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石川秀美

[1] 名前:名無しさん :2019/04/10 (水) 20:32:12 No.2495
2495.jpg (487KB)
BOMBの85年3月号の、4ページ目の左〜5ページ目です。
みんな聖子ちゃんカットでデビューした花の82年組6人の中で、
最初にショートカットに切り替えたのが、キョンキョンとちえみ、
1〜2年遅れでショートカットに切り替えたのが、伊代と優です。
秀美と明菜は、その逆に、髪を長く伸ばして行きました。
奇しくも同じ誕生日(7月13日)の二人だけが、
ショートカットにしなかったのは、単なる偶然でしょうか。
[2] 名前:名無しさん :2019/04/13 (土) 23:01:44 No.2516
2516.jpg (491KB)
BOMBの85年3月号の、14ページ目です。
デビュー時から83年までの仕事を、2ページに纏めています。
秀樹の妹コンテストで優勝してから、レコードデビューまで5ヶ月ちょっとしかかかっていません。
82年は有望新人ラッシュなので、河合奈保子の時より1ヶ月以上早いデビューとなったのでしょう。
[3] 名前:名無しさん :2019/04/13 (土) 23:02:38 No.2517
2517.jpg (494KB)
BOMBの85年3月号の、15ページ目です。
上の段の82年9月28日に、オールスター紅白大運動会の走り高飛びで、
渡辺めぐみと優勝を争って、1m35cmで引き分けと書いてありますね。
BOMBの82年8月号では、走り高飛びの1m40cmを、余裕を残してクリアしている写真が
載っていましたが、初めてのテレビ中継があるオールスター紅白大運動会では、
上がってしまったのでしょう。事務所の大先輩の西城秀樹は、走り高飛びでの優勝常連者でした。
[4] 名前:名無しさん :2019/04/13 (土) 23:03:38 No.2518
2518.jpg (472KB)
BOMBの85年3月号の、2〜3ページ目です。
[5] 名前:名無しさん :2019/04/13 (土) 23:05:14 No.2519
2519.jpg (482KB)
BOMBの85年3月号の、16ページ目です。
85年のニューイヤーコンサートの模様が、2ページに渡って載っています。
歌のリハーサルに熱が入っていたため、新年のごあいさつは、たどたどしくなりました。
しかし、外国のロックを歌い踊る秀美は、活き活きしています。
「秀美の運動神経はタイコ版付き。」ロックスターを目指すべきでは?と舞台監督が言っています。
本当は、秀美の運動神経が活かせるダンスミュージックを目指すべきであり、
それをスタッフは良く知っていて、85年前半は、「もっと接近しましょ」「あなたとハプニング」と、よりリズムを強調したダンスミュージックに近いシングルをリリーズしています。
[6] 名前:名無しさん :2019/04/13 (土) 23:06:33 No.2520
2520.jpg (487KB)
BOMBの85年3月号の、17ページ目です。
2部のミュージカル仕立てのステージから、当時のアイドルのコンサートらしさが伝わってきます。
外国のロックを歌う1部や、ミュージカル仕立ての2部の構成は、
秀美達の82年組が、アイドルのコンサートとしては最後かも知れません。
最後の3部のヒットメドレーは、今も続くアイドル・コンサートの定番ですね。
一番盛り上がる3部で、ショートパンツ姿を見せる秀美。
ファンが最も喜ぶファッションを持っている秀美の長所を、上手く活かしたステージ構成です。
ヒット曲ではないけれども、ファンが大事にしている曲を持っていて、
エンディングで歌えるアイドルは、ファンとの一体感を共有出来て、幸せだったと思います。
[7] 名前:名無しさん :2019/04/22 (月) 21:41:29 No.2571
2571.jpg (491KB)
BOMBの85年3月号の、4ページ目の右です。
人気アイドルにとって、デビューから3年経った頃が、最も充実して仕事をしている頃でしょう。
少なくとも5年以上、人気アイドルとして活躍し続けていた人達だけが、体験出来る事です。
70年代は、南沙織・アグネスチャン・桜田淳子・山口百恵・岩崎宏美の5人ぐらいでした。
80年代に入ると、松田聖子・河合奈保子・柏原芳恵・小泉今日子・堀ちえみ・石川秀美・早見優・
中森明菜・荻野目洋子・中山美穂・南野陽子・工藤静香・Winkと、13組もいました。
(森高千里は、メインで活躍したのが90年代なので、除外。)
その内5人が、82年デビュー組なので、後に花の82年組と言われるのは、当然でしょう。
[8] 名前:名無しさん :2019/04/22 (月) 21:43:58 No.2572
2572.jpg (493KB)
BOMBの85年3月号の、18ページ目です。
1月23日リリースの13thシングル「もっと接近しましょ」に関するレコーディングや
評価記事が載っています。たとえメジャーコードの曲ではなくても、歌う秀美にとっては、
ダンサブルなこの曲は、ゲンキいっぱいに歌えるので、明るい曲と同じく嬉しかったのでしょう。
レコーディングでは、ディレクターがOKを出しても、
自ら取り直しを要求するほど、欲が出てきました。
歌がどんどん上手くなって行った頃なので、レコーディングも楽しんでいた事でしょう。
前作「ミステリーウーマン」は、自己最高のオリコン最高位5位を記録しましたが、
「もっと接近しましょ」は、それを自己更新するオリコン最高位4位を記録。
チャートアクション的には、この頃が秀美の最盛期になりました。
[9] 名前:名無しさん :2019/04/22 (月) 21:45:45 No.2573
2573.jpg (493KB)
BOMBの85年3月号の、19ページ目です。
秀美のシングルとLPのディスコグラフィーが載っています。
シングルのジャケット写真を並べているので、それを見るだけでも、
初々しいけれども、幼くて野暮ったかった秀美の表情が、
シングルを出す度に、キュートで可愛い表情に変わって行き、
更には大人っぽくチャーミングな表情になって来ている事が、良く分かります。
それに呼応するかのように、秀美の歌唱力もアップして行きました。
前半は、スピード感溢れる曲の勢いに、秀美の歌唱がついていっていない印象がありましたが、
後半は、曲のスピード感がますますアップして行っても、
安心して聞けるほど、歌唱力が上達しています。
[10] 名前:名無しさん :2019/04/22 (月) 21:52:07 No.2574
2574.jpg (258KB)
DUNKの84年11月号から、アイドルが乗る車を紹介するコーナーです。
[11] 名前:名無しさん :2019/04/22 (月) 21:53:59 No.2575
2575.jpg (77KB)
DUNKの85年2月号から、アイドル30人・好き嫌いタイプ総チェックのコーナーです。
スポーツ大好き少女の秀美らしい好みです。
[12] 名前:名無しさん :2019/05/02 (木) 00:10:11 No.2626
2626.jpg (472KB)
BOMBの85年3月号の、6〜7ページ目です。(5ページ目は、スレ画)
あらためて顔のアップを見ると、デビュー当時のまん丸い顔の輪郭が、
卵型と面長の中間ぐらいにまで、顔痩せしてしている事が、良く分かります。
似たタイプの顔の菊池桃子(私だけが思っているのかも知れませんが)が台頭してきたので、
差別化する意味でも、顔痩せしてして良かったと思います。
[13] 名前:名無しさん :2019/05/02 (木) 00:13:46 No.2627
2627.jpg (489KB)
BOMBの85年3月号の、8ページ目です。
[14] 名前:名無しさん :2019/05/02 (木) 00:15:59 No.2628
2628.jpg (495KB)
BOMBの85年3月号の、20ページ目です。
アイドルを中心とした歌&バラエティ番組に出演している様子が載っています。
「レッツゴーヤング」は、今でもCSで再放送しています。
ダジャレ等のコーナーは、NHKらしいピント外れな感じで、
リアルタイムで見ていた時も、浮いている感じがしました。
「ヤンヤン歌うスタジオ」のドラマコーナーでは、演技をドジッた時に、
アイドルの素顔が垣間見えるのが、好きでした。
「レッツゴーアイドル」は、見た記憶があまりありません。
[15] 名前:名無しさん :2019/05/02 (木) 00:17:37 No.2629
2629.jpg (488KB)
BOMBの85年3月号の、21ページ目です。
さんまが歌番組の司会をしていたのは、記憶にありましたが、番組名は覚えていませんでした。
「DO・UP歌謡テレビ」でした。「さんまのまんま」に、花の82年組アイドルが出演した時は、
よくこの番組のエピソードを言っていました。
「カックラキン大放送」は、ひろみ・五郎の時代から、
マッチ・トシちゃんの時代に代わってからでしょう。
「氷上大運動会」は、「オールスター雪の祭典」が、スキー場までアイドルが行く
スケジュールが取れなくなり、替りに出来た特番かな?
[16] 名前:名無しさん :2019/05/02 (木) 00:20:19 No.2630
2630.jpg (162KB)
写真探偵団の85年4月号から、素人が撮った写真です。
[17] 名前:名無しさん :2019/05/12 (日) 01:05:37 No.2686
2686.jpg (178KB)
写真探偵団の85年4月号から、素人が撮った写真(その2)です。
[18] 名前:名無しさん :2019/05/12 (日) 01:06:48 No.2687
2687.jpg (495KB)
BOMBの85年3月号の、22ページ目です。
3本のドラマ(いずれも単発)に出演した秀美。
1本目は、新春スペシャルの「化粧」について載っています。
秀美も女優たちも着物を着ていますが、時代劇ではなく現代劇。
しかも秀美は、ディスコが好きな女子大生役です。
[19] 名前:名無しさん :2019/05/12 (日) 01:07:57 No.2688
2688.jpg (486KB)
BOMBの85年3月号の、23ページ目です。
こちらは、月曜ドラマランドの「新・翔んだカップル」2本です。
もちろん秀美が主演で、共演が永瀬正敏です。
いかにもアイドルドラマという感じがある、楽しいドラマです。
今では全然見られなくなった、こんなアイドルドラマ。
是非、CSあたりで再放送して欲しいものです。
[20] 名前:名無しさん :2019/05/12 (日) 01:09:34 No.2689
2689.jpg (121KB)
スーパー写真塾の85年8月号から、素人が撮った写真(その1)です。
[21] 名前:名無しさん :2019/05/12 (日) 01:13:50 No.2690
2690.jpg (489KB)
ウキウキの85年8月号から、ラジオ日本に出演した時の記事です。
外へ出ても、石川秀美に似てるっていうだけで本人とは気づかれないそうです。
「一度、後から追いかけられた事があったけど、「あ。違う」って言われた時は、
ちょっぴり淋しかったそうです。人気アイドルの心情って、複雑ですね。
キョンキョンの「なんてたってアイドル」の歌詞の中に、似たような内容がありますが、
秋元康が、この番組を聞いていたのでしょうか。
[22] 名前:名無しさん :2019/07/08 (月) 22:07:01 No.2969
2969.jpg (190KB)
(テスト投稿)

