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小泉今日子7

[1] 名前:名無しさん :2022/02/09 (水) 23:36:30 No.7839
7839.jpg (487KB)
前スレ 小泉今日子6 http://gakinko.net/bbs/80nen35/res7331.html
    小泉今日子5 http://gakinko.net/bbs/80nen35/res6872.html
    小泉今日子4 http://gakinko.net/bbs/80nen35/res6358.html
    小泉今日子3 http://gakinko.net/bbs/80nen35/res5760.html
    小泉今日子2 http://gakinko.net/bbs/80nen35/res5136.html
    小泉今日子  http://gakinko.net/bbs/80nen35/res2493.html
の続きです。(アドレスが、前スレまでに書いたアドレスから変わっています。)

スレ画は、84年1月5日発行のデラックス近代映画・小泉今日子写真集の、61ページ目です。
セスナに乗り込んだキョンキョンの、満面の笑みです。
同じキョンキョンスマイルでも、デビュー当時から2年弱で顔が痩せて、
トンガっている顎が、より目立っています。
[2] 名前:名無しさん :2022/02/09 (水) 23:45:39 No.7840
7840.jpg (324KB)
明星特別編集の写真集「わたし今日子」の、116ページ目です。
これを含めた、この写真集の残り3枚も、他の方が貼った画像です。

83年5月10日発行と書いてありますが、実際に本屋に並ぶのは、
発行日の1か月前。というのが、写真集の通例でした。

[3] 名前:名無しさん :2022/02/09 (水) 23:56:56 No.7841
7841.jpg (330KB)
明星特別編集の写真集「わたし今日子」の、117ページ目です。
83年2月5日リリースの「春風の誘惑」の広告が載っています。
この写真集の発売が、発行日(83年5月10日)の1か月前なので、
83年5月5日リリースの「まっ赤な女の子」の広告が、間に合わなかったのでしょう。

「春風の誘惑」の広告では、ショートカットになったキョンキョンが載っています。
下に載っている「春風の誘惑」のシングル・ジャケットの頃は、
まだ短めの聖子ちゃんカットの頃でした。
[4] 名前:名無しさん :2022/02/13 (日) 23:52:44 No.7862
7862.jpg (387KB)
明星特別編集の写真集「わたし今日子」の、裏表紙です。

前スレの最後の方で、TikTokや公式YouTubeチャンネル等、40周年記念企画について
書きましたが、昨年末にリリースされたDVD「歌うコイズミさん」も、そうでしょう。
内容は、コロナ禍の2020年8月と、2021年3月に行われた配信コンサートを、
DVD化したものです。一回しか見れない配信コンサートは見ず、DVD化を待っていました。

フルバンドではなく、アコースティックなバックバンドなのは、予算の関係でしょう。
2回目の筒美京平リスペクト編では、フルバンドに近づけるため、ビクタースタジオで、
行っていました。キョンキョンがレコーディングしていたスタジオも、紹介していました。
30周年のコンサート以来、しばらく何曲も歌うコンサートは行っていないのに、
キョンキョンが得意な高音が伸びる声は、健在でした。声域ギリギリの高音になると、
苦しそうに歌う、独特の歌い方も、健在でした。

歌の上手い岩崎宏美でも、近年は高音が出ないので、ファルセットに変えるそうですが、
現役アイドルの頃と、同じキーのまま歌うキョンキョンの、衰えない永遠のアイドル声に、
感心しました。考えて見ると、苦しそうに歌う独特の歌い方は、本当に苦しいのではなく、
歌の感情表現の顔だったのかも知れません。(「夜明けのMEW」が、その好例)
[5] 名前:名無しさん :2022/02/14 (月) 00:40:08 No.7863
7863.jpg (490KB)
デラックス近代映画・小泉今日子写真集の、66ページ目です。

前々スレ82(http://gakinko.net/bbs/80nen35/img/7259.jpg)で、書くのを忘れた事。
82年組集合写真では、新井薫子や北原佐和子等、懐かしい顔が並んでいます。
2016年の雑誌「MEKURU」の本人インタビューで、歌手になる気満々の人は、
デビュー後に伸び悩んで、引退して主婦をしている人が多いそうです。

キョンキョンのように、中途半端な気持ちで歌手になった人の方が、
本人の理想と現実のギャップが少なく、それが長く芸能活動を続ける秘訣だそうです。
盟友中森明菜や、ママドル3人(松本伊代・堀ちえみ・早見優)も、
同じだったのでしょうか。ママドル3人の言動を聞いていると、同じ感じがします。
[6] 名前:名無しさん :2022/02/14 (月) 00:43:31 No.7864
7864.jpg (483KB)
デラックス近代映画・小泉今日子写真集の、67ページ目です。
ベレー帽を脱いで、駆けているキョンキョンです。
当時のキョンキョンは、やはり真っ白い歯を見せているキョンキョンスマイルが似合います。

(66について)
ベレー帽を被って、腕組みをしているキョンキョンが、
当時としては珍しく、真剣な表情をしています。
キョンキョンは、意外に腕組みをする事が多いのですが、
キャラクターに合わないので、あまり腕組みをしている印象がありません。
[7] 名前:名無しさん :2022/02/14 (月) 00:53:19 No.7865
7865.jpg (494KB)
デラックス近代映画・小泉今日子写真集の、68ページ目です。
次の69ページ目と繋がる風景です。

2016年のエッセイ集「黄色いマンション 黒い猫」によると、
デビュー前、1年近く歌のレッスンに励んできたそうです。レッスンの先生は、
コウノ先生というボイストレーナーで、課題曲の中に、南沙織の「純潔」があって、
なんちゅう歌詞じゃ!と思いながらも、一生懸命歌っていたそうです。

歌が得意だったわけでもでも、特別好きだったわけでもなく、
なんとなく歌手デビューの流れに乗ったキョンキョンは、プロダクションやレコード会社の
おじさまたちが沢山関わっていて、かなり焦っていたと、告白しています。
コウノ先生の家で、歌はなかなか上手にならないけれど、
芸能界という大海原が嵐になっても、負けない心構えを学んだそうです。
[8] 名前:名無しさん :2022/02/14 (月) 01:03:50 No.7866
7866.jpg (493KB)
デラックス近代映画・小泉今日子写真集の、68ページ目です。
この頃のキョンキョンは、やはり5のような真剣な表情より、両手でピースサインを
横に作って顔に当て、キョンキョンスマイルを浮かべている方が、似合います。
頬がピッチピチっていう感じです。後に、キョンキョンスマイルで鍛えていたので、
自分の頬肉は美味しいはずと、自虐的に言っていました。

エッセイ集の続きです。「スター誕生」を紹介する部分では、合格する前の素人時代に、
その魅力を分析している文章が、面白いです。
「あの子カワイイから絶対受かる!」とか「この子は歌が上手いけど何かが足りない!」とか、
勝手な事を言いながら結構盛り上がる。

