中森明菜3
[1]
名前:名無しさん
:2021/09/03 (金) 21:27:28 No.6860
[2]
名前:名無しさん
:2021/09/07 (火) 18:24:14 No.6882
BOMBの82年10月号の、29ページ目です。Q&Aが、2ページに渡って載っています。
Q5:好きな飲み物は? コーラ。
キョンキョンもコーラが大好きで、デビュー当時太っていたのは、コーラの飲み過ぎではないか。
と言われていました。明菜は、母親が明菜の体を気遣い、炭酸系の飲み物を飲ませなかったので、
芸能界に入って、自由にコーラを飲めるようになったのでしょう。
Q7:自分の顔で好きなところは? 全然ないです。私、ブスだと思うもの。
80年代は、どんなに歌が上手くても、楽曲が良くても、ブスのアイドルは売れなかったので、
ブスではないでしょう。童顔の顔が、自分では気に入らなかったと思います。
Q15:可愛いと思う歌手は? 早見優さん。あーゆー顔が好きなんです。
早見優は、童顔とは真逆の顔ですからね。優自身は、デフォルトが怒っている表情なので、
笑顔を作るのが、大変だったと言っていました。
[3]
名前:名無しさん
:2021/09/07 (火) 18:48:42 No.6883
BOMBの82年10月号の、30ページ目です。Q&Aの2ページ目です。
Q28:ファースト・キスはいつ? 中2の冬、クラスの男の子達とおしくらまんじゅうやってて、
倒れた時、唇と唇が触れちゃったんです。
好きでもない男の子とファースト・キスをするハメになったのは、キョンキョンも同じでした。
中学生の頃、不良の男の子に呼び出され、いきなりファースト・キスを奪われ、
しかもその男の子が、勝ち誇ったように「〇人目」と言い、悔しーと思ったそうです。
Q41:ブラジャーのサイズは? 80cmのAカップ。
これはウソですね。前にも書いたけど、デビューの頃は、Dカップに近いCカップと、
後に言っていました。体重も、53kgと書いていますが、本当は58kgあったそうです。
[4]
名前:名無しさん
:2021/09/11 (土) 18:15:32 No.6905
アクションカメラの83年5月号の、3ページ目を先に載せます。
いくら自分が、「私、普通なんです」と言っても、周りは普通に見てくれない。
この頃の音楽評論家で、「山口百恵は、ツッパリを演じているが、
明菜は本物のツッパリだ。」と言い切った人もいました。
山口百恵は、デビューして3年以上経ってから、ツッパリ・ソングを歌ったのに対し、
明菜は、デビューした年からツッパリ・ソングを歌っているからでしょう。
それにしても、素の明菜を知らないくせに、断言する評論家も、おかしいと思いました。
[5]
名前:名無しさん
:2021/09/11 (土) 18:57:14 No.6906
アクションカメラの83年5月号の、2ページ目です。
素の明菜は、こんなに可愛いのに、歌の内容だけで、ツッパリとは、酷いですよね。
(4の続き)
「歌のプロとして、無理かもしれないけど、最優秀歌唱賞を取ってみたい。」
最優秀歌唱賞は、演歌を歌っている人が取る事が多かったですが、81年の岩崎宏美、
82年の大橋純子と、たまたま2年続けて、ポップス系の歌手が受賞していた事も、
この発言につながったと思います。また、最優秀歌唱賞を経てレコード大賞を取るのが、
当時の王道とされていました。明菜は、最優秀歌唱賞を取る事なく、
2年連続レコード大賞を取ったのは、ご存じのとおりです。
[6]
名前:名無しさん
:2021/09/15 (水) 20:29:57 No.6935
BOMBの82年10月号の、31ページ目です。
アイドル恒例のボディ・チェックのコーナーです。
体重やブラジャーのカップは、3で書いたので、ここではスリーサイズについて。
一番ふっくらしていたこの頃でも、B80・W57・H86と書いてあります。
その後、体重47kgの頃(80年代中盤)は、B80・W52・H85と
表記される事が多くなりました。
体重が本当は58kgあった頃でも、W57なので、体重47kgなら、W52でも納得です。
それなら、体重58kgのこの頃は、バストもヒップも、もっと大きかったかも知れません。
カップサイズをAカップと書いてありますが、本当はDカップに近いCカップとの事なので、
控えめにCカップとしても、B80→B85になります。ヒップもそれに比例すれば、
H91となりますが、B85・W57・H91では、ヒップがアイドルとしては大きすぎるので、
B80・W57・H86にしたのかも知れません。
[7]
名前:名無しさん
:2021/09/15 (水) 20:49:53 No.6936
BOMBの82年10月号の、32ページ目です。
こちらも、アイドル恒例の自室公開コーナーです。
31〜32ページにかけて、マネージャーやカメラマンのコメントも載っています。
カメラマン野村誠一は、「ヘタなホメ言葉や冗談は、全然通用しない。」と言っているので、
おだててセクシーな水着姿を撮ろうとして、失敗したのかも。
女としての成長が、普通の人より早いのは、目標とする山口百恵と一緒でした。
[8]
名前:名無しさん
:2021/09/19 (日) 20:26:35 No.6961
80年代前半の週プレのグラビアが載っている文庫写真集「ギャルズ・メイト アイドル72
ベストコレクション」(84年6月15日発行)から、週プレの83年6月7日号の、
1ページ目です。親切に、右下に掲載号が書いてあります。
[9]
名前:名無しさん
:2021/09/19 (日) 20:42:50 No.6962
文庫写真集「ギャルズ・メイト アイドル72 ベストコレクション」から、
週プレの83年6月7日号の、2ページ目です。
暗いイメージのある明菜ですが、笑顔は明るくて可愛いです。
今日、たまたま85年頃の夜ヒットで、山口百恵の「夢先案内人」を歌う明菜を、
見直した(リアルタイムで録画していたもの)のですが、
百恵はもっと軽やかにと歌っていたのに、明菜の歌い方は重い感じでした。
明菜に暗いイメージがあるのは、歌のイメージが大きいと思います。
山口百恵は、デビュー5年目の77年から、明るい歌を、年1曲シングルヒットさせていますが、
明菜の明るい曲のシングルヒットは、デビュー9年目の「Dear Friend」が、初めてです。
[10]
名前:名無しさん
:2021/09/23 (木) 20:15:19 No.6984
BOMBの82年10月号の、33ページ目です。
吉田照美との対談が、4ページに渡って載っています。その1ページ目です。
[11]
名前:名無しさん
:2021/09/23 (木) 21:16:38 No.6985
BOMBの82年10月号の、34ページ目です。吉田照美との対談の2ページ目です。
末っ子の明穂だけが、甘やかされて可愛がられ、下から2番目の明菜や、3番目は、
家にいても存在を忘れられる。と言っています。だから、早めに自立心が目覚めたと、
吉田照美がフォローしています。明菜のデビューから5年後の87年に、
妹の明穂が芸能界入りし、主にドラマで活躍しましたが、翌年セミヌードになるのを、
明菜が反対したため、疎遠になった。と言われています。
明菜は、姉として心配したのでしょうが、明穂は、お姉ちゃんのネームバリューに頼って
芸能界にいると思われている事に我慢出来ず、自立する意味でセミヌードになったのでしょう。
その後は、仕事が続かず引退しました。甘やかされて育った妹の、
甘い考えと言われれば、それまででしょうが、偉大な姉を持つ妹が芸能界で苦労する事は、
岩崎良美(宏美の妹)や、中山忍(美穂の妹)も同じです。
その中でも中森明穂が、一番悲惨だった気がします。
[12]
名前:名無しさん
:2021/09/27 (月) 22:20:03 No.7007
文庫写真集「ギャルズ・メイト アイドル72 ベストコレクション」から、
週プレの83年6月7日号の、3ページ目です。
満面の笑みになると、顔の輪郭(特に顎の部分)や、クリッとした瞳が、
キョンキョンと似ています。
(前スレ99の続き)
70年代の山口百恵と桜田淳子の、パブリックイメージと、内面の性格の違いを、
明菜とキョンキョンに当てはめてみると、明菜のパブリックイメージは、
暗い・ツッパリという部分では、山口百恵と似ていますが、感情は表に出していました。
キョンキョンのパブリックイメージは、明るい・元気・感情がすぐ表に出る。と
桜田淳子に似ています。
[13]
名前:名無しさん
:2021/09/27 (月) 22:41:16 No.7008
文庫写真集「ギャルズ・メイト アイドル72 ベストコレクション」から、
週プレの83年6月7日号の、4ページ目です。
明菜の内面が、繊細で、寂しがり屋な部分は、桜田淳子に似ています。
正義感が強く、リーダーシップを取れるのは、百恵・淳子に共通する面です。
これに対し、キョンキョンの内面は、気さくだけれども、意外に暗く、オタク気質があります。
トータルで考えると、明菜は、表面的には百恵似で、内面は淳子似。キョンキョンは、
表面的には淳子似で、内面は百恵似ですが、簡単に言えない部分もあり、
それが、70年代と80年代の差なのかな。と思います。
[14]
名前:名無しさん
:2021/10/01 (金) 22:04:20 No.7030
BOMBの82年10月号の、35ページ目です。吉田照美との対談の3ページ目です。
「恋人同士でいつまでもいような。」と言ったのは、もしかしてマッチ?
