小泉今日子9

[1] 名前:名無しさん :2022/10/12 (水) 14:54:36 No.8984
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前スレ 小泉今日子8 https://gakinko.net/bbs2/80nen35/res8263.html
    小泉今日子7 https://gakinko.net/bbs2/80nen35/res7839.html
    小泉今日子6 http://gakinko.net/bbs/80nen35/res7331.html
    小泉今日子5 http://gakinko.net/bbs/80nen35/res6872.html
    小泉今日子4 http://gakinko.net/bbs/80nen35/res6358.html
    小泉今日子3 http://gakinko.net/bbs/80nen35/res5760.html
    小泉今日子2 http://gakinko.net/bbs/80nen35/res5136.html
    小泉今日子  http://gakinko.net/bbs/80nen35/res2493.html
の続きです。

スレ画は、84年9月5日リリースのビデオ「Timeless World」のジャケット表です。
後にDVD化されたジャケットです。「迷宮のアンドローラ」と、5thアルバム「Betty」
からの5曲のプロモーション・ビデオと、そのメイキングが収録されています。
なお、テレビで放送された「迷宮のアンドローラ」のプロモ・ビデオは、
このビデオの「迷宮のアンドローラ」の前半の映像と、「天然色のロケット」の後半の映像を
繋げていました。(もちろん音声は、「迷宮のアンドローラ」だけです。)

80年代のキョンキョンでは、「迷宮のアンドローラ」を歌っていた頃が、
一番好きです。キョンキョン自身も気にいっていて、ファン人気も高いです。
当然というか、80年代のキョンキョンのシングルの中では、最も売れた曲です。
[11] 名前:名無しさん :2022/11/02 (水) 13:23:24 No.9069
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84年12月21日リリースの13枚目のシングル「The Stardust Memory」のジャケットです。
「The Stardust Memory」は、80年代のキョンキョンのシングルで、「迷宮のアンドローラ」
に次ぐ、2番目(しかも僅差)で売れた曲であり、キョンキョンの代表曲の一曲でしょう。
今年行われた、31年ぶりのホール・ツアーで、最初に歌われた曲であり、
アイドル全盛期の頃のツアーでも、最初に歌われる事が多い曲です。
観客との一体感や、盛り上がりを見せるのにピッタリの曲だからでしょう。

映画初主演作「生徒諸君」の主題歌として、オープニングとエンディングに使われた曲であり、
映画が学園物だった事もあって、等身大の少女の感性や青春をいつくしむ気持ちが、
曲の全面に出ていました。これまでの、様々なキャラクターの変化を遂げてきたキョンキョン
とは違う、新たな転機を予感させる曲でした。
[12] 名前:名無しさん :2022/11/02 (水) 17:57:55 No.9072
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85年2月21リリースの、6枚目のオリジナル・アルバム「Today's Girl」の、
ジャケット表です。このアルバムには、「ヤマトナデシコ七変化」「The Stardust Memory」の
2曲の大ヒットシングルが収録されている事もあり、アルバム自体も大ヒットし、
85年度のレコード大賞で、優秀アルバム賞を受賞しています。

「The Stardust Memory」の作詞・作曲は、アルフィーの高見沢俊彦(共同作詞:高橋研)です。
それまでのシングルでは、職業作詞家・作曲家の作品ばかりだったキョンキョンにとって、
シンガーソング・ライターの作品は、初めてでした。
田村ディレクター:映画のタイアップという事は、曲としてのターゲットを今までより
 幅広く作った方がいいので、今までの作家とは違った方がいいと考えました。

 ただ高見沢さんに依頼するにあたっては、今までの作家と同じように、
 「一生懸命曲を書いてくれる人がいいな」と思いました。僕が曲集めでコンペをあまり
 好まないのは、コンペだとあまり対象に向かって一生懸命にならないからです。
 だから、この段階で小泉さんの作品を一生懸命書いてくれる人は誰だろうな。
 という考え方がベースでした。
[13] 名前:名無しさん :2022/11/06 (日) 13:52:02 No.9088
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6枚目のオリジナル・アルバム「Today's Girl」の、ジャケット裏です。
田村ディレクター:アルフィーの坂崎幸之
助さんが、小泉さんを好きだって
 言ってくれてたんですよね。彼らもちょうど「星空のディスタンス」
(84年1月リリース)が大ヒットしていたし、高見沢さんも乗っている時期だし、
 がんばって小泉さんの曲を書いてくれるだろうと思ったんです。

