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松本伊代

[1] 名前:名無しさん :2019/04/10 (水) 20:35:47 No.2496
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DUNKの84年12月号から、13thシングル「ビリーヴ」の歌詞が載っているページです。
「ビリーヴ」は、伊代ちゃんの曲の中で、一番好きな曲なので、スレ画に使いました。
ちなみに、好きな曲ベスト5は、以下の通りです。
1、ビリーヴ
2、時に愛は
3、チェイニーズ・キッス
4、恋のKNOW-HOW
5、信じかたを教えて
[2] 名前:名無しさん :2019/04/14 (日) 21:19:50 No.2523
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BOMBの84年12月号から、85年のカレンダー紹介コーナーです。
文章には、ファンクラブの入会特典等が書いてあります。
「オールナイトフジ」では84年10月からメイン司会者になったと書いてあります。
それまでの1年間は、司会ではあっても、メイン(センター)ではなかったって事ですね。
[3] 名前:名無しさん :2019/04/14 (日) 21:21:21 No.2524
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DUNKの84年10月号の、2ページ連結です。
12thシングル「シャイネス・ボーイ」の歌詞が載っているページです。
あやつり人形みたいな歌の振りが、身体の細い伊代ちゃんにピッタリでした。
1ヶ月半弱で、次のシングル「ビリーヴ」がリリースされましたが、
NHKは、民放の主題歌禁止なので、「シャイネス・ボーイ」を歌い続けていました。
[4] 名前:名無しさん :2019/04/14 (日) 21:23:11 No.2525
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DUNKの84年11月号から、「スターと密着できる」という企画に出ています。
12thシングル「シャイネス・ボーイ」と、13thシングル「ビリーヴ」のリリース間隔が
短い事を利用して、2枚の応募券で、ステージ衣装等が当たるという企画です。
伊代ちゃんのステージ衣装を着る事が出来る、身体の細い女の子は極少数なので、
コレクション用でしょう。
[5] 名前:名無しさん :2019/04/14 (日) 21:23:59 No.2526
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DUNKの84年12月号から、スター出没ショップのコーナーです。
[6] 名前:名無しさん :2019/04/14 (日) 21:25:51 No.2527
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DUNKの85年1月号から、女子大生活躍度ランキング10のコーナーです。
伊代ちゃんは2位にランクイン。戸板女子短大は、伊代ちゃんが有名にしたと思います。
1位は薬師丸ひろ子。やはり全盛期のカドカワの壁は厚かったようです。
83年夏には、聖子を追い抜く勢いのあった明菜でさえ、薬師丸ひろ子にはね返され、
オリコン1位を逃しています。
[7] 名前:名無しさん :2019/04/23 (火) 20:25:05 No.2577
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DUNKの85年2月号から、アイドル30人・好き嫌いタイプ総チェックのコーナーです。
こう言っている伊代ですが、オールナイトフジの司会を続けていた80年代後半、
B21スペシャルのヒロミに、自分の方から誘いかけたそうです。
ヒロミは、伊代の好みのタイプです。(伊代だけには優しいらしい。)
最初はからかわれているだけだと思ったヒロミですが、何回も伊代が誘うので、
付き合い始めたそうです。
[8] 名前:名無しさん :2019/04/23 (火) 20:26:37 No.2578
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写真探偵団の85年4月号から、素人が撮った写真(その1)です。
[9] 名前:名無しさん :2019/04/23 (火) 20:27:33 No.2579
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写真探偵団の85年4月号から、素人が撮った写真(その2)です。
[10] 名前:名無しさん :2019/04/23 (火) 20:28:56 No.2580
2580.jpg (455KB)
投稿写真の85年3月号から、素人が撮った写真です。
雑誌発売の2年前なので、「今よりずっとスリムな体型」と書いてあります。
[11] 名前:名無しさん :2019/04/23 (火) 20:30:11 No.2581
2581.jpg (156KB)
投稿写真の85年3月号から、素人が撮った写真(その2)です。
髪の長さから見て、15と同じ頃の撮影でしょう。
「小さいなりに、ちゃんとバストはあるのです。」と書いていまが、
水着の内側にパッドが付いているのかも?
[12] 名前:名無しさん :2019/05/02 (木) 23:53:25 No.2632
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DUNKの86年5月号から、戸板女子短大を卒業した時の記事です。
短大は四年制の大学より授業がビッシリ詰まっているのに、芸能活動もしていたのだから、
「かなりタイヘン」なのは当たり前ですね。
[13] 名前:名無しさん :2019/05/10 (金) 00:28:55 No.2679
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DUNKの86年7月号から、山田太一ドラマに出演する伊代ちゃんの情報です。
コンビニでバイトする大学生のマドンナ役と書いてあります。
今は少子化で、バイトする大学生も減っているし、時給も安いので人が集まらないのでしょう。
バブルに向かって行く、この頃なら時給も高かったのかも知れません。
結婚・出産による一時休業後は、あまりドラマに出ていませんが、
バラエティの方が、松本伊代に合っている事と、ドラマは拘束時間が長いからでしょう。
[14] 名前:名無しさん :2019/07/25 (木) 21:49:28 No.3043
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しゃんばらの最後のスレ(何度も落ちた)に貼った画像は、13で終わりです。
ここからは、しゃんばらで前のスレに載せた画像を中心に再アップします。

これは、2000年4月25日発行の、20世紀アイドルスター大全集・80年代編から、
松本伊代の1ページ目の上です。下に、プロフィールが載っています。
81年10月21日デビューですが、この年の新人賞には間に合わないので、
82年デビュー扱いとなり、花の82年組の一員になりました。


[15] 名前:名無しさん :2019/07/25 (木) 21:57:30 No.3044
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20世紀アイドルスター大全集から、松本伊代の1ページ目の左下です。

中学生時代にスカウトされたと書いてあります。その前にホリプロ・タレントスカウトキャラバンに
応募し、書類審査はパスしましたが、歌唱審査で落ちたそうです。
花の82年組の中では、中森明菜とともに個性的な声の持ち主で、
デビュー時から印象的でしたが、中森明菜のような歌唱力が無かったので、落ちたのでしょう。
もし合格していたら、堀ちえみの先輩になっていたはずです。
[16] 名前:名無しさん :2019/07/25 (木) 22:03:36 No.3045
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20世紀アイドルスター大全集から、松本伊代の1ページ目の右下です。

「パリンコ学園No.1」は、スカウトキャラバン優勝のちえみと、
落選組の伊代・キョンキョンが、共演していました。
長女・伊代、次女・自分、三女・ちえみという感じかな、とキョンキョンが言っていました。
「パリンコ学園No.1」は、このカットのようにセーラー服です。
キョンキョンとちえみは、実際の通学でセーラー服を着た事がないので、嬉しがっていましたが、
伊代は、デビュー前まで通っていた森村学園で着ていたので、他のふたりは羨ましがっていました。
[17] 名前:名無しさん :2019/07/25 (木) 22:37:45 No.3046
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20世紀アイドルスター大全集から、松本伊代の1ページ目の左上です。
本当は2ページ目の右上と繋がる写真ですが、欠落が多く繋がらなかったので、
しゃんばらでは省略しました。今回は、犬の舌に舐められている伊代のカットだけ載せます。

スカウトされた時は疑っていましたが、岡田奈々・大場久美子が在籍するボンド企画と聞いて、
安心して芸能界入りしたそうです。
[18] 名前:名無しさん :2019/07/25 (木) 22:44:31 No.3047
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20世紀アイドルスター大全集から、松本伊代の2ページ目の右上です。

すぐに「たのきん全力投球」の田原俊彦の妹役オーディションに合格し、
あっという間に芸能界デビュー。妹役を続けながら、歌のレッスンをして歌手デビューしました。
ちなみに、この画像に載っている戸板女子短大へ進学しましたが、
事務所の先輩の岡田奈々も、同じ短大へ進学しています。
後には、菊池桃子も同じ短大へ進学し、2012年には客員教授に就任しました。
[19] 名前:名無しさん :2019/08/04 (日) 23:59:55 No.3087
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20世紀アイドルスター大全集から、松本伊代の2ページ目の左上です。

