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南野陽子

[1] 名前:名無しさん :2019/05/03 (金) 22:04:17 No.2638
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デラックスマガジンの85年4月号の、表紙です。
ナンノがブレイクするきっかけとなった雑誌で、36ページの大特集が組まれています。

CSのホームドラマチャンネルで、南野陽子主演・工藤静香共演の「熱っぽいの」が
再放送されます。見ていないので、楽しみです。
毎週月曜日(正確には火曜日) 深夜0:15〜1:15 5月6日スタート 全11回。
リピート放送 毎週月曜日 昼12:15〜1:15 5月13日スタート。 

[2] 名前:名無しさん :2019/05/03 (金) 22:27:05 No.2639
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デラックスマガジンの85年4月号の、表紙の裏です。
デラマガの巻頭大特集に選ばれるのは、ミス・マガジン・コンテストで優勝する
(伊藤麻衣子・加藤香子・斉藤由貴・八木さおり)か、
既存の人気アイドルを起用する(中森明菜・川島なおみ・岡田有希子・宇佐美ゆかり)のが、
普通でした。

[3] 名前:名無しさん :2019/05/03 (金) 22:36:50 No.2640
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デラックスマガジンの85年4月号の、3つ折りピンナップです。
他には、第一回東宝シンデレラ・コンテスト優勝の沢口靖子。
クラリオン・ガール・コンテスト準優勝の堀江しぶがいました。
ミス・マガジン・コンテスト外から選ばれ、マガジンメイトとなったのは、
森尾由美と南野陽子の二人だけでした。
[4] 名前:名無しさん :2019/05/03 (金) 22:42:14 No.2641
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デラックスマガジンの85年4月号の、2〜3ページ目です。(2を1ページ目としてカウント)
「純だね、陽子」。ナンノのキャッチフレーズが大きく載っています。
[5] 名前:名無しさん :2019/05/03 (金) 23:04:41 No.2642
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デラックスマガジンの85年4月号の、4ページ目です。
芸能界にはあまり興味のなかったナンノですが、たまたまCMタレント募集の広告を見ていて、
東京見物がしたくて応募したら、合格しました。
お嬢様学校に通っていたナンノなので、親は芸能界入りに大反対。
ナンノ自身も、迷っていました。
[6] 名前:名無しさん :2019/05/06 (月) 22:16:41 No.2656
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デラックスマガジンの85年4月号の、5ページ目です。
高校二年に進級した頃、春の衣替えのため服を整理していたナンノ。それを見た母親が、
芸能界入りに反対する親を見限って、ナンノが家出の準備をしていると勘違いします。
[7] 名前:名無しさん :2019/05/06 (月) 22:22:54 No.2657
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デラックスマガジンの85年4月号の、6ページ目です。
家出するほど思いつめていると思った両親は、芸能界入りを認め、高校の担任にも連絡します。
教室でいきなり、「南野さんが、芸能界入りのため、東京の高校へ転校する事になりなした。」
と先生に告げられ、ビックリするナンノ。同級生たちもお祝いし、引っ込みがつかなくなって、
芸能界入りを決意するナンノでした。
[8] 名前:名無しさん :2019/05/06 (月) 22:41:35 No.2658
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デラックスマガジンの85年4月号の、7ページ目です。
東京へ出てきたナンノですが、CMタレント募集の広告を出していた事務所は、
実はつくば博のコンパニオンを募集していただけであり、その事務所に置いてあった
ナンノの履歴書を見た、別の事務所(エスワン・カンパニー)が、ナンノをスカウトしたそうです。
しかしエスワン・カンパニーには、アイドルを売り出すノウハウがありませんでした。
[9] 名前:名無しさん :2019/05/06 (月) 22:51:50 No.2659
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デラックスマガジンの85年4月号から、先に9ページ目を載せます。
ここに書いてあるように、女優になるのが目標のナンノは、仕事を持ってこない
エスワン・カンパニーとは別に、劇団青年座に入り、女優活動を始めます。
しかしこれが後に、歌手活動はエスワン・カンパニー、女優活動は劇団青年座となって、
ダブルブッキングが増え、トラブルの原因になりました。
[10] 名前:名無しさん :2019/05/06 (月) 23:18:39 No.2660
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デラックスマガジンの85年4月号の、8ページ目です。
高校2年の後半に連ドラに1本出演したナンノは、高校3年に進級する時、
町田の女子高から堀越学園へ転校し、仕事が増えるのに備えます。
しかし、その後仕事が途絶えます。焦ったナンノは、何と単身テレビ局や雑誌者に行き、
自分に向いている仕事が何か、聞いて回ります。同級生の本田美奈子が、
テレビ局等に挨拶回りをする時に、同行して行った事もあるそうです。
単身での売り込みが功を奏し、見事、デラマガの巻頭大特集の仕事を射止めます。
[11] 名前:名無しさん :2019/05/09 (木) 23:44:16 No.2674
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デラックスマガジンの85年4月号の、9ページ目です。
エスワン・カンパニーが、上京したナンノを最初に連れて行った行ったのは、CBSソニーの
オーディション。いきなり「歌手になりたくありません。」というナンノに、
酒井プロデューサーが理由を尋ねると、「水泳大会や運動会に出たくないから。」との事。
水泳大会や運動会には、出る必要はないと答える酒井プロデューサーに、安心しました。
それほど嫌いな水着姿を、このグラビアでは覚悟を決めて見せています。
[12] 名前:名無しさん :2019/05/09 (木) 23:51:13 No.2675
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デラックスマガジンの85年4月号の、10ページ目です。
この文章からは、「ミナミノ」と言いにくいので、「ナンノ」と言う愛称が定着した事が、
分かります。デビューしてからも、南田洋子と間違われた事があるそうです。
週プレの新人紹介コーナーでも、「南田洋子」と書かれていました。
[13] 名前:名無しさん :2019/05/09 (木) 23:59:06 No.2676
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↑11・12の訂正:11は10ページ目、12は11ページ目でした。

デラックスマガジンの85年4月号の、12ページ目です。
