レス数が90を超えました。100を超えると書き込めなくなります。

浅香唯

[1] 名前:名無しさん :2019/04/13 (土) 23:24:11 No.2521
2521.jpg (282KB)
2000年4月25日発売の、20世紀アイドルスター大全集〜80年代編の、右上です。
プロフィール付きです。

唯ちゃんの所属レコード会社は、ハミングバード。83年に設立された新しい会社です。
デビュー前にハミングバードに挨拶に行った唯は、壁に貼ってあるポスターが、中村あゆみ
(当時はまだ無名)ばかりで、私の事をちゃんと宣伝してくれるか、心配になったそうです。
でもデビュー時(85年6月21日)には、中村あゆみの「翼の折れたエンジェル」が大ヒットし、
潤ったハミングバードは、唯が売れなかった頃でも、自由にやらせてくれたそうです。
少人数で、家族的繋がりが深かった会社で、良かったと言っていました。
(以上、CSの浅香唯の「しゃべくりDJ」より)
[2] 名前:名無しさん :2019/04/19 (金) 19:35:52 No.2552
2552.jpg (231KB)
20世紀アイドルスター大全集〜80年代編の、左上です。
これは「スケバン刑事V」に主演する前の、下積み時代かな?
デビュー曲「夏少女」のジャケットは、太陽光線が眩しくて目が細くなり、変な顔で写っているので、
違う写真にして欲しいとスタッフに言いましたが、受け入れられませんでした。
去年、大槻ケンジと一緒にやったCSの「しゃべくりDJ」では、大槻ケンジが、
「この頃は、目を細めて色っぽさを出しているグラビアを良く見かけた。」と言っていました。
その意図とは、全然違う写り方なのですが。
このカットでは、唯ちゃんらしい可愛らしさが出ていて、安心します。
[3] 名前:名無しさん :2019/04/19 (金) 19:39:07 No.2553
2553.jpg (145KB)
20世紀アイドルスター大全集〜80年代編の、右の下から2番目です。
宮崎で中学の卒業式を済ませると、その日の午後には上京して住み着いたという
1DKのアパートでしょう。ぬいぐるみに囲まれ、満面の笑みを浮かべている唯ちゃんです。
副賞である赤いオーディオ目当てで、浅香唯のスカウト・オーディションに応募し優勝した唯ちゃん。
その赤いオーディオが、横にしっかり置いてあります。今でも大切に残しているそうです。
CSの「しゃべくりDJ」でも、この赤いオーディオを持って来て、セットの中に置いていました。
[4] 名前:名無しさん :2019/04/19 (金) 19:44:40 No.2554
2554.jpg (167KB)
20世紀アイドルスター大全集〜80年代編の、右下です。

「スケバン刑事V」でブレイクする前と言っていたので、この1DKのアパートに住んでいた頃
でしょう。ある日、唯の部屋の隣に住んでいる女に会おうとした男が、唯の部屋を開けようと
しますが、当然鍵が合わないので開かず、女の名前を言い、「鍵変えやがって」と叫びます。
隣に住んでいる女と痴話喧嘩している男と思った唯は、部屋を間違えている事を伝えようと、
ドアを開けますが、男は刃物を握り締めていました。
身の危険を感じた唯は、とっさにドアを閉めます。逆上した男は、ドアを破ろうと体当たりします。
ボロ・アパートなので、ドアが壊れるのは時間の問題だと察した唯は、窓から飛び降りて、
近くの事務所の部長の家に逃げたそうです。
まるで「スケバン刑事V」主演を予感させるような、危険なエピソードでした。
(2002年頃の「笑っていいとも」出演時に、話していました。)
[5] 名前:名無しさん :2019/04/19 (金) 19:48:56 No.2555
2555.jpg (162KB)
20世紀アイドルスター大全集〜80年代編の、左の下から2番目です。
料理が苦手で、2002年に結婚するまで、ほとんど料理をしていなかった唯ちゃん。
お湯ぐらいは沸かせるのでしょう。狭いキッチンですが、使わないので気にしなかったと思います。

同じ「笑っていいとも」出演時に話していた、下積み時代のエピソード。
あるアミューズメントパークで午前の部のサイン会を終えた後、有名な温泉が近くにあるので、
スタッフと一緒に行った唯。ところが入浴中に、アミューズメントパークにいた人達も、
唯の後から次々と温泉に来て、まだサインしていない人達からサインを求められ、
マネージャーにも勧められて、素っ裸でサイン会を始める事になったそうです。
いくら女の人だけとはいえ、恥ずかしかった唯は、上と下の両方は隠せず、
気がついたら顔を隠していたとの事。売れないアイドルの大変さを、しみじみ感じていた事でしょう。
[6] 名前:名無しさん :2019/04/19 (金) 19:55:29 No.2556
2556.jpg (137KB)
20世紀アイドルスター大全集〜80年代編の、左下です。
映画「YAWARA!」が、大好きでした。
田村亮子のニックネームになる前の映画であり、アニメ化すらされる前です。
小柄な猪熊柔(浅香唯)が、柔道で大男をいとも簡単に投げ飛ばし、平気な顔をしている姿が、
奔放で高飛車な発言をする唯ちゃんのキャラクターにピッタリでした。
柔道は強くても大嫌いで、普通の女の子らしい生活に憧れる姿が、
人気アイドルとしての忙しすぎる生活に不満を抱き、普通の女の子らしい生活を求めていた
浅香唯の実像とも重なります。
[7] 名前:名無しさん :2019/04/29 (月) 00:15:22 No.2607
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平凡パンチの85年4月1日号から、デビュー前の写真とプロフィールです。
宮崎から上京してきたばかりの、素朴な表情が初々しいです。

コミックのヒロイン浅香唯のスカウト・オーディションの、副賞である赤いオーディオ目当てで
応募した川崎亜紀(浅香唯の本名)。宮崎の予選までは、親に内緒で応募しましたが、
九州予選、東京での本選まで勝ち進まないとオーディオをもらえないと知った亜紀は、
親に相談します。大反対する親に「親子の縁を切る」とまでタンカを切って上京し、見事優勝。
念願のラジカセを手にします。しかし、親にタンカを切った以上、
宮崎へは帰れないと察し、最初は入る気が無かった芸能界に入り、アイドルを目指す事になります。
(以上、BSの「堺でございます」に出演した時に、浅香唯が自ら語った芸能界入りのきっかけ。)
[8] 名前:名無しさん :2019/04/29 (月) 00:20:09 No.2608
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86年2月20日発行の週刊プレイボーイの年鑑から、見開き2ページです。
多分85年11月12日号からでしょう。まだ、唯坊という感じの表情です。

最初は入る気が無かった芸能界ですが、浅香唯のスカウト・オーディションに優勝して、
数社からスカウトがあり、子供の頃ピンクレディーの真似ばかりしていた時代を思い出し、
芸能界に入ります。デビュー曲では、衣裳も振り付けも、ピンクレディーと同じ方に頼んだそうです。
でも衣裳は聖子ちゃん風のフリフリの衣裳でがっかり。「UFO」のようなピカピカの衣裳が
着たかったそうです。振り付けの土居甫も、ピンクレディーのような激しい踊りではなく、
デビュー時の聖子ちゃんのような簡単な振り付けだったそうです。
85年は、松田聖子が引退(と思われていた)するため、新人を売り出すスタッフは、
ポスト聖子を目指していたそうです。デビュー曲「夏少女」と2曲目「ふたりのMoon River 」の
作詞は、聖子の初期のヒット曲の作詞と同じ三浦徳子が書いています。
(以上、CSの浅香唯の「しゃべくりDJ」より)
[9] 名前:名無しさん :2019/04/29 (月) 00:31:03 No.2609
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ベッピンの85年8月号から、インタビューです。
7で載せた、デビュー前の素朴な初々しい表情と比べると、アイドルらしい可愛らしさが
出てきました。それでもこの頃は全く無名でした。
スーパーの前で、おばさん一人を相手に歌っていたそうです。
そのおばさんが帰らないように、凝視しながら。息子がファンだと言うおばさんにサインを書くと、
「ところであなた、何て名前?」と聞かれたそうです。
宮崎弁が直らず、数々の番組オーデションに落ちまくっていました。
標準語を学ぶ学校で練習していたそうですが、最初はアナウンサー養成学校で練習するも
一向に直らず、最後は外国人相手の日本語学校で学んでいたそうです。
そんな下積みを1年半も経験した後なので、「スケバン刑事V」で宮崎弁を活かせる主役に
抜擢された時は、どんな辛い撮影でも、死にもの狂いで頑張ろうと決意しました。
(以上、BSの対談番組「極上空間」で、話していました。)
[10] 名前:名無しさん :2019/04/29 (月) 00:34:40 No.2610
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2004年12月20日発行の「ザ・ベストテン2004」のムック本に、
「ザ・ベストテン」に出演した当時の事を語ったインタビューが載っています。
インタビュー自体は2ページ目になります。