花の82年組の中では、デビューが最も早かったので、他の82年組アイドルは、伊代さんと言い、
先輩のように慕っていて、デビュー時は、花の82年組のリーダー的存在でした。
「パリンコ学園No.1」の時の雑誌対談では、キョンキョンは伊代先輩と言い、
ちえみは「伊代ちゃん」とはとても呼べないと、言っていました。
[20] 名前:名無しさん :2019/08/05 (月) 00:03:31 No.3088
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20世紀アイドルスター大全集から、松本伊代の2ページ目の中央です。

花の82年組は、デビュー後徐々にステップアップして行くアイドルが多かったですが、
伊代は、最初から完成されたアイドルという感じがします。80年代後半から主流になる、
完成されたアイドルとしてデビューするタイプの先駆けとも言えるでしょう。
このタイプは、デビュー曲からヒットする短期勝負型である反面、
アイドルとしての活動期間が短いのが弱点ですが、
同期アイドルが息の長いアイドル活動を続けていたため、伊代も頑張っていました。
[21] 名前:名無しさん :2019/08/05 (月) 00:05:47 No.3089
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20世紀アイドルスター大全集から、松本伊代の2ページ目の右下です。

伊代が頑張れたのは、花の82年組の同期のしての仲間意識が強かったためでしょう。
伊代と同い年か1歳年下という、同年代のアイドルが結集した花の82年組は、
沢山のアイドルを輩出した80年代の中でも、飛び抜けて豊作の年になりました。
[22] 名前:名無しさん :2019/08/05 (月) 00:09:29 No.3090
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20世紀アイドルスター大全集から、松本伊代の2ページ目の左の下から2番目です。

花の82年組の仲間意識について、「アイドル工学」(稲増龍夫著)の文章を引用します。
「82年になって、アイドルに仲間意識が出てくるんです。(中略)
 82年組というのは、自分たちがアイドルと言われてて、
 いわゆる芸能人とは違うよみたいな仲間意識を結構持ってたと思うんです。
 つるんでたみたいなね。みんな、ライバル意識はあんまりないんですよ。」
[23] 名前:名無しさん :2019/08/05 (月) 00:10:51 No.3091
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20世紀アイドルスター大全集から、松本伊代の2ページ目の左下です。
事務所の先輩の大場久美子との2ショットです。
大場久美子よりも、歌は巧かったと思います。岡田奈々と同じくらいでしょうか。
でも伊代の方が、個性的な声なので、歌に味がありました。
[24] 名前:名無しさん :2019/08/13 (火) 21:54:45 No.3123
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85年10月1日発行の、近代映画のムック本「アイドル40年」のカットです。

湯川れい子作詞、筒美京平作曲の「センチメンタル・ジャーニー」と言う、
自分の名前を歌詞に取り入れた、インパクトのある曲でデビューした伊代。
でも、デビュー2年目の6曲目「6.チャイニーズ・キッス」「太陽がいっぱい」
「恋のバイオリズム」といった曲の方が好きでした。
セールスとしては、「センチメンタル・ジャーニー」からの5曲が、ピークでしたが。
[25] 名前:名無しさん :2019/08/13 (火) 21:57:20 No.3124
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89年9月20日発行の、近代映画のムック本「女神の肖像」のカットです。

そして転機となった、尾崎亜美作詞・作曲となる9曲目「時に愛は」も好きで、名曲だと思います。
尾崎亜美が他の人に提供した曲の中では、一番好きです。
同じく尾崎亜美作詞・作曲の10曲目「恋のKNOW-HOW」も、キャッチーで覚えやすい曲です。
そして3年目の終わりにリリースされた13曲目「ビリーヴ」が、伊代の曲の中では、一番好きです。
キャプテンをバックに歌う「センチメンタル・ジャーニー」は、アイドルとして完成された姿を
見せていましたが、自分のバンドを引き連れて歌う「ビリーヴ」は、アイドルからアーティストへの
ステップアップが感じられる曲で、その後の伊代の歌手活動の基盤にもなった名曲です。
[26] 名前:名無しさん :2019/08/13 (火) 22:01:04 No.3125
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80年代アイドルデビュー伝説から、近代映画の81年12月号の表2グラビアです。
表2グラビアとは、表紙の裏で、当時注目の新人アイドルを紹介するページです。

ママドルとして復帰した松本伊代は、ボケキャラを演じていますが、
80年代でそれを演じていたのは、三田寛子でした。
80年代の伊代は、自然体に振舞う姿が印象的で、周囲がそんな伊代に引き込まれて行くのが
魅力でした。オールナイト・フジでの、ゴーストライター発覚事件も、
ママドルとして復帰してから注目された感じです。
「私もまだ見ていませんが」と言って突っ込まれた後の、伊代の反応も自然な感じで、
オーバーにリアクションしていないため、周囲を和ませていました。
[27] 名前:名無しさん :2019/08/13 (火) 22:08:24 No.3126
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80年代アイドルデビュー伝説から、近代映画の81年6月号の、1ページ目です。

デビュー曲「センチメンタル・ジャーニー」リリースの7ヶ月も前、81年3月の
「たのきん全力投球」から、芸能界で活躍していた伊代。
アイドル番組で活躍してからレコードデビューするアイドルの先駆けになりました。
もし「センチメンタル・ジャーニー」が、81年中旬発売だったら、
不作の81年女性アイドルの中で、ダントツになっていたでしょうが、
花の82年組には入らなかったので、長い目で見れば81年末デビューで正解だった事になります。
ちなみに「センチメンタル・ジャーニー」は、NHK「レッツゴーヤング」では、
「伊代はまだ」の部分が、自分の名前の宣伝になるという理由で、
「私まだ」と歌詞を変更されています。
[28] 名前:名無しさん :2019/08/13 (火) 22:12:01 No.3127
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80年代アイドルデビュー伝説から、近代映画の81年6月号の、2ページ目です。
下の記事に、「気が強くて負けず嫌い」と書いてあります。
一見のんびり屋に見られがちな伊代ですが、競争の激しい80年代アイドル界で生き残るためには、
「気が強くて負けず嫌い」な性格が幸いしたと思います。
しかも伊代ちゃんは、自然体に振舞う姿が周囲を和ませる、独特の雰囲気を持っていました。
結婚・出産のため、芸能界を一時引退しましたが、競争の激しい芸能界に復帰するかどうか、
相当悩んだそうです。それでも復帰出来たのは、
周囲を和ませる独特の雰囲気が良かったからでしょう。
[29] 名前:名無しさん :2019/08/20 (火) 23:19:45 No.3155
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BOMBの82年2月号の、1ページ目です。
センチメンタル・ジャーニーを歌っている頃の、伊代ちゃんのグラビアです。
やっぱり伊代ちゃんは、デビュー当時から完成された可愛らしさです。
ファーストアルバム「センチメンタルI・Y・O」に合わせているのか、
「クリスタルI・Y・O」と題されています。
セカンドアルバムも、「サムシングI・Y・O」だったので、
この題名の付け方が定着していたのでしょう。
[30] 名前:名無しさん :2019/08/20 (火) 23:23:19 No.3156
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80年代アイドルデビュー伝説から、近代映画の82年2月号の、1ページ目です。
洋服を着たまま計っても38キロしかなかったって事は、もっと体重が少なかったって事です。
「センチメンタル・ジャーニー」は、この記事の時点で16位ですが、
9位まで上昇、ザ・ベストテンでは、6位まで上昇し、自身最大のヒットになりました。
ちなみに、花の82年組の他のアイドルのデビュー曲の最高順位は、
堀ちえみ「そよ風の少女」が27位、小泉今日子「私の16才」が22位、
北原佐和子「マイ・ボーイフレンド」が25位、三田寛子「駆けてきた処女」が21位、
石川秀美「妖精時代」が31位、早見優「急いで!初恋」が36位、
中森明菜「スローモーション」が30位と、皆ベストテンには遠く及んでいません。
[31] 名前:名無しさん :2019/08/20 (火) 23:26:45 No.3157
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80年代アイドルデビュー伝説から、近代映画の82年2月号の、2ページ目です。
「10代の1歳って、とっても大きいんだよね。30過ぎるとあまり関係ないけどね。」
伊代と同い年のキョンキョンは、ちえみに言えない事でも、伊代には言えると、当時言っていました。
ママドルになってからは、伊代とちえみは、同い年のように仲良くしていますが。
「私って人見知りする方だから。」子供を産んですぐの頃に、テレフォンショッキングに出た時、
タモリにも指摘されていました。しかも好きな人か違うか、すぐ顔や態度に出ると。
パリンコの3人は、みんな女姉妹で、男の兄弟がいなかったから、仲良くなったのかも知れません。
「フェーム」とかが好きだったんで、コンサートでも「フラッシュダンス」を歌い、踊っていました。
「私も将来はミュージカルをやってみたいな。」まさか、先輩アイドルの榊原郁恵や石野真子、
同期の早見優と、ミュージカルで共演するとは、当時は思ってもいなかったでしょう。
[32] 名前:名無しさん :2019/08/20 (火) 23:28:22 No.3158
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80年代アイドルデビュー伝説から、近代映画の82年2月号の、3ページ目です。
今でこそボケキャラを演じていますが、当時の伊代は歌での失敗はあまりありませんでした。
前ページの最後に書いてある「ぜ〜んぜん深刻にならないんです。オメデタイのかナ。」
この大らかな性格が、キョンキョンと似ていて、
緊張しすぎて歌で失敗する事があまりなかったのでしょう。
[33] 名前:名無しさん :2019/08/20 (火) 23:33:59 No.3159
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BOMBの82年2月号の、2ページ目です。