合格した子はしばらくすると番組の新人コーナーで、デビュー曲を披露する。
どこにでもいそうな普通の子が、人の目に触れてどんどん垢抜けていくのを、
まるで身内のような親しげな気分で見守ったりするのも楽しいのだ。
スタ誕世代の楽しみを、代表して言ってくれているようです。
[9] 名前:名無しさん :2022/02/17 (木) 14:50:33 No.7884
7884.jpg (495KB)
BOMBの84年2月号の、表紙です。
「艶姿ナミダ娘」が大ヒットして、聖子・明菜というスーパーアイドルのトップ争いに、
キョンキョンが割って入り始める頃なので、大きな瞳の輝きが増し、
笑顔にも自信が出てきている感じがします。
[10] 名前:名無しさん :2022/02/17 (木) 14:53:24 No.7885
7885.jpg (475KB)
BOMBの84年2月号から、3つ折りピンナップです。
笑顔に自信が出てきているのは、キョンキョンが目指す理想のアイドル像に、
徐々に近づいているという実感があり、それが曲のヒットに結びついているからでしょう。
トンガった顎も、ますますシャープで魅力的になっています。

普通これだけ顎がトンガると、ギスギスした顔になりがちですが、正統派アイドルフェイスの、
目鼻立ちのハッキリした顔の作りや、満面の笑みを浮かべたキョンキョンスマイルが、
それを回避していて、さすがトップアイドルという感じです。
[11] 名前:名無しさん :2022/02/17 (木) 14:56:08 No.7886
7886.jpg (495KB)
BOMBの84年2月号の、1ページ目です。
82年組のデビュー曲は、松本伊代がダントツで、
キョンキョンを始め、堀ちえみ・三田寛子・石川秀美・早見優・中森明菜が、
すべて20〜30位代の小ヒットという、横一線でスタートしました。

82年終盤に中森明菜が大ブレイク、83年には三田寛子以外は、みんなステップアップ
しました。そんな中、キョンキョンは83年末「艶姿ナミダ娘」の大ヒットで、
頭一つ抜け出した印象です。
[12] 名前:名無しさん :2022/02/17 (木) 15:01:28 No.7887
7887.jpg (493KB)
BOMBの84年2月号の、2ページ目です。
一見お澄ましポーズと見せかけて、良からぬ事を考えていそうな表情が、いいカットです。

(11の補足)
キョンキョンが路線変更したのは、「まっ赤な女の子」からですが、それがレコードセールスに
結び付き、頭一つ抜け出したのは、「艶姿ナミダ娘」(オリコン3位)からです。

「まっ赤な女の子」(オリコン8位)がリリースされた83年春は、
早見優「夏色のナンシー」(オリコン7位)を始め、
堀ちえみ「夏色のダイアリー」(オリコン6位)、
石川秀美「Hey! ミスター・ポリスマン」(オリコン10位)、
と、キョンキョン以外の3人も、ベストテン入りの常連になっています。
[13] 名前:名無しさん :2022/02/17 (木) 15:03:16 No.7888
7888.jpg (497KB)
BOMBの84年2月号の、3ページ目です。
簡単に作れないという、まぶしい笑顔を、簡単に作る事が出来るようになったキョンキョンは、
後に、笑顔で出来た笑い皺を、職業病と言っています。
[14] 名前:名無しさん :2022/02/20 (日) 14:02:00 No.7901
7901.jpg (495KB)
BOMBの84年2月号の、4〜5ページ目です。
プロフィールで、八王子生まれと誤植されています。
厚木と八王子が高速で繋がったのは、10年ぐらい前でしたっけ。
「ムチャクチャ食いしん坊な健康的・野性的美少女」も、
84年夏のコンサートツアー中は、あまりの忙しさに少し痩せました。
[15] 名前:名無しさん :2022/02/20 (日) 14:05:06 No.7902
7902.jpg (491KB)
↑14の訂正:こちらも誤植。というか文字化け。4〜5ページ目です。が正しいです。

BOMBの84年2月号の、裏表紙です。
自転車のカゴに乗っている大きな花束を前にしたカットです。
ピンクのセーターを着たキョンキョンの、「キラッ」と輝いている笑顔は、
花束の華やかさにも負けていません。これが、スターのオーラというものでしょうか。
[16] 名前:名無しさん :2022/02/20 (日) 14:07:19 No.7903
7903.jpg (410KB)
BOMBの84年4月号から、スターご近所情報のコーナーです。
キョロキョロしながら正面を見ているカットと、
キョンキョンスマイルを見せているカット、
どちらもデビュー2年目の、まだ初々しさの残るキョンキョンです。
(撮影は、83年7月)
[17] 名前:名無しさん :2022/02/20 (日) 14:12:47 No.7904
7904.jpg (484KB)
DUNKの84年6月号の、ピンナップ裏です。
キョンキョンをメインキャラクターとして創刊されたDUNKの創刊号です。
表紙・ピンナップ2枚の他に15ページに渡って、キョンキョンが巻頭特集されています。
なお、表紙とピンナップ表は、3スレ目の89・90に載せてあります。

これは、澄みきった瞳で、横を見ている表情が素晴らしいカットです。
体育座りのポーズで、本人が「ブルマの申し子」というほど、立派な太ももを見せています。
本人は脚が短いと謙遜していますが、身長の低さを考慮すると、相対的に長く見えます。
事実、身長が低い割に脚が長いため座高が低く、運転免許を取る時は、
S字カーブが見えなくて、仮免の試験に3回落ち、4回目に座布団を敷いて座高を高くし、
ようやく仮免にパスしたそうです。
[18] 名前:名無しさん :2022/02/20 (日) 14:18:13 No.7905
7905.jpg (492KB)
DUNKの84年6月号の、1ページ目です。
6月号は5月9日発売なので、夏を先取りした水着カットの始まりです。
この年に発売され、初のオリコン1位を記録した「渚のはいから人魚」も、
3月21日発売と、夏を先取りしていました。この曲を歌っている頃の撮影でしょう。

タイトルに「夏」が入るのは、夏のアイドルソングの定番でしたが、「渚」が入るのは、
70年代には、ピンクレディーの「渚のシンドバッド」しか思い浮かびません。
80年代に入って、松田聖子の「渚のバルコニー」、柏原よしえの「渚のシンデレラ」、
早見優の「渚のライオン」、そしてこの曲と、「渚」も、定番化して行きました。
[19] 名前:名無しさん :2022/02/25 (金) 11:39:45 No.7929
7929.jpg (492KB)
DUNKの84年6月号の、2ページ目です。
黒のチューブトップビキニを着たカットです。
70年代アイドルは、アイドルの水着でも、ビキニが半数ぐらいを占めていました。
しかし、80年代に入ると、松田聖子を中心として、
アイドルの水着はワンピースが主流になりました。

