀美が、人気アイドルになったので、
同じ事務所の後輩を、「妹」と表現したのでしょう。
[7]
名前:名無しさん
:2020/02/05 (水) 03:28:05 No.3906
20世紀アイドルスター大全集〜80年代編の、1ページ目の下の左から2番目です。
本人は、「真似にはなりたくない」と言っていて、松田聖子とは全く違う、
岡田有希子の世界を作り出す事に、成功しました。
ユッコの世界が確立された86年1月、休業中の聖子が作詞、坂本龍一が作曲した、
8枚目のシングル「くちびるNETWORK」が、初のオリコン1位を記録します。
聖子にとって、他の人に作詞するのも、自分のシングルを含めてシングル曲として作詞するのも、
初めての事でした。それだけ、ユッコに期待していたと思います。
[8]
名前:名無しさん
:2020/02/05 (水) 03:38:49 No.3907
20世紀アイドルスター大全集〜80年代編の、2ページ目の上です。
聖子と同様、新曲をリリースする度に歌が上手くなっていったユッコ。
「くちびるNETWORK」で、ユッコの歌の世界が広がるはずでした。
9曲目に発売が予定され、ラジオでも既に流れていた「花のイマージュ」は、
「くちびるNETWORK」に続いて、ユッコの歌の世界を広げる絶好の曲でした。
(所属のキャニオン・レコードのディレクター談。)
それだけに、リリース前に自殺し、「花のイマージュ」がリリースされなかったのは、残念です。
[9]
名前:名無しさん
:2020/02/05 (水) 03:45:41 No.3908
20世紀アイドルスター大全集〜80年代編の、2ページ目の左下です。
70年代デビューの桜田淳子は本名ですが、
80年代に入ってからのサンミュージック所属アイドルは、
松田聖子・早見優・桑田靖子、そして岡田有希子と、芸名が続きました。
アイドルは本名でデビューするのが当たり前になっていた80年代ですが、
サンミュージック社長の相澤秀禎が、姓名判断に凝っていたため、
サンミュージックでは、芸名でデビューするアイドルが続きました。
[10]
名前:名無しさん
:2020/02/05 (水) 03:50:42 No.3909
20世紀アイドルスター大全集〜80年代編の、2ページ目の右の下から2番目です。
スタ誕決戦大会への出場に両親が猛反対。学校の試験でトップを取り、
志望高校に合格する事を、決戦大会出場の条件にされました。
岡田有希子は、「カメラマンがシャッターを押すように、精神統一して1ページ1ページ
真剣に頭に入れていく。そうすれば思い出すとき、不思議と一枚の写真のように頭によみがえる」
と、親が出した厳しい条件をパスするための、丸暗記の勉強方法を語っています。(ウィキより)
「ひっつの目標に向かって一直線」というガンバリ屋の岡田有希子の性格が、
伝わってくるエピソードです。
[11]
名前:名無しさん
:2020/02/10 (月) 04:59:22 No.3926
投稿写真の85年3月号から、「トップアイドルへの道」(その1)です。
同じキャニオンレコードから歌手デビューした岡田有希子と宇沙美ゆかりは、
84年新人の中でも、突出した素材でした。
しかし、デビュー前に、映画主演(みゆき)・TVドラマ・CFに出演と、
先行露出していた宇沙美ゆかりよりも、キャニオンレコードは岡田有希子を一押ししていました。
デビュー曲から連続して竹内まりやが楽曲提供し、松田聖子によって勢いが増した
サンミュージックの力で、レコ大最優秀新人賞まで取りました。
[12]
名前:名無しさん
:2020/02/10 (月) 05:16:51 No.3927
投稿写真の85年3月号から、「トップアイドルへの道」(その2)です。
トップが菊池桃子、次点が岡田有希子というのは妥当ですが、
荻野目洋子が、渡辺桂子と並んで、全くの運まかせと手厳しいのは、
85年初に書いた記事だからです。荻野目洋子は、その運が当たり、
柏原よしえと同じように、デビュー2年目の暮れからブレイクしました。
[13]
名前:名無しさん
:2020/02/10 (月) 05:21:52 No.3928
BOMBの85年1月号の、1ページ目です。
ピンクの花柄セーターは、お嬢様イメージのユッコに相応しいファッションです。
このようなファッションが似合うアイドルは、この年にデビューしたおニャン子クラブの影響で、
一掃されてしまいました。
そのため、岡田有希子が最後の清純派アイドルになってしまいました。
[14]
名前:名無しさん
:2020/02/10 (月) 05:24:04 No.3929
BOMBの85年1月号の、2ページ目です。
ミニスカートも、正統派アイドルらしい長さで、似合っています。
[15]
名前:名無しさん
:2020/02/10 (月) 05:29:21 No.3930
BOMBの85年1月号の、3ページ目です。
このあどけない表情からは、デビューに対する意志の強さは、想像出来ません。
それが、正統派アイドル・ユッコの魅力だと思います。
モノローグにある、LP「贈りもの」は、1〜3枚目までのシングルA・B面に、
新録1曲をプラスした7曲入りのベスト版です。