アルフィーの坂崎が、キョンキョンのファンである事は、ザ・ベストテンで、
ほぼ同時期にリリースされた「ヤマトナデシコ七変化」と、「恋人たちのペイヴメント」が、
1位・2位を争っている頃(84年11月)に知りましたが、
田村ディレクターは、その8か月ぐらい前から知っていたんですね。

人気アイドルが、大物シンガーソングライターにシングルを依頼するのは、すでに当たり前に
なっている頃ですが、キョンキョンが初めてシンガーソングライターに依頼したのは、
大物ではなく、売れてからまだ1年も立っていないアルフィーの高見沢でした。
これはヒットシングルの中では、76年代に、初めてアイドルがシンガーソングライターに
シングルを依頼した、山口百恵の「横須賀ストーリー」(ダウンタウンブギウギバンドの
宇崎竜童)、77年の桜田淳子の「しあわせ芝居」(中島みゆき)以来、3人目です。
[14] 名前:名無しさん :2022/11/06 (日) 15:15:48 No.9089
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デラックス近代映画・小泉今日子写真集の、85ページ目です。

アルフィーのコンサートやレコーディングで多忙だった高見沢でしたが、田村ディレクターとの
最初の打ち合わせの事は良く覚えていました。そこにキョンキョン本人も同席していたからです。
キョンキョンは、打ち合わせ当日に、新宿厚生年金会館でコンサートをしていました。
その本番が終わった後に、高見沢と田村ディレクターが行って、打ち合わせしました。

高見沢:ちゃんと、本人も同席するんだ、すごいな。と思いましたね。
 その時は、いくつかの曲を書いて欲しいというご依頼でした。
 「ロックにシフトしたい」というお願いもありました。
 アルフィーも「星空のディスタンス」を出して、僕の好きなハードロック路線に
 行ってたものですから、そういう希望も、田村さんにあったんだと思います。

 だから逆に言うと「The Stardust Memory」よりも、その次に12インチで出た
 「ハートブレイカー」ありきの話だったと思うんです。
 でも実際に小泉さんにお会いしてみて、アイドルっぽくないイメージがいいなと
 自分でも感じたんで、「ハートブレイカー」とは真逆なイメージで、
 「The Stardust Memory」も同時進行的に作りました。
[15] 名前:名無しさん :2022/11/19 (土) 17:42:09 No.9138
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デラックス近代映画・小泉今日子写真集の、86〜87ページ目です。

高見沢:ロマンチックなひと夏のイメージで、一人の女の子のラブストーリーとして考えました。
 田村さんからも、「とにかく高見沢さんのやりたいような感じで作って下さい」と言われました。
 当時は「星空のディスタンス」もそうですけど、自分の中で「星」が大事だったんですね。
 この曲も「星」のイメージで作ったんです。小泉さんのそれまでの曲をほとんど知らなかった
 んですけど、「迷宮のアンドローラ」はすごく好きだったんで、そのイメージもありました。

「迷宮のアンドローラ」は、曲やアレンジが大好きだった事と、宇宙をテーマにしていたので、
キョンキョンの80年代の曲で、一番好きな曲ですが、「The Stardust Memory」は、
最初に聞いた時は、曲が普通のアイドル・ポップスに聞こえたので、
普通かなと思いました。しかし後に聞いたスロー・バージョンで、詞の良さを再発見しました。
キョンキョンは、いろいろな曲のスロー・バージョンを出していますが、
最初に出した「The Stardust Memory」のスロー・バージョンが、一番良かったです。
[16] 名前:名無しさん :2022/11/19 (土) 18:00:07 No.9139
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デラックス近代映画・小泉今日子写真集の、88〜89ページ目です。