「結婚より恋人同士の日々をたくさん送りたい。」と考えていた明菜が、
騙されたって事ですかね。リストカットまでして、ほぼ1年休業していた訳だから。
あの事件が無かったら、松田聖子を抜くほどの歌手になっていたかも知れません。
中絶した子の話になると、明菜って本当に優しくて、弱い者の味方なんだな。と判ります。
岡田有希子が自殺についても、「自分に何かしてあげられることはなかったのか、
今でも悔やまれる。」と、9年後のエッセイで言っていました。
[15]
名前:名無しさん
:2021/10/01 (金) 22:32:14 No.7031
BOMBの82年10月号の、36ページ目です。吉田照美との対談の4ページ目です。
「私も宇宙旅行したいです。」と言っている明菜。今、民間人でも金持ちなら行ける時代に
なりつつあるので、ひょっとしたら、狙っていたりして。
それにしても、ここ数年マスコミに登場しない明菜は、どうしているのでしょう。
故郷の清瀬に帰って、昔の友達と暮らしているのかも知れません。
下の水着ポスターと、キョンキョンの「素敵なラブリーボーイ」を歌っている頃の
水着ポスターを並べて、自慢していた爆笑問題の田中(90年代だったかな?)
今じゃ、二人とも絶対、水着なんか着てくれませんからね。お宝です。と言っていました。
お宝ブームは、その頃から始まったのでしょう。
[16]
名前:名無しさん
:2021/10/06 (水) 02:24:40 No.7056
アクションカメラの83年5月号の、2ページ目を先に載せます。
「聖子・ひろ子の後塵を拝しながも」と書いてありますが、5曲目「トライライト」が
出る前の時点では、聖子の後塵は拝していても、ひろ子は「セーラー服と機関銃」1曲のみの
リリースで、1位がその1回、明菜は2曲1位になっているので、ひろ子の後塵は
拝していなかったと思います。でも、肝心の「トライライト」が、ひろ子の「探偵物語」に
1位を阻まれ、2位止まりと、ひろ子の後塵を拝する結果となりました。
「歌謡大賞の方は、今年は聖子でという雰囲気が早くも出てきている。」と書いてありますが、
実際には、田原俊彦「さらば..夏」が大賞を取り、呆れました。この方が、
「いいかげんにして〜」ですよね。ちなみに聖子は、「ガラスの林檎/SWEET MEMORIES」の
両面ヒットにも関わらず、 最優秀放送音楽賞でした。
レコード大賞の方は、オリコン年間ランキング2位の細川たかし「矢切の渡し」が大賞で、
納得でした。ちなみに聖子は、金賞10人の内の1人と冷遇されたのに対し、
明菜は、ゴールデン・アイドル賞7人の中から、
ゴールデン・アイドル特別賞(明菜のみ)を受賞しています。
[17]
名前:名無しさん
:2021/10/06 (水) 02:49:57 No.7057
↑16の訂正:アクションカメラの83年5月号→83年8月号
アクションカメラの83年8月号の、1ページ目です。
この衣装は、「1/2の神話」でしょうか。明菜は、バストが大きいので、ウェストを締めないと、
太って見えてしまいます。2ページ目の衣装も、「1/2の神話」でしょう。
ウェストを締めているので、大きなバストと細いウェストのメリハリが利いています。
似た衣装は、山口百恵やアン・ルイスも着ていますが、
プロポーション抜群の明菜が、一番似合っています。
[18]
名前:名無しさん
:2021/10/10 (日) 04:06:59 No.7080
BOMBの82年10月号の、37ページ目です。
花の82年組アイドルのほとんどが、「目標は松田聖子さん」と言っているイメージがある中、
明菜は、「目標は山口百恵さん」、「憧れは岩崎宏美さん」と、堂々と宣言しています。
(ちなみに、二人とも「スター誕生」の先輩です。)
歌唱力で勝負したい明菜が、岩崎宏美に憧れるのは、良く分かります。
山口百恵は、事務所の言う通りに仕事をし、引退の1年半前ごろに、自己プロデュース
(そんな言葉は当時はなかったけど)をしたいと言って、当時のスタッフと一緒に
事務所を独立しようとしますが、事務所に阻まれ、結婚・引退の道を選びます。
引退コンサートぐらいは自分で選曲したい。という希望すら、叶えられませんでした。
山口百恵が望んでも出来なかった自己プロデュースを、いち早く実現したのが明菜であり、
「目標は山口百恵さん」と言っていますが、山口百恵の目標を叶えたのが明菜でした。
[19]
名前:名無しさん
:2021/10/10 (日) 04:41:18 No.7081
BOMBの82年10月号の、38ページ目です。(最終ページ)
(18の続き)
実は、明菜以外の花の82年組アイドルも、目標は松田聖子ではありませんでした。
キョンキョンとちえみは、石野真子が目標でした。二人とも、トップ人気だった頃の
石野真子よりも、トップを松田聖子に奪われた後の石野真子を見て、憧れたそうです。
伊代ちゃんは、何とオリビア・ニュートン・ジョンを目標にしていました。
強気な伊代ちゃんらしく、目標も大物です。
秀美は、特に目標とするアイドルはいなかったそうですが、デビュー前に同じ事務所の
河合奈保子を見て、笑顔の可愛らしさから、目標にしたとの事です。
優は、ハワイで育ったので、日本のアイドル事情が分からなく、目標もいませんでした。
同じ事務所の松田聖子を目標にしろ、とスタッフから言われましたが、断固拒否しました。
明菜を含め、みんな聖子ちゃんカットでデビューしたので、松田聖子を目標とするイメージが
ありますが、全員個性的な目標だったので、それぞれ個性が際立って売れたのでしょう。
[20]
名前:名無しさん
:2021/10/14 (木) 11:11:33 No.7103
84年5月10日発行の、GORO特別編集の文庫写真集「素足のアイドルたち・スペシャル」
には、GOROの83年11月11日号のグラビアと同時撮影と思われるカットが、
7ページ載っています。その1ページ目です。
[21]
名前:名無しさん
:2021/10/14 (木) 11:19:25 No.7104
GORO特別編集の文庫写真集「素足のアイドルたち・スペシャル」の、2〜3ページ目です。
アイドルらしい作った笑顔ではなく、喜怒哀楽を素直に表現する明菜の、
口を大きく開けた心からの笑顔が、明菜らしいカットです。
[22]
名前:名無しさん
:2021/10/18 (月) 18:30:40 No.7129
BOMBの82年11月号の、1ページ目です。
明菜が、あがり症で、本番中でも手が震える話は、ミュージック・ステーションが始まってから
(86年10月〜)、良く番組内で言っていた印象がありますが、
デビュー当時から、あがり症で、トイレに行きたくなる事を、告白しています。
最近は、手が震える事が、モノマネのネタにもなっていますが、明菜が喋る時、
蚊が泣くような声になるモノマネの方は、デフォルメし過ぎていると思います。
[23]
名前:名無しさん
:2021/10/18 (月) 18:47:38 No.7130
BOMBの82年11月号の、2ページ目です。
(1ページ目の続き)
新人の時の最初の巻頭大特集で、これだけ文句を言うアイドルも珍しいです。
やっぱり明菜は、本当の事をズバズバ言うのが魅力ですね。
[24]
名前:名無しさん
:2021/10/22 (金) 22:52:35 No.7153
GORO特別編集の文庫写真集「素足のアイドルたち・スペシャル」の、4ページ目です。
ノースリープのブラウスを着ると、豊満なバストが目立ちます。
この時、明菜は19歳。身体が細くてバストが大きい女性は、19〜20歳ぐらいが、
最もバストが大きい頃だと思うので、明菜が言っていたDカップの頃は、
19〜20歳の頃かも知れません。
[25]
名前:名無しさん
:2021/10/22 (金) 23:01:51 No.7154
GORO特別編集の文庫写真集「素足のアイドルたち・スペシャル」の、5ページ目です。
顔のド・アップです。この頃の明菜は、顔の輪郭も素晴らしいので、
顔の輪郭が分からないほど、ド・アップにしなくてもいいと思うのですが。
80年代後半以降の明菜は、身体が痩せると共に、顔も痩せてきて、面長の輪郭になるのですが、
正統派アイドルらしい卵型の顔の輪郭が好きな私は、