宮崎で中学の卒業式を済ませ、その日の午後には上京して1DKのアパートに住み着くと、
なんと翌日から仕事が入っていたそうです。
それは、85年つくば万博の1ブースにあった、万博紹介番組の生放送でのアシスタント。
オーディションもなく、顔が可愛いので即決定だったのでしょう。
宮崎弁しかしゃべれない唯ちゃんは、汗ダラダラでアシスタントの仕事をしていたと思います。
そのつくば博のテーマ曲が、西城秀樹の「一万光年の愛」。
今でも、この曲を聞くと、アシスタント時代を思い出すそうです。
(以上、CSの浅香唯の「しゃべくりDJ」より)
[11] 名前:名無しさん :2019/04/29 (月) 00:41:28 No.2611
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ムック本「ザ・ベストテン2004」の、2ページ目です。
80年代後半のアイドル界を、そしてザ・ベストテンの終盤を盛り上げたのは、
アイドル四天王で、ブレイク順に言うと、中山美穂・南野陽子・浅香唯・工藤静香です。
浅香唯は、スタッフの優しさについて語っていますが、
スケバン刑事の先輩の南野陽子は、スタッフが紳士的だと語っています。
「小泉今日子さんと背比べをした」と言っていますが、キョンキョンが自分より浅香唯の方が
背が低そうに見えたので、背比べをしたのでしょう。よほど嬉しかったらしく、
CSの浅香唯の「しゃべくりDJ」でも、その事を語っていました。
唯ちゃんがザ・ベストテンに初登場した時に、キョンキョンと一緒に
ミラーゲートから出てくるので、背比べになったそうです。ミラーゲートが両面鏡になっている事も、
その時知ったそうで、出演前の最終チェックをするための、両面鏡でした。
ちなみにキョンキョンは身長153cm、唯ちゃんは身長151cmです。
(当時のプロフィール上は、キョンキョンが身長155cm、唯ちゃんが身長153cmと、
2cm水増し)
[12] 名前:名無しさん :2019/05/08 (水) 22:38:35 No.2668
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DUNKの85年11月号から、マイルーム・コレクションのコーナーです。
アパート派として載っている唯ちゃんの部屋を、紹介しています。
宮崎で中学の卒業式を済ませると、その日の午後には上京して住み着いたと書いてあります。
「親子の縁を切る」とまでタンカを切って上京したので、
友だちと別れを惜しむ暇もなかったのでしょう。
「食事を作る事は、ほとんどない。」こりゃ、料理の腕前は、しばらく上達しそうにないネ。
と書いてあります。2002年に、14年間付き合っていたドラマーの西川貴博と
結婚する時も、「食事を作る事は、ほとんどない。」と言っていました。
しばらくが17年にもなるとは。
(その頃テレフォンショッキングに出演した際、結婚する経緯を話してる内に、口に出た格好。)
大切な赤いステレオが、ベッドの横にしっかり置いてあります。今でも大切に残しているそうです。
画面が映らないテレビでも、宝物と言えるほどの、売れない時代を過ごしていました。
痴漢撃退用のゴルフクラブも、刃物を握り締め、怒り狂った相手と戦うのは、
さすがに無理だったのでしょう。
[13] 名前:名無しさん :2019/05/08 (水) 22:42:13 No.2669
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ムック本「ザ・ベストテン2004」から、13thシングル「TRUE LOVE」の歌唱シーンです。
オリコンで、最後に1位を取った曲です。
10thシングル「C-Girl」、11thシングル「セシル」の1位は当然としても、
12thシングル「Melody」が2位止まりで、次の「TRUE LOVE」が1位を取ったのは、
当時は納得出来ませんでした。でも、「C-Girl」からの3曲が浅香唯の本来の魅力、
「TRUE LOVE」は、「スケバン刑事V」の風間唯の一連のヒット曲を汲む流れだと思えば、
納得できます。
ちなみに唯のオリコン1位は、上記3曲に加え、8thシングル「虹のDreamer」の4曲です。
(風間三姉妹の「Remember」も、オリコン1位になっています。)
[14] 名前:名無しさん :2019/05/08 (水) 22:47:17 No.2670
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投稿写真の85年12月号から、素人が撮った写真です。
「今どき東京でのイベントで、こんな衣装を着て出てきてくれるアイドルはいません。」
キョンキョンの奇抜なファッション、桃子のカジュアルファションが流行し、
ピンクのいかにも「アイドル」という感じのワンピースは、時代遅れの感があります。
85年は、松田聖子引退のため、ポスト聖子を目指すアイドルが多かったですが、
このような衣裳のアイドルは、ミッチョン・松本典子・佐野量子・志村香・
橋本美加子・石野陽子と、大ブレイク出来ませんでした。
どんなに目がクリクリして可愛くても、時代に合わないファッションでは売れないという事を、
80年代アイドル戦国時代を生き抜いた浅香唯が、教えてくれます。
直接のブレイク要因は「スケバン刑事V」の主演ですが、本当に大ブレイクしたのは、
その1年半後の10thシングル「C-Girl」からです。カッコいいファッションを身に付けて、
歌い踊る姿は、正に水を得た魚のようで、浅香唯のキャラクターにピッタリでした。
[15] 名前:名無しさん :2019/05/08 (水) 22:58:28 No.2671
2671.jpg (169KB)
ムック本「ザ・ベストテン2004」から、14thシングル「NEVERLAND」の歌唱シーンです。
映画「YAWARA!」の主題歌になっているこの曲は、ブレイク後の唯には珍しいスローバラードです。
映画の制作元が、唯が所属するレコード会社ハミングバードの親会社マイカルグループなので、
親会社からの指令で、映画主題歌らしくスローバラードにしたのかも知れません。
しかし、映画「YAWARA!」はコミックを原作としたコメディ要素の強い映画なので、
南野陽子主演の同名映画主題歌「はいからさんが通る」のように、アップテンポの明るい曲に
した方が、「C-Girl」で大ブレイクした後の唯ちゃんには、合っていたと思います。
レコードセールスも、この曲を境に徐々に下降線を辿って行きました。
[16] 名前:名無しさん :2019/05/08 (水) 23:31:24 No.2673
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DUNKの86年1月号から、プレゼントコーナーです。
「なぜか茶しぶがついてたりする」。料理が苦手な浅香唯は、食器洗いも苦手なのでしょう。
ミルクカップでお茶を飲んでいたのは、12で載せた狭い部屋なので、食器の置き場所が
なかったのかも。「割ったりしたら許しませんからネ」。この頃から、高飛車な発言でした。
[17] 名前:名無しさん :2019/05/17 (金) 23:25:24 No.2720
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ムック本「ザ・ベストテン2004」から、
15thシングル「恋のロックンロール・サーカス」の歌唱シーンです。
番組終了の2ヶ月前にランクインした曲が、唯ちゃんの最後のザ・ベストテン出演になりました。
唯ちゃんらしい、元気一杯になる曲であると同時に、
その後ロック色を強めていく浅香唯を予感させる曲でもあります。
[18] 名前:名無しさん :2019/05/17 (金) 23:32:00 No.2721
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DUNKの87年1月号から、プレゼントコーナーです。
「スケバン刑事V」に主演して、売れ始めていた頃なので、1年前の16と比べると、
笑顔にも余裕が出てきている感じがします。

