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堀ちえみ

[1] 名前:名無しさん :2019/04/10 (水) 20:23:46 No.2494
2494.jpg (491KB)
DUNKの84年10月号の、4ページ目です。
84年夏のコンサート「TAKE OFF」からのカットです。
飛び上がるようなエキサイティングなカットは、全身カットで、
顔が小さくなり、スレ画にすると目立たないので、スレの中で載せます。
[81] 名前:名無しさん :2019/10/12 (土) 23:55:18 No.3411
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BOMBの82年4月号の、2ページ目です。
原色の黄色の服が似合う、15歳になったばかりのちえみです。
でもこの頃から、安産タイプの大きなヒップなのが分かります。
[82] 名前:名無しさん :2019/10/13 (日) 00:02:02 No.3412
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BOMBの82年6月号の、21ページ目です。

(78、79の続き)
石野真子の親衛隊と言えば、応援の凄さで有名でした。スター誕生の最終回(83年9月)の時も、
芸能界に復帰したばかりの石野真子の応援の声が、既にトップアイドルに駆け上っている
キョンキョン・明菜の応援の声より大きかったです。
ちえみは石野真子ファンになってから、髪型も石野真子のように肩までの
ストレートヘアにしていた、と言っていました。B〜Dの写真からも、その事が分かります。
キョンキョンもちえみと同じ頃、石野真子のファンになったので、
スター誕生テレビ予選の時は、同じストレートヘアでした。
[83] 名前:名無しさん :2019/10/13 (日) 00:04:10 No.3413
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BOMBの82年4月号の、3ページ目の上です。
81の黄色の服を前から撮ると、ツナギなのが分かります。
ちえみが着ると、ツナギでも原色の鮮やかな黄色によって、可愛く着こなしています。
色々なタイプの服や帽子等を、可愛く着こなす事が出来る才能によって、
アイドルとしては、ごくフツーのタイプの顔が、可愛く見える事が、
ちえみのアイドルとしての魅力だと思います。
[84] 名前:名無しさん :2019/10/13 (日) 00:06:09 No.3414
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BOMBの82年6月号の、22ページ目です。
小・中学校の時のクラスメート達へのインタビューが載っています。
「いつもチョコチョコ歩き回ってたなあ」。キョンキョンも同じくチョコチョコ歩き回ってたので、
近所のおばさんが「キョンキョン」と言うニックネームを付けました。
キョンキョンと仲良くなったのは、性格で似ている部分もあったからでしょう。
[85] 名前:名無しさん :2019/10/13 (日) 00:09:02 No.3415
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BOMBの82年4月号の、3ページ目の下です。

(84の続き)
でも、愛称が「ボーリー」じゃアイドルっぽくないし、「ちーちゃん」では古臭い感じがします。
「チェミィ」は、同じ事務所の2年先輩の甲斐智枝美が先に使っていたので、
結局、名前「智栄美」をひらがなにした芸名「ちえみ」が、そのまま愛称になりました。
[86] 名前:名無しさん :2019/10/13 (日) 00:23:23 No.3416
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BOMBの82年6月号の、23ページ目です。(クラスメート達へのインタビューの続き)
当時の録音は、ラジカセが主流だったので、見つかりやすかったです。
今はスマホで録画も出来るので、コンサートのチェックの時は、どうしているのでしょう?
先生の証言から、石野真子のファンになるまでは、榊原郁恵のファンだった事が分かります。
パリンコの3人は、伊代ちゃんがドラマで榊原郁恵と共演、キョンキョンが榊原郁恵と同じ出身地、
ちえみが榊原郁恵のファンでスカウトキャラバンの後輩と、みんな榊原郁恵と関係がありました。
[87] 名前:名無しさん :2019/10/13 (日) 00:26:26 No.3417
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BOMBの83年6月号の、1ページ目です。
キョンキョンがショートカットにした後、ちえみも夏に向かってショートカットにしました。

