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菊池桃子

[1] 名前:名無しさん :2019/04/12 (金) 19:20:07 No.2513
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2003年11月16日発売の「アイドル映画30年史」から、カラーグラビアです。
アイドル映画の主演者代表として選ばれた7人(他は、秋吉久美子・木之内みどり・
薬師丸ひろ子・原田知世・斎藤由貴・南野陽子)に選ばれています。
演技にも歌にも過剰なまでの無意識ぶりが、「クラスのあこがれの少女」的イメージに転化され、
理想的なアイドル像として凝縮されているという記事に、賛成です。
[2] 名前:名無しさん :2019/04/17 (水) 22:51:21 No.2545
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DUNKの85年11月号から、ラジオ番組紹介コーナーです。
「自分のことを、モモコっていわないようにしたい。」宣言が、
「モモコは、アタシっていえないみたい。」と、あっさりギブアップ。
特徴的な声とともに、自分の事を「モモコ」と言うクセがセットになって、
後に森口博子等が、桃子の真似をするようになったと思います。
[3] 名前:名無しさん :2019/04/22 (月) 21:58:08 No.2576
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DUNKの86年1月号の、3つ折りピンナップです。
デビュー3年目の晴れ着姿ですが、良く似合います。
この当時、桃子は秀美に似ていると、勝手に思っていたのですが、
晴れ着が似合うという点でも、似ていると思います。
[4] 名前:名無しさん :2019/04/27 (土) 23:54:18 No.2606
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シュガーの84年11月号から、ファーストアルバムに関する記事の1ページ目です。
長く人気を保つトップアイドルは、デビュー時の歌唱力は千差万別でも、
デビュー時と比べて、徐々に歌唱力がアップして行くのが王道でした。
しかし桃子の特徴のある声は、歌唱力とは無関係に魅力的であると、この文章は言っています。
事実、桃子はデビュー以降、同じ歌唱法を貫いていました。
85年以降、ナンノやのりピーのように、歌唱力アップとは無縁のトップアイドルが
増えて行きますが、桃子は、その先駆者でしょう。
デビュー前に、稲垣潤一の「夏のクラクション」を歌の練習曲として、歌っていた桃子。
ディレクターは、最初から桃子の歌手としての魅力は、
その特徴のある声が全てだという事を見抜いていたのかも知れません。
[5] 名前:名無しさん :2019/05/03 (金) 23:12:08 No.2643
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シュガーの84年11月号から、ファーストアルバムに関する記事の2ページ目です。
「桃子は女優としての表現力を持っている事に気づく。」
レコードデビューした81年当時の薬師丸ひろ子と同じと、言いたいのでしょう。
その後、歌が上手くなるのと反比例するように、レコードセールスが落ちていった薬師丸ひろ子と、
デビュー当時の歌唱法を貫き、85年からオリコン1位を取り続けた桃子。
おニャン子クラブ全盛の85年後半〜87年前半にかけて、オリコン1位を取り続けていたのは、
桃子と明菜だけです。女優業がメインの薬師丸ひろ子にとっては、
レコードセールスはあまり関係無かったかも知れませんが。
現在は、大学の客員講師も務めている桃子ですが、メインの仕事は女優業と答えています。
理由は、芸能界に入って一番初めにした仕事だから。また、講師は女優の役柄としても出来るからと、
言っていました。(昨年12月に、NHKのごごナマに出演した時です。)
[6] 名前:名無しさん :2019/05/08 (水) 23:25:55 No.2672
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BOMBの86年2月号の、1ページ目です。
少しふっくらしていた顔が、幾分痩せてきて、可愛らしさと美しさが両立してきた頃です。

(5の続き)
「大きな声で伸び伸びと「青春」なんて歌っちゃ絶対いけないんだ。
 青春がそんなものであっていいはずがない。」
桃子の囁くような歌唱法が、現実の青春にハマったという事でしょう。
[7] 名前:名無しさん :2019/05/16 (木) 23:44:01 No.2719
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スーパー写真塾の85年11月号から、素人が撮った写真です。

国会中継で2度延期され、昨年12月にようやく放送された、
NHKの「ごごナマ」で言っていたエピソードです。
・アイドル時代は、学業優先のため、PM5:00まで高校にいて、
 課外活動や運動会にまで出ていたそうです。この頃は土曜日も授業があったので、
 地方公演や、単発のドラマ・映画の撮影は、長期休みの時だけ行っていたのでしょう。
まだあるので、その内思い出しながら書きます。
[8] 名前:名無しさん :2019/05/24 (金) 00:00:02 No.2760
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BOMBの86年2月号の、2〜3ページ目です。
可愛らしさと美しさが両立してきた、この頃の顔と、あの囁くような声で話すと、癒されます。
90年代に、飯島直子のCMから「癒し系」と言う言葉が一般化しましたが、
80年代に、その言葉があったら、桃子こそ元祖癒し系だった事でしょう。

「ごごナマ」のエピソード
・元祖癒し系とも言える話し方をする桃子ですが、子どもが反抗期の頃は、
 早口で怒鳴っていたそうです。スタジオでも怒鳴って見せましたが、周りからは「可愛い」の声。
 最近では子どもも成長し、手がかからなくなったため、家庭菜園に凝っているそうです。
 女優業・客員教授・母親と一人3役をこなしていた桃子ですが、最も時間を割いていた母親業が
 楽になってきたためか、顔がデビュー当時のようにふっくらしてきました。
[9] 名前:名無しさん :2019/05/26 (日) 23:03:17 No.2772
2772.jpg (491KB)
スーパー写真塾の85年11月号から、素人が撮った写真です。
多分、武道館コンサートを隠し取りしたのでしょう。
(コンサートは、カメラ持ち込み禁止。)
[10] 名前:名無しさん :2019/05/31 (金) 00:40:23 No.2790
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BOMBの86年2月号の、4ページ目です。
香港のアイドル誌の人気投票でも、1位になった桃子。
この頃香港では、日本のアイドル誌の写真や文章をコピーした雑誌が大流行していた事が、
DUNKの86年3月号の、ユッコの記事に載っていました。
[11] 名前:名無しさん :2019/06/08 (土) 00:22:27 No.2825
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オリコン・ウィークリーの85年2月15日号から、素人が撮った写真です。
[12] 名前:名無しさん :2019/06/11 (火) 22:50:07 No.2843
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DUNKの86年2月号から、85年2月の武道館ライブを収めたビデオの紹介です。
当時のアイドルのライブビデオで、1時間半を超えるビデオはほとんど無いので、
画期的な収録時間でした。