撮影をした野村誠一は、「じゃじゃ馬みたいなタイプだった。
 こう撮って欲しい、ああ撮って欲しいって常に主張してたし。
 撮影中でもぶつかって、「もうやりたくない」といいながら泣き叫んで、
 「泣いてる場合じゃないだろう」って言ったら、「じゃあちゃんとやってよ野村さんだって」
 「俺にちゃんとやれっていうのかよ」とか。
 「俺が撮ればスターになるんだ」っていう若かりし頃の自分だったんだけど、
 そういう時に堂々とぶつかってくるんだからね。なんて奴だと思った。」
と、撮影当時を振り返っています。
(2006年頃のテレビ番組より)
[14] 名前:名無しさん :2019/05/10 (金) 00:08:44 No.2677
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デラックスマガジンの85年4月号の、13ページ目です。
仕事では、常に自分を主張するナンノですが、心の中は女の子でした。
芸能界に入った目的も、綺麗な衣装が着れるからという、女の子らしい理由でした。
[15] 名前:名無しさん :2019/05/10 (金) 00:23:41 No.2678
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デラックスマガジンの85年4月号の、14〜15ページ目です。
スポーツがまるでダメ、逆上がりも出来ないお嬢さんのナンノが、
この後、スケバン刑事Uで激しいクションに挑戦する事になろうとは、
この時は、想像も出来なかった事でしょう。
スケバン刑事Uで、腕立て伏せをするシーンでは、ピアノ線で吊るしてもらったそうです。
[16] 名前:名無しさん :2019/05/13 (月) 00:44:14 No.2692
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デラックスマガジンの85年4月号の、16ページ目です。
嫌いな水着姿では、本人が後に言っているように、胸はさっぱりですが、
クビレたウェストからボリュームのあるヒップにかけて、綺麗なプロポーションを見せています。
デビュー20周年の時に作ったナンノのフィギュアにも、水着を着た物がありました。
制作スタッフが気を効かせて、バストを大きめに作りましたが、
「こんなバスト、私らしくない」と言って、バッサリ切って小さいバストにしてもらったそうです。
[17] 名前:名無しさん :2019/05/13 (月) 00:54:10 No.2693
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デラックスマガジンの85年4月号の、17ページ目です。
左利きについては、先生は得意な左で書きなさいと言ったので、普段は左で書いていましたが、
父親だけは左で書くとうるさいので、父親の前でだけは、右で書いていました。
ところがある日、友達から電話があり、思わず左で受話器を取ったのを父親に見つかり、
普段は左を使っている事が、バレてしまいました。(BOMBに書いてあります。)
左利きなのに、歌う時の振り付けが右手なのは、車で移動中に振り付けを考えて練習する時、
右側しか空いていなかったからです。
[18] 名前:名無しさん :2019/05/13 (月) 00:56:36 No.2694
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デラックスマガジンの85年4月号の、18ページ目です。
喜怒哀楽がすぐ顔に出ちゃうから、女優に向いていると思います。
スケバン刑事シリーズでも、ナンノが一番表情豊かでした。
その後、女優としての経験を積む事によって、
喜怒哀楽の表情を自然に操れる大女優に成長して行きました。
[19] 名前:名無しさん :2019/05/13 (月) 01:03:48 No.2695
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デラックスマガジンの85年4月号の、19ページ目です。
人混みが苦手なナンノ。最近では、山登りに凝っているようです。
家にいるのが好きなのも、人混みが苦手だからでしょう。
キョンキョンも、家にいるのが好きと言っていますが、
人混みが苦手だからではなく、面倒くさがり屋だからです。
ナンノとは違い、知らない人の中を一人で平気で歩いていました。

[20] 名前:名無しさん :2019/05/13 (月) 01:08:11 No.2696
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デラックスマガジンの85年4月号の、20〜21ページ目です。

13で書いたテレビ場組で、野村誠一のインタビューに対する南野陽子の反応は、
「私、ポーズをとるのが上手じゃなく、同じ顔しか出来ない。
 でも、本当にあなたが上手だったら、いろんな角度から、私が自然にしているところを、
 勝手に撮っていい絵を作って。
 全部ニコパチ、どのカメラマンが撮っても同じスタイルじゃなくて。
 という事を、しょっちゅう言い合いはしてました。」
司会の名倉潤が「ああいう写真って残るものだから、言い合った方がいいと思いますよ。」
とフォローしていました。全うな意見をいいながらも、周りと対立していた若き日のナンノの
姿が伝わるエピソードです。
[21] 名前:名無しさん :2019/05/15 (水) 23:03:59 No.2710
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デラックスマガジンの85年4月号の、22ページ目です。
視力0.06だと、一瞬覗き込んじゃうんでしょう。
前出し変態の話は、他のアイドルもしていましたが、ナンノは視力が弱いので、
余計にびっくりして、強烈な印象だったと思います。
[22] 名前:名無しさん :2019/05/15 (水) 23:06:54 No.2711
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デラックスマガジンの85年4月号の、22ページ目です。
話す時手が動くのは、自分の話を熱心に聞いてもらいたい願望の表れだと思います。
そういうアイドルは意外に多く、ナンノもアイドルとしての素質十分でした。
問題は、その仕草が自然に見えるかどうかですが、ナンノは可愛くて自然に見えました。
誰とは言いませんが、しつこすぎるアイドルもいました。
[23] 名前:名無しさん :2019/05/15 (水) 23:12:48 No.2712
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↑22の訂正:22ページ目→23ページ目

デラックスマガジンの85年4月号の、24〜25ページ目です。
「私、メモ魔なんですよね。」
メモを頼りに、電話の応対をする癖がついているから、まだ売れない頃、
自分で営業活動が出来たんでしょうね。キョンキョンや明菜ともまた違う、
自己プロデュース能力に長けたアイドルでした。
[24] 名前:名無しさん :2019/05/15 (水) 23:17:03 No.2713
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デラックスマガジンの85年4月号の、24ページ目の右上のカットです。
20で南野陽子が言っているように、単なるニコパチじゃなく、
私が自然にしているところを、勝手に撮っていい絵を作っている野村誠一カメラマンです。
これは、私が好きな表情の1枚です。
[25] 名前:名無しさん :2019/05/15 (水) 23:34:19 No.2714