前向きさとセンチメンタルな気持ちが交差する等身大の少女らしい歌詞は、
高見沢俊彦と高橋研の共作で、高見沢さんのデモに「〜メモリー」というフレーズがあって、
それを膨らませてストーリーを組み立てた。と高橋研は答ています。
その下敷きには、高見沢が小泉本人と会って受けた印象と、
高見沢自身が持つ理想のアイドル観があった事がうかがえます。

高見沢:僕の世代だと、山口百恵さんの少女なんだけど陰影があるというか、大人びた感じが
 一瞬見える、そういうのが好きなんです。ただ明るいんじゃなく、明るさの中の陰影が
 好きなところなんです。この曲でも、そういうところをうまく出せたらいいなと
 ちょっと思ってたのかも知れませんね。
この高見沢の百恵観は、「横須賀ストーリー」以前の百恵ですね。私も、前期の百恵の方が
好きです。曲は後期になりますが、「乙女座宮」という星の歌も、歌っています。
[17] 名前:名無しさん :2022/11/23 (水) 19:30:38 No.9155
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デラックス近代映画・小泉今日子写真集の、90ページ目です。
次ページと繋がる風景です。

「The Stardust Memory」のアレンジは、アルフィーも担当していた井上鑑です。
井上:田村さんとは、お手本とかお題という類の実例や目標を挙げて、
 それに近づけようという雰囲気はありませんでした。現在よりはるかに音楽そのものに
 関してのイニシアディブが強かった当時のディレクターの中でも、
 田村さんは温厚に見えてかなり細部にまでコミットしている方でした。
 選曲される時点で、かなり方向性が見えていたのではないかと思います。

 作家に対する信頼も強い人ですから、デモ・テープの持つ世界観はとても尊重されていました。
 小泉さんも初めて紹介された時から「何か完璧なバランス感を持った人」という印象でした。
 それまでのアイドル像とは違うイメージを内包していたのだと思います。
[18] 名前:名無しさん :2022/11/23 (水) 20:00:52 No.9156
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デラックス近代映画・小泉今日子写真集の、91ページ目です。

高橋研がキーワードにして歌詞の世界を押し広げた「メモリー」という言葉が、
エンディングで2回ずつリフレインされる部分は、もともとのデモ・テープにありましたが、
田村ディレクターの指示で、エンジニアがディレイ効果を加えました。
完成したエンディングでは、曲をもっと愛すべきものにするリフレインになって行きました。

この曲は、87年12月1日リリースの企画ベストアルバム「Ballad Classics」で、
アコースティックギターとストリングスをバックにリアレンジングされた素晴らしい
スロー・バージョンが、収録されています。アルバムリリース時の、
夜のヒット・スタジオ出演の際には、キョンキョンが歌い、キョンキョンファンの
アルフィーの坂崎幸之助がギター・ソロを弾くバージョンを披露していました。
歌詞の内容と、優しいメロディが、心に響く印象的な共演でした。
[19] 名前:名無しさん :2022/11/26 (土) 17:58:30 No.9164
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85年4月10日リリースの14枚目のシングル「常夏娘」のジャケットです。
最初にこの曲を聴いた時は、70年代末の榊原郁恵や石野真子が歌うような曲であり、
時代の最先端を行っているキョンキョンの夏ソングが、これでいいのか?と思いました。
キョンキョン自身も、次の曲「魔女」が既に完成していた時に、事務所の社長が、
突然この曲を持って現れ、この曲を歌えと言われて、不満だったそうです。
でもさすがに人気トップアイドルのキョンキョンが、テレビで歌うと、輝いて見えました。
[20] 名前:名無しさん :2022/11/26 (土) 18:30:05 No.9165
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85年7月5日リリースの7枚目のオリジナル・アルバム「Flapper」の、ジャケット表です。
「常夏娘」が、デジタル風のリアレンジで収録されいて、私はこのバージョンの方が好きです。
アルバム全体の構成も、小泉今日子が理想としている女の子像であるキョンキョンが、
ついに完成した感じがありました。シングル「なんてったってアイドル」へ繋がる路線です。

