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松田聖子

[1] 名前:名無しさん :2019/04/11 (木) 19:31:56 No.2503
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月刊平凡の81年3月号から、ミスターソニーの募集広告です。
応募要項等は、今となっては関係ないのでカットしました。
[81] 名前:名無しさん :2020/11/25 (水) 00:06:45 No.4759
4759.jpg (492KB)
月刊平凡の80年10月号の、3ページ目の上です。
[82] 名前:名無しさん :2020/12/11 (金) 01:19:04 No.4867
4867.jpg (496KB)
月刊平凡の80年10月号の、3ページ目の下です。

11月にCSで、ザ・ベストテンの、聖子が「青い珊瑚礁」で初ランクインした回を、
再放送していました。聖子が、羽田空港で飛行機からタラップで降りる姿を写したいという、
山田チーフプロデューサーの熱意で、飛行機が到着してから、時間調整のために、
空港内を回っていた。という話は聞いていましたが、空港内を回り過ぎてか、
予定より遅くなり、中継の生島ヒロシが、時間調整のため延々と喋っているのは、初めて見ました。
80年の夏休みは、夜のバイトをしていたので、ザ・ベストテンを見ていなかったと思います。
[83] 名前:名無しさん :2020/12/27 (日) 03:05:45 No.4990
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80年代前半の週プレのグラビアが載っている文庫写真集「ギャルズ・メイト アイドル72
ベストコレクション」(84年6月15日発行)から、週プレの80年7月22日号の、
1ページ目です。親切に、右下に掲載号が書いてあります。
[84] 名前:名無しさん :2021/01/12 (火) 01:26:45 No.5118
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文庫写真集「ギャルズ・メイト アイドル72 ベストコレクション」から、
週プレの80年7月22日号の、2ページ目です。
2ndシングル「青い珊瑚礁」がリリースされた頃です。

1st「裸足の季節」〜3rd「風は秋色」まで、同じ作詞家:三浦徳子、作曲家:小田裕一郎
で、曲調も似ているのに、CMソングだった「裸足の季節」はトップ10に入らず、
ノンタイアップだった「青い珊瑚礁」から、大ヒットが始まったのか。
それは、アレンジャーに大村雅朗を起用した事が一因でしょう。
まだ「青い珊瑚礁」というタイトルが決まる前、大村雅朗は「青い海」という仮タイトルを付け、
曲のイメージを膨らませていました。
[85] 名前:名無しさん :2021/01/27 (水) 02:02:41 No.5232
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84年5月10日発行の、GORO特別編集の文庫写真集「素足のアイドルたち・スペシャル」から、
GOROの80年8月14日号に載ったカットの1〜2枚目です。

デビュー曲があまり売れず、2曲目から大ヒットするパターンは、大物アイドルに例が多くあります。
それには2パターンあり、山口百恵や中森明菜のように、1曲目とは曲調もイメージも
大きく変更するパターンと、岩崎宏美や松田聖子のように、1曲目と路線は変えずに2曲目から
大ヒットが続くパターンです。岩崎宏美は、2曲目「ロマンス」の方が、
一般大衆受けする歌詞だったから大ヒットしたのでしょう。

松田聖子は、2曲目「青い珊瑚礁」が、夏にピッタリの曲調だった事。
聖子の張り上げる声の魅力を、上手く引き出せた事。聖子ちゃんカットが、
揺れる動きの振り付けで、好印象を与えた事。この3点が大きかったと思います。
[86] 名前:名無しさん :2021/01/27 (水) 09:53:48 No.5233
聖子ちゃんのパンツが見たい!
[87] 名前:名無しさん :2021/02/11 (木) 02:57:35 No.5358
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文庫写真集「素足のアイドルたち・スペシャル」から、
GOROの80年8月14日号に載ったカットの3枚目です。

2ndシングル「青い珊瑚礁」以降、大ヒットを連発したのは、
アレンジャー大村雅朗の功績が大きいと思います。
6thシングル「白いパラソル」以降、松田聖子の詞の世界観を定着させていった松本隆も、
大村雅朗のアレンジじゃないと、作詞する気になれない。と言っていました。