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デラックスマガジンの85年4月号の、24ページ目の右下のカットです。

20で野村誠一に言っていたような話は、単身テレビ局や雑誌社に行き、
自分に向いている仕事が何か、聞いて回っている時にも言っていたそうです。
曰く「あなたがプロなら、こんなもっさりした私でも、良い要素を見つけて、
私に合う仕事を見抜く力があるじゃないですか。」
それを聞いていた、あるテレビ局の人は、自分の担当する番組ではもう出演者が決まっているけど、
出演者が決まっていない番組を担当している友人がいるから、聞いてあげる。
と言ってくれたそうです。ユニークな新人に、興味をそそられた人も結構いたのでしょう。
[26] 名前:名無しさん :2019/05/18 (土) 21:46:51 No.2726
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デラックスマガジンの85年4月号の、26ページ目です。
ミニスカートも、ワンピースの水着もイヤと言っていた南野陽子が、
大胆なビキニを着て撮影に臨む時のレポートです。
「でも何の抵抗もなくカメラの前に立てた自分が不思議。」と言っています。
4や11で書いたカメラマン野村誠一とのやり取りも、あった事でしょう。
左の下から2番目に写っているのが、野村誠一だと思います。
[27] 名前:名無しさん :2019/05/18 (土) 21:49:23 No.2727
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デラックスマガジンの85年4月号の、27ページ目です。
初めてのグァムでの撮影は、感動のしっぱなしだったようです。
「行きのモーターボートでは、もう!プンプンと思っていたけど...」
ナンノらしい発言が、いいです。
[28] 名前:名無しさん :2019/05/18 (土) 21:51:38 No.2728
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デラックスマガジンの85年4月号の、28〜29ページ目です。
この頃は、まだ忙しくなる前だったので、日記を付ける時間があったようです。
グチを人に言っても収まらない時に、日記に書くとスッキリするようです。
スケバン刑事Uでブレイクした後は、日記を書く時間がなくなり、
ストレスを発散出来なくなって、グチの数が多くなったと思います。
[29] 名前:名無しさん :2019/05/18 (土) 22:02:26 No.2729
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デラックスマガジンの85年4月号の、30ページ目です。
この写真は、記念写真じゃないので、一人で撮っても決まっています。
カメラ目線じゃないところが、自然な感じでいいです。
堀越のクラスメート4人で撮った写真が、DUNKの岡田有希子の記事に載っているので、
その内、どこかに貼った時には知らせます。
クラスメートの岡田有希子と共演する事が、目標のひとつでしたが、デビューもブレイクも
遅くなったナンノが、ザ・ベストテンに初ランクインしたのは、
岡田有希子の自殺の2日後だったそうです。運命のいたずらでしょうか。
[30] 名前:名無しさん :2019/05/18 (土) 22:06:56 No.2730
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デラックスマガジンの85年4月号の、31ページ目です。
カラーページの最後も、自然な表情で締めくくっています。

堀越のクラスメートでは、同期デビューの本田美奈子も、2005年に白血病で亡くなっています。
ナンノは、岡田有希子や本田美奈子の分まで頑張って芸能活動を続けているのかも知れません。

[31] 名前:名無しさん :2019/05/21 (火) 20:33:04 No.2742
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デラックスマガジンの85年4月号の、32ページ目です。
3ページに渡って、Q&Aが載っています。
「なんで36ページなんかくれんの?ウラがあんの」と言うクラスメートの感想まで、
バラしてしまうところが、正直なナンノらしいです。
デラマガの巻頭→レコード→スケバン刑事の主役(このインタビューの後)と、
斎藤由貴の後を追うように、南野陽子も売れて行きました。
水着撮影も、斎藤由貴が撮ったグラビアを見て、やらない誓いを破ったと告白しています。
[32] 名前:名無しさん :2019/05/21 (火) 20:44:08 No.2743
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デラックスマガジンの85年4月号の、33ページ目です。
神戸のお嬢さん学校(高校)に通っていた頃は、ブランド品の洋服を着て、
ミエの張りっこをして、大変だったようです。
そんな窮屈な日々から抜け出すように、東京へ出て来ました。
ナンノも、中学の頃に太っていた時期がありましたが、
高校に入る頃は痩せていたので、夏服でも大丈夫でした。
[33] 名前:名無しさん :2019/05/21 (火) 20:57:23 No.2744
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デラックスマガジンの85年4月号の、34ページ目(最後)です。
好きなアイドルを、「ナニこれ、どこがいいのよ」と母親に言うファン心理は、良く分かります。
昔、ジュリー(沢田研二)ファンの女性にインタビューする番組で、
ファンの間で、ジュリーの悪口を言い合う事はOKでも、ファンじゃない人に悪口を言われると、
無性に腹が立つ。というファン心理をを言っていた事を思い出しました。
好きな男の子にも、「あんなコ嫌い」とか言っていたナンノ。
母親の言葉で、スナオになれたそうです。
[34] 名前:名無しさん :2019/05/21 (火) 21:16:22 No.2745
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プレイボーイの84年12月11日号の、グラビア(1ページもの)です。
私が持っている最も古いグラビアで、歌手デビュー前、
ドラマ「名門私立女子高校」に出演していた頃です。
プレイボーイでも、「南田洋子」と間違われて紹介されていたようです。
「名門私立女子高校」は、神戸にいた時に通っていたお嬢さん学校のようだったのでしょうか。
[35] 名前:名無しさん :2019/05/21 (火) 21:22:05 No.2746
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平凡パンチの85年4月1日号では、白黒グラビア扱いでした。
34では、レターのあて先が劇団青年座になっていましたが、この記事では事務所が
エスワン・カンパニーと記載され、人気アイドル目指して売り出し始めた頃です。
ここでも「顔よし、品よし、スタイルよし」と書いてあります。
「スケバン刑事U」に選ばれた時は、「何の特徴もないので、土佐弁でも喋らせるか。」
と、スタップに言われた事を、後に話していました。
[36] 名前:名無しさん :2019/05/25 (土) 23:58:52 No.2761
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南野陽子のDUNK初登場は、85年10月号での自宅訪問記です。その1ページ目です。
DUNKの記者とも初対面のナンノ。「ナンノとますみ(宮崎)は、メチャおもしろ」と、
長山洋子が言ったという堀越の修学旅行の写真は、9月号の間違いかな?