2000年4月25日発行の20世紀アイドルスター大全集・80年代編(近代映画社)から、
石川秀美の1ページ目の左上です。
[23] 名前:名無しさん :2019/07/10 (水) 23:16:12 No.2978
2978.jpg (172KB)
しゃんばらの最後のスレ(何度も落ちた)に貼った画像は、
スーパー写真塾の85年8月号の残り3枚を除いて、終わりです。
その3枚は、何故だか重複というメッセージが出て、アップ出来ません。(ファイル名変えてもダメ)
なので、22のテスト投稿から始めた、しゃんばらで前のスレに載せた画像を再アップします。

これは、2000年4月25日発行の20世紀アイドルスター大全集・80年代編
(近代映画社)から、石川秀美の2ページ目の左上です。
今回は、1カットづつ載せて行きます。
[24] 名前:名無しさん :2019/07/10 (水) 23:26:08 No.2979
2979.jpg (307KB)
20世紀アイドルスター大全集・80年代編の、1ページ目の左の下から2番目です。
ショートカットが初々しいデビュー当時の秀美です。
82年組は、聖子ちゃんカットでデビューするアイドルが多かったですが、
秀美はスポーツ少女らしく、ショートカットでデビューし、徐々に髪を伸ばして行きました。
[25] 名前:名無しさん :2019/07/10 (水) 23:31:26 No.2980
2980.jpg (173KB)
↑24のコメントについての画像は、こちらの間違いでした。

なお24の画像は、20世紀アイドルスター大全集・80年代編の、1ページ目の右上です。
プロフィールが書いてある最初のカットに、テニスルックが載っているあたり、
スポーツ大好き少女で売り出した石川秀美らしいです。