しかしキョンキョンは、松田聖子が作った流れに対抗するかのように、
大胆なビキニを沢山着て、男性ファンを楽しませてくれました。
[20] 名前:名無しさん :2022/02/25 (金) 11:41:22 No.7930
7930.jpg (496KB)
DUNKの84年6月号の、3ページ目です。
こちらは、青のチューブトップビキニを着たカットです。
大胆なチューブトップビキニを着るのは、大胆なコイズミらしいです。
水着を卒業した80年代後半〜90年代前半も、CMでのバスタオル姿、
カレンダーやCDジャケットのセミヌード姿と、大胆な露出を続けたコイズミです。
[21] 名前:名無しさん :2022/02/25 (金) 11:42:39 No.7931
7931.jpg (496KB)
DUNKの84年6月号の、4ページ目です。
3ページ目と同じビキニを着て、大きなパラソルを持っています。
小柄なキョンキョンが持つと、パラソルがより大きく見えます。
[22] 名前:名無しさん :2022/02/25 (金) 11:46:34 No.7932
7932.jpg (495KB)
DUNKの84年6月号の、5ページ目です。
直筆メッセージが書いてあります。18才になって3ヶ月という事は、5月初の撮影です。
まだ、自動車の免許を取る前ですね。
シリアスドラマや映画は、この年の暮〜来年初にかけて、
「生徒諸君」や「少女に何が起こったか」等に出ているので、死なれちゃ困ります。

キョンキョンのコンサートは、ノリノリなので、カップルがイチャイチャする間も無いと
思うのですが、まだこの頃は、過激コイズミのコンサートでは無かったのかも知れません。
[23] 名前:名無しさん :2022/02/25 (金) 11:48:02 No.7933
7933.jpg (489KB)
DUNKの84年6月号の、6ページ目です。
ワンピースのウエスト部分を丸ごと切り取ったような、
白のビキニ(セパレーツかな?)を着たカットです。
[24] 名前:名無しさん :2022/03/01 (火) 14:15:48 No.7955
7955.jpg (487KB)
DUNKの84年6月号の、7ページ目です。
刈り上げカットにした時の心境を語っています。
最初にショートカットにした時は、事務所に無断でカットしたと言われていますが、
一応、「美容院へ行って、少し短めにします。」と事務所に言って、ショートカットにした
そうです。それでも、予想以上の短さに、社長が腰を抜かしたそうです。

ショートカットにすると、ボーイッシュに見えるのが普通ですが、
「色っぽくなったとか大人っぽくなった」と言われるようになったのは、
ホンネを言えるようになって、キョンキョンの表情が活き活きしてきたからだと思います。
[25] 名前:名無しさん :2022/03/01 (火) 14:19:31 No.7956
7956.jpg (497KB)
DUNKの84年6月号の、8ページ目です。
当時、結婚には憧れていても、恋愛には憧れていないから、
先に、家や子供の事が思い浮かんでいたのでしょう。
後の著書で、最強の悪魔と称していた2つ上の姉が結婚し、83年に初甥が生まれました。

初甥が赤ん坊の頃に、わさび漬けを食べさせたり、顔に落書きしたり、
お化けの真似をして怖がらせたり、数々の悪事をしていたそうです。
(初甥が可愛い赤ちゃんだったからか、最強の悪魔の姉に対する仕返しか、
 仕事のストレスを発散していたのか。多分キョンキョンが子供好きだからでしょう。)
そんな事があったので、家や子供が先に思い浮かんでいたと思います。
[26] 名前:名無しさん :2022/03/01 (火) 14:21:00 No.7957
7957.jpg (492KB)
DUNKの84年6月号の、9ページ目です。
バリ島の大自然の中で、笑顔が自然に溢れるキョンキョン。
デビュー当時のあどけない笑顔とは違い、余裕の笑顔といった感じです。
[27] 名前:名無しさん :2022/03/01 (火) 14:23:30 No.7958
7958.jpg (482KB)
DUNKの84年6月号の、10〜11ページ目です。
13ページ目に書いてある事ですが、この雑誌グラビアは、
明星でアシスタントカメラマンをしていた人の、カメラマンとしてのデビュー作だそうです。
だからこそ、このような大胆カットを始め、
ビキニカットでも活き活きとした表情をしているのでしょう。

過去に一緒に仕事をしたスタッフが出世すると、サービス満点のパフォーマンスで
答える姿勢は、近年も変わっていません。
[28] 名前:名無しさん :2022/03/01 (火) 14:24:53 No.7959
7959.jpg (494KB)
DUNKの84年6月号の、12ページ目です。
真後ろから撮っているので、なで肩なのが良く判ります。
キョンキョン本人も、すごいなで型で、肩に下げた物がずり落ちちゃうと言っていました。
でも、前から見た時の鎖骨は綺麗だと、評判でした。
[29] 名前:名無しさん :2022/03/05 (土) 17:45:51 No.7973
7973.jpg (485KB)
DUNKの84年6月号の、13ページ目です。
「渚のはいから人魚」で、キョンキョンの人気が大爆発した時です。
ゾクっとするほど輝き、自信に満ちた顔つきを、
カメラマン内田準のデビュー作で見せているのは、27で書いた通りです。
[30] 名前:名無しさん :2022/03/05 (土) 17:53:40 No.7974
7974.jpg (491KB)
DUNKの84年6月号の、14〜15ページ目です。
Fの、初コンサートが、大阪・毎日ホールなのは、知らなかったです。
Gの、血液型がO型なのは、まさにキョンキョンにピッタリの感じです。
82年組でブレイクした6人の女性アイドルの中で、O型はキョンキョンだけです。
ちなみに、中森明菜・石川秀美・早見優はA型、松本伊代・堀ちえみはB型です。
[31] 名前:名無しさん :2022/03/05 (土) 18:03:31 No.7975
7975.jpg (492KB)
デラックスマガジンの84年7月号の、ピンナップ表です。
10万人を動員した夏のコンサートツアーのスケジュールが載っています。
刈り上げカットのキョンキョンが、素顔に近いナチュラルメイクで、珍しく澄ました表情を
していて、整った顔立ちや大きな瞳に、うっとりしてしまいます。
ビデオ「Timeless World」でも、澄ました表情を見せていますが、紫のアイシャドーを
入れています。自分で、派手なメイクをして楽しむ事が好きな頃のキョンキョンでした。
[32] 名前:名無しさん :2022/03/05 (土) 18:05:33 No.7976
7976.jpg (492KB)
デラックスマガジンの84年7月号の、ピンナップ裏です。
こちらは刈り上げカットの定番の、爽やかで可愛いキョンキョンスマイルです。
アイドル全盛期のキョンキョンは、刈り上げカットのイメージが強いですが、
実際は、「渚のはいから人魚」「迷宮のアンドローラ」を歌っていた半年間ぐらいしか、
刈り上げカットはしていませんでした。次の「ヤマトナデシコ七変化」の頃から、
少しずつ髪を伸ばし始めています。

キョンキョンの影響で、他のアイドルも聖子ちゃんカットからショートカットに
変更していった頃であり、皆と同じになる事を嫌ったキョンキョンらしい髪型の変更です。
[33] 名前:名無しさん :2022/03/05 (土) 18:08:29 No.7977
7977.jpg (282KB)
BOMBの84年8月号から、スターご近所情報のコーナーです。
バースディパーティは、19歳までしか行っていないので、
ファンにとっては貴重なパーティーでした。

