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中森明菜4

[1] 名前:名無しさん :2022/03/28 (月) 10:28:44 No.8094
8094.jpg (493KB)
中森明菜3:https://gakinko.net/bbs2/80nen35/res6860.html
中森明菜2:http://gakinko.net/bbs/80nen35/res5038.html
中森明菜 :http://gakinko.net/bbs/80nen35/res2838.html
の続きです。

スレ画は、DUNKの84年10月号の、1ページ目です。
明菜は、歌っている姿が、一番似合っているので、スレ画に選びました。
水着姿は、デビュー当時しか見せていませんが、豊満なバストは、
歌う時の衣装で、しっかり見せています。
[2] 名前:名無しさん :2022/03/28 (月) 10:48:01 No.8095
8095.jpg (493KB)
BOMBの85年2月号の、15ページ目です。映画撮影の様子の4ページ目です。
明菜の演技を褒める、監督やプロデューサーのコメントが載っていますが、
確かに、当時から、明菜は聖子よりも、演技が上手い。女優としてもやっていける。
と言われていました。でも、歌が大好きな明菜は、女優業を積極的には行いませんでした。

監督の舛田利雄は、マッチ主演の「ハイティーン・ブギ」を撮った監督です。
プロデューサーの山本又一朗は、セイント・フォーのデビュー作「ザ・オーディション」や、
森高千里のデビュー作「あいつに恋して」を制作しています。
[3] 名前:名無しさん :2022/04/01 (金) 21:03:48 No.8117
8117.jpg (479KB)
アクションカメラの84年9月号の、1〜2ページ目です。
84年の賞レースで、聖子やジャニーズ系が辞退した事が、載っています。
この頃から、賞レースが徐々に衰退して行ったのでしょう。
ちなみに、84年度の賞レースを調べてみると、
レコード大賞は大賞が五木ひろし、最優秀スター賞に中森明菜。
歌謡大賞も大賞が五木ひろし、最優秀放送音楽賞に中森明菜。

日本テレビ音楽祭では、グランプリ(大賞)に中森明菜。
FNS歌謡祭も大賞が五木ひろし、最優秀ヒット賞に中森明菜。
あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭では、グランプリ(大賞)に中森明菜。
メガロポリス歌謡祭では、ポップスグランプリ(大賞)に、中森明菜。
日本有線大賞では、大賞にテレサテン、最多リクエスト賞に中森明菜。
となっていて、賞レースで3つ大賞を取っています。 

他の賞レースでも、惜しいところまで行っていたからこそ、
翌85年にレコード大賞を取れたのでしょう。
[4] 名前:名無しさん :2022/04/01 (金) 21:14:00 No.8118
8118.jpg (489KB)
アクションカメラの84年9月号の、3ページ目です。
業界七不思議にひとつとして、明菜の武道館コンサートがない事が、書いてあります。
キョンキョンも、武道館コンサートをしていません。
同期の伊代ちゃんを始め、後輩の菊池桃子・本田美奈子・中山美穂・荻野目洋子等が、
武道館コンサートを行っているのに、明菜とキョンキョンが行っていないのは、不思議です。

やはり、明菜もキョンキョンも、ファンとのスキンシップ、掛け合い、距離感を、
大事にしているからだと思います。
[5] 名前:名無しさん :2022/04/05 (火) 19:01:24 No.8136
8136.jpg (488KB)
BOMBの85年2月号の、16ページ目です。
ここから6ページに渡って、まんがヒストリーが載っています。
[6] 名前:名無しさん :2022/04/10 (日) 01:40:45 No.8155
8155.jpg (496KB)
BOMBの84年11月号の、1ページ目です。
胸元の大きく開いたドレスは、スレ画と同じです。
[7] 名前:名無しさん :2022/04/10 (日) 01:48:19 No.8156
8156.jpg (490KB)
BOMBの84年11月号の、2ページ目です。
コンサートで、衣装を10数回も変えるのは、衣装を自分で考える明菜ならではの事でしょう。
普通の人気アイドルは、5〜6回ぐらいです。
明菜は、様々な声が出せるので、モノマネもしたくなるのでしょう。
トシちゃんやマッチのマネに、ぴりっと辛口のコメントを付けるのが、明菜らしいです。
[8] 名前:名無しさん :2022/04/13 (水) 22:00:11 No.8175
8175.jpg (491KB)
BOMBの85年2月号の、17ページ目です。まんがヒストリーの2ページ目です。
幼少の頃は髪の毛が薄く、ハゲナと呼ばれていたとの事。
同じように、幼少の頃は髪の毛が薄いアイドルがいたなと思って、調べ直したら、
明菜と誕生日が同じ(年は1つ下)石川秀美と、南野陽子でした。

花の82年組では、聖子ちゃんカットでデビューした後、キョンキョンと同じように
ショートカットにするアイドルが多い中、明菜と秀美だけはデビュー以来、
髪の毛を伸ばしていました。幼少の頃の髪の毛が薄い事への反動だったのかな?
南野陽子は、デビュー当時からロングヘアーを通していました。
この人も、幼少の頃の髪の毛が薄い事への反動だったのかな?

フィンガー5みたいと書いてありますが、6人兄妹だったので、
フィンガー5の人気(全盛期は73〜74年)が落ちた後の76年頃に、
フィンガー6?でデビューしていたら、意外に売れていたかも?
ちなみに明菜は、フィンガー5で最年少の妙子より、3歳年下でした。
[9] 名前:名無しさん :2022/04/13 (水) 22:06:28 No.8176
8176.jpg (492KB)
BOMBの85年2月号の、18ページ目です。まんがヒストリーの3ページ目です。
初キッスがおしくらまんじゅうのハズミだったとは。
好きでもない相手から強引にキスされて、○人目と言われたキョンキョンの初キッスも
悲惨ですが、明菜の場合は相手が誰かも分かっていなかったかも知れません。

[10] 名前:名無しさん :2022/04/18 (月) 03:14:50 No.8192
8192.jpg (494KB)
DUNKの84年10月号の、2ページ目です。(1ページ目は、スレ画)
バックバンドのリーダーが、明菜の84年のコンサートの内容を、伝えています。
3コーナーの内、2コーナーまでが、洋楽・邦楽のカバーで構成されているとは、
さすが歌唱力には定評のある明菜です。94年から始まった「歌姫」シリーズを
始めとするカバーアルバムを沢山リリースしたのは、若い頃から、
コンサートでカバーを沢山歌っていたから、ファンもついて行き、出来たのでしょう。

80年代前半までは、洋楽のカバーをするアイドルは、明菜以外にも沢山いましたが、
80年代後半以降、荻野目ちゃん等の一部を除いていなくなったのは、
歌唱力が未熟なアイドルが増えた事以外に、洋楽のカバーに対する著作権が厳しくなった事も、
関係していると思います。明菜も、著作権が厳しく無ければ、洋楽のカバーアルバムも
作りたかったはずです。

オリジナル曲に関しては、レコードの音源通りに演奏出来るバンドを選んだとの事。
80年代前半までは、歌番組でアイドルをはじめ、歌手を歌う時は、
歌番組専属のビッグバンドが演奏するのが当たり前で、レコードの音源とはかなり違う演奏に、
がっかりした事が、沢山ありました。80年代後半からは、自身のバンドを引き連れて、
歌うアイドルが多くなりましたが、レコードの音源通りに演奏出来るバンドは、
そんなに多くはなかったと思います。
[11] 名前:名無しさん :2022/04/18 (月) 03:33:53 No.8193
8193.jpg (497KB)
DUNKの84年11月号から、LP紹介のページです。
10月10日にリリースされた6枚目のアルバム「POSSIBILITY」を、紹介してます。
意味は、可能性。明菜のいろいろな可能性について書いてありますが、
ずっとトップスターである可能性が、今となっては合っているのでしょう。
休業期間がこれだけ長く続いても、明菜の歌は愛され続けています。