[26] 名前:名無しさん :2019/07/10 (水) 23:47:51 No.2981
2981.jpg (150KB)
20世紀アイドルスター大全集・80年代編の、1ページ目の左下です。
料理する姿が、さまになっています。小学校4年の時に父親が交通事故で亡くなり、
代わりに働きに出ていた母親を助けるため、料理を手伝っていたそうです。
[27] 名前:名無しさん :2019/07/10 (水) 23:50:33 No.2982
2982.jpg (419KB)
20世紀アイドルスター大全集・80年代編の、1ページ目の右下です。
24歳の時ヤッくんと結婚した秀美ですが、アイドルの頃からウエディングドレスが似合っています。
同期のキョンキョンは、私が男だったらお嫁さんにしたいタイプと言っていました。
家庭的なタイプなのでしょう。同期がママドルとして芸能界に復帰しても、彼女は引退したままです。
結婚する直前、同期で仲の良い早見優にだけには、「相手の名前は言えないけど、イニシャルはHY」
と言っていたそうです。後に早見優が、テレビで暴露していました。
[28] 名前:名無しさん :2019/07/14 (日) 23:40:04 No.2995
2995.jpg (170KB)
20世紀アイドルスター大全集・80年代編の、2ページ目の左上です。
車を運転している姿は、いかにもアウトドア・ガールという感じで、
車までRV車のように見えてきます。
[29] 名前:名無しさん :2019/07/14 (日) 23:45:12 No.2996
2996.jpg (174KB)
20世紀アイドルスター大全集・80年代編の、2ページ目の右の上から2番目です。
このカットも、ショートカットが初々しいデビュー当時の秀美です。
素朴な少女が、満面の笑みを浮かべている感じです。
[30] 名前:名無しさん :2019/07/14 (日) 23:48:21 No.2997
2997.jpg (82KB)
20世紀アイドルスター大全集・80年代編の、2ページ目の左の上から2番目です。
こちらは、髪が伸びた84〜85年頃の、人気アイドルとして大活躍していた頃の秀美です。
[31] 名前:名無しさん :2019/07/14 (日) 23:52:07 No.2998
2998.jpg (70KB)
20世紀アイドルスター大全集・80年代編の、2ページ目の左の下から2番目の2カットです。
中学時代に、バシケットボール部で大活躍していたので、
右のテニスルックより、左のバスケットボールを持っているカットの方が、決まっています。
[32] 名前:名無しさん :2019/07/14 (日) 23:57:14 No.2999
2999.jpg (168KB)
20世紀アイドルスター大全集・80年代編の、2ページ目の左下です。
髪がかなり伸びているので、86〜87年頃でしょう。
デビュー当時の垢抜けない表情とは違い、
トップアイドル石川秀美となった自信からか、洗練された笑顔を見せています。
[33] 名前:名無しさん :2019/07/18 (木) 21:32:18 No.3013
3013.jpg (155KB)
20世紀アイドルスター大全集・80年代編の、2ページ目の右の下から2番目です。
86年頃は、髪型をポニーテイルにしていた時期もあるので、その頃でしょう。
水着はワンピースがほとんどで、ビキニ姿は見た記憶がありません。
[34] 名前:名無しさん :2019/07/18 (木) 21:37:28 No.3014
3014.jpg (250KB)
20世紀アイドルスター大全集・80年代編の、2ページ目の右下です。
これは85〜86年頃でしょう。
中学時代はバスケットボール部で鍛え、アイドル歌手になってからは、
激しいステージアクションで鍛えた、魅力的な太ももを披露しています。
[35] 名前:名無しさん :2019/07/18 (木) 22:03:12 No.3015
3015.jpg (495KB)
80年代アイドルデビュー伝説から、近代映画の82年3月号です。
秀樹の弟・妹オーディション(第二回)で、優勝してデビューした秀美。
第一回の優勝者・河合奈保子より3歳年下の秀美は、妹に相応しい年齢ですが、
西城秀樹より11歳も年下では、さすがに無理がある感じです。
「山口百恵さんのような透明感を持ったステキな女の子」という秀樹のコメントです。
デビュー前の秀美は、上手く営業スマイルを作る事ができない不器用な女の子であり、
右下の3ショットからも、そんな雰囲気が感じられます。その人の良い所を見つけ、
褒める才能があった秀樹は、そんな秀美の表情から、山口百恵のような雰囲気を感じたのでしょう。
その山口百恵はデビュー前、西城秀樹のファンクラブに入っていたそうです。
そんな山口百恵や、秀樹と同じ芸映プロの岩崎宏美は、秀樹より3歳年下なので、
妹にピッタリですが、二人ともスター誕生出身です。
もっともこの頃、西城秀樹の妹オーディションをしたら、
秀樹ファンから目の敵にされていた事でしょう。
[36] 名前:名無しさん :2019/07/18 (木) 22:08:40 No.3016
3016.jpg (490KB)
80年代アイドルデビュー伝説から、近代映画の82年5月号の1ページ目です。
近代映画の表紙の裏で、当時注目の新人アイドルを紹介するページである表2グラビアには、
石川秀美も早見優も中森明菜も登場出来ませんでした。
それほど82年の新人アイドルは、注目度の高いアイドルのラッシュだった事が、分かります。
まだ15歳の垢抜けない笑顔が、可愛いです。
この顔だけ見ても、石川秀美とは分からないかも知れないほど、
デビュー当時は、その初々しさに溢れていました。
[37] 名前:名無しさん :2019/07/18 (木) 22:12:50 No.3017
3017.jpg (352KB)
85年10月1日発行の、近代映画のムック本「アイドル40年」に、
36のカラー版が載っています。
「無邪気な笑顔が可愛い」とデビュー当時の表情について書いていますが、
BOMBの82年8月号の巻頭特集には、愛知県から上京して最初の数ヶ月間は、
まったく言葉を喋らない、人見知りで不器用な女の子だったと書いてありました。
この無邪気な笑顔を作るだけでも、相当の苦労があった事でしょう。
[38] 名前:名無しさん :2019/07/22 (月) 23:06:23 No.3032
3032.jpg (490KB)
80年代アイドルデビュー伝説から、近代映画の82年5月号の2ページ目です。
「キラッと透明に輝く瞳が、秀美ちゃんの意志の強さと、しっかりした女の子という感じを与える。」
ウィキによると、審査員達が推した森下理恵を秀樹が退け、秀美を強く推したそうです。
山口百恵のような意志の強さを、長く芸能界で活躍してきた西城秀樹が見抜いていたのでしょう。
結婚すると引退し、芸能界に復帰していないのも、山口百恵と共通しています。
[39] 名前:名無しさん :2019/07/22 (月) 23:07:41 No.3033
3033.jpg (490KB)
80年代アイドルデビュー伝説から、近代映画の82年5月号の3ページ目です。
左下にプロフィールが載っています。
家族構成に父がいないのは、秀美が小学校4年の時に、交通事故で亡くなっているからです。
その悲しみを乗り越えて、しっかりした女の子に成長したのでしょう。
スポーツはバスケットボールが得意で、中学生の頃は県大会で活躍しました。
笑顔が絶えない明るい性格の秀美の短所が、「短気」というのは、意外な感じがします。
[40] 名前:名無しさん :2019/07/22 (月) 23:10:38 No.3034
3034.jpg (223KB)
89年9月20日発行の、近代映画のムック本「女神の肖像」からのカットです。
「最近では、外国曲のカバーなど、ロック色を強めている。」と書いてあります。
バラードに逃げる事なく、デビュー時から軽快なアイドルポップスを貫いて行った秀美は、
84年7月25日発売の11thシングル「熱風」あたりから、次第にロック色を強めて行きました。
その前までも、軽快でキャッチーな素晴らしい曲に恵まれていましたが、
秀美の歌や踊りが、楽曲の素晴らしさに追いつかず、必死に歌っている印象でした。
「熱風」あたりから秀美の歌や踊りに磨きがかかり、楽曲の素晴らしさを、
より体現出来るようになりました。
ちなみに「熱風」のギターリフは、90年代に一世を風靡したZARDを始めとするビーイング系の
ギターリフを先取りしているような、カッコ良さに満ちている曲です。
[41] 名前:名無しさん :2019/07/22 (月) 23:14:38 No.3035
3035.jpg (494KB)
BOMBの82年8月号の、表紙です。
デビュー当時の秀美の、表紙・裏表紙・ピンナップ含めて42ページの大特集が載っています。
名曲と言える2ndシングル「ゆれて湘南」のレコーディングの取材もあります。
[42] 名前:名無しさん :2019/07/22 (月) 23:15:39 No.3036
3036.jpg (496KB)
BOMBの82年8月号の、裏表紙です。
90度回転させました。
スポーツ大好き少女で売り出した秀美が、跳び箱をしているカットです。
スポーツ大好き少女なのか、人見知りで不器用な女の子なのか、この大特集で分かるでしょう。
[43] 名前:名無しさん :2019/07/26 (金) 23:13:34 No.3049
3049.jpg (495KB)
BOMBの82年8月号の、3つ折りピンナップです。
この頃から、バンダナ?(ハチマキかも)を頭に巻いて、スポーツ少女をアピールしています。
[44] 名前:名無しさん :2019/07/26 (金) 23:17:38 No.3050
3050.jpg (494KB)
カラーグラビアとモノクロの記事を、交代で載せていきます。