20歳になる時、誕生日プレゼントに何が欲しい?と事務の人に聞かれ、
休みが欲しいと答えたキョンキョン。それ以来、誕生日を休日にしてもらい、
アイドルとしてのキョンキョンを俯瞰で眺めている小泉今日子が、
アイドル・キョンキョンの心や体の痛みを分かち合い、
自らプレゼントを贈って祝う日になりました。
[34] 名前:名無しさん :2022/03/09 (水) 20:43:33 No.7992
7992.jpg (491KB)
DUNKの84年8月号から、「迷宮のアンドローラ」誕生に至る記事です。
80年代のキョンキョンのシングルで、最大のヒットとなった9th「迷宮のアンドローラ」は、
長嶋茂雄と長岡秀星(アース・ウインド&ファイアー等のジャケットイラストで有名)
とのコラボで生まれました。それまで「艶姿ナミダ娘」「渚のはいから人魚」と、
企画っぽい歌を歌っていたキョンキョンは、この曲を聞いた時、
「やっと真面な歌が歌える」と感激したそうです。

この曲が収録されているビデオ「タイムレス・ワールド」のメイキング部分で、
長嶋茂雄と初対面したキョンキョンは、チョー緊張したそうです。
「微笑物語」の中でも、ダンゼン巨人ファンと言っているから、当然なのでしょう。
[35] 名前:名無しさん :2022/03/09 (水) 20:46:12 No.7993
7993.jpg (493KB)
DUNKの84年8月号から、素人が撮った写真です。
この頃(アイドル人気絶頂期)は、胸元を素人にフォーカスされるだけでなく、
群がるファンの群れを抜ける時に、胸を触られていたそうです。
他にも、電車の中でお尻を触られたり、暗闇で露出魔に出会ったり、
卑劣な事を体験していました。(パンダのアンアンより)
[36] 名前:名無しさん :2022/03/09 (水) 20:56:53 No.7994
7994.jpg (495KB)
DUNKの84年9月号には、第一図鑑に4ページのLP特集が載っています。
その1〜2ページ目です。松本隆・筒美京平のゴールデンコンビは、
「迷宮のアンドローラ」が初めてのシングルで、他に「魔女」や
「水のルージュ」があります。筒美京平は、70年代のレコード大賞を除き、
マスコミにあまり姿を見せませんが、このページでは珍しく載っています。

70年代は、筒美京平以外にも、アイドルのヒットメーカーとして、都倉俊一や森田公一等が
いましたが、80年代になってからは筒美京平一色になった感じです。70年代は編曲もした
筒美京平ですが、80年代は膨大な数の作曲をこなすため、作曲に専念しました。
筒美京平が、キョンキョンのシングルに初参加したのは、
キョンキョンがブレイクするきっかけになった「真っ赤な女の子」です。

しかし、大ヒットした「艶姿ナミダ娘」や、「渚のはいから人魚」が馬飼野康二の作曲
だったので、満を持して「迷宮のアンドローラ」を作曲したと思います。
80年代にキョンキョンのシングルを8曲も作曲した筒美京平ですが、
キョンキョンが自己プロデュースするようになってから、担当しなくなりました。
95年、久しぶりに筒美京平が作曲したシングル「BEAUTIFUL GIRLS」に、
小泉今日子自身が作詞する事になり、とても緊張したと、テレビで言っていました。
[37] 名前:名無しさん :2022/03/09 (水) 21:09:33 No.7995
7995.jpg (488KB)
DUNKの84年9月号の、第一図鑑の3ページ目です。
キョンキョンの1stアルバムは、オリコンチャートで2位になりました。
同期では、中森明菜でさえ、1stアルバムは5位止まりでした。
過去に、松田聖子が1stアルバムで2位になりましたが、
大ヒット中の「青い珊瑚礁」が収録されていたからです。

デビューシングル「私の16才」22位、2ndシングル「素敵なラブリーボーイ」19位が
収録されている1stアルバムが、何故2位になるほどヒットしたのでしょう。
飯田久彦制作部長が、「正直言って、今日子にどのような歌が一番似合っているのか、
自信がなかった。」と言っています。この不思議な人気に、スタッフが戸惑っている事が、
分かります。当時の歌謡ポップスっぽいシングル路線だけでは表現出来ない
キョンキョンの魅力が、1stアルバムに詰まっていたのでしょう。

強豪ひしめく82年組は、それぞれ自分の個性を出そうと必死でした。
そんな中、オーソドックスで口ずさみやすい曲が中心の1stアルバムが、
まだ色がついていない初期のキョンキョンにピッタリだったのでしょう。
「素敵なラブリーボーイ」で、キャンディーズのラインと言っているのは、
作曲した穂口雄右が、キャンディーズのヒット曲を多く作曲しているからです。
[38] 名前:名無しさん :2022/03/09 (水) 21:21:15 No.7996
7996.jpg (490KB)
DUNKの84年9月号の、第一図鑑の4ページ目です。
2ndアルバム「詩色の季節」のB面企画が好評だったためか、
3rdアルバム「Breezing」では、A面をガールサイド、B面をレディサイドと分け、
4rhアルバム「Whisper」では、A面をビギナークラス、B面をミドルクラスと
分けています。しかし、全曲を筒美京平が作曲・船山基紀が編曲した
5thアルバム「Betty」は、トータルアルバムの色合いが強くなっています。

大ヒットシングル「艶姿ナミダ娘」「渚のはいから人魚」を収録して、
売上を伸ばしたいと考えるのが普通ですが、トータルアルバムの完成度を優先させるため、
シングルは収録されていません。それでも上昇気流に乗っているキョンキョンなら、
売れると判断したのでしょう。実際に、シングルを収録しなくても、
売上が落ちる事はありませんでした。

松田聖子がユーミンの曲を、河合奈保子が竹内まりやの曲を、柏原芳恵が中島みゆきの曲を、
松本伊代が尾崎亜美の曲をと、メイン作曲家をニューミュージック系のアーティストに
依頼するアイドルが増える中、キョンキョンはあくまでプロの作曲家が中心でした。