これで、しゃんばらの最後のスレ(何度も落ちた)に貼った画像は終わりです。
次回からは、ハリコの初めの頃に貼った画像のレタッチ版を貼って行く予定です。
[13] 名前:名無しさん :2019/06/20 (木) 21:49:52 No.2888
2888.jpg (490KB)
BOMBの84年12月号の、巻頭巻頭ピンナップ表です。
(裏は、巻頭大特集が載っている荻野目洋子)
[14] 名前:名無しさん :2019/07/02 (火) 23:54:34 No.2937
2937.jpg (496KB)
BOMBの84年12月号の、1ページ目です。
カワユサ120%の笑顔です。
[15] 名前:名無しさん :2019/07/15 (月) 00:00:37 No.3000
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BOMBの84年12月号の、2ページ目の右です。
「歌番組でたくさん歌っていきます。」
確かに、3rdシングル「雪にかいたLOVE LETTER 」から、テレビで良く見るようになりました。
[16] 名前:名無しさん :2019/07/28 (日) 01:34:06 No.3061
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BOMBの84年12月号の、2ページ目の左〜3ページ目です。
小泉今日子や中森明菜のホンネ路線に飽きたアイドルファンが、
聖子的ブリッコ路線に戻って菊池桃子に人気が集中したという、アイドル史的な文章を、
良く見かけますが、このカワユい笑顔を見れば、聖子との差は一目瞭然です。
顔の可愛らしさでは、80年代アイドルの中でNo.1だと思います。
[17] 名前:名無しさん :2019/08/13 (火) 22:30:40 No.3128
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BOMBの84年12月号の、4ページ目です。
1stアルバム「OCEAN SIDE」が大ヒット。
シングルよりアルバムが売れるアイドルは、歌唱力抜群というアイドルの常識を、
菊池桃子が、初めて覆しました。
[18] 名前:名無しさん :2019/08/30 (金) 00:06:24 No.3209
3209.jpg (480KB)
DUNKの84年12月号から、ピンナップです。
3rdシングル「雪にかいたLOVE LETTER 」をイメージした衣装とビジュアルで、決めています。
[19] 名前:名無しさん :2019/09/15 (日) 22:57:56 No.3284
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DUNKの84年12月号から、3rdシングル「雪にかいたLOVE LETTER 」の歌詞です。
DUNKでは、創刊時(84年6月)から1年半ぐらい、歌詞が載っているページは、
このようにカラーブラビアでした。おニャン子クラブが台頭し始めてから、
白黒の記事ページの扱いに変わってしまいました。
アイドル=アイドル歌手から、歌手の部分のウェートが少なくなってきたためでしょう。
[20] 名前:名無しさん :2019/09/30 (月) 21:18:31 No.3360
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DUNKの84年12月号から、ミニミニ情報です。
「雪にかいたLOVE LETTER 」のラストの、「メリークリスマス」。
印象に残る歌い方(話し方?)なのは、こういう裏話があったからでした。
[21] 名前:名無しさん :2019/10/15 (火) 00:43:10 No.3445
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DUNKの85年1月号から、2ndシングル「SUMMER EYES」と、
3rdシングル「雪にかいたLOVE LETTER 」の歌詞です。
[22] 名前:名無しさん :2019/11/10 (日) 01:30:09 No.3532
3532.jpg (490KB)
DUNKの85年1月号から、2つ折りのピンナップです。

