松田聖子2

[1] 名前:名無しさん :2021/07/26 (月) 20:31:38 No.6631
6631.jpg (484KB)
前スレ 松田聖子 https://gakinko.net/bbs2/80nen35/res2503.html の続きです。

スレ画は、月刊平凡の80年7月号の、1ページ目です。
7月号は、5月24日発売なので、かなり初期のビキニ姿なのに、
しっかりポーズを決めているあたり、将来の大物アイドルになる予感を感じるカットなので、
スレ画にしました。
[2] 名前:名無しさん :2021/08/11 (水) 19:53:24 No.6726
6726.jpg (492KB)
月刊平凡の80年7月号の、2ページ目の下です。
ヨットに乗っていますが、強風で聖子ちゃんカットの前髪が飛ばされ、
おでこが丸出しになっているので、アップでは撮らなかったのでしょう。
翌年、賛否両論を生んだ映画「野菊の墓」より、1年も前に、おでこ丸出しがあったんですね。
なお、本人はおでこを気に入っているそうです。
[3] 名前:名無しさん :2021/08/26 (木) 22:23:10 No.6817
6817.jpg (490KB)
月刊平凡の80年7月号の、3ページ目の上です。
アップで聖子の顔を見ると、2曲目でいきなりブレイクし、トップアイドルに長く君臨するほど
可愛い顔ではないですね。顔自体の作りが、それほど可愛い顔ではないのに、
表情や仕草、歌の爽やかで疾走感のあるイメージから、トータルで可愛く、
男性ファンはそこに惹かれ、女性は、その表情や仕草を、可愛い子ブリッコと言ったのでしょう。

誤解を恐れずに言えば、70年代の岩崎宏美と似た感じがします。彼女も、
当時の他のアイドルと比べると、アイドルらしい可愛らしさでは劣っていました。
所属事務所が用意したステージ衣装は、どれも似合わず、私服をステージ衣装にしたほどです。
でも、私服(特にラフなファッション)が岩崎宏美には、ピッタリとフィットし、
それまでのアイドルとは全く異なる、庶民的で活発な新しいアイドル像を構築し、
持ち前の歌唱力と相まって、大ヒットを連発するアイドルになりました。
[4] 名前:名無しさん :2021/09/11 (土) 19:24:26 No.6907
6907.jpg (493KB)
月刊平凡の80年7月号の、3ページ目の下です。
聖子の本来の性格は、両手を叩きながら大笑いをする、開放的で明るい性格です。
竹を割ったような素直な性格であり、その点でも、岩崎宏美と似ていると思います。
姉(岩崎宏美)の事が大好きな岩崎良美は、聖子と堀越学園のクラスメートだったので、
素の聖子の事を良く知っていて、姉の性格に近い聖子と、親友になったのでしょう。

私は、そんな聖子の本来の性格を、もっと表に出して欲しかったですが、
当時のアイドルとしての聖子は、優等生的発言が多かった感じであり、
本来の性格を見抜いていた女性たちから、可愛い子ブリッコと見られていたのでしょう。
[5] 名前:名無しさん :2021/09/27 (月) 23:12:28 No.7009
7009.jpg (483KB)
月刊平凡の80年7月号の、4ページ目です。
当時のアイドルとしての聖子に、優等生的発言が多かったのは、
ここに書いてあるように、芸能界入りを猛反対していた両親の期待に応えたい。という、
気持ちが強かったからでしょう。岩崎宏美がアイドルしていた時は、昌子・淳子・百恵の
トリオや伊藤咲子といった、スタ誕の先輩が同い年で、仲良くアイドルする事が出来ました。

これに対し、聖子がデビューした80年は、ニューミュージック全盛時代。
百恵は引退、昌子は演歌に転向、同じ事務所の淳子は、既にアイドル卒業。
仲良くしたくても、頼れるトップアイドルがいなかった時代です。
とにかく、誰にも負けない努力と根性で、新しいアイドル時代を自力で開かなければ、
トップアイドルになる事が出来ない時代でした。
[6] 名前:名無しさん :2021/10/14 (木) 12:12:50 No.7105
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月刊明星の80年10月号から、9人のアイドルが載っているカラー口絵からです。
70年代アイドルが4人(郷ひろみ・西城秀樹・榊原郁恵・石野真子)、
80年代アイドルが4人(松田聖子・田原俊彦・近藤正彦・野村義男)、
アイドル的存在だった女優の藤谷美和子の9人です。
まさに新旧アイドルの分岐点であり、80年代女性アイドルは、聖子一人が孤軍奮闘
していました。(三原順子・河合奈保子・柏原よしえのブレイクは、もっと後です。)