そしてこの頃から、自分の身体のセクシーさをアピールするようになってきたのでしょう。
この写真でも、左肩を露出しなかがら、豊かな胸の膨らみを強調しています。

(10の補足)
ちなみに、「雨音はショパンの調べ」を日本でヒットさせた小林麻美は、
70年代初頭、麻丘めぐみと同じ頃に、大人気だったアイドル歌手ですが、
歌はあまり上手くありませんでした。10年以上経って、大人の魅力が出て来ましたが、
歌番組で、「雨音はショパンの調べ」を上手く歌えなかったので、出演拒否していました。
[12] 名前:名無しさん :2022/04/23 (土) 08:25:38 No.8212
8212.jpg (482KB)
BOMBの85年2月号の、19ページ目です。まんがヒストリーの4ページ目です。
スター誕生決戦大会で、挙がったプラカードは11社。これは、一見多いように見えますが、
桜田淳子の25社、山口百恵の20社、石野真子の16社と比べると、見劣りします。
後に花の82年組と言われる他の有力アイドルが、大手事務所・レコード会社に所属し、
デビューする事が決まっていたので、大手はプラカードを挙げなかったからでしょう。

伊代はボンド企画とビクター、キョンキョンはバーニングとビクター、
ちえみはホリプロとキャニオン、寛子はスターダストとCBSソニー、
秀美は芸映プロとRCA、優はサンミュージックとトーラスでした。
結局、明菜は研音とワーナー・パイオニアと契約します。
[13] 名前:名無しさん :2022/04/27 (水) 10:54:47 No.8231
8231.jpg (492KB)
DUNKの84年12月号から、2つ折りピンナップです。
ミニミニ情報では、ウワサのカップルなので、制作発表の記者会見では、凄まじい混雑ぶり。
と書いてあります。映画「愛・旅立ち」は、10月11日〜12月13日の撮影でした。
明菜に、レコード売り上げで差を付けられた聖子の4作目の主演映画
「カリブ・愛のシンフォニー」は、11月8日〜ほぼ2か月間の撮影でした。

聖子と郷ひろみとの終結宣言は、85年1月ですが、映画の撮影が始まる前に、
既に破局していて、84年11月の映画のロケ中に、心労で倒れて入院た聖子を、
神田正輝がお見舞いした事が交際のきっかけになりました。本来なら、11月初に
終結宣言すべきなのでしょうが、明菜とマッチのウワサのカップルぶりに、
焼きもちを焼き、映画のロケ終了後の85年1月に延ばしたため、神田正輝との交際宣言が、
1か月後の2月になるという、慌ただしさになり、結果的に聖子の株を下げました。
[14] 名前:名無しさん :2022/04/27 (水) 11:01:28 No.8232
8232.jpg (488KB)
アクションカメラの84年12月号の、1ページ目です。
この胸元の大きく開いたドレスも、スレ画と同じです。
[15] 名前:名無しさん :2022/04/30 (土) 12:14:38 No.8253
8253.jpg (491KB)
BOMBの85年2月号の、20ページ目です。まんがヒストリーの5ページ目です。
デビュー曲「スローモーション」は、ヒットチャート30位止まりだったにも関わらず、
タイトル通りスローに売れ続けたためか、17万枚のヒットになります。
そして2曲目「少女A」でブレイクし、ツッパリ・イメージが付きます。
(その時にレコーディングの模様は、去年秋にテレビの再現ドラマで放送し、
 前スレ36でも、書きました。)

同じ番組の山口百恵の再現ドラマで、「青い果実」や「ひと夏の経験」で、
百恵に早熟イメージが付いたのと同様に、明菜にツッパリ・イメージが付いたのでしょう。
音楽評論家まで、百恵のツッパリ(後に歌った「プレイバックPart.2」等)は演技だけど、
明菜のツッパリは本物だ。とまで言われる始末。これでは、新人賞にノミネートすら
されないのも、当然でしょう。百恵も、新人賞にノミネートすらされませんでした。
[16] 名前:名無しさん :2022/04/30 (土) 12:25:29 No.8254
8254.jpg (491KB)
BOMBの85年2月号の、21ページ目です。まんがヒストリーの6ページ目です。

今夜PM9:00〜10:30に、NHK・BSプレミアムで、
明菜のデビュー8周年を記念して開催された89年4月の、
よみうりランドEASTで開催されたライブを、放送します。
ほとんどがシングル曲のライブなので、楽しみです。
[17] 名前:名無しさん :2022/05/01 (日) 12:21:34 No.8257
8257.jpg (496KB)
BOMBの85年2月号の、裏表紙です。

40年前の5月1日にデビューした明菜を記念して、
明菜のコンサート・ツアーのライブが、4年分連続で、今日、放送されます。
CS(ケーブルテレビ含む)の、「MUSIC ON!(エムオン)」です。

PM1:00〜2:00は、85年のBITTER & SWEETツアー
PM2:00〜3;00は、87年のA HUNDRED days
PM3:00〜4:00は、88年のFemme Fataleツアー
PM4:00〜5:30は、91年に幕張メッセで行われた単発コンサート
幕張メッセのコンサートは、5月3日(火)PM6:00〜7:30に、
再放送もあります。
[18] 名前:名無しさん :2022/05/05 (木) 19:04:49 No.8273
8273.jpg (488KB)
BOMBの85年2月号の、表紙です。
既に載せ始めていますが、表紙・裏表紙・ピンナップの他に、
39ページの大特集が載っています。
[19] 名前:名無しさん :2022/05/09 (月) 20:39:09 No.8297
8297.jpg (489KB)
BOMBの85年2月号の、22ページ目です。
デビューから3年間のヒストリーが、4ページに渡って載っています。その1ページ目です。
明菜の最初の大賞(グランプリ)は、日本テレビ音楽祭なんですね。
他にも84年には、テレビ朝日の全日本歌謡音楽祭で、グランプリを受賞しています。
(テレビ東京のメガロポリス歌謡祭では、ポップス部門のグランプリ)
[20] 名前:名無しさん :2022/05/13 (金) 20:27:44 No.8316
8316.jpg (491KB)
アクションカメラの84年12月号の、2ページ目です。
ここでも、明菜が最初の大賞(グランプリ)を、日本テレビ音楽祭で取り、
ステージ上で号泣した事が、書いてあります。
今年は、去年とは違い、各賞総なめと書いてありますが、結果は19で書いた通り、
当時の二大大賞と言える、レコード大賞、歌謡大賞とも逃し、受賞は翌年になりました。
[21] 名前:名無しさん :2022/05/13 (金) 20:54:55 No.8317
8317.jpg (495KB)
BOMBの85年2月号の、1ページ目です。

(20の続き)
当時は、レコード大賞、歌謡大賞とも、大賞はアイドルは取れないという印象がありました。
唯一の例外は、当時のアイドルで、唯一ミリオンセラーを5曲連続で出した実績を持つ、
「怪物」と言われたピンク・レディーだけです。
山口百恵も、松田聖子も、郷ひろみも、野口五郎も、取っていません。