唯ちゃんのブレイク前の曲では、4thシングル「コンプレックスBANZAI!! 」が大好きでした。
大ブレイクした10thシングル「C-Girl」を歌っている頃のコンサート等でも歌っていました。
88年当時、私が勤めていた会社の寮祭で、「浅香唯コンサート」が開催されて、見に行きました。
他には、数年後に呼んだCCガールズしか記憶になく、人気アイドルを呼ぶ予算は無かったはずです。
「C-Girl」リリース前に、コンサートをブッキングしていたから、開催出来たと思います。
「コンプレックスBANZAI!! 」は、「C-Girl」の頃のアルバム曲と当時思っていたくらい、
前向きの歌詞と、明るくてポップなメロディが、大ブレイクした唯にピッタリでした。
ウィキによると、「コンプレックスBANZAI!! 」は、オリコン121位止まり。
「スケバン刑事V」主演が無ければ、こんないい持ち歌があっても、
他の売れないアイドルと同様の道を辿っていたかも知れません。
[19] 名前:名無しさん :2019/05/17 (金) 23:39:16 No.2722
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DUNKの86年10月号から、「スケバン刑事V」の主役に抜擢された唯の記事です。
「あの愛らしくて、いたいけな唯ちゃんがスケバンをやっちゃうのぉ?」
考えてみたら、「スケバン刑事」シリーズは、初代が、おっとりした不思議少女タイプの斎藤由貴、
二代目が、可愛いというより美しい顔が魅力のお嬢さんタイプの南野陽子、
そして三代目が、クリクリした大きなおめめが親しみやすくて愛らしい浅香唯と、
ミスマッチのキャスティングが功を奏した感じです。
「毎度おさわがせします」ののどか役でブレイクした頃の中山美穂では、
意外性がなかった事でしょう。
「一ヶ月以上も前から殺陣のセンセーにしごかれて、体中が筋肉バリンバリン。」
になっても、9で書いたように、この役を逃したら後がないと思い、必死に頑張りました。
二代目のナンノから、花束を贈られた唯ですが、後に一緒になった番組で、
その事を覚えていないと言うナンノ。それを聞いた唯が、「南野さんはアクションが苦手だったので、
そのしわ寄せが私に来た。」と、先輩に向かっても本音を言ってしまう唯ちゃんでした。
[20] 名前:名無しさん :2019/05/17 (金) 23:44:35 No.2723
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DUNKの86年11月号から、「スケバン刑事V」の紹介の1ページ目です。
84年デビューの大西結花(撮影時18歳)、86年デビューの中村由真(撮影時16歳)
85年デビューの浅香唯(撮影時16歳)が、風間結花(長女)、風間由真(次女)、
風間唯(三女)の風間三姉妹として、主演しているのが「スケバン刑事V」です。
既に芸能界で活躍し、浅香唯以外は本名である二人を含め、結花・由真・唯と、ゴロの良い三人を、
見事に集めたと関心しました。役名と芸名が同じ名前ならは、「スケバン刑事V」でブレイクした後、
一般にも覚えられやすいからです。キャスティングの勝利だと思います。
そんな3人は今でも仲が良く、アメリカ在住の中村由真が日本に来る時は、会っているとの事。
今年の夏には、三人でコンサートを開く予定です。
CSの浅香唯の「しゃべくりDJ」で、キャンディーズの3人の仲の良さに言及した時は、
「私たち三人も、仲が良かったよ。」と言っていました。
[21] 名前:名無しさん :2019/05/17 (金) 23:49:00 No.2724
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DUNKの86年11月号から、「スケバン刑事V」の紹介の2ページ目です。
風間三姉妹の役柄・性格の設定が載っています。
「スケバン刑事U」の時も、南野陽子・相楽ハル子・吉沢秋絵の3人トリオが、
それぞれ奇抜な武器で戦っていましたが、やはりナンノが主役という感じでした。
それに対し「スケバン刑事V」では、風間三姉妹をほぼ均等に扱い、その姉妹ゲンカも見ものでした。
唯はヨーヨーを引き継いでいますが、結花は折り鶴、由真はレース編みのかぎ針と、
前作のビー玉や琴の爪より、武器が荒唐無稽にみえます。
数年前のテレビ番組で、中村由真が「かぎ針」はおかしいと言うと、大西結花が
「そこはスケバン刑事だもん。」と言い返していました。
年齢も芸歴も一番の大西結花らしく、今でも長女という感じです。
父親が家の大爆発で爆死するシーンでは、三姉妹が家に駆け寄って行く最中の大爆発なので、
撮影終了後、お互いの髪を確認し、少し焦げ臭かったと語っていました。
[22] 名前:名無しさん :2019/05/26 (日) 22:21:59 No.2767
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DUNKの86年11月から、「スケバン刑事V」の紹介の3ページ目です。
元々は、仮面ライダーを作っていたスタッフが、「スケバン刑事」シリーズを作っているのだから、
アクションシーンが激しくなるのは当然です。それをまだ十代の女の子が演るのだから大変です。
スカートの下がブルマーなのは当たり前。
セーラー服に似合わないという理由かどうか分かりませんが、
タイツやパンストは履かせてもらえなかったようで、脚がやぶ蚊に刺され、痛さと腫れで、
麻痺していたとの事。このまま、歌番組に出演していたのでしょうか。
そういえば、シリーズを重ねる度に、敵が仮面ライダーの怪人みたくなって行きました。
スタッフの好みが出ていたのか。だんだん視聴者が、低年齢層化していったためなのか?
[23] 名前:名無しさん :2019/05/26 (日) 22:25:31 No.2768
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DUNKの86年12月号の、1ページ目です。
青タン・背骨が打ち身で真っ青・まぶたをヤケドと、「スケバン刑事V」はケガの絶えない現場です。
フィルム撮影は、NGを出すとフィルムが高いので怒られますが(大映テレビがいい例)、
「スケバン刑事V」は、NGイコール怪我なので、その上を行っているハードな撮影です。
でも風間三姉妹が揃うと、笑いが絶えない現場なのが、救われている感じです。
だからこそ、浅香唯・大西結花・中村由真の3人の友情は、今でも続いているのでしょう。
[24] 名前:名無しさん :2019/05/26 (日) 22:28:44 No.2769
2769.jpg (496KB)
DUNKの86年12月号の、2ページ目です。
「「スケバン」は半年ぐらいだから、それが終わったら、また歌って。」
と言っていますが、好評なので1年間放送し、その後映画版も作ったので、
結局1年3ヶ月ぐらい、過酷な撮影に耐えていた事になります。
でもその間に人気が沸騰し、8thシングル「虹のDreamer」では、初のオリコン1位を獲得、
仲良しの、風間三姉妹による「Remember」も、オリコン1位になり、
映画版の主題歌になった9thシングル「Believe Again」という、素晴らしい曲にも恵まれたので、
「スケバン」効果で、歌手活動も充実させる事ができました。
小刻み睡眠が出来る唯ちゃんは、忙しいアイドルにとって最も大事な武器を持っていました。
唯ちゃん版「おさな妻」は、見たかったですが、
「スケバン」が長期間に渡っていたので実現しませんでした。
まだ宮崎弁が抜けない頃なので、「おさな妻」を演じても、コメディ版になっていたかも知れません。
[25] 名前:名無しさん :2019/05/26 (日) 22:31:50 No.2770
2770.jpg (268KB)
DUNKの87年2月号から、誕生日パーティの記事です。
「スケバン刑事V」の撮影が始まる前の唯ちゃんは、
地方キャンペーン等で歌う機会が多かったですが、その後は、「スケバン刑事V」の撮影に
没頭していたので、4曲歌っただけで、息もキレギレになったのでしょう。
「大きくなってね」とファンに言われ、「背ですか?」と大ボケするあたりが、
唯ちゃんらしくて、いいです。
[26] 名前:名無しさん :2019/07/13 (土) 00:03:23 No.2988
2988.jpg (492KB)
25で、しゃんばらの最後のスレ(何度も落ちた)に貼った画像は終わりです。
ここからは、新規画像を貼って行きます。

これは、DUNKの87年1月号の、1ページ目です。
唯ちゃんの一人暮らしは、86年春までの1年3ヶ月ぐらいでした。
「スケバン刑事V」の放送は86年10月末からですが、夏には出演が決まり、
殺陣のセンセーに鍛えられる事になったため、事務所の部長宅に居候する事になりました。
4で書いた、危険な事件に遭遇した時に逃げ込んだ家であり、安心出来るという理由もあって、
引っ越したのでしょう。2部屋もらった唯ちゃんは大喜び。
料理が苦手で朝食抜きだった生活から、朝もシッカリ食べる健康的な生活に変わり、
過酷な「スケバン刑事V」の撮影も、頑張り抜く事が出来たのでしょう。
[27] 名前:名無しさん :2019/07/17 (水) 00:30:14 No.3012
3012.jpg (101KB)
浅香唯・大西結花・中村由真の、かつての風間三姉妹が出演するトーク番組「ボクらの時代」が、
 7月21日(日) AM7:00〜7:30 フジテレビ系
で放送されます。20で書いた、夏のコンサートのため、由真が来日して実現したのでしょう。
どんな話が語られるか、楽しみです。

画像は、明星の88年6月号から、プレゼントコーナーです。
(今回は告知が目的なので、既出画像でゴメン。)
 
[28] 名前:名無しさん :2019/08/02 (金) 22:14:48 No.3079
3079.jpg (494KB)
DUNKの87年1月号の、2ページ目です。
料理が苦手な唯にとって、冷蔵庫はシップを冷やしておくための物です。
過酷で怪我が絶えない「スケバン刑事V」の撮影では、シップは必需品です。
売れないアイドル時代から、「スケバン刑事V」の撮影と歌番組を掛け持ちする
殺人的スケジュールに、いきなり変わった唯にとって、わずかな空き時間を利用して、
部長さんの子供と遊ぶひと時は、気分をリフレッシュする大切な時間だったと思います。
この時のファミコンでは、まだスーパーマリオにはハマっていませんでしたが、
88年頃からハマり始め、ドラマーの旦那と付き合い始めたのは、スーパーマリオの達人で、
いろいろと教えてもらったのがきっかけでした。
[29] 名前:名無しさん :2019/08/20 (火) 00:16:41 No.3153
3153.jpg (494KB)
DUNKの87年2月号の、1ページ目です。
中央の記事で、ストーブで暖をとっているスナップが3枚も載っています。
南国・宮崎で生まれ育ったので、寒さには弱いのでしょう。

「ボクらの時代」以外に、BSの旅&トーク番組「極上空間」にも、かつての風間三姉妹が出演し、
「スケバン刑事V」を中心とした、当時の話を暴露していました。
この記事の下側に載っているセーラー服も、大事に持って帰るのではなく、
着替える時間がないので、セーラー服を着たまま撮影所と自宅を往復していたそうです。
[30] 名前:名無しさん :2019/09/05 (木) 01:28:32 No.3235
3235.jpg (495KB)
DUNKの87年2月号の、2ページ目です。
「丈夫すぎるから私達も休めないよ。」とマネージャーに言われたそうですが、
撮影が忙しすぎた時に、中村由真が急に声が出なくなり、撮影中止。
唯と結花は、ラッキーと思って帰り、爆睡したそうです。
「苔まで食べて頑張る風間ユイだもんね。」第二回に、そのシーンがありました。
「極上空間」のラストでは、その苔を食べるロケ地(奥多摩にある洞窟みたいな場所)まで行き、
「スタッフが、苔に見立てた青ノリを置いていたんだよ。」と推測していました。
[31] 名前:名無しさん :2019/09/20 (金) 00:58:27 No.3306
3306.jpg (497KB)
DUNKの87年3月号の、記事です。
「丈夫すぎる」唯ちゃんでも、右足をネンザするくらいだから、「スケバン刑事V」の撮影は、
ハードです。19で書いた「南野さんはアクションが苦手だったので、そのしわ寄せが私に来た。」
という唯の発言は本当らしく、スタッフは「スケバン刑事」史上最高のアクションを狙って
キャスティングしたそうです。浅香唯が主演に選ばれたのは、オーディションで、
「木登りが出来るか?」との質問に、「得意中の得意です。木登りして、近所の家の屋根の上を、
駆け回っていました。」と答え、一発合格したそうです。
[32] 名前:名無しさん :2019/09/20 (金) 01:02:01 No.3307
3307.jpg (253KB)
↑31の画像は、シュガーの87年3月号の記事でした。