来年の抱負と言っているドラマでは、「禁じられたマリコ」を見たいのですが、
ほとんど再放送されていないようです。BSやCSでも無しです。
そろそろ自殺の事は時効にして、再放送して欲しいのですが。
[16]
名前:名無しさん
:2020/02/10 (月) 05:32:47 No.3931
20世紀アイドルスター大全集〜80年代編の、2ページ目の右下です。
(15の続き)
ちなみに、TBSの大映ドラマの少女シリーズ「乳姉妹」と「遊びじゃないのよ、この恋は」
の間に、東宝が作ったドラマです。
発火能力を持った少女のドラマは、同じ東宝とTBSが作った映画「クロス・ファイア」へと、
結実しているのでしょうか。
[17]
名前:名無しさん
:2020/02/13 (木) 04:47:41 No.3945
GOROの84年12月13日号に、ノンフィクション劇場として、
岡田有希子の記事が、5ページに渡って載っています。その1ページ目です。
クラスの皆に応援されながら上京する姿に、
サンミュージックの先輩・桜田淳子が、秋田から上京する姿と重なります。
予選会に優勝するも、決戦大会出場に対し、両親から猛反対を食らう部分は、
サンミュージックの先輩・松田聖子のミス・セブンティーンコンテストと重なります。
[18]
名前:名無しさん
:2020/02/13 (木) 04:49:57 No.3946
20世紀アイドルスター大全集〜80年代編の、2ページ目の下中央です。
(17の続き)
しかし、両親から猛反対を食らって決戦大会を辞退し、その後スカウトされた松田聖子とは違い、
岡田有希子は、両親が繰り出す厳しい条件を次々クリアし、
自らの力で決戦大会に臨み、見事合格します。
[19]
名前:名無しさん
:2020/02/13 (木) 04:52:41 No.3947
GOROの84年12月13日号の、2ページ目です。
「佳代、もしいやならいまからやめてもいいのよ。
社長さんのところへお母さんが行って、土下座してあやまってあげるから。」
母親は、将来の岡田有希子の運命を、予感していたのでしょうか。
[20]
名前:名無しさん
:2020/02/13 (木) 04:57:31 No.3948
85年10月1日発売の「アイドル40年」から、右側のカットです。
(19の続き)
ザ・トップテンの再放送(85年2月放送分)を見ていたら、
岡田有希子という芸名を付けた姓名判断師の沖紘子が、同じく姓名判断から付けた松田聖子が、
アイドルのトップに君臨している事から、自信を持って、
「5年間はトップ・アイドルとして活躍出来る。」と豪語していました。
今思えば、岡田有希子には、そんなプレッシャーもかかっていた事が分かりました。
[21]
名前:名無しさん
:2020/02/21 (金) 03:29:59 No.3964
GOROの84年12月13日号の、3ページ目です。
相澤社長宅へ有望新人を下宿させるシステムは、サンミュージックの先輩である桜田淳子が、
高校1年の時に、身を守る目的からスタートしました。
岡田有希子が自殺するまでは、若くしてデビューする女性アイドルにとって、
最良のシステムとして機能し、男性アイドルのジャニーズ事務所に対し、
女性アイドルといえばサンミュージックと言われた時代でした。
相澤社長は、桜田淳子や岡田有希子と同様、岡田有希子に対しても、
公私に渡って接し、スキンシップを図っていましたが、、彼女の自殺は見抜けませんでした。
そのことを、2013年に83歳で亡くなるまで後悔していた事が、
社長が持っていた手帳から分かりました。(2013年のドキュメンタリー番組より)
[22]
名前:名無しさん
:2020/02/21 (金) 03:41:50 No.3965
「アイドル40年」から、左側のカットです。
岡田有希子といえば、カーディガンが似合うイメージがあるのは、
この写真の印象が強いからかも知れません。
(21の続き)
当時は、ボイストレーナーもダンスレッスン担当も、厳しかった事が分かります。
今なら手を出して罰したら、セクハラと訴えられますね。
「決して器用なコじゃない。でも一度覚えた事は忘れなかったね。」
真面目な性格が、表れている言葉です。
デビュー前に、100回を超える会議が行われていたとは、
如何に岡田有希子が期待されていたかが分かります。
[23]
名前:名無しさん
:2020/02/21 (金) 03:46:23 No.3966
GOROの84年12月13日号の、4ページ目です。
ここでは、アイドルビジネスの話(つまり金の話)が載っています。
大手芸能事務所に所属しているアイドルが月給制で、歌唱や作詞・著作した本
(ゴーストライターが書く場合は除く)の印税だけは、別枠だと思っていました。
しかし、各音楽賞の賞金も別枠なんですね。そんな目で見ると、
松田聖子がレコード大賞新人賞を獲った時のウソ泣きの方が、リアルに見えてしまいます。
堀ちえみが、ザ・ベストテンで、「アイドルは、夢を売る商売です。」と言った時は、
「商売」と言う言葉を、アイドルが使っただけで叱られたそうです。(多分83年)
[24]
名前:名無しさん
:2020/02/21 (金) 04:01:15 No.3967
「アイドル40年」から、水着のページです。