西城秀樹は、79年に歌謡大賞は取っていますが、「ヤングマン」が外国曲との理由で、
レコード大賞は取れず、岩崎宏美も、82年に歌謡大賞は取っていますが、
「聖母たちのララバイ」が外人との共作との理由で、レコード大賞は取れませんでした。
[22] 名前:名無しさん :2022/05/18 (水) 00:11:16 No.8336
8336.jpg (495KB)
BOMBの85年2月号の、23ページ目です。3年間のヒストリーの2ページ目です。
明菜が、最優秀新人賞に輝いたのは、横浜音楽祭とFM東京の2つです。
ここでは、レコード大賞以外のすべての音楽祭が終わった後の、FM東京でグランプリ
(最優秀新人賞)を取った時の事が、書いてあります。
メジャーな音楽祭で、ことごとく落選していた明菜は、まさか自分が呼ばれるとは思わず、
ボケーッとしていて、隣にいた秀美に言われて、受賞に気づいたそうです。

「なんで私が?他の歌手の方にすまないと思ったの」と思い、大粒の涙を流した明菜。
いままで最優秀新人賞に恵まれなかったため、受賞した嬉しさの涙だと思いがちですが、
そうではなく、上記のような理由だった事に、謙虚な明菜の性格が表れています。
[23] 名前:名無しさん :2022/05/18 (水) 00:51:50 No.8337
8337.jpg (491KB)
BOMBの85年2月号の、2ページ目です。

(22の続き)
レコード大賞で、5人の新人賞枠に入れなかった明菜とキョンキョン。
明菜が最優秀新人賞に輝いたのは、22に書いた2つですが、キョンキョンは、
8月19日に行われた日本テレビ音楽祭と、10月14日に行われた新宿音楽祭で、
最優秀新人賞(2枠)に輝きました。傾向としては、キョンキョンが早い時期の音楽祭での受賞。
明菜が遅い時期の音楽祭での受賞になっています。明菜の「少女A」が、
8月後半から売れ始めたので、早い時期の音楽祭には間に合わなかったのでしょう。

ちなみに、新宿音楽祭は、キョンキョンが生卵をぶつけられ、明菜が本番中に助けた
事件があった音楽祭です。二人の仲が、より深まった出来事でした。
[24] 名前:名無しさん :2022/05/22 (日) 07:25:58 No.8355
8355.jpg (492KB)
BOMBの85年2月号の、24ページ目です。3年間のヒストリーの3ページ目です。
紅白初出場を果たしたこの年、明菜は紅白のリハーサルで、右脚の膝脱臼。
その翌日、ザ・ベストテンの年間ベストテンの生放送があり、
明菜が出る・出ない、歌う・歌わないで、ザ・ベストテンのチーフディレクターとの
攻防がありました。(前々スレ46参照。)

トップアイドルでも、デビューした年に紅白初出場出来る女性トップアイドルは、
ほとんどいません。80年代女性トップアイドルでは、松田聖子と岩崎良美だけでしょう。
80年デビュー組の二人に集中しているのは、当時の紅白は、同じジャンルの人を
沢山選ばないという選考基準があり、アイドル不作の70年代終盤を超えて、
久々に有力新人アイドルが出たので、二人選んだのでしょう。だから、
アイドル豊作となった82年以降では、明菜のデビュー2年目の紅白出場は、早い方です。
[25] 名前:名無しさん :2022/05/22 (日) 07:46:19 No.8356
8356.jpg (320KB)
BOMBの85年2月号の、3ページ目の上です。

(24の続き)
デビュー2年目の紅白初出場は、80年代女性トップアイドルでは、明菜・早見優の他に、
河合奈保子・斉藤由貴の4人のみです。同じ82年組では、キョンキョンとちえみが、
デビュー3年目で初出場。石川秀美はデビュー4年目になり、松本伊代に至っては、
出場すら出来ませんでした。これは珍しい事ではなく、菊池桃子・本田美奈子・
南野陽子・浅香唯も、紅白には1度も出られませんでした。
[26] 名前:名無しさん :2022/05/26 (木) 11:28:48 No.8375
8375.jpg (495KB)
BOMBの85年2月号の、25ページ目です。3年間のヒストリーの4ページ目です。
84年元旦リリースの7枚目のシングル「北ウイング」から、
明菜の自己プロデュースが始まったと言われていますが、84年2月29日〜3月6日の、
ニューヨーク・カジノ・バハマでのレコーディング等の海外活動で、
その後の自己プロデュース能力が、更に磨かれたと思います。

今じゃ、明菜が図太いなんてイメージはありませんが、当時はアイドルブーム全盛期で、
明菜もそのひとりと思われていたので、図太いと思われていたのでしょう。
歌う時に手が震えている事等は、90年代に入ってから、言われ始めた感じです。
80年代当時の歌番組のインタビュー中に、可愛い笑顔や仕草をするのも、
緊張をほぐすためであり、本当の性格なのに、見る方は誤解して見ていた気がします。
[27] 名前:名無しさん :2022/05/30 (月) 13:34:11 No.8395
8395.jpg (493KB)
BOMBの85年2月号の、3ページ目の下は後回しにします。
4〜7ページ目には、「AKINA GRAPHITY」と題した、シングルやLPの写真載っています。
その4ページ目は、82年の明菜を載せています。

@はデビュー曲「スローモーション」からのカット。可愛いですね。
Aは1stLP「プロローグ<序章>」からのカット。リリー・フランキーは、
 九州から上京して初めて買ったのが、このカセット版だったそうです。
 同封している応募券が当たり、明菜のミニ・ライブを見る事が出来たと、自慢していました。

Bは2ndシングル「少女A」からのカット。デビュー当時は可愛い顔なので、
 頬に化粧をしているあたりに、ツッパリを感じさせようと、苦労している事が分かります。
Cは2ndLP「バリエーション<変奏曲>からのカット。まだまだ可愛い明菜です。
[28] 名前:名無しさん :2022/05/30 (月) 13:53:44 No.8396
8396.jpg (492KB)
ごめんなさい。BOMBの85年2月号の、5ページ目を、先に載せてしまいました。
奇数ページに、写真の出典が書いてあるので、両方を見ている内、間違えました。
こちらが、4ページ目です。

5ページ目は、82年末〜83年前半の写真です。
Dは3rdシングル「セカンド・ラブ」からの、お馴染みの写真です。
Eは「セカンド・ラブ」発売1か月後のミニ・アルバム「Seventeen」からの写真です。
 ピクチャーディスクになっています。

Fは4thシングル「1/2の神話」からの写真です。
Gは3rdアルバム「ファンタジー<幻想曲>」からの写真です。
F・Gを見ると、デビュー当時より、バストが成長しているように見えます。
(撮り方の違いかも知れませんが。)
[29] 名前:名無しさん :2022/06/03 (金) 18:04:35 No.8413
8413.jpg (493KB)
BOMBの85年2月号の、26ページ目です。3年間のヒストリーの5ページ目です。
84年の日本テレビ音楽祭で、グランプリを撮った時の動画がアップされていたので、
見ました。ここに書いてあるように、初めての大賞(グランプリ)なので、
涙で、前半は歌えなくなりました。「こんなに激しく涙を流すのは初めて。」
アナウンサーも、そう言っていました。85年と86年のレコード大賞受賞シーンは、
よくテレビで流すのですが、ここまでの涙ではなかったです。

やはり初めての大きな賞である事と、84年から始めたセルフ・プロデュースが
認められたからでしょう。司会の高島忠夫も、いつも堂々としているあなたが、
こんなに震えているなんて。と驚いていました。でも、後半は立ち直って、
堂々と歌い切るあたり、やはり明菜は凄いです。
同期のちえみ・優・秀美も、しっかりと応援していました。
[30] 名前:名無しさん :2022/06/03 (金) 18:36:31 No.8414
8414.jpg (492KB)
BOMBの85年2月号の、27ページ目です。3年間のヒストリーの6ページ目です。
シングル売り上げでは、やはり「セカンド・ラブ」が、突出していますね。
この後も含めた、売り上げベスト5は、1、セカンド・ラブ 2、ミ・アモーレ 
3,飾りじゃないのよ涙は 4,北ウィング 5、十戒(1984) です。
北ウィングは、その後、4万枚以上売れました。少女Aが、意外に売り上げが低いのは、
収録アルバム「バリエーション」が、トップで売れたためでしょう。