その点で、71年に最初のアイドルブームを作った新・三人娘(天地真理・南沙織・小柳ルミ子)
とは異なります。彼女たちは3人とも、デビュー曲から大ヒットを連発し、
アイドルブームを牽引していました。これに対し、80年からの第二次アイドルブームは、
聖子一人が2曲目から大ヒットを連発し、孤軍奮闘していました。
三原順子は、80年暮れのデビュー曲の大ヒット以降は下降状態になり、河合奈保子は81年夏に、
柏原よしえは81年秋に、孤軍奮闘する聖子に触発されるようにブレイクします。
[7] 名前:名無しさん :2021/10/30 (土) 22:31:57 No.7203
7203.jpg (491KB)
月刊明星の80年10月号の、1ページ目です。
「松田聖子大研究」と題した記事&グラビアが、7ページ載っています。
初々しい聖子がいっぱいです。「結婚願望」では、料理・洗濯・そうじ、ゼーンブ好き。
と言っています。百恵さんに憧れていた。と言っているけど、これは本心なのかな?
この頃、山口百恵の結婚・引退が、世間で話題になっていたからなのかな。

山口百恵は、デビュー7年半で、結婚・引退。聖子は、デビュー時に百恵より
4歳年上という事もあり、デビュー5年で、結婚・一時引退。
でも、この頃になると、「結婚願望」より仕事の方が好きになり、2年で仕事に復帰します。
[8] 名前:名無しさん :2021/11/15 (月) 10:49:58 No.7292
7292.jpg (494KB)
月刊明星の80年10月号の、2ページ目です。
文章に書いてある3人組とは、たのきんトリオの事です。
「歌手としてデビューしてからの変化はキョーレツ。
だって、ぜんぜん自信なんかなかったんだもの。」
78〜79年の女性新人アイドルは、トップテンに入る人が一人も出ず、
80年代終盤の、アイドル冬の時代と似た感じがありました。

歌が上手い石川ひとみ・倉田まり子や、スタ誕出身でお茶の間人気が高かった石野真子でも、
トップテンに入らなかったので、ぜんぜん自信なんかなかったのも、当然でしょう。
聖子の躍進は、まさにアイドルの救世主となりました。
[9] 名前:名無しさん :2021/12/01 (水) 21:38:00 No.7387
7387.jpg (491KB)
月刊明星の80年10月号の、3ページ目です。
聖子の体大研究のようなページです。2で書いた「本人はおでこを気に入っている」は、
ここに載っています。90年代に入ってからの聖子は、気にいっているおでこを、
丸出しに(髪をアップに)して、歌っていました。聖子に対するマスコミのバッシングが
強かった頃であり、歌う時の感情移入によって、おでこにシワが出来るだけで、
「もはやアイドルとはいえないおでこのシワ」と、バッシングされていました。

視力が良いため、老眼になるのも早く、同じく視力が良いキョンキョンも老眼になっている事を、
お互い、ドラマで共演した中井貴一を通じて知りました。
聖子が、「チェリーブラッサム」を始めとする疾走感溢れる曲を、上手く歌いこなせたのは、
良く通る声だけではなく、耳も抜群に良く、バックの演奏もしっかり聞き取れるから。
という事が、良く分かります。
[10] 名前:名無しさん :2021/12/17 (金) 21:37:56 No.7484
7484.jpg (484KB)
月刊明星の80年10月号の、4ページ目です。
実年齢より背伸びをして、大人っぽく見せようとするのが、アイドルの魅力だと思っている私は、
実年齢より幼く見せようとしている、今のアイドルが大嫌いです。
天地真理・南沙織・小柳ルミ子の新・三人娘で始まった、71年からのアイドル・ブームは、
若い中三トリオに人気を奪われ、中三トリオ(特に山口百恵と桜田淳子)を中心に、
70年代アイドル・ブームが推移して行きました。