これは、BOMBの82年8月号の、9ページ目です。
スポーティギャルである事は、この頃から書いてあります。
[45] 名前:名無しさん :2019/07/26 (金) 23:22:10 No.3051
3051.jpg (489KB)
BOMBの82年8月号の、10ページ目です。
赤ちゃんの頃に髪の毛が薄かったのは、キョンキョンと同じです。
秀美もキョンキョンも、お目々はパッチリでしたが、秀美が海坊主みたいと言われたのは、
良く食べてコロコロ太っていたからでしょう。
自家中毒症にかかったのも、キョンキョンと同じです。秀美は幼稚園までですが、
キョンキョンは小学校3〜5年の頃だったので、そのため体が弱く、運動が苦手だったとの事。
二人とも子供の頃に神経質だったからでしょうが、秀美は早く治って良かったです。
体が丈夫になって、スポーツ大得意少女になったのだから。
[46] 名前:名無しさん :2019/07/26 (金) 23:24:53 No.3052
3052.jpg (489KB)
BOMBの82年8月号の、1ページ目です。
カラーページは、沖縄ロケです。
ハイビスカスの花が、可愛くて初々しい表情にピッタリです。

(45の続き)
2歳半の時、木更津から愛知県瀬戸市に引っ越します。
秀美が幼稚園、三歳年上の姉が小学3年の時に、二人だけで新幹線に乗り、
木更津の祖父母に会いに行ったとは立派です。
しつけに厳しかった父が、自立心をつけさせるためにさせたとの事です。
[47] 名前:名無しさん :2019/07/26 (金) 23:28:02 No.3053
3053.jpg (489KB)
BOMBの82年8月号の、11ページ目です。
番号が切れてしましたが、右上が@、左上がAです。
秀美も、姉との二人姉妹です。花の82年組のトップアイドル6人は、
秀美と伊代が二人姉妹、キョンキョンとちえみが三人姉妹、優は一人っ子だったので、
6人兄弟の明菜以外は、男の兄弟がいません。
だからデビュー後トップアイドルとなっても、楽屋ではいつも仲良く一緒だったのでしょう。
(明菜だけ、ポツンとひとりでいたそうです。)
[48] 名前:名無しさん :2019/07/26 (金) 23:31:12 No.3054
3054.jpg (490KB)
BOMBの82年8月号の、2ページ目です。

(47の続き)
「シブがき隊は別」と、いつも言っていました。
だからこそ、秀美がヤッくんと結婚する事になった時、みんなビックリしたのでしょう。
特に仲が良かった優は、「信じられない。どうして結婚出来るの?」と言っていました。
[49] 名前:名無しさん :2019/07/30 (火) 21:28:11 No.3068
3068.jpg (495KB)
BOMBの82年8月号の、12ページ目です。
姉と比較される事は嫌だったけど、実はすごく影響を受けていたと言う秀美。
歌が好きになったのも、バスケット部に入ったのも姉の影響でした。
インドア派で勉強も好きだった姉は、婦人警官になったそうです。
でも勉強好きだけは影響を受けなかったのか、秀美はアウトドア派のスポーツ少女に
なって行きました。台所で料理するのが好きな秀美は、家庭的な一面もあったので、
結婚すると引退し、主婦に徹しています。
[50] 名前:名無しさん :2019/07/30 (火) 21:31:11 No.3069
3069.jpg (393KB)
BOMBの82年8月号の、3ページ目です。

(49の続き)
そんな秀美に悲劇が起こります。小学校4年の時に、礼儀には厳しく、しかし優しい面もあった
父親が交通事故で亡くなりました。父親と一緒に撮った写真は宝物だそうです。
そんな悲しい思いをしたので、自分の子供には出来るだけ寂しい思いをさせたくなくて、
引退して、母に徹しているのかも知れません。
[51] 名前:名無しさん :2019/07/30 (火) 21:33:32 No.3070
3070.jpg (493KB)
BOMBの82年8月号の、13ページ目です。
この中で、秀美らしい表情に見えるのはGだけです。
写し方にもよると思いますが、小学校4年の頃から秀美らしい面影が出てきている事が分かります。
Eは、かけっこはいつも一番だった秀美らしい、早そうなフォームで走っています。
[52] 名前:名無しさん :2019/07/30 (火) 21:52:52 No.3071
3071.jpg (482KB)
BOMBの82年8月号の、4〜5ページ目です。
太ももが魅力的な秀美の、太ももを強調したカットです。
これだけ太ももが太いと、身体全体が太めになってしまうのが普通ですが、
秀美は、身長160cm・体重46kg・B78cm・W60cm・H80cmと、
太もも以外は、アイドルとして標準体型です。(数字は、デビュー時)
バスケットボールで鍛えに鍛えた筋肉で、太ももが締まっていながら太いのが、
秀美の太ももの魅力です。
[53] 名前:名無しさん :2019/07/30 (火) 21:55:32 No.3072
3072.jpg (494KB)
BOMBの82年8月号の、14ページ目です。
@の中1の時の写真は、次ページに載っている中3の時より、大人っぽくみえますが、
顔が痩せているためと、澄ました表情をしているからでしょう。
[54] 名前:名無しさん :2019/08/06 (火) 19:38:33 No.3093
3093.jpg (472KB)
BOMBの82年8月号の、6ページ目の上です。