DUNKの87年3月号の記事は、こちらです。
[33] 名前:名無しさん :2019/10/07 (月) 02:09:13 No.3392
3392.jpg (114KB)
シュガーの87年3月号の、レコード紹介コーナーです。
前作「10月のクリスマス」が、オリコン88位止まりだった(これでも、リリースした
4枚のシングルの中では最高位)のに対し、「STAR」は、オリコン9位と、一気にジャンプアップ。
やはり「スケバン刑事V」の主題歌に起用された効果は、絶大です。
「スケバン刑事U」の時と同様、最初の主題歌は、ネームバリューのあるおニャン子のメンバーが
歌っていました。唯ちゃんにバトンタッチしてからは、次の「瞳にSTORM」4位、
そして「虹のDreamar」1位と、ヒットチャートを駆け上って行きました。
[34] 名前:名無しさん :2019/10/29 (火) 22:53:36 No.3484
3484.jpg (320KB)
ブレイク前の唯ちゃんの投稿写真がありました。ベストカメラの86年8月号です。
サービス精神旺盛で、ヤル気満々の頃なので、ポーズに注文を付けても、
快く応じてくれたと思います。
[35] 名前:名無しさん :2019/11/16 (土) 00:18:22 No.3562
3562.jpg (496KB)
DUNKの87年4月号の、1ページ目です。
木登りが得意という唯なので、基本はアウトドア派なのでしょう。
男の子とケンカばかりしていた唯ですが、10歳で初恋をした時だけは、
茶道を習ったりして、女の子っぽくなったそうです。(しゃべくりDJより)
宮崎は新婚旅行のメッカだったので、ペアルックのカップルの真ん中を割って歩いていたとは、
唯ちゃんらしいです。14年付き合って結婚した彼とは、夜の散歩で体力作りするだけでは、
面白くないので、曲がり角に出る度にじゃんけんをし、唯が勝てば右へ、旦那が勝てば左へと、
ルールを決めて散歩していたので、家にたどり着くまで、4時間ぐらいかかる事もあったそうです。
(子供が産まれる前に話です。)
[36] 名前:名無しさん :2019/12/05 (木) 01:42:36 No.3641
3641.jpg (496KB)
DUNKの87年4月号の、2ページ目です。

「スケバン刑事」史上最高のアクションを狙って、スタッフがキャスティングしたというパートV。
木登りが得意中の得意の唯ちゃんが、主役に抜擢されるのは当然ですが、
まだレコードデビュー前で、漫画雑誌のオーディションで優勝し、芸能界入りして間もない
中村由真が、風間三姉妹の次女役を演じると唯ちゃんが聞き、そのか細い容姿と、
都会的なファッションを見て、この娘にスケバン刑事が務まるのか、不安になったそうです。
中村由真の方は、既に歌手としても女優としても活躍している、1年先輩の浅香唯や大西結花を、
素人の時に見ていて、同期だと知っていたので、イジメられると思ったそうです。
(BSの番組「極上空間」より)
[37] 名前:名無しさん :2019/12/26 (木) 02:28:40 No.3731
3731.jpg (494KB)
BOMBの87年4月号の、1ページ目です。
「役柄と違って都会派のワタシ 宮崎生まれの唯」。宮崎弁=田舎と解釈される事への反感かな?
あの頃でも、風呂敷を背負って上京する人はいなかったので、デフォルメです。

浅香唯のキャッチフレーズは「フェニックスから来た少女」、大西結花は「不思議チック少女」
大西結花は、自分のキャッチフレーズが大嫌いだったそうです。
(84〜85年当時は、似たようなキャッチフレーズが多くあったような気がします。)
大西結花は、修学旅行で宮崎に行き、フェニックスの唄まで歌ったそうなので、
すぐにフェニックス=宮崎と分かったと言っていました。中村由真は、
キャッチフレーズが無かったので、持っている二人が羨ましかったそうです。
(BSの番組「極上空間」より)
[38] 名前:名無しさん :2020/01/13 (月) 03:43:34 No.3802
3802.jpg (491KB)
BOMBの87年4月号の、2ページ目です。
下のプロフィール欄に、本名:川崎亜紀と書いてあります。
中学卒業と同時に上京し、翌日から芸能活動を始めた唯ちゃんは、普通の女の子が持っている
社会常識をまるで知らずに、アイドル街道をまっしぐらに進みました。
20歳を過ぎて、旦那となる彼に、あまりにも社会常識を知らないので、「それはダメだよ。」
と注意され、芸能界を休業して社会常識を身につけたいと、事務所と交渉しますが、
事務所は人気アイドルを簡単に休業させるはずはありません。
結局、事務所とレコード会社の契約が切れる93年(23歳の時)に、契約更新をせず、
休業に入ったため、マスコミからは引退と言われてしまいます。
休業期間4年半の間は、浅香唯の芸名を使えず、本名の川崎亜紀で写真集を出した事もありました。
[39] 名前:名無しさん :2020/02/02 (日) 02:49:53 No.3896
3896.jpg (490KB)
BOMBの87年4月号の、3ページ目です。唯・結花・由真の対談が載っています。
3人とも23歳で結婚と出たという占い。実際には、由真が一番早くて28歳の時(初婚時)。
唯は32歳の時。結花は、一番遅くて44歳の時でした。
「ワタシ、(結婚したら)絶対に不倫してやるんだ。」と言う唯に、
「唯は、(相手の家庭を)壊すどころかボロボロにするよ。」と言う由真。
この会話が頭に残っていたのか、唯ちゃんは旦那と結婚するまで14年間も交際を続けました。
付き合い始めて10年間は、他の彼が出来たらサヨナラよ。と言っていたそうですが、
結局、他の彼は出来なかったとの事。でも、旦那になる彼は、名高達郎に似ていなかったためか、
10年目からの毎年のプロポーズを断り、15年目にようやく結婚したそうです。
(15年目だから、イベントとして結婚を選んだという、唯ちゃんらしい考え方。)
[40] 名前:名無しさん :2020/02/29 (土) 00:54:37 No.4008
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DUNKの87年5月号には、マンガ履歴書が8ページに渡って載っています。
その1ページ目です。「怒らすと怖い?小さな熱血漢」の唯ちゃんは、
マンガにするとピッタリなキャラクターだと思います。
[41] 名前:名無しさん :2020/03/21 (土) 02:23:53 No.4107
4107.jpg (496KB)
DUNKの87年5月号の、マンガ履歴書の2ページ目です。
最初は、スケバン刑事Vの撮影現場です。

唯が本名の川崎亜紀に戻り、休業していたのは4年半の間。
最初の3日は、時計のない生活を送っていたそうで、起きた時に朝か夜か、
ドキドキしながら窓を見るという生活。人間がダメになると自覚しました。
最初の1年間は、普通の女の子なら当たり前にするであろう、
いろいろな遊びを経験していたそうです。(トーク番組「ボクらの時代」より)
[42] 名前:名無しさん :2020/04/08 (水) 03:07:45 No.4199
4199.jpg (494KB)
デビュー直前の浅香唯の、新人紹介グラビアがあったので、貼ります。
GOROの85年6月27日号です。
デビュー曲のジャケットが、本人が嫌がっている写真ではなく、
このカットを使えば、タイトル「夏少女」らしい、南国宮崎出身の小麦色の肌をした
可愛い少女をアピール出来て、オリコン120位という屈辱的なランキングからは、
逃れられたかも知れません。
[43] 名前:名無しさん :2020/04/27 (月) 01:48:04 No.4310
4310.jpg (494KB)
DUNKの87年5月号の、マンガ履歴書の3ページ目です。

本名の川崎亜紀に戻り、休業していた4年半の間に、自分で作詞・作曲していたそうです。
その曲を、聞いてもらおうとレコード会社に持って行くと、アポ無しでは誰にも会わせないと、
断られました。その時初めて、アポという手順を知ったそうです。(トーク番組「ボクらの時代」より)
[44] 名前:名無しさん :2020/05/16 (土) 04:06:05 No.4424
4424.jpg (497KB)
DUNKの87年5月号の、マンガ履歴書の4ページ目です。