「1億人の妹」でデビューした大場久美子の後輩である伊代ちゃんのキャッチフレーズは、
「瞳そらすな僕の妹」。伊代ちゃん自身、二人姉妹の妹です。
他の80年代トップアイドルでも、聖子は二人兄妹の妹。キョンキョンは三人姉妹の末っ子。
秀美は二人姉妹の妹。明菜は6人兄妹の三女。桃子は二人兄妹の妹。ユッコは二人姉妹の妹。
荻野目ちゃんは四人兄妹のの末っ子。と、80年代前半は、妹が圧倒的に多かったです。
長女は、奈保子とちえみだけでした。一人っ子が優。(よしえは、分からず。ゴメン。)
これが85年デビュー組からは、本田美奈子(二人姉妹の長女)。中山美穂(三人姉弟の長女)。
南野陽子(二人姉弟の長女)と、長女が増えて行きます。
[34] 名前:名無しさん :2019/08/27 (火) 23:15:07 No.3192
3192.jpg (495KB)
BOMBの82年6月号の、1ページ目です。
伊代は東京が地元なので、中野サンプラザでのコンサートが一番緊張したと言っています。
デビュー1年目から全国コンサートが出来るのは、
デビュー曲からヒットを連発していたからでしょう。
他の82年組アイドルが、先輩のように慕っていたのも、納得です。
バストが72cmから75cmに増えたと喜んでいますが、身長も伸びているので、
胸囲が増えただけかも知れません。18(2ヶ月後)には、
「また痩せたんじゃないの。」と言われています。
細い身体でバスト70cm代後半のアイドルは結構いますが、
バスト72cmは他に原田知世ぐらいかな?(しゃんばらの時、教えてくれた人がいました。)
「伊代の大百科」は、アイドルがここまでバラすかと思えるほど、伊代の事を詳しく書いていると、
どこかで読んだ記憶があります。「伊代ちゃんも、あの本読みなさい。」「はい。えっ!」
確か、著者が松本伊代になっているはずだけど。
[35] 名前:名無しさん :2019/08/27 (火) 23:16:18 No.3193
3193.jpg (497KB)
BOMBの82年6月号の、2ページ目です。
「笑いすぎると、伊代はブスになる」と言われるそうですが、
このカットの笑顔では、まだ可愛い伊代ちゃんの表情のままです。
笑いすぎた時に、顔を両手で隠す仕草をしていたのは、その辺の指摘を意識していたのでしょう。
[36] 名前:名無しさん :2019/08/27 (火) 23:33:07 No.3194
3194.jpg (488KB)
BOMBの82年2月号の、3ページ目です。

80年代前半のトップアイドルに、妹が圧倒的に多かったのは、幼いイメージでデビューし、
その後の成長過程をファンが応援するパターンが、70年代の桜田淳子・山口百恵の頃から
続いていたからでしょう。85年から姉が多くなるのは、完成されたアイドルの形での、
短期勝負的なデビューの仕方が増えていったからだと思います。おニャン子クラブの
各ソロ曲は、工藤静香を除いて、その最たるものでしょう。
[37] 名前:名無しさん :2019/08/27 (火) 23:36:11 No.3195
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BOMBの82年8月号の、1ページ目です。
16のインタビューで、なりたくないと言っていた、17歳になった時です。
伊代の場合「センチメンタル・ジャーニー」で、「♪伊代はまだ16だから」と歌っているので、
17歳になったら歌いにくいと言う問題もありました。
当時は、よく「歌詞変えて歌うの?」と質問されたそうですが、そのまま歌っています。
デビュー30周年の時、尾崎亜美に記念曲を作ってもらった関係で、
BSの尾崎亜美の番組に出演しましたが、(意外にも、テレビで共演するのは初めてだそうです。)
尾崎亜美が、「ファンの人は、16歳の伊代ちゃんの事を思って聞いているのだから、
今でも、「♪伊代はまだ16だから」と歌って正解だと言っていました。その通りだと思います。
そして、声がベテラン歌手のように変わっていなくて、安心したとも。
歌が上手くなった事をひけらかす元アイドルもいる中、
当時の歌い方を崩さない伊代ちゃんは立派です。
[38] 名前:名無しさん :2019/08/27 (火) 23:37:46 No.3196
3196.jpg (495KB)
BOMBの82年8月号の、2ページ目です。
スリムを通り越すほど細い伊代ちゃんの身体です。
前ページで書いてある、「フトモモと呼べないくらいの細もも」は、見えませんが。
「ピンキーパンチ大逆転」は、アイドル界で細い身体の代表の伊代ちゃんと、
太い身体の代表の柏原よしえの共演でした。
「少女探偵スーパーW」(こちらも、細めの大場久美子と、太めの榊原郁恵の共演)等、
70年代末に流行った、バラエティ色の強いSFアクションドラマが復活した内容でした。
[39] 名前:名無しさん :2019/09/05 (木) 01:01:13 No.3230
3230.jpg (487KB)
BOMBの82年2月号の、4ページ目です。

伊代ちゃんが、妹キャラクターの代表になったおかげで、その後の82年組アイドルは、
伊代の背中を追いかけながら、やがて活躍の場を広げていった感じがします。
伊代・ちえみ・優の同窓会番組では、「ひとりで聖子さんに向かって行っても敵わないから、
みんなで束になって対抗していた。」と語っています。伊代らしい表現です。
[40] 名前:名無しさん :2019/09/05 (木) 01:04:25 No.3231
3231.jpg (497KB)
BOMBの82年11月号の、1ページ目です。
「男っぽい人が好き」で、「人を笑わせるのが好き」なので、ヒロミと結婚したのでしょう。
「パリンコ学園No.1」から始まったバラエティへのレギュラー出演は、
オールナイトフジでの司会につながりました。
そこでB21スペシャルのヒロミと出会い、伊代の方からアタックしていったそうです。
バラエティに出演する時は、未だに夫のヒロミから、ダメ出しチェックが入るそうですが。
[41] 名前:名無しさん :2019/09/05 (木) 01:07:23 No.3232
3232.jpg (488KB)
BOMBの82年11月号の、2ページ目です。