[37] 名前:名無しさん :2019/05/26 (日) 00:00:18 No.2762
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DUNKの85年10月号の、2ページ目です。
給料3万円で、家賃3万円(同居している事務所の女性と折半しているのでしょう)、
生活費は仕送りに頼っていると、当時の事をテレビで言っていました。
そんな生活だから、「タンス欲しかったけど、高いモノ買えないし」も納得です。
それでも、カラーボックスを白で統一しているあたり、ナンノのアイデアが光ります。
[38] 名前:名無しさん :2019/05/26 (日) 00:01:06 No.2763
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トークオンの85年11月号の、1ページ目です。
[39] 名前:名無しさん :2019/05/26 (日) 00:02:01 No.2764
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トークオンの85年11月号の、2〜3ページ目です。
1ページ目の作ったような笑顔と違い、澄ました表情では、美人顔のナンノの表情が引き立ちます。
[40] 名前:名無しさん :2019/05/26 (日) 00:21:25 No.2765
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トークオンの85年11月号の、4ページ目です。
ナンノのデビューのきっかけは、諸説あるらしいです。
その中のひとつが載っていますが、実際にはこんなにトントン拍子には行かなかったようです。
「あんまり誰も応募しそうなやつ」は、後に明かしたつくば博のコンパニオンでしょう。
芸能界とは縁遠いその事務所に、エスワン・カンパニーの人が来て、
ナンノの写真を気に入って持ち帰り、デビューに至ったと言う話を、後にテレビで言っていました。
[41] 名前:名無しさん :2019/05/29 (水) 22:46:24 No.2779
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トークオンの85年11月号の、5ページ目です。
澄ました表情で立っている、全身カットです。
[42] 名前:名無しさん :2019/05/29 (水) 22:47:45 No.2780
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トークオンの85年11月号の、6〜7ページ目です。
色んな人に似てるって言われてるけど、ほとんど美人か可愛い人ばかりです。
カメラマンの野村誠一と言い合いしながらも、グラビアのポーズに対して研究熱心な事が
分かります。これだけ仕事に対して前向きでも、芸能界に向いてないと思うほど、
心配性のナンノでした。「23歳の誕生日にプロポーズした人と、絶対結婚します。」は、
有名な話ですが、芸能界に対して自信がない事からの発言だったのですね。
[43] 名前:名無しさん :2019/05/29 (水) 22:49:19 No.2781
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トークオンの85年11月号の、8ページ目です。
澄ました表情のナンノは、やはりフォトジェニックな美人顔です。
プロフィール欄から、いよいよ売れはじめて来ている事が分かります。
[44] 名前:名無しさん :2019/05/29 (水) 22:50:08 No.2782
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DUNKの85年11月号から、DUNK第二図鑑の1ページ目です。
歌手デビュー前から注目を集めていた、本田美奈子・斉藤由貴・中山美穂達と違い、
南野陽子の歌手デビューは地味だったので、DUNK第二図鑑に登場しています。
[45] 名前:名無しさん :2019/05/29 (水) 22:52:35 No.2783
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DUNKの85年11月号から、DUNK第二図鑑の2ページ目です。
これまでDUNK第二図鑑に登場したアイドルは、
84年:6月号(森尾由美)、8月号(荻野目洋子)(7月号は持っていない)
    9月号(伊藤麻衣子)、10月号(山本ゆかり)、11月号(松本友里)
    12月号(長山洋子)
85年:1月号(渡辺桂子)、2月号(深野晴美)、3月号(橋本美加子)
    4月号(井森美幸)、5月号(松本典子)、6月号(キララとウララ)
    7月号(石野陽子)、8月号(森恵)、9月号(富田靖子)、10月号(奥田圭子)です。
後にブレイクしたアイドルに、ヨーコ(荻野目洋子、長山洋子、南野陽子)と言う名前が多いのは、
偶然でしょうか。石野陽子は、お姉さんのようにはブレイク出来ませんでしたが。
[46] 名前:名無しさん :2019/06/01 (土) 23:11:27 No.2796
2796.jpg (394KB)
DUNKの85年11月号から、DUNK第二図鑑の3ページ目です。
DUNK第二図鑑は、アイドルの個性に合わせた図鑑が多いです。
洋服を着るのが好きなナンノは、ジャケット&コート特集です。
ちなみに、荻野目ちゃんはパソコン特集でした。
[47] 名前:名無しさん :2019/06/01 (土) 23:12:58 No.2797
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DUNKの85年11月号から、DUNK第二図鑑の4ページ目です。
この図鑑では、ナンノのイイブンも面白いです。
ホンネをズバズバ言うナンノらしいイイブンです。
このカットの、迷惑そうな表情も好きです。
[48] 名前:名無しさん :2019/06/01 (土) 23:14:17 No.2798
2798.jpg (365KB)
DUNKの85年11月号から、DUNK第二図鑑の5ページ目です。
カレのファッションを語るはずのナンノが、
アイドルを撮るカメラ少年のシチュエーションになると、
「キレイに撮ってね。」と自分の事だけ言っているのが、可愛いです。
[49] 名前:名無しさん :2019/06/01 (土) 23:16:01 No.2799
2799.jpg (360KB)
DUNKの85年11月号から、DUNK第二図鑑の6ページ目です。
「肩なんて、鉄みたいにガチガチしてそうだわ。」
この後、自分が「スケバン刑事U」で鉄仮面を被る事になるとは、思っても見なかったでしょう。
(この図鑑の撮影が8月か9月なので、11月から始まる「スケバン刑事U」に対し、
 微妙な時期です。鉄仮面を被る設定は後から追加されたので、まだ決まっていなかったかも。)
[50] 名前:名無しさん :2019/06/01 (土) 23:17:19 No.2800
2800.jpg (360KB)
DUNKの85年11月号から、DUNK第二図鑑の7ページ目です。
お嬢さん学校に通っていたナンノは、アカデミックな雰囲気に弱いようです。