アイドル歌手としては豊満なバスト、クビレたウエスト、ボリュームのあるヒップ、
縦長の締まったおヘソの形と、抜群のプロポーションを持つユッコのビキニ姿です。
(23の続き)
それが、84年末になると、岡田有希子のデビューには、億単位の金が投入されている、
と書かれるようになり、少女隊・セイントフォー・工藤夕貴と、デビューにかけた数10億円の
金額が話題になるまでになりました。それは夢とは対局にある金の話なので、
当然、少女隊等は、アイドルファンにはアピールしませんでした。
[25]
名前:名無しさん
:2020/02/21 (金) 04:10:44 No.3968
GOROの84年12月13日号の、5ページ目です。
現場マネージャーに女性が付くのは、桜田淳子以来、サンミュージックの慣例になりました。
同性同士の方が、不平不満を言って、ストレスを解消出来るからです。
デビュー時から1日も休みが無い、殺人的スケジュールをこなせば、
風邪をこじらせた時以外でも、疲れ果てるのは当然です。
当時の様子を、小泉今日子がエッセイ集「「黄色いマンション 黒い猫」に書いています。
「あの頃の私たちはいつも疲れていた。仕事はめまぐるしく忙しいし、大人の世界の中で
どうしたらいいかわからなくて怖いことだらけで気持ちはいつも張り詰めていたし、
とにかく寝不足でいつも眠くてダルかった。高校の制服で楽屋に現れる彼女も、
青白い顔をして「おはようございます」と、小さな声で言った後は一言もしゃべらず、
分厚い眼鏡をはずして鏡に向かい、静かにお化粧を始める。
ずっと鏡を見つめて誰かと目を合わせることさえ避けているようだった。」
[26]
名前:名無しさん
:2020/02/25 (火) 03:09:51 No.3983
アクションカメラの84年4月号の、1ページ目です。
(25の続き)
友だちのなかで争うのが嫌だから、1年前より賞が欲しいとは思わない。
当時のトップアイドルたちが、共通に思っている事でした。
歌が大好きだったユッコが、レコーディングの時間がとれないのは、辛かったと思います。
「歌が好きで無ければ、自分の意思で無ければ、とてもやっていけないだろう。」
後の早見優が、「20歳を過ぎれば、アイドル歌手はおしまい。」と、
事務所(サンミュージック)に言われたそうです。勘のいい岡田有希子が、
デビュー前の酒井法子を見て、それを感じ取った事が、自殺の一因かも知れません。
[27]
名前:名無しさん
:2020/02/25 (火) 03:15:08 No.3984
DUNKの85年1月号から、3つ折りピンナップです。
冬用の厚めのセーター&マフラー姿が、似合っています。
[28]
名前:名無しさん
:2020/02/25 (火) 03:16:58 No.3985
DUNKの85年1月号の、1ページ目です。
マイルーム公開の記事が、4ページに渡って載っています。
1ページ目のカットは、まるで社長宅から引越しているような印象を持ちましたが、
他のページを見て、そうではない事が分かりました。
[29]
名前:名無しさん
:2020/02/25 (火) 03:20:48 No.3986
DUNKの85年1月号の、2ページ目です。
DUNKは前月の9日発売なので、この号は84年12月9日発売。
という事は、今年の1月まで滝里美ちゃんと同居していたと言っても、
1年3ヶ月の間借り生活の中で、同居は最初の5ヶ月ぐらいです。
後の10ヶ月はひとりだったので、ホームシック気味になったのでしょう。
[30]
名前:名無しさん
:2020/02/25 (火) 03:27:39 No.3987
DUNKの85年1月号の、3ページ目です。
社長宅のマイルームが、3〜4ページ目のカットに載っています。
3ページ目は、机に向かうユッコの姿です。
目覚まし時計が2つ写っていますが、「この2つが鳴っても、起きて止めて、
また寝ちゃう事があるんですよね。」と、次のページに書いてあります。
殺人的忙しさのトップアイドルは、本当に大変でした。
[31]
名前:名無しさん
:2020/02/29 (土) 00:30:55 No.4003
DUNKの85年1月号の、4ページ目です。
机に向かうのは、少女マンガを読む時ぐらいだそうです。
忙しすぎて、机に向かって勉強する時間等、無かったのでしょう。
でも、デビュー前の学内テストでトップになるほど、並外れて頭の良いユッコは、
驚異的な記憶力があるので、床に座るか、ベッドで寝っころながらした方が、
能率が上がるそうです。堀越学園のクラスメイトが聞いたら、羨ましがる話です。
[32]
名前:名無しさん
:2020/02/29 (土) 00:32:54 No.4004
DUNKの85年2月号から、白黒のグラビア&記事の1〜2ページ目です。
「やさしい不良少女」の意味は、次のページに書いてあります。
[33]
名前:名無しさん
:2020/02/29 (土) 00:34:27 No.4005
DUNKの85年2月号の、3〜4ページ目です。
「やさしい不良少女」の意味は、ドラマでやりたい役が不良少女、
私生活でなりたいのが、やさしい女でした。
ビジュアルや歌唱力は、アイドルとしての資質十分でしたが、