(40の続き)
デビューした年に武道館でコンサートを行えるとは、
さすが花の82年組のリーダー格だったトップアイドルです。
ミニスカートが好きでも、膝上までが似合っている事を自覚しています。
モモを露出しすぎると脚が細く見えすぎちゃうとは、細い身体の伊代らしいコメントです。
(体重が軽過ぎて、自動ドアが開かないと言うエピソードがあるほどです。)
[42] 名前:名無しさん :2019/09/05 (木) 01:10:06 No.3233
3233.jpg (495KB)
BOMBの82年2月号には、伊代の大百科の広告が載っています。
アイドルが、ここまでバラしていいのかと、話題になったそうです。
[43] 名前:名無しさん :2019/09/05 (木) 01:13:43 No.3234
3234.jpg (495KB)
BOMBの83年4月号の、1ページ目です。
春が似合う伊代ちゃんっぽいグラビアです。
大好きな曲「チャイニーズ・キッス」がリリースされた頃です。
[44] 名前:名無しさん :2019/09/13 (金) 22:24:35 No.3267
3267.jpg (496KB)
BOMBの83年5月号の、1ページ目です。
2キロ太って40キロの大台に乗せたと言っていますが、お尻とお腹に肉が付いたため、
目立たないのでしょう。「伊代ちゃんのスカートはますます短くなるし。」
25で乗せた半年前のインタビューでは、モモを露出しすぎると脚が細く見えすぎちゃうと
言っていたので、モモにも少し肉が付いたのかな?
「伊代はメンクイだからな。」「やさしくておもしろい人もいいですよ。」
ヒロミは、優しくはないと思いますが、伊代ちゃんの前では優しくなるのかな?
[45] 名前:名無しさん :2019/09/13 (金) 22:39:50 No.3268
3268.jpg (492KB)
BOMBの83年5月号の、2ページ目です。

昨年放送された「アイドル50年」のテレビ番組で、「たのきん全力投球」に出演していた当時の
伊代ちゃんが、オンエアーされていました。
レコードデビュー前から、完成されたアイドルという感じの表情でした。
90年代にキョンキョンが出演した番組で、ホリプロタレントスカウトキャラバンに
落ちた事について、司会の堺正章が、「ホリプロは、こういう顔が好みなんだよね。」と言って、
同じく司会の榊原郁恵を指していましたが、同じ理由で、伊代ちゃんも落ちたのでしょう。
グランプリを取った林のりえが2年で引退したのも、
伊代ちゃんやキョンキョンと見比べて、分かる気がします。
最近知った事ですが、中村由真もスカウトキャラバンでは次点で、
その時の優勝は山瀬まみだったそうです。
[46] 名前:名無しさん :2019/09/13 (金) 22:43:01 No.3269
3269.jpg (489KB)
BOMBの83年4月号の、2〜3ページ目です。
春のイメージにピッタリの伊代。花の82年組では、
三田寛子もほんわかした感じが春にピッタリでした。
夏は、小麦色に焼けた肌のちえみ、スポーツ少女の秀美、ハワイ育ちの優がピッタリ。
秋は、しっとりとしたバラードが似合う大人っぽいイメージの明菜がピッタリ。
冬は、ファッションセンスに磨きがかかり、冬に大ヒットを連発していたキョンキョンが
ピッタリです。
[47] 名前:名無しさん :2019/09/13 (金) 22:49:12 No.3270
3270.jpg (413KB)
BOMBの83年9月号の、テレビ番組紹介コーナーです。
2ページに渡って、上側に堀ちえみの「スチュワーデス物語」を、
下側に伊代の初主演した2時間ドラマ「おやすみテディベア」を紹介しています。(上側は省略)
まだ高3だった伊代が女子大生を演じています。16歳の堀ちえみも、19歳の役を演じていたので、
この頃は人気アイドルが年上の役を演じる事が、ステータス向上に繋がっていたと思います。
実年齢より年下の役が多い昨今の女優のドラマとは、正反対の年齢設定です。
このカットでは、バスタオル姿の伊代ちゃんの、新鮮な色気が魅力的です。
[48] 名前:名無しさん :2019/09/13 (金) 22:51:13 No.3271
3271.jpg (410KB)
BOMBの83年29月号の、テレビ番組紹介コーナーの2ページ目です。
「おやすみテディベア」の原作は、赤川次郎。
角川3人娘を売り出す時の映画の原作に良く起用された作家ですが、
読みやすいので、アイドル達が良く読んでいた作家でもありました。
伊代ちゃんは、アイドル映画の主演はありませんが、角川3人娘の渡辺典子よりも、
赤川次郎の世界を体現するのに相応しいキャラを持っていたと思います。
[49] 名前:名無しさん :2019/09/22 (日) 00:30:30 No.3310
3310.jpg (495KB)
BOMBの83年4月号の、4ページ目です。
プロフィールに書いてある6thシングル「チャイニーズ・キッス」は、
明るくてテンポが良く口ずさみやすい、春にピッタリの大好きな曲です。
翌84年春リリースの「恋のKNOW-HOW」も、春にピッタリでした。
春のイメージにピッタリの伊代が、軽快なリズムに乗って、
弾みながら歌っている姿が、素敵でした。
[50] 名前:名無しさん :2019/09/22 (日) 00:33:09 No.3311
3311.jpg (489KB)
BOMBの83年12月号の、ドラマ紹介の1ページ目です。
「私は負けない!ガンと闘う少女」という、ストレートなタイトルのこのドラマも、
なかなか再放送されないので、見ていません。
ネットで検索すると、伊代の棒読み演技が、同時期に放送されていた「スチュワーデス物語」の
堀ちえみに匹敵する。と書いてあったので、再放送されないのかも知れません。
[51] 名前:名無しさん :2019/09/22 (日) 00:34:55 No.3312
3312.jpg (491KB)
BOMBの83年12月号の、ドラマ紹介の2ページ目です。

(50の続き)
伊代サイドとしては、初の本格的バラード曲「時に愛は」を主題歌にして
PRする目的もあったのでしょうが、シリアスな主人公の少女は、
伊代ちゃんのキャラに合わなかったのでしょう。
両親役や先生役が、迫真の演技を見せていて、ドラマの出来自体は、良かったようです。
[52] 名前:名無しさん :2019/09/22 (日) 00:45:57 No.3313
3313.jpg (494KB)
BOMBの84年1月号の、1ページ目です。
伊代は、「私は負けない!ガンと闘う少女」のようなシリアスドラマより、
ここで言っているように、「お目々キラキラ、バックにバラの花が舞っているような、
少女漫画の世界のような映画」が、似合っている気がします。
映画主演は無理としても、月曜ドラマランドあたりで、実現して欲しかったです。
しかし初出演映画は、「薄化粧」という伊代ちゃんのキャラとは正反対の映画でした。
[53] 名前:名無しさん :2019/09/22 (日) 00:48:44 No.3314
3314.jpg (493KB)
BOMBの84年1月号の、2ページ目です。

(52の続き)
泳ぎが苦手な伊代ちゃんは、潜るのも苦手で、かくし芸大会のシンクロナイズド・スイミングで、
オシリを出して浮かんでいました。インタビュアーが、
「ブラックデビルみたいなメイクしているから、誰が誰だか見分けがつかない。」とフォローすると、
「お前は耳で分かるよ。」と言われたと答える伊代。
「胸でも分かったりして。」と話を盛り上げるインタビュアーに、
「あ、失礼な。当たってるけど。」と答える伊代。
トークの才能は、アイドル時代からあったので、オールナイトフジの司会に抜擢されたのでしょう。
[54] 名前:名無しさん :2019/09/30 (月) 00:41:28 No.3348
3348.jpg (494KB)
BOMBの84年2月号から、3つ折りピンナップです。
ショートカットにした伊代ちゃんの魅力溢れる、このピンナップの他に、
35ページの巻頭大特集が載っています。
[55] 名前:名無しさん :2019/09/30 (月) 00:50:30 No.3349
3349.jpg (483KB)
BOMBの84年2月号の、5ページ目です。ここから、記事ページに入ります。
文章の「魔法の国の妖精のように」と言う言葉が、印象的です。
70年代アイドルは、「白雪姫」天地真理のお人形のようなアイドルから始まり、
花の中3トリオを中心として、等身大のアイドルに近づいて行きました。
しかしピンクレディーの一大ブームの後、潮が引くかのように、アイドルブームが引いて行きました。
80年代に入ると同時に、松田聖子を中心として、70年代以上のアイドルブームが起こります。
松田聖子が体現したアイドル像が、「魔法の国の妖精のように」であり、
既にそんなアイドルは存在しない事が浸透した世の中になっていたので、ぶりっ子と呼ばれました。
[56] 名前:名無しさん :2019/09/30 (月) 00:52:55 No.3350
3350.jpg (492KB)
BOMBの84年2月号の、1ページ目です。
春が大好きな伊代ちゃん。春先に出る新曲は、尾崎亜美作詞・作曲の「恋のKNOW-HOW」です。
尾崎亜美らしい軽快なポップナンバーで、伊代ちゃんの振り付けも可愛くて、大好きでした。