[51] 名前:名無しさん :2019/06/05 (水) 23:29:58 No.2814
2814.jpg (496KB)
DUNKの85年11月号から、DUNK第二図鑑の8ページ目です。
陽子のイイブンには、落ちがあるので面白いです。
最後のページなので、左下にあるインフォメーションコーナーも、右に貼っておきました。
[52] 名前:名無しさん :2019/06/05 (水) 23:36:40 No.2815
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ベッピンの85年1月のインタビューです。
タイトルには南野陽子と書いてありますが、インタビューでは「洋子」になっています。
自ら率先して自分をテレビ局や雑誌社に売り込んでいたのは、
名前を誤植される悔しさもあったからでしょう。
「他のオーディションに応募したら、その写真とか履歴書なんかを今の事務所の人に
見つけていただいて」は、当時のインタビューでも言っていた事が分かります。
「男の子と女の子の恋のキューピットをするのが得意なの。」は、菊池桃子も言っていました。
プロフィールには、町田の女子高校2年生と書いてあります。
上京しても、仕事が忙しくなるまでは堀越に行かず、普通の高校に通って、
大学進学を目指す、しっかりした女の子でした。
[53] 名前:名無しさん :2019/06/05 (水) 23:45:15 No.2816
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2003年11月16日発行の「アイドル映画30年史」から、カラーページです。
80年代アイドルで、カラーページに載っているのは、薬師丸ひろ子・原田知世・
斉藤由貴・南野陽子・菊池桃子の5人だけです。
斉藤由貴と南野陽子は、フォトジェニックアイドルという括りで語られています。
左下に書いてあるように、ナンノはお嬢様イメージと二代目麻宮サキとのギャップが、
大きな魅力でした。
[54] 名前:名無しさん :2019/06/05 (水) 23:49:11 No.2817
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「アイドル映画30年史」から、少女アクションのコーナーの代表に、
「スケバン刑事」の映画版のシーンが選ばれています。
欠落が多くて、次ページと上手く繋がらなかったので、別々に載せます。
[55] 名前:名無しさん :2019/06/05 (水) 23:50:21 No.2818
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「アイドル映画30年史」から、「スケバン刑事」の映画版のシーンの続きです。
映画版「スケバン刑事」撮影時には、テレビ版で「スケバン刑事V」が放映されていたので、
浅香唯が、三代目麻宮サキとして共演しています。
(映画では、お前本当に三代目か?と、相楽ハル子に言われていました。)
[56] 名前:名無しさん :2019/06/09 (日) 23:50:25 No.2832
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「アイドル映画30年史」から、「スケバン刑事」の記事の1〜2ページ目です。
80年代前半のアイドル映画は、薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」以外、
アクション系がなく保守化していた事が、この記事までに書いてあります。
ほとんどのA級アイドルが、食品会社や化粧品会社のCMに出演していて、
美少女アクション物が敬遠されたためだそうです。
そんな背景の中、斉藤由貴主演のテレビドラマ「スケバン刑事」が始まり、
ナンノに受け継がれて、その人気はピークに達し、映画化されました。
「スケバン刑事」は、東映側の不良性感度の再生と、フジテレビ側の少女の揺れ動く心の表現と言う
2大要素を重ね合わせて誕生しました。
[57] 名前:名無しさん :2019/06/09 (日) 23:54:33 No.2833
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「アイドル映画30年史」から、「スケバン刑事」の記事の3〜4ページ目です。
ナンノ版で制作された映画「スケバン刑事」は大ヒットし、
その後、ナンノ主演のお正月映画・お盆映画が作られ、東映の顔になりました。
奇しくもテレビドラマ「スケバン刑事」一作目主演の斉藤由貴が、
この時期に、東宝の顔となって(東宝芸能所属なので)、主演映画を続けて作っています。
ナンノ版以外に、浅香唯版の映画「スケバン刑事・風間三姉妹の逆襲」も見て、
両方ともDVDを持っていますが、ナンノ版は迫力が違います。
この記事に書いてあるような、火薬の大量使用による大爆発シーンは映画ならでは。
ナンノが、従来の4倍の重さと16倍の破壊力を持つ超密度合金製ヨーヨーを駆使しすぎて、
肩を痛めて血が流れ出し、それを我慢しながら戦う悲痛な表情が、特に印象的です。
後に浅香唯が、「南野さんはアクションが苦手で、そのしわ寄せが私に来た。」と
ナンノ本人の前で大胆発言をしていましたが、映画版を見る限り、
アクションシーンでも、ナンノ版の方が勝っていました。
[58] 名前:名無しさん :2019/06/09 (日) 23:59:10 No.2834
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「アイドル映画30年史」から、南野陽子の記事の1ページ目です。
現在は漫画原作の映画化が主流ですが、80年代は少なかったです。
しかしアイドル映画だけは、主流となりつつありました。
その先頭に立つかのように、ナンノ主演映画は、デビュー作「スケバン刑事」から、
3作続けて漫画原作ものです。
残念ながら、映画版「スケバン刑事」も、「はいからさん通る」も、
DVDパッケージに、転載禁止と書いてあるので、載せられません。
[59] 名前:名無しさん :2019/06/10 (月) 00:01:23 No.2835
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「アイドル映画30年史」から、南野陽子の記事の2ページ目です。
「はいからさんが通る」は、ナンノがスクリーンの中で活き活きと輝いていて、
アイドル映画の王道でした。
3作目の候補に上がっていた「魔法使いサリー」は、金子修介監督が撮りたかったそうですが、
ボツになったので、ミポリン主演の「どっちにするの」が、
金子修介監督の一般映画デビュー作になりました。
(この本の、金子修介監督インタビューに書いてあります。)
[60] 名前:名無しさん :2019/06/10 (月) 00:05:44 No.2836
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85年に戻って、DUNKの85年12月号の、1〜2ページ目です。
DUNKは前月の9日発売なので、11月7日の「スケバン刑事U・少女鉄仮面伝説」の
放送開始直後の発売です。
まだナンノの人気が爆発する前なのでしょう。主役のナンノが、
おニャン子くらぶに所属していた吉沢秋絵と同列の扱いです。