小学生の頃は、喧嘩の強い亜紀(浅香唯)でしたが、中学生になるとバレーボール部に入り、
スポーツ少女に変身します。小柄なわりにヒップが発達していた亜紀は、
バレー部のブルマ姿が色っぽかったらしく、男子部員の注目の的でした。
本人も、男子部員の視線が自分のブルマに集中しているのを感じて、
すぐに違うブルマに変えたそうです。(数年前の「あいつ、今何してる」より)
[45] 名前:名無しさん :2020/06/08 (月) 04:06:59 No.4547
4547.jpg (492KB)
DUNKの87年5月号の、マンガ履歴書の5ページ目です。
このマンガ履歴書の7ページ目には、小4でケンカをやめたと書いてあります。
小学校高学年の頃、唯一女の子らしい事をしていました。それは、ピアノの練習です。
当時流行っていた、久保田早紀の「異邦人」を、譜面を持っていないので、
独学で演奏していました。「異邦人」は、曲だけではなく、詩の世界も大好きだったそうです。
子供たちが大きな世界に憧れる気持ちを、自分に重ね合わせていたのでしょう。
その詩は、久保田早紀が、国立の公園で遊ぶ子供たちを見て、思い浮かんだとの事。
国立市は、「異邦人」が生まれた街として、もっとアピールした方がいい。と力説していました。
(しゃべくりDJより)
[46] 名前:名無しさん :2020/07/01 (水) 02:25:06 No.4653
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DUNKの87年5月号の、マンガ履歴書の6ページ目です。
「口では勝てない私は、すぐ手を出しちゃったの」
キョンキョンと同じです。喧嘩が強そうなのも、キョンキョンと同じです。
最近の唯はトークも上手くなり、アイドル時代に、気さくに話しかけてくれた
先輩のキョンキョンの事を、上手に話していました。(しゃべくりDJより)
[47] 名前:名無しさん :2020/10/08 (木) 02:20:13 No.4725
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46の画像は、この画像でした。(貼り間違い)
[48] 名前:名無しさん :2020/11/25 (水) 00:00:43 No.4758
4758.jpg (490KB)
ブレイク前の唯ちゃんのグラビアがあったので、貼ります。
ベッピンの85年12月号の、1ページ目です。
このワンピース姿は、南国育ちの唯ちゃんにピッタリの小麦色の肌が健康的です。
そして瞳がクリッとした唯ちゃんが、初々しくて可愛いです。

最近、ライザップのCMと提携して、ダイエットに成功した浅香唯。
意外にもアイドルの頃から、痩せてはいても、キュッと引き締まった身体にはなった事がない。
と言っていました。更に意外な事に、ビキニ姿になった事もないと言っていました。
テレビの懐かし映像でよく流れる、C-Girlのライブ映像のヘソ出しルックの印象が強かったので、
ビキニは着ていると勘違いしていました。小麦色の肌が健康的なビキニ姿も、見たかったです。
[49] 名前:名無しさん :2020/12/10 (木) 01:20:27 No.4860
4860.jpg (494KB)
ベッピンの85年12月号の、2〜3ページ目です。
このワンピース姿からは、キュッと引き締まった身体に見えますが。

48で書いた、「C-Girlのライブ映像のヘソ出しルック」は、間違いでした。
ヒョウ柄ルックでした。88年のキョンキョンのヘソ出しルックと、勘違いしていました。
当時の唯ちゃんは、最先端のファッションをしていたので、
同じくファッションリーダーだったキョンキョンと、間違えたようです。
[50] 名前:名無しさん :2020/12/26 (土) 01:07:16 No.4981
4981.jpg (210KB)
ベッピンの85年12月号の、3ページ目の左上の拡大版です。

唯ちゃんとキョンキョンは、身長が低いという共通点があるだけではなく、
キャラクターや曲のイメージ、コンサートの盛り上げ方等、全体的に似ているイメージがあります。
それもそのはず、キョンキョンのデビュー当時のイメージ・イラストを描いていたのが、
大山和栄であり、キョンキョンの顔をプロモーションする前に、
そのイメージ・イラストをプロモーションしていました。

唯ちゃんの芸名である浅香唯の由来は、ザ・スカウトオーディションで浅香唯賞を取った事ですが、
浅香唯が主人公の漫画「シューティングスター」を描いていたのも、大山和栄です。
大山和栄は、「この子しかいない」と、一目見た瞬間から決めたそうです。
イラストや漫画にすると、二人は同じ顔の印象になるのかも知れません。
[51] 名前:名無しさん :2021/01/09 (土) 20:20:05 No.5099
5099.jpg (483KB)
ベッピンの85年12月号の、4ページ目は、水着でシャワーを浴びているカットが、
4コマ載っています。その右上です。

唯ちゃんとキョンキョンの共通点を書いてきましたが、88年に「C-Girl」で大ブレイクし、
88〜89年には、アイドル四天王の一人となった人気絶頂の唯ちゃんに対し、
キョンキョンは、良く言えばアイドル人気安定期、悪く言えば人気下降期に入っていました。
キョンキョンのファンが、唯ちゃんの方に移行していると、
当時思っていたのは、私だけではないでしょう。
[52] 名前:名無しさん :2021/01/24 (日) 23:46:19 No.5215
5215.jpg (464KB)
ベッピンの85年12月号の、4ページ目の左上です。
南国の宮崎で生まれ育った唯ちゃんは、褐色に日焼けした水着姿と、
気持ちよさそうにシャワーを浴びているシーンが似合います。

宮崎と言えば、キョンキョンも宮崎に関係がありました。
91年のドラマ「パパとなっちゃん」では、宮崎出身の彼と結婚する娘の役であり、
それを現実にしたのが、宮崎出身の永瀬正敏との結婚です。
[53] 名前:名無しさん :2021/02/08 (月) 03:56:57 No.5336
5336.jpg (487KB)
ベッピンの85年12月号の、4ページ目の右下です。

唯ちゃんとキョンキョンの共通点を書いてきましたが、唯ちゃんが憧れていたのは、
花の82年組でも、キョンキョンではなく、堀ちえみでした。
ちなみに、キョンキョンとちえみと、三田寛子は、
82年3月21日デビューと、デビュー日まで同じでした。

唯ちゃんと同じレコードデビュー日(85年6月21日)なのは、中山美穂で、同い年です。
スケバン刑事では先輩となる南野陽子も、レコード出荷日は同じです。
(デビュー日としては、誕生日に合わせた6月23日)。
80年代後半のアイドル四天王となる4人の内、3人までが同じデビュー日だった事になります。
[54] 名前:名無しさん :2021/02/23 (火) 00:45:02 No.5452
5452.jpg (475KB)
ベッピンの85年12月号の、4ページ目の左下です。

アイドル四天王では、工藤静香と仲が良かった唯ちゃん。
唯ちゃんより一学年下でも、おしゃべりが好きな事で、意気投合したそうです。
工藤静香は、後ろ髪ひかれ隊でのデビューや、ソロ・デビューは、87年ですが、
3人グループ「セブンティーン・クラブ」の一員として、85年1月21日に
デビューしているので、アイドル四天王の中では、一番早いレコードデビューになります。
唯ちゃんと同様、売れない下積み時代を過ごした事も、仲良くなった理由かも知れません。
[55] 名前:名無しさん :2021/03/10 (水) 01:33:33 No.5589
5589.jpg (482KB)
ベッピンの85年12月号の、5ページ目です。

アイドル四天王の他の二人では、南野陽子は2歳年上で、スケバン刑事でも先輩だったので、
遠慮があったのかも知れませんが、あまり話す事がなかったそうです。
中山美穂は同い年ですが、下積み時代が長かった唯ちゃんに対し、レコードデビュー前から、
連ドラでブレイクしていた中山美穂なので、初めて会った時には、「あの美穂ちゃんだ」
と憧れの気持ちがあったそうです。でも中山美穂は口下手なので、話が弾む事はありませんでした。
[56] 名前:名無しさん :2021/03/25 (木) 00:10:54 No.5714
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スーパー写真塾の85年8月号の、レコードレビューのコーナーからです。
唯ちゃんが最も嫌がっている、デビュー曲「夏少女」のジャケットが載っています。
初夏に外の撮影で、眩しくて目を見開く事が出来ず、こんな表情になってしまいました。
もっといい写真が、何枚かあったそうですが、それは使われませんでした。
何でこの写真を使うの?と、疑問に思ったそうです。

アイドルのデビュー曲のジャケットは、そのアイドルの今後を左右する重要なものなので、
取り直した方か良かったのではないか。と思います。
作詞は、松田聖子のデビュー曲から連続5曲を担当した三浦徳子で、
当時のポスト聖子を狙うアイドルの一人として、期待されていたのでしょう。
唯ちゃんが憧れていた堀ちえみと、声質が似ていると書いてあります。可愛い声とハスキーな
声の中間あたりの声が、似ている印象です。(声が似ているから憧れていた訳ではありません)
[57] 名前:名無しさん :2021/04/09 (金) 00:38:55 No.5825
5825.jpg (490KB)
BOMB初登場は、85年6月号のインタビューです。
歌手デビュー日が、2日違いのナンノ(唯ちゃんは6月21日、ナンノは23日)と、
隣同士のページに載っていました。まさかこの後、
スケバン刑事の先輩・後輩の仲になるとは、思ってもいなかったでしょう。
デビュー間もないアイドルが、赤いステレオ目当てで、オーディションを勝ち進んだ。
とは言えないですが、一応「ステレオが貰えて嬉しい。」と言っています。

「家(アパート)に帰る時、変な人がつけてくるんですよ。」は、
2004年頃の「Hey!Hey!Hey!」に出演した時に、言っていました。
部屋の鍵を3個も付けていましたが、4で書いたようにボロ・アパートなので、
刃物を持った男の時には、役に立ちませんでした。
[58] 名前:名無しさん :2021/04/25 (日) 05:21:52 No.5957
5957.jpg (494KB)
BOMB初登場となる、85年6月号の2ページ目は、写真です。
56に載せたデビュー曲のジャケットのようにならないよう、
スタジオ撮影にしてもらったのでしょう。
目はハッキリと開いていますが、笑顔にはまだ、ぎこちなさが感じられます。