インタビューでは、明菜と二人三脚で歩いてきた、プロデューサーの島田雄三の話が、
面白いです。最近でも、テレビ東京の番組の再現ドラマで、明菜と島田雄三の
深い関係から、少女Aが生まれた事を、ドラマにしていました。
[31] 名前:名無しさん :2022/06/07 (火) 16:57:38 No.8437
8437.jpg (495KB)
BOMBの85年2月号の、6ページ目です。
83年後半の写真です。
Hは、5thシングル「トワイライト・夕暮れ便り」からの写真です。
 6月1日リリースの、このシングルのあたりまでは、頬がぽっちゃりしていました。
 それが、歌う曲の大人っぽさとのギャップがあり、素敵です。
Iは、4thアルバム「NEW AKINA エトランゼ」からの写真です。

Jは、6thシングル「禁句」からの写真です。
 9月7日リリースの、この曲の頃から、頬の肉が撮れて、顔がほっそりし、
 セクシーな美人顔に変身して行きます。でも、ひょうきんな性格は、そのままです。
Kは、初のベストアルバム「BEST AKINA メモワール」からの写真です。
Lは、7thシングル「北ウイング」からの写真です。
 この頃から、衣装も自分で決めていました。明菜が似合う黒っぽいの服です。
[32] 名前:名無しさん :2022/06/07 (火) 17:15:39 No.8438
8438.jpg (496KB)
BOMBの85年2月号の、7ページ目です。
84年の写真です。
Mは、8thシングル「サザン・ウインド」からの写真です。
 ノリのいい爽やかな曲のイメージに合わせて、明るめの服です。
Nは、5thアルバム「ANNIVERSARY」からの写真です。

Oは、9thシングル「十戒・1984」からの写真です。
 ツッパリ明菜の集大成のような曲に合わせたポーズが、決まっています。
Pは、6thアルバム「POSSIBILITY」からの写真です。
Qは、記念すべき10thシングル「飾りじゃないのよ涙は」からの写真です。
 トップアイドルから、トップアーティストへの転身は、この曲から始まったと思います。
[33] 名前:名無しさん :2022/06/11 (土) 19:12:53 No.8455
8455.jpg (492KB)
BOMBの85年2月号の、28ページ目です。
「ヤンヤン歌うスタジオ」から、明菜のコミカル演技集(その1)です。
歌マネも上手い明菜は、待ち時間に、聖子の歌を続けて10曲ぐらい歌ったそうですが、
「これは、個人の楽しみ。歌手・中森明菜が、松田聖子さんの歌を、
 みんなの前で歌っちゃいけないんです。」自分の立ち位置を良く分かっているコメントですね。

長い間、歌手として活躍するアイドルや、上手く女優に転向するアイドルは、
自分の立ち位置を、良く知っています。知らない人は、早く消えてしまいますね。
[34] 名前:名無しさん :2022/06/16 (木) 00:22:43 No.8473
8473.jpg (491KB)
BOMBの85年2月号の、8ページ目です。
「AKINA GRAPHITY」の最後は、2ndミニ・アルバム「SILENT LOVE」からの写真です。
このカットは、明菜が良く着る衣装とポーズの印象があります。
ミニ・アルバム自体には、私が好きな「TerminalまでのEve」(前スレ61参照)が、
収録されています。
[35] 名前:名無しさん :2022/06/16 (木) 00:32:34 No.8474
8474.jpg (326KB)
BOMBの85年2月号の、3ページ目の下が、カラーページで、
唯一残っていたので、アップしておきます。
[36] 名前:名無しさん :2022/06/20 (月) 15:28:36 No.8492
8492.jpg (493KB)
BOMBの85年2月号の、29ページ目です。
「ヤンヤン歌うスタジオ」から、明菜のコミカル演技集(その2)です。
明菜は、歌う時だけじゃなく、コントでも手を抜きません。
歌う時は、真面目でカッコいい明菜なので、ここに書いてあるように、
真面目にゲームやコント・ドッキリに取り組む明菜が、面白いのでしょう。


[37] 名前:名無しさん :2022/06/20 (月) 15:46:12 No.8493
8493.jpg (496KB)
BOMBの85年2月号の、30ページ目です。
読者投稿の生写真・似顔絵コーナー(その1)です。
やっぱり、フォーカス賞より、技術賞の明菜の方が、可愛くて、いいな。
明菜は、元々可愛い顔だったのに、スタ誕では、松田トシに「童謡でも歌った方がいい」と言われ、
「少女A」の時は、無理やりツッパリ路線にされました
そのためか、アイドル全盛時に、明るくて可愛いシングルが、1曲ももありません。

86年のキョンキョンと共演した番組で、「今日子ちゃんが着ていたような可愛い衣装、
私も着てみたかった。」と言っていたのは、ホンネでしょう。
[38] 名前:名無しさん :2022/06/24 (金) 10:52:55 No.8513
8513.jpg (495KB)
BOMBの85年2月号の、3つ折りピンナップです。
スタンドマイクなので、「飾りじゃないのよ涙は」を歌っている時の、
スチール写真だと思います。
[39] 名前:名無しさん :2022/06/24 (金) 11:07:17 No.8514
8514.jpg (365KB)
DUNKの85年1月号から、付録の卓上カレンダーです。
秋が似合う明菜に相応しく、10月を担当しています。
ちなみに、冬が好きなキョンキョンは1月、聖子が2月、3月は倉沢淳美、4月は奈保子、
5月がユッコ、6月が秀美、夏が似合うちえみが7月、8月は芳恵がビキニ姿を披露、
9月は渡辺桂子、11月は長山洋子、12月は桃子が担当しています。
(本当は、伊代に春を、優に夏を担当して欲しかったけど、新人優先なのでしょう。)
[40] 名前:名無しさん :2022/06/28 (火) 13:40:57 No.8533
8533.jpg (495KB)
BOMBの85年2月号の、31ページ目です。
読者投稿の生写真・似顔絵コーナー(その2)です。
この中では、ちえみとの2ショットがいいですね。
いつも明るい笑顔のちえみより、口を大きく開けて大笑いしている明菜の方が、
明るそう。歌っていない時の明菜は、こういう明るい笑顔も、よくしていました。
[41] 名前:名無しさん :2022/07/02 (土) 17:57:04 No.8552
8552.jpg (494KB)
DUNKの85年1月号から、「十戒(1984)」と「飾りじゃないのよ涙は」の歌詞です。
[42] 名前:名無しさん :2022/07/02 (土) 18:02:58 No.8553
8553.jpg (491KB)
DUNKの85年2月号から、映画「愛・旅立ち」に対しての記事です。
DUNKは、明菜ファンに感情移入して書いてあるから、
BOMBの映画の記事より、面白いです。
[43] 名前:名無しさん :2022/07/06 (水) 18:06:38 No.8572
8572.jpg (489KB)
BOMBの85年2月号の、32ページ目です。
83年に、レコーディングを兼ねた、初めてのヨーロッパ旅行をしました。
その様子を収めたビデオを、2ページに渡って紹介しています。
絵描きさんに似顔絵を書いてもらっても、気に入らなかった明菜。
1スレ目の63(http://gakinko.net/bbs/80nen35/img/3471.jpg)に、
その様子を載せています。
[44] 名前:名無しさん :2022/07/06 (水) 18:20:44 No.8573
8573.jpg (494KB)
BOMBの85年2月号の、33ページ目です。
フランス・スイス・イタリアを旅行した明菜ですが、この中では、イタリアの、
ローマ人の陽気さが気に入った明菜。後に、「ミ・アモーレ」「SAND BEIGE -砂漠へ-」
「ジプシー・クイーン」「TANGO NOIR」「AL-MAUJ」と、異国情緒漂うシングルを、
多く歌いますが、その大部分が地中海周辺の国をイメージさせます。
83年のイタリア旅行の体験が、反映されているのかも知れません。
[45] 名前:名無しさん :2022/07/10 (日) 22:10:21 No.8592
8592.jpg (299KB)
投稿写真の85年2月号から、素人が撮った写真の1枚目です。
明菜は、やはりバストに自信があるいのか、ノーブラです。
脇の毛を剃るのは、女の子として当然ですが、それでもコメントに書いてあるのは、
スーパースターの証でしょう。