すぐに実行に移せず、色々考えてしまうひっこみ思案な性格が、
競争の激しい芸能界に向いていなかったのかも知れません。
[34]
名前:名無しさん
:2020/02/29 (土) 00:35:41 No.4006
DUNKの85年2月号の、5ページ目です。
ユッコの直筆メッセージです。
絵文字のルーツのような、ハートマークや星マークが一杯の、可愛い文章です。
ファンに感謝の気持ちを込めた、全国コンサートになったのでしょう。
[35]
名前:名無しさん
:2020/02/29 (土) 00:45:26 No.4007
DUNKの85年2月号の、6ページ目です。
ファンに向かって、応援ありがとう。これからもよろしく。
と言っているようなポーズです。
[36]
名前:名無しさん
:2020/03/04 (水) 02:43:18 No.4021
DUNKの85年3月号の、表紙です。
表紙、3つ折りピンナップ表裏を含めて、18ページの巻頭特集が載っています。
[岡田有希子の自殺の原因の推測]
自殺の原因とされている峰岸徹と出会ったのは、
岡田有希子のレコードセールスが伸び悩み始めた85年後半。
彼に仕事の相談相手になって欲しかったのでしょう。
86年初に「くちびるネットワーク」がオリコン1位になっても、
松田聖子の作詞が売上に貢献したと言われてしまい、落ち込んだのでしょう。
[37]
名前:名無しさん
:2020/03/04 (水) 02:48:01 No.4022
DUNKの85年3月号から、ピンナップ表です。
[岡田有希子の自殺の原因の推測の続き]
自殺の3日前、相澤社長宅で、「おまえがこれからうちの会社を背負っていくんだから、
がんばらなきゃだめだよ。」と社長が言うと、
「私なんかもうだめだから、あとにいい子(酒井法子)がいるじゃない。」と言ったそうです。
自身にかかるプレッシャー、これ以上どう頑張ればいいいか解らない不安、
後輩のデビューに向けて引かれているレールを察知した事、
これらが、自殺の原因ではないかと思います。
[38]
名前:名無しさん
:2020/03/04 (水) 02:54:41 No.4023
DUNKの85年3月号に戻って、ピンナップ裏です。
完璧な女の子像を演じるユッコは、ウインクまで完璧です。
[岡田有希子の自殺の原因の推測(その3)]
37の相澤社長の言葉は、岡田有希子が精神が不安定になっている事に、気が付いていない発言です。
70年代の桜田淳子、80年代の松田聖子と、精神的にタフな人気アイドルが、
サンミュージックの屋台骨を背負っていたので、親の反対を押し切り、難題をクリアして
デビューした岡田有希子も、精神的にタフだと勘違いしていたのかも知れません。
目標とするアイドルが河合奈保子と言っていた岡田有希子に、松田聖子の抜けた穴を
埋めようとさせるには、無理があると思います。
[39]
名前:名無しさん
:2020/03/04 (水) 02:59:16 No.4024
DUNKの85年3月号から、グラビアの1ページ目です。
水着カット満載のグラビアになっています。
岡田有希子のバストは、公称84cm、ウィキでは何故だか86cmになっていますが、
ここでは、85年に合わせて85cmと書いてあります。
本人は、バストはもっと小さくてもいいと、言っていました。
[岡田有希子の自殺の原因の推測(その4)]
「くちびるネットワーク」の次のシングル予定曲だった「花のイマージュ」は既に録音済み
だったので、それを期に岡田有希子には実力派歌手の方へ徐々にシフトさせ、
アイドル人気は酒井法子へ受け継がせる事を、キチンと説明していれば、
悲劇は防げたのではないでしょうか。
[40]
名前:名無しさん
:2020/03/04 (水) 03:06:11 No.4025
DUNKの85年3月号から、グラビアの2ページ目です。
水着撮影の時は、おなかがポコッと出るのが嫌で、1日1食しかしなかったそうです。
グラビアアイドルではなく、正統派アイドルなんだから、
そこまでしなくてもいいのにと思うのですが、頑張り屋さんなんですね。
25では、風邪をこじらせて点滴を打って仕事した後、
完治しない内に水泳大会に出場したと、書いてあります。
この記事で、ユッコの健康を心配しているのは、そんな事があったからでしょう。
[41]
名前:名無しさん
:2020/03/08 (日) 03:12:33 No.4040
DUNKの85年3月号から、グラビアの3ページ目です。
正統派アイドルとしては、立派な胸の谷間を見せています。
[42]
名前:名無しさん
:2020/03/08 (日) 03:14:52 No.4041
DUNKの85年3月号から、グラビアの4ページ目です。
ピンクのタンクトップを着て、逆立ちのポーズです。
秀才で、スポーツは苦手そうなユッコですが、逆立ちに果敢に挑戦しています。
[43]
名前:名無しさん
:2020/03/08 (日) 03:19:06 No.4042
DUNKの85年3月号から、グラビアの5ページ目の上です。
青の大きなビキニを着て、両腕を大きく広げているカットです。
84年は、休日が1日しかありませんでしたが、
このハワイロケは3日間のんびり出来たそうです。