デビュー曲のジャケットや、このカットからの反省なのか、
普段から、自分の部屋には鏡を沢山置き、笑顔の練習をしていたそうです。
電車に乗っている時も、目が合った人には、必ず笑顔で答えていました。
そのため、誘っていると勘違いされてしまった事もあるそうです。
唯ちゃんらしいエピソードです。
[59] 名前:名無しさん :2021/05/10 (月) 05:00:10 No.6089
6089.jpg (492KB)
MOMOCOの85年12月号から、ザ・スカウトオーディション85の広告です。
書いてあるように、前年までは毎年夏休みに開催されていました。
唯ちゃんが浅香唯になる前、川崎亜紀(本名)は、ザ・スカウトオーディション84の広告を見て、
浅香唯賞を取るともらえる、真っ赤なステレオが欲しくて、84年(中学3年)の夏休みに、
応募しました。第一次は書類・写真審査なので、可愛い亜紀ちゃんなら、当然合格です。

第二次審査が、宮崎で開催される事も、書いてあります。しかも、亜紀の家から、
バスで行ける距離なので、親に相談もせず、バス代だけ持って受けに行きました。
他の人達は、みんな歌手や役者になりたい人達ばかり。万全の準備をしていたのに、
亜紀ちゃんは、ステレオが欲しいだけなので、何の準備もせず、
「スローモーションなら歌えるかも知れない」と言い、うろ覚えの歌詞で歌い、
素直に、「ステレオが欲しくて応募しました。」と言ったそうです。(続きは次回)
[60] 名前:名無しさん :2021/05/25 (火) 22:01:08 No.6206
6206.jpg (493KB)
47までの87年に戻って、DUNKの87年6月号の、1ページ目です。

(59の続き)
応募した理由のユニークさが審査員達の話題になり、宮崎大会は、見事合格。
しかし第三次審査は福岡なので、さすがに親に相談せずには行けません。
普段は厳しい親だったそうですが、この時は、意外にも「夏休みのいい思い出になるから、
行っておいで。」と賛成してくれました。そして、福岡大会も、東京の決戦大会も、
「ステレオが欲しくて応募しました。」攻勢で突破し、見事、浅香唯賞を受賞します。

しかし亜紀自身は、ザ・スカウトオーディションが、歌手や女優になる事を前提とした
オーデイションである事を知らず、親は、まさか決戦大会で合格するとは思っていません。
戸惑う亜紀。スカウトした事務所の人達が亜紀の実家に訪れ、芸能界入りに反対する親を
何とか説得しようとします。頑固な親は、断固反対します。

その光景を見ていた亜紀は、「私の将来の事を、私に相談もせず、
勝手に大人同士で決めようとしている。」と思い、
「そんなに反対するなら、親子の縁を切ってでも上京して、デビューする。」と、
親にタンカを切って、宮崎で中学の卒業式を済ませると、その日の午後には上京します。
(続きは、8〜に書きました。)
[61] 名前:名無しさん :2021/06/09 (水) 22:11:04 No.6313
6313.jpg (496KB)
DUNKの87年5月号の、マンガ履歴書の7ページ目(47の続き)です。
下に書いてある「口で言うより手の方が早い」。「女の子とは全然やんなかったんですよー。
 泣かれると困るもん」。「人前では絶対泣かなかった」。
子供の頃は、キョンキョンと同じような性格でした。男前な唯ちゃんです。

負けん気が強かった唯ちゃんは、ケンカ以外、水泳でも猛練習して優勝。
中学に入ると、バレーボールやバドミントンをするスポーツ少女になりました。
先生に、「もっと女っぽくしましょう」と書かれ、
10歳の頃、ピアノを弾いていたのかも知れません。
[62] 名前:名無しさん :2021/06/24 (木) 15:46:39 No.6422
6422.jpg (495KB)
DUNKの87年6月号の、2ページ目です。
2002年に結婚した時、料理や洗濯が苦手で、下着なんか必要に迫られるまで
(替えの下着が底をつくまで)洗濯しないダメ人間なんで、結婚出来るとは
思っていなかった。と言っていた唯ちゃん。(テレフォンショッキング出演時)

そんな唯ちゃんの貴重なエプロン姿が、60に載せた1ページ目でした。
この頃(17歳)からファミコンにはまり始めていたけど、自分の時間がほとんど無かったので、
本格的にはまっていたのは、旦那と出会う19歳の頃でしょう。
[63] 名前:名無しさん :2021/07/09 (金) 23:17:25 No.6508
6508.jpg (495KB)
DUNKの87年6月号の、3ページ目です。
宮崎の実家に、電話している時でしょうか。

(62の続き)
「宮崎にいた時はね、ある額のお金を渡されて、予算内で一家の夕食の準備をしていたの。」
独身時代は、料理や洗濯が苦手なダメ人間だった唯ちゃんですが、宮崎にいた頃を思いだして、
結婚後は、一家の主婦として、家事をキチンと出来るようになりました。
ちなみに、アイドル時代は、給料はすべて宮崎の実家に送られ、
その中から、生活費やお小遣いを、両親からもらっていたそうです。
これも、宮崎にいた頃の経験が生きています。
[64] 名前:名無しさん :2021/07/24 (土) 20:24:20 No.6618
6618.jpg (230KB)
DUNKの87年6月号から、ラジオ番組紹介コーナーです。
同期デビューの松本典子と一緒にDJ(ディスクジョッキーと但し書きをしないと、
最近は別の意味のDJになってしまう。)をしている番組です。
喋る事が大好きな唯ちゃんは、ラジオのDJが最も好きらしく、
93年から4年半の休業に入った時も、東海ラジオのDJだけはしていて、
熱心なファンが、わざわざ聞きに通っていたそうです。

前述のCS番組「しゃべくりDJ」も、テレビなのにラジオ風におしゃべり出来るという事で、
出演を快諾しました。曲がかかっている間中もしゃべり続けるという、まるでおしゃべり好きな
唯ちゃんのための番組みたいでした。喋っている間の唯ちゃんの活き活きとした顔が見られるのは、
テレビならではです。最近でも、ラジオ大阪で、DJをしています。
[65] 名前:名無しさん :2021/08/09 (月) 19:51:43 No.6712
6712.jpg (491KB)
DUNKの87年6月号から、3つ折りピンナップです。
唯ちゃんが歌う「スケバン刑事V」の2曲目の主題歌「瞳にSTORM」の歌詞が載っています。
唯ちゃんのシングルのオリコン最高位の推移を見ると、
デビュー曲「夏・少女」が120位、2枚目「ふたりのMoon River」が105位、
3枚目「ヤッパシ…H!」が111位、4枚目「コンプレックスBANZAI!!」が121位、
5枚目「10月のクリスマス」が88位と、人気アイドルとは程遠いランキングでした。

どれも、唯ちゃんのキャラクターにピッタリの、いい曲なんですけどね。
ところが、「スケバン刑事V」の主題歌に起用された3曲は、6枚目「STAR」が9位、
7枚目「瞳にSTORM」が4位、8枚目「虹のDreamer」が、念願の1位と、
まさにうなぎ登りです。唯ちゃんのキャラクターとは関係なく、
人気ドラマシリーズの主題歌に起用された効果が、こんなにハッキリ出てくるものなんですね。
[66] 名前:名無しさん :2021/08/25 (水) 23:49:52 No.6810
6810.jpg (280KB)
ベッピンの87年6月号から、インフォメーションコーナーです。
「瞳にSTORM」の発売に合わせたファンの集いのインフォメーションです。
去年出演したNHKの番組では、「STAR」の発売に合わせたイベントで歌う唯ちゃんの姿が、
イベント出演前の、ステージの袖で準備する姿から、流れていました。
準備中は、心がナーバスになって、緊張した表情が顔に表れていた唯ちゃんが、
ステージに上がった途端、自信にみなぎった表情に変わります。

長きに渡り下積みを経験した後、やっと巡り合った上昇気流を逃すまいと、
必死に頑張っている頃の、貴重な映像だと思いました。
[67] 名前:名無しさん :2021/09/10 (金) 18:07:58 No.6903
6903.jpg (492KB)
BOMBの87年8月号には、表紙・裏表紙以外に、
38ページの巻頭大特集が載っています。その表紙です。
期待度が高いアイドルは、歌手デビューして、すぐに巻頭大特集を組んでもらえるのに、
浅香唯は、歌手デビューしてから2年以上経ってからの巻頭大特集になりました。
下積み時代が長かった唯ちゃんにとっては、待望の巻頭大特集でしょう。

[68] 名前:名無しさん :2021/09/26 (日) 21:19:54 No.7004
7004.jpg (490KB)
BOMBの87年8月号の、裏表紙です。
「日本の夏、BOMBの夏、浅香の夏」。なんか、レトロ感タップリなコピーです。
(美空ひばりのこのCMが流行ったのは、70年代前半だと思う。)
21世紀に入っても、「ブティック」とか「ディスコ」等、
ひと昔前の言葉を使っていた唯ちゃんなので、この頃も、
周りにひと昔前の言葉を使っていたから、こんなコピーになったのかな。