[46] 名前:名無しさん :2022/07/10 (日) 22:15:04 No.8593
8593.jpg (260KB)
投稿写真の85年2月号から、素人が撮った写真の2枚目です。
デビュー当時の、素朴な表情の明菜です。
細いウエストを締めているので、デビュー当時から、豊かなバストが目立ちます。
[47] 名前:名無しさん :2022/07/14 (木) 20:29:27 No.8610
8610.jpg (495KB)
BOMBの85年2月号の、34ページ目です。
ラジオ番組「ひとつめのサヨナラ」の再録が、2ページに渡って載っています。
この年の7月で、20歳になる明菜。20歳をちょっと過ぎたら、
爪をのばして、マニキュアを付けて、おしゃれをするつもりだったようですが、
20歳ぐらいから、実際にカッコイイ大人の女に見えました。
でも子供が好きな明菜は、時々ふざけて、幼児語っぽい話し方をする時があります。
[48] 名前:名無しさん :2022/07/18 (月) 20:31:13 No.8629
8629.jpg (82KB)
DUNKの85年2月号から、アイドル30人・好き嫌いアンケートのコーナーです。
「ウソつきはきらいだよ」とズバリ言うのが、明菜らしいです。
「好きな人の面倒は、一生懸命見てあげたいもん。」
山口百恵と同じ性格が、80年代には合わなくなり、
上手く結婚まで辿り着けなかったのでしょう。
[49] 名前:名無しさん :2022/07/18 (月) 20:34:26 No.8630
8630.jpg (448KB)
投稿写真の85年3月号から、素人が撮った写真です。
これもデビュー当時の、素朴な表情の明菜です。
デビュー当時は、豊かな胸元が目立ちます。
[50] 名前:名無しさん :2022/07/22 (金) 21:55:03 No.8648
8648.jpg (492KB)
BOMBの85年2月号の、35ページ目です。
ラジオ番組「ひとつめのサヨナラ」の再録の、2ページ目です。
チカン対策は、明菜が得意そうです。元々童顔だったので、年上に見えるように、
キツーイ感じのメイクを始めましたが、それが、チカン対策にも役立ちそうです
「私がメガネをかけると、アラレちゃんになります。」ザ・べストテンで、
セカンド・ラブが1位になった時も、アラレちゃんメガネをかけて、マネしていました。

ジャケット写真は、5枚目のシングル「トワイライト」の頃から、明菜の意見が入っていた
そうです。7枚目のシングル「北ウイング」では、曲のタイトルを明菜が決め、
9枚目のシングル「十戒(1984)」では、振り付けにも明菜の意見が入る。
といったように、徐々にセルフ・プロデュースをしていくようになりました。
[51] 名前:名無しさん :2022/07/22 (金) 22:00:31 No.8649
8649.jpg (493KB)
BOMBの85年2月号の、36ページ目です。
明菜グッズの紹介コーナー(その1)です。
フローレンス聖子のように、店を出さなくても、これだけのグッズが出回るほど、
明菜のグッズは売れたんでしょう。
[52] 名前:名無しさん :2022/07/26 (火) 21:55:11 No.8668
8668.jpg (494KB)
DUNKの85年2月号から、「キミはアイドルの恋人になれるか?TEST」です。
1ページ目が質問、2ページ目が答えです。これは、1ページ目。
○×式だけやりましたが、39点でした。偶然にも、キョンキョンと同じ点数でした。
[53] 名前:名無しさん :2022/07/26 (火) 22:17:43 No.8669
8669.jpg (494KB)
DUNKの85年2月号から、「キミはアイドルの恋人になれるか?TEST」の
2ページ目(答え)です。間違えた中から、印象的だったのものをピックアップ。
C小学校の頃は、バトン部で活躍していたんですね。それで、筋肉質になったのでしょう。
キョンキョンが、夜ヒットで力こぶを見せると、明菜も対抗して、力こぶを見せていました。

D初恋は、小学校2年の時。ちょっと早熟なミルキーっ子です。
㉑初めて化粧をしたのは高校1年って事は、スタ誕で合格した頃です。化粧は、早熟じゃなかった。
㉚松任谷由美が好きなんですね。それでも曲を依頼しなかったのは、
 聖子への対抗意識からでしょうか。
[54] 名前:名無しさん :2022/07/31 (日) 12:25:29 No.8688
8688.jpg (487KB)
BOMBの85年2月号の、37ページ目です。
明菜グッズの紹介コーナー(その2)です。
[55] 名前:名無しさん :2022/08/04 (木) 11:28:30 No.8707
8707.jpg (488KB)
アクションカメラの85年3月号の、1ページ目です。
3月号なので、84年のレコード大賞を取れなかった事を、無冠と書いています。
でも明菜は、その後も大ヒット曲を出し続け、85年には、女性ソロアイドル初の
レコード大賞を受賞し、86年には、女性歌手初の2年連続レコード大賞に輝きます。
[56] 名前:名無しさん :2022/08/04 (木) 11:49:08 No.8708
8708.jpg (194KB)
アクションカメラの85年3月号の、2ページ目の右です。

レコード大賞で言えば、明菜と同じぐらい大ヒットを出し続けた山口百恵が無冠だったのは、
全盛期の77年を沢田研二に、78年をピンクレディーに阻まれたからで、
運が悪いとしか言えません。でも聖子は別です。84年からレコード大賞を辞退しちゃったの
だから。今と違って、この時代のレコード大賞は、大ヒットを長く出し続けた人が
受賞します。もし聖子が、84年のレコード大賞を辞退していなければ、
「瞳はダイヤモンド」か「Rock'n Rouge」で、受賞していたかも知れません。
[57] 名前:名無しさん :2022/08/08 (月) 11:47:14 No.8725
8725.jpg (492KB)
BOMBの85年2月号の、38ページ目です。
エピローグに繋がる写真です。
[58] 名前:名無しさん :2022/08/08 (月) 12:04:58 No.8726
8726.jpg (495KB)
BOMBの85年2月号の、39ページ目(最終ページ)です。
エピローグでは、長続きする本物の歌手が望み。と言っています。
アイドルは、年に4枚シングルをリリースする3か月ローテーションが普通です。
トップアイドルでも、70年代なら山口百恵、ピンクレディー、郷ひろみ、西城秀樹、
80年代なら、松田聖子、小泉今日子、近藤真彦、田原俊彦等、みんな3か月ローテーションです。