70年代終盤には、榊原郁恵・石野真子・大場久美子が、テレビでは活躍しましたが、
ピンク・レディーの悪影響のためか、小学生をファンのターゲットにしたため、
実年齢より幼く見せようとし、アイドル・ブームは失速しました。
そんな時代にデビューしたのが聖子です。18歳という年齢より幼く見える表情から、
実年齢より幼く見せようとするのが、時代の流れだったでしょうが、そうしなかったのが、
大成功しました。聖子に、難しい曲を歌わせ、それに必死に付いて行った事が、
最近のインタビューから分かりました。

その姿が、実年齢より背伸びをして、大人っぽく見せようとする事へと繋がり、
明菜・キョンキョンを中心とする花の82年組が、その流れを継承し、
80年代アイドル黄金時代に突入します。
(数年前にキョンキョンが、今のアイドルとの対比で、「百恵さんも、聖子さんも、
 明菜ちゃんも、私も、みんな大人っぽくみせようとしていた。」と言っているのが、
 印象的でした。)
[11] 名前:名無しさん :2021/12/20 (月) 16:13:09 No.7501
いや全然違う
[12] 名前:名無しさん :2022/01/04 (火) 01:58:46 No.7598
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月刊明星の80年10月号の、5ページ目です。
右上の今中マネージャー、一瞬男に見えましたが女でした。サンミュージックの女性アイドルの
現場マネージャーが、女である伝統は、桜田淳子から始まり、松田聖子、早見優、岡田有希子、
酒井法子と続きました。右中央の「パンチ・パンチ・パンチ」の女性3人でやっているDJも、
右下のレッツゴーヤングのサンデーズも、聖子にとっては、友達が出来るきっかけにもなったし、
世の中の事を知り、大ヒットを連発しても浮かない点で良かったと思います。

>>11
私は、10の画像から見えるインスピレーションから、10の文章を書きました。
否定するなら、10の画像を元に、理由を明確にして否定して下さい。
[13] 名前:名無しさん :2022/01/18 (火) 22:46:19 No.7695
7695.jpg (496KB)
月刊明星の80年10月号の、6ページ目です。
前ぺージの右下に書いてある1stアルバム「SQAUL」は、友達が良くかけていました。
デビューからのシングル3作品の作詞・作曲を担当した三浦徳子・小田裕一郎が、
アルバムの全楽曲の作詞・作曲を担当している、トータル・アルバムになっています。
聖子の透明で、よく通る声との相性も抜群で、私も、聖子のアルバムの中では、一番好きです。
[14] 名前:名無しさん :2022/02/04 (金) 01:31:38 No.7808
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月刊明星の80年10月号から、想い出の先生コーナーです。
中学時代に、学校から1分の場所に住んでいたのに、遅刻の常習者だったという聖子。
始業のチャイムを聞いてから、慌てて家を出ても、間に合うはずがありません。
アイドルになってから、時々、遅刻を怒る草場先生の夢を見るそうです。
仕事の時に、遅刻しなくて済んでいるのは、歌手になる夢を叶えた事もあるけど、
草場先生の夢のおかげもあるかも知れません。
[15] 名前:名無しさん :2022/02/19 (土) 14:25:36 No.7899
7899.jpg (489KB)
月刊平凡の80年11月号の、1ぺージ目の上です。
聖子が、憧れの郷ひろみと、雑誌で初めて対談したグラビアと対談が、3ぺージ載っています。
噂のカップルは、聖子がデビューした80年から、始まっていたんですね。
郷ひろみは、山口百恵が好きだったようですが相手にされず、
百恵が結婚・引退するこの頃から、聖子に接近して行ったのでしょうか。
[16] 名前:名無しさん :2022/03/07 (月) 22:54:19 No.7987
7987.jpg (419KB)
前スレのアドレスが変わっています。
 松田聖子 https://gakinko.net/bbs2/80nen35/res2503.html