秀美のシングル売り上げベスト3は、以下の通りです。( )は発売日。
1位:Hey!ミスター・ポリスマン(83年3月21日)
2位:ミステリーウーマン(84年10月24日) 
3位:涙のペーパームーン(83年1月1日)
5曲目「Hey!ミスター・ポリスマン」は、ブレイクを印象付ける曲でしたが、
その前までの4曲を、松田聖子の初期3部作を作曲した小田裕一郎が担当し、軽快で疾走感溢れる
秀美サウンドを徐々に確立して、4曲目「涙のペーパームーン」がその集大成になったから、
「Hey!ミスター・ポリスマン」でブレイク出来たと思います。
[55] 名前:名無しさん :2019/08/06 (火) 19:45:47 No.3094
3094.jpg (364KB)
BOMBの82年8月号の、6ページ目の下です。

「Hey!ミスター・ポリスマン」でブレイクした秀美は、8曲目「スターダスト・トレイン」まで、
疾走感溢れる秀美サウンドを続けますが、9曲目「めざめ」で一休みした後、
10曲目「夏のフォトグラフ」から、新たな展開を目指します。
ギターリフがカッコイイ10曲目「熱風」を経て、11曲目「ミステリーウーマン」で、
楽曲のカッコ良さに、秀美の歌や踊りのカッコ良さがプラスされて、
大ヒットに繋がったと思います。
[56] 名前:名無しさん :2019/08/06 (火) 19:49:21 No.3095
3095.jpg (497KB)
BOMBの82年8月号の、15ページ目です。
バスケットボールに明け暮れた中学時代。県大会3位に入る強豪チームでした。
部活の顧問のコメントでは、ひとりでドリブルでぬいて行く、特攻隊って感じと言っています。
秀美は、バスケの選手のわりには身長があまり高い方ではありませんが、跳躍力が抜群なので、
活躍出来たのでしょう。あの魅力的な太ももは、抜群の跳躍力で鍛えたから生まれたと思います。
[57] 名前:名無しさん :2019/08/06 (火) 19:54:09 No.3096
3096.jpg (491KB)
BOMBの82年8月号の、7ページ目です。
チリチリ焼けつく砂浜で日焼けした素肌が、白い水着に映えます。

(56の続き)
「スター誕生」は、テレビ予選で落ちると知られてしまうので、他のオーディション出身者が、
80年代は増えていったのかも知れません。大手芸能プロが主催するオーディションの場合、
所属する先輩アイドルの歌を歌うのが普通ですが、秀美は違いました。
浅田美代子だと歌が下手だと思われ、岩崎宏美のような歌唱力は無いからでしょう。
河合奈保子だと、あまりにも狙いすぎな感じです。結局、違う事務所の桜田淳子の歌を選びました。
後に、スーパージョッキーに出演した時、桜田淳子さんに似ていると、
そのまんま東が言っていたので、桜田淳子の歌で正解だったのでしょう。
[58] 名前:名無しさん :2019/08/06 (火) 19:56:50 No.3097
3097.jpg (486KB)
BOMBの82年8月号の、16ページ目です。
予選会では、アガってガタガタになっても通過し、
決戦大会では秀樹の強い推薦があって優勝した秀美。
よほど強運の持ち主だったのでしょう。スポーツマンの秀樹が、スポーツの得意な秀美と、
共通したものを感じたのかも知れません。肌で感じるものがあったとは、その事でしょう。
[59] 名前:名無しさん :2019/08/06 (火) 20:02:29 No.3098
3098.jpg (493KB)
BOMBの82年8月号の、8ページ目です。
秀美には珍しい、太ももが途中で切れているカットです。
デビュー当時は、まだ太ももをそれほどアピールしていなかったのかも。

(58の続き)
優勝した後、母に対して言った秀美の言葉。
「お母さん、反対しても私は絶対にやるよ。」
「お父さんが生きていたら、こういう事はやらなかったかも知れない。」
しつけに厳しかった父が、自立心をつけさせるため、幼稚園の時に姉と二人で新幹線に乗って、
木更津まで行かせた事。その自立心が、秀美をアイドルの道に向かわせました。
[60] 名前:名無しさん :2019/08/11 (日) 23:14:38 No.3112
3112.jpg (487KB)
BOMBの82年8月号の、17ページ目です。
文集の方は、字が小さいので、拡大しても読めない部分が多かったです。
座談会では、友人たちが、大人っぽい秀美や、家庭科が得意な秀美、頑張り屋で負けず嫌いな秀美、
悲しい事や苦しい事を表に出さない秀美について、語っています。
アイドルとして厳しい競争を勝ち抜き、結婚してからは、家庭を守る主婦に専念している秀美が、
デビュー前から培われていた事が、これらの証言から、伝わってきます。
[61] 名前:名無しさん :2019/08/11 (日) 23:18:15 No.3113
3113.jpg (492KB)
BOMBの82年6月号の、カラーグラビアの1ページ目です。
可愛くて初々しい表情には、まだ幼ささえ残っています。
そのためか、赤と黄色の原色系の服が、良く似合います。

(60の続き)
秀美の額の下のキズは、鉄棒をしている時、友達の歯が秀美の顔に当たって切れたとの事。
友だちの母が、「あんなとこにキズつけちゃって、もし秀美ちゃんがテレビに出るようになったら
どうするの。」と言っていたとは。預言者みたいな母親です。
[62] 名前:名無しさん :2019/08/11 (日) 23:20:32 No.3114
3114.jpg (495KB)
BOMBの82年8月号の、18ページ目です。
2ndシングル「ゆれて湘南」のレコーディングの模様が載っています。
この曲は、秀美のアイドルとしてのイメージを確立した曲で、名曲だと思います。
デビューしてからの2年間を、秀美のアイドル時代第一期とすれば、その中では一番好きな曲です。
文章からは、如何に緊張を和らげて行くかが、新人アイドルのレコーディングのコツだと分かります。
[63] 名前:名無しさん :2019/08/11 (日) 23:22:54 No.3115
3115.jpg (497KB)
BOMBの82年6月号の、2ページ目です。
もうすぐ16歳になるとは思えないほど、幼さが残る笑顔が、
赤と黄色の服やバッグで強調されています。