でも、年に3枚シングルをリリースする4か月ローテーションの人もいて、
70年代なら野口五郎、沢田研二。そして80年代は、中森明菜です。
みんなアイドルというより、本物の歌手という感じです。
明菜は85年から、4か月ローテーションをハッキリ意識して、本物の歌手を目指しました。
[59] 名前:名無しさん :2022/08/12 (金) 16:16:36 No.8744
8744.jpg (496KB)
アクションカメラの85年3月号の、2ページ目の左〜3ページ目です。
このカットは、ローラースケートの上にフランスパンを入れたり、
オーバーオールで木製の囲いの上でうつ伏せになったりして、
ひょうきんな明菜が、全開です。
[60] 名前:名無しさん :2022/08/12 (金) 16:43:48 No.8745
8745.jpg (490KB)
アクションカメラの85年3月号の、4ページ目です。
「聖子とのツバぜりあいで、聖子自身のアイドル生命がのびた事。」
聖子は、70年代にピンクレディーが作った9曲連続オリコン1位の記録を抜く事が、
目標だったそうです。83年2月3日リリースのシングル「秘密の花園」が、
10曲連続1位になり、その目標は、達成されました。

もし、明菜の猛烈な追い上げ(82年11月10日リリースの「セカンド・ラブ」から、
オリコン1位を取り始める)が無かったら、聖子は、
10曲連続1位で満足していたかも知れません。
[61] 名前:名無しさん :2022/08/14 (日) 11:35:04 No.8752
8752.jpg (163KB)
>>60
聖子VS明菜のツバぜりあい、当時は盛り上がりましたねー。
86年くらいのかくし芸大会だったと思いますが、
お城のダンスパーティのシーンで、聖子と明菜のガチンコ対決のシーンがありました。
まず、明菜が、胸元の大きく開いたドレスから形のいいバストをユッサ・ユッサと揺らすシーンで、「私が一番、大きいみたい!」と言うと、
聖子は「絶対に負けないから!」とカメラに顔を近づけて、目をつぶって見せたり、口を尖らせてみたり。
セリフとはいえ、ファンにとってはたまらない直接対決でした。
[62] 名前:名無しさん :2022/08/16 (火) 20:07:02 No.8765
8765.jpg (493KB)
>>61
画像アップ、ありがとうございます。聖子は、85年中旬〜87年上旬まで休業していたので、
85年正月用のかくし芸大会だと思います。

画像は、DUNKの85年2月号から、映画「愛・旅立ち」についての記事の1ページ目です。
[63] 名前:名無しさん :2022/08/17 (水) 13:33:56 No.8769
愛旅立ち、撮影のNG集が、強烈に印象に残っています。
病の明菜が、心臓音をマッチに聞かせるところで、NG連発でした。
1回目、耳を胸に当てるべきところ、マッチはなんと、明菜のバストの谷間に顔を埋めるような体制になり、明菜が苦笑い。
2回目、マッチが「ユキ、心臓聞こえるよ」と言うべきところ、「あきなー、」といってしまいNG。
3回目、マッチがセリフが出ずに、無言のまま。

マッチはNGの後も、
「だって柔らかいんだもん」とか、
「また、でかくなった?」とか、
チャラチャラ。
明菜も、「もう、真面目にやって!」と言いつつ、
なんだか嬉しそうで、
明菜ファンとしては、腹立たしいやら、うらやましいやら、複雑な気分でした。
[64] 名前:名無しさん :2022/08/20 (土) 18:46:48 No.8782
8782.jpg (496KB)
>>63
愛旅立ち、撮影のNG集の内容について、ありがとうございます。
これだけチャラチャラしたマッチのコメントも、当時はカットされずに収録されていたんですね。
このチャラチャラ度のためか、最近は5年間の不倫がバレ、ジャニーズ退所に追い込まれました。

画像は、DUNKの85年2月号から、3つ折りピンナップです。
[65] 名前:名無しさん :2022/08/20 (土) 18:55:17 No.8783
8783.jpg (496KB)
ベッピンの85年4月号から、グアムで行われたオールスター水上スポーツ・フェスティバルの、
1ページ目に載っている、明菜のカットです。
この頃は、もう水着にならなかった明菜ですが、Tシャツの上からでも、
マッチじゃないけど「また、でかくなった?」と思える、明菜の突き出たバストが、眩しいです。
[66] 名前:名無しさん :2022/08/25 (木) 21:00:41 No.8798
8798.jpg (491KB)
DUNKの85年2月号から、映画「愛・旅立ち」についての記事の2ページ目です。
[67] 名前:名無しさん :2022/08/25 (木) 21:17:05 No.8799
8799.jpg (494KB)
DUNKの85年2月号から、映画「愛・旅立ち」についての記事の3ページ目です。
ストーリーが書いてあります。当時、丹波哲郎の霊界の世界みたいだ。と、
皮肉る評論家がいました。(「大霊界」の映画化はまだでしたが、本は既に話題になっていた。)
[68] 名前:名無しさん :2022/08/27 (土) 15:16:10 No.8805
8805.jpg (100KB)
>>65
グアムの運動会の画像、家宝にいたします。ありがとうございます。
この運動会、テレビで見た思いでの番組です。

他のアイドルと並ぶと、脚が長いんですよね、明菜は。色も白いし、色気が段違いでした。
そのうえ、豊かなお尻に食い込むのを気にして、ショートパンツを時々、直すんです。
それがまた、色っぽいのなんのって。

それに、薄手の白のTシャツなので、明菜のオッパイの盛り上がりが凄い。おまけに、純白の
ブラジャーや胸の谷間までスケスケ。ボート漕ぎで濡れた時には、カメラが胸の谷間をズームアップしていてたまりませんでした。

結局、記者投票による大会のビジュアルクィーンは、満票で明菜が獲得。
ほとんどのアイドルが水着で参戦している中で、物議を醸しましたが、個人的には、着衣でも明菜がぶっちぎりでセクシーだったと思います。

画像は、夜のヒットスタジオの特番かと思います。
[69] 名前:名無しさん :2022/08/29 (月) 20:29:38 No.8814
8814.jpg (361KB)
>>68
グアムの運動会の詳細な記述と、夜ヒットのキャプ画、ありがとうございます。
デビュー当時の、ビキニ・ポスターでも、脚が長い事が判りますね。
豊満なバストと、クビれたウエストから大きなヒップのラインに、目が行ってしまいますが。

画像は、同じくベッピンの85年4月号の、オールスター水上スポーツ・フェスティバルから、
3ページ目の右上に載っている、明菜のカットです。
Tシャツ姿を横から撮っても、バストの分厚さが分かりかすね。
ビジュアルクィーンも、納得です。
[70] 名前:名無しさん :2022/08/29 (月) 20:52:23 No.8815
8815.jpg (489KB)
写真探偵団の85年4月号に載っている、84年末の紅白歌合戦での、
各アイドル特集から、明菜のページです。
当時の紅白は、みんなでいろいろな恰好をするのが、楽しかったから、視聴率が良かったのかも。
今年の紅白も、去年に続いて30%台の視聴率だったら、打ち切りもあるそうです。
NHKは、SONGSの拡大版みたいな構成にするらしいけど、それなら打ち切りかな?
[71] 名前:名無しさん :2022/09/02 (金) 20:32:45 No.8829
8829.jpg (490KB)
DUNKの85年2月号から、映画「愛・旅立ち」についての記事の4ページ目です。
映画撮影中の明菜の気持ちについて、書いてあります。
映画のスタッフは暗いと、誤解していた明菜と、ツッパリ明菜を想像していた映画のスタッフの
誤解が解けて、撮影は快調に進んだのでしょう。映画スタッフのすごい迫力に関心する明菜。
笑顔や気遣い・気配りの出来る、女らしい明菜を見て、感心する映画スタッフ。