(55の続き)
そしてキョンキョン・明菜を中心に、花の82年組が、様々な形の等身大のアイドル像を
作って行きました。花の82年組の中で、唯一81年末デビューの松本伊代だけは、
「魔法の国の妖精のように」というイメージを残しながら、それをトークのボケや、
癒し系(当時はない言葉)のキャラに活かして行きました。
[57] 名前:名無しさん :2019/09/30 (月) 00:55:06 No.3351
3351.jpg (493KB)
BOMBの84年2月号の、6ページ目です。
伊代のデビューまでの生い立ちが、4ページに渡って載っています。
体重3705グラムの大きな赤ちゃん。幼稚園まではわりと太っていて、
健康優良児にも選ばれたそうです。
ところが胃腸を壊してから、だんだんか細い子になって行きました。身体がか細くても、
伊代ちゃんは病気知らずの元気なアイドルに見えますが、そんな病気をしていたのですね。
[58] 名前:名無しさん :2019/09/30 (月) 00:57:37 No.3352
3352.jpg (493KB)
BOMBの84年2月号の、2〜3ページ目です。
残念ながら、この巻頭大特集のカラーグラビアは、4ページしか載っていません。

(57の続き)
上が姉なので、今度こそ男の子が欲しいと思った両親の願い虚しく、まだ女の子として生まれ、
諦めきれない両親が、男の子っぽい服を着せて、近所の人から「坊ちゃんですか。」と
聞かれるあたりは、まるでキョンキョンの幼少時代とそっくりです。
似た生い立ちから、パリンコの3人は、本当に仲良くなったみたいです。
お姉ちゃんの性格は、キョンキョンの場合と正反対だったようですが。
[59] 名前:名無しさん :2019/10/07 (月) 01:27:28 No.3386
3386.jpg (496KB)
BOMBの84年2月号の、7ページ目です。
一家揃って宝塚ファン、お姉ちゃんとリサイタルごっこをしていました。
人気アイドルになる人には珍しい、歌手になるためには恵まれた家庭環境で育ちました。
初恋が幼稚園の頃とは、その方面ではマセていたようです。
「おちゃめで気が強くて、口ゲンカでは絶対負けなかったの。」
デビュー曲がいきなり売れて、花の82年組のリーダーとして最初活躍出来たのは、
気が強い性格が良い方に働き、長い間芸能人として活躍しているのは、おちゃめな性格が、
伊代ちゃん独特の、周りをホンワカした空気にする技術を磨いていったからだと思います。
[60] 名前:名無しさん :2019/10/07 (月) 01:29:42 No.3387
3387.jpg (495KB)
BOMBの84年2月号の、4ページ目です。

(59の続き)
初期のキョンキョンやちえみのドジは、アイドルとして親近感を得られる性格ですが、
伊代ちゃんのボケは、長い間芸能人として活躍するための手段でしょう。
[61] 名前:名無しさん :2019/10/07 (月) 01:34:51 No.3388
3388.jpg (491KB)
BOMBの84年2月号の、8ページ目です。
小学校高学年の頃、勉強が好きでなかった伊代は、お母さんに叱られても口答えする反抗期でした。
ママになった伊代は、反抗期の自分の子供を叱っても、迫力がないので、
叱る役はパパ(ヒロミ)に任せていたそうです。
叱っていた頃のお母さんの大変さが、ママになってから解ったと思います。
スポーツがまるでダメで、習い事も続かなかった伊代を、唯一夢中にさせたのはピンク・レディー。
リサイタルごっごも、ますます白熱しました。
[62] 名前:名無しさん :2019/10/07 (月) 01:39:09 No.3389
3389.jpg (494KB)
55年1月10日発行の週刊プレイボーイの年鑑「ギャルズメイト」の、1〜2ページ目です。
(撮影は、84年)

(61の続き)
ピンク・レディーは、小学生からの人気が高かったので、82〜84年ぐらいにデビューした
アイドルには、ピンク・レディーの真似をしていた人達が沢山いました。
もちろんパリンコで一緒だったキョンキョンやちえみも、ピンク・レディーの真似をしていました。
でもパリンコ3人の中で、伊代が一番踊りが上手かったのは、
ピンク・レディーの真似を、一番熱心にしていたからかも知れません。
[63] 名前:名無しさん :2019/10/07 (月) 01:48:14 No.3390
3390.jpg (494KB)
BOMBの84年2月号の、9ページ目です。
伊代は痩せているので、テニスルックが似合うのでしょう。
キャンディーズを歌う時は、「当然ミキちゃんの役」と言っていますが、
伊代ちゃんは面長の顔なので、痩せてて面長のランちゃんの方が似ているように思います。
それとも中1の頃は、やや丸顔っぽかったのかも知れません。
左上の中2の頃の写真から、そんな印象を感じます。
(しゃんばらに載せた時は、ミキちゃんと伊代ちゃんは、アイドル史で1、2位を争うペチャパイと
 言うご指摘がありました。そういう意味では、「当然ミキちゃんの役」なのでしょう。)
[64] 名前:名無しさん :2019/10/07 (月) 01:51:21 No.3391
3391.jpg (495KB)
週刊プレイボーイの年鑑「ギャルズメイト」の、3ページ目です。

(63の続き)
幼稚園の頃の初恋らしきものとは違い、中2の片思いは辛かったと思います。
「もともとあんまり男の子にモテるほうじゃない。」と言っていますが、
伊代の方が好き嫌いが激しかったのかも知れません。テレビでタモリに、
好き嫌いがすぐ顔に出るタイプと、言われていました。
そんな中2の頃に入った茶道部では、伊代ちゃんらしいキャラが出ていて、読んでて楽しくなります。
[65] 名前:名無しさん :2019/10/14 (月) 20:39:55 No.3434
3434.jpg (490KB)
BOMBの84年2月号に戻って、10ページ目です。
伊代は、中3の12月にモデルとしてスカウトされますが、
森村学園は芸能活動禁止なので、モデルとして仕事を始めると、
高等部への進学を諦めなければならないので、悩みます。
やはりモデルだけでは、将来が不安なのでしょう。
[66] 名前:名無しさん :2019/10/14 (月) 20:42:07 No.3435
3435.jpg (487KB)
BOMBの84年2月号の、11ページ目です。
森村の高等部入学手続きを済ませてから、「たのきん全力投球」のオーディションに合格した伊代。
津久井高校の入試に合格してから、「スター誕生・決戦大会」で合格したキョンキョンと似ています。
同じ81年3月の事でした。でもレコードデビューは、伊代の方が5ヶ月も早かったです。
リサイタルごっこをしていた事が、アイドルデビューの準備に役立っていたのでしょう。
当然ビクターも、伊代ちゃんの売り出しに力を入れ、キョンキョンは二の次でした。
[67] 名前:名無しさん :2019/10/14 (月) 20:43:45 No.3436
3436.jpg (473KB)
週刊プレイボーイの年鑑「ギャルズメイト」の、4ページ目です。
細い身体の伊代ちゃんは、脚の方から撮っても細いです。
[68] 名前:名無しさん :2019/10/14 (月) 20:46:25 No.3437
3437.jpg (487KB)
BOMBの84年2月号に戻って、12ページ目です。
誕生日での、お母さんやお姉さんとの3ショットを見ると、伊代の面長の顔の輪郭は、
母からの遺伝に見えます。母親が一番面長です。
パリンコの写真では、やはり伊代のポーズが、一番決まって見えます。
そして武道館コンサート。デビュー1年で武道館コンサートを行うのは、
当時としては画期的な出来事でした。調べたら松田聖子でも、2年半以上かかっています。
[69] 名前:名無しさん :2019/10/14 (月) 20:50:00 No.3438
3438.jpg (488KB)
BOMBの84年2月号の、13ページ目です。
81年10月21日デビューなので、翌年の新人賞レースで
「アレッ、どうして伊代ちゃんが新人なの」と、
なかなか新人扱いしてもらえなかった事を、正直に言っています。
ビクターとしても、力を入れて売り出した新人を、
新人賞レースに参加出来ないようなタイミングで、売り出すはずがありません。
[70] 名前:名無しさん :2019/10/14 (月) 20:53:43 No.3439
3439.jpg (464KB)
週刊プレイボーイの年鑑「ギャルズメイト」の、5〜6ページ目です。
文章に書いてあるように、伊代の顔や身体や声という個々の魅力で考えると、
トップアイドルとして人気をキープするには無理な気もしますが、
全体的な雰囲気が良く、キャラが立っているから、人気を持続出来たと思います。