何より、当時のレコーディング・スタッフの中で、最も聖子と年齢が近かった大村雅朗は、
10歳年上。聖子の兄と同い年であり、同じ福岡県出身という事もあり、
「まーくん」と呼んで実兄のように慕っていました。彼女のデビュー当時からの良き相談相手
であり、レコーディングが上手くいかない時は、二人で気分転換をしていたそうです。
[88] 名前:名無しさん :2021/02/26 (金) 01:30:10 No.5481
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文庫写真集「素足のアイドルたち・スペシャル」から、
GOROの80年8月14日号に載ったカットの4枚目です。

アレンジャー大村雅朗は、八神純子の「水色の雨」(78年秋にヒット)で、
音楽業界で知られる存在になりました。
聖子をスカウトし、聖子と2人3脚で歩んできた、CBSソニーの若松プロデューサーは、
山口百恵の「謝肉祭」(80年3月リリース)を聞き、大村雅朗のアレンジの素晴らしさを
知って、聖子の2曲目「青い珊瑚礁」のアレンジに起用したそうです。

ちなみに、山口百恵のプロデュースで有名になった酒井政利プロデューサーは、
筒美京平を山口百恵に起用しなかった理由を、百恵の暗く重い歌い方が、
筒美京平の曲調と合わないから。と言っていました。
南沙織(酒井プロデューサーが発掘)のアンチテーゼが山口百恵なので、
山口百恵のアンチテーゼである松田聖子は、筒美京平の曲調と合うだろうと言っていましたが、
プロデューサーが違うので、実現しませんでした。
[89] 名前:名無しさん :2021/03/13 (土) 01:34:20 No.5616
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文庫写真集「素足のアイドルたち・スペシャル」から、
GOROの80年8月14日号に載ったカットの5枚目です。

3曲目「風は秋色」で、初めて1位を獲得しましたが、「青い珊瑚礁」と比べて、
疾走感が薄い気がしたのは、「青い珊瑚礁」と似た曲の構成だったので、
2番煎じに聞こえたからだと思っていました。
しかし、それはアレンジが大村雅朗から、デビュー曲「裸足の季節」と同じ信田かずおに
戻ったから。という事に気が付きました。「青い珊瑚礁」が大ヒットする前に、
レコーディングが終わっていたからでしょう。

4曲目「チェリーブラッサム」で、再び大村雅朗のアレンジに戻り、財津和夫作曲のメロディの
疾走感が更に増して、聖子の曲の中では、一番好きな曲になりました。
[90] 名前:名無しさん :2021/03/13 (土) 19:51:54 No.5619
聖子ちゃんのパンツ見たい!
[91] 名前:名無しさん :2021/03/27 (土) 22:38:13 No.5737
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月刊平凡の80年5月号には、2ページに渡って、レッツゴーヤングの新サンデーズの
メンバー4人と、新司会の石野真子による対談が載っています。その1ページ目です。
聖子もトシも初々しい2ショットです。(実は5人並んでいますが)
二人ともデビュー前の時点での対談です。グリコのCMで共演するのは、この半年後です。
このサンデーズがきっかけで、聖子は浜田朱里と仲良くなりました。

サンデーズが出来て4年目と書いてあります。1年目には、狩人・太川陽介・川崎麻世が、
2年目には渋谷鉄平が、3年目には倉田まり子がブレイクし、
この4年目には聖子とトシが大ブレイクします。しかしその後は、ブレイクする新人があまり出ず、「サンデーズに入ると売れない」というジンクスを言われるようになります。
[92] 名前:名無しさん :2021/04/12 (月) 02:08:21 No.5851
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月刊平凡の80年5月号の、新サンデーズの対談の2ページ目です。
レッツゴーヤングの司会は、79〜80年度の総合司会が平尾昌晃。
サブ司会は、男性が太川陽介で、女性は、79年度が榊原郁恵、80年度が石野真子でした。
81年度は、太川陽介が総合司会に昇格し、サブ司会が、男性は田原俊彦、女性は聖子になりました。
[93] 名前:名無しさん :2021/04/17 (土) 08:59:43 No.5889
>>90
オレも!
[94] 名前:名無しさん :2021/04/27 (火) 04:10:04 No.5972
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近代映画の80年6月号の、1ページ目です。
桜田淳子と、聖子・中山圭子という、同じ事務所の先輩・後輩の初顔合わせ対談が載っています。
雑誌の切り取り方が悪く、2ページ目と繋げませんでした。