でも、南国の宮崎出身で、デビュー曲が「夏少女」の唯ちゃんには、夏が似合う事は、
間違いないです。代表曲「C-girl」も、カネボウ夏のキャンペーンソングでした。
このカットで着ている、黄色のワンピース服も、夏が似合う唯ちゃんにピッタリです。
[69] 名前:名無しさん :2021/10/13 (水) 09:34:26 No.7100
7100.jpg (495KB)
BOMBの87年8月号の、9ページ目です。
モノクロページの表紙になります。
[70] 名前:名無しさん :2021/10/30 (土) 21:48:40 No.7200
7200.jpg (448KB)
BOMBの87年8月号の、10ページ目です。
デビューしてから、アッという間の2年。と振り返っています。
前半の1年3か月ぐらいは、地道に地方営業を周り、後半の9か月ぐらいは、
「スケバン刑事V」の撮影と、歌番組への出演で、目まぐるしいほど忙しく、
生活が急に変わったので、アッという間の2年という印象なのでしょう。
[71] 名前:名無しさん :2021/11/14 (日) 12:53:13 No.7288
7288.jpg (493KB)
BOMBの87年8月号の、1ページ目です。
カラーページは、8ページ載っています。
デビュー当時の素朴な表情の唯ちゃんと比べると、成長したのか、
芸能界の荒波にもまれて洗練されたのか、可愛いだけではなく、
憂いを帯びた表情も出来るようになりました。
[72] 名前:名無しさん :2021/11/30 (火) 19:09:26 No.7383
7383.jpg (492KB)
BOMBの87年8月号の、2〜3ページ目です。
やはり、これだけ可愛ければ、中学でも4大美人になるのは、当然でしょう。
芸能人になった唯に刺激されたのか、上京してミュージシャンになったクラスメートや、
舞台俳優になったクラスメートも、テレビで紹介されていました。
二人とも、長くは続けられず、今は一般人として仕事をしているそうです。
[73] 名前:名無しさん :2021/12/16 (木) 21:59:42 No.7479
7479.jpg (495KB)
BOMBの87年8月号の、11ページ目です。
[74] 名前:名無しさん :2021/12/16 (木) 22:01:06 No.7480
7480.jpg (111KB)
73のコメント文を書いたら、エラーになったので、コメント文を画像にしました。
[75] 名前:名無しさん :2022/01/03 (月) 03:09:37 No.7587
7587.jpg (493KB)
BOMBの87年8月号の、12ページ目です。
やっぱり唯ちゃんのユニークさは、保育園の頃から変わっていないようです。
唯一のビキニ姿発見と思ったら、なんとお兄ちゃんのお下がりだったり、
唯一アップで撮られている写真が、脚を広げてしゃがんでいる写真だったり、
掛けっこで、反対方向に走って、何故だか1位を取ったり。

意地っ張りなところも、保育園の頃からでした。強制的に組まされて帰る子に事が嫌になり、
他の子と帰ったあげく、その子に家に8時までいて、両親も園長先生も大騒ぎでした。
[76] 名前:名無しさん :2022/01/17 (月) 23:03:31 No.7692
7692.jpg (497KB)
BOMBの87年8月号の、4ページ目です。
昨年11月に、CSの番宣番組に出ていた唯は、このカットの頃と同じように、
細い身体のままでした。1年半前に、ライザップのダイエットを行った時は、
「すぐにリバウンドする」という批判がありましたが、そうならななかったのは、
やはりプロですね。身長が低い唯は、少しでも太ると、すぐに目立ってしまうので、
不利なのですが、良く頑張っていると思います。
[77] 名前:名無しさん :2022/02/03 (木) 03:06:35 No.7805
7805.jpg (492KB)
BOMBの87年8月号の、5ページ目です。
昨年11月のCSの番宣番組では、カドカワ映画の話題が中心でした。
唯は、「セーラー服と機関銃」が大好きだったそうで、
「カイカン!」のセリフのマネが、得意だったそうです。

また、眉毛の中央を足して、ホクロを付けると、薬師丸ひろ子にソックリだった。
と言っていました。このカットの、少し顎を引いた表情でも、シャープで可愛い唯の表情からは
想像できませんが、まだ12歳(小学6年)の頃であり、その頃は似ていたのでしょう。
[78] 名前:名無しさん :2022/02/18 (金) 18:38:12 No.7894
7894.jpg (496KB)
BOMBの87年8月号の、13ページ目です。
[79] 名前:名無しさん :2022/02/18 (金) 18:40:24 No.7895
7895.jpg (196KB)
78に関するコメント文を書くと、何故だかエラーになるので、JPGファイルにして貼ります。
[80] 名前:名無しさん :2022/03/06 (日) 22:15:52 No.7982
7982.jpg (491KB)
BOMBの87年8月号の、14ページ目です。
小4の時、茶道部に入って、女の子らしくなった。と書いてあります。一時期女の子らしくなって、
ピアノを習い、久保田早紀「異邦人」を弾き語りしていたと言っていた時期なのでしょう。
何事も一生懸命努力する唯ちゃんは、中学受験でも猛勉強。
熱があっても、市内の水泳大会に出場し、記録を作るほどの泳ぎを見せます。

先日、テレビ出演した時の話です。デビュー時に出演した芸能人水泳大会で、
ダントツの1位になったのに、完全無視されて、2着(かどうかも怪しい)人が、
1位としてインタビューを受けた話をしていました。司会者が、その人は誰ですかと聞くと、
隣に座っている先輩の早見優を指さし、優さんです。と答えるあたり、
先輩にも容赦のない、唯ちゃんらしい素直さが出ていて、良かったです。
[81] 名前:名無しさん :2022/03/23 (水) 03:32:01 No.8072
8072.jpg (340KB)
BOMBの87年8月号の、6ページ目の上です。
昨年11月のCSの番宣番組で、「スケバン刑事V」の苦労話を聞かれた時、
池に何時間も入っていて、池にいる沢山の鯉に突かれて痛かったのが、
一番つらかったと、言っていました。痛くて体を動かすと、余計に鯉が寄って来るので、
痛くても動かず、じっと我慢するしかなかったそうです。その後の歌番組出演では、
突かれて腫れた部分を隠すため、腕や脚が見えない衣装に変えられました。

なお、木登りが得意だったので、木に何時間も吊るされるのは、平気だったそうです。
最初は、スタッフが気を使って、撮影していない時は降ろしていたのですが、
吊るしたり降ろしたりするのに時間がかかるので、吊るしっぱなしになったとの事。
吊るされてるうち、それが快感になるほどだったとは、どういう体をしているのでしょう。
[82] 名前:名無しさん :2022/04/08 (金) 23:09:20 No.8153
8153.jpg (308KB)
BOMBの87年8月号の、6ページ目の下です。
昨年11月のCSの番宣番組での、「スケバン刑事V」の苦労話の続きです。
映画版では、首に縄をかけられて、モーターボートに引っ張られながら、
冬の冷たい海を泳がされたそうです。80でも書いたように、水泳の得意な唯は、
スタントマンが変わろうとするのを聞かず、自らが志願してそのシーンを演じました。

水泳の得意な唯でも、縄で首が絞められそうで、必死に泳ぎましたが、
付き合わされた結花と由真にとっては、たまったものではありません。
特に泳げない結花は、死ぬかと思った。と言っていたそうです。
ちなみに、ミッツ・マングローブから、「そんなに高いモチベーションを持って、
芸能界入りした訳じゃないでしょう。赤いステレオ目当てだったはず。」と言われた唯。
スケバン刑事を演じていると、自分は万能だと勘違いするほど、役に入り込んでいたそうです。
[83] 名前:名無しさん :2022/04/26 (火) 11:11:18 No.8229
8229.jpg (495KB)
BOMBの87年8月号の、15ページ目です。
背が低い唯が、バレーボール部のセッターになる事は、予想出来ましたが、
誘った先輩も背か低かったとは。これじゃ、バレーボール部入っても、背が伸びないですよね。
1年の時は、球拾いの他に、運動場20周をして、吐きそうになるぐらいでした。
唯のヒップが発達したのは、この厳しい練習の賜物でしょう。
頭の良い唯は、セッターでもフェイント攻撃が得意。おかげで、市内4位まで行きました。

本番に強いのは、アイドルになってからも、役にたったと思います。
72で書いた、上京してミュージシャンになったクラスメートが、学年1のモテ男で、
ここに書いてある男子バレーボール部の憧れの先輩なのでしょう。
44では、バレーボール部のブルマ姿が色っぽかったらしく、男子部員の視線が
自分のブルマに集中しているのを感じて、すぐに違うブルマに変えた。と書きましたが、
何回も変えるので、シャツがブルマからはみ出してしまったのでしょうか。

72で書いた、舞台俳優になったクラスメートは、バドミントン部で一緒で、
彼とその仲間の男子部員も、唯のブルマ姿に見とれていたそうです。
[84] 名前:名無しさん :2022/05/12 (木) 22:47:03 No.8313
8313.jpg (495KB)
BOMBの87年8月号の、16ページ目です。
[85] 名前:名無しさん :2022/05/12 (木) 22:48:14 No.8314
8314.jpg (120KB)
84に関するコメント文を書くと、何故だかエラーになるので、JPGファイルにして貼ります。
[86] 名前:名無しさん :2022/05/29 (日) 21:33:39 No.8393
8393.jpg (379KB)
BOMBの87年8月号の、7ページ目の上です。
先日、霜降り明星が司会する、80年代がテーマの音楽バラエティ番組に出演した時には、
いつもの「C-Girl」ではなく、私の好きな「Believe Again」と「セシル」を歌っていて、
感激しました。唯ちゃんにとっても、「Believe Again」は大事な曲だそうで、
落ち込んだ時に歌うと、励まされて元気になる。と言っていました。