菊池桃子さん。再婚おめでとうございます。
再婚相手は、桃子が歌手デビューした84年から官僚として働き始め、
アイドル時代の桃子を知らなかったそうです。
荻野目ちゃんの旦那さんもそうですが、アイドル時代の活躍を知らない相手の方が、
結婚生活は、上手く行くみたいです。
[23] 名前:名無しさん :2019/11/26 (火) 00:17:57 No.3604
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85年10月1日発売の「アイドル40年」から、菊池桃子のページの右上です。
20歳になるまで、専属のヘアメークがいなくて、レコードジャケットや写真集の撮影以外では、
ノーメイクだったそうです。(髪を整える人は、専属ではないけれども、いたとの事。)
このカットでは、せめて何かおしゃれしたいという気持ちからか、イヤリングをしています。
[24] 名前:名無しさん :2019/12/18 (水) 00:28:21 No.3690
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「アイドル40年」から、菊池桃子のページの右の上から2番目です。
85年のムック本なので、「ポスト聖子のスーパーアイドル」と書いてあります。
桃子がデビューした84年は、王道アイドル聖子・ツッパリアイドル明菜・
過激アイドルキョンキョンの三つ巴の争いがあったので、
聖子の結婚・引退(と世間では思われていた)の後を次ぐ王道アイドルとして、
桃子の名前が上がっていたのでしょう。
[25] 名前:名無しさん :2020/01/03 (金) 01:15:25 No.3755
3755.jpg (492KB)
ここからしばらくは、ハリコとしゃんばらに載せた画像を、再アップします。
BOMBの84年2月号の、1ページ目です。
まだ歌手デビュー前で、高校受験を受ける前の頃のインタビューです。
女子高に憧れていたそうなので、日出女子学園(現在は男女共学になった)に進学しました。
現在は芸能コースも出来ましたが、当時は普通の高校で、ちゃんと受験勉強しないと、
入れなかったようです。(マネージャーまで勉強していたとの事です。)
ちなみに、山口百恵もこの女子高に通っていました。
おなじモモちゃん同士でも、キャラは全然違いますね。
[26] 名前:名無しさん :2020/01/03 (金) 01:17:47 No.3756
3756.jpg (491KB)
BOMBの84年2月号の、2ページ目です。
まだ中学3年だった頃の菊池桃子です。
初々しい表情が、魅力的です。
可愛らしい表情は、その後トップアイドルとなっても、変わりませんでした。
[27] 名前:名無しさん :2020/01/03 (金) 01:30:56 No.3757
3757.jpg (490KB)
BOMBの84年4月号を貼って行きます。
BOMBは、MOMOCOの親雑誌なので、菊池桃子は何度も巻頭大特集されていますが、
この号は、その記念すべき第一回の巻頭大特集であり、初々しい菊池桃子が見れます。
表紙・裏表紙・ピンナップ・パンツの穴の特集を含めて、55ページの大特集が載っています。
これは、その表紙です。
[28] 名前:名無しさん :2020/01/03 (金) 01:34:35 No.3758
3758.jpg (490KB)
BOMBの84年4月号の、裏表紙です。
見やすいように、90度回転させました。
同期でレコードデビューも同じ日だった岡田有希子の、BOMBの初巻頭大特集も、
そのうち再アップする予定なので、比べて見ると面白いと思います。
メルヘンチックな岡田有希子の裏表紙とは対照的に、
可愛らしさの中に、庶民っぽさが伝わる裏表紙です。
[29] 名前:名無しさん :2020/01/03 (金) 01:40:18 No.3759
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BOMBの84年4月号の、9ページ目です。
ここから、モノクロページが始まります。
モノクロページが続かないように、カラーページを途中に入れながら載せて行きます。
[30] 名前:名無しさん :2020/01/09 (木) 00:53:44 No.3785
3785.jpg (492KB)
BOMBの84年4月号の、10ページ目です。
桃子という名前(もちろん本名)は、桃を食べると長生き出来るという、昔の中国の伝説から
両親が考えたそうです。知りませんでした。
「こんな可愛い子は、100人に1人いるかいないかだよ。」と褒められた桃子。
赤ちゃん〜小学校低学年までは、可愛い子は結構いますが、
その後だんだん大人っぽい表情に変わって行くのが普通です。
でも桃子は、生まれた時の可愛らしさを失わないまま、成長して行ったと思います。
泣きたい時には思いっきり泣かせ、嬉しい時は全身で喜びを表現出来るように、
素直に育てられたのが、あの純真な瞳の美しさになったのでしょう。
[31] 名前:名無しさん :2020/01/09 (木) 00:55:56 No.3786
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BOMBの84年4月号の、11ページ目です。
幼少時代の桃子は、やはり王子様に憧れる女の子。
でも兄からタイガーマスクのベルトを借りて遊ぶ、意外な面も見せています。
そして幼稚園で初恋を経験している、多感な女の子でした。
東京生まれなのに、洗練された感じがなく、素朴な感じがするアイドルだなと思っていましたが、
3歳の時大宮に引っ越し、公園や動物園に連れていってもらった経験が、
活かされているのでしょう。両親に大事に育てられました。
[32] 名前:名無しさん :2020/01/09 (木) 01:00:33 No.3787
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BOMBの84年4月号の、3つ折りピンナップです。
可愛くて初々しい菊池桃子の表情の中に、素人っぽくて垢抜けない新人らしさがあり、
いつも見慣れている菊池桃子の「どのアイドルよりも可愛い表情」とは違う、新鮮さがあります。
[33] 名前:名無しさん :2020/01/09 (木) 01:02:45 No.3788
3788.jpg (490KB)
BOMBの84年4月号の、1ページ目です。
舌をペロッと横に出している表情が、自然で可愛いカットです。
庶民派アイドル、菊池桃子の魅力が出ている表情です。
[34] 名前:名無しさん :2020/01/09 (木) 01:05:37 No.3789
3789.jpg (488KB)
BOMBの84年4月号の、12ページ目です。
幼稚園時代に、自然の中で活発に遊びまわっていた桃子。
小学校に入ると再び東京に戻りますが、5年生の時にイカダごっこをする活発な女の子でした。
リレーの選手で足が早かった事も含め、大人しそうなアイドル時代の桃子のイメージとは違う
小学校時代でした。3年〜6年まで学級委員だったのは、いかにも桃子らしいです。