(69の続き)
事前に10月21日デビューの場合、翌年の新人賞レースに参加出来る事を、
確認していた事でしょう。
1年間コンスタントにヒット曲を出し続けた結果、
歌謡大賞新人賞をシブがき隊と一緒に取ったのを初め、数々の新人賞を受賞しました。
[71] 名前:名無しさん :2019/10/18 (金) 00:12:01 No.3459
3459.jpg (494KB)
BOMBの84年2月号に戻って、14ページ目です。
オールナイトフジの司会にスポットを当てたコーナーです。
ウィキには84年10月から司会と書いてありますが、83年10月の間違いでしょう。
年上の女子大生と共演しても、存在感充分な女子高生・伊代の司会ぶりでした。
「伊代のセリフは全部アドリブ」。朝5時起きで、深夜の生放送は大変だったと思います。
他の出演者とは、スケジュールの過密さがまるで違うのだから、つい口を滑らせて、
ゴーストライター発覚事件と言われるようになったのも、無理ありません。
伊代ちゃんの自然体のキャラが、周囲を和ませていました。
[72] 名前:名無しさん :2019/10/18 (金) 00:14:36 No.3460
3460.jpg (493KB)
BOMBの84年2月号の、15ページ目です。
女子大生には、ちょっとなってみたいと、言っています。
オールナイトフジの司会をしているうち、女子大に進学したくなり、
戸板女子短大に進学したのかも知れません。
短大とはいえ、忙しいスケジュールであまり受験勉強が出来ないのに合格したのだから、
意外に頭がいいのでしょう。堀ちえみのように、長い連ドラの主演が無く、
出席日数が足りて、堀越高校を留年しないで卒業出来たのも幸いでした。
[73] 名前:名無しさん :2019/10/18 (金) 00:16:42 No.3461
3461.jpg (475KB)
GOROの84年12月13日号の、1〜2ページ目です。

(72の続き)
現役女子大生から選び抜かれた、おかわりシスターズやおあずけシスターズと比べても、
デビュー時から、人気アイドルとして活躍している伊代ちゃんの可愛らしさは、別格でした。
それは、「プロフェッショナルとして高貴な輝きや風格さえ漂っている」と書いてある通りです。
オールナイトフジの初期は、「現役バリバリの目立ちたがりお姉さんたちと、
何やら摩訶不思議な透明感を持った伊代の独特の存在感のコントラスト。」が魅力でした。
[74] 名前:名無しさん :2019/10/18 (金) 00:20:59 No.3462
3462.jpg (491KB)
BOMBの84年2月号の、16ページ目です。
伊代ちゃん初の連ドラ主演作「私は負けない!ガンと闘う少女」の現場ルポが載っています。
最初から8回で終わるよう決まっていた連ドラですが、「伊代を殺さないで!」という投書が、
うなぎ上りに増えたため、最終回で死ぬシーンが無くなったのでしょう。
まだ視聴者の反応を見ながら台本を書いていた頃なので、台本→撮影→放送の間隔が短く、
8回しか無くても、最終回には視聴者の声が反映されたと思います。
[75] 名前:名無しさん :2019/10/18 (金) 00:23:31 No.3463
3463.jpg (495KB)
GOROの84年12月13日号の、7ページ目です。(3〜6ページ目は、後で)