そんな、リラックスした気分が伝わって来るカットです。
[44]
名前:名無しさん
:2020/03/08 (日) 03:25:03 No.4043
DUNKの85年3月号から、グラビアの5ページ目の下です。
青の大きなビキニを着て、右手を大きく上げて、フリスビー?を投げているカットです。
>このコを見てると今のアイドルが本当にくだらなく見える(ハリコの時のレス)
岡田有希子は、70〜80年代に培ってきたアイドル像の集大成のような存在なので、
そう見えて当然だと思います。今のアイドルは、おニャン子クラブの台頭と岡田有希子の自殺で、
それまで培ってきた理想のアイドル像がぷっつり途切れ、アイドル冬の時代に
理想のアイドル像が壊れた後なので、仕方ないでしょう。
[45]
名前:名無しさん
:2020/03/08 (日) 03:29:50 No.4044
DUNKの85年3月号から、グラビアの6〜7ページ目です。
忙しい人気アイドルは、オフが滅多に無いため、
貴重なオフを有意義に使えない人がほとんどでした。
岡田有希子もその一人である事が、この記事から分かります。
動画がアップされている「ぴったしカンカン」では、ゲストの岡田有希子が、
自分の耳をダンボ耳と言っていましたが、回答者の一人・松本伊代の方が、
その上を行くダンボ耳なのに、その事には全く触れていませんでした。
この頃は、松本伊代も人気アイドルだからでしょう。
[46]
名前:名無しさん
:2020/03/11 (水) 00:14:08 No.4058
DUNKの85年3月号から、グラビアの8ページ目です。
ピンクの水玉ビキニを着て、走っているポーズを、横から撮ったカットです。
このビキニは可愛いので、他のアイドルも着ていますが、
ユッコは身体が細いので、良く似合います。
[47]
名前:名無しさん
:2020/03/11 (水) 00:16:34 No.4059
DUNKの85年3月号から、グラビアの9ページ目です。
同じビキニを着て、横に近い斜め横から撮ったカットです。
1日1食しか食べないで水着撮影した甲斐があって、引き締まったウエストと、
縦長のカッコイイおへそを、見せています。
[48]
名前:名無しさん
:2020/03/11 (水) 00:18:17 No.4060
DUNKの85年3月号から、グラビアの10〜11ページ目です。
ピンクの水玉ビキニを着て、うつ伏せに寝ているポーズです。
笑顔になると、目尻が少し垂れるユッコスマイルか可愛いカットです。
[49]
名前:名無しさん
:2020/03/11 (水) 00:23:09 No.4061
DUNKの85年3月号から、グラビアの12ページ目です。
大晦日の大きな賞(レコード大賞最優秀新人賞)は、受賞後ステップアップ出来た人と、
簡単にに消えてしまった人に大別されます。
サンミュージックでは、桜田淳子・松田聖子とも前者であり、
ユッコも、受賞後ステップアップ出来る逸材でした。
(松田聖子は、最優秀ではありませんでしたが。)
[50]
名前:名無しさん
:2020/03/11 (水) 00:24:30 No.4062
DUNKの85年3月号から、グラビアの13ページ目です。
黒のワンピースを着て、お尻に水を浴びているポーズです。
大きく口を開けた、恥ずかしそうに笑っているユッコスマイルか可愛いカットです。
[51]
名前:名無しさん
:2020/03/15 (日) 02:24:54 No.4077
DUNKの85年3月号から、グラビアの14ページ目です。
プレゼントコーナーです。
忙しくて、名古屋にいる家族にもなかなか会えないので、お土産を買っています。
[52]
名前:名無しさん
:2020/03/15 (日) 02:26:54 No.4078
DUNKの85年3月号から、グラビアの15ページ目です。
体育座りのポーズは、アイドルの定番という感じです。
[53]
名前:名無しさん
:2020/03/15 (日) 02:29:25 No.4079
DUNKの85年3月号から、スター7人の通信簿のコーナーです。
ウィキにも書いてある5並びの通信簿は、もちろん7人中トップです。
写真的記憶力を駆使して、親が出した厳しい歌手デビューの条件をクリアしたユッコですが、
元々の成績が良かったのも確かでした。
お、おもわず「人間じゃねェ!!」」と叫びたくなる5並び通信簿というコメントも、納得です。
[54]
名前:名無しさん
:2020/03/15 (日) 02:30:59 No.4080
DUNKの85年3月号から、アイドルDJ全員集合のコーナーです。
「ちょっとおあずけ」の方は、選曲までユッコ自身が行っていて、
力が入っている事が、分かります。
下ネタで照れるのは、アイドルとして既に古いと、本人が自覚していたと思います。
頭の良いユッコらしい判断です。
9に書いてあるラジオ番組は、「奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ」を元に、
岡田有希子をトリビュートした番組です。
[55]
名前:名無しさん
:2020/03/15 (日) 02:34:09 No.4081
DUNKの85年4月号から、中折りピンナップです。