[35] 名前:名無しさん :2020/01/17 (金) 01:13:00 No.3816
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BOMBの84年4月号の、13ページ目です。
なんでもソツなくこなしちゃう才能は、アイドル向きですが、
小学校時代の桃子は、アニメ派で、芸能界オンチだったそうです。
[36] 名前:名無しさん :2020/01/17 (金) 01:15:01 No.3817
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BOMBの84年4月号の、2ページ目です。
目を瞑っているこのカットは、そよ風に吹かれて心地よさを感じさせる表情です。
(撮影は冬ですが、次ページにポナベ島と書いてあるので、南の島の撮影です。)
[37] 名前:名無しさん :2020/01/17 (金) 01:18:03 No.3818
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BOMBの84年4月号の、3ページ目です。
文章でも出てくるカレリヤ(おはよう)が似合う桃子の表情です。
南野陽子は、昼でも夜でも「おはようございます。」と言う芸能界の慣例に反発して、
「こんにちは」「こんばんは」と言っていましたが、菊池桃子が「おはようございます。」
と言うと、昼でも夜でも爽やかな気分に周りが包まれる感じがします。
[38] 名前:名無しさん :2020/01/17 (金) 01:20:34 No.3819
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BOMBの84年4月号の、14ページ目です。
幼稚園で初恋を経験している桃子ですが、小学〜中学生の頃はさっぱりで、
恋のキューピット役に徹していました。
アニメに夢中なのは、理想が高いからでしょうか。
[39] 名前:名無しさん :2020/01/17 (金) 01:23:10 No.3820
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BOMBの84年4月号の、15ページ目です。
楽しくて仲の良い中学時代のクラスメートとの生活が、青春アイドルとしての
菊池桃子のキャラクターを育んでいったと思います。
そして、泣きたくないときにも泣いちゃえる特異体質?の演技派としての桃子が、
後に女優業へ進出する時に活かされました。
[40] 名前:名無しさん :2020/01/19 (日) 03:30:03 No.3825
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BOMBの84年4月号の、4〜5ページ目です。
澄ました表情で、大きな瞳で横を見つめているこのカットは、
カメラ目線や笑顔が多い、いつも見慣れている菊池桃子とは違う、
新鮮な魅力が出ていると思います。
[41] 名前:名無しさん :2020/01/19 (日) 03:32:32 No.3826
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BOMBの84年4月号の、6ページ目です。
このカットの笑顔は、名前を伏せて見せられると、菊池桃子とは判りにくい表情です。
まだ菊池桃子のキャラクター付けが定まっていなかった頃でしょう。
デビュー当初の初々しい表情の中には、こんな表情もあったのかと思いました。
[42] 名前:名無しさん :2020/01/19 (日) 03:34:37 No.3827
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BOMBの84年4月号の、16ページ目です。
ウィキにも書いてある菊池桃子のデビューのきっかけが、もっと詳しく載っています。
[43] 名前:名無しさん :2020/01/19 (日) 03:37:38 No.3828
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BOMBの84年4月号の、17ページ目です。
中学でクラブ活動をしていなかったので、クラブ活動気分で事務所に入ったそうです。
クラブ活動していたら、アイドル菊池桃子は生まれなかった事になります。
キョンキョンが言っていましたが、アイドルになる願望が強い人より、
気楽な気持ちで芸能界入りした人の方が成功し、長く活躍しています。菊池桃子もその一人です。
アイドル・オーディション番組の代名詞となっていた「スター誕生」が終焉を迎えるこの頃は、
事務所に所属して、レッスンを受けながらオーデションを受けて、
デビューのきっかけを掴む形が、アイドルデビューの主流になりつつある事が、分かります。
「BOMB」の編集長が、菊池桃子を選ぶ前に、
新雑誌のタイトルを「MOMOCO」に決めていた事は、初めて知りました。
菊池桃子をイメージガールにするので、「MOMOCO」になったと思っていました。
[44] 名前:名無しさん :2020/01/19 (日) 03:39:00 No.3829
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BOMBの84年4月号の、7ページ目です。
横顔の桃子も、まだ初々しさがいっぱいです。
レコードデビュー前であり、誰が見ても分かる菊池桃子としての決め顔が完成する前でしょう。
[45] 名前:名無しさん :2020/01/22 (水) 02:49:52 No.3843
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BOMBの84年4月号の、8ページ目です。
映画「パンツの穴」のビデオの広告です。
映画公開とビデオ発売が同時なのは、前年の角川映画「探偵物語」「時をかける少女」が、
その手法を使って大ヒットしたからでしょう。
菊池桃子としての決め顔が完成する前でも、セーラー服を着た姿は、すぐに桃子と分かります。
さすが青春アイドル、学生アイドルの80年代の代表という感じです。
[46] 名前:名無しさん :2020/01/22 (水) 02:53:58 No.3844
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BOMBの84年4月号の、18ページ目です。
初レコーディングの様子が書いてあります。
小学校時代にピアノを習っていた桃子は、譜面を読む力が抜群。
「メロデイを聞いただけで、オタマジャクシが頭に浮かんくる。」と言う桃子は、リズム感も良く、
あの独特の囁くような歌唱法は、決して歌が下手だから出来たのではなく、
桃子独特の持ち味として確立して行った事が分かります。
[47] 名前:名無しさん :2020/01/22 (水) 02:56:42 No.3845
3845.jpg (421KB)
「アイドル40年」から、菊池桃子のページの左上です。

