プレイボーイの86年4月29日号の、10ページ目です。
この文章(前ページの最後から)では、アイドルが厳格な管理システムの中で育てられていた
中で起こった、木ノ内みどり失踪事件。その反省から、アイドルのプライベートを、
監視すべきでないという風潮が生まれ、高部知子の事件が起こった。と書いています。
本当にそうでしょうか。
74年デビューの木ノ内みどりは、4年間ヒット曲がなく、5年目の21歳になって、
ようやくヒット曲「横浜いれぶん」(といってもオリコン28位)が出た、歌手としては、
B級クラスのアイドルでした。今で言うグラビア・アイドル的な存在でした。
だからこそ、管理が甘く、簡単に海外へ逃避行出来たのでしょう。
高部知子も、アイドルというより、欽ちゃんファミリーの一員である「わらべ」の
メンバーであり、倉沢淳美以外は、アイドル的人気は、ありませんでした。
この2例だけで、アイドルの管理システムの変遷を語るのは、乱暴な飛躍だと思います。
アイドルが厳格な管理システムの中に置かれていたのは、70年代も80年代も関係なく、
A級アイドルが置かれていたのであり、その中でも、管理システムが緩い人もいれば、
キツイ人もいました。ユッコは後者でしょう。なお、「アイドル促成栽培」は、
おニャン子クラブからのソロ・デビューの事を、言っているのでしょう。