「最近思うんだ。〜」のコメントは、アイドルの歌唱力に合わせた曲作りをしない
ニューミュージック系のアーティストの曲を歌いこなした上記4人のアイドルが言うのなら
理解出来ますが、キョンキョンが言うのは?な感じです。
それだけスタート時点のキョンキョンの歌唱力が未熟だったのかも知れません。
[39] 名前:名無しさん :2022/03/13 (日) 21:16:41 No.8021
8021.jpg (495KB)
DUNKの84年9月号には、ビデオ「Timeless World」の特集も、
7ページに渡って、載っています。その1ページ目です。
キョンキョン念願の初ビデオでは、「ラブコールをアンコール」が流れる時のシーンで、
このカットのような可愛いキョンキョンの表情が、沢山見られます。
[40] 名前:名無しさん :2022/03/13 (日) 21:18:52 No.8022
8022.jpg (488KB)
DUNKの84年9月号の、ビデオ特集の2ページ目です。
ビデオ「Timeless World」は、ライヴビデオや新曲用のプロモーションビデオだけだった
アイドル・ビデオ界に、オリジナル・ビデオという新ジャンルを確立しました。
[41] 名前:名無しさん :2022/03/13 (日) 21:22:50 No.8023
8023.jpg (468KB)
DUNKの84年9月号の、ビデオ特集の3ページ目です。
オープニングの「迷宮のアンドローラ」のシーンで、ロケットから上半身を出しているカットです。
6曲入ったオリジナル・ビデオの後、メイキングが収録されています。
ロケットが滝の中を通る時はその中にいて、ロケットに当たる滝の水の音が凄かったと、
メイキングの部分で言っていました。
[42] 名前:名無しさん :2022/03/13 (日) 21:26:09 No.8024
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DUNKの84年9月号の、ビデオ特集の4ページ目です。
「迷宮のアンドローラ」は、イントロがロングバージョンになっています。
このカットのような笑顔が無かったのは、「かなり不安げ」を表していたんですね。
興味深そうに周りを見ている表情に見えました。
当時のキョンキョンのキャラクターからは、「かなり不安げ」な感じには見えませんでした。
動物の世界では、本物の象に触った印象について、メイキングで興味深く語っていました。
[43] 名前:名無しさん :2022/03/13 (日) 21:30:11 No.8025
8025.jpg (494KB)
DUNKの84年9月号の、ビデオ特集の5ページ目です。
「ラブコールをアンコール」は、間奏がロングバージョンになっています。
可愛いキョンキョンの表情が、たっぷり見られるミクロの世界です。
機械の国では、「夜風にコールミー 素肌にコールガール」が流れ、
天使の国では、「素敵にNight Clubbing 」が流れます。

最後の「天然色のロケット」も、ロングバージョンになっています。
大昔のサイレント映画に出てくる月をバックに、キョンキョンが楽しそうに踊る、
このビデオで1番好きなシーンです。
[44] 名前:名無しさん :2022/03/17 (木) 22:28:46 No.8042
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DUNKの84年9月号の、ビデオ特集の6ページ目です。
インタビュアーが、「去年の秋頃から、自分のビデオを作りたいって、言ってたもんな。」
と言っています。DUNKが創刊される半年以上前の事なので、
このインタビュアーは、その前から集英社でコイズミ番をしていたのでしょう。
「居眠り姫のわたしが、三日三晩、ほとんど徹夜の状態に耐えてきたんだから。」
キョンキョンは自分が夢中になれる仕事なら、ハードスケジュールは気にしません。

後にコイズミ・イン・モーションで、「ビデオ撮影で36時間仕事した後、
CM撮りに行ったら、「いい顔してるね」と言われ、私の体はどうなっているんだろう。」と
言っていましたが、このビデオの事だったのでしょう。
DVD−BOXに収録された時に、レーザーディスクより綺麗に見えたのは、
35ミリフォルムを使っているためだと分かりました。
[45] 名前:名無しさん :2022/03/17 (木) 22:32:18 No.8043
8043.jpg (493KB)
DUNKの84年9月号の、ビデオ特集の7ページ目です。
「迷宮のアンドローラ」のシーンで、子供達が一人づつアップになるのですが、
その中に、スタン・ハンセンの子供みたいに見える子が出てきて、思わず笑ってしまいました。
右下のカットの、キョンキョンより背の高い、真ん中のの子供です。

メイキングの中で、長嶋茂雄に会って緊張したと言っているのは、
前ページ右下のアイスクリームを食べている時です。
このインタビューのラストでも言っていますが、「デートの楽しさも、
このビデオ撮影の楽しさと比べたら、負けちゃうんじゃないかな。」と言って、
メイキングを締めくくっています。
[46] 名前:名無しさん :2022/03/17 (木) 22:40:39 No.8044
8044.jpg (428KB)
BOMBの84年12月号から、カレンダー紹介コーナーです。
BOMBは、色々なトップアイドルの巻頭大特集をしていますが、
キョンキョンだけはありません。ライバル誌DUNKのイメージガールになったのが
84年6月号からなので、82〜83年は巻頭大特集があってもいいように思うのですが。
同系列の事務所の中山美穂も、巻頭大特集はデビュー2年後だったので、
事務所の関係があるのかも知れません。
[47] 名前:名無しさん :2022/03/18 (金) 00:01:57 No.8045
8045.jpg (497KB)
ハリコに載せた画像の再アップをしていますが、ここに再アップしていない画像は、
明和に再アップしています。85年2〜3月(4月に一部を含む)の雑誌の再アップは、
明和に、今後する予定です。

これは、平凡パンチの85年4月1日号から、素人が撮った写真です。
紅白初出場時の、有名なパンチラです。
[48] 名前:名無しさん :2022/03/18 (金) 00:05:10 No.8046
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デラックスマガジンの85年4月号の、1ページ目です。
85年のコンサートツアー「KYON2 PANIC 85」の初日の模様が、
3ページに渡って載っています。
[49] 名前:名無しさん :2022/03/21 (月) 23:49:26 No.8061
8061.jpg (486KB)
デラックスマガジンの85年4月号の、2ページ目です。
コンサートツアー「KYON2 PANIC 85」の初日の模様です。
ファンの予想の上を行くハデハデの衣装も素晴しいですが、何といってもキョンキョンの
コンサートの醍醐味は、キョンキョンと客席との絶妙のやりとりです。

石野真子の引退記念コンサートで、ステージとファンが一体になった姿に感動し、
いつか自分もそんなコンサートを実現したいと思い、このコンサート
「KYON2 PANIC 85」で、ついに実現した感じです。
[50] 名前:名無しさん :2022/03/21 (月) 23:52:11 No.8062
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デラックスマガジンの85年4月号の、3ページ目です。
ステージとファンが一体になったコンサートが実現出来たのは、
小泉今日子が理想とするアイドル像であるキョンキョンのキャラクターが
確立していったからでしょう。最後に声をつまらせてナミダ娘になったのも、
理想が実現した感激の現れだと思います。