画像は、月刊平凡の80年11月号の、1ぺージ目の下です。
憧れの郷ひろみとの、2ショットです。
[17] 名前:名無しさん :2022/03/12 (土) 01:44:26 No.8013
セーラー服姿の聖子ちゃんがありましたら
お願いします。
[18] 名前:名無しさん :2022/03/24 (木) 06:43:00 No.8075
8075.jpg (485KB)
月刊平凡の80年11月号の、2ぺージ目です。
隣に、憧れの郷ひろみがいるので、照れくさそうな表情をしている聖子です。

>>17
高校は、久留米時代も、堀越へ転校してからも、セーラー服ではなかったので、
中学の頃の、数人で撮った小さな集合写真(白黒)しか持っていません。
それも、聖子とは判らない顔でした。なので、載せる意味がないと思います。
もしかしてコントで、セーラー服を着ているのがあるかも知れないので、
動画を検索してみたらどうでしょうか。
[19] 名前:名無しさん :2022/04/10 (日) 02:07:12 No.8157
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月刊平凡の80年11月号の、3ぺージ目です。
聖子が郷ひろみファンだと知ったのは、この対談なのか、その前なのか分かりませんが、
その後、夜ヒットのメドレーコーナーで、郷ひろみが聖子の歌を歌いながら、
聖子の前を、ニヤけて歩いていました。

郷ひろみの母親の名前は、聖子なんですね。デビュー前のひろみにヘッドロックをかけたり、
オーディションに行くのをためらうひろみに、裏ビンタを食らわす、厳しい母親でした。
聖子の本名は、蒲池法子ですが、聖子という芸名を付けられた事により、
郷ひろみの母親みたいに、男にキツイ性格になったのかも?
[20] 名前:名無しさん :2022/04/27 (水) 11:18:53 No.8233
8233.jpg (483KB)
月刊平凡の80年11月号の、4ぺージ目です。
正月以来となる母との対面となる2ショットです。
翌81年、聖子は両親を東京へ招き、一緒に住む事になります。
この頃から、交際報道されていた郷ひろみは、聖子に結婚したら引退を希望し、
この頃の聖子も、結婚したら引退する方向で考えていました。

それを邪魔したのが、トップアイドルとなった娘を、結婚で引退させたくない。
と考えていた聖子の両親でした。聖子がデビューする時、あれだけ猛反対していたのに、
勝手なものだな。と思います。
[21] 名前:名無しさん :2022/05/13 (金) 21:10:26 No.8318
8318.jpg (497KB)
月刊平凡の80年11月号の、5ぺージ目の上です。
兄も、妹の聖子も、故郷を離れて東京へ行き、夫婦二人だけになったので、
両親は寂しかったのでしょう。聖子が出ているテレビを見ている内、
一緒に住んで、聖子の世話をしたくなって、東京へ出てきたのでしょう。
[22] 名前:名無しさん :2022/05/30 (月) 14:03:01 No.8397
8397.jpg (490KB)
月刊平凡の80年11月号の、5ぺージ目の下です。
ここでも、聖子と母親の仲よさそうな2ショットが載っています。
[23] 名前:名無しさん :2022/06/16 (木) 00:54:10 No.8475
8475.jpg (278KB)
月刊平凡の80年11月号から、平凡が主催したファンの集いの記事です。
「抱けば折れそうな肢体、健気にも張り上げる声、カレンだなあ、清純だなあ、声援したいなあ。」
と書いてあります。デビュー年に、人気急上昇した頃の聖子の魅力を、上手く表現しています。
久米宏は、ザ・ベストテンで、「あんなにか細い聖子ちゃんは、この先、
芸能界でやっていけるのかなあ。」と心配して、黒柳徹子に話したそうです。