「セシル」は、作詞の麻生圭子と唯ちゃんが、当時話していた事を元に作詞したそうで、
今歌っても、違和感のない歌。と言っていました。その通りだと思います。
この曲は、司会のせいやも、大好きだと言っていました。
[87] 名前:名無しさん :2022/06/06 (月) 23:36:27 No.8430
8430.jpg (185KB)
この写真でたっぷりヌキまくりました。
浅香唯チャンのスカートが風で捲れ上がってパンツ丸見えになったのかと想像しながらシコシコしました。

今でも浅香唯チャンのパンツ、
生で見たいです。
[88] 名前:名無しさん :2022/06/15 (水) 01:29:29 No.8471
8471.jpg (358KB)
BOMBの87年8月号の、7ページ目の下です。
86で書いた霜降り明星の番組では、「スケバン刑事V」でブレイク後の、
「STAR」以降のシングルを、当時の映像で流しましたが、司会のせいやが、
唯ちゃん歌上手い。と、感心していました。
確かに、80年代後半のアイドルの中では、本田美奈子、工藤静香に続く、歌の上手さでした。
特に、コンサートで歌っている時の、全力を振り絞って歌う姿は、格別でした。

19〜23歳頃まで、次第にロックに傾倒して行った唯ちゃんですが、
本人は、ロックを歌っているのではなく、気が付くとロックっぽくなって行ったと、
言っています。次第に、ハスキーボイスっぽくなっていったのも、わざとではなく、
全力で歌っている内、次第にハスキーボイスっぽくなって行ったのでしょう。
[89] 名前:名無しさん :2022/07/01 (金) 15:21:08 No.8550
8550.jpg (493KB)
BOMBの87年8月号の、17ページ目です。
「芸能人なんて宇宙人みたいなもんだ。」は、唯が夢中だったピンク・レディーが、
宇宙人みたいに思っていた印象から、発想していたのでしょう。

人気上昇中の頃なので、ザ・スカウト・オーディションを受ている時も、
合格して、宮崎から上京する時も、今まで私が書いたほどユニークではなく、
意外にあっさりと書いてあります。それでも、真っ赤なステレオが欲しくて受けたので、
合格した時に「芸能界に入らなくても、ステレオはちゃんともらえるんですか。」
と聞くところが、唯ちゃんらしいです。
[90] 名前:名無しさん :2022/07/16 (土) 22:00:13 No.8622
8622.jpg (495KB)
BOMBの87年8月号の、18ページ目です。
新人が毎年数百人デビューするのは、70〜80年代は、当たり前でした。
野口五郎がデビューした71年は、700〜800人と言っていました。
85年でも400人なのに、7〜8人しかデビューしないと思っていたのは、
素人だった唯ちゃんらしいです。

83年組が集まった番組では、数万人デビューすると言っていましたが、
さすがにそれはないと思います。そんなにデビューさせたら、レコード会社が潰れてしまいます。
10に書いた、万博紹介番組の生放送でのアシスタントとは、
「EXPOスクランブル」の事なのが分かります。田代まさし、森昌子、1年先輩の菊池桃子と
一緒なので、ひとことも喋れなくても、成立したのでしょう。

そんな唯ちゃんも、ザ・ベストテンにランクインするようになると、キョンキョンとガチで
背比べしたり、明菜にそそのかされて、寺尾聡専用の椅子に座った。と言っていました。
そのザ・ベストテンで、87年6月18日放送回の再放送があります。
唯ちゃんは、「瞳にSTORM」を、宮崎からの中継で歌う回です。
放送は、CSのTBチャンネル2で、8月14日(日) PM9:00〜 です。
[91] 名前:名無しさん :2022/08/01 (月) 16:15:22 No.8694
8694.jpg (495KB)
BOMBの87年8月号の、8ページ目です。
宮崎で生まれ育った頃が、カラー写真で載っています。
唯ちゃんらしい顔の面影があるのは、Eの中三の頃だけですね。
Bの「ビキニの水着は、ナントお兄ちゃんのお古」って?
子供の頃に、女装趣味があるとも思えないので、他の服をお母さんがリメイクしたのでしょう。
[92] 名前:名無しさん :2022/08/16 (火) 20:51:36 No.8767
8767.jpg (496KB)
BOMBの87年8月号の、19ページ目です。
田代まさしとの対談が、4ページに渡って載っています。
「EXPOスクランブル」は、唯ちゃんが、午前中に宮崎の中学の卒業式に出席し、
午後の上京した日の、次の日なので、ナマリが抜けないのは、当たり前でしょう。

90で書いた、ザ・ベストテンの再放送、見ました。
唯ちゃんはスタジオで、両親が宮崎から中継で出演していました。
電話では話していると言った唯ちゃんですが、涙ぐんでいたので、
家出のように上京してから、2年ぐらい、直接は会っていなかったのでしょう。
[93] 名前:名無しさん :2022/09/02 (金) 21:11:32 No.8831
8831.jpg (469KB)
87年3月1日発行の、週プレの年鑑「プレイボーイの本」の、1ページ目です。
86年年9月23日号の週プレからのカットでしょう。
バレーボールで鍛えた、大きなヒップが光るカットです。


[94] 名前:名無しさん :2022/09/19 (月) 22:22:09 No.8892
8892.jpg (496KB)
週プレの年鑑「プレイボーイの本」の、2ページ目です。
これも、86年年9月23日号の週プレからのカットでしょう。
スケバン刑事Vでブレイクする前の、まだあどけない表情が、可愛いです。
[95] 名前:名無しさん :2022/10/06 (木) 03:16:37 No.8962
8962.jpg (492KB)
BOMBの87年8月号の、20ページ目です。田代まさしとの対談の2ページ目になります。
初レギュラー番組(初出演でもある)で、いきなり爆弾事件があれば、
半ベソになるのも当然でしょう。

「石橋をたたいて渡るタイプだな。」と田代まさしに言われている通り、
14年かけて相手を吟味し、結婚しました。でも、4回手相占いをして、
4回とも2回以上結婚する。と言われた事もあり、結婚に対してより慎重になったのでしょう。
2002年の入籍会見では、「浮気願望あります」と言っていましたが、この頃から、
お互い3回浮気してもOKな相手を、探していたんですね。しかしそれは、
飽きっぽい性格を考えて、最初っから許し合えるようにしたかったからでした。

「石橋をたたいても渡らない」と言っていたナンノが、結婚して11年が経ちました。
そのナンノと唯が、2005年ぐらいのHEY!HEY!HEY!(「南野さんはアクションが苦手なので、
そのシワ寄せが、私に来た。」発言)以来、久しぶりに共演します。
10月9(日)、16日(日)放送のBSフジ「「霜降り明星のゴールデン☆80‘S」です。
斉藤由貴も加わり、三代に渡るスケバン刑事の麻宮サキが、集合します。
[96] 名前:名無しさん :2022/10/22 (土) 21:54:50 No.9028
9028.jpg (491KB)
BOMBの87年8月号の、21ページ目です。田代まさしとの対談の3ページ目になります。
ちょうどこの頃、松田聖子が産休過ぎて復帰したので、田代まさしが突っ込んでいるんですね。
この頃の唯ちゃんは、結婚したら芸能人は辞めると言っていますが、結婚する前に、
1度芸能人を辞めた(4年半)ので、仕事が減って、結婚する時期には、芸能人を辞めなくて
済んだと思います。2010年頃から、徐々に仕事を増やしていった印象があります。

唯ちゃんのユニークな個性が好きですが、自分でも変わっている(ユニーク)事を、
自覚してきたとの事です。キョンキョンもユニークな個性で好きなのですが、
BSフジ「「霜降り明星のゴールデン☆80‘S」で、唯ちゃんが、キョンキョンの事を、
アイドルの理想と、言っていました。もしかしたら、お互いユニークな事を、
感じ合っているのかも知れません。
[97] 名前:名無しさん :2022/11/08 (火) 17:30:08 No.9099
9099.jpg (491KB)
BOMBの87年8月号の、22ページ目です。田代まさしとの対談の4ページ目になります。
お母さんより早く、18歳の時に初めて彼(今の旦那)に出会いましたが、
条件の厳しい唯ちゃんは、彼の素行を14年間吟味し、5回のプロポーズを断り、
6回目のプロポーズで、ようやく結婚に至りました。
唯ちゃんが、彼以外なら、結婚出来ていない。と言うのも、分ります。
[98] 名前:名無しさん :2022/11/25 (金) 20:57:11 No.9163
9163.jpg (489KB)
BOMBの86年10月号から、新番組紹介コーナーです。
速報的な形で、いろいろな番組が紹介されていますが、写真に載っているのは、
「スケバン刑事V」と「な・ま・い・き盛り」です。
[99] 名前:名無しさん :2022/12/11 (日) 00:05:57 No.9227
9227.jpg (490KB)
BOMBの86年11月号から、「スケバン刑事V」紹介コーナーです。
ドラマのスタート直後なのに、後半に明らかになる展開まで、バラしています。
それだけ、新番組が乱立する時期なので、視聴者を引き付けたいという事なのでしょう。
そんなスタッフの期待をよそに、「霜降り明星のゴールデン☆80‘S」で、唯ちゃんが、
山猿の忍者という自分の設定を当時聞いて、「斎藤さん、南野さんが築き上げてきた
スケバン刑事シリーズが、私の代でどうなっても知らないよ。」と思ったそうです。

ちなみに、「スケバン刑事U」でも最初の主題歌は、おニャン子の吉沢秋絵が歌っていましたが、
「スケバン刑事V」でも最初の主題歌は、おニャン子の福永恵規が歌っています。
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