アイドルとしてはスタイルが良い方なので、地味な紺のワンピース姿でも、引き立ちます。
ワンピースだと、おなかが目立たないので、1日1食で我慢しなくても良さそうです。
[56]
名前:名無しさん
:2020/03/19 (木) 00:38:21 No.4095
DUNKの85年4月号から、水泳大会のカットです。
53で保健体育だげが比較的苦手なユッコは、運動神経があまり良くないのに、
水泳大会では、サービス精神を発揮して大活躍していました。
[57]
名前:名無しさん
:2020/03/19 (木) 00:44:17 No.4096
投稿写真の84年10月創刊号から、素人の撮った写真です。4ページに渡って載っています。
エクボの可愛いユッコの表情が、上手く撮れている写真です。
[58]
名前:名無しさん
:2020/03/19 (木) 00:49:51 No.4097
投稿写真の84年10月創刊号の、素人が撮った写真の2ページ目です。
アイドル恒例の、風に感謝のパンチラカットです。
後で載せる投稿写真の85年7月号では、パンチラを堂々と見せていますが、
そういうカットより、このカットの方が自然です。
[59]
名前:名無しさん
:2020/03/19 (木) 01:08:54 No.4098
投稿写真の84年10月創刊号の、素人が撮った写真の3ページ目の右上です。
ブラチラを撮るのもなかなか大変と書いてあります。
[60]
名前:名無しさん
:2020/03/19 (木) 01:13:47 No.4099
投稿写真の84年10月創刊号の、素人が撮った写真の3ページ目の右下です。
あの愛くるしいような顔からは想像もつかないほどの立派なバスト。
と書いてあるように、アイドルとしては立派なバストをしている事が判るカットです。
[61]
名前:名無しさん
:2020/03/23 (月) 01:28:28 No.4115
投稿写真の84年10月創刊号の、素人が撮った写真の3ページ目の左上です。
ユッコの立派で豊かなバストは、水泳大会?での競技をしている時も、目立ちます。
他のアイドルがペチャパイなので、余計に目立つのかも知れません。
[62]
名前:名無しさん
:2020/03/23 (月) 01:37:37 No.4116
投稿写真の84年10月創刊号の、素人が撮った写真の3ページ目の左の上から2番目です。
デビューは2年先輩でも、同い年の松井直美と一緒のカットです。
[63]
名前:名無しさん
:2020/03/23 (月) 01:41:59 No.4117
投稿写真の84年10月創刊号の、素人が撮った写真の3ページ目の左の下から2番目です。
事務所の1年先輩である桑田康子との2ショットです。
ユッコは笑顔のカットが多いので、顔が大きく見えます。
70年代は、顔が大きいアイドルの方が表情が目立って良いとされていました。
80年代末から、キョンキョンの顔の小ささが有名になり、
小顔の方が良いという価値観に転換されました。
80年代はその狭間で、顔の大きいアイドルと、顔の小さいアイドルが混在していました。
[64]
名前:名無しさん
:2020/03/23 (月) 01:45:30 No.4118
投稿写真の84年10月創刊号の、素人が撮った写真の3ページ目の左下です。
クリッとした大きな瞳が強調されていて、私の好みの表情です。
[65]
名前:名無しさん
:2020/03/23 (月) 01:50:19 No.4119
投稿写真の84年10月創刊号の、素人が撮った写真の4ページ目です。
「有希子ちゃんには芸能界のアカに染まっていないよさがあります。」
ユッコは、テレビや写真で見せる表情より、素の時の表情の方が魅力的なのでしょう。
小泉今日子のエッセイ集「「黄色いマンション 黒い猫」には、こんな事も書いてありました。
「彼女は時々、ものすごく楽しそうに満面の笑みで話しかけてくれる。
やわらかくてふわふわした女の子の笑顔だった。
鏡を見つめていたあの表情とあまりにもギャップが激しくて私は少し戸惑うのだけど、
今日はいいことあったのかな?と思いながら一緒にはしゃいだりしていた。
彼女がいつもこんな風に笑っていられるといいなと思いながら。
それぐらい彼女の笑顔は可愛らしかった。」
[66]
名前:名無しさん
:2020/03/27 (金) 03:49:58 No.4133
DUNKの84年8月号の、1ページ目です。
2ndシングル「リトル・プリンセス」の歌詞が載っています。
ミニミニ情報に書いてある、ファンクラブの結成式の模様は、10月号に載っています。
[67]
名前:名無しさん
:2020/03/27 (金) 03:50:47 No.4134
DUNKの84年8月号の、2ページ目です。
まだ初々しいユッコの笑顔です。
[68]
名前:名無しさん
:2020/03/27 (金) 03:59:48 No.4135
DUNKの84年10月号から、1stアルバム「シンデレラ」の紹介記事です。
岡田有希子は、何といってもシングルよりアルバムで、その真価を発揮していました。
特に「シンデレラ」には、良い曲が多かったです。
私が好きな岡田有希子の曲ベスト5は、
1、さよなら夏休み
2、ソネット
3、水色プリンセス