後に、荻野目洋子・南野陽子・工藤静香といった後輩アイドルも、
キョンキョンのコンサートを見に行き、参考にしていました。
[51] 名前:名無しさん :2022/03/21 (月) 23:59:55 No.8063
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DUNKの85年5月号から、3つ折りピンナップです。
シングル「常夏娘」と、両A面となる「哀愁小町」の歌詞が載っています。
「常夏娘」を最初聞いた時は、同じ厚木出身の先輩、
榊原郁恵が歌いそうな曲だいう印象がありました。
既にシングル候補曲として「魔女」が用意され、キョンキョン自身も気に入っていましたが、
当時の事務所の社長が強引に「常夏娘」に変えたので、文句を言ったそうです。
(90年頃のFM番組「コイズミ・イン・モーション」で、告白。)
[52] 名前:名無しさん :2022/03/22 (火) 00:01:42 No.8064
8064.jpg (495KB)
DUNKの85年6月号の表紙です。
創刊1周年記念号として、創刊号と同様に、表紙・ピンアップ合わせて
18ページのキョンキョンの特集が、載っています。
[53] 名前:名無しさん :2022/03/22 (火) 00:04:14 No.8065
8065.jpg (484KB)
DUNKの85年6月号から、3つ折りピンナップ(裏)です。
DUNKの3つ折りピンナップ(裏)は、プレゼントコーナーになっていました。
[54] 名前:名無しさん :2022/03/26 (土) 08:47:04 No.8080
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DUNKの85年6月号の、1ページ目です。
20年代風ファッションのキョンキョンです。
60年代ファッションはキョンキョンは大好きで、良く着ていますすが、
20年代風ファッションは珍しいです。既に2020年代になっているので、
20年代風と言っても、1920年と書かないと、分からなくなりますね。
[55] 名前:名無しさん :2022/03/26 (土) 08:50:12 No.8081
8081.jpg (497KB)
DUNKの85年6月号の、2〜3ページ目です。
これも20年代風(1920年代風)ファッションのキョンキョンです。
「花迷宮・昭和異人館の女たち 」という戦前?を舞台にした久世ドラマで、
24歳の頃、こんな髪型をしていました。
[56] 名前:名無しさん :2022/03/26 (土) 08:51:27 No.8082
8082.jpg (495KB)
DUNKの85年6月号の、4ページ目です。
大好きな60年代ファッションです。
「自信を持って勝負出来るのは、素顔のフツーの小泉しかないの。」
自分の気持ちに素直になれるファッションの時、小泉は輝いて見えます。
[57] 名前:名無しさん :2022/03/26 (土) 08:58:33 No.8083
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DUNKの85年6月号の、5ページ目です。
60年代ファッションが好きな理由について、私は1966年にこの世に誕生した。
そのせいか、1960年代って、私の憧れの時代。ファッションとか、家具とか、
アクセサリーとか、映画とか、流行とか、とにかく全部カッコイイ。
ヘア&メイクさんが、60年代風アイラインを引いてくれた瞬間、
私はタイムマシーンに乗ったみたいに60年代にトランスしてしまう。

私の頭の中は、60年代でいっぱいになって、心だけいろんな所に飛んでいってしまう。
と、パンダのアンアンで言っていました。
アイドル界に革命を起こしたコイズミが、カウンターカルチャーか流行った60年代を、
無意識に好きになっている感じが伝わる文章です。
[58] 名前:名無しさん :2022/03/26 (土) 09:01:30 No.8084
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DUNKの85年6月号の、6〜7ページ目です。
デビュー当時、電話魔だったキョンキョンの、電話をかけている姿です。
次ページのインタビューで言っているように、スッピンです。
[59] 名前:名無しさん :2022/03/30 (水) 13:00:57 No.8102
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DUNKの85年6月号の、8ページ目です。
キョンキョンのインタビューが面白いのは、本人が大好きで、ノリノリで喋っているからでしょう。
後には、インタビューされる事によって、自分の考えが整理されるからと、言っていました。
17歳になったばかりの時の手記では、「早く大人になりた〜い」と言っていましたが、
19歳になると、その願望が背伸びに見えない事を、
客観的に見つめる小泉今日子が判断したのでしょう。

デビュー曲「私の16才」を素直に受け入れられるほど、性格が丸くなったのは、
小泉今日子が目標としている理想のアイドル像であるキョンキョン像が、
達成されつつあるからだと思います。
残るは、コンサートが大好きなのに歌が下手なのがつらい事でしたが、
コンサートを重ねる度に、歌も上手くなって行きました。
[60] 名前:名無しさん :2022/03/30 (水) 13:03:13 No.8103
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DUNKの85年6月号の、9ページ目です。
ロックが大好きなキョンキョンは、この後すぐにKYN2名義の12インチシングル
「ハートブレイカー」をリリースし、テレビで歌う時は、別人格を演じていました。
親友のさちよが、キョンキョンのファンクラブを取りまとめていた事は知っていましたが、
この頃一緒に住んでいた事は、このインタビューを読んで初めて知りました。

「でもあたしって、クールだから、恋をしても仕事は仕事、恋は恋って、割り切っちゃう。」
永瀬正敏と離婚した1年半後、さんまのまんまに出演した時も、
離婚した理由について、「クールなんだ。燃えるような恋してないでしょ。」
とさんまに突っ込まれ、そうかもしれないと言っていました。
[61] 名前:名無しさん :2022/03/30 (水) 13:04:19 No.8104
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DUNKの85年6月号の、10〜11ページ目です。
「50ccでダイコン買いにって」と明るく言っているキョンキョンですが、
殺人的スケジュールの中、普通人のような生活をするには、
かなりの努力が必要だったと、後で語っています。
[62] 名前:名無しさん :2022/03/30 (水) 13:09:20 No.8105
8105.jpg (493KB)
DUNKの85年6月号に戻って、12ページ目です。
「KYON2 PANIC 85」のレポートです。
「歌がぐーんとうまくなった。」
キョンキョンは、「アイドルの歌は、上手い・下手ではなく、歌うアイドルの個性が出ている事が
重要。」が持論で、発声練習が大事とレコーディングディレクターに言われても、
積極的にはレッスンしませんでした。

しかしここでは珍しく、「歌のレッスンなんか柄にもなくやっちゃおー」と言っています。
59に載せた8ページ目のインタビューで、
「歌、ヘタなのがつらい。」と言っているからでしょう。
[63] 名前:名無しさん :2022/03/30 (水) 13:10:28 No.8106
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DUNKの85年6月号の、13ページ目です。
「KYON2 PANIC 85」における、コイズミらしいハデハデの衣装です。
[64] 名前:名無しさん :2022/04/03 (日) 19:02:05 No.8125
8125.jpg (479KB)
DUNKの85年6月号の、14ページ目です。
「KYON2 PANIC 85」で着た、色々な衣装のカットです。
サイコロ帽子も、コイズミらしい奇抜なアイデアです。
太もも筋の所で書いてあるように、ステージ上で駆け回っていました。
[65] 名前:名無しさん :2022/04/03 (日) 19:07:06 No.8126
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DUNKの85年6月号の、15ページ目です。
「最近は女の子のお客さんが、ぐおーんと増えて、ホントうれしい」
84年に、ananに初登場したのが、女の子のファンが増えたきっかけですが、
女の子の目線が気になるようになり、やがてファッションリーダー的存在になります。
この頃、親友の幸代は、着替えの手伝いもしていました。