(46の続き)
デビュー曲から5曲連続で作詞を担当した秋元康は、レコーディングを進めながら、
桃子だったらなんて言うかを考え、彼女の言葉として作詞するという、
ユニークな方法を取っている事が分かりました。
後に、アイドルが自分で作詞するようになる事を見越していたのでしょうか。
おニャン子くらぶやAKB等のプロデュース業が目立つ秋元康ですが、
菊池桃子や小泉今日子の代表曲を作詞する等、作詞家としての秋元康の方がいいと思います。
[48] 名前:名無しさん :2020/01/22 (水) 02:59:07 No.3846
3846.jpg (494KB)
BOMBの84年4月号の、19ページ目です。
秋元康が、山口百恵が活躍していた頃から、作詞?していた事は、初めて知りました。
桃子が、山口百恵同様に、素顔でも目立つのは容易に理解出来ますが、
「彼女の魅力は、何を考えているのかわからない謎めいた部分を持っている女の子。」
と言う言葉に、作詞家としての鋭い着眼点を感じました。
優しい眼差しで微笑んでいるという、パブリックイメージからは思い浮かばない点です。
[49] 名前:名無しさん :2020/01/22 (水) 03:04:04 No.3847
3847.jpg (422KB)
「アイドル40年」から、菊池桃子のページの右下です。
中学ではクラブ活動をしていなかったとの事なので、運動能力は?ですが、
このカットから、体は柔らかそうです。

(48の続き)
チーフ・プロデューサーの、「心情的にあったかいっていうか、
バアーッと包み込んでくれるような歌い方が出来る子です。」と言う言葉から、
最初から桃子独特の持ち味の歌唱法が、生まれていた事が分かります。
[50] 名前:名無しさん :2020/01/26 (日) 00:50:11 No.3861
3861.jpg (494KB)
BOMBの84年4月号の、20ページ目です。
資生堂アクネのCF撮りの様子が書いてあります。
制服を着ているので学校帰りかと思ったら、
朝9時から夜11時過ぎまでのハードスケジュールでした。
[51] 名前:名無しさん :2020/01/26 (日) 00:55:57 No.3862
3862.jpg (377KB)
「アイドル40年」から、菊池桃子のページの左下です。
ポッチャリした体型が、可愛い表情とマッチしています。