4、ファースト・デイト(デビューシングル)
5、憧れ
ですが、3を除いた4曲が「シンデレラ」に収録されています。
[69]
名前:名無しさん
:2020/03/27 (金) 04:08:56 No.4136
DUNKの84年10月号の、1ページ目です。
3rdシングル「恋。はじめまして」の歌詞が載っています。
新人賞を総なめにした曲なので、知っている方も多いでしょう。
2ページ目は、スレ画です。
(68の続き)
私は、「花のイマージュ」がベストアルバムに収録されてから聞いたのですが、
シングルの中では、最も良い曲だと思いました。上記のベスト3にくい込む出来です。
岡田有希子が、歌手としてもアイドルとしても成長した姿を見せられる曲であり、
デビュー曲「ファースト・デイト」から繋がる曲として、最も相応しい曲だと思いました。
それだけに、「花のイマージュ」を歌う姿が見られないのが残念です。
[70]
名前:名無しさん
:2020/03/27 (金) 04:09:56 No.4137
DUNKの84年9月号の、「アイドルパンチ」の水着特番からのカットです。
荻野目ちゃんと2ショット並んでいますが、やはりユッコの方がスタイル抜群です。
[71]
名前:名無しさん
:2020/03/31 (火) 02:18:11 No.4152
DUNKの84年10月号から、ファンクラブ結成式の記事です。
8両編成の車両に、2500人が乗ればラッシュ並になるのは当然でしょう。
倉沢淳美がファンに刃物で斬り付けられたこの時代、
ラッシュでも我慢したユッコファン達は、ユッコ同様、礼儀正しい人達なのでしょう。
[72]
名前:名無しさん
:2020/03/31 (火) 02:21:23 No.4153
DUNKの84年11月号の、1ページ目です。
同世代の男の子と1対1になると、ドキドキしちゃって喋れない、奥手のユッコでした。
[73]
名前:名無しさん
:2020/03/31 (火) 02:23:57 No.4154
DUNKの84年11月号の、2〜3ページ目です。
カレが見つかっても、忙しすぎて会えないのが一番辛いから、それが一番嫌と言っています。
カレの顔が良すぎると、人に取られそうで心配になる。とか、
頭の良いユッコは、先の事まで心配して、奥手になってしまうのでしょう。
[74]
名前:名無しさん
:2020/03/31 (火) 02:26:39 No.4155
DUNKの84年11月号の、4ページ目です。
自転車に乗っているユッコのカットです。
赤のベレー帽、ピンクのカーディガン、チェックのスカートと、
正統派アイドルらしいファッションがとても似合うユッコです。
[75]
名前:名無しさん
:2020/03/31 (火) 02:32:46 No.4156
DUNKの84年11月号の、5ページ目です。
トランプ占いをしている、乙女チックなユッコです。
[76]
名前:名無しさん
:2020/04/04 (土) 01:03:52 No.4170
BOMBの84年3月号の、1ページ目です。
水着に関して「もう少しやせるまでは絶対無理ですね。夏がくるのが恐ろしくって。」
と言っていますが、次の画像で初水着を公開しています。
好きなケーキを我慢したのでしょうか。
[77]
名前:名無しさん
:2020/04/04 (土) 01:21:21 No.4171
ここからは、ハリコの時に他の方が載せた画像も、混ぜて載せていきます。
デビュー直後に水着(ビキニ)姿を初公開した時のグラビアと記事です。
「人前で水着になるなんて恥ずかしい。でもプロになるんだから、そうも言ってられません。」
30度を超えるサイパンの暑さに、焼けやすい肌が真っ赤になるユッコ。
でもアロエを塗って、焼けた肌のアフターケアも忘れないユッコの、プロ根性が分かる記事です。
[78]
名前:名無しさん
:2020/04/04 (土) 01:35:22 No.4172
BOMBの84年3月号の、2ページ目です。
3月号は2月9日発売なので、デビュー(4月21日)より2か月以上前のユッコです。
[79]
名前:名無しさん
:2020/04/04 (土) 01:41:24 No.4173
ハリコの時に他の方が載せた、ボデイチェックのカラー画像と記事です。
公称バスト84cmは逆サバで、本当は86cmあった事が分かります。
デビュー前の76のインタビューのプロフィール欄では、更に逆サバの83cmになっています。
インタビューの内容から、太って見えないように配慮したプロフィール欄なのでしょう。
[80]
名前:名無しさん
:2020/04/04 (土) 02:00:24 No.4174
月刊平凡の84年6月号からで、これもハリコの時に他の方が載せた画像と記事です。
6月号は4月23日発売なので、デビュー直前の記事の内容です。
デビュー当時は、事務所の社長と朝の散歩をしながら、スキンシップを図っていた事が分かります。
先輩の松田聖子も、デビュー当時は、同じく社長と散歩をしていました。
既に現場マネージャーは付いているはずですが、電車通学をしていたのは、
仕事と学業は別と考えるユッコの、自らの意思だったのでしょう。
(まさか、こんなに痴漢にあうとは思っても見なかった?)