(74の続き)
「もし死ぬシーンがあったとしたら、きれいにコックリ死にたいと思ってたんですよ。」と
言っていますが、この通り演じたら「リアルさが欠ける」とクレームが付いたかも知れません。
投書が伊代を守ったのかも。「こんなに真剣に取り組んだドラマは初めてでした。」と言っている
このドラマは、伊代ちゃん最初で最後の連ドラ主演作なので、是非見たいです。
CSのTBSチャンネルでは、時々80年代アイドルドラマ特集を組むので、
取り上げて欲しいです。
[76] 名前:名無しさん :2019/11/03 (日) 01:32:46 No.3497
3497.jpg (488KB)
BOMBの84年2月号の、17ページ目です。
薬師丸ひろ子主演で大ヒットした映画になる前のドラマ版「Wの悲劇」で、
あの摩子役を演じていたんですね。映画が出来る前のためか、載っていないのは残念です。
(ドラマ版は、映画版の劇中劇である原作を、そのままストーリーにしている。)
デビュー作である「たのきんドラマ」は、けっこうシリアスなドラマと言っています。
ピンキーパンチ大逆転では、「あの衣装の下、何にも着けてなかったから恥ずかしくって」。
楽屋では、柏原芳恵と裸の付き合いだった事になります。
パリンコ学園No.1では、コント赤信号の過激な悪ノリは恐怖だったそうですが、
その後、生放送の歌番組でキョンキョンが歌っている時のバックでも悪ノりし、
キョンキョンが「コノー」とキレていました。
[77] 名前:名無しさん :2019/11/03 (日) 01:36:10 No.3498
3498.jpg (491KB)
GOROの84年12月13日号の、5〜6ページ目です。
85年3月20発行の写真集「だれか誘惑」を予感させるようなカットが、
この雑誌のグラビアでは多いです。
10年ぐらい前にCSで放送していた、松本伊代の冠番組で、伊代のお宝写真集を探して、
古本屋でロケしていましたが、数万円もするポスターやカセットテープを紹介した後、
写真集「だれか誘惑」が、他の写真集より桁違いに安く売られていました。
隣は、松本コンチータというAV女優でした。
[78] 名前:名無しさん :2019/11/03 (日) 01:43:20 No.3499
3499.jpg (490KB)
BOMBの84年2月号の、18ページ目です。
ビクターの人気アイドルは、年にシングル4枚、オリジナルアルバム2枚、
ベストアルバムや企画物を含めるとアルバムも4枚リリースするのがノルマだったので、
年末には帳尻合わせのために、ベスト盤が出るのが常でした。
他のレコード会社の人気アイドルも、似たり寄ったりでしょう。
伊代の所属していたボンド企画は、70年代にも岡田奈々や大場久美子といった
人気アイドルを輩出していますが、女優業やグラビア人気の割りに
レコードセールスがイマイチでした。
そんな先輩よりも、レコードセールスを含めて伊代は売れていたので、過密スケジュールのため、
事務所のスケジュール担当者が熱を出すのも、無理ありません。
大阪でアルバム「Sugar Rain」をレコーディングしたのは、
大阪で初ミュージカルに挑戦していたからです。
[79] 名前:名無しさん :2019/11/03 (日) 01:49:06 No.3500
3500.jpg (496KB)
DUNKの84年9月号に、アルバムの代表作が載っているので、こちらを先に。
初期の伊代のアルバムは、1stアルバムがカントリーっぽかったり、アメリカ指向で、
小型大瀧詠一風らしいです。特徴のある声が、
アメリカン・ポップス風の曲にピッタリだったのでしょう。
その作風が変わったのは、尾崎亜美と出会ってから。「時に愛は」は、今聞いても名曲です。
尾崎亜美が作品を提供したアイドルは沢山いますが、作品提供の前後で、
曲調がガラッと変わったのは、伊代と岩崎良美の二人だけです。
岩崎良美は、新人としては歌が上手すぎるため、作家陣が変に難解な曲を作ったり、
試行錯誤を続けていて、尾崎亜美作品と出会って、
ようやく自分の世界が確立されていった感じです。
伊代は、デビュー曲「センチメンタル・ジャーニー」が大ヒットし、出来も良かったため、
アメリカン・ポップス風の曲で、自分の世界を確立していましたが、
大学に進学して、ステップアップを図る時期に、上手く尾崎亜美作品と出会い、
本格的なバラードも得意分野になりました。
[80] 名前:名無しさん :2019/11/03 (日) 01:53:10 No.3501
3501.jpg (491KB)
BOMBの84年2月号に戻って、19ページ目です。
この時点での伊代のディスコグラフィーが載っています。
売り上げ枚数も書いてありますが、おそらくオリコン調べでしょう。
レコード会社が発表する集荷枚数なら、この2〜3倍にはなっているでしょう。
やはりデビュー曲「センチメンタル・ジャーニー」が、突出した売り上げになっています。
人気アイドルは、デビュー曲から一気に売れるイメージがありますが、
それはジャニーズの男性アイドルの場合が多いです。80年代女性アイドルに限定すると、
デビュー曲から一気に売れ、その後もコンスタントに売れていたのは、伊代ちゃん以外には、
薬師丸ひろ子しか思い浮かびません。おニャン子クラブのメンバーや、それ以降のアイドルは、
デビュー曲が一気に売れても、その後急激に売り上げを落としていった感じです。
聖子・明菜・キョンキョン・桃子を始め、80年代のスーパーアイドルのデビュー曲は、
みんなベストテンにランクイン出来ませんでした。如何にデビュー曲
「センチメンタル・ジャーニー」のインパクトが大きかったかが、分かります。
[81] 名前:名無しさん :2019/11/11 (月) 23:33:43 No.3540
3540.jpg (80KB)
投稿写真の84年10月号から、素人が撮った写真の右上です。
[82] 名前:名無しさん :2019/11/11 (月) 23:36:59 No.3541
3541.jpg (493KB)
BOMBの84年2月号の、20ページ目です。
初ミュージカル「愛のシンフォニー」のルポが載っています。
笑い上戸のキョンキョンは、舞台で吹き出すのを恐れ、32歳になるまで舞台に立ちませんでした。
同じく笑い上戸のちえみは、未だに舞台未経験です。
この二人と同じぐらい笑い上戸(らっきょうが転がるのが可笑しくて笑うCMあり)の伊代は、
無事に初ミュージカルの舞台を乗り越えられたのでしょうか。
(坂上二郎が、上手くフォローしていたと書いてあります。)
「もっとお腹から声を出すようにっていわれました。」
もしミュージカルを続けていたら、伊代ちゃん独特の声が、もっと太くなって
平山みきのようになったかも知れないと思うと、続けなくて良かったです。
早見優は、アイドル卒業後ミュージカルやジャズを歌っていたので、
アイドル時代の歌唱法ではなくなりました。
[83] 名前:名無しさん :2019/11/11 (月) 23:39:46 No.3542
3542.jpg (489KB)
伊代が出演したCMについて、載っています。
最初のボンカレーのCMは、レコードデビューの半年も前だったんですね。覚えていませんでした。
もちろん、らっきょうを転がるのを見て笑うCMは、覚えています。
シャワランは、伊代が小学校高学年の頃に真似をしたピンク・レディーの代表CMのひとつでした。
「彼女みたいにふわふわした感じで、生活感を全く感じさせない子は珍しい。」
代表曲のひとつ「TVの中からキラキラ」も、その伊代のキャラがなければ成立しない曲でした。
キョンキョンがCMクィーンとしてブレイクした80年代末、「今までと同じように
CMをやってきただけなのに、何故今頃になってそんなに騒ぎ出す?」と不思議がっていました。
伊代も、CMタレントとしての素質は十分だっただけに、継続していれば、
CMクィーンになれたのかも知れません。
[84] 名前:名無しさん :2019/11/11 (月) 23:42:13 No.3543
3543.jpg (492KB)
投稿写真の84年10月号から、素人が撮った写真のメインカットです。
バストに自信がないからヒップで、と考えたのか、
カメラ小僧にパンチラをサービスしている伊代ちゃんです。
[85] 名前:名無しさん :2019/11/11 (月) 23:48:47 No.3544
3544.jpg (485KB)
BOMBの84年2月号の、22ページ目です。
伊代のマル秘健康法が、2ページに渡って載っています。
人気アイドルは、健康な体が資本です。ハードスケジュールに耐えられず、体を壊して脱落しては、
大金をかけて売り出した事務所は大損害。人気アイドルが所属する事務所は、
アイドルのマル秘健康法を、密かに蓄積していた事でしょう。
特にボンド企画は、身体が細いアイドルが多かったので、
(伊代ちゃんの先輩では、岡田奈々・大場久美子。後輩では、本田美奈子)、マル秘健康法は
重要だったと思います。それに本人のやる気や家族の協力があって、
伊代のマル秘健康法が出来たのでしょう。
スター運動会では、三田寛子のおかげで最下位を免れました。動画アップされていたリレーでは、
同じく走るのが苦手なキョンキョンが、司会の補佐に回り、第二走者の伊代ちゃんに
「ダメですね。さっき「何で私が出るの」と自分で言ってました。」と、暴露していました。
[86] 名前:名無しさん :2019/11/19 (火) 00:29:14 No.3569
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BOMBの84年2月号の、23ページ目です。
仕事で下半身は鍛えられても、上半身はあまり使わないので、ストレッチしています。
[87] 名前:名無しさん :2019/11/19 (火) 00:36:37 No.3570
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投稿写真の84年10月号から、素人が撮った写真の右中央です。
アイドルのミニスカート姿では、アンダースコートが必需品でした。