(62の続き)
「考えて見ると、歌手というのもつらい仕事です。なにしろ、この中はまるっきりひとりだけ。
 誰も手を貸してはくれない。」
レコーディング・ブースの中の孤独から、作品を作り上げる楽しさを見いだせるようになれば、
アイドル歌手として、飛躍出来るようになるのでしょう。
[64] 名前:名無しさん :2019/08/15 (木) 21:12:36 No.3129
3129.jpg (486KB)
BOMBの82年8月号の、19ページ目です。
松田聖子の初期3作を作曲した事で有名になった小田裕一郎(昨年、惜しくも亡くなりました)は、
秀美の初期4作を始め、節目で秀美の曲を作っていますが、この雑誌で初めて顔を見ました。
「ゆれて湘南」は、アイドルという事を意識しないで、質の高い曲として作ったと、言っています。
他のアイドルとは違う、秀美の硬派っぽい雰囲気が、名曲「ゆれて湘南」を生み出したのでしょう。
[65] 名前:名無しさん :2019/08/15 (木) 21:15:20 No.3130
3130.jpg (380KB)
BOMBの82年6月号の、3ページ目の上です。
水を飲んで一休みする、スポーツ少女・秀美です。

(64の続き)
作詞の松本隆は、内に秘めたカゲリと言っていますが、私は内に秘めた情熱のように感じます。
ディレクターが言っている、ちょっと人見知りしそうな、おとなしい女の子という印象の中に、
内に秘めた情熱が隠れていて、名曲「ゆれて湘南」で開花したと思います。
[66] 名前:名無しさん :2019/08/15 (木) 21:17:24 No.3131
3131.jpg (488KB)
BOMBの82年8月号に戻って、20ページ目〜21ページ目の右です。
スポーツギャル・秀美が本領を発揮した、たったひとりの秀美五輪が4ページに渡って載っています。
室外編では、まず中学3年の時、クラスで一番速かった50m走に挑戦。
バスケットボールでは、ひとりでドリブルでぬいて行くのに、
この短距離走の速さが役立ったのでしょう。
[67] 名前:名無しさん :2019/08/15 (木) 21:19:06 No.3132
3132.jpg (417KB)
BOMBの82年6月号の、3ページ目の下です。
こちらは、草原に腰を下ろして一休みしている秀美です。

(66の続き)
走り幅跳びで、思わず着地に失敗したのは、最近身体を動かしていないブランクのせいでしょうか。
走り高飛びでは、1m40cmを余裕でクリアしているのが分かります。
この抜群のジャンプ力が、バスケットボールで役立ち、魅力的な太ももを作ったと思います。
[68] 名前:名無しさん :2019/08/15 (木) 21:20:54 No.3133
3133.jpg (478KB)
BOMBの82年8月号に戻って、21ページ目の左です。
抜群のジャンプ力は、ハードルでも役立っている事が分かります。
陸上部にいた事があるBOMBの記者も絶賛する、キレイなフォームです。
[69] 名前:名無しさん :2019/08/19 (月) 23:40:54 No.3148
3148.jpg (495KB)
BOMBの82年6月号の、4ページ目です。
赤と黄色の色鮮やかな服を着て、ローラースケートを履いている秀美。
ヤル気満々という感じです。
[70] 名前:名無しさん :2019/08/19 (月) 23:44:06 No.3149
3149.jpg (493KB)
BOMBの82年8月号の、22ページ目です。
室内編でも4科目に挑戦。初挑戦のトランポリンも、気持ちよさそうにジャンプする秀美。
運動神経の良さが分かります。経験した事のない種目をリクエストしたのは、好奇心からでしょう。
縄跳びは、ジャンプ力のある秀美としては、平凡な出来栄えです。
縄跳びには、ジャンプ力はあまり関係がないのかも知れません。
得意のバスケのボールさばきも披露したそうです。
取材の合間なので写真が載っていないのが残念です。
[71] 名前:名無しさん :2019/08/19 (月) 23:48:10 No.3150
3150.jpg (489KB)
BOMBの82年12月号の、3ページ目です。
雑誌を入手した時、1〜2ページ目が切り取られていました。
モノローグで、ブリザードについて書いてあるのは、
3rdシングル「哀しみのブリザード」を歌っている頃だからでしょう。
この曲も好きな曲の1曲です。
2nd「ゆれて湘南」〜3rd「哀しみのブリザード」〜4th「涙のペーパームーン」と、
出来の良い曲が続き、秀美が曲の良さに負けまいと一生懸命歌う姿が、ファンを増やし、
5thシングル「Hey!ミスター・ポリスマン」でのブレイクに繋がったのでしょう。
[72] 名前:名無しさん :2019/08/19 (月) 23:49:55 No.3151
3151.jpg (498KB)
BOMBの82年8月号の、23ページ目です。
ジャンプ力のある秀美が、跳び箱がニガ手というのは意外です。
ハードルと違い、高く跳ぶだけでなく、前に向かって距離を跳ぶ必要もあるからでしょうか。
途中下車した姿も、しっかり載っています。
最後は平均台。脚の形が綺麗ですね。バスケで、ひとりでドリブルでぬいて行けるのは、
ボールさばきの良さ以外に、平衡感覚の良さも関係あるかも知れません。
[73] 名前:名無しさん :2019/08/19 (月) 23:51:39 No.3152
3152.jpg (495KB)
BOMBの82年12月号の、4ページ目です。
左下には、秀美がブレイクしそうな感じを予感させる文章が書いてあります。
秀美は、この頃のアイドルには珍しく、ライブ・アルバムを3枚もリリースしています。
ライブ・ビデオに徐々に替わって行く移行期、出来るだけ生の秀美の歌手としての成長を、
伝えたかったのだと思います。
[74] 名前:名無しさん :2019/08/25 (日) 00:30:41 No.3176
3176.jpg (495KB)
BOMBの82年8月号の、24ページ目です。
芸能界を引退した後は、専業主婦に徹している秀美の家庭的な性格は、
料理が得意な事からも分かります。
小学校4年の時、父親を亡くし、母親だけの手で育てられたので、
母親の手伝いをしている内に、料理が上手くなったのでしょう。
[75] 名前:名無しさん :2019/08/25 (日) 00:33:44 No.3177
3177.jpg (495KB)
BOMBの82年8月号の、25ページ目です。
七種類の具を入れた特大ハンバーグ、あんこ入りプリンと、料理のメニューも独創的です。
2006年頃に、キューティーマミーが「うたばん」に出た時、
三人のお弁当の出来を比べる企画があり、優>ちえみ>伊代の順でした。
優のお弁当は、子供が喜びそうな独創的なお弁当だったので、
秀美と仲の良かった早見優は、秀美に料理を教えてもらっていたのかも知れません。
[76] 名前:名無しさん :2019/08/25 (日) 00:35:13 No.3178
3178.jpg (493KB)
BOMBの83年3月号の、1ページ目です。
この頃のBOMBには、白黒グラビアも結構載っていました。
ラブリーな笑顔の秀美は、浅草の街も似合います。
[77] 名前:名無しさん :2019/08/25 (日) 00:36:07 No.3179
3179.jpg (492KB)
BOMBの83年3月号の、2ページ目です。
「ひょっとこのお面って、よく見ると可愛い!」と言って顔真似していますが、
もちろん秀美の方がずっと可愛いので、似ていません。
[78] 名前:名無しさん :2019/08/25 (日) 00:37:59 No.3180
3180.jpg (495KB)
BOMBの82年8月号の、26ページ目です。
古風な町・倉敷に来た現代っ子の秀美の写真・レポートが、4ページに渡って載っています。
初めて?乗った人力車を楽しむ様子が伝わって来るレポートです。
[79] 名前:名無しさん :2019/08/28 (水) 23:22:22 No.3198
3198.jpg (491KB)
BOMBの82年8月号に戻って、27ページ目です。
やっぱり、人力車が一番楽しそうです。