82〜85年頃までの、明菜の顔が好きです。
[26]
名前:名無しさん
:2021/10/26 (火) 21:24:00 No.7178
2006年5月10日発行のアイドルデビュー伝説(1980〜82年編)には、
近代映画の83年3月号の、中森明菜の美少女解剖の記事が、7ページに渡って載っています。
その1ページ目です。「中森明菜追跡8080時間」」とは、
近代映画が彼女を追跡し始めた82年2月18日(上のカットが、最初に撮影されたカット)から、
83年3月号(1月23日頃発売)用に撮影されたカットまで、337日分という事です。
[27]
名前:名無しさん
:2021/10/26 (火) 21:41:08 No.7179
アイドルデビュー伝説(1980〜82年編)から、近代映画の83年3月号の、2ページ目です。
デビュー曲を海外(ロス)で録音出来るのは、スタ誕出身では、
伊藤咲子のロンドン以来だと思います。それだけ、期待されていたのでしょう。
アメリカ人のスタッフも、明菜のフィーリングに良さに、目を丸くするほどで、
その期待通りのレコーディングでした。
ロスの明菜の、インディアン姿も可愛いです。
[28]
名前:名無しさん
:2021/10/30 (土) 21:58:44 No.7201
GORO特別編集の文庫写真集「素足のアイドルたち・スペシャル」の、6〜7ページ目です。
正統派アイドルらしい卵型の顔の輪郭なのに、「少女A」や「1/2の神話」にも通じる、
斜に構えた表情になり、貫禄すら感じられるあたりが、明菜らしく、
スーパースターへの道を、着実に登っている事が、伝わります。
[29]
名前:名無しさん
:2021/10/30 (土) 22:10:12 No.7202
カラー画像の方が先行しているので、レコードジャケットを貼って行きます。
出典は、全て94年11月30日にリリースされた2枚組のベストアルバム
「SINGLES27 1982-1991」からです。これは、デビュー曲「スローモーション」のジャケットです。
トップアイドルの、売れなかったデビュー曲が、後に名曲と言われるようになるのは、
非常に珍しい事です。今聞いても、何で売れなかったんだろう。と思えるほど、素晴らしい曲です。
[30]
名前:名無しさん
:2021/11/03 (水) 21:23:29 No.7224
アイドルデビュー伝説(1980〜82年編)から、近代映画の83年3月号の、3ページ目です。
デビュー曲「スローモーション」が売れ始めたのが、
リリースから2か月以上経った7月上旬からだそうです(オリコン最高位30位)。
タイトル通り、スローモーションなスタートでしたが、
もし2曲目「少女A」の発売を延ばしていたら、もっと売れていたでしょう。
「少女A」のチャートアクションが、最初良くなかったのは、
「スローモーション」を支持するファンを戸惑わせたからだと思います。
その「少女A」については、ジャケット写真を載せる時に書きます。
[31]
名前:名無しさん
:2021/11/03 (水) 21:36:57 No.7225
アイドルデビュー伝説(1980〜82年編)から、近代映画の83年3月号の、4ページ目です。
スタ誕の特番で、山中湖に行った時の事が、書いてあります。
(「少女A」は、1位になっていません。オリコン最高位5位です。)
なお、山中湖に行った時の写真は、小泉今日子5スレの13
(
https://gakinko.net/bbs2/80nen35/img/6924.jpg)
の左下に載っています。こちらは、河口湖と書いてありますが。
同じページの右中央にも、中野美紀とのスタ誕同期3ショットが載っています。
[32]
名前:名無しさん
:2021/11/07 (日) 21:02:12 No.7247
2ndシングル「少女A」のジャケットです。
デビュー曲「スローモーション」は、テレビ出演があまり無かったので、
スローモーションなチャート・アクションでしたが、有線を中心にジワジワと
売れて行ったのでしょう。私は、「スローモーション」を聞いた時、
ニューミュージック系にアーティストが歌っていると思いました。
これに対し、「少女A」は、山口百恵や三原順子が得意としていたツッパリ歌謡路線だったので、
アイドルの曲だと判り、すぐに中森明菜の顔と曲が一致しました。
山口百恵引退直前にデビューした三原順子は、顔の雰囲気まで山口百恵にソックリで、
なおかつツッパリ歌謡路線の曲ばかり5曲連続でリリースしたので、
新鮮味が無くなり、飽きられました。
中森明菜は、ベビーフェイスの表情とツッパリ歌謡路線とのギャップ、
山口百恵の引退から2年経っている事から、山口百恵とは異なる若いファン層が付き、
トップアイドルに駆け上がったと思います。
[33]
名前:名無しさん
:2021/11/07 (日) 21:36:57 No.7248
3rdシングル「セカンド・ラブ」のジャケットです。
3枚目にして、中森明菜最大のヒット曲になりました。「少女A」のヒットから、
当然3枚目も、ツッパリ歌謡路線になるだろうというファンの期待を裏切って、
デビュー曲「スローモーション」と同じスロー・バラードにした事。
「スローモーション」がヒットしかけていたのに「少女A」をリリースし、
「スローモーション」の好きな人が、消化不良を起こしていたので、その人達の支持を集めた事。
中森明菜自身が、アイドルとして上昇気流に乗っていた事。この3要因が重なって、
中森明菜最大のヒットに繋がったと思います。
制作サイドでは、3曲目を「スローモーション」と同じ路線の「セカンド・ラブ」に
決まりかけていた時、「少女A」がヒットし始めていたので、3曲目もツッパリ歌謡路線に
しようとの動きがあり、大論争の結果、「セカンド・ラブ」に決まりました。
このジャッジは、大正解でしょう。もし、ツッパリ歌謡路線を続けていたら、
三原順子の二の舞になっていたかも知れません。
[34]
名前:名無しさん
:2021/11/12 (金) 19:30:27 No.7270
2004年12月20日発行の「ザ・ベストテン」のムック本から、
4thシングル「1/2の神話」の歌唱シーンと記事です。
次回、レコードジャケットを載せるので、その前に載せておきます。
このムック本では、「セカンドラブ」〜「ミ・アモーレ」まで、
9曲連続して歌唱シーンが載っています。
これだけ連続して載っているのは、明菜だけでしょう。
[35]
名前:名無しさん
:2021/11/12 (金) 19:41:44 No.7271
「ザ・ベストテン」のムック本から、
5thシングル「トワイライト」の歌唱シーンと記事です。
オリコンでは、薬師丸ひろ子「探偵物語」に1位を阻まれ、2位止まりでしたが、
レコード売り上げだけではなく、有線リクエスト・ラジオ番組へのリクエスト・
ザ・ベストテンへのハガキリクエストの総合順位で決まるザ・ベストテンでは、
常連の明菜が、1位に輝いています。
[36]
名前:名無しさん
:2021/11/15 (月) 10:06:54 No.7290
4thシングル「1/2の神話」のジャケットです。
先日、明菜と山口百恵と美空ひばりの再現ドラマを中心とした2時間番組を見ました。
明菜が、2ndシングル「少女A」に対して、あれほど拒否反応を起こしている事は、
初めて知りました。ディレクターは、負けず嫌いの明菜の性格を見抜いていて、
「少女A」のレコーディングを押し付けるディレクターに対する、明菜の猛烈な怒りが、
あの鋭い目つきで歌う、テレビでの歌唱に繋がったのでしょう。
(後には、どうして私はあんなに怒って歌っていたんだろう。と言っていましたが。)
「1/2の神話」は、「少女A」の延長線上にある歌なので、鋭い目つきで歌う姿が、
明菜のイメージと完全に一致し、そのカッコよさが女性から圧倒的支持を受けました。
山口百恵が、2ndシングル「青い果実」を渡された時も、こんな曲を歌わされるなんて、
と拒否反応があったそうですが、まだ14歳という事と、時代背景から、
歌わざる負えない状況に追い込まれたそうです。
[37]
名前:名無しさん
:2021/11/15 (月) 10:31:32 No.7291