王道のアイドル・ポップス「常夏娘」の作詞は、「春風の誘惑」を作曲した緑一二三、
作曲は、石野真子の「ジュリーがライバル」「バーニング・ラブ」を作曲した幸耕平、
アレンジは、キョンキョンバージョンの「素敵なラブリーボーイ」をアレンジした矢野立美が、
起用されています。作家陣を見ても、一世代前って感じがします。
田村ディレクターも、キョンキョン風に新しくしなくちゃ、と考えたのでしょう。矢野立美に、
「出来るだけポップにしてほしい」と依頼し、ビーチ・ボーイズ風のコーラスを多用しました。
[21] 名前:名無しさん :2022/11/30 (水) 21:48:49 No.9179
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85年6月8日リリースの15枚目のシングル「ハートブレイカー」(12インチ)の、
ジャケットです。10と同じく、12インチの時は、Kyon2名義にしています。
ジャケットでもかけている、大きなサングラスは、歌番組でもかけていて、
小泉今日子ではない別人格の、ロッカーKyon2として出演していました。歌う時だけではなく、
トーク場面でも、完全にロッカーKyon2になりきっている姿が、カッコ良かったです。

この後、チェッカーズが、それまでの曲の流れとは異なる曲をリリースする時、
Cute Beat Club Band名義にし、アルフィーも、そういう時はBEAT BOYS名義にしましたが、
Kyon2の二番煎じに見えました。トークの時も、Kyon2のようにハッキとリした別人格には
なっていませんでした。なおアルフィーが、81年に一度BEAT BOYS名義の
レコードを発売している事は、後から知りました。
[22] 名前:名無しさん :2022/11/30 (水) 22:16:02 No.9180
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7枚目のオリジナル・アルバム「Flapper」の、ジャケット裏です。

「ハートブレイカー」は、高見沢俊彦(共同作詞:高橋研)の、作詞・作曲です。(14参照)
高見沢:「The Stardust Memory」と、どっちかがシングルに選ばれるんだろうなと思ってました。
 「ロックにシフトしたい」というリクエストもあって作った「ハートブレイカー」は、
 「シングルでは難しいだろうな」と思ってたら、「いや、こっちも気に入りました」って、
 田村ディレクターから返事が来て、「本当ですか?」って言った記憶があります。

 これだけハードにしても、たぶん彼女ならいけるだろうなと思っていました。
 楽曲を表現するシンガーとしては、すごく長けたものがある。あんまりシャウトしちゃうのは
 ダメでしょうけど。そうじゃない曲ならサウンド次第ではいけるだろうなと。
 「夜ヒット」で、「ハートブレイカー」を歌う小泉さんを見た時も、
 「おお、かっこいいな!」と思いました。
[23] 名前:名無しさん :2022/12/04 (日) 23:57:30 No.9196
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85年7月25日リリースの16枚目のシングル「魔女」の、ジャケットです。
ジャケットでは、胸の谷間をチラ見せしている大胆なビジュアルですが、
楽曲は、「The Stardust Memory」→「常夏娘」→「魔女」と、だんだん地味になって行く、
大胆なコイズミらしくない印象がありました。(12インチ「ハートブレイカー」を除く)
事実、上記3曲でもオリコン1位を連続して取り続けていましたが、その売り上げは、
37.4万枚→26.7万枚→16.7万枚と、急速に落ちて行きました。

この間、松田聖子の結婚と休業がありましたが、盟友の中森明菜は、
ますますその人気と実力に拍車がかかり、後輩の菊池桃子の急激な追い上げがあって、
キョンキョン人気に、陰りが見えてきた感がありました。
[24] 名前:名無しさん :2022/12/05 (月) 00:17:36 No.9197
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デラックス近代映画・小泉今日子写真集の、92〜93ページ目です。