(50の続き)
「泣きの表情は抜群にうまいんです。ところが笑う表情が今ひとつうまくいかない。」
笑顔は、トップアイドルとして歌番組に沢山出演している内に、自然に桃子スマイルとして、
定着していったと思います。泣きの表情が、最初から上手かったのは、
女優として天性の才能があったのでしょう。
[52] 名前:名無しさん :2020/01/26 (日) 01:00:41 No.3863
3863.jpg (487KB)
BOMBの84年4月号の、21ページ目です。
最初の南野陽子スレの56に、「ほとんどのA級アイドルが、食品会社や化粧品会社のCMに
出演していて、美少女アクション物が敬遠された。」と書きましたが、
桃子も、ハウス食品と資生堂のCMに出演していたので、ズバリ該当しています。
映画「テラ戦士ΨBOY 」も、美少女アクション物というより、SFファンタジーという感じでした。
[53] 名前:名無しさん :2020/01/26 (日) 01:13:05 No.3864
3864.jpg (329KB)
2000年4月25日発売の、20世紀アイドルスター大全集〜80年代編には、
4ページに渡って菊池桃子が載っています。その1ページ目の右上です。
4ページに渡って載っているのは、松田聖子・河合奈保子・中森明菜・小泉今日子・菊池桃子・
中山美穂・西田ひかるの7人だけです。
プロフィールに書いてある「パ★テ★オ」は、ドラマの続きを映画でやるハシリでした。
[54] 名前:名無しさん :2020/01/26 (日) 01:22:28 No.3865
3865.jpg (494KB)
BOMBの84年4月号の、22ページ目です。
初主演映画「パンツの穴」の、桃子の名場面集(その1)です。
リアルタイムで見て以来、なかなか見る機会がなく、この名場面集を見ながら、
かすかな記憶を辿っていましたが、2年ぐらい前にCSで再放送され、懐かしく見直しました。
[55] 名前:名無しさん :2020/01/31 (金) 23:47:08 No.3884
3884.jpg (493KB)
BOMBの84年4月号の、23ページ目です。
初主演映画「パンツの穴」の、桃子の名場面集(その2)です。
この雑誌には、桃子の巻頭大特集以外に、映画「パンツの穴」オールガイドも、
8ページに渡って載っているので、合わせて載せようと思います。
[56] 名前:名無しさん :2020/02/01 (土) 00:00:13 No.3885
3885.jpg (296KB)
20世紀アイドルスター大全集〜80年代編の、1ページ目の右下です。
カジュアルファッションを流行らせた桃子ですが、このモノトーンの服も決まっています。
可愛らしい表情から、自信がみなぎっています。
人気・実力(レコード売り上げ)とも絶頂期だった頃だからでしょう。
スーパーアイドルとしての決め顔を身に付けていた事が分ります。

[57] 名前:名無しさん :2020/02/01 (土) 00:33:58 No.3886
3886.jpg (133KB)
20世紀アイドルスター大全集〜80年代編の、1ページ目の左上です。
3に載せた晴れ着姿は、落ち着いた紺色を基調としていて、18歳の桃子にピッタリでした。
このカットは、名前の通り桃色を基調としています。16歳か17歳の時でしょう。
[58] 名前:名無しさん :2020/02/01 (土) 00:36:40 No.3887
3887.jpg (497KB)
BOMBの84年4月号の、24ページ目です。
グラビア撮影で、アイドルやグラビアアイドルが良く行くグァムやサイパンとは違い、
ポナベ島はド田舎のようです。ポナペ美人は、中央の写真に写っているような、
太ってて、髪の長い女性との事なので、桃子がおいしいものをたらふく食べて、
ポナペ美人にならなくて良かったです。
[59] 名前:名無しさん :2020/02/01 (土) 00:39:31 No.3888
3888.jpg (496KB)
BOMBの84年4月号の、25ページ目です。
映画「パンツの穴」の無意識過剰なヒロイン役、そしてポナベ島というド田舎の、
厳しい自然環境の中での写真集撮影。
従来型のアイドルとは一味違う、等身大の庶民型アイドル菊池桃子の誕生には、
デビュー当時の、このような経験が役立っていると思います。
[60] 名前:名無しさん :2020/02/01 (土) 00:43:19 No.3889
3889.jpg (91KB)
20世紀アイドルスター大全集〜80年代編の、1ページ目の左下です。
編み物をしながら、くつろいでいる桃子です。

(59の続き)
現在、田舎に引っ越した人々をレポートする「人生の楽園」のナレーターを担当していますが、
ド田舎のポナベ島での経験が、その原点かも知れません。
東京生まれの菊池桃子ですが、都会的なスレた感じがせず、
純粋な感じがするのも、大自然が好きだからでしょう。
[61] 名前:名無しさん :2020/02/03 (月) 01:58:44 No.3898
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BOMBの84年4月号の、26ページ目です。
プライベート・ノート(直筆)が、4ページに渡って載っています。
このページは、「ともだち」の事が綴られています。
特にスコスとは小学校時代からの友達で、桃子が芸能人になって、
人から嫌がらせを受けた時に守ってくれる、頼もしい親友です。
[62] 名前:名無しさん :2020/02/03 (月) 02:01:58 No.3899
3899.jpg (114KB)
20世紀アイドルスター大全集〜80年代編の、2ページ目の右上です。
真剣に勉強している(もしくは台本を読んでいる)桃子です。