その後、どんどんトップアイドルとして登り詰め、頂点に君臨した聖子を見て、
「久米さん、あなたの意見、見事に外れましたね。」と、言い放った黒柳徹子でした。
「健気にも張り上げる声」。この頃は、聖子が歌が上手い事は、世間一般には、
あまり浸透していませんでした。それが、こういう表現になったのでしょうが、
当時の聖子の声の魅力を、上手く表現しています。
[24] 名前:名無しさん :2022/07/02 (土) 18:19:02 No.8554
8554.jpg (486KB)
月刊明星の80年11月号の、1ページ目です。
「紀信と話しながら撮ろう」という、篠山紀信が撮ったグラビアのコーナーは、
70年代後半から続く人気コーナーで、トップアイドルしか対象になりませんでした。
[25] 名前:名無しさん :2022/07/17 (日) 21:40:41 No.8628
8628.jpg (484KB)
月刊明星の80年11月号の、「紀信と話しながら撮ろう」の2ページ目です。
篠山紀信は、他のカメラマンと、シャッターを押すタイミングが、全然違うそうです。
カメラマンは、ポーズをつけて、何枚も何十枚も撮るの普通ですが、篠山紀信は、
会話していたり、動いていたりする時、予想もしていない一瞬の隙を狙って撮るそうです。

70〜80年代の歌番組・バラエティ番組では、アイドルの素の表情が垣間見れるのが、
魅力のひとつでした。篠山紀信は、雑誌グラビアで、アイドルの素の表情を撮るので、
人気ナンバー1のカメラマンになったのでしょう。このカットの聖子は、
ジャンプしているポーズで、意外にオーソドックスですが。
[26] 名前:名無しさん :2022/08/02 (火) 15:00:23 No.8701
8701.jpg (487KB)
月刊明星の80年11月号の、「紀信と話しながら撮ろう」の3ページ目です。
篠山紀信は、聖子を、80年代・90年代・2000年代を追いかけ、
3つの年代に渡って、取り続け、写真集を出した、唯一のタレントだったそうです。
だからこそ、この初期の撮影の頃から、聖子に特徴を、よくとらえています。

外見的には、首が長く、えりあしが美しい事。
内面的には、真面目で、自分の意見をしっかり言う事。
そして、感情が素直に表情に表れる事に、カメラマンとして惹かれるのでしょう。
[27] 名前:名無しさん :2022/08/17 (水) 22:54:10 No.8772
8772.jpg (497KB)
月刊明星の80年11月号の、「紀信と話しながら撮ろう」の4ページ目です。

8月8日に、オリビア・ニュートン・ジョンが亡くなりました。
聖子ちゃんカットの元は、オリビア・ニュートン・ジョンの髪型だと言われています。
70年代のアイドル歌手は、オリビアを目標に掲げている人が多く、
聖子の事務所の先輩・桜田淳子も、オリビアの影響を強く受けていました。
日本では、「ジョリーン」「カントリー・ロード」が大ヒットした76〜77年が、
人気のピークでした。

76年に初来日した時に行ったコンサートは、紅白歌合戦の裏番組で放送され、
親に懇談して、見せてもらった記憶があります。
ちなみに、尾崎亜美が作詞・作曲し、杏里のデビュー曲となった「オリビアを聴きながら」は、
尾崎亜美が、オリビア・ニュートン・ジョンに触発されて書いた曲です。
[28] 名前:名無しさん :2022/09/02 (金) 20:59:30 No.8830
8830.jpg (489KB)
月刊明星の80年11月号の、「紀信と話しながら撮ろう」の5ページ目です。
聖子が、80年デビューの他の新人と比べて、抜きんでた人気を得た理由を、
「普通の女の子が普通に持っている魅力を、すっとさし出す。」ところだと、
篠山紀信は分析しています。男女を問わず、数多くのアイドルを取り続けてきた篠山紀信
だからこそ、気がつく魅力なのでしょう。並みの才能では出来ない、
豊かな感情を内に秘めている。と分析する篠山紀信。

「私、喜怒哀楽が激しいんです。」この言葉自体が、素直に聖子の性格を表しています。
[29] 名前:名無しさん :2022/09/19 (月) 22:13:25 No.8891
8891.jpg (493KB)
月刊明星の80年11月号から、4ページに渡って載っている、
松田聖子ヒストリーの、1ページ目です。
[30] 名前:名無しさん :2022/10/06 (木) 02:29:29 No.8961
8961.jpg (479KB)
月刊明星の80年11月号から、松田聖子ヒストリーの2ページ目です。
聖子も、副賞目当てで、コンテスト(ミス・セブンティーン)に応募したんですね。
浅香唯が、赤いステレオ目当てで、コンテストに応募したのと同じじゃないですか。
キョンキョンが、軽い気持ちで歌手になりたいと思った人たちの方が、
芸能界で長続きしている。と言っていたので、80年代人気アイドルで調べてみると...。