このレポートや、12〜15のページは写真がメインなので、
カラーグラビアにして欲しかったですが、
当時のアイドル雑誌は、カラーグラビアのページが少なかったです。
多分、コストの問題なのでしょう。DUNKが創刊された84年中旬頃から、
カラーグラビアが多いアイドル雑誌が増えていった印象です。
[80] 名前:名無しさん :2019/08/28 (水) 23:24:33 No.3199
3199.jpg (384KB)
BOMBの83年3月号の、3ページ目の上です。
親しみやすい雰囲気のある浅草を見て、子供の頃に折り紙をしていた事を懐かしく思う秀美。
「将来の夢はお嫁さん。」と答える家庭的な秀美らしい感想です。
[81] 名前:名無しさん :2019/08/28 (水) 23:25:49 No.3200
3200.jpg (404KB)
BOMBの83年3月号の、3ページ目の下です。
昔ながらの綺麗な千代紙を見て、子供の頃の折り紙を思い出し、思わず童心に帰る秀美です。
[82] 名前:名無しさん :2019/08/28 (水) 23:27:22 No.3201
3201.jpg (494KB)
BOMBの82年8月号の、28ページ目です。
デビュー当時の秀美に、修学旅行で会った高校生達は、ラッキーでした。
「えっ?背中にサインしちゃってもいいんですか。」と言う謙虚な秀美が、
背中にバッチリサインしている様子が、載っています。
[83] 名前:名無しさん :2019/08/28 (水) 23:29:25 No.3202
3202.jpg (496KB)
BOMBの82年8月号の、29ページ目です。
前ページで、「とってもおいしかった。」と書いてある、
氷イチゴを食べている、可愛いカットが載っています。

デビュー間もないアイドルは、素顔が見れるこういうカットをカラーグラビアに使った方が、
そのアイドルのキャラが伝わりやすくていいと思います。
しかしカラーグラビアは、ロケ地やセット、撮影などを綿密に決めて撮っている感じです。
送り手側の、出来るだけ綺麗なカットを伝えたいという意図なのでしょう。
[84] 名前:名無しさん :2019/09/01 (日) 23:21:56 No.3218
3218.jpg (490KB)
BOMBの83年5月号の、1ページ目です。
5枚目の大ヒットシングル「Hey!ミスター・ポリスマン」をリリースし、
上昇気流に載っている頃の秀美が、夏を先取りして、グァムロケしたグラビアです。
[85] 名前:名無しさん :2019/09/01 (日) 23:23:03 No.3219
3219.jpg (492KB)
BOMBの83年5月号の、2ページ目です。
夏と海が似合う秀美が、太陽の光を一杯に浴びて、気持ちよさそうにグァムの海に入っています。
[86] 名前:名無しさん :2019/09/01 (日) 23:27:14 No.3220
3220.jpg (497KB)
BOMBの82年8月号に戻って、30ページ目です。(Q&Aその1)
デビュー曲の発売日が同じで、同い年の早見優とは、ずっと仲が良かったです。
トイレにも一緒に行くほど仲が良かったですが、ハワイ育ちの早見優は、
何で一緒にトイレに行く習慣があるのか分からなかったと、後に話していました。
一見スポーツ万能に見える早見優が、スポーツが苦手で、大人しくて真面目に見える秀美が、
スポーツ万能なのが、面白いです。お互いが対照的なので、仲良くなったのでしょう。
撮影で使った洋服は、アイドルっぽい派手なのが多いと思いますが、
あまり気にせず使ったいたのでしょう。
初恋は中学1年の時ですが、相手や結果は内緒だそうです。
生い立ちの記事にも載っていませんでした。
インタビュアーがしつこく聞いていますが(次ページに続く)、内緒のままです。
[87] 名前:名無しさん :2019/09/01 (日) 23:29:33 No.3221
3221.jpg (495KB)
BOMBの82年8月号の、31ページ目です。(Q&Aその2)
理想の男性「やさしくって、男らしくって、約束を守って、うじうじしない人。」
ヤッくんは、そういうタイプだったのでしょうか。
それとも、「恋人が出来たら、理想とは全然違っちゃうと思うんですけどね。」
と言っているように、秀美のタイプが変わったのでしょうか。
秀美と結婚した頃から、ヤッくんのキャラが変わったと思います。
結婚は10年後と言っていますが、「だけど、しちゃったりしてね。」と言っているように、
8年後になりました。赤ちゃんが欲しいと言っている通り、5人も子供を産み、育てました。
[88] 名前:名無しさん :2019/09/01 (日) 23:46:04 No.3222
3222.jpg (491KB)
BOMBの83年5月号の、3ページ目です。
黄色・青・赤・緑と、原色の派手な色のタンクトップが似合う秀美。
褐色に焼けた肌が、タンクトップにマッチしていて、キュートです。
でも、日焼けしすぎて肌が少し荒れたそうです。
バスケットボールは室内競技なので、日焼けには慣れていなかったのかも知れません。

(87のフォロー)
ヤッくんは、秀美との結婚当初、トレンディドラマ等で活躍したいと思っていましたが、
夫や父親のイメージが浸透してしまい、なかなか仕事が来なかったそうです。
仕事に出かけるふりをして、夜、家に戻ると、秀美と子供が一緒にテレビを見ながら
談笑している声が聞こえ、「この家庭を壊しちゃいけない。
仕事の選り好みをしている場合じゃない。」と思い、様々な仕事をする内、
TBSのプロデューサーから、司会に向いていると言われ、はままるマーケットの司会に抜擢され、
シブがき隊時代とは正反対のキャラになりました。(「シンソウ坂上」より)
[89] 名前:名無しさん :2019/09/05 (木) 23:34:49 No.3236
3236.jpg (483KB)
BOMBの82年8月号の、32ページ目です。
アイドル恒例のボディ・チェックが載っています。
近眼の人気アイドルが多い中で、秀美は視力2.0とキョンキョン同様、視力良好のアイドルでした。
最近は老眼で、台本を読む時リーディンググラスが手放せないと言っているキョンキョン同様、
秀美もリーディンググラスをかけて、ハワイアン・ジュエリーのデザインをしているのでしょう。
(ある店の1コーナーに置いてもらっているだけで、経営等というオーバーなものではありません。)
[90] 名前:名無しさん :2019/09/05 (木) 23:37:15 No.3237
3237.jpg (487KB)
BOMBの83年5月号の、4ページ目です。
斜め下から全身を撮っていて、秀美の魅力的な太ももを強調しています。