そんな二人の仲の良さに対し、「芸能人にくっついて仕事している」と、
中学時代のクラスメートに揶揄され、かつてのクラスメートにまで、芸能人扱いされて
寂しかったと、コイズミ・イン・モーションで言っていました。
[66] 名前:名無しさん :2022/04/03 (日) 19:14:12 No.8127
8127.jpg (483KB)
GOROの85年6月12日号に載っていた、ビクターの広告の1ページ目です。
CBSソニー(松田聖子)、ビクター音産(小泉今日子)、ワーナーパイオニア(中森明菜)は、
親会社(SONY・JVC・Pioneer)がAV機器を作っていたので、
80年代を代表する3大アイドルが、各親会社のCMを担当していました。
[67] 名前:名無しさん :2022/04/03 (日) 19:16:57 No.8128
8128.jpg (477KB)
GOROの85年6月12日号に載っていた、ビクターの広告の2ページ目です。
コンポにレコードプレイヤーが付いていますが、CDプレイヤーに置き換えるタイプもあります。
アルバムはCDに置き換えられつつある頃ですが、シングルはまだレコードしか無かった時代です。
[68] 名前:名無しさん :2022/04/03 (日) 19:27:50 No.8129
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写真少年の85年4月号から、素人が撮った写真の右上です。
スッピンが好きだった人は、菊池桃子へ流れて行ったのかな?
[69] 名前:名無しさん :2022/04/07 (木) 21:51:49 No.8144
8144.jpg (95KB)
写真少年の85年4月号から、素人が撮った写真の右中央です。
この頃は、髪が少し伸び始めていたので、美容院に行っていますが、
刈り上げカットの時は、持参のバリカンを使って、毎日のようにカットしていたそうです。
[70] 名前:名無しさん :2022/04/07 (木) 21:53:44 No.8145
8145.jpg (53KB)
写真少年の85年4月号から、素人が撮った写真の右下です。
美容院で、髪をカット中のキョンキョン、珍しい写真です。
長く伸びた髪をバッサリ切った時の様子を、アンアンで公開した事はありましたが。
[71] 名前:名無しさん :2022/04/07 (木) 21:55:09 No.8146
8146.jpg (160KB)
写真少年の85年4月号から、素人が撮った写真の左上です。
野外ステージのキョンキョン、開放感一杯で似合っています。
特に刈り上げカットの頃は、文章のように輝いています。
[72] 名前:名無しさん :2022/04/07 (木) 21:57:37 No.8147
8147.jpg (74KB)
写真少年の85年4月号から、素人が撮った写真の左下です。
メイクを落とさなかったのは、次の仕事場へ向かうからでしょう。
[73] 名前:名無しさん :2022/04/07 (木) 22:07:12 No.8148
8148.jpg (490KB)
投稿写真の85年7月号から、素人の撮った写真の、1ページ目です。
仕事に向かう時の普段着です。視力はいいので、変装用のメガネでしょう。
さすがに待ち伏せするファンがいるコンサートに出かける時は、
変装用のメガネをしていた事が判ります。如何にも変装というサングラスではなく、
大きいメガネなのが、キョンキョンらしいです。
当時は、アラレちゃんメガネが人気で、明菜も愛用していました。
[74] 名前:名無しさん :2022/04/12 (火) 00:07:27 No.8163
8163.jpg (170KB)
投稿写真の85年7月号から、素人の撮った写真の、2ページ目の右上です。
コメントは、かめら小僧を褒めていますが、スーパーアイドルのキョンキョンが、
こんな暗い場所でも、カメラ目線で撮らせてくれるサービス精神の方を褒めて欲しい。
[75] 名前:名無しさん :2022/04/12 (火) 00:12:34 No.8164
8164.jpg (399KB)
投稿写真の85年7月号から、素人の撮った写真の、2ページ目の右下です。
顔のアップが、決まってます。
顔の輪郭は卵型なのに、鼻や顎が鋭角的に突き出ている点がアクセントとなって、
他のアイドルにはないキョンキョンらしさを感じさせる表情をしています。
[76] 名前:名無しさん :2022/04/12 (火) 00:14:20 No.8165
8165.jpg (208KB)
投稿写真の85年7月号から、素人の撮った写真の、2ページ目の左上です。
コメントの、「コイズミ」という呼び方は、キョンキョンが自分の事を言う時に、
使っていましたが、トンガったイメージが定着するにつれて、
ファンもコイズミと言うようになりました。
[77] 名前:名無しさん :2022/04/12 (火) 00:18:33 No.8166
8166.jpg (211KB)
投稿写真の85年7月号から、素人の撮った写真の、2ページ目の左下です。

(76の続き)
「コイズミ」という呼び方の由来は、中学の頃、矢沢永吉が「YAZAWA」と言っていたので、
友だち同士で、苗字で呼び合う遊びをしていた事から、来ているそうです。
[78] 名前:名無しさん :2022/04/12 (火) 00:20:21 No.8167
8167.jpg (492KB)
投稿写真の85年7月号から、素人の撮った写真の、3ページ目です。
ステージ衣装は、どんどん過激に、奇抜になって行きました。
[79] 名前:名無しさん :2022/04/16 (土) 00:38:28 No.8182
8182.jpg (494KB)
熱写ボーイの85年7月号から、素人が撮った写真の1ページ目の左です。
紅白初出場の時の衣装を着て、「渚のはいから人魚」を歌っているキョンキョンです。
紅白は、素人のカメラ持参OKだったのでしょうか。
それとも入場時のチェックが甘いのでしょうか。
[80] 名前:名無しさん :2022/04/16 (土) 00:43:51 No.8183
8183.jpg (163KB)
熱写ボーイの85年7月号から、素人が撮った写真の1ページ目の右上です。
紅白初出場時、この衣装でパンチラ全開になったのは、スカートを止めている金具が、
本番の時に壊れて、スカートを止められなかったから。と、後に話していました。
[81] 名前:名無しさん :2022/04/16 (土) 00:46:08 No.8184
8184.jpg (243KB)
熱写ボーイの85年7月号から、素人が撮った写真の1ページ目の右下です。
パンチラには何の抵抗も無かったようで、パンチラするように意識した振り付けですね。
[82] 名前:名無しさん :2022/04/16 (土) 00:50:03 No.8185
8185.jpg (366KB)
熱写ボーイの85年7月号から、素人が撮った写真の2ページ目の上です。
キョンキョンばかり撮り続けている素人カメラマンは、
七変化するキョンキョンの決め顔だけでなく、
油断している時の顔まで、撮りたくなったのでしょう。
この2カットは、わざと撮るタイミングを外して、
変顔のタイミングで撮っているのかも知れません。
[83] 名前:名無しさん :2022/04/16 (土) 00:52:47 No.8186
8186.jpg (411KB)
熱写ボーイの85年7月号から、素人が撮った写真の2ページ目の中央です。
この中では、右と中央が決め顔で、左が油断顔でしょう。
[84] 名前:名無しさん :2022/04/20 (水) 06:19:12 No.8201
8201.jpg (257KB)
熱写ボーイの85年7月号から、素人が撮った写真の2ページ目の下です。
これも油断顔でしょう。キョンキョンは、目を見開いて歌う事が多いですが、
たまに、薄目になる時があり、そこを狙ったのでしょう。
[85] 名前:名無しさん :2022/04/20 (水) 06:41:54 No.8202
8202.jpg (186KB)
熱烈投稿の85年8月号から、素人が撮った写真の上です。
キョンキョンは、何を探しているのでしょう。
それは、下の2カットを見れば分かります。
[86] 名前:名無しさん :2022/04/20 (水) 06:46:31 No.8203
8203.jpg (288KB)
熱烈投稿の85年8月号から、素人が撮った写真の下です。
紅白のカットでは、衣装のスカートの後ろ側を止める部分が取れている事が、
良く分かるカットです。だから、後ろ側を止める金具?を探していたのでしょう。
結局、時間が無くて見つからず、後ろが大きくはねるパンチラになりました。
[87] 名前:名無しさん :2022/04/20 (水) 06:53:25 No.8204
8204.jpg (348KB)
熱写ボーイの85年7月号では、ビデオコーナーで、
映画「生徒諸君」のビデオと、オリジナルビデオ「Timeless World」が紹介されています。
[88] 名前:名無しさん :2022/04/20 (水) 06:58:45 No.8205
8205.jpg (494KB)
写真時代Jrの85年7月号から、カルディアのCM広告です。
[89] 名前:名無しさん :2022/04/25 (月) 09:19:19 No.8220
8220.jpg (491KB)
DUNKの85年7月号から、カルディア繋がりで告知です。
秋の新曲タイトル公募、結局は「なんてったってアイドル」で、秋元康が100万円を
持っていきました。カルディアの意味が「大好き」なので、
アイドル大好きなキョンキョンが、アイドルを賛歌する歌になりました。
素人集団「おニャン子くらぶ」を皮肉っている、プロのアイドルの歌に聞こえました。
[90] 名前:名無しさん :2022/04/25 (月) 09:27:27 No.8221
8221.jpg (485KB)
DUNKの85年7月号から、3つ折りピンナップです。
12インチシングル「HEART BREAKER」の歌詞が載っています。
この曲は、kyon2名義でリリースされた12インチシングルと言うだけでなく、
テレビの歌番組に出演する時も、通常キョンキョンがシングルを歌う時とは、
別人格として、出演していました。そんな突飛な事をするアイドルは他にいなかったので、
当時は、特にキョンキョンファンではありませんでしたが、鮮明に覚えています。