軽い気持ちで、コンテストに応募した人、スカウトされた人は、
松田聖子・柏原よしえ・松本伊代・小泉今日子・堀ちえみ・早見優・石川秀美・菊池桃子・
南野陽子・浅香唯・酒井法子。
歌が大好きで、何が何でも歌手になりたかった人は、
岩崎良美・河合奈保子・中森明菜・岡田有希子・荻野目洋子・本田美奈子・中山美穂・
工藤静香・Wink。

前者で引退したのは、石川秀美だけなのに対し、後者では、河合奈保子が引退、
Winkが解散、岡田有希子と本田美奈子が死亡と、やはり前者の方が長続きしています。
[31] 名前:名無しさん :2022/10/22 (土) 21:21:24 No.9027
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月刊明星の80年11月号から、松田聖子ヒストリーの3ページ目です。
親に内緒で、ミス・セブンティーン九州大会に出場して優勝した事は、知っていましたが、
母親に、「川崎麻世のコンサートを身に行きたい」と嘘をついて、
一緒に福岡まで行ったんですね。やっぱり、心臓が強い聖子ならではの事です。
その九州大会での優勝がきっかけで、副賞目当ての浅香唯タイプから、
親の反対を押し切ってでも歌手になりたい岡田有希子タイプへ、変わっていった事が分かります。

ちなみに、いろいろな歌手の曲を歌っていた素人時代の聖子ですが、初めて買ったレコードは、
由紀さおりの「生きがい」だそうです。堀越に転向して親友になったヨシリンも、
由紀さおりの「生きがい」が好きで、歌い続けているそうです。
そんな聖子とヨシリンの比較グラビアを、岩崎良美2スレの31〜33に載せています。
[32] 名前:名無しさん :2022/11/08 (火) 17:13:20 No.9098
9098.jpg (489KB)
月刊明星の80年11月号から、松田聖子ヒストリーの4ページ目です。
高校1年の時、「学年の女神」に選ばれ、品行方正な学園生活を強いられた事が、
デビュー後の聖子の「良い子ちゃん」的発言に繋がり、ブリッコの一因になったかも知れません。
父の反対で、なかなか芸能界入りを許されなかった頃の聖子を支えていたのが、
キリスト教のお祈りだった事は、初めて知りました。初恋の彼への思いも、
支えになり、後の聖子が歌を歌う時の気持ちに役立ったのでしょう。

父親の「あんな泣き虫のコが厳しい芸能界でやっていけるか、今も心配です。」
のコメント。1年目こそ、泣き虫の聖子でしたが、2年目以降、
厳しいアイドル界のトップに君臨し、徐々にしたたかさを身に着けて行きました。
[33] 名前:名無しさん :2022/11/24 (木) 19:08:51 No.9159
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2004年12月20日発行の「ザ・ベストテン」のムック本から、
3rdシングル「風は秋色」の歌唱シーンと記事です。
オリコンでは初の1位になりましたが、ザ・ベストテンでは「青い珊瑚礁」に続いての1位です。

80年代の聖子のシングルでは、14thシングル「ガラスの林檎/SWEET MEMORIES」に続く
2位の売り上げを記録していますが、「ガラスの林檎」は、「SWEET MEMORIES」の方が、
売り上げに大きく貢献しているので、A面だけで比べれば「風は秋色」の方が売れた印象です。
「風は秋色」は、CMソングなので、NHKでは歌えず、替わりに「Eighteen」を歌っていた
ので、一応両A面扱いですが、「Eighteen」の方は売り上げはあまり貢献していない印象です。
[34] 名前:名無しさん :2022/12/10 (土) 23:30:08 No.9226
9226.jpg (489KB)
月刊平凡の80年12月号の、1ページ目です。
各音楽祭で新人賞を撮った聖子の泣き顔は有名になり、最後のレコード大賞では涙が出ず、
ウソ泣きとまで言われましたが、最初にステージで涙を流したのは、
ファースト・コンサートの時でした。
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