本業の歌手では、自分の意見をズバズバ言う明菜も、初めての映画撮影では、
信頼できるスタッフに安心し、スタッフの期待に一生懸命答えていたのでしょう。
[72] 名前:名無しさん :2022/09/06 (火) 19:31:10 No.8843
8843.jpg (108KB)
写真探偵団の85年4月号から、素人が撮った写真の右上です。
84年の日テレで、「十戒(1984)」でグランプリを取った時ですね。
ちなみに85年はマッチが、86年は再び明菜がグランプリを取っています。


[73] 名前:名無しさん :2022/09/06 (火) 19:48:50 No.8844
8844.jpg (128KB)
写真探偵団の85年4月号から、素人が撮った写真の右下です。
これも、「十戒(1984)」を歌う時の衣装でしょう。首にメダルをかけているので、
何かの音楽祭だと思いますが、ふくれた顔をしているので、大賞を取れなかった、
FNS歌謡祭・歌謡大賞・レコード大賞のどれかの時かも知れません。
[74] 名前:名無しさん :2022/09/10 (土) 21:49:16 No.8859
8859.jpg (364KB)
写真探偵団の85年4月号から、素人が撮った写真の左です。
80年代前半の明菜にしては珍しい、情熱的な赤の衣装です。
[75] 名前:名無しさん :2022/09/10 (土) 22:49:49 No.8860
8860.jpg (415KB)
アクションカメラの85年2月号から、記事です。
「飾りじゃないのよ涙は」は、スタンドマイクで歌っていましたが、
確かに、スタンドマイクを巧く利用した振りでした。

「歌のほうでは、実績ダントツ日本一の明菜と、いまひとつ盛り上がんない彼」
過去の実績で言えば、明菜10枚目のシングル「飾りじゃないのよ涙は」までの
シングル10枚の売り上げは、524万枚。マッチ10枚目のシングル「真夏の1秒」
までのシングル10枚の売り上げは、591万枚なので、マッチの方が少し上です。
[76] 名前:名無しさん :2022/09/14 (水) 22:58:03 No.8875
8875.jpg (495KB)
DUNKの85年4月号から、パイオニア・プライベートのCMに関する記事です。
明菜のプライベートのCMと言えば、黒のボディコンで、バストとヒップを強調した
88年のCMが有名ですが、この頃からセクシー路線だった事が分かります。
[77] 名前:名無しさん :2022/09/14 (水) 23:04:03 No.8876
8876.jpg (495KB)
DUNKの85年4月号の表紙です。
巻頭20ページ大特集と書いてありますが、表紙と3つ折りピンナップを除けば、
15ページの巻頭特集になっています。
[78] 名前:名無しさん :2022/09/17 (土) 15:51:08 No.8882
8882.jpg (57KB)
貴重な画像が見れて明菜ファンとして嬉しいです。
ありがとうございます!
>>70
紅白歌合戦ではトップアイドルの明菜まで、こんなにハッスルしていたのですね!
こんなに楽しそうな明菜を見れるのであれば、NHK受信料も安いものですね。
脚を高々と上げる明菜、純白の太ももから、なんと股間まで全開ではないですか!!
赤のサポーターを履いているいるとはいえ、天下の明菜の股間ですから、興奮してしまいます!!

NHKでは、太もも全開が多い明菜。
画像はNHKの歌番組の一コマです。

[79] 名前:名無しさん :2022/09/19 (月) 21:53:21 No.8890
8890.jpg (493KB)
>>78
NHKの歌番組からの明菜のキャプ画、ありがとうございます。
当時の紅白は、9:00〜11:45の間に、40〜42人(組)の、老若男女の歌手が
ひしめき合い、歌だけではなく、コントや応援合戦を繰り広げています。当時の紅白の熱量は、
今とは比較になりません。リハーサルに3日をかけるのも、当然でしょう。
ちなみに、70に載せた84年の紅白の視聴率は、78.1%でした。

画像は、DUNKの85年4月号の、1ページ目です。
[80] 名前:名無しさん :2022/09/23 (金) 21:00:15 No.8905
8905.jpg (495KB)
DUNKの85年4月号の、2〜3ページ目です。
文章に書いてあるように、このグラビアでは、ノーメイクの明菜のカットが続きます。
ノーメイクと言えば、菊池桃子は、デビューから3年間は、ノーメイクだったそうです。
しかし、他のアイドルは、ノーメイクっぽいナチュラルメイクをしていました。
それと比べると、明菜は、メイクをしている時は、はっきりメイクと分かるメイクをし、
グラビアでは、ノーメイクの時もある。どっちか、ハッキリ分かるところが、明菜らしいです。
[81] 名前:名無しさん :2022/09/23 (金) 21:05:25 No.8906
8906.jpg (497KB)
DUNKの85年4月号の、4ページ目です。
これも、ノーメイクの明菜です。デビュー当時の明菜は、色白で、
顔が童顔でぽちゃりしていて、メイクをしないと、大人っぽい歌が似合わない顔でした。
だから、はっきりメイクと分かるメイクを、続けていたのでしょう。
このカットでは、久々のノーメイクで、開放感あふれる明菜の笑顔が、素敵です。
[82] 名前:名無しさん :2022/09/27 (火) 22:31:12 No.8923
8923.jpg (486KB)
ザ・テレビジョンの85年3月2日号から、アイドル100人・グァム島交友録の、
1ページ目です。サブタイトルに、マッチ・明菜に何があった!?と書いてあります。
グァムでの、運動会と、水泳大会(65,69に載せたカット)のレポートです。

明菜は、風邪と疲労でバテバテだったそうですが、その明菜にも負ける伊代の運動神経の無さは、
本物ですね。肝心のマッチは、遠くから心配そうに明菜を見ているけど、
接近すると、マスコミの餌食になるので、近寄らなかったとの事。
4年後の破局を予感させる、何とも煮え切らない態度です。
[83] 名前:名無しさん :2022/09/27 (火) 22:44:59 No.8924
8924.jpg (489KB)
ザ・テレビジョンの85年3月2日号から、アイドル100人・グァム島交友録の、
2ページ目です。明菜とマッチの2ショットは載っていますが、記事には登場しません。
早見優と松本伊代は、この頃から仲が良かったみたいです。人気ではやはり早見優の方が
上らしく、シブがき隊のモックンやフックンが狙っている様子。シブがき隊が解散した理由は、
誰とでも仲良く出来るモックン・フックンと、一人でいるヤックンの性格の違いだったそうです。

尾形大作がキレた部分は、放送カットになったでしょう。収録中には、
いろんな事があるようです。最後のジェットスキーが、トシちゃんの一言で中止になるあたり、
テレビ局より、ジャニーズ事務所の力の方が上だった事が分かります。
[84] 名前:名無しさん :2022/10/01 (土) 23:27:06 No.8939
8939.jpg (496KB)
DUNKの85年4月号の、5ページ目です。
明菜の突き出たバストが分かる、黒いタンクトップの斜め横からの姿です。
[85] 名前:名無しさん :2022/10/02 (日) 00:11:33 No.8940
8940.jpg (481KB)
DUNKの85年4月号の、6〜7ページ目です。
見事、レコード大賞(1回目)を取った、85年3月8日リリースの11枚目のシングル
「ミ・アモーレ」の歌詞とコードが載っています。
明菜のシングル・セールスのトップは、「セカンド・ラブ」の76.6万枚ですが、
それに次ぐ2位のセールスである、63.1万枚を記録したのが、「ミ・アモーレ」です。