(61の続き)
ポナペ島へく時、このまま帰ってこれないんじゃないかと、淋しい気持ちになっていた桃子に、
「必ずカエル(帰る)って事だから」と、カエルのマスコットを渡す、機転の効く友達です。
[63] 名前:名無しさん :2020/02/03 (月) 02:04:20 No.3900
3900.jpg (495KB)
BOMBの84年4月号の、27ページ目(プライベート・ノートの2ページ目)です。
4際年上の兄について綴られています。このぐらいの年の差だと、
桃子が小さい時から、可愛がっていたのでしょう。
バイクの後ろに乗っている時の桃子の気持ちから、それが伝わってきます。
彼女とは、無事結婚したのでしょうか。
[64] 名前:名無しさん :2020/02/03 (月) 02:08:01 No.3901
3901.jpg (270KB)
20世紀アイドルスター大全集〜80年代編の、2ページ目の左上です。
勉強机にいる桃子ですが、グラビア撮影のためか、テレ笑いしている桃子が可愛いです。
[65] 名前:名無しさん :2020/02/03 (月) 02:11:44 No.3902
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BOMBの84年4月号の、28ページ目(プライベート・ノートの3ページ目)です。
お父さんとの仲の良い、幼稚園時代の頃が綴られています。
「お姉さん自転車」は、もう少し大きくなってからでしょう。
「桃子、三輪車買うんだろ」とからかうお父さんとの、仲むつまじい感じが伝わるエピソードです。
[66] 名前:名無しさん :2020/02/03 (月) 02:14:02 No.3903
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20世紀アイドルスター大全集〜80年代編の、2ページ目の右下です。

(65の続き)
もし菊池桃子が早婚して、「お嫁入り道具買って」とお父さんに言っていたら、
さぞ悲しそうな顔をしていたでしょう。
(実際は、結婚婚相手の西川哲の父親が、菊池桃子の事を心配して、
当初結婚に反対していたとの事。)
[67] 名前:名無しさん :2020/02/07 (金) 03:00:03 No.3918
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BOMBの84年4月号の、29ページ目(プライベート・ノートの4ページ目)です。
動物好きの桃子の、小学校5年の時と、ポナペ島ロケの時のエピソードが綴られています。
良かれと思ってやった事が裏目に出る事は、小学校5年なら当たり前。
でもその時の悔しい気持ち、悲しい気持ちをはっきり覚えているから、
人間的に成長するのでしょう。
ポナペ島ロケでののエピソードでも、深く懺悔しています。
[68] 名前:名無しさん :2020/02/07 (金) 03:10:43 No.3919
3919.jpg (119KB)
20世紀アイドルスター大全集〜80年代編の、2ページ目の左中央です。
机に向かっていても、何かを見つめている桃子の瞳。
キョンキョンが桃子と飛行機で隣同士になった時、桃子の瞳を見て、
「強い人だと感じた」と思ったそうです。確かに、意志の強さを感じさせる瞳です。
だからこそ、40代になってから大学院で勉強し、客員教授にまでなったのでしょう。
[69] 名前:名無しさん :2020/02/07 (金) 03:14:22 No.3920
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BOMBの84年4月号の、30ページ目(Q&Aの1ページ目)です。
Q12で、「太っていることですね。」と答えています。桃子は中肉中背だと思いますが、
年頃の女の子なので、気になるのでしょう。
MOMOCOの84年5月号のインタビューでは、「(血管注射の時)私、血管が出にくい体質で。」
と言うと、インタビュアーが「皮下脂肪が多すぎるせいだな、それは。」と、
ヒドイ事を言っていました。
[70] 名前:名無しさん :2020/02/07 (金) 03:21:46 No.3921
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20世紀アイドルスター大全集〜80年代編の、2ページ目の左下です。
82年組が個性派アイドル揃いで、81年と83年組は不作だったので、
84年歌手デビューの桃子は、「久々に登場したアイドルの中のアイドル」という感じでした。

(69の続き)
Q16では、「自分では意地っ張りで、気が強いと思う。」と、大人しそうに見える桃子の
意外な一面を語っています。「でも、涙もろいんですね。」と言う、
多感な性格だから、青春アイドルとしてピッタリな性格なのでしょう。
[71] 名前:名無しさん :2020/02/12 (水) 01:47:41 No.3938
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BOMBの84年4月号の、31ページ目(Q&Aの2ページ目)です。
夜中の長電話だけでなく、モーニングコールまでする、仲の良い友達なのでしょう。
そのため朝早く起きるので、Q26では、「私に目覚まし時計は通用しません。
お母さんにビシバシ叩いて起こしてもらう。」と言っています。
そんなお母さんを尊敬していたので、自分が母親になった時も、
真摯に向き合う覚悟が出来たのでしょう。
[72] 名前:名無しさん :2020/02/12 (水) 01:52:18 No.3939
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20世紀アイドルスター大全集〜80年代編の、3ページ目の右上です。
3ページ目では、様々な表情の桃子を楽しめます。

(71の続き)
Q32では、痴漢に会っても、「いやあ、負けません。戦います。がんばります。」
と言っています。気が強い桃子の一面が分かる返答です。
[73] 名前:名無しさん :2020/02/12 (水) 01:55:14 No.3940
3940.jpg (496KB)
BOMBの84年4月号の、32ページ目です。
アイドル恒例のボディチェックのコーナーです。
15歳の桃子に、あの可愛い顔で「だって私、まだ子供だもん」と言われると、
返す言葉がありません。でも身長は、成長が止まったそうです。
普段ノーメークでいられるのは、「ニキビはまったくなし!」だからでしょう。
ニキビに悩む同世代の女子にとっては、羨ましい限りでしょうが、
ノーメークの可愛らしさこそ、アイドル菊池桃子の魅力の源泉だと思います。
[74] 名前:名無しさん :2020/02/12 (水) 02:01:38 No.3941
3941.jpg (93KB)
20世紀アイドルスター大全集〜80年代編の、3ページ目の上中央です。

(73の続き)
1年ぐらい前に、テレビのトーク番組に出演した時にも、20歳までヘア・メイクの人が付かず、
ノーメイクでアイドル活動をしていたと、告白していました。
当時の歌番組を見て、「まつ毛がバラバラだ。」と言っていました。
[75] 名前:名無しさん :2020/02/12 (水) 02:03:49 No.3942
3942.jpg (497KB)
BOMBの84年4月号の、33ページ目です。
アイドル恒例の自室のイラスト紹介と、持ち物です。
スヌーピーが大好きな桃子は、ベッドも持ち物もスヌーピーだらけ。
友人と長電話する時も、自分の事を桃子と言っているんでしょうね。
[76] 名前:名無しさん :2020/02/20 (木) 00:46:00 No.3957
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20世紀アイドルスター大全集〜80年代編の、3ページ目の左上です。
決して太めには見えませんでした。(河合奈保子や柏原芳恵がいたので。)
「洗練とは無縁のキュートさ」は、アイドルの原点に戻ったようです。
このカットも、そんな1枚です。