[81]
名前:名無しさん
:2020/04/08 (水) 02:22:56 No.4194
BOMBの84年4月号の、1ぺージ目です。
こちらは、4月号(3月9日発売)なので、デビューより1か月以上前のユッコです。
84年デビューのアイドルでは、ユッコと荻野目ちゃんが、歌唱力バツグンでした。
[82]
名前:名無しさん
:2020/04/08 (水) 02:30:14 No.4195
BOMBの84年4月号の、2〜3ぺージ目です。
ユッコのデビュー曲「ファーストデイト」は、オリコン最高位20位。
ユッコより18日前にデビューした荻野目ちゃんのデビュー曲「未来航海」は、
オリコン最高位32位。デビューした時点では、レコードセールスに大きな差はありませんでした。
[83]
名前:名無しさん
:2020/04/08 (水) 02:32:13 No.4196
↑81の訂正:貼る画像を間違えました。これが、1ページ目です。
[84]
名前:名無しさん
:2020/04/08 (水) 02:39:32 No.4197
BOMBの84年4月号の、4ぺージ目です。
その後のユッコは、2枚目で14位。3枚目で7位。とジャンプアップしていき、
見事、レコード大賞最優秀新人賞を受賞。その後も、4枚目で4位。5枚目で5位。
6枚目で7位。7枚目で5位。と、シングルをリリースすれば、確実にベストテン入りする
人気アイドルの地位をキープしていました。
[85]
名前:名無しさん
:2020/04/08 (水) 02:46:30 No.4198
ハリコの時に他の方が載せた画像です。
これに対し荻野目ちゃんは、2曲目以降も、29位、39位、34位、24位、16位と、
低迷し、なかなかベストテンに入る事は出来ませんでした。
[86]
名前:名無しさん
:2020/04/12 (日) 00:37:19 No.4217
ハリコの時に他の方が載せた画像です。
そんな荻野目ちゃんの7枚目のシングル「ダンシング・ヒーロー」
(85年11月21日リリース)が、ジワジワとヒットチャートを登って行き、
ザ・ベストテンでは、翌年2月6日に最高位2位を記録(オリコン最高位は5位)し、
自身初の大ヒットとなります。
[87]
名前:名無しさん
:2020/04/12 (日) 00:43:35 No.4218
ハリコの時に他の方が載せた画像です。
ユッコの8枚目のシングル「くちびるNetwork」(1月29日リリース)も、
オリコン1位を記録し、自身最大のヒットとなります。
その後も荻野目ちゃんは、大ヒットを連発していたので、ユッコがその後も生きていれば、
良きライバルとして、大活躍していた事でしょう。
[88]
名前:名無しさん
:2020/04/12 (日) 01:07:46 No.4219
ハリコの時に他の方が載せた画像です。
「くちびるNetwork」、「ダンシング・ヒーロー」が大ヒットしていたこの時期、
他のアイドルも、自身の代表作を大ヒットさせていました。
85年デビューの本田美奈子は、5曲目「1986年のマリリン」が初の大ヒット。
同じく85年デビューの中山美穂は、4曲目「色・ホワイトブレンド」が大ヒット。
ユッコのスタ誕の先輩でもある中森明菜は、14枚目「DESIRE -情熱-」が大ヒット。
同じくスタ誕の先輩の小泉今日子は、17枚目「なんてったってアイドル」が大ヒット。
アイドルのヒット曲が、最も充実していた時期だと思います。
[89]
名前:名無しさん
:2020/04/12 (日) 01:21:57 No.4220
自分のスキャン画像に戻ります。
アクションカメラの84年4月号の、2ページ目です。
1ページ目は、26に載せています。これも、デビュー前のユッコです。
[90]
名前:名無しさん
:2020/04/12 (日) 01:27:05 No.4221
BOMBの84年6月号の表紙です。
表紙・裏表紙・ピンナップ含めて、デビュー直後のユッコの42ページの大特集が載っています。
[91]
名前:名無しさん
:2020/04/16 (木) 01:43:44 No.4241
BOMBの84年6月号の裏表紙です。
見やすいように、90度回転しました。
おとぎの国のプリンセスに相応しい裏表紙です。
[92]
名前:名無しさん
:2020/04/16 (木) 01:47:10 No.4242
BOMBの84年6月号の、ピンナップです。
デビュー当時には珍しく、黒い服を着ています。
ユッコ自身が、もっと小さくなりたいと言っているバストが、強調されて見えます。
[93]
名前:名無しさん
:2020/04/16 (木) 01:48:08 No.4243
BOMBの84年6月号の、1ページ目です。
新人らしく、大きな瞳を見開いて、満面の笑みを浮かべているカットです。
[94]
名前:名無しさん
:2020/04/16 (木) 01:49:11 No.4244
BOMBの84年6月号の、2ページ目です。
メルヘンチックな文章が、気持ちよさそうなユッコの表情に似合います。
[95]
名前:名無しさん
:2020/04/16 (木) 01:50:08 No.4245
BOMBの84年6月号の、3ページ目です。
微笑んだ時のエクボが可愛い、ユッコの表情です。
[96]
名前:名無しさん
:2020/04/20 (月) 01:17:34 No.4264
ハリコの時に他の方が載せた画像です。
デビュー前の、本名:佐藤佳代で出ている、写楽の82年3月号の裏表紙に載っている
貴重なカットです。初めて見る、14歳の初々しい姿です。
82年3月号なので、スター誕生に応募して、1年後の82年6月に予選会通知が届くまでの間です。
[97]
名前:名無しさん
:2020/04/20 (月) 01:26:52 No.4265
ハリコの時に他の方が載せた画像です。
自衛官募集のPR用のカットでしょう。当時、防衛庁・自衛隊がアイドルを起用したのは、
ユッコだけでした。たった2年の芸能活動で、後世に残る偉業をしていた事になります。
今は自衛隊も、人気獲得のためか、グラビアアイドル等を載せた広報誌を発行していますが、
当時としては、画期的な出来事だったでしょう。
[98]
名前:名無しさん
:2020/04/20 (月) 01:32:10 No.4266
ハリコの時に他の方が載せた画像です。
多分、生写真だと思います。
[99]
名前:名無しさん
:2020/04/20 (月) 01:38:26 No.4267
ハリコの時に他の方が載せた画像です。
ユッコは、背が低いので顔が大きそうに見えますが、
古館伊知郎と比べると、ずっと小さい事が分かります。
[100]
名前:名無しさん
:2020/04/20 (月) 01:45:48 No.4268
ハリコの時に他の方が載せた画像です。
月刊明星の歌本でしょう。4thシングル「二人だけのセレモニー」の歌詞が載っています。