同じ曲を、歌詞を変えて歌った「赤い鳥逃げた」(12インチ・シングル)が、
35.3万枚をセールスしているので、同じ曲である2曲を合わせると、98.4万枚となり、
わらべの「もしも明日が...。」の97万枚を抜き、80年代にリリースした女性アイドルの
曲では、トップになります。85年年間ランキングは、「ミ・アモーレ」単体では、
チェッカーズ「ジュリアに傷心」の70.3万枚に次ぐ2位ですが、2曲合算では、
年間トップとなり、それがレコード大賞受賞に繋がったのでしょう。
[86] 名前:名無しさん :2022/10/02 (日) 18:31:11 No.8946
歌番組に明菜が出ると、
3歳上の姉がいつも、
「今日の明菜ちゃん、ポロリしそうな衣装じゃん」とか、
「やだ、エッチな目で見てる・・・」
と俺をからかってきて、茶の間の笑いものにされてきました。
たしかに、明菜は段違いの色気がムンムンで、いつも食い入るように見てましたよ・・・。

CカップかDカップ?オッパイフェチの俺からすると、ボリュームに物足りなさを感じますが、
それを補ってあまりある美乳。
当時のアイドルで誰のオッパイが一番見たいか?
と聞かれたら、躊躇せずに「明菜!」と答えますね。
[87] 名前:名無しさん :2022/10/06 (木) 01:17:29 No.8960
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>>87
当時のアイドルで、明菜は豊かなバストを含めて、セクシーな見せ方が一番上手い
アイドルだったと思います。キョンキョンは、意表を突いたバストの見せ方でした。
(サーモグラフィーや、CMでのバスタオル姿 等)
明菜やキョンキョンよりもバストが大きい榊原郁恵や河合奈保子は、
健康的な感じで売っていただけで、見せ方の工夫が無かった印象です。

画像は、デラックスマガジンの85年4月号から、インフォメーションコーナーです。
「ミ・アモーレ」を作曲した松岡直也は、当時は知りませんでした。
明菜以外に、人気アイドルの曲は書いていないと思います。
でも、80年代前半は、フュージョンが日本もアメリカも人気で、そこに目を付けた
明菜(スタッフかもしれないけど)は、さすがだと思いました。
[88] 名前:名無しさん :2022/10/10 (月) 08:55:51 No.8977
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DUNKの85年4月号の、8〜9ページ目です。
仰向けに寝て、盛り上がっている明菜のバストを、見せるというより、見せつけている感じです。

文章では、87で書いた、「ミ・アモーレ」を作曲した松岡直也について書いてあります。
やはり、松岡直也に目を付けたのは、スタッフではなく明菜自身でした。
「明菜サウンドが、この曲でガラリと変わったと思う。」
この曲以来、異国情緒あふれるサウンドの曲が増えました。
中東を思わせる「サンド・ベージュ」や、「ジプシー・クィーン」は、その典型です。
[89] 名前:名無しさん :2022/10/10 (月) 09:03:44 No.8978
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DUNKの85年4月号の、10ページ目です。
こちらは、明菜が大きなヒップを強調したカットです。
[90] 名前:名無しさん :2022/10/14 (金) 14:25:41 No.8991
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DUNKの85年4月号の、11ページ目です。
上に着ている服が薄いので、明菜の細い身体と突き出たバストの対比が、良く分かります。
[91] 名前:名無しさん :2022/10/14 (金) 14:34:43 No.8992
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DUNKの85年4月号の、12〜13ページ目です。
人気が下降線を辿っているアイドルが、いままでのご褒美と言って、
長期休暇を取って海外で過ごす事は、これまでにも良くありました。
でも、人気絶頂のアイドルが、海外で長期休暇を取るのは、明菜が初めてだと思います。
海外で長期休暇を取れば、人目を気にしないで、リラックス出来るのでしょう。
[92] 名前:名無しさん :2022/10/18 (火) 17:32:51 No.9012
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DUNKの85年4月号の、14ページ目です。
一人で海外で長期休暇をエンジョイしている姿が、撮影日のカットからも伝わってきます。
[93] 名前:名無しさん :2022/10/18 (火) 17:36:36 No.9013
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DUNKの85年4月号の、15ページ目です。
撮影日以外は、同行していなかったスタッフなので、見ていない明菜のプライベートを、
感じさせる写真を撮ろうとしている事が、分かるカットばかりです。
[94] 名前:名無しさん :2022/10/22 (土) 20:42:52 No.9026
9026.jpg (492KB)
DUNKの85年4月号から、3つ折りピンナップです。
DUNKの巻頭ピンナップでは、プレゼント告知が付いている事が多いです。
[95] 名前:名無しさん :2022/10/27 (木) 01:26:24 No.9042
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2004年12月20日発行の「ザ・ベストテン」のムック本から、
11thシングル「ミ・アモーレ」の歌唱シーンと記事です。
年間ベストテンでは、3位と書いてあります。
ザ・ベストテンは、1位の半分の得点でも11〜20位以内に入るので、各週の得点を単純に
合計した順位で決まる年間ベストテンは、演歌などのロングヒットが上位を占めます。
その中で、3〜4か月で新曲に変わるアイドルの曲が、3位に入るのは、立派です。

そこで、各年の明菜の、年間ベストテンの順位を調べました。(10位以内のみ)
83年は、8位に「1/2の神話」、10位に「禁区」が、ランクイン。
84年は、8位に「十戒(1984)」が、ランクイン。
85年は、3位に「ミ・アモーレ」、8位に「SAND BEIGE」が、ランクイン。
86年は、2位に「DESIRE」が、ランクイン。
87年は、7位に「難破船」が、ランクイン。
88年は、9位に「TATTOO」が、ランクイン。

となっています。やはり85年が、ザ・ベストテンでの明菜のピーク時だった事が分かります。
[96] 名前:名無しさん :2022/10/27 (木) 01:45:53 No.9043
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本来なら、11thシングル「ミ・アモーレ」のジャケットを載せるのですが、
次のスレ画にする予定なので、メロディが「ミ・アモーレ」と同じ、
85年5月1日リリースの12インチシングル「赤い鳥逃げた」のジャケットを載せます。
サイケなメイクのジャケットが、これからアーティストへ移行していく明菜を予感させます。

95には、「ザ・ベストテン」では4週連続ランクインしながらも、歌っていないと
書いてあります。キョンキョンが「あんみつ姫」名義でリリースした
「クライマックスご一緒に」をランクインしながらも歌わなかった事を、
意識しているのでしょうか。キョンキョンも明菜も、
正式シングルと同時ランクインしていても、正式シングルのみ歌っています。
[97] 名前:名無しさん :2022/10/31 (月) 08:05:54 No.9062
9062.jpg (447KB)
BOMBの85年5月号から、ビデオ紹介コーナーです。
83年発売のビデオ「明菜inヨーロッパ」を紹介しています。
レコーディングスタジオが、まるでお化け屋敷のような古い城で、怖がりの明菜は、
それからヨーロッパが嫌いになり、アメリカにばかり行くようになったのかも。
[98] 名前:名無しさん :2022/10/31 (月) 08:13:06 No.9063
9063.jpg (352KB)
BOMBの85年5月号から、ご近所情報です。
紅白って、セキュリティーが甘かったんですね。
それとも、この中2の撮影者が、よほど上手くカメラを見つからない場所へ、忍ばせていたのかな。
[99] 名前:名無しさん :2022/11/04 (金) 12:57:58 No.9079
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写真時代Jrの85年5月号から、66や69と同じく、
オールスター水上スポーツ・フェスティバルからのカットです。
明奈の素の笑顔がいいですね。
[100] 名前:名無しさん :2022/11/04 (金) 13:05:46 No.9080
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写真少年の85年6月号から、素人が撮った写真のページの右下です。
明菜は、呼んでも無視した訳ではなく、ダルそうな感じと書いてあるので、
疲れていて、返事が出来なかったのでしょう。




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