アルフィーやチェッカーズが、その後、別グループ名を名乗って、
別人格になり、kyon2を真似しました。
[91] 名前:名無しさん :2022/04/25 (月) 09:37:19 No.8222
8222.jpg (494KB)
DUNKの85年7月号から、12インチシングル「HEART BREAKER」に関する記事です。
コンサートで歌い込んでいたから、テレビの歌番組で歌う時も、カッコ良かったんだと思います。
私が長年持っているのは、「Best Of Kyong King」に収録されているショートバージョン。
5年前の35周年記念ベストアルバムでは、CDで初めてロングバージョンが収録されます。

ショートバージョンではカットされていたドラマ仕立ての部分が復活しているのですが、
褒めるほどの内容かな?と思えるのは、後の女優・小泉の魅力を、
知った後から聞いたからなのでしょう。
[92] 名前:名無しさん :2022/04/25 (月) 09:42:17 No.8223
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アイドルプレスの85年7月号から、
12インチシングル「HEART BREAKER」に関する記事です。
テレビでは、ナゾのロックシンガーKYON2として、出ていました。
[93] 名前:名無しさん :2022/04/25 (月) 09:45:24 No.8224
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写真時代Jrの85年7月号に、ビデオ「Timeless World」の記事が載っています。
(載せ忘れていました。)
メイキングシーンにある、アイスクリームを食べるカットが一番大きく載っているあたり、
アイドル雑誌というより、写真投稿誌という感じがします。
[94] 名前:名無しさん :2022/04/29 (金) 09:26:50 No.8240
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DUNKの85年9月号から、「魔女」の歌詞が載っている3つ折りピンナップです。
2017年のオールナイトニッポンGOLDでは、この「魔女」の他、
「まっ赤な女の子」「My Sweet Home」「優しい雨」「潮騒のメモリー」
「渚のはいから人魚」「あなたに会えてよかった」が、オン・エアーされました。
5月17日発売の35周年記念ベストアルバムのPRも兼ねた出演だったのでしょう。

自分のCDや出版物をPRするのが、照れ屋で苦手な小泉今日子ですが、
こののCDの付録本は、作詞・作曲・編曲・ディレクター・エンジニア等の、
当時のレコーディングスタッフへのインタビューであり、
自分で作った本ではないので、上手くPRしていました。
キョンキョンがデビューしてから、徐々にレコーディング技術が向上していった様子が、
細かく記載されています。
[95] 名前:名無しさん :2022/04/29 (金) 09:55:20 No.8241
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DUNKの85年8月号から、7枚目のアルバム「Flapper」に関する記事です。
[96] 名前:名無しさん :2022/04/29 (金) 09:57:04 No.8242
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95に対するコメントが、何故だかアップ出来ないので、jpg化して貼ります。
[97] 名前:名無しさん :2022/04/29 (金) 09:58:22 No.8243
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DUNKの85年8月号から、常夏娘とハートブレイカーの歌詞です。
[98] 名前:名無しさん :2022/04/29 (金) 09:59:46 No.8244
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DUNKの85年10月号から、魔女の歌詞です。
[99] 名前:名無しさん :2022/04/29 (金) 10:18:38 No.8245
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DUNKの85年11月号から、アイドルDJ特集の記事です。
キョンキョンは、ラジオのフリートークが大好きなようで、この時期は3本も担当しています。
「おキョンな夜だから」は、2001年公開の映画「風花」で浅野忠信と共演した時、
キョンキョン・ファンの浅野忠信が、この番組を聞いていたと語り、
私も忘れている番組名を覚えている。と感心していました。

ラジオのフリートークが大好きなので、翌年の86〜88年はオールナイトニッポンの
パーソナリティを務め、89〜92年はFMの「コイズミ・イン・モーション」を
担当しました。キョンキョンが、芸能人との人脈が広い事は、良く知られていますが、
中でもミュージシャンとの人脈は、この2番組に出たゲスト達によって培われたのでしょう。
最近でも、ラジオのゲストや、音声だけの対談が出来るポッド・スキャットの
レギュラーをしています。
[100] 名前:名無しさん :2022/05/03 (火) 12:11:08 No.8262
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DUNKの85年11月号から、ドラマ「おかあさん」の1ページ目です。
このドラマは、1時間半枠で4回連続という、普通の連ドラとはかなり違う放送の仕方です。
TBSでは、1時間枠で最初から7回連続という連ドラもあり、
打ち切りと勘違いする視聴者もいますが、トータルの放送時間からすると、同じぐらいでしょう。

これは、最初から、1時間半枠で4回連続や、1時間枠で7回連続が、
トータルの放送時間として相応しい内容で書かれた脚本なので、変な水増しを嫌っている、
脚本に忠実なドラマ作りの結果だと思います。1時間枠ではなく、1時間半枠なのは、
キョンキョンのスケジュールも加味されていると思いますが。

キョンキョンは、主演ではなく、母親の森光子と姉の竹下景子が、実質的な主演です。
キョンキョンは、竹下景子の妹という視点から語る、ドラマのナレーターもしているので、
一見、主演っぽく見えるという配慮がなされています。
後に恩師と語る、久世光彦演出のドラマに出演する時は、主演ではなく助演で、
ドラマを勉強するという手法をとる事が多く、元事務所の社長が、
「この娘を育てて欲しい」と久世光彦に頼んで、久世光彦が選んだ手法です。

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