レス数が90を超えました。100を超えると書き込めなくなります。

本田美奈子

[1] 名前:名無しさん :2019/04/12 (金) 19:51:43 No.2514
2514.jpg (488KB)
平凡パンチの86年1月20日号の、5ページ目です。
歌手としては、アイドルよりアーティストを目指していた美奈子ですが、
雑誌グラビアでは、85〜86年にかけて、
素晴らしいスタイルを、水着グラビアで見せてくれました。
[2] 名前:名無しさん :2019/04/18 (木) 21:49:54 No.2551
2551.jpg (355KB)
2000年4月25日発行の、20世紀アイドルスター大全集・80年代編から、
本田美奈子の1ページ目の右上です。下に、プロフィールが載っています。
白血病によって他界したのは、2005年11月6日なので、プロフィールには書いてありません。
「本田美奈子.」と改名したのも2004年なので、改名前の名前になっています。
[3] 名前:名無しさん :2019/04/23 (火) 20:38:53 No.2582
2582.jpg (229KB)
20世紀アイドルスター大全集・80年代編から、1ページ目の左上です。
これは、5thシングル「1986年のマリリン」で大ブレイクし、
アーティスト宣言した頃でしょうか。
アイドルっぽい服よりも、ラフなファッションが似合います。
[4] 名前:名無しさん :2019/04/29 (月) 00:50:20 No.2612
2612.jpg (115KB)
20世紀アイドルスター大全集・80年代編から、1ページ目の右中央です。
5のようなアーティストっぽいファッションよりも、アイドル誌では可愛い格好や表情が目立ちます。
元々顔が可愛いから当然なのでしょう。
[5] 名前:名無しさん :2019/05/04 (土) 23:19:31 No.2649
2649.jpg (251KB)
20世紀アイドルスター大全集・80年代編から、1ページ目の右下です。
パジャマスタイルで、寝る前?の美奈子です。
聖子のぶりっ子ファッションでスタートした80年代アイドル界ですが、
菊池桃子のカジュアルファション以降、TPOに適した普段着を如何に可愛く着こなせるかが、
トップアイドルの条件のひとつとなりました。
[6] 名前:名無しさん :2019/05/11 (土) 00:38:49 No.2685
2685.jpg (312KB)
20世紀アイドルスター大全集・80年代編から、1ページ目の左下です。
これも、86年のアーティスト宣言より前だと思います。

82年、中学3年になった時にスター誕生を受け、決戦大会まで進出しましたが、残念ながら落選した
工藤美奈子(本名)。82年からスター誕生は、審査員を総入れ替えし、歌だけではなく
演技やバラエティ的要素も加味した採点に変わっていたので、工藤美奈子は落選し、
同じ決戦大会で松本明子が同格したのかも知れません。同じ回では、徳永英明も落選組です。
スター誕生の決戦大会にはボンド企画もいましたが、プラカードを上げず、翌83年に、
少女隊のメンバーを探していたボンド企画が、工藤美奈子をスカウトし、歌が上手いので
ソロ・デビューさせます。82年は、松本伊代の売り出しに忙しく、
余力がなかったのかも知れません。なお、苗字を「本田」に変えたのは、本名のままだと、
4ヶ月早くデビューした工藤夕貴と、苗字が同じになるからでしょう。
[7] 名前:名無しさん :2019/05/18 (土) 00:18:27 No.2725
2725.jpg (90KB)
20世紀アイドルスター大全集・80年代編から、2ページ目の右上です。

デビューした85年のシングルでは、やはり4th「Temptation(誘惑)」が一番好きでした。
新人賞レースでも歌っていたので、知っている人も多いでしょう。
初のオリコンベストテン入りを果たした曲でもあります。
デビューシングルを決める際は、2nd「好きと言いなさい」が、
当初デビューシングルの予定でしたが、典型的なアイドルソングの 「好きと言いなさい」よりも、
本田美奈子のストロング・ボイスが活かせる「殺意のバカンス」を、本人が強く希望し、
デビューシングルになりました。大人が聴ける歌謡曲(演歌ではなく)が、
少なくなっていたこの頃、新人がいきなりデビューシングルで、
大人が聴ける歌謡曲を歌っていて、当時としては異色だった記憶があります。
なおキャッチフレーズは、「好きと言いなさい」が残りました。
[8] 名前:名無しさん :2019/05/26 (日) 00:49:03 No.2766
2766.jpg (160KB)
20世紀アイドルスター大全集・80年代編から、2ページ目の右の上から2番目です。

4thシングルの「1986年のマリリン」で大ブレイクした美奈子。
この曲から有名なヘソ出しルックが始まりますが、その衣装はマドンナの衣装を元に、
美奈子自身がアイディアを出したものです。そして「私は、アイドルと呼ばれるより、
アーティストと呼ばれたい。」と、アーティスト宣言をします。
今でこそ、歌手=アーティストという呼び方が定着していますが、当時は、
アーティスト=シンガー・ソング・ライターで、自ら作詞・作曲出来る人だけでした。
そんな時代におけるアーティスト宣言は、賛否両論を生みます。
折しも、おニャン子クラブが全盛期を迎え、それに対する従来のアイドルの立場を
宣言したようなキョンキョンの「なんてったってアイドル」が大ヒットした直後。
美奈子のアーティスト宣言と、岡田有希子の自殺によって、
80年代アイドル全盛期が曲がり角を迎えたと思います。
[9] 名前:名無しさん :2019/06/02 (日) 00:05:00 No.2801
2801.jpg (394KB)
20世紀アイドルスター大全集・80年代編から、2ページ目の左上です。

5thシングルの「1986年のマリリン」がオリコン3位(8で書いた4thは間違いでした。)
となり、トップアイドルの仲間入りをした美奈子は、6thの「Sosotte」もオリコン3位、
7th「HELP」はオリコン2位、8th「the Cross -愛の十字架-」はオリコン5位と推移しました。
87年は、9th「Oneway Generation」がオリコン2位、11th「HEART BREAK」がオリコン3位、
12th「孤独なハリケーン」がオリコン2位、13th「悲しみSWING」がオリコン3位と、
大ヒットを続ける中、10thシングル「CRAZY NIGHTS」だけがオリコン10位と低迷します。
美奈子のシングルでは一番好きな曲で、ドラマ主題歌として大ヒットした「Oneway Generation」
の後、髪をバッサリ切り、自由奔放に歌い踊る美奈子を見て、これは初の1位になるかもと、
期待しました。その結果が10位とは。同じ日(4月22日)にリリースされた松田聖子の復帰作
「Strawberry Time」が1位になるための、ソニー側の陰謀かと勘ぐったりして。
後になって原因が、12インチシングルだったためだと分かりましたが、
なぜ1位を狙える絶好の機会なのに、12インチシングルにしたのでしょう。
[10] 名前:名無しさん :2019/06/10 (月) 00:58:41 No.2837
2837.jpg (450KB)
20世紀アイドルスター大全集・80年代編から、2ページ目の下です。