吉沢秋絵のウィキには、「当初は2代目麻宮サキ役の予定だったが諸事情で南野陽子に変更。」
と書いてありました。ドラマの最初の主題歌を、吉沢秋絵が歌っていた事から、
番組開始当時は、吉沢秋絵の方にネームバリューがあった事が分かります。
[61] 名前:名無しさん :2019/06/14 (金) 01:01:07 No.2852
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DUNKの85年12月号の、3ページ目です。
武器やカバンの中の比較を見れば、おニャン子くらぶとしてブレイクし、
このドラマ主題歌でソロデビューもし、将来を約束されている吉沢秋絵と、
このドラマに賭けている真剣なナンノの、ドラマに対するの取り組み方の違いが、良く分かります。
でもお嬢様育ちのナンノが、幼少の頃から鉄仮面を被らされている暗い過去のある設定、
丸顔の幼い吉沢秋絵が、お嬢様役と、意表を突いているキャスティングが、
成功の一因かも知れません。このドラマ主役で、やっと有名になれると喜んだナンノですが、
鉄仮面を被らされている設定と聞いて、顔が出ないのではないかと心配したそうです。
[62] 名前:名無しさん :2019/06/14 (金) 01:14:47 No.2853
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DUNKの85年12月号の、4ページ目です。
基礎データ比較で、ナンノの方が体重が2kg多いとは意外な結果です。
丸顔の吉沢秋絵ですが、体は意外に細いのでしょうか。
好きな歌手や目標とする歌手、右下の読書の欄を見ても、
1歳年上のナンノの方が、大人っぽかったり、渋い好みだったりします。
ただ、結婚希望年齢「ぜったい23才」には、ナンノのこだわりが感じられます。
睡眠時間の差は、主役で忙しいナンノの方が短くなるのは、当然です。
右上の秘技、ナンノの指の関節はどうなっているのでしょう。まさに必殺技です。
[63] 名前:名無しさん :2019/06/14 (金) 01:17:24 No.2854
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DUNKの85年12月号の、6ページ目です。
(5ページ目は、吉沢秋絵の単独カットなので省略します。)
極端な運動神経欠乏症(本人曰く)のナンノに、バレーボールを持っていったDUNK記者。
バレーボールには、友だちを失う嫌な思い出がありました。
「何の特徴もないので、土佐弁でも喋らせるか。」とドラマスタッフに言われたナンノですが、
だんだん、普通の言葉に「〜ぜよ。」を付けるだけになったと、当時を振り返っていました。
[64] 名前:名無しさん :2019/06/14 (金) 01:22:04 No.2855
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DUNKの85年12月号から、「こちら花マル印お助けクィーン」のコーナーにも、
「おもしろ人間ウォンテッド!!」出演中のナンノが載っています。
デビュー当時に、トークの上手いアイドルは司会のアシスタントを任され、
トークの苦手なアイドルはマスコットガールになるのが、この当時の常套手段でした。
もちろん、ナンノは前者です。
[65] 名前:名無しさん :2019/06/14 (金) 01:30:33 No.2856
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DUNKの86年1月号から、「ツッパリ少女ぐあんばり10」のコーナーです。
「スケバン刑事」は、スケバンじゃないのに、
3位斉藤由貴、4位南野陽子と、ランクインしています。
この当時は、「人気バツグンのトップアイドル斉藤由貴と比較されて、
やや損をしているみたい。」と書いてありますが、
1年後にはその斉藤由貴を追い抜くトップアイドルになりました。
[66] 名前:名無しさん :2019/06/18 (火) 00:05:16 No.2871
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DUNKの86年1月号の、1ページ目です。
この時点で睡眠時間5時間と言っていますが、この後歌が連続大ヒットして、
歌番組出演も増えて忙しさが増し、移動用の車の中が寝床になってしまいました。
給料3万円・家賃3万円で、親の仕送りに頼って生活していたデビュー当時、
鮭のおにぎりより安い、おかかのおにぎりを食べていたというナンノ。
「スケバン刑事U」で売れ始めて、その反動で食欲もりもりが、ストレス発散になったのでしょう。
[67] 名前:名無しさん :2019/06/18 (火) 00:08:49 No.2872
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DUNKの86年1月号の、2ページ目です。
近眼のアイドルは、テレビ出演やコンサートの時、上がらないように
コンタクトをしていない人が多いです。
ナンノの場合は、「スケバン刑事U」や、その後の大映テレビ「アリエスの乙女たち」のように
現実離れしたセリフ回しの役が続いたので、テレくささを隠す時にも役立ちました。
[68] 名前:名無しさん :2019/06/18 (火) 00:15:35 No.2873
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BOMBの86年2月号には、表紙・裏表紙含めて、41ページの巻頭大特集が載っています。
これは、その表紙です。
[69] 名前:名無しさん :2019/06/18 (火) 00:34:45 No.2874
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BOMBの86年2月号から、裏表紙です。
巻頭大特集の項目が、下側に書いてあります。
[70] 名前:名無しさん :2019/06/18 (火) 00:37:32 No.2875
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BOMBの86年2月号から、表紙の裏の広告です。
ナンノの2ndシングル「さよならのめまい」は、「スケバン刑事U」の挿入歌として流れ、
最高位15位まで行きました。デビュー曲「恥ずかしすぎて」が57位止まりだった事から、
「スケバン刑事U」の効果は、絶大です。
それでも主役のナンノが挿入歌で、主題歌が吉沢秋絵「なぜ?の嵐」(最高位8位)だった事から、
当時のおニャン子クラブの勢いが感じられます。
[71] 名前:名無しさん :2019/06/22 (土) 19:18:27 No.2889
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BOMBの86年2月号の、1ページ目です。
ひらがなで「なんの」と大きく書いてあります。
「みなみの」は呼びにくい苗字なので、小学生の頃から「なんの」と呼ばれていました。
[72] 名前:名無しさん :2019/06/22 (土) 19:19:30 No.2890
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BOMBの86年2月号の、2ページ目です。