(86の続き)
「スポーツは何をやらせても得意でしたね。」と言うちえみが、
ドジでノロマな亀の役を演るのは皮肉な話ですが、「おっちょこちょいなところがあって、
何かやる時に見当はずれな事をしても、その結果が憎めないんですよね。」という部分では、
ちえみでなければ出来ない役だったと思います。
[88] 名前:名無しさん :2019/10/13 (日) 00:28:26 No.3418
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BOMBの82年6月号の、24ページ目です。
スカウトキャラバンは、スター誕生と違って、予選会の時は観客がいない事が分かります。
決戦大会で、初めて大観衆の前で歌うのだから、あがるのが当たり前。
「もし優勝せんかったら、漫才師になるか。」と紳助が聞いて、
「ハイ」と答えたのが受けたのでしょう。
明るい性格のちえみらしいエピソードです。同じ関西出身なので、
後に、紳助の過去をバラすとちえみが脅すほど、仲が良くなったと思います。
[89] 名前:名無しさん :2019/10/13 (日) 00:30:28 No.3419
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BOMBの82年6月号の、25ページ目です。
上京してから2ヶ月半で、ファンの集いを開くほど、早くアイドルのしてのスタートが出来ました。
スター誕生の合格からデビューまで、1年かかったキョンキョンとは好対照です。
地元の中学で、良く歌っていたからだと思います。
今もファンクラブ(親衛隊かな?)が残っているのは、デビュー前に何度もファンの集いを行い、
熱心なファンが出来たからでしょう。
[90] 名前:名無しさん :2019/10/16 (水) 23:45:19 No.3447
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BOMBの83年6月号の、2〜3ページ目です。
ショートカットの妖精、ボーイッシュな妖精と書いてあります。
花の82年組6人(伊代・キョンキョン・ちえみ・秀美・優・明菜)は、
みんな聖子ちゃんカットでデビューしました。
その内、キョンキョンに習ってショートカットにしたのは、ちえみ・伊代・優です。
パリンコの3人がショートカットにしたのは分かりますが、優も仲間に入りたかったのかな。
秀美と明菜は、逆に髪を伸ばして行きました。本格的アーティストを目指していた二人と、
アイドルとしての進化を目指していた上記4人の違いなのかなと、思います。
[91] 名前:名無しさん :2019/10/16 (水) 23:48:45 No.3448
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BOMBの82年6月号の、26ページ目です。
豊島園で行われたデビュー日のファンの集いの模様が載っています。
野外ステージなので、中止になるかも知れないと思いながらも、集まったファンの人達。
その熱心さに答えて、野内ステージに場所を移して行ったコンサート(ファンの集い)。
ちえみとファンの人達との絆が、ますます深くなった出来事だと思います。
[92] 名前:名無しさん :2019/10/16 (水) 23:51:40 No.3449
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BOMBの82年6月号の、26ページ目です。
全国キャンペーンの様子が載っています。
キョンキョンが、「デビューが同じちえみちゃんと三田寛子ちゃんとは、
3人一緒に全国キャンペーンに回りました。」と言っていますが、それは、
ここに載っている大都市ではなく、もっと小さな地方都市のイベントや、ラジオ局回りなのでしょう。
スタッフの意見では、「どこか少年っぽい魅力のある子で、元気な妹みたい。」と言う
作詞・作曲の松宮恭子は、デビュー当時のちえみの魅力を言い当てていると思います。
「変に奇をてらった作品じゃなく、背伸びのない素直なメロディーの曲にしたんです。」
と言うキャニオンレコード宣伝部の人の言葉から、
アイドルの王道を歩ませようとする意図が感じられます。
[93] 名前:名無しさん :2019/10/16 (水) 23:54:27 No.3450
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↑92の訂正:26ページ目→27ページ目