5thシングル「トワイライト-夕暮れ便り-」のジャケットです。
デビュー曲「スローモーション」、3rdシングル「セカンド・ラブ」に続く、
明菜の大好きな、来生えつこ・来生たかお姉弟による作詞・作曲のバラードです。
当然、「セカンド・ラブ」・「1/2の神話」に続き、オリコン1位を取ると、
誰もが予想していたはずです。しかし結果は、「せーラー服と機関銃」から1年半後の
インターバルを空けてリリースされた、薬師丸ひろ子「探偵物語」に、1位を阻まれました。
84.1万枚ものセールスを記録した「探偵物語」が相手だったので、1位を阻まれたのも、
仕方ないでしょう。明菜はこの後も、強力な曲とぶつかって1位を取れなかった
(その曲の時に書きます)事もあり、曲のリリースの巡り合わせが悪いです。
これに対し松田聖子は、強力な曲とぶつかって1位を取れなかった事が無く、
曲のリリースの巡り合わせが良かったので、24曲連続1位という快挙を達成出来たのでしょう。
[38]
名前:名無しさん
:2021/11/19 (金) 22:37:57 No.7311
「ザ・ベストテン」のムック本から、
6thシングル「禁区」の歌唱シーンと記事です。
この曲を歌っていた頃、83年の年間ベストテンの発表があり、
前スレ46に書いたような、山田チーフと明菜のせめぎ合いがありました。
「ザ・ベストテン」のCSでの再放送は、今まで11回分ありましたが、
その内2回は、年間ベストテン(79年と80年)の発表があった回でした。
年間ベストテンの発表の回は、再放送の確率が高いので、
83年の年間ベストテンも、是非再放送して欲しいです。
「当時のせめぎ合いまで画面に見えるから」と明菜が言っている、
せめぎ合いを確認したいですね。
[39]
名前:名無しさん
:2021/11/19 (金) 22:50:42 No.7312
「ザ・ベストテン」のムック本から、
7thシングル「北ウイング」の歌唱シーンと記事です。
オリコンでは、わらべ「もしも明日が」に1位を阻まれ、この曲も2位止まりでしたが、
ザ・ベストテンでは、常連の明菜が、1位に輝いています。
文章に書いてある、「で〜〜〜」が、どこまで伸びるんだろう。と思いながら、
私も見ていた記憶があります。キョンキョンが明菜に、
「声が伸びるじゃん」と言っていたのは、素直な感想だと思いました。
[40]
名前:名無しさん
:2021/11/23 (火) 19:29:30 No.7338
6thシングル「禁句」のジャケットです。
「禁句」は、オリコン1位を取りましたが、すぐに杏里の「キャッツ・アイ」に抜かれ、
前作「トワイライト-夕暮れ便り-」は、1位を取れませんでした。
バラード路線とツッパリ路線を交互にリリースしていく戦略にも、陰りが見え始めました。
なお「禁句」の作曲は細野晴臣です。大瀧詠一の懐古番組で、細野晴臣が、
大瀧詠一は日本の音楽シーンのブライト・サイドを、私はダーク・サイトを担ってきた。
と言っていましたが、細野晴臣が、聖子やキョンキョン・伊代に提供した曲は、
ブライト・サイドにしか聞こえませんでした。明菜の「禁句」が、細野晴臣に提供曲としては、
ダーク・サイトの代表曲かも知れません。
[41]
名前:名無しさん
:2021/11/23 (火) 20:11:51 No.7339
7thシングル「北ウイング」のジャケットです。
陰りが見え始めた路線を止め、明菜が初めて自己プロデュースしたシングルです。
(作詞・作曲者の選定。曲にタイトルを付ける、等。後には衣装や振り付けも自己プロデュース)
サビ以外のメロディは、今までのバラード路線を継承しながら、キャッチーなサビ先の
曲の構成に新鮮さがあり、サビの終わりの良く伸びる声に、明菜の魅力が凝縮されています。
これだけ売れ線の曲なら1位は確実と思いましたが、「トワイライト」の時と同様、
わらべ「もしも明日が」に1位を阻まれました。97万枚も売れては、相手が強力過ぎた
と、言わざる負えません。明菜は、連続15曲、通算18曲1位を取っていますが、
強力な2曲に1位を阻まれなければ、連続20曲、通算23曲1位になっていました。
[42]
名前:名無しさん
:2021/11/27 (土) 19:23:00 No.7362
アイドルデビュー伝説(1980〜82年編)に戻って、
近代映画の83年3月号の、5ページ目です。
36で書いた2時間番組で、デビュー3か月前の、初々しいテレビ初出演の映像が流れました。
その6か月後の、中野サンプラザでの初コンサートでの、堂々たる歌いっぷりに、
大物の予感が感じられます。右下の、両手を大きく上げたカットでは、
細いウエストによって、バストの豊かさが目立ちます。
[43]
名前:名無しさん
:2021/11/27 (土) 19:34:59 No.7363
アイドルデビュー伝説(1980〜82年編)から、近代映画の83年3月号の、6ページ目です。
「レストランでジュースがこぼれて衣装がパー」
これは、自分が悪いんだら、ウエイトレスに恐縮するのは、当然です。
明菜がエライのは、まだ無名のとんえるずと一緒の楽屋だった時、
貴明が出前のラーメンを食べようとして、ゴムで止めていた上のラップを取る際に、
ラーメンのスープが飛んで、明菜の衣装にかかった事がありました。
恐縮する貴明に、明菜は、優しく「いいんですよ」と言ったそうです。
これは完全に貴明が悪いので、明菜の人柄の良さが良く分かるエピソードです。
[44]
名前:名無しさん
:2021/12/01 (水) 20:26:37 No.7385
BOMBの83年10月号から、3つ折りピンナップです。
この雑誌には、このピンナップ以外に、明菜の記事やグラビアがありません。
[45]
名前:名無しさん
:2021/12/01 (水) 20:47:33 No.7386
アクションカメラの84年2月号には、3ページの記事・グラビアが載っています。
その1ページ目です。レオタード姿から、この時期の明菜は、身体からムダな脂肪が落ち、
理想的体重である、47キロが続いていた頃だと思います。
身体が痩せても、豊満なバストは健在で、プロポーションにますます磨きがかかっています。
[46]
名前:名無しさん
:2021/12/05 (日) 21:23:15 No.7413
アイドルデビュー伝説(1980〜82年編)から、近代映画の83年3月号の、7ページ目です。
右上のゴーカートで走るカット。マッチの影響を受けて、明菜もスピード狂になった?
まあゴーカートなら、スピードにも限界がありますからね。
右中央のライブ・カット。明菜は倒れるまで歌ったそうです。嫌いだった「少女A」のヒットで、
テレビ出演が急増し、明菜の歌の上手さが一般に浸透したので、明菜の好きなスロー・バラード
「セカンド・ラブ」は、空前の大ヒット。倒れるまで歌いたくなる気持ちも、分かります。
でも、「スローモーション」「少女A」のPRをするため、全国を営業で回り、
コンサートで、倒れるまで歌えば、いくら歌の上手い明菜でも、声がかすれてくるのは、
当たり前の事です。好きな「セカンド・ラブ」なのに、自分の思い通りに歌えなくて、
一番悔しがっていたのは、明菜本人でしょう。
[47]
名前:名無しさん
:2021/12/05 (日) 21:59:15 No.7414
アクションカメラの83年5月号から、アルバムの紹介記事です。
83年3月23日リリースの3rdアルバム「ファンタジー<幻想曲>」を、紹介しています。
82年7月1日リリースの1stアルバム「プロローグ<序幕>」、
82年10月23日リリースの2ndアルバム「バリエーション<変奏曲>」に続くアルバムで、
アイドルのオリジナル・アルバムとしても、ハイペースのリリースです。
(普通は、6か月に1枚がトップアイドルとしては、標準的。)
アルバム・タイトルが、カタカナ(英語の綴りではなく)で続いているのは、
岩崎宏美が、デビューから4曲連続で、カタカナをシングのタイトルにしていたのを、
意識していたと、当時は思っていました。
ちなみに、「ファンタジー」は、岩崎宏美の4曲目のシングル・タイトルにあります。
[48]
名前:名無しさん
:2021/12/09 (木) 22:26:55 No.7437