[77] 名前:名無しさん :2020/02/20 (木) 01:46:10 No.3958
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DUNKの84年10月号の、1〜2ページ目です。
笑顔になると、目尻が下がって可愛らしくなるのは、瞳が大きい正統派アイドルの特長ですが、
このカットは、特に可愛いです。
[78] 名前:名無しさん :2020/02/20 (木) 01:47:56 No.3959
3959.jpg (494KB)
DUNKの84年10月号の、3ページ目です。
ロングヘアなら髪を結んでも綺麗に見えるけど、このぐらいの髪の長さだと、
結んだ時、動物の尻尾みたいにカッコ悪くなってしまいます。
それが理由ではなく、ここに書いてある事が理由だと思いますが、この後髪を少し切りました。
[79] 名前:名無しさん :2020/02/20 (木) 01:49:16 No.3960
3960.jpg (493KB)
DUNKの84年10月号の、4ページ目です。
片目に手を当てた時、小指だけで左目を隠している、可愛いカットです。
[80] 名前:名無しさん :2020/02/20 (木) 01:53:21 No.3961
3961.jpg (488KB)
DUNKの85年3月号から、「卒業」の歌詞が載っている、2つ折りのページです。
レコーディングで、真剣に楽譜を見ている表情です。
ただ可愛いだけじゃなく、芯の強さを窺わせる表情です。
ちなみに「卒業」は、同時期に、斉藤由貴・尾崎豊・倉沢淳美が同タイトルのシングルをリリースし、
「卒業」ラッシュで話題になりましたが、菊池桃子の「卒業」が最もヒットし、
菊池桃子自身の代表作になりました。
[81] 名前:名無しさん :2020/02/23 (日) 01:00:02 No.3977
3977.jpg (489KB)
DUNKの85年3月号から、アイドルDJ全員集合のコーナーです。
自分の事を、「あたし」でなく「桃子」と呼ぶのがクセになっているのは、
学校の友達グループと普段話している時のクセなのでしょう。
友達一人と1対1で話す時は、「あたし」になるはずなので。
後にモノマネのネタになるとは、この時は思っても見なかったはずです。
朝のニギニギしさと、夜のシットリムードを使い分けるあたりは、
トップアイドルのカンロクでしょうか。
青春日記のコーナーや、らくがき板のようなハガキの内容に、
青春アイドル・学生アイドルの良さを復活させたようなアイドルでした。
[82] 名前:名無しさん :2020/02/23 (日) 01:01:14 No.3978
3978.jpg (493KB)
DUNKの85年3月号のグラビアの、1ページ目です。
水曜ロードショー枠で放送されたドラマ「卒業」のロケの模様が、7ページに渡って載っています。
冬休みを利用して撮影されたので、厚いジャンパーに身を包んでいます。
[83] 名前:名無しさん :2020/02/23 (日) 01:03:49 No.3979
3979.jpg (486KB)
DUNKの85年3月号のグラビアの、2〜3ページ目です。
初の主演ドラマでは、役名が同じ桃子とはいえ、映画「パンツの穴」「テラ戦士ΨBOY」とは異なる
シリアスドラマで、女優としての第一歩を踏み出しまた。
[84] 名前:名無しさん :2020/02/23 (日) 01:07:35 No.3980
3980.jpg (497KB)
DUNKの85年3月号のグラビアの、4ページ目です。
ストーリーが載っているので読んでみると、70年代のアイドル映画、特にアイドルから女優へと
ステップアップする時期のアイドルによくあるような感じのサスペンス物です。
菊池桃子は、アイドルとして上昇気流に乗っている頃なので、
このストーリーを映画化したら、後が続きません。
単なるサスペンス枠ではなく、水曜ロードショー枠を使ったスペシャル・ドラマにして、
正解だったと思います。
[85] 名前:名無しさん :2020/02/23 (日) 01:10:11 No.3981
3981.jpg (497KB)
DUNKの85年3月号のグラビアの、5ページ目です。
如何にも寒そうなロケ風景です。
「唇がかじかんじゃったりして大変なの。」
普段でも特徴のある桃子の声が、かじかんじゃうとどうなるのでしょう。
室内シーンではその心配がないため、堂々たる演技で、監督さんも「OK!」
[86] 名前:名無しさん :2020/02/27 (木) 02:34:31 No.3995
3995.jpg (489KB)
DUNKの85年3月号のグラビアの、6〜7ページ目(最後)です。
「進学コースか就職コースか迷ってる。」戸板女子短期大学へ進学したので、
進学コースをえらんだのでしょう。松本伊代の後輩になりました。
「授業も難しくなるけど、学校とお芝居と歌、これ、絶対に両立させたいな。」
芸能界入りに対し、父親が「学業に支障が出ないスケジュールであること」を条件にしたので、
上手く両立出来たと思いますが、その約束を守ったプロダクションも立派です。
アイドルがより忙しくなった80年代に、青春アイドル・学生アイドルとして活躍出来たのは、
本人の努力と、父親の条件・プロダクションの理解があったからです。
[87] 名前:名無しさん :2020/02/27 (木) 02:36:58 No.3996
3996.jpg (488KB)
ザ・テレビジョンの85年3月2日号にも、ドラマ「卒業」の記事が載っています。
「ツッパリが大げさに暴れ回ったり、剣道やって海に向かって「バカヤロー」なんていわない」
前者は80年代の、後者は70年代の青春ドラマに対する皮肉が効いている表現です。
見たくなる内容ですが、再放送が1回しかされず、
CD&DVDーBOXにしか収録されていません。
[88] 名前:名無しさん :2020/02/27 (木) 02:41:39 No.3997
3997.jpg (493KB)
DUNKの85年5月号から、映画「テラ戦士ΨBOY」の速報です。
まだ「BOY」としかタイトルが決まっていない頃なのでしょう。
桃子のために書かれたオリジナル脚本である事を、強調しています。
[89] 名前:名無しさん :2020/02/27 (木) 02:44:04 No.3998
3998.jpg (490KB)
DUNKの85年5月号から、ビデオ紹介コーナーです。
武道館コンサートを収録したビデオと、オリジナル・ビデオが紹介されています。
「うなるような手拍子にノッて、桃子は踊り、そして歌う。」と書いてあります。
86年秋の「Say Yes!」が出るまで、テレビでは踊った姿を見た事がありませんが、
手拍子にノると踊るようです。
「Say Yes!」の時も、スタジオにファンを入れ、手拍子にノッて、踊っていました。
[90] 名前:名無しさん :2020/02/27 (木) 02:50:33 No.3999
3999.jpg (497KB)
DUNKの85年7月号から、17歳の誕生パーティーの模様です。
「小さい頃からあこがれていたの。17という年に。」と言っています。
岡田有希子も17歳になった年に、
「17歳、セブンティーン、この響き、とっても好きなんです。」と言っていました。
当時の女の子にとっては、憧れの年齢なのでしょう。
[91] 名前:名無しさん :2020/03/02 (月) 03:43:34 No.4015
4015.jpg (481KB)
DUNKの85年5月号から、17歳の誕生パーティーのカットです。
43の大きなぬいぐるみを持っているカットより、
バースデーケーキのロウソクを吹き消すカットの方が、タレ目がますますカワユイです。
[92] 名前:名無しさん :2020/03/02 (月) 03:45:20 No.4016
4016.jpg (488KB)
DUNKの85年7月号から、必殺タマのコーナーです。
コンサートやイベントが終わった後、アイドルをファンの群れから脱出する作戦が載っています。
菊池桃子は、冷凍車に乗って脱出したそうです。
エンジンをかけると冷却装置が作動する事を、スタッフが知らなかったのか、
桃子には伝わっていなかったのか分かりませんが、本人は相当焦ったでしょう。
当時のアイドルが、後に脱出作戦を話す事はよくありますが、
アイドル全盛期のアイドル誌で、脱出作戦をバラしていいのでしょうか。
[93] 名前:名無しさん :2020/03/02 (月) 03:48:32 No.4017
4017.jpg (478KB)
DUNKの85年8月号には、映画「テラ戦士ΨBOY」の詳細が、
8ページに渡って載っています。その1ページ目です。
かわいい桃子の笑顔が、唯一のカラーページである1ページ目を飾っています。
[94] 名前:名無しさん :2020/03/02 (月) 03:56:29 No.4018
4018.jpg (486KB)
DUNKの85年8月号の、映画「テラ戦士ΨBOY」の2ページ目です。
桃子自身がMOMOKOになって登場するオリジナルストーリーなのはいいのですが、
SFファンタジーものを原作無しで作るには、時代が早すぎた感が、後から思うとありました。
[95] 名前:名無しさん :2020/03/02 (月) 03:58:45 No.4019
4019.jpg (494KB)
DUNKの85年8月号の、映画「テラ戦士ΨBOY」の3ページ目です。
右上のシーンの、6歳の頃の記憶と、現実の自分との間でパニックになる
MOMOKOの表情がいいです。
監督は、この最初のシーンと、ラストシーンのMOMOKOの表情を撮りたかったのかも知れません。
[96] 名前:名無しさん :2020/03/06 (金) 00:36:27 No.4034
4034.jpg (491KB)
DUNKの85年8月号の、映画「テラ戦士ΨBOY」の4ページ目です。
ストーリー紹介はここまで。6歳の頃の記憶と、現実の自分との間でパニックになった
MOMOKOの疑問が解決するラストについては、書いてありません。
6月号で、詳しいストーリー紹介をすると書いてあったのですが。
結末を書かないストーリー紹介は多いですが、特にこの映画は見た人でも
結末が解りにくかったので、書いていないのだと思います。
[97] 名前:名無しさん :2020/03/06 (金) 00:38:54 No.4035
4035.jpg (486KB)
DUNKの85年8月号の、映画「テラ戦士ΨBOY」の5ページ目です。
CGが無かった頃のSFXの苦労話が載っています。
MOMOKOが運転するのは映画の設定だけ。と書いてありますが、
16歳の高校生が、車を運転する設定自体が、疑問です。
でもこの映画全体のストーリーの疑問に比べたら、それは疑問の内に入りません。
[98] 名前:名無しさん :2020/03/06 (金) 00:41:25 No.4036
4036.jpg (484KB)
DUNKの85年8月号の、映画「テラ戦士ΨBOY」の6ページ目です。
水泳大得意少女の桃子は、カットの声がかかるまで20kgのウエートを付けて潜っていました。
カットの声が聞こえず、スタッフが助けに潜るまで水中で待っていた桃子。
笑い話のように書いてありますが、スタッフが助けに行かなかったら、
水泳大得意少女の桃子は、どうなっていた事でしょう。
[99] 名前:名無しさん :2020/03/06 (金) 00:44:20 No.4037
4037.jpg (488KB)
DUNKの85年8月号の、映画「テラ戦士ΨBOY」の7ページ目です。
「女優として、スナオに役にとけこめる良さがあるから、大切にしてほしい。」
という監督の桃子評。庶民的なファッションと、可愛らしいルックス、
学生タレントとして学校に通う真面目なキャラは、60年代の吉永小百合を、
80年代に甦らせた存在だったかも知れません。
[100] 名前:名無しさん :2020/03/06 (金) 00:47:42 No.4038
4038.jpg (492KB)
DUNKの85年8月号の、映画「テラ戦士ΨBOY」の8ページ目です。
お正月映画も決定。と書いてありますが、学業優先なので実現しませんでした。
「テラ戦士ΨBOY」は、春休みを中心に撮影。夏休みは、コンサートツアーが中心でした。
そのスケジュールを見ても、9月以降は、学校が休みの日が中心になっています。

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