BOMBの83年6月号の、4ページ目です。
プロフィールに書いてある、新宿コマの「ちえみちゃん祭り」は、
70年代の「百恵ちゃん祭り」を継承したコンサートでした。
山口百恵の引退コンサートのラストで、ステージに置いたマイ・マイクも、堀ちえみが継承しました。
デビューして少し経ってからと言っていたので、この頃かも知れません。
[94] 名前:名無しさん :2019/10/16 (水) 23:57:12 No.3451
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BOMBの82年6月号に戻って、28ページ目です。
ちえみのドジ・イタズラ体験を、イラストで紹介しています。
何で車の中ではなく、満員電車なのか?
きっと車だと渋滞に巻き込まれるので、忙しいちえみは、満員電車の中で食事していたのでしょう。
[95] 名前:名無しさん :2019/10/26 (土) 00:03:21 No.3466
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BOMBの82年6月号の、29ページ目です。
ドアと間違えられたスタッフの人は、めちゃんこ体格が良かったのでしょう。
スタッフがいたずらの対象にされるのは、忙しいアイドルのストレス解消の手段なので、
売れている証拠だと思って、我慢していたと思います。
ねむり魔ちえみの、車・階段・トイレと、何処でも寝られる特技がエスカレートし、
「スチュワーデス物語」では、本番中に背中から映っている時、立ったまま寝ていたそうです。
[96] 名前:名無しさん :2019/10/26 (土) 00:06:36 No.3467
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BOMBの83年12月号の、1ページ目です。
「スチュワーデス物語」が放送されて、話題が沸騰し始めた頃です。
[97] 名前:名無しさん :2019/10/26 (土) 00:17:15 No.3468
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BOMBの82年6月号の、30ページ目です。めちゃんこQ&A(その1)です。
「ちえみは歌ってなくても歌ってるような女の子だから、さらに歌え」岩本先生の名言ですね。
2005年頃、久しぶりのライブを行うので、練習を兼ねて子供の前で歌っていました。
ミニ・ライブと称しならら、90分も歌いまくるちえみママに付き合っていたのは、
当時5歳ぐらいの末娘のみ。上の男の子4人は、付き合いきれず、呆れていたそうです。
これだけコケていても、大ケガしなかったのが、不思議です。よほど強運の持ち主なのでしょう。
小6の時の、「うるさいから立ってろ」→「廊下にたってろ」→「下駄箱で立ってろ」
→「職員室で立ってろ」。それでもめげずに、喋るちえみのガッツ?は、さすがです。
[98] 名前:名無しさん :2019/10/26 (土) 00:19:00 No.3469
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BOMBの82年6月号の、4〜5ページ目です。
今度生まれ変わるとしたら、絶対に女の子。キョンキョンは、男の子と言っていたので正反対です。
何度も出演している徹子の部屋の、黒柳徹子も女の子と言っていました。
その徹子の部屋に、3回目の結婚をする直前に出演した時は、
それまでの2回の結婚相手とは違い、両親も大賛成してくれたと言っていました。
「好きな人につくしたい」タイプのちえみなので、子供も成長してきた今度こそ、
旦那さんにつくしているのでしょう。
[99] 名前:名無しさん :2019/10/26 (土) 00:28:30 No.3470
3470.jpg (495KB)
BOMBの82年6月号の、31ページ目です。めちゃんこQ&A(その2)です。
「ズバリ当てましょう」懐かしいです。調べたら、ちえみのデビュー当時の82年3月27日が、
最終回でした。最後あたりの回に出て、欲しいステレオが当たるとは、やがり強運の持ち主です。
ビデオは、この頃から急激に安くなっていったので、多分買ったでしょうが、上手く予約録画
出来たのかな。ママドルになってから、家電製品に弱く、番組表予約が出来ないと言っていました。
「私の場合、好きな人が出来ると、そのまま結婚まで考えちゃう。」
3度結婚したちえみだから、間違いないでしょう。
「20歳すぎたら考えてみます。」20歳の時に一度引退してから、じっくり考えたのでしょう。
二度離婚しても、再々婚したちえみは、76・77で書いた「極上空間」で、
同じく二度離婚した石野真子に、再々婚を勧めていました。
[100] 名前:名無しさん :2019/10/31 (木) 00:09:29 No.3485
3485.jpg (491KB)
BOMBの82年6月号の、8ページ目です。
ミニスカートを履いているカットです。キョンキョンと、サリーちゃん足仲間として、
お互いになぐさめあっていると言っていた頃でしょうか。
モモから足首まで太さが変わらないのが、サリーちゃん足ですが、
さすがに足首は細くなっています。モモからふくらはぎまで太さがあまり変わらないのが、
自称サリーちゃん足と言っている所以でしょう。

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