アクションカメラの84年2月号の、2ページ目です。
ゲーノー界の年末年始は10月から始まる。いわゆる「芸能界季節」も、
今となっては、古き良き時代だったなあ。と思います。
音楽番組も、ただ歌手を沢山出して歌うだけでは、イマイチ盛り上がりに欠けるし。
「ザ・ベストテン」の年間ベストテンを、年末だけ復活させるのも、
黒い霧が入り込む余地がないので、いいと思うのですが。
花の82年組では、明菜と伊代とキョンキョンが同学年、秀美と優とちえみが1学年下です。
デビュー当時は、一番デビューが早い伊代が先輩格でしたが、83年からは明菜が姉貴格に
なったのでしょう。キョンキョンは、後輩でも同じ目線で接するタイプなので、
実は姉貴格ではなかったです。当時の明菜の事を良く知っている優やちえみが、
5年以上も表舞台に出なくなった明菜の、アイドル時代の話を、良くテレビで話しています。
[49]
名前:名無しさん
:2021/12/09 (木) 23:05:55 No.7438
アクションカメラの84年2月号の、3ページ目です。
「明菜ほど誤解されるタレントも珍しいですね。」ホントは、低姿勢で、後輩の面倒見が良く、
細かいところにも気配り出来る、良い性格です。福岡で歌番組に出演した時には、
バックで踊っていたスクール・メイツにも、差し入れを持って行ったそうです。
(当時、福岡のスクール・メイツにいた森口博子が言っていました。)
「北ウィング」のタイトルが、始めは違うタイトルだった事が書いてありますが、
「北ウイング」というタイトルを提案したのも、明菜自身です。
作曲の林哲司が、証言しています。
[50]
名前:名無しさん
:2021/12/13 (月) 21:23:17 No.7459
BOMBの83年10月号から、スターご近所情報のコーナーです。
去年の8月と書いてあるので、「少女A」のPRで全国を営業で回っていた頃です。
「少女A」がヒットし始めた頃、明菜の周りは、既に多くのファンで囲まれていた事が分かります。
既に女の子のファンもいて、投稿者もその一人でした。
[51]
名前:名無しさん
:2021/12/13 (月) 21:57:15 No.7460
MOMOCOの84年5月号から近況コーナーです。
MOMOCOでは、トップアイドルは1ページの、トップアイドル手前の人は、
3分の1の近況コーナーを、レギュラーで持っていました。
もちろん明菜は、トップアイドルなので、1ページです。
当時は、CM撮りでも、歌番組でも、グラビア撮影でも、海外ロげが当たり前だった時代。
グァムが初めてという明菜は、きっと水着グラビアの撮影が少なかったのでしょう。
海外ロケがあると、数日のロケ中、最後の1日はオフになるのが慣例でした。
毎日殺人的スケジュールを日本でこなすトップアイドルにとって、このオフが、
唯一のオアシスで、今でも語り草になっています。この時の明菜も、最後の日はオフでした。
ちなみに早見優は、バブルが弾けた後に、CM撮影を日本で行うと聞き、
なんで海外じゃないの?と、バブル気分が抜けない発言をしていたそうです。
[52]
名前:名無しさん
:2021/12/17 (金) 20:07:22 No.7482
デラックスマガジンの84年3月号の、1ページ目です。
「明菜一世」いい言葉ですね。では「明菜二世」は、誰に相当するでしょう。
荻野目洋子、本田美奈子、工藤静香あたりでは、明菜に近づく事は出来ても、
「明菜二世」と呼べるほどの迫力も、カリスマ性もありません。
80年代アイドルから「明菜二世」を探すのは無理だと思うので、明菜に負けず劣らずの
歌唱力とカリスマ性を持った、安室奈美恵が、「明菜二世」と呼べるかな?と思います。
「聖子二世」は、作品のクオリティの高さから宇多田ヒカル。「キョンキョン二世」は、
ファッションリーダーとしての一面もある浜崎あゆみ。というのは、どうでしょう。
[53]
名前:名無しさん
:2021/12/17 (金) 20:51:36 No.7483
デラックスマガジンの84年3月号の、2ページ目です。
花の82年組を中心とする他のアイドルは、ドラマや映画、歌を歌わないバラエティー、
トーク番組にも積極的に参加しましたが、明菜だけは、歌を歌えない番組への参加を拒否し、
アイドル・明菜よりも、歌手・明菜の方を大切にしました。だからこそ、
自分が歌った姿を、必ずチェックしていたのでしょう。
そんな明菜は、バラエティー番組(歌もあり)で見せる、コントやギャグの時に見せる、
楽しそうな笑顔と、歌っている時の真剣な表情とのギャップが魅力でした。
70年代では、野口五郎が、コントやギャグの表情と、歌っている時の表情の違いが、
際立った存在でした。その野口五郎が出演し歌った、明治製菓のチョコレートのCMを、
明菜が引き継いでいるのも、何かの縁かも知れません。そして野口五郎は、
明菜が憧れる山口百恵と仲が良かったです(あくまでも仕事の面で)。
[54]
名前:名無しさん
:2021/12/21 (火) 22:12:47 No.7507
MOMOCOの84年6月号から、しんちゃんのみんなの歌謡曲のコーナー(その1)です。
このコーナーは、しんちゃんのヒット予測等が書いてあって、結果が分かってから読むと、
ツッコミどころ満載です。ちなみに、しんちゃんは本田美奈子イチ押しなので、
この連載でも、本田美奈子に関する記事が多くなります。
花の82年組は、デビュー3年目なので、アイドル3年目組と言っています。
3年目組が、後に語り継がれる80年代アイドルの全盛期となったのは、予想が当たっています。
84年の後半から、伊代が脱落し始め、85年後半〜86年のおニャン子クラブの
大ブレイクの波に押し流されて、優・ちえみ・秀美が脱落して行きました。
おニャン子クラブの波を乗り越えられた、明菜とキョンキョンだけが、その後も活躍出来ました。
下の表も、詳しくは書きませんが、ツッコミどころ満載の内容です。
[55]
名前:名無しさん
:2021/12/21 (火) 22:15:30 No.7508
MOMOCOの84年6月号から、しんちゃんのみんなの歌謡曲のコーナー(その2)です。
引退劇は実質的には、キャンディーズの解散が78年、ピンクレディーの失速が79年、
山口百恵の引退と石野真子の失速が、80年です。聖子と明菜のブレイクに、
百恵の引退が関係している事は、書いてある通りです。
でも、この記事には、何故81年組ではなく、82年組だったのかの観点が抜けています。
82年組は、聖子の成功のノウハウを参考にしながら、
それぞれのアイドルが個性を競ったから、成功しました。
81年では、期間が短く、聖子の成功のウハウを吸収出来ませんでした。
[56]
名前:名無しさん
:2021/12/26 (日) 01:32:17 No.7530
シュガーの85年5月号からのカットと記事です。
「明菜って、孤立している人たちに、すごく優しいんですよ。楽屋でも、新人の女の子とか、
ポツンと一人でいる女の子に、話しかけたりして、フレンドリーなんですよ。」
つい最近も、浅香唯が新人時代に、「明菜さんに優しく接してもらった」事を、話していました。
その時、司会の人が、おニャン子の人とは違いますね。と言っていたので、いつも集団でいる
おニャン子クラブや、同期の人たち(集団でいる事が多い)には、話しにくかったのでしょう。
キョンキョンも、孤立している人たちに、声をかける事が多かったそうです。
水泳大会の楽屋で、孤立しているダンプ松本や、国生さゆり(この時は他のおニャン子は
いなかった)に、「一緒に飲もう」と声をかけていたそうです。
そんな明菜やキョンキョンだからこそ、同じスタ誕出身の後輩の、岡田有希子の自殺については、
「何かしてやれる事はなかったのか。」と後々まで後悔していました。
[57]
名前:名無しさん
:2021/12/26 (日) 02:02:28 No.7531
アクションカメラの84年5月号の、記事です。
4月下旬発売予定のシングルは、私の大好きな「サザン・ウインド」ですね。
「サザン・ウインド」については、その画像を載せる時に詳しく書きます。
去年の暮に痛めた右脚のために、暑い南国へ行ったり、春のコンサートツアーを
止めたそうなので、それほど右脚の怪我は、大きかった事が分かります。