伊代ちゃんのアイドルとしての3大長所
・ガリガリだが実は健康でタフ→このストレッチで鍛えていた事も、それに一役買っています。
・仕事を選ばない→コンサートでは、レオタード姿でフラッシュダンスを踊る。
 写真集「だれか誘惑」発売。五社英雄監督の映画「薄化粧」に出演etc。
・あまり物事を深く考えない→長く芸能界で活躍する秘訣でしょう。
後輩の新田恵利は、自選のベスト盤を出す際、「これ以上秋元さんに儲けさせないよう、
自作詞の曲ばかり入れたそうですが、伊代ちゃんにはそんな計算高さもないようです。
伊代ちゃん司会のCSの番組に、新田恵利がゲスト出演した時に言っていました。
同じ事務所だったのに、初めて聞いたと言っているあたり、伊代ちゃんらしいです。
[88] 名前:名無しさん :2019/11/19 (火) 00:39:54 No.3571
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BOMBの84年2月号の、24ページ目です。
伊代の雑学辞典が、4ページに渡って載っています。
お姉さんが、体育短期大学を卒業したので、伊代も短期大学を受験する事にしたのかも知れません。
でも、運動神経はお姉さんのようにはいかなかったので、(戸板女子短大)被服科卒業となりました。
中学時代の体力測定では、50m走が9秒0、走り幅跳び2m80でした。
BOMBに載っていた同期の秀美の記録は、50m走が7秒4、走り幅跳び4m40なので、
だいぶ劣りますが、スポーツ少女の秀美と比べるのは、無理がありますね。
パリンコ仲間のキョンキョンは、50m走が9秒7、走り幅跳び2m40なので、伊代の勝ちです。
でも、腕相撲なら伊代には勝てるな。と言っていました。
[89] 名前:名無しさん :2019/11/19 (火) 00:42:45 No.3572
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BOMBの84年2月号の、25ページ目です。
中学の修学旅行で、「みんなとお風呂に入るのが恥ずかしくって、ずーっと入らずじまいだったの」
細い身体を見られたくなかったのかな?
「あの衣装の下、何にも着けてなかった」というピンキーパンチ大逆転の楽屋での柏原よしえが、
初めての裸の付き合いになるのでしょうか。
グラマーな柏原よしえに、細い身体を見らてしまいました。
嫌いな季節「冬。寒いから。」細い身体には、堪えるのでしょう。
結婚「子供は2人ぐらいで、友達みたいな夫婦関係がいい。」この願望は、上手く叶いました。
頭のサイズ53cmはかなり小さい方で、当然顔も小さいです。80年代人気アイドルは、
小顔の人が多かったですが、中でも伊代ちゃんとキョンキョンは、特に小顔でした。
小顔の場合、相対的に耳が大きく見えます。伊代ちゃんはたまたま耳が少し外側に出ているため、
ダンボ耳と言われ、キョンキョンは伊代ちゃんのおかげで、耳が大きいと言われずに済み、
小顔が注目されました。キョンキョンは、伊代ちゃんの方に足を向けて寝られないのでは?
[90] 名前:名無しさん :2019/11/19 (火) 00:52:03 No.3573
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DUNKの84年10月号の、情報コーナーです。
戸板女子短大へ進学した伊代ちゃんが、工芸科で作成した前期の成果を披露しています。
明菜と正反対に、家事が不得意な伊代は、短大で裁縫を習いました。後に本人が
「被服科卒業」と言っているので、当時の工芸科が、被服科のような内容だったのでしょう。
「伊代ちゃんは、真剣モードになると、メガネを頭の方に乗せる。ミシンで作業する時が、そう。」
と優がバラしていました。裁縫は上手くなりましたが、それ以外の家事は上達が遅く、
ヒロミが、ボヤいていました。子供には、チャーハンが不味いと言われていました。
ゴミの分別も苦手で、ヒロミが、分別用の場所に、分別法をシールで貼っているそうです。
[91] 名前:名無しさん :2019/11/26 (火) 23:56:28 No.3605
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BOMBの84年2月号の、26ページ目です。
性格「気は強いけど内弁慶」。長所「明るくてサッパリしているところ。」
自分の性格を、よく理解しています。この長所があるので、今でも夫婦円満なのでしょう。
「わりと風邪をひきやすく、のどに炎症をおこしやすい。」
歌手にとっては致命的な欠点かも知れませんが、伊代ちゃんのあの声なら、
風邪をひいていても、あまり変わらなかったと思うので、致命的な欠点にはなりませんでした。
[92] 名前:名無しさん :2019/11/27 (水) 00:01:10 No.3606
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BOMBの84年2月号の、27ページ目です。
パスポート事件は、81年9月。歌手デビュー前の伊代をからかう、意地悪なスタッフです。
でも伊代ちゃんが腹を立てて怒るのではなく、本気にして青ざめた姿を見て、
守ってあげたいという気持ちが、スタッフに芽生えたと思います。
キャプテンの2人がバックコーラスをしていたのは、3曲目「TVの国からキラキラ」までです。
4曲目「オトナじゃないの」では、バックコーラスが4人(キャプテンの2人を含む)の
デビル・ガールズになりましたが、ネーミングが良くなかったためか、この1曲だけになりました。
スクールメイツ出身のキャプテンの2人が、伊代と合わせて歌い踊る姿は、
まさに「TVの国からキラキラ」していて、アイドルの華やかさに溢れていました。
当時のテレビサイズでは、3人でちょうど良いと思います。
伊代も水谷豊のファンでしたが、ちえみが事務所の先輩のチェミー(甲斐智枝美)の
コネを利用して、先に会っています。
[93] 名前:名無しさん :2019/11/27 (水) 00:08:08 No.3607
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DUNKの84年11月号から、アイドルが乗る車を紹介するコーナーです。
キョンキョンからもらったIYOの刺しゅう入りタオルをかけ、車の中で安眠する伊代ちゃんです。
[94] 名前:名無しさん :2019/11/27 (水) 00:14:46 No.3608
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BOMBの84年2月号の、28〜29ページ目です。
アイドル恒例のボディチェックのコーナーですが、普通BOMBでは1ページなのに、
伊代ちゃんの場合は、2ページぶち抜きで載っています。
さすが、ボディに特徴のある伊代ちゃんです。
おでこ「意外と広いんだけど、髪で隠してるの」。そういえば伊代ちゃんが髪をアップにした姿は、
あまり見た事がないです。おでこが広いと知的に見えますが、そう見られたくないのかな?
伊代ちゃんの特徴は、耳が前に出ている事。本人も嫌がっていて、髪で隠しています。
それでも分かるらしく、「ヤンヤン歌うスタジオ」の楽屋で、沢田研二と川崎麻世が、
伊代の耳について話しているのを、小耳にはさんで(実際は大耳だけど)、ショックだったそうです。
デビュー当時と比べて4cmも成長したバストですが、それでも76cm。
これ以上はあまり成長しなかったようで、後に笑っていいともに出演した際、
胸が大きくなるジェルパッドを試着して街を歩く企画に出ましたが、
周りから「パッドを入れてもこれしかないの?」と言われていました。
[95] 名前:名無しさん :2019/11/27 (水) 00:20:24 No.3609
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GOROの84年12月13日号の、3〜4ページ目です。
86で、「腕を大きく伸ばし、胸をひらきましょう。発育を期待しつつ...」
と書いてあるストレッチ体操が功を奏したためか、バストが76cmまで発育しました。
「デビュー当時と比べて4cmも成長した」バストを強調しているポーズかも知れません。
[96] 名前:名無しさん :2019/12/05 (木) 23:11:36 No.3642
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BOMBの84年2月号の、30ページ目です。
ロングインタビューが、4ページに渡って載っています。
ドラマでは、「私は負けない」が、一番真剣に取り組んだドラマなので、是非見たいですね。
CSで再放送を多くやっているTBSのドラマなので、気長に待ちましょう。
歌では、ヒットチャート上では82年に及びませんが、楽曲的には「チャイニーズ・キッス」
「太陽がいっぱい」「恋のバイオリズム」「時に愛は」と、充実した83年になりました。
「太陽がいっぱい」は、私も大好きですが、伊代ちゃんも大好きだったそうです。
ベストテン入り出来なかったため、次の「恋のバイオリズム」では、意見を言えなかったとか。
花の82年組アイドルの、競争の厳しさの一面が分かるエピソードです。
次の「時に愛は」は、「私は負けない」の主題歌にもなった、尾崎亜美作詞・作曲の勝負曲。
歌唱力に不安のある伊代ですが、バラードでもベストテン入りした事は、
その後の自信につながったと思います。
[97] 名前:名無しさん :2019/12/05 (木) 23:37:08 No.3643
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投稿写真の85年2月号から、素人が撮った写真の右下です。

(96の続き)
最近、CSで伊代ちゃんが出演した86年の連ドラ「深夜にようこそ」を見ました。
連ドラなのに4回しかなかった事や、クレジットで2番目に載っているのに、
出演場面が少なく、がっかりしました。
CSのクリス松村の番組に出演した時に、86年の「信じかたを教えて」から始まる
「サヨナラ」3部作から、アーティスト指向が強くなった。と言っているので、
ドラマ出演への興味が薄れていたのでしょう。
ちなみに、その当時は、竹内まりやのようなアーティストになりたかったそうです。
[98] 名前:名無しさん :2019/12/05 (木) 23:40:18 No.3644
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BOMBの84年2月号の、31ページ目です。
インタビューやテレビでのトークが上手くなったのは、生放送のオールナイトフジの司会を
任されたためかも知れません。その後、オールナイトフジでは、素直すぎる伊代ちゃんの性格から、
ゴーストライター暴露事件も起こります。
「でも仕事に関しては、自分なりの考え方も出てきましたね。」
ここには書いていませんが、花の82年組も3年目を向かえ、
それぞれ独自の方向性が確立してきたので、自分も好きな事が出来るようになった。
と、他のインタビューで言っていました。
[99] 名前:名無しさん :2019/12/05 (木) 23:42:35 No.3645
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投稿写真の85年2月号から、素人が撮った写真の左下です。

(98の続き)
「フラシュダンス」は、映画が好きだったので、コンサートにも取り入れたのでしょう。
まさか、後にバラエティ番組のネタにされるとは、当時は思ってもいなかった事でしょう。
[100] 名前:名無しさん :2019/12/06 (金) 00:03:36 No.3646
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BOMBの84年2月号の、32ページ目です。
(音楽の実技試験は)「テレビのブラウン管で採点されたりして。」「ドキッ!それはマズイ。」
岡田奈々・大場久美子・新田恵利と、歌の下手なアイドルを育てるのに定評があったボンド企画。
このメンバーと比べれば、上手い方だと思いますが、伊代ちゃんらしい答えです。
「9月卒業という手もあるぞ。」「冗談じゃない。」
同じ堀越で1学年下のちえみは、みんなと一緒に卒業式に出席した後で、1年間補習を受けたので、
伊代ちゃんも寂しく卒業証書を受けとる心配は無かったのでしょうが、9月卒業じゃ、
短大受験が1年遅れになるので、補習や追試を頑張ったのでしょう。
(志望校は)「試験が難しくないところ。倍率が極端に低いところ。」
岡田奈々と同じ戸板女子短大へ進学し、被服科を卒業。事務所は違いますが、
3年後には、桃子も同じ戸板女子短大の被服科を卒業しています。(今は客員教授)

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