事務所が最初は中山圭子の売り出しに力を入れ、ある出来事から聖子の売り出しに
力を入れるようになった経緯は、70に書きましたが、
4月後半の発売になるこの雑誌は、まさにその頃なのでしょう。
[95] 名前:名無しさん :2021/05/11 (火) 07:00:14 No.6096
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近代映画の80年6月号の、2ページ目です。
同じ事務所の先輩の桜田淳子と・後輩の聖子・中山圭子の初顔合わせ対談です。
二人(聖子・中山圭子)とも末っ子と、書いてありますが、桜田淳子も末っ子です。
73年のデビュー以来、桜田淳子の事務所(サン・ミュージック)には、
なかなか、女性アイドルの有望新人が出てきませんでした。(強いて挙げれば、香坂みゆき)。
なので、他の事務所の後輩である、榊原郁恵・高田みづえ・石野真子と仲良くしていました。

80年に、二人も有望新人がデビューして、嬉しそうです。
中山圭子は、期待の割には売れず、聖子が予想を遥かに上回る売れ方をしたので、
桜田淳子は、聖子に、自分が経験したトップアイドルとしてのノウハウを、
いろいろと教えて行きました。聖子も、81年前半ぐらいまでは、桜田淳子を頼っていました。
81年3月号の月刊平凡には、桜田淳子と聖子の対談が載っているので、その内載せます。
[96] 名前:名無しさん :2021/05/27 (木) 20:26:41 No.6222
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月刊平凡の80年6月号から、母の日特集として、
「スター17人 自筆で綴る永遠のお母さん」と題した特集が載っています。
その聖子の部分です。6月号は、4月24日頃の発売なので、この文章を書いたのは、
デビュー曲「裸足の季節」がリリースされた4月1日頃でしょう。
「歌の大ヒットをプレゼントしたい」と書いていますが、そのプレゼントはデビュー曲ではなく、
2曲目「青い珊瑚礁」(7月1日リリース。8月18日からトップテン入り。)になりました。

下の文章を読むと、聖子のいつまでも若々しいファッションと、ちょっとドジな性格は、
お母さんからの遺伝と思われます。
[97] 名前:名無しさん :2021/06/11 (金) 22:54:41 No.6324
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月刊平凡の80年10月号に戻って、4ページ目の上です。
デビュー当時の聖子は、やはり男性ファンが主体でした。
[98] 名前:名無しさん :2021/06/26 (土) 19:08:47 No.6429
6429.jpg (489KB)
月刊平凡の80年10月号の、4ページ目の下です。
100名の読者とのバス・ツアーで、参加した女性はわずか2名。
初期の聖子は、圧倒的に男性ファン主体でした。
70年代の山口百恵が、徐々に女性ファンを増やして、アイドル寿命を延ばしていったのと同様、
聖子も、3年目の「赤いスイートピー」あたりから、女性ファンが増えて行きました。
[99] 名前:名無しさん :2021/07/10 (土) 00:49:52 No.6513
今でも聖子ちゃんのパンツ、
生で見たいです。
[100] 名前:名無しさん :2021/07/12 (月) 01:46:52 No.6527
6527.jpg (489KB)
夏なので、聖子のビキニ姿を張ります。
月刊平凡の80年7月号の、2ページ目の上です。
7月号は、5月24日発売なので、かなり初期のビキニ姿でしょう。
なお、1ページ目は次のスレ画にします。

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