その怪我をしたまま、38や前スレ46で書いたように、ザ・ベストテンで歌ったのだから、
ザ・ベストテンには、特別の愛着があるのでしょう。
[58]
名前:名無しさん
:2021/12/30 (木) 02:29:53 No.7554
「ザ・ベストテン」のムック本から、
8thシングル「サザン・ウインド」の歌唱シーンと記事です。
初の1位を取った時の写真と記事ですが、今年CSで再放送された回は、
2回目に1位になった時でした。この時も、鳥カゴのセットで、
「明菜ちゃんは鳥に縁のあるセットが多い」と、久米宏が言っていました。
最近のオーディション番組で歌われる曲は、1位が「禁句」になる等、明菜ちゃんの曲が多い。
明菜ちゃんの曲は、一見歌いやすそうだが、実は高度な曲作りがなされていて、
素人が簡単に歌いこなせるモノじゃない。という作曲家の宮川泰のコメントを紹介していましたが、
「禁句は、同じ音符が並ぶので、私の歌の中では1番歌いやすい。」と、
明菜自身が反論していました。せっかく歌唱力を間接的に褒めてくれたのに、
正直に反論するあたりが、明菜らしいです。
[59]
名前:名無しさん
:2021/12/30 (木) 03:05:23 No.7555
MOMOCOの84年6月号から、近況コーナーです。
57の記事の最後の段に書いてある。全国の何か所かの遊園地を貸し切りにして、
ファンとの交流を図る明菜ランドをやりたい。という事が実現した事が書いてあります。
有言実行型の明菜らしいです。2か所目の熊本では、4万人もファンが集まり、
明菜の「みなさん、危ないから座って下さい。」の一言が無かったら、中止になっていたでしょう。
東京や大阪等の大都市圏ではなく、人口50万人程度(当時)の地方都市で、
これだけのファンを集められる明菜人気の凄さが、良く分かります。
[60]
名前:名無しさん
:2022/01/03 (月) 00:57:30 No.7585
DUNKの84年6月号(創刊号)から、2つ折りピンナップです。
実は「サザン・ウインド」は、明菜の曲の中で、一番好きな曲です。
明るくてアップテンポの、アイドルらしい曲が大好きな私にとっては、
明菜の曲は暗い曲も多く、好きになれない曲が多いのですが、
この曲を聞いた時は、一回聞いただけで好きになりました。
明菜らしい振り付けも、軽やかな曲にピッタリです。(早見優も、同じ事を言っていた)
当時の担当ディテクターだった島田雄三の話が、下に書いてあります。
「北ウィング」が、インターナショナルの出発点だとすると、「サザン・ウインド」を始め、
「ミ・アモーレ」「SAND BEIGE」「ジプシー・クイーン」「TANGO NOIR」「BLONDE」と、
世界各国を飛び回る明菜のイメージが定着し、完全に山口百恵を抜いたと思いました。
[61]
名前:名無しさん
:2022/01/03 (月) 02:43:00 No.7586
84年4月11日リリースの8thシングル「サザン・ウインド」のジャケットです。
私の、独断と偏見に満ちた明菜の曲ベスト5は、
1.サザン・ウインド(軽やかなリズムが最高。)
2.ミ・アモーレ(ラテンとフュージョンのミックスが最高)
3.TerminalまでのEve(84年の企画LP「SILENT LOVE」に収録。86年の夜ヒットで歌った
人気曲。明菜の説得力ある歌い方で、可愛らしさ倍増。)
4.BLONDE(ビートの利いた分厚いアレンジに負けない明菜の歌唱が魅力。)
5.十戒 (1984)(この曲で、ツッパリ路線の明菜は百恵を超えた。)
ちなみに、90年のテレビのビデオ・レターコーナーで、キョンキョンは、明菜の
「飾りじゃないのよ涙は」を、トップに挙げています。「私は泣いた事がない」という
歌詞に「ドキッ」としたそうです。キョンキョン自身も人前では泣かない人です。
明菜は、キョンキョンの「私の16才」を、トップに挙げています。今日子ちゃんは、
「えー」と思うかも知れないけど、この曲を聞くと、スタ誕で、今日子ちゃんが
審査員の隣の席で見ている光景が頭に浮かび、先輩と思ってしまうそうです。
[62]
名前:名無しさん
:2022/01/06 (木) 20:41:43 No.7618
アクションカメラの84年6月号の、1ページ目です。
左上の写真から、この頃からマッチと付き合っている事が、分かります。
[63]
名前:名無しさん
:2022/01/06 (木) 21:04:13 No.7619
アクションカメラの84年6月号の、2ページ目です。
テレビ局は、明菜主演の連ドラを狙っていたけど、忙しい事と、
歌を歌えないテレビには出演しない事をモットーにしていたので、
ドラマ出演はしばらくなく、代わりに?マッチと共演した映画「愛・旅立ち」が、
85年初に公開されました。
[64]
名前:名無しさん
:2022/01/10 (月) 20:33:12 No.7645
デラックスマガジンの84年7月号の、1ページ目です。
「聖子を超えた」。80年代の女性アイドルで、年間シングルセールスでは、
80〜82年の3年間は、聖子が1位。83年は明菜が1位。
84年は聖子が1位。85〜87の3年間は、明菜が1位。
88年は、南野陽子が1位。89年はWinkが1位でした。
聖子と明菜が、トータルで4年ずつ1位を取り合い、互角の勝負という感じです。
[65]
名前:名無しさん
:2022/01/10 (月) 20:56:55 No.7646
デラックスマガジンの84年7月号の、2ページ目です。
歌番のリハーサル中、5分しか居られないのに、往復3時間もかけて清瀬に行く明菜。
前ページに書いてあった、お母さんとの長電話と同じく、お母さんが大好きなのでしょう。
スタ誕のテレビ予選に3回も出場し、史上最多出場となった明菜。
(テレビ予選に行く前に落ちた回数では、もっと多い人がいますが。)
3度目の挑戦では、審査員に復帰した中村泰士が、最高点の99点を付けます。
2度目の挑戦の時には、審査員の松田トシに「幼いので、童謡を歌った方が似合うんじゃない」
と言われ、「スタ誕では、童謡を歌う事が認められていないんじゃないですか」と反論する
明菜でしたが、母親から「やめなさい」と注意され、素直に従うエピソードからも、
母親が大好きな事が、分かります。その母親の教えは、「自分が正しいと思ったら、
相手がどんな偉い人であっても、自分の正しさを貫け。」でした。この言葉が、
妥協を許さない明菜の歌手人生を貫いて行ったと思います。
[66]
名前:名無しさん
:2022/01/15 (土) 00:02:41 No.7669
デラックスマガジンの84年7月号の、3ページ目です。
左上のシングル売り上げ枚数は、オリコンでは、「スロー・モーション」が17万枚。
「少女A」が40万枚。「セカンド・ラブ」が77万枚。「1/2の神話」が57万枚。
「トライライト」が43万枚。「禁区」が51万枚。「北ウイング」が61万枚。
「サザン・ウインド」が54万枚。(端数は四捨五入)となっています。
(オリコン調べ)と書いてあるのは、順位の事で、枚数は出荷枚数かも知れません。
ビキニの項で、「スタイルよくないもン」と、明菜に言われては、他のアイドルは、
誰もビキニを着る資格が、なくなってしまいます。
友だちの項で、「世渡りがヘタなんですね。」これは、これまでの明菜の人生を見ていると、
良く分かります。「一番親しいのは、早見優ちゃんかな。」優も、笑顔を作るのが苦手で、
正論を言うタイプだったので、気が合うのかも知れません。
[67]
名前:名無しさん
:2022/01/15 (土) 00:40:38 No.7670
デラックスマガジンの84年7月号の、4ページ目です。
指輪騒動の件は、マスコミの暴走らしいです。70年代の芸能レポーターには、
鬼沢慶一とかのまともなレポーターがいましたが、80年代に入って、
梨本勝が台頭してきた頃から、スクープ合戦が始まった印象です。
根津甚八とは、明菜の方が、キョンキョンより前に会っていたようです。
キョンキョンは、「夜ヒット」のマンスリー・ゲストに根津甚八が登場した時、
初めて会ったと言っていたので。(マンスリー・ゲストは、85年4月以降)
明菜はキョンキョンに、会った事を報告したのかな?