中学1年から高校2年の1学期まで、
お嬢さん学校として有名なミッション・スクールに通っていました。
そんなナンノらしい、両手を顔に当てて座っているお嬢さんポーズが、決まっています。
[73] 名前:名無しさん :2019/06/22 (土) 19:20:25 No.2891
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BOMBの86年2月号の、3ページ目です。
[74] 名前:名無しさん :2019/06/22 (土) 19:21:14 No.2892
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BOMBの86年2月号の、4〜5ページ目です。
[75] 名前:名無しさん :2019/06/22 (土) 19:23:02 No.2893
2893.jpg (497KB)
BOMBの86年2月号の、6〜7ページ目です。
[76] 名前:名無しさん :2019/06/27 (木) 00:04:25 No.2907
2907.jpg (473KB)
BOMBの86年2月号の、8ページ目です。
[77] 名前:名無しさん :2019/06/27 (木) 00:05:09 No.2908
2908.jpg (491KB)
BOMBの86年2月号の、9〜10ページ目です。
[78] 名前:名無しさん :2019/06/27 (木) 00:06:48 No.2909
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BOMBの86年2月号の、11ページ目です。
右下の写真から、お母さんも綺麗なので、ナンノの美貌はお母さんからの遺伝なのでしょう。
ナンノが1歳半の時に肩を脱臼したため、お母さんが心配して運動させなかったのが、
ナンノの運動オンチの原因になりました。(お母さん、反省しているようです。)
[79] 名前:名無しさん :2019/06/27 (木) 00:07:52 No.2910
2910.jpg (498KB)
BOMBの86年2月号の、12ページ目です。
幼少の頃から、理屈っぽい性格だったナンノ。言葉使いも下品で、夫婦喧嘩の原因になりました。
前ページに書いてある「お嬢さん鉄仮面」の下は、お嬢さんとは言えない性格だったようです。
[80] 名前:名無しさん :2019/06/27 (木) 00:12:05 No.2911
2911.jpg (488KB)
DUNKの86年2月号の、1ページ目です。
「スケバン刑事U」のロケの様子が、3ページ載っています。
決めゼリフ「おまんら許さんぜよ。」は、最初「おんしら許さんぜよ。」だったんですね。
テレビ版も見てましたが、気がつきませんでした。
[81] 名前:名無しさん :2019/06/30 (日) 23:15:35 No.2926
2926.jpg (489KB)
DUNKの86年2月号の、2ページ目です。
お嬢さん育ちのナンノは、走り方もお嬢さんっぽいので、
サキらしく走るための特訓もしていました。
ウィキを見ると、腕立て伏せが出来なくて、ワイヤーで体を持ち上げていたそうです。
近視の人は、太陽光線が眩しくて、目を開けられません。
それでも涙をポロポロ流しながら、必死ににらみの表情を作るナンノに、女優魂を感じます。
[82] 名前:名無しさん :2019/06/30 (日) 23:29:04 No.2927
2927.jpg (494KB)
DUNKの86年2月号の、3ページ目です。
「夕焼けニャンニャン」で、番組紹介をする取材が載っていますが、
「スケバン刑事U」の後半では、おニャン子クラブ自身が、本人役で出演する回がありました。
ヨーヨーの練習もするナンノ。人気ドラマの主役は本当に大変です。
3人の必殺技を決めるカットでは、ナンノが演技力でサキの表情を作っています。
吉沢秋絵は、素のお嬢さんっぽい感じをそのまま出しています。
相楽ハル子が、素の表情で一番決まっている感じがします。
[83] 名前:名無しさん :2019/06/30 (日) 23:34:44 No.2928
2928.jpg (497KB)
BOMBの86年2月号の、13ページ目です。
運動会のカケッコはいつもビリで、運動神経のトロさを露呈していました。
でも「学級会とかホームルームとか大好きで、いつも先頭に立ってワーワー言ってたの。」
理屈っぽい性格が、全面に出ていたのでしょう。
[84] 名前:名無しさん :2019/06/30 (日) 23:36:04 No.2929
2929.jpg (491KB)
BOMBの86年2月号の、14ページ目です。
ナンノの左ききに関する面白いエピソードが載っています。
最初は、父親が言うように右ききの練習をしていましたが、小学校の先生に指摘されて、
左ききに戻しました。けれども父親が見ている時は、右ききのふりをしていて、
ある時、友達と電話している時、左でメモを書いているのを、父親に見つかり、
すごく怒られたそうです。
[85] 名前:名無しさん :2019/06/30 (日) 23:37:23 No.2930
2930.jpg (472KB)
BOMBの86年2月号の、15ページ目です。
何とかお嬢さんっぽなって欲しいという父親の強い願望で、
ミッション・スクールへ通う事になったナンノ。
中2の時は、かなり肥満していたと言うナンノは、モダン・ダンス部でレオタードを着るのが恐怖で、
退部したそうです。右下とその上の写真では、顔がややふっくらしています。
[86] 名前:名無しさん :2019/07/04 (木) 22:03:40 No.2944
2944.jpg (476KB)
BOMBの86年2月号の、16ページ目です。
中3の時の下の写真は、素人ファッションショーに出た時。
デビュー当時と変わらない顔になっています。
ダイエット成功して、良かったです。
[87] 名前:名無しさん :2019/07/04 (木) 22:06:04 No.2945
2945.jpg (437KB)
DUNKの86年3月号の、1〜2ページ目です。
エレベーターが無く、5階までの階段をエッコラさと登る部屋に引越し、
ひとり暮らしを始めたナンノの生活を、次のページからレポートしています。
階段上りも、虚弱体質のナンノの基礎体力作りに役立っている事でしょう。
[88] 名前:名無しさん :2019/07/04 (木) 22:11:33 No.2946
2946.jpg (462KB)
DUNKの86年3月号の、3ページ目です。
「洗濯機がまわってるの観察するのが趣味なんですよね。」
(BOMBの86年2月号のインタビュー、後で載せます。)と言っているナンノなので、
当然中が見える二槽式洗濯機しか知らなかったのでしょう。
全自動洗濯機の水が出ないと大騒ぎしたナンノです。
忙しいアイドルに、説明書読めと言っても、そんな時間は作ってもらえません。
[89] 名前:名無しさん :2019/07/04 (木) 22:13:28 No.2947
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DUNKの86年3月号の、4ページ目です。