(89の続き)
バスケで鍛えた跳躍力バツグンの脚だけでなく、背筋力100以上と、スポーツ少女の面目躍如です。
CMの撮影で初めて来たハワイ。「早くお姉ちゃんのいる日本へ帰りたい。」と思ったそうです。
娘にハワイ暮らしをさせる時、秀美ママが一緒にハワイで暮らす事にしたのは、
この頃の心細い気持ちを、娘に味あわせたく無かったのかも知れません。
[91] 名前:名無しさん :2019/09/05 (木) 23:39:07 No.3238
3238.jpg (492KB)
BOMBの82年8月号の、33ページ目です。
秀美が専務宅に下宿していたのは、サン・ミュージックの社長宅下宿制度を真似したのでしょうか。
ハワイへ行った時、「一人でいるのが怖い」と言って、スタッフと一緒に過ごしたので、
秀美にはぴったりだったと思います。花の82年組は、アイドル同士の仲が良いので有名ですが、
中でも一人が苦手な秀美にとって、花の82年組の仲の良さは、心強かった事でしょう。
実家では、何時帰って来てもいいように、秀美の部屋をそのままにしています。
親の気持ちが、良く分かります。
[92] 名前:名無しさん :2019/09/05 (木) 23:45:00 No.3239
3239.jpg (489KB)
BOMBの83年7月月号の、3つ折りピンナップです。
夏になると人気アイドルも、水着姿のグラビアを見せてくれますが、
花の82年組の中でも、スタイルの良い秀美と優は、水着グラビアが多かった印象があります。

昨年放送された「シンソウ坂上」の第一回放送について。
28年ぶりに秀美がテレビ番組登場と銘打っていましたが、ハワイに住んでいる秀美が、
夫を車で迎えに来る時、ちょっと写っただけでした。(1分もないと思う。)
「見るなら、若い頃の私を見て下さい。」と言っていたので、グラビアで楽しみましょう。
同期のママドル3人(伊代・優・ちえみ)が、キューティマミーを結成した頃(2005年頃)、
「秀美を(テレビに)誘っても、ヤッくんがOKを出さない。」と言っていましたが、
家庭を大事にする秀美自身が、出たくなかった事が分かります。
[93] 名前:名無しさん :2019/09/05 (木) 23:49:08 No.3240
3240.jpg (493KB)
BOMBの83年7月月号の、1ページ目です。
ベストテン歌手に仲間入りして、笑顔にも自信が感じられます。

(「シンソウ坂上」の続き)
メインはヤッくんが語っています。ヤッくんと秀美の交際は、87年にとんねるずの貴明を
マークしていたフライデーに偶然スクープされましたが、
その後も二人だけの秘密で、交際を続けました。
88年にシブがき隊は解散。(理由は、リーダーのヤッくんと、他の二人の仲が良く無かった事。)
秀美が妊娠すると、ヤッくんは事務所に報告します。
(「子供をおろせ」と言われると思ったそうです。)
90年、秀美が妊娠6ヶ月目に入り、コンサートはさすがに無理なので、
秀美の事務所に報告に行きます。
秀美の仕事をビッシリ詰めていた事務所にとっては、寝耳に水の出来事でした。その賠償問題もあり、
秀美は引退したのかも知れません。パパドルと言われるのを嫌がり、仕事が無くなったヤッくんは、
秀美と子供が楽しくテレビを見ている姿を目撃し、なりふり構わず仕事をする気持ちに変わり、
「はなまるマーケット」の司会に抜擢されたそうです。
[94] 名前:名無しさん :2019/09/11 (水) 19:53:39 No.3255
3255.jpg (497KB)
BOMBの82年8月号に戻って、34ページ目です。
イルカとの対談が、4ページに渡って載っています。
[95] 名前:名無しさん :2019/09/11 (水) 19:55:37 No.3256
3256.jpg (491KB)
BOMBの82年8月号の、35ページ目です。
ボム「秀樹さんが弟を欲しがらなかったんでしょう」。河合奈保子・石川秀美の成功で、
他のオーディションは、弟・妹から妹のみになりました。
「明大付属中野高校の定時制」は、82年組では、秀美と同じ誕生日で1歳年上の中森明菜や、
三田寛子、シブがき隊も通っていました。(ヤッくんと交際を始めたのは、卒業してからですが。)
86年に、まだ籍だけはあると言っていた中森明菜が中退したのとは違い、
秀美は、無事卒業出来ました。
[96] 名前:名無しさん :2019/09/11 (水) 19:56:44 No.3257
3257.jpg (495KB)
BOMBの82年8月号の、36ページ目です。
この対談では、秀美が質問し、イルカが答えるパターンが多いです。
デビュー当時は、ちょっと人見知りしするおとなしい女の子だったので、
自分の事を話すのが苦手だったのでしょう。
[97] 名前:名無しさん :2019/09/11 (水) 19:57:48 No.3258
3258.jpg (498KB)
BOMBの82年8月号の、37ページ目です。
「将来の夢はお嫁さん。」と答える家庭的な秀美は、21歳で結婚し、
3歳半の子供を持つイルカの話を、興味深く聞いています。
(結婚相手について)「おもしろいですよね。誰かなあなんて想像すると。」
やはり最大の関心事は、将来の結婚相手のようです。
[98] 名前:名無しさん :2019/09/11 (水) 20:11:28 No.3259
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BOMBの83年7月月号の、2〜3ページ目です。
デビューした前年(43・52・57等)より、褐色に焼けた肌を見せています。
「日焼けしすぎて肌が少し荒れた」という肌が、日焼けに慣れて来たのでしょう。
[99] 名前:名無しさん :2019/09/15 (日) 00:04:07 No.3273
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BOMBの83年7月月号の、4ページ目です。
魅力的な太ももが、あまり写っていないのが残念です。
プロフィールでは、「大ヒットした「Hey!ミスター・ポリスマン」に続くニューシングル
「恋はサマー・フィーリング」。連続ヒットの予感がしそう。」と書いてありますが、
いかにも2番煎じのようなメロディーだったため、売り上げは2割ダウンになりました。
そのため、次の「バイ・バイ・サマー」から曲調を変えた事が、
その後の秀美サウンドを構築するきっかけになりました。
[100] 名前:名無しさん :2019/09/15 (日) 00:08:00 No.3274
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BOMBの83年9月号の、2ページ目です。
「Hey!ミスター・ポリスマン」は大ヒット。「恋はサマー・フィーリング」もスマッシュヒットして、
スーパーアイドルの仲間入りをした秀美。デビュー当時の垢抜けない顔とは別人のように、
澄ました表情でも、可愛くて綺麗な表情を見せています。

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