[68]
名前:名無しさん
:2022/01/18 (火) 22:07:37 No.7693
DUNKの84年6月号から、明菜のファッション史です。
過去1年間の、私服ファッションの歴史が載っています。
ステージ衣装は、黒っぽい地味な色が多い印象の明菜ですが、
私服は、様々な色な形のファッションを着こなしています。
体の線が出ない服なのは、私生活の時まで男の視線を浴びたくないからでしょう。
流行にとらわれないのが、明菜ファッションの特徴です。
[69]
名前:名無しさん
:2022/01/18 (火) 22:11:33 No.7694
DUNKの84年8月号には、表紙・ピンナップ以外に、
15ページの巻頭特集が載っています。その表紙です。
BOMBの巻頭特集と違うのは、圧倒的にカラーグラビアが多い点です。
[70]
名前:名無しさん
:2022/01/23 (日) 00:56:45 No.7725
MOMOCOの84年7月号から、近況コーナーです。
明菜は晴れ女と書いてありますが、デビュー当時に、野外で歌っていた時、
どしゃぶりの雨に見舞われたそうです。それでも、びしょぬれになりながら
キャンペーンで歌う明菜を、堺正章が見ていて、「この娘は大物になる」と思ったそうです。
堺正章だから、ザ・トップテンの中継でしょうか。
最後に書いてある中原めいこも、実は82年デビュー組です。デビューの頃から知っていて、
2ndアルバム「2時までのシンデレラ -FRIDAY MAGIC-」は、何度も繰り返し聞いていた
記憶があります。当時は、貸しレコード店の全盛時代で、LPを借りてカセットに録音する
事を繰り返し、気にいったLPだけ買うという時代でした。
[71]
名前:名無しさん
:2022/01/23 (日) 01:09:49 No.7726
MOMOCOの84年10月号から、しんちゃんのみんなの歌謡曲のコーナーです。
この時点で、明菜が百恵を超えられないと思われていたのは、理解出来ます。
「スタッフの戦略には芸がないなぁ」と思っていたのは、明菜本人も同じでしょう。
84年から自己プロデュースを始めた明菜は、85年以降、百恵とは全く異なる、
明菜独特の世界観の開拓に成功し、唯一無二の存在となりました。
[72]
名前:名無しさん
:2022/01/26 (水) 19:26:42 No.7756
DUNKの84年8月号の、ピンナップ表です。
巻頭グラビアを飾るアイドル恒例のプレゼント・コーナーです。
[73]
名前:名無しさん
:2022/01/26 (水) 19:30:29 No.7757
DUNKの84年8月号の、3つ折りピンナップ裏です。
90度回転させました。カレンダーを兼ねたピンナップでは、
明菜が斜め上を向いています。得意の仰け反るポーズでの顔のアップかも知れません。
[74]
名前:名無しさん
:2022/01/30 (日) 00:44:05 No.7776
現在が気になる…
[75]
名前:名無しさん
:2022/01/30 (日) 22:08:54 No.7780
「ザ・ベストテン」のムック本から、
9thシングル「十戒(1984))」の歌唱シーンと記事です。
「ザ・ベストテン」は、レコード売り上げ・有線放送リクエスト・全国ラジオ番組のランキング・
番組へのハガキリクエストの4部門のランキングをトータルします。各部門のランキングに、
タイムラグがあるので、初登場1位という事は、当時ほとんどない事でした。
この曲が、初登場1位になったという事は、如何に明菜人気がピークに達していた頃か、判ります。
この曲を、「ザ・ベストテン」の名・迷場面集で使われる時は、明菜が駅で停車している
新幹線の中で歌い、1番を歌った後、新幹線が発車し、動いている新幹線で、
2番を歌うシーンが、良く使われます。テロップに、歌詞の「冗談じゃない」が被さります。
[76]
名前:名無しさん
:2022/02/03 (木) 23:32:42 No.7806
DUNKの84年8月号の、1ページ目です。
明菜のイメージカラーは、黒髪と白か黒の服という、モノトーンです。
[77]
名前:名無しさん
:2022/02/04 (金) 01:18:51 No.7807
DUNKの84年8月号の、2〜3ページ目です。
好きなタイプの人に「矢沢永吉・松田優作・根津甚八」の名前を挙げていますが、
この頃から、既にマッチと付き合っていたようです。(62を参照)
[78]
名前:名無しさん
:2022/02/07 (月) 21:45:47 No.7827
MOMOCOの84年10月号から、近況コーナーです。
この頃でも、アイドルのコンサートでは、まだ洋楽を歌っていたようです。
洋楽を歌っていたのは、82〜83年デビュー組ぐらいまでかな?
80年代までは、洋楽だけではなく、邦楽を含めて、他の人の曲を歌うのは当たり前で、
カバーという言葉は、90年代に入ってから使われるようになった印象です。
多分、著作権の扱いが厳しくなり、気軽に歌えなくなった事も、関係していると思います。
冷房のない神奈川県民ホールでのコンサートは、大変だったでしょう。
その後、ツアーが帯広・札幌と、北海道に移ったのは、幸いでした。
コンサートの年齢層や男女比が変わってきているのは、この頃が、
アイドルからアーティストへ変わっていく過渡期だからでしょう。
[79]
名前:名無しさん
:2022/02/07 (月) 22:31:16 No.7828
BOMBの84年12月号から、アイドル・タイムスのコーナーです。
マッチとの仲が噂されたのは、84年初からなんですね。
明菜は、初めての映画で、映画に詳しくないので、「ハイティーン・ブギ」を撮った
舛田監督という事で出演を決めたようですが、大作映画は監督よりプロデューサーの権限が
大きくなるので、思ったような作品にはならなかったと思います。
(山本又一朗プロデューサーは、傑作と駄作の差が激しい人。この映画は駄作。)
現実的数字として配収20億円を目指す。と言っていますが、結果は11臆7000万円でした。
[80]
名前:名無しさん
:2022/02/11 (金) 21:57:22 No.7848
[81]
名前:名無しさん
:2022/02/11 (金) 22:07:09 No.7849
DUNKの84年8月号の、6ページ目です。
本人は、デビュー当時86cmもあった大きいウェストを気にしていたようですが、
この頃になると、逆に魅力に感じたのか、突き出しています。
[82]
名前:名無しさん
:2022/02/13 (日) 16:49:49 No.7861
>>81個人的には、大きめのお尻に魅力を感じます。
芳恵、今日子、秀美などなど。
その中でも明菜のお尻は、
くびれたウエストから大きく盛り上がるフォルム、
服の上からでもわかるくらいのお尻の揺れ、
ムチムチヒップから伸びる長い美脚、
でいつも魅了されていました。
この水着画像でもウエストからヒップへのS字ラインがたまりません!
[83]
名前:名無しさん
:2022/02/15 (火) 14:29:33 No.7873
>>82お尻の大きさでは、70年代の山口百恵のH88cmと、80年代の明菜のH86cmが、
トップアイドルとしては、双璧ですね。
百恵のヒップは、横幅が広かったですが、明菜のヒップは細いウェストとの対比で、
後ろに突き出ている感じです。他にもヒップの大きいアイドルは、バレーボールで鍛えた
浅香唯や、卓球で鍛えた荻野目洋子がいますが、バストの方はサッパリでした。
(キョンキョンはソフトボール、秀美はバスケットボールで鍛えました。)
バストもヒップも大きい明菜は、トップアイドルとしては最高のプロポーションでしょう。
小さい頃からバレエで鍛えた賜物かも知れません。バレエで鍛えたアイドルでは、
他に武田久美子もいて、後に見事なバストやヒップを披露しました。
画像は、BOMBの85年2月号の、巻頭大特集の9ページ目です。
白黒の記事の1ページ目になります。
[84]
名前:名無しさん
:2022/02/19 (土) 14:07:52 No.7897
DUNKの84年8月号の、7ページ目です。
4歳から14歳まで、10年間鍛えたバレエの成果で、
脚が高く上がる美しいポーズを見せているカットです。
デビューから1年ぐらいで、水着姿を封印したのは、バレエが原因で脚が太くなったのが
原因だそうですが、脚が太くても、キョンキョンや秀美は、魅力的な水着姿を見せていました。
明菜が水着姿になれば、トップアイドルでは最高の肢体が輝くのに、残念です。
ちなみに、リストカット事件後の復帰作「Dear Friend」では、脚が痩せたからか、
水着姿になった記憶があります。
[85]
名前:名無しさん
:2022/02/19 (土) 14:15:06 No.7898
DUNKの84年8月号の、8〜9ページ目です。
ステージ衣装だけはなく、雑誌グラビアの衣装まで、自分の意見を通す、
完璧主義者の明菜です。普通、これだけ歌が上手いと、
衣装にまで感心を示さない歌手が多い中、やはり明菜は独特な存在です。
[86]
名前:名無しさん
:2022/02/23 (水) 18:23:30 No.7921
BOMBの85年2月号の、10ページ目です。
[87]
名前:名無しさん
:2022/02/23 (水) 18:35:51 No.7922
BOMBの85年2月号の、11ページ目です。
プロローグでは、初出演映画が印象深い事を、語っています。
今まで歌手である事に固執し、頑なに演技を拒んでいた明菜が、初めて演技したのが、
ドラマではなく映画だった事。それが、明菜に良い印象を与えた事が、この文章から分かります。
[88]
名前:名無しさん