そんな一般のアイドルファンの見方と、田村ディレクターの見方は、全く異なっていました。
この間、田村ディレクターが刺激を受けたのは、2月リリースの斉藤由貴の「卒業」と、
7月リリースのおニャン子クラブの「セーラー服を脱がさないで」でした。
田村ディレクター:「卒業」は素晴らしい曲でした。小泉さんでも「ああいうのやりたいな」
 と思って作ったのが「魔女」です。あの曲みたいなちょっとせつない感じが出来たらいいな
 と思ったんです。ちょうど小泉さんの曲の方向性を少し変えたいと考えていた時期でした。
[25] 名前:名無しさん :2022/12/08 (木) 23:32:55 No.9216
9216.jpg (460KB)
デラックス近代映画・小泉今日子写真集の、94〜95ページ目です。

「魔女」の発注は、その「卒業」を作った松本隆・筒美京平コンビに行われました。
衝撃を受けた曲を作ったその張本人に、小泉の新曲を発注するというパターンは、
「なんてったってアイドル」の時も、秋元康への作詞発注という形で行われました。
違う作家に似たような作品を依頼するのではないというところに、
田村ディレクターの信条が感じられます。

力量のある作家だからこそ、小泉というキャラクターに応じた別のアプローチが出来るはずだ。
という信頼があったのでしょう。実際、筒美から受け取った曲は、ミディアム・テンポの
素晴らしいものだった。と田村ディレクターは、言っています。
その曲を手に、田村ディレクターは、松本に会いに行きました。
[26] 名前:名無しさん :2022/12/09 (金) 00:22:19 No.9217
9217.jpg (489KB)
DUNKの85年9月号から、「魔女」の歌詞が載っている3つ折りピンナップです。
[27] 名前:名無しさん :2022/12/09 (金) 00:26:31 No.9218
9218.jpg (213KB)
26に付けるコメントが、エラーになったので、jpg化して貼ります。
[28] 名前:名無しさん :2022/12/09 (金) 00:30:14 No.9219
9219.jpg (150KB)
27は、張り間違いでした。
26に付けるコメントは、この文章(jpg化)です。
[29] 名前:名無しさん :2022/12/12 (月) 23:34:58 No.9233
9233.jpg (365KB)
85年11月21日リリースの17枚目のシングル「なんてったってアイドル」の、
ジャケットです。発売当時は、キョンキョンの代表曲になるとは思わず、ただ、
「艶姿ナミダ娘」「渚のはいから人魚」「ヤマトナデシコ七変化」を歌っていた頃の
大胆なキョンキョンが、更にパワーアップして再び戻ってきた事が、嬉しかったです。
「魔女」で16.7万枚まで落ちこんだ売り上げも、28.4万枚まで回復しました。

キョンキョン自身も、その場限りで盛り上がる歌で、後々まで残る歌だとは、
思っていませんでした。後に当時を振り返り、「大人が、また悪ふざけをしているな。
でも私以には歌えない世界なんだろうな。」と、当時思っていた事を告白しています。
[30] 名前:名無しさん :2022/12/12 (月) 23:58:35 No.9234
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86年2月21日リリースの8枚目のオリジナル・アルバム「今日子の清く楽しく美しく」の、
ジャケット表です。このアルバムのA面はアイドル・サイド、B面はアーティスト・サイドと
なっていて、アイドル・サイドには、「なんてったってアイドル」のオリジナルと、
アナザー・バージョンが、アーティスト・サイドには「魔女」が収録されています。

「なんてったってアイドル」のアナザー・バージョンは、スター誕生に合格してから、
アイドルとして活躍していくキョンキョンを、面白可笑しく紹介していて、
本人曰く、暴露歌だそうです。アイドル・サイドの3曲目「純ワル過激ハ粋っ美人」は、
「ヤマトナデシコ七変化」の延長線上にある歌で、当時のシングル候補曲だったかも知れません。
それほど、過激キョンキョンにピッタリな歌です。

意外な事に、「なんてったってアイドル」は、ファン人気ではダントツではなく、
5位ぐらいです。ファン人気のダントツは「木枯らしに抱かれて」であり、
「なんてったってアイドル」は、ファン人気より、一般の認知度と好感度が高い歌なのでしょう。
今でも、テレビで80年代アイドルを特集する時には、キョンキョンとは関係なくても、
必ずと言っていいほど、テーマ曲として流れます。アイドルの代名詞的な曲なのでしょう。
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