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堀ちえみ

[1] 名前:名無しさん :2019/04/10 (水) 20:23:46 No.2494
2494.jpg (491KB)
DUNKの84年10月号の、4ページ目です。
84年夏のコンサート「TAKE OFF」からのカットです。
飛び上がるようなエキサイティングなカットは、全身カットで、
顔が小さくなり、スレ画にすると目立たないので、スレの中で載せます。
[2] 名前:名無しさん :2019/04/12 (金) 18:55:27 No.2507
2507.jpg (487KB)
BOMBの84年8月号の、テレビックリのコーナー表紙です。
これは、「稲妻パラダイス」を歌っている時の衣装です。
表紙以外には載っていませんが、関西のTV特集なので、
ちえみが表紙に選ばれたのかも知れません。
[3] 名前:名無しさん :2019/04/12 (金) 18:57:43 No.2508
2508.jpg (488KB)
BOMBの84年4月号の、1ページ目です。
「ひとりで笑ってシラケさせる。」スチュワーデス物語で共演した白石まるみが言っていました。
笑い上戸で、アイドルがこんなこと言っていいかなって発言をする。とも言っていて、
仲良しのキョンキョンと共通しています。「白いハンカチーフ」が大ヒットしたので、
「歌が落ち目だからドラマに出た、なんて言われなくてすみますもん。」
まるで、共演した恋敵の片平なぎさの事を言っているような発言ですが、
ホリプロのアイドルは、デビュー後まもなくドラマに出るのが当たり前だったので、
そう言われなくて済んだのは、山口百恵以来の事です。