:2022/02/27 (日) 19:30:34 No.7946
DUNKの84年8月号の、10〜11ページ目です。
80年代アイドルのトップ3は、聖子・明菜・キョンキョンの3人である事は、
誰もが認めています。80年代は、聖子と明菜がトップ争いをし、キョンキョンは3番手でした。
90年代に入ると、キョンキョンがトップに躍り出て、聖子が2番手、明菜が3番手でした。
2000年代は、3人とも売り上げが落ちますが、その中では、歌姫シリーズが当たった
明菜がトップでした。2010年代には、3人とも、トップ10ヒットを放ちます。
[89]
名前:名無しさん
:2022/02/27 (日) 19:49:08 No.7947
DUNKの84年8月号の、12〜13ページ目です。
文章では、百恵や聖子との声や歌唱力についての共通点について、書いてあります。
でも、明菜が、百恵や聖子と決定的に違う点が、一つあります。
百恵は、デビュー当時、歌が下手で、リズム感も悪かったです。
それが、年を重ねる度に、歌唱力が付き、歌が上手くなりました。
聖子も、デビュー当時は、ストロング・ボイスの魅力はあっても、テクニックはなく、
年を重ねる度に、テクニックを身に付けて行きました。
その点、デビュー当時から歌唱力に定評があった明菜とは、異なります。
明菜は、デビュー当時から歌唱力があり、年を重ねる度に、
その歌唱力に磨きがかかって行った点で、岩崎宏美や荻野目洋子と共通すると思います。
[90]
名前:名無しさん
:2022/03/03 (木) 20:02:53 No.7965
「ザ・ベストテン」のムック本から、
10thシングル「飾りじゃないのよ涙は」の歌唱シーンと記事です。
作詞・作曲の井上陽水は、第二期黄金時代を迎えていました。
最近、井上陽水がザ・ベストテンに初登場した回を、再放送していました。
第一期黄金時代には、テレビに一度も出演しなかった井上陽水。テレビに出演しなかった
シンガーソングライターが、テレビに出るようになった最初の人かも知れません。
ちなみに、明菜の「飾りじゃないのよ涙は」と、井上陽水の「いっそセレナーデ」は、
アベックヒットしましたが、アイドルと、曲を提供したシンガーソングライターの
アベックヒットは、77年暮れの、桜田淳子「しあわせ芝居」と、
中島みゆきの初の大ヒット「わかれうた」のアベックヒットと、
この明菜・陽水コンビ以外、あまり記憶がありません。
[91]
名前:名無しさん
:2022/03/07 (月) 21:21:21 No.7985
DUNKの84年8月号の、14ページ目です。
明菜の豆知識が、2ぺージ分載っています。
デビュー:スタ誕に2回落ちたと書いてありますが、これはテレビ予選まで行って落ちた回数で、
「HEY!HEY!HEY!」の録画を見直していたら、他に予選会で3回落ちたと言っていました。
新沼謙治も5回ぐらい落ちたと言っていますが、テレビ予選に進出していないので、
明菜の方が、惜しい落ち方をしています。
ナミダ:ほとんどの新人賞で、落選している明菜にとって、FM東京の最優秀新人賞を
受賞した時のナミダは、本当の嬉しナミダだった事でしょう。スタ誕出身でも、
日本テレビ音楽祭は早く(8月末)に行われるので、「少女A」のヒットには間に合わず、
キョンキョンが受賞し、彼女も珍しく人前でナミダを流していました。
ちなみに、FM東京の最優秀新人賞は、前年も、各新人賞をマッチが独占する中、
泰葉が受賞しました。本当に、リスナーの声を反映した賞だと思います。
[92]
名前:名無しさん
:2022/03/07 (月) 22:48:43 No.7986
DUNKの84年8月号の、15ページ目です。
サイズ:公式には、バスト80cm、ウェストは52cmまで細くなりました。
モノトーン:明菜もキョンキョンも、私服はモノトーンばかりでした。
二人とも、派手なステージ衣装とは、真逆な好みでした。
19才:この占いは、かなり当たってますね。20才になった年から、2年連続レコード大賞受賞。
大スターへの道を、一気に登って行きます。
[93]
名前:名無しさん
:2022/03/11 (金) 19:19:37 No.8009
BOMBの85年2月号の、12ページ目です。
ここから4ぺージに渡って、初主演映画「愛・旅立ち」の撮影の様子が載っています。
映画の評判が良くなかったので、見ていないのですが、下に書いてあるストーリーを、
4ぺージに渡って読むと、生死に世界をさまよっているユキ(明菜)が、
2度も蘇るあたり、評判どおり丹波哲郎の世界が入っていると思えるストーリーです。
高校二年という、実年齢より2歳年下の設定になっているのは、歌っている時とは違い、
映画の場合は薄い化粧なので、明菜が童顔に見えるからでしょう。
[94]
名前:名無しさん
:2022/03/11 (金) 19:32:34 No.8010
BOMBの85年2月号の、13ページ目です。映画撮影の様子の2ページ目です。
明菜自身が、ツッパリソングを嫌っていても、世間のイメージはツッパリ明菜だったので、
マッチや勝野洋のコメントから、笑顔が素敵、素直で優しい明菜の性格が、
良く分かります。今は休業中なので、明菜ファンの事を思ってか、
同期や後輩のアイドルが、当時の明菜の優しい面を、テレビで言う事が多くなりました。
[95]
名前:名無しさん
:2022/03/15 (火) 20:39:12 No.8035
DUNKの84年9月号から、3つ折りピンナップです。
ちぇめっけのあるポーズと、十戒(1984)のツッパリ路線の歌詞のギャップが素敵なピンナップです。
明菜もキョンキョンも(後に聖子も)、自己プロデュース能力に長けていましたが、
それは、有能な音楽ディレクターに恵まれていたからだと思います。
聖子には、親の反対を、聖子と一緒に押し切り、デビューさせた若松ディレクター。
24曲連続1位の記録も、若松ディレクターの力が大きかったです。
明菜には、このピンナップにも書いてある島田ディレクター。デビュー時からのディレクターで、
明菜と対立する事があっても、我慢強く説得し、チャレンジングな明菜の魅力を引き出しました。
「まっ赤な女の子」からキョンキョンを担当した田村ディレクターも有能でした。
曲のバラエティさを重視し、キョンキョンから作詞の才能を引き出しました。
[96]
名前:名無しさん
:2022/03/15 (火) 21:03:48 No.8036
DUNKの84年9月号に載っている、各アイドルのLP特集からです。
明菜の最初のアルバム3作は、ここには書いてありませんが、
「プロローグ<序幕>」「バリエーション<変奏曲>「ファンタジー<幻想曲>」と、
クラシックを思わせるような副題が付いていて、印象的でした。
4作目は、「NEW AKINA エトランゼ」という題で、初期3部作とは違う事を、アピールしました。
[97]
名前:名無しさん
:2022/03/19 (土) 23:45:56 No.8054
BOMBの85年2月号の、14ページ目です。映画撮影の様子の3ページ目です。
スタッフに気遣いの言葉をかけるのは、明菜の優しさでしょうが、
マッチに、日陰の席を譲るのは、マッチが好きだったからでしょう。
キスシーンが自然なのも、納得してしまいます。
[98]
名前:名無しさん
:2022/03/24 (木) 05:57:28 No.8073
84年4月11日リリースの9thシングル「十戒 (1984)」のジャケットです。
ツッパリ路線の集大成と言われているこの曲は、「少女A」や「1/2の神話」「禁区」を
作詞した売野雅勇が、4回目の作詞をしています。(シングルA面での話)
作曲は、初期の来生たかお以外は、毎回異なる人に依頼する明菜ですが、
この曲は、当時フュージョン・ギタリストとして、最も人気だった高中正義が担当。
ちなみに、「少女A」の作曲家は、専業作曲家の芹澤廣明。
「1/2の神話」はアイドルへの曲提供も多いシンガーソングライターの大澤誉志幸。
「禁区」は、テクノポップの代名詞YMOのリーダー細野晴臣。と多彩です。
どんな作曲家が書いても、ツッパリ路線の明菜の曲になってしまう、
明菜の個性とボーカル力は、さすがだと思います。
[99]
名前:名無しさん
:2022/03/24 (木) 06:26:16 No.8074
↑98の訂正:84年4月11日リリース→84年7月25日
84年11月14日リリースの10thシングル「飾りじゃないのよ涙は」のジャケットです。
この曲で、女性ファンが増えたのも、納得する内容の詞になっています。
作詞・作曲は井上陽水で、90で書いたように、自身の曲とアベックヒットしました。
この曲は、作者の井上陽水自身の他、様々なアーティストがカバーしていて、
普遍的な名曲になりました。
98で、ツッパリ路線の明菜の曲は、多彩な作曲家を起用。と書きましたが、
84年リリースの4曲も作曲家は、多彩です。「北ウィング」は専業作曲家の林哲司。
「サザンウインド」は、当時、安全地帯でヒットを連発し始めた玉置浩二。
そして高中正義に、井上陽水。あらゆるジャンルの作曲家が書いた曲でも、
明菜色に染めてしまう、明菜の個性とボーカル力は、ピカイチでした。
親友でライバルのキョンキョンは、どんな作品でも、その作家の個性に自分が染まれるような、
真っ白なキャンパスになるのが目標。と言っていて、それを実践していました。
明菜の場合は、担当する作家の作品を自分色に染めてしまうのです。
二人は、様々な意味で対照的ですが、作品へのアプローチも対照的です。
[100]
名前:名無しさん
:2022/03/28 (月) 01:16:18 No.8092
TV復帰して欲しい!