京都ロケから疲れて帰り、ようやく自宅で眠れると思ったら、いきなりお母さんから、
「今日から新しいマンション」と言われたナンノ。お母さんが全部引っ越しを完了させたので、
ビックリして空いた口が塞がらなかった事でしょう。これがスタッフだけで行っていれば、
例によって、思いっきり文句も言えたでしょうが、普段お世話になっているお母さんなら、
無理にでも納得するしかないナンノでした。
[90] 名前:名無しさん :2019/07/04 (木) 22:15:44 No.2948
2948.jpg (491KB)
BOMBの86年2月号の、17ページ目です。
デビューのきっかけとなったCMタレント募集の広告を見て、応募した写真が載っています。
デビューまでの経緯は次のページに載っていますが、後に本人がテレビで「諸説ある」と言っていて、
その中には、実はつくば博のコンパニオン募集だったオーディションもあると話していました。
[91] 名前:名無しさん :2019/07/08 (月) 21:31:53 No.2964
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BOMBの86年2月号の、18ページ目です。
CMタレント募集の事務所に行った他の事務所(エス・ワン)の人が、応募写真を見て、
スカウトされるというのは、珍しいケースだと思います。
CBSソニーのオーディションで、水泳大会や運動会に出たくないから、歌手にはなりたくないと
言うのは、当時の新人は、ほとんど水泳大会や運動会に出ていたからです。
歌手業をエス・ワンで決め、女優業を劇団青年座が決めていたので、
ダブル・ブッキングが多発し、行けない方の現場からナンノが責められ、
マネージャーに良く文句を言っていたので、ナンノはワガママだという間違った噂が立ちました。
親が芸能界入りに大反対している頃、春の衣替えのため服を整理しているのを親が見て、
家出すると勘違いして、芸能界入りに賛成したそうです。ナンノとしては、東京見物するような
気楽な気持ちでしたが、クラスでも先生や友達から「さよなら」の挨拶をされ、
引くに引けない状況になったと、テレビで話していました。
[92] 名前:名無しさん :2019/07/08 (月) 21:33:46 No.2965
2965.jpg (495KB)
ムック本「ザ・ベストテン2004」から、インタビューの1ページ目です。
[93] 名前:名無しさん :2019/07/08 (月) 21:36:13 No.2966
2966.jpg (486KB)
ムック本「ザ・ベストテン2004」から、インタビューの2ページ目です。
ザ・ベストテンを始める時、司会の黒柳徹子と久米宏の間で、「ランクインした歌手が
どんなに若くても「さん」付けで呼びましょう。」という了解事項がありました。
そのため、久米宏降板後も番組の精神は生きていて、理屈っぽいけど正論であるナンノの話を、
キチンと聞く紳士的なスタッフだったのでしょう。
「23歳でプロポーズされた人と結婚する」話は、ザ・ベストテンで最初に話し、
その後、子供の話等へ広がって行きました。
ここには書いていないけれども、「秋からもそばにいて」を歌っている時、
途中で歌詞を忘れ、歌えなくなったのも、ザ・ベストテンです。
黒柳徹子が、歌詞が書いてある台本を渡そうとし、テレビに映るので必死に抑える番組スタッフ。
最後には、黒柳徹子が台本をナンノのそばまで放って渡したそうです。
[94] 名前:名無しさん :2019/07/08 (月) 21:37:57 No.2967
2967.jpg (493KB)
BOMBの86年2月号に戻って、19ページ目です。
「もうぶっとすぎて話題にもしたくない。落ち込むからミニスカートなんて大きらいでーす」と
自ら言っている脚なので、テレビで歌う時は、ロングスカートばかりだった印象があります。
[95] 名前:名無しさん :2019/07/08 (月) 21:41:16 No.2968
2968.jpg (495KB)
BOMBの86年2月号の、20ページ目です。
「洗濯機がまわってるの観察するのが趣味なんですよね。」
どうりで、全自動洗濯機の使い方が解らない訳です。(88に書いてあります)
「もっと時間が欲しいよー。」と言っていますが、この後更に忙しくなり、
東映スタジオの一室や、大きな車の中で寝泊りする事になります。
[96] 名前:名無しさん :2019/07/12 (金) 21:23:36 No.2983
2983.jpg (365KB)
DUNKの86年4月号から、TVの中の女子高生制服カタログのコーナーです。
表紙は、「藤子不二雄の夢カメラ」のキョンキョン・荻野目ちゃん・ミホの3ショットでした。
翌年には、ナンノを初めとする3人で、PART2が作られました。
他にもナンノはセーラー服を着たドラマに多く出演していて、
アイドル時代はセーラー服女優のイメージがありました。

[97] 名前:名無しさん :2019/07/12 (金) 21:35:38 No.2984
2984.jpg (437KB)
DUNKの86年5月号から、LP紹介コーナーです。
シングルを3枚もリリースしてから、ファーストアルバムが発売されたのは、
やはり「スケバン刑事U」でのアイドル女優人気が先行し、
アイドル歌手としては、後からついて来る形になったためでしょう。
アイドル四天王で比較して見ると、デビューシングル発売前から、ドラマで人気があった中山美穂は、
シングル1枚目で、2ヶ月後にファーストアルバム発売。
おニャン子クラブ出身の工藤静香は、シングル2枚目で、1ヶ月半後にファーストアルバム発売と、
こちらは、アイドルとして標準的なパターンです。
「スケバン刑事」の後輩にあたる浅香唯は、シングル3枚目で、ファーストアルバム発売と、
ナンノと同じパターンでした。(但し、唯ちゃんはファーストアルバム発売時には、
まだ「スケバン刑事V」に抜擢される前で、人気も知名度も低かったです。)
[98] 名前:名無しさん :2019/07/12 (金) 21:45:21 No.2985
2985.jpg (477KB)
DUNKの86年4月号から、ナンノと杉浦美幸との比較コーナーです。
比較といっても、この表紙以外は左右別々のページなので、ナンノのページだけ載せます。
[99] 名前:名無しさん :2019/07/12 (金) 21:46:34 No.2986
2986.jpg (492KB)
DUNKの86年4月号から、ナンノと杉浦美幸との比較コーナーの、2ページ目です。
シッカリした生活態度だけではなく、写真やカバン・化粧道具も、シッカリ整理しています。
[100] 名前:名無しさん :2019/07/12 (金) 21:53:03 No.2987
2987.jpg (485KB)
DUNKの86年4月号から、ナンノと杉浦美幸との比較コーナーの、6ページ目です。
(3・5ページ目は、杉浦美幸。4ページ目は、次スレに載せます。)
「スケバン刑事U」の大ヒットは、ナンノのキャラをアピールするには回り道になりましたが、
ハードな撮影で鍛えられ、その上「運動能力の改善」にナンノが目覚める効果もあったようです。
虚弱体質じゃあ、忙しい人気アイドルのスケジュールはこなせません。

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