9で書いたように、13thシングルまで順調に大ヒットを飛ばし続けた美奈子ですが、
88年に入ると、ガールズ・ロックバンド「MINAKO with WILD CATS」を結成します。
7月のデビューシングル「あなたと、熱帯」を皮切りに、3枚のシングル、
2枚のアルバムをリリースしますが、いずれも87年までのソロ時代のセールスには
遠く及びませんでした。 同じ88年の2月には、菊池桃子もロックバンド「ラ・ムー」を
結成します。アイドルの王道を歩んでいた菊池桃子のロックバンド結成には、違和感がありましたが、
アーティスト宣言していた美奈子のロックバンド結成は、当然の流れに見えました。
しかし、結果は両者ともセールス的に伸び悩み、1年半弱で両者とも解散します。
人気グループにいたアイドルが、ソロデビューしても成功する例は多くありますが、
ソロとして安定した人気を誇っていたアイドルが、グループを結成して成功した例はなく、
美奈子も菊池桃子も、例外には成りえませんでした。
[11] 名前:名無しさん :2019/06/20 (木) 00:00:15 No.2882
2882.jpg (246KB)
スーパー写真塾の85年8月号から、素人が撮った写真です。
美奈子の方も素人に見えるような、素朴な表情です。

「MINAKO with WILD CATS」解散後は、ソロに戻り、89年「7th Bird "愛に恋"」、
90年「SHANGRI-LA」の2曲のシングルをリリースしますが、いずれもヒットせず。
この頃が一番苦しかったと、後に述懐しています。
「SHANGRI-LA」は大好きな曲で、「MINAKO with WILD CATS」結成前にリリースしていたら、
ヒットしていたと思います。激しくジャンプして踊りながら歌う姿からは、余裕が感じられ、
大ヒットを連発していた頃より、歌唱力は格段の進歩を遂げていました。
(87年の「孤独なハリケーン」は、ストロングボイスを強調しすぎて、
 やや無理をしている感じがありました。)
[12] 名前:名無しさん :2019/06/28 (金) 22:08:36 No.2925
2925.jpg (335KB)
スーパー写真塾の85年8月号から、素人が撮った写真(その2)です。

歌手としての仕事に行き詰まっていた美奈子は、ミュージカル「ミス・サイゴン」が
全編歌で構成されたミュージカルである事を知ると、90年のオーディションに参加し、
1万数千名の応募者の中から、見事に合格。何と1年半のロングランを努めます。
その間、他に全ての仕事をキャンセルし、喉に負担がかからないよう、
日常会話を筆談で行うという徹底ぶりでした。
[13] 名前:名無しさん :2019/07/10 (水) 19:19:29 No.2976
2976.jpg (488KB)
BOMBの85年3月号の、1ページ目です。
「この間、そういう質問(イヤラシイ質問)にズバズバ答えて事務所に怒られたから、
 今回はノーコメント。」自称「明るくてドジな女の子」美奈子の性格は、サバサバしています。
同時期に堀越に転校してきたクラスメートのナンノが、仕事が無くて困っている時、
自分のテレビ局の挨拶回りに、付いてくるようにナンノを誘い、
助かったと後にナンノが言っていました。
[14] 名前:名無しさん :2019/07/10 (水) 19:21:12 No.2977
2977.jpg (361KB)
BOMBの85年3月号の、2ページ目です。

(13の続き)
「和田アキ子さんのようなパンチがきいて歌唱力のある歌手になりたい。」
デビュー前から、目標がアイドルではない事を断言しています。
[15] 名前:名無しさん :2019/07/25 (木) 23:01:43 No.3048
3048.jpg (492KB)
DUNKの85年8月号から、2ndシングル「好きと言いなさい」の広告です。
当初はデビュー曲としてリリースされる予定だった曲のためか、何パターンも広告があります。

ミュージカル「ミス・サイゴン」の大成功を受けて、90年代はミュージカル女優として
大活躍した美奈子。2000年代に入ると、クラシックの楽曲を歌うようにもなり、
ザ・ベストテンの特番で、アカペラで声量ゆたかな歌声を聴かせ、他の出演者を驚かせました。
[16] 名前:名無しさん :2019/08/11 (日) 23:45:34 No.3116
3116.jpg (493KB)
こちらはGOROの85年6月12日号に載っていた、2ndシングル「好きと言いなさい」の
広告です。雑誌の読者層によって、広告を使い分けていたのかも知れません。

ミュージカル女優として、クラシックを歌う歌手として、
トップスターの座まで上り詰めていた美奈子。
そんな彼女がデビュー20周年を迎え、仕事がびっしり埋まっていた2005年初め、
病魔に侵されます。病名は白血病。当時、既に白血病は100%死に至る病気ではなく、
かなりの確率で治癒する病気でした。俳優の渡辺謙、グラドルの吉井怜も完治しています。
美奈子も、同年夏には一時退院する記事をスポーツ新聞で読んでいたので、
治ると世間一般も思っていた事でしょう。ところが....
[17] 名前:名無しさん :2019/08/28 (水) 23:49:12 No.3203
3203.jpg (490KB)
アクションカメラの85年9月号の裏表紙に載っていた、
2ndシングル「好きと言いなさい」の広告です。
こちらは、DUNKに載っていたバージョンに、似ている感じです。

白血病が悪化して再入院した美奈子は、2005年11月6日、帰らぬ人となってしまいました。
美奈子の闘病生活は、すぐに2時間のドキュメンタリーがゴールデンタイムで放送され、
翌年も1時間半のドキュメンタリーが放送されているので、見た方も多いでしょう。
80年代アイドルの中では、最も歌が上手く、向上心も最高だっただけに、残念です。
親友の南野陽子が、「こんなに歌の上手い美奈子が帰らぬ人となり、歌が下手が自分が
生きているなんて、神様は不公平だ。」と言いながら、涙を流している姿が、印象的でした。

これで、しゃんばらの最後のスレ(何度も落ちた)に貼った画像は終わりです。
次回からは、新規画像を貼っていく予定です。
[18] 名前:名無しさん :2019/09/13 (金) 23:19:25 No.3272
3272.jpg (485KB)
2004年12月20日発行の「ザ・ベストテン2004」のムック本に、
「ザ・ベストテン」に出演した当時の事を語ったインタビューが載っています。
インタビュー自体は2ページ目になります。
このムック本が発行された1ヶ月後には、白血病で入院したので、
貴重なインタビューになりました。
[19] 名前:名無しさん :2019/09/30 (月) 01:19:12 No.3353
3353.jpg (494KB)
「ザ・ベストテン2004」の、インタビュー・ページです。
ザ・ベストテンにランク・インした頃から、自分で衣装デザインをし、
アーティスト宣言をします。アーティスト宣言に真意は、ここで語られている通りです。
「歌の実力で人を感動させたい」という思いと、ザ・ベストテンで1位を取れなかった悔しさから、
今まで歌い続けてこられた。と語っています。
「その分、これからの人生で一等賞を取りたいなって思います。」
白血病で入院する直前のインタビューなのが、心を打ちます。
闘病生活も、この目標に向かって闘っていたのでしょう。
[20] 名前:名無しさん :2019/10/14 (月) 00:30:05 No.3432
3432.jpg (490KB)
平凡パンチの85年4月1日号からのカットです。
白黒とはいえ、BOMBやDUNKのようなアイドル誌より、
男性誌の平凡パンチの方が、早く美奈子を載せているとは、ちょっと意外です。
歌手活動だけではなく、グラビア活動も多かった初期の美奈子らしい感じもしますが。
[21] 名前:名無しさん :2019/11/07 (木) 00:50:40 No.3521
3521.jpg (344KB)
ベッピンの85年4月号から、アイドル水泳大会の時のカットです。
「ほっそりしているのは伊代ちゃんに似ているが、一箇所決定的違いがある。
 胸が大きいんですよ。ウヒョ!」
美奈子の胸は、普通の大きさですが、身体が細いので、相対的に大きく見えるのでしょう。
ボンド企画は、岡田奈々・大場久美子・松本伊代・本田美奈子と、身体が細いアイドルを
たくさん育てました。ペチャパイは、岡田奈々と松本伊代で、大場久美子と本田美奈子は、
身体が細いわりには、胸が大きかった印象です。
(少女隊と新田恵利は、興味がないので良く分かりません。ファンの方、ゴメン。)
[22] 名前:名無しさん :2019/11/24 (日) 01:27:42 No.3599
3599.jpg (477KB)
ベッピンの85年4月号から、インタビューです。
松田聖子が結婚・引退(と思われていた)85年、新人はポスト聖子を目標にしている人が
多かったですが、美奈子の目標は和田アキ子。「ラブ・イズ・オーバー」も歌ってみたいという
本格的歌手を目指している事を、デビュー前から宣言しています。
こんな話題の後、バストが大きい話とかに飛んでしまうのが、ペッピンらしいです。
初めの内は、付き合って答えている新人の美奈子ですが、短気だと言っている性格通り、
何でこんな質問ばかりなの?と、マネージャーに訴えるあたり、
後にアーティスト宣言をする美奈子らしいです。
[23] 名前:名無しさん :2019/12/16 (月) 01:56:17 No.3684
3684.jpg (487KB)
デラックスマガジンの85年4月号の、新人紹介ページです。
83年夏に、ボンド企画にからスカウトされた工藤美奈子は、本名のまま84年秋の長崎音楽祭
(新人のみの音楽祭)でグランプリを獲得し、ソロ・デビューへ弾みをつけます。
「好きな言葉が「前進あるのみ」。ターゲットが決まったら一直線。」
85年は、新人賞を目指して一直線。86〜89年は、アーティストと呼ばれたくて一直線。
90年代は、ミュージカル女優目指して一直線。
白血病にも一直線で立ち向かった美奈子は、立派です。
[24] 名前:名無しさん :2020/01/05 (日) 00:48:39 No.3772
3772.jpg (492KB)
DUNKの85年5月号の、1ページ目です。
寅さんの故郷で有名な柴又生まれの美奈子は、寅さんと同様、目立ちたがり精神が旺盛でした。
校舎の片隅で、ミニコンサートを開いていたとは。
仲良しがいれば、第二のピンク・レディーになっていたかもです。
(ピンク・レディーの場合は、レコード店の前で歌っていました。)
同時期に堀越学園に転校した、同い年の南野陽子・石野陽子と仲良くなりました。

[25] 名前:名無しさん :2020/01/17 (金) 19:57:06 No.3822
3822.jpg (322KB)
豊かな胸の谷間をアピールする美奈子。
バストが目立たなくなるチューブトップのブラでこの谷間!!
当時は、中森明菜の青ビキニポスターが一番のお気に入りでしたが、
この写真集を見て、中森明菜から美奈子に乗り換え思い出の写真です。
アイドルの女王交代劇、個人的にまさに「その時、歴史が動いた」瞬間です。

改めて、お気に入りの2枚を並べてみると、
美奈子が、「バストだって負けないんだから・・・」と
必死に寄せあげている感じがそそります。

>>21
同じスレンダーでも、バストにおいては、松本伊代さんとは格が違いますね。

[26] 名前:名無しさん :2020/01/17 (金) 21:22:13 No.3823
3823.jpg (146KB)
>>22
スレンダーなのにバストは豊か、露出も大胆な美奈子ですが、自分のプロポーションには案外、謙虚なんですよね。
水泳大会で「Ⅾカップくらいあるんじゃない?」と聞かれた時も、「そんなにありません」ときっぱり答えていました。
Ⅽカップくらいでしょうか?

中森明菜の掲示板でも書きましたが、明菜が「1986年のマリリン」歌った時は、胸元が大きく切れ込んだ衣装でバストの谷間を見せつけ。光GENJIの諸星はさかりがついたように興奮していたし、田原俊彦なんか、「オッパイでかい明菜が、激しく踊っちゃダメだって」とセクハラ発言。

美奈子は悔しい思いをしたんじゃないでしょうか。直後のステージでは、いつにもまして、キレキレの踊り、そして、ゲスト席に向かってお尻を突き出すような女豹ポーズ。豊満すぎる巨尻の明菜に、ピチピチのお尻で勝負を挑んだ感じでした。
モンローウォークしたら、デカ尻の明菜は食い込んじゃうと思いますが、ピチピチの美奈子は颯爽としていそう。
セクシーな明菜もいいけど、やっぱり、美奈子が最高です。



[27] 名前:名無しさん :2020/01/17 (金) 21:28:42 No.3824
3824.jpg (111KB)
すいません。
文字化けが。正しくは↓

スレンダーなのにバストは豊か、露出も大胆な美奈子ですが、自分のプロポーションには案外、謙虚なんですよね。
水泳大会で「Dカップくらいあるんじゃない?」と聞かれた時も、「そんなにありません」ときっぱり答えていました。
Cカップくらいでしょうか?

アンダー65のDカップの中森明菜と比べても、Cカップはありそうです。
[28] 名前:名無しさん :2020/01/19 (日) 04:24:26 No.3830
3830.jpg (484KB)
>>25〜27
美奈子と明菜の比較画像、及び美奈子のバストを強調した画像アップ、ありがとうございます。
美奈子のバストを強調した画像は、あまり持っていないので、ありがたく頂きます。
美奈子と明菜は、デビュー当時、実年齢より幼い表情だった事、それが2〜3年後には、
大人びた表情に変わって行った事、デビュー当時は、幼い表情なのにプロポーション抜群の身体と、
ビジュアルでの共通点が多いですね。もちろん本業の歌手としても、アイドルよりアーティストを
目指していた事、歌唱力抜群な事も、共通しています。
美奈子は、バストもヒップも明菜よりは一回り小さいですが、身体全体が細いので、
相対的に大きく見えるのでしょう。70年代の昔から、バストが大きい歌手は、声量が大きく、
歌唱力抜群という定説がありました。小柳ルミ子・アグネスチャン・河合奈保子と継承され、
明菜や美奈子にも引き継がれたと思います。伊代ちゃんのバストを見れば、声量なさそうですね。

画像は、BOMBの85年10月号の巻頭大特集から、3ページ目です。
バストの日焼けしていない部分を見せて、バストをより大きく見せるという、
グラビアアイドルのような高等技術を見せているカットです。
[29] 名前:名無しさん :2020/01/25 (土) 07:55:55 No.3860
3860.jpg (383KB)
美奈子VS明菜、熱いですね!
美奈子がこんなに立派なオッパイを持っていたとは。
美奈子はBカップくらいだと見立てて、あまり注目してませんでしたが、意外な豊乳の魅力に気づかせていただき、ありがとうございます。
オッパイ星人&明菜ファンの私も、美奈子に浮気しそうです。
今更ながら、美奈子に興味がわき、手持ちの古い雑誌や、ネットで調べたところ・・・・
以下のようなことを知りました。

@声量が大きくて歌唱力抜群
youtubeで見ても、美奈子のステージはパワフルで歌唱力も素晴らしいです。
bQ8さんのご指摘でなるほどと思ったのですが、確かにバストが大きい、小柳ルミ子、河合奈保子、中森明菜、そして本田美奈子は、みな声量がありますね。ほかにも、バストが豊かな斉藤由貴や西田ひかるも声量があり、逆に、ペチャパイの松田聖子や松本伊代、早見優は声量が小さいので、この定説は実証されたと思います。
中でも、美奈子のパンチ力は群を抜いていますね。

A生意気でわがまま?
ダンクのインタビューで「自分のために地球は回っている」、ザベストテンでは、「アイドルではなくてアーティストと呼ばれたい」なんて発言も。これに対して松任谷由美は、「本田美奈子ごときがアーティストなら、私は神様」と毒をはいています。
当時としては、わがままとか生意気なんて批判もあったみたい。個人的には、はっきりとモノを言うタイプ好きですが・・・。

B美奈子VS明菜
bQ8さんのご指摘のように、「幼い表情と抜群のプロモージョンのアンバランスさ」、そして、大人びた仕草やツッパリイメージもダブります。
そしてステージ衣装も。
十字架は「十戒」で明菜のイメージだったんですが、美奈子も多用。
明菜にとっても面白くなかったんじゃないでしょうか。週刊誌ネタながら、「明菜が美奈子つぶし発言」なんて記事もありました。
bQ6さんの「1986年のマリリン」の競演はみつけられませんでしたが、
個人的には、明菜と美奈子のマリリン、どっちが見たいかと言われたら、やっぱり明菜ですね。
美奈子も素敵ですが、私の中ではやっぱり明菜が最高です。
[30] 名前:名無しさん :2020/01/28 (火) 02:58:21 No.3870
3870.jpg (491KB)
>>29
美奈子VS明菜の対決文章と画像アップ、ありがとうございます。

@について、豊乳で歌唱力抜群は、他に岩崎良美・岡田有希子もいました。
榊原郁恵や柏原よしえも上手い方だと思います。
貧乳なのに歌唱力抜群なのは、伊藤咲子・岩崎宏美・松田聖子・荻野目洋子・工藤静香ぐらいで、
他は、あまり上手いとは言えないですね。比較的豊乳なのに音痴なのは、
大場久美子と斉藤由貴だけでしょう。何事にも例外はあるようで。

Aについては、私もはっきりとモノを言うタイプが好きです。ユーミンのその発言は、
初めて知りました。ソングライターとしては神様かも知れないけど、歌手としては?です。

Bについて、美奈子のデビュー直前に、顔が似ている工藤夕貴(デビュー時13歳)がいたので、
本名の工藤美奈子ではなく、本田美奈子にしたのですが、それでも顔だけでは間違われるほど、
幼く見えたそうです。ステージ衣装で、立派なオッパイを強調したカットがあったので、貼ります。

DUNKの86年2月号の、3ページ目です。
バストにヒラヒラした立体模様を付けて、超ボインに見せています。
実際には、ここまで大きくはないでしょうが、衣装の上から溢れているオッパイは、本物です。
明菜も対抗したかったでしょうが、人の真似をしないポリシーがあるので、同じタイプの衣装は
着ていないと思います。人真似に抵抗のないキョンキョンは、似た衣装を着ていました。
[31] 名前:名無しさん :2020/02/02 (日) 15:21:08 No.3897
3897.jpg (14KB)
>>30
超ボインに見えますね!
家宝にいたします。ありがとうございます!!
このビラビラオッパイ強調衣装で、ライブもやってたみたいですね。
ずり落ちそうだし、ハラハラ・ドキドキものですね。

確かに、この画像のみならず、美奈子は相当に寄せあげ・谷間アピールが激しいですね。
美奈子は、下乳が先細ってる写真が多いです。
やはり、キョンキョンや明菜の方が、バストの豊かさでは一段階上のクラスなのでしょう。
[32] 名前:名無しさん :2020/02/05 (水) 04:43:47 No.3910
3910.jpg (485KB)
>>31
ヴァージンコンサートのCDジャケ写真、ありがとうございます。
オッパイの大きいアイドルは、大きなオッパイを恥かしがるのが普通でしたが、
美奈子は、自慢するかのように強調していますね。

80年代トップアイドルの、オッパイの大きさベスト10(私見です)は、以下の通りです。
1位:河合奈保子(誰が見ても、そう思うでしょう)
2位:小泉今日子(オッパイの大きさ以上に、突き出方が凄い)
3位:中森明菜(形のセクシー度では、トップでしょう)
4位:岡田有希子(デビュー時です。後半は痩せて縮んだ感じ)
5位:柏原よしえ(河合奈保子と一緒の時が多いので、大きいと勘違いしますが、実力はこのくらい)
6位:斉藤由貴(柏原よしえと同じで、オッパイ自体よりも、バストサイズが大きい)
7位:岩崎良美(水着写真が無いので分かりにくいですが、ダークホースです)
8位:本田美奈子(実力より大きく見せる技術に長けている)
9位:三田寛子、10位:中山ミ美穂(この二人が、標準クラスでしょう)
なお、工藤静香以外のおニャン子くらぶは、よく知らないので、除外しています。

画像は、DUNKの86年2月号の、2ページ目です。30・31と同じ衣装ですが、
横より少し後ろ側から写しているので、斜め上に突き出ているように見えます。
[33] 名前:名無しさん :2020/02/09 (日) 12:09:26 No.3925
3925.jpg (57KB)
>>32
オッパイの大きさランキング、参考になります!
なにかの雑誌のオッパイ番付では、榊原いくえや、柏原よしえ、斉藤由貴といったぽっちゃりタイプばかりが上位にきて、不公平にかんじていました。
bR2さんのように、純粋な乳房の大きさで評価して欲しいです。

また、オッパイ星人的には、
大きさに加えて、色や形、場合によっては乳輪や乳首とのバランスも気になるところです。
総合的な観点からいえば、
小泉今日子、もちろん中森明菜、柏原芳恵、斉藤由貴、本田美奈子のオッパイが好きです。

本田美奈子、ライブ動画などでは、以外と胸の谷間がたいしたことありません。
きっと、激しい動きで、寄せて・あげて の効果が薄れてきたものと思います。
でも、テクは大事。本田美奈子、大好きです。

[34] 名前:名無しさん :2020/02/12 (水) 04:26:08 No.3944
3944.jpg (495KB)
>>33
美奈子のステージ画像と文章、ありがとうございます。
オッパイの形では、河合奈保子は巨乳型(とにかくデカくて重い)、
小泉今日子と岡田有希子は半球型(張りがあって固い)、
中森明菜と本田美奈子は釣鐘型(柔らかいので垂れ型でもある)、
柏原よしえと斉藤由貴は台形形(面積は広いけれども、厚みが不足している)、という感じです。
蛇足ですが、榊原郁恵のデビュー時は、河合奈保子など問題にならないほどの超ボインでした。
オッパイが縮んでからの画像が出回っているから、柏原よしえクラスと勘違いするのでしょう。

画像は、DUNKの85年11月号の、巻頭大特集の9ページ目です。
肩紐がないワンピースでオッパイを圧迫し、上から溢れ出させる事により、
オッパイをより大きく見せるという、グラビアアイドルのような高等テクを見せているカットです。
[35] 名前:名無しさん :2020/03/08 (日) 03:38:01 No.4045
4045.jpg (489KB)
DUNKの85年5月号の、2ページ目です。(24の続き)
満面の笑みを浮かべている、美奈子の表情が可愛いです。
[36] 名前:名無しさん :2020/03/30 (月) 02:14:31 No.4145
4145.jpg (485KB)
DUNKの85年7月号の、1ページ目です。
DUNK第一図鑑として、アイドル・タイプ別女の子攻略法が載っています。
美奈子は、「のびのびシティギャル攻略法」として、4ページに渡って載っています。
他には、「しっかり世話女房タイプ」として橋本美加子が、
「家庭的おっとりタイプ」として松本典子が、
「ネアカ活発もりもり娘」として井森美幸が載っています。
[37] 名前:名無しさん :2020/04/16 (木) 02:26:47 No.4246
4246.jpg (459KB)
DUNKの85年7月号の、2ページ目です。
すでに決まっていたデビュー曲「好きと言いなさい」を、「殺意のバカンス」に変えるよう懇願し、
実現させほど、自己主張の強い美奈子は、自分からリードしていくシティギャルにピッタリです。
[38] 名前:名無しさん :2020/05/05 (火) 04:57:29 No.4360
4360.jpg (319KB)
ベッピンの85年5月号から、記事です。
工藤夕貴と顔が似ている事を、書いている記事です。本名の工藤美奈子から、
本田美奈子に改名してデビューしたのは、顔が似ている事が一因でしょう。
17歳の美奈子の方が、13歳の工藤夕貴より、顔が美少女で、声もいいんので、
筆者の勘が当たり、年末に数々の新人賞を取りました。
工藤夕貴は、この失敗を反省してか、歌手を辞めて女優業に専念し、
ハリウッド女優にまで、上り詰めます。
[39] 名前:名無しさん :2020/05/25 (月) 01:42:43 No.4476
4476.jpg (495KB)
DUNKの85年7月号の、3ページ目です。
後にアーティスト宣言する美奈子が、アイドルというより、モデルっぽい紙面を作っていたとは、
意外です。この時点では、橋本美加子・松本典子・井森美幸と、同様の扱いでした。
[40] 名前:名無しさん :2020/06/15 (月) 05:33:04 No.4582
4582.jpg (489KB)
DUNKの85年7月号の、4ページ目です。
キッスのポーズをする美奈子の顔のアップです。
デビューの頃から、色っぽさも出せるアイドルでした。
[41] 名前:名無しさん :2020/07/08 (水) 04:28:05 No.4684
4684.jpg (491KB)
ラジオマガジンの85年5月号の、1ページ目です。
まだあどけなさが残る、デビュー直前の美奈子の可愛い表情です。
2ページ目には、当時の可愛い美奈子についての記事が載っています。
[42] 名前:名無しさん :2020/11/30 (月) 00:29:24 No.4788
4788.jpg (491KB)
ラジオマガジンの85年5月号の、2ページ目です。
86年にアーティスト宣言するまでの美奈子は、この文章のように可愛くて、素直で、
でも歌だけはとても上手いアイドル歌手でした。
[43] 名前:名無しさん :2020/12/16 (水) 00:06:18 No.4905
4905.jpg (493KB)
BOMBの85年4月号から、デビュー曲「殺意のバカンス」の広告です。
[44] 名前:名無しさん :2020/12/31 (木) 01:58:47 No.5021
5021.jpg (494KB)
BOMBの85年5月号の、1ページ目です。
BOMBのカラーグラビアでは、5月号で初登場しています。
ちなみにDUNKでも、35に載せた5月号で初登場しています。
[45] 名前:名無しさん :2021/01/04 (月) 21:48:16 No.5057
コメントスペースにURLをコピペするだけです http://topanime.mywibes.com
[46] 名前:名無しさん :2021/01/19 (火) 02:01:41 No.5172
5172.jpg (487KB)
BOMBの85年5月号の、2〜3ページ目です。
初めての海外旅行は、ハワイかグァムと相場が決まっているアイドルの海外旅行。
スタッフの目的は、当然初めての水着撮影です。
美奈子も例外ではありませんでした。
21で載せている画像は、その時のグァムで行われた水泳大会での水着姿です。
[47] 名前:名無しさん :2021/02/03 (水) 01:27:37 No.5288
5288.jpg (236KB)
BOMBの85年2月号の記事が、美奈子のBOMB初登場です。
本名の工藤美奈子の、「工藤」を変える事は決まっていましたが、
芸名を「本田美奈子」にする事は、まだ決まっていなかったのでしょう。
「美奈子」という名前だけが載っています。
[48] 名前:名無しさん :2021/02/03 (水) 02:42:01 No.5289
2005年に逝去したのはすごくショックでした。
[49] 名前:名無しさん :2021/02/16 (火) 22:20:19 No.5408
5408.jpg (494KB)
MOMOCOの85年5月号の、1ページ目です。
86年に、アーティスト宣言をする美奈子ですが、85年はデビュー時なので、
アイドルらしい可愛らしさ全開のグラビアが多かったです。
3年前に、スター誕生に応募し、決戦大会まで進んで落選しているので、
デビューが決まってからは、人気アイドル目指して必死だったのでしょう。

>>48
本当に残念ですね。2005年の時点で、白血病は治る病気と言われていて、
一時退院をした記事を、スポーツ紙で読んで安心していたんですけどね。
[50] 名前:名無しさん :2021/03/04 (木) 02:06:57 No.5531
5531.jpg (494KB)
MOMOCO初登場は、85年3月号。その1ページ目です。
母親も昔、歌手になりたかったので、美奈子の歌手デビューを応援したそうです。
美奈子が亡くなった際のドキュメンタリー番組等で、生前の美奈子の事を語る母親の姿は、
60代(美奈子の享年が38歳なので)には見えないほど、若々しかったです。
昔、歌手志望だったことも、うなずけます。

ここでも、目標とする歌手を「和田アキ子さん」と、言っています。
歌にパンチがあるだけではなく、自分の思っている事を、ハッキリ言う性格が好きだったようで、
「歌唱力がある個性的な歌手」になり、目標を実現しました。
[51] 名前:名無しさん :2021/03/04 (木) 19:56:40 No.5533
『One Way Generation』が
僕の好きな曲でした。
[52] 名前:名無しさん :2021/03/04 (木) 19:57:50 No.5534
2005年に逝去したのは
とても信じられないです。
[53] 名前:名無しさん :2021/03/18 (木) 03:11:26 No.5656
5656.jpg (478KB)
MOMOCOの85年3月号の、2ページ目です。

(50に載せた1ページ目の続き)
幼稚園の運動会の時、トップを走っていたのに、両親が「美奈子」と叫んで応援ると、
呼ばれてると勘違いして、両親のトコに行き、ペケになるという、ドジな美奈子でした。
それが、電車でチカンに会っても、にらんだり、手を引っ張って、
「おまわりさんのところに行きましょ」という、強い性格に美奈子に成長しています。

>>51
私も好きです。「CRAZY NIGHTS」が一番好きで、
「One Way Generation」は、2番目に好きでした。
[54] 名前:名無しさん :2021/04/01 (木) 21:32:15 No.5773
5773.jpg (476KB)
白黒が続かないように、カラーグラビアを。
MOMOCOの85年5月号の、2〜3ページ目です。
[55] 名前:名無しさん :2021/04/17 (土) 02:45:02 No.5888
5888.jpg (493KB)
MOMOCOの85年5月号の、4ページ目です。
80年代前半までは、アイドルの成長過程を、ファンが応援する。というパターンが、
王道アイドルの道でしたが、85年からは、短期勝負型が増えて行きました。
それはデビューの年齢にも現れていて、15〜16歳でのデビューが多かった80年代前半に対し、
85年にデビューし、ブレイクしたアイドルは、19歳の斉藤由貴や、
18歳の南野陽子であり、美奈子も18歳になる年にデビューしています。

おニャン子くらぶに所属していたので、高校生と思っていた人も多い河合その子は20歳、
国生さゆりは19歳でした。15歳でデビューした浅香唯は、ブレイクが1年半後になり、
16歳になったばかりの芳本美代子を始め、17歳の松本典子・石野陽子、16歳の佐野量子、
15歳の志村香・橋本美加子と、全滅します。極めつけは、13歳の工藤夕貴でしょう。
若くしてブレイクしたのは、15歳の中山美穂だけでした。
[56] 名前:名無しさん :2021/05/03 (月) 04:46:48 No.6020
6020.jpg (491KB)
BOMBの85年6月号の、1ページ目です。
歌1本で勝負する美奈子の心意気が伝わってくるインタビューです。
まだ、この頃は「可愛いルックス」「ひょうきんなおしゃべり」「パンチの利いた歌唱力」と、
3本柱の魅力で勝負していましたが、2年目にアーティスト宣言してからは、
歌1本で勝負するようになりました。

レコード大賞最優秀新人賞を、中山美穂に取られた事が、よほど悔しかったのでしょう。
来年は見返してやる。と強気な発言をした後のアーティスト宣言でした。
もしかしたら、レコード大賞最優秀新人賞を美奈子が取っていれば、アーティスト宣言をせず、
3本柱の魅力を極めて、もっと長く活躍出来る人気アイドルになっていたかも知れないです。
[57] 名前:がきーん :削除 No.6063
がきーん
[58] 名前:名無しさん :2021/05/16 (日) 14:53:28 No.6132
6132.jpg (496KB)
BOMBの85年6月号の、2ページ目です。
[59] 名前:名無しさん :2021/06/01 (火) 22:29:11 No.6257
6257.jpg (350KB)
86年2月10日発行の、プレーボーイの本(年鑑)から、1ページ目です。
週プレ85年5月28日号で使われたカットです。
[60] 名前:名無しさん :2021/06/16 (水) 15:21:12 No.6360
6360.jpg (494KB)
プレイボーイの本(85年分の年鑑)から、2ページ目です。
デビュー当時は、可愛いアイドルの表情を重視しているため、
水着でも、バストをあまり強調していません。


[61] 名前:名無しさん :2021/06/29 (火) 17:36:27 No.6447
6447.jpg (487KB)
プレイボーイの本(85年分の年鑑)の、3〜4ページ目です。
横から撮ると、細い身体のわりにバストが豊かな事、スラッとした長い脚なのに、
太ももは肉感的で、グッド・プロポーションなのが分かります。
[62] 名前:名無しさん :2021/07/15 (木) 23:30:19 No.6555
6555.jpg (494KB)
MOMOCOの85年5月号から、「しんちゃんのみんなの歌謡曲」という連載コーナーです。
この「しんちゃん」という人は、本田美奈子一押しなので、
この連載を、続けて読んでいくと、結構面白いです。

デビュー曲「殺意のバカンス」は、美奈子に合わないと言っているので、
最初、デビュー曲として用意されていたが、2曲目になった「好きといいなさい」なら
(本田美奈子の希望で、デビュー曲は「殺意のバカンス」になった。)、
満足していたでしょう。私も、「好きといいなさい」の方が好きですが、
美奈子の個性と歌唱力をアピールするなら、「殺意のバカンス」だったのでしょう。
[63] 名前:名無しさん :2021/07/20 (火) 01:37:56 No.6589
>>51
懐かしい!
[64] 名前:名無しさん :2021/07/30 (金) 21:51:01 No.6654
6654.jpg (494KB)
アイドルプレスの85年7月号の、1ページ目です。
堀越高校はセーラー服ではなかったけれど、高校3年にしては、セーラー服が似合い過ぎます。
ビジュアルは、実年齢よりも幼くて可愛く見える美奈子ですが、
性格は、実年齢以上にシッカリしていました。
[65] 名前:名無しさん :2021/08/15 (日) 21:45:59 No.6749
6749.jpg (493KB)
MOMOCOの85年6月号から、「しんちゃんのみんなの歌謡曲」のコーナーです。
85年の新人を、本田美奈子一押しのしんちゃんが、採点しています。
本田美奈子に関しては、しんちゃんの好みが、かなり入っていますが、
斉藤由貴等の、他の新人は、かなり的確な採点って感じです。
6月21日デビューの中山美穂、浅香唯、6月23日デビューの南野陽子の採点も、
見たかったです。
[66] 名前:名無しさん :2021/09/01 (水) 19:26:03 No.6853
6853.jpg (493KB)
アイドルプレスの85年7月号の、2ページ目です。
ここに書いてある美奈子当ての文章は、次の3ぺージ目をアップしないと、
意味が分からないと思うので、半月ほどお待ち下さい。
[67] 名前:名無しさん :2021/09/16 (木) 16:30:21 No.6946
6946.jpg (492KB)
アイドルプレスの85年7月号の、3ページ目です。
ステキな男性と向かい合った時の美奈子の表情→下の左から2番目。
美奈子がちょっとエッチな事を考えている表情→上から2番目の左から3番目。でした。

でも美奈子って、いろんな表情が出来て、どれも輝いている、
完成されたアイドルだった事が、分かります。
[68] 名前:名無しさん :2021/10/02 (土) 22:08:35 No.7040
7040.jpg (483KB)
アイドルプレスの85年7月号の、4ページ目です。
いろんな表情が出来て、どれも輝いている美奈子が、1ページ使って載せた顔のアップです。
笑顔の美奈子より、澄ました表情の方が、真っ直ぐ見つめる瞳で、
美奈子の意思の強さを表現しているので、本人も気にいっていると思います。
[69] 名前:名無しさん :2021/10/19 (火) 19:08:55 No.7138
7138.jpg (371KB)
アイドルプレスの85年7月号の、5ページ目です。
黙っている時の美少女の美奈子と、おしゃべりしている時のフレンドリーな美奈子の違いを、
書いている文章は、読みにくいですが、大きな文字を続けて読むと、
「美奈子はたっくさんの顔をもっています」となります。
沢山の顔を持つ美奈子は、波乱万丈の人生を送りました。
[70] 名前:名無しさん :2021/11/04 (木) 22:32:46 No.7233
7233.jpg (496KB)
DUNKの85年8月号には、「本田美奈子まんが大劇場」が、
7ページに渡って載っています。その1ページ目です。
白黒が続かないように、他の雑誌グラビアと、交互に載せて行きます。
[71] 名前:名無しさん :2021/11/18 (木) 19:23:17 No.7309
7309.jpg (471KB)
熱写ボーイの85年7月号の、1ページ目です。
[72] 名前:名無しさん :2021/12/06 (月) 21:52:21 No.7422
7422.jpg (490KB)
DUNKの85年8月号の、「本田美奈子まんが大劇場」の2ページ目です。
「8時だヨ!全員集合」は、前半のコント部分が予定より長くなる事がしょっちゅうあり、
その度に、ゲストの歌のテンポをかなり上げて、時間調整するのが、日常茶飯事だったそうです。
ゆっくり歌う事で美奈子のストロング・ボイスが活きる「殺意のバカンス」も、
アップテンポに変えられたら台無しと、普通は思いますが、それでもこの漫画のように、
堂々と歌っていたら、かなりの大物でしょう。
[73] 名前:名無しさん :2021/12/22 (水) 22:10:58 No.7516
7516.jpg (492KB)
熱写ボーイの85年7月号の、2ページ目です。
サイドと後ろ髪を束ね、前髪をアップにした髪型が、決まっています。
達観したような表情も、その髪型に似合っています。
[74] 名前:名無しさん :2022/01/08 (土) 23:07:14 No.7638
7638.jpg (494KB)
DUNKの85年8月号の、「本田美奈子まんが大劇場」の3ページ目です。
ピンクレディーの全盛期は、77〜78年に集中していたので、
1965〜70年生まれのアイドルが、その大部分を占める80年代トップアイドルは、
すべて小学生の頃に、ピンクレディーの洗礼を受けている事になります。
1967年生まれの美奈子は、小学4年の時に、洗礼を受けています。

大ブレイクした「1986年のマリリン」以降の、激しく踊りながら歌う美奈子のスタイルは、
ピンクレディーの発展形かも知れません。
[75] 名前:名無しさん :2022/01/23 (日) 21:51:39 No.7735
7735.jpg (494KB)
熱写ボーイの85年7月号の、3ページ目です。
プロフィール欄に書いてある、「好きな言葉:前進あるのみ」
この言葉が、美奈子の芸能活動の原動力になっていたのでしょう。
アイドル歌手→アーティスト宣言→ロックバンド結成・解散→再びソロ歌手
→ミュージカル・スター→クラシックへの挑戦。と、前進しまくった人生でした。
でも性格は、明るくてドジ。これが、みんなから愛された理由でしょう。
[76] 名前:名無しさん :2022/02/09 (水) 00:17:18 No.7836
7836.jpg (497KB)
DUNKの85年8月号の、「本田美奈子まんが大劇場」の4ページ目です。
中学時代に、バスケットボールで体を鍛えたのが、
美奈子の激しい踊りのキレを生んでいるのかも知れません。
同じくバスケットボールで体を鍛えた石川秀美も、踊りのキレが良かったです。
[77] 名前:名無しさん :2022/02/24 (木) 14:09:39 No.7926
7926.jpg (486KB)
熱写ボーイの85年7月号の、4ページ目です。
好きな色:ピンク。これは85年の美奈子が、アイドル歌手として活動していたからでしょう。
86年にアーティスト宣言してからは、ピンク系統は、あまり着なくなりました。
[78] 名前:名無しさん :2022/03/12 (土) 22:44:59 No.8019
8019.jpg (496KB)
DUNKの85年8月号の、「本田美奈子まんが大劇場」の5ページ目です。
中学2年の時に、スター誕生を受けて、決戦大会まで行って落ちた事は、載っていませんね。
マイナスイメージになるので、割愛したのでしょう。
高校入学時に、バスケットが強豪チームなので、レギュラーは無理と思って、
アキラメタのは美奈子らしくないのかも知れませんが、そのおかげで原宿に行ったのが、
デビューのきっかけになったので、結果オーライでしょう。

[79] 名前:名無しさん :2022/03/29 (火) 15:38:12 No.8100
8100.jpg (490KB)
投稿写真の85年7月号から、素人が撮った写真です。
横から撮っているのに、下に着ている衣装についている胸のパッドが、
正面を向いている。という事は? 美奈子の胸はどういう状態でしょう。
[80] 名前:名無しさん :2022/04/14 (木) 23:14:18 No.8180
8180.jpg (493KB)
DUNKの85年8月号の、「本田美奈子まんが大劇場」の6ページ目です。
83年7月にスカウトされたので、美奈子はまだ15歳でした。
スカウトしたボンド企画は、芸能セクションとモデルセクションがありましたが、
美奈子は、少女隊のメンバーを探していたスタッフにスカウトされたので、
モデル部の人ではなく、芸能部の人の間違いだと思います。

社長の高杉敬二は、美奈子の歌に惚れ込み、グループデビューではもったいないので、
ソロデビューの方針に変更します。
この頃は、スカウトされても、歌手デビューが約束されていた訳でなく、
デビューのきっかけを掴むオーディションを受けるのが、当たり前でした。

同じボンド企画の先輩・松本伊代は、スカウトされてすぐに、田原俊彦の妹役
オーディションに合格し、順調に歌手デビューしますが、菊池桃子のように、スカウト後、
20数社のオーディションに落ち、やっと映画「パンツの穴」のマドンナ役に合格したり、
スカウト後、歌手デビューしても売れず、数々のオーディションに落ちまくり、
1年以上経った後、やっと「スケバン刑事V」の主役に抜擢された浅香唯の例もあります。
[81] 名前:名無しさん :2022/05/02 (月) 14:41:39 No.8261
8261.jpg (491KB)
BOMBの85年7月号の、1ページ目です。
夏とお祭りが大好きという美奈子。85年の美奈子は、明るく元気なイメージが強く、
そんな美奈子にピッタリの笑顔のグラビアであり、「夏とお祭りが大好き」もピッタリです。
[82] 名前:名無しさん :2022/05/19 (木) 03:47:42 No.8342
8342.jpg (495KB)
DUNKの85年8月号の、「本田美奈子まんが大劇場」の7ページ目です。
この頃の美奈子は、いろいろなCMに出演したり、キャンペーンにも積極的で、
ザ・アイドルという感じです。
ラジオのDJ番組も担当し、若き日の秋元康と一緒の姿も、写っています。
この間、1980年2月のザ・ベストテンの再放送を見ていたら、
秋元康が、放送作家としてクレジットされていました。

[83] 名前:名無しさん :2022/06/04 (土) 20:05:29 No.8418
8418.jpg (493KB)
BOMBの85年7月号の、2〜3ページ目です。
人気アイドルが、デビューした年から、南の島の水着ロケを始めとして、海外ロケを行うのは、
70年代から続いて来ました。70年代は、まだ一般人の海外旅行が珍しかったので、
「憧れの海外にアイドルがいる。」という見方で、ファンは雑誌ロケを見ていましたが、
80年代後半にもなると、バブル景気で、海外旅行が一般人にも浸透し、
アイドルの海外ロケ自体は、ファンにとって貴重では無くなりました。

しかし、アイドル自身が、海外で開放された気分になるので、
いい表情が撮れて、海外ロケが続いたのだろうと思います。
美奈子も、海外ロケを、楽しい事がいっぱい。と言っています。
[84] 名前:名無しさん :2022/06/21 (火) 16:18:12 No.8498
8498.jpg (481KB)
BOMBの85年8月号から、3つ折りピンナップです。
豊満なバストが、途中で切れているのが、ちょっと残念です。
[85] 名前:名無しさん :2022/07/06 (水) 18:39:11 No.8574
8574.jpg (487KB)
BOMBの85年8月号の、1ページ目(インタビュー)です。
遅くても、25歳までには結婚したい。と言っています。
ミュージカルとの出会いが無ければ、結婚して、いい奥さんになっていたかも知れません。
何でも一生懸命に行う美奈子なので、パチンコにも夢中になって、
お母さんがいなくなった事にも気づかず、婦人警官に補導されそうになったのでしょう。
(続きのコメントは、次回)
[86] 名前:名無しさん :2022/07/21 (木) 20:50:54 No.8647
8647.jpg (493KB)
BOMBの85年8月号の、2ページ目です。

(1ページ目の続き)
ポルノ映画を見たいと思わないと言っていますが、その一部(かな?)をテレビで見た時、
「自分のと比べて、勝ったァ、とか負けたァとか。」思うそうです。
美奈子の事だから、当然、バストを比べたのでしょう。
「ザ・ベストテン」の、スポット・ライトに出演した時は、大きな声で早口で喋って、
あの黒柳徹子が、驚いていました。優しくしてくれた、明菜の小さな声とは、対照的です。

コントをやっても、クサい演技になる美奈子は、ドラマや映画より、
舞台に向いているのでしょう。ミュージカルに進出したのは、その意味でも正解でした。
[87] 名前:名無しさん :2022/07/28 (木) 13:02:17 No.8675
伊代ちゃんが大昔ラジオで似たようなこと言ってたな。
「男性誌のグラビア見ますよ。やっぱり勝った負けたとか…勝ったことないけど(苦笑)」
[88] 名前:名無しさん :2022/07/30 (土) 14:03:24 No.8685
8685.jpg (251KB)
bW6のコメント、「自分のと比べて、「自分のと比べて、勝ったァ、とか負けたァとか。」
勝気で率直な美奈子らしいですね。
ポルノ女優だけではなく、アイドル同士でも「自分のと比べて、勝ったァ、とか負けたァとか。」
相当に気にしているんじゃないですかね。美奈子は。
だから、寄せ上げて谷間も相当に作ってますね。
左側の写真で深い谷間をアピールしていますが、同じ水着の右側の写真では胸はそんなに厚くないですからね。
でも、バストを大きくみせようと必死な美奈子も、たまらなく好きです。

[89] 名前:名無しさん :2022/07/30 (土) 14:18:22 No.8686
8686.jpg (86KB)
もっとも、当時のアイドルの中では、美奈子のバストは立派な方だったと思いますよ。
同時期のライバル・アイドル四天王とのバスト比較でも、
美奈子>>>>>中山美穂>>浅香唯>南野陽子>工藤静香
ぐらい圧勝だと思いますね。
先輩アイドルと比較しても、
美奈子より豊かなのは、小泉キョンキョンや中森明菜、斉藤由貴くらいじゃないでしょうか。
もっとも負けん気の強い美奈子は、キョンキョンや明菜の前では、さらに寄せ上げて・盛ってくるかもしれません。
もちろん、松本伊代にはコールド勝ちでしょう。
[90] 名前:名無しさん :2022/08/06 (土) 16:30:46 No.8720
8720.jpg (369KB)
>>88,89
美奈子のバストを強調した画像のアップ、ありがとうございます。

画像は、DUNKの85年9月号から、フジテレビの「オールスター紅白水泳大会」に
出場している時の美奈子のカットです。88の右のカットと同様、
バストは強調していませんが、それでもワンピースの上からでも、
バストトップの位置が分かるほど、浮き出ています。
[91] 名前:名無しさん :2022/08/21 (日) 23:03:02 No.8789
8789.jpg (489KB)
MOMOCOの85年8月号から、MOMOCO写真館の1ページ目です。
BOMBやDUNK等のアイドル誌の巻頭特集と比べて、MOMOCO写真館(巻頭特集)は、
記事がほとんどないので、ミニ写真集のような感じです。
[92] 名前:名無しさん :2022/09/07 (水) 20:55:45 No.8848
8848.jpg (492KB)
MOMOCOの85年8月号から、MOMOCO写真館の2ページ目です。
[93] 名前:名無しさん :2022/09/24 (土) 23:55:20 No.8912
8912.jpg (440KB)
MOMOCOの85年8月号から、MOMOCO写真館の3ページ目です。
2ページ目と繋がる風景です。
[94] 名前:名無しさん :2022/10/11 (火) 09:21:34 No.8983
8983.jpg (466KB)
MOMOCOの85年8月号から、MOMOCO写真館の4〜5ページ目です。
いよいよここから、ワンピース水着姿を、披露してくれます。
[95] 名前:名無しさん :2022/10/28 (金) 04:17:13 No.9054
9054.jpg (490KB)
MOMOCOの85年8月号から、MOMOCO写真館の6ページ目です。
横から撮ると、身体が細いわりに胸が豊かなのが、ワンピースを着ていても伝わってきます。
[96] 名前:名無しさん :2022/11/14 (月) 00:20:15 No.9116
9116.jpg (493KB)
MOMOCOの85年8月号から、MOMOCO写真館の7ページ目です。
[97] 名前:名無しさん :2022/11/29 (火) 20:52:10 No.9178
9178.jpg (488KB)
MOMOCOの85年8月号から、MOMOCO写真館の8〜9ページ目です。
横に寝ながら、さりげなくバストを圧迫して、強調しています。
80cmのバストでも、強調すると、こんなに大きく見えるんですね。
ポルノ映画を見て、「自分の(バストと)と比べて、勝ったァ、とか負けたァとか。」思う
美奈子らしく、大きく見える工夫をしています。
[98] 名前:名無しさん :2024/08/25 (日) 15:51:08 No.9265
9265.jpg (80KB)
本田美奈子.さんの1988年〜2004年のプライベートトークが書いてあるもの、動画を投稿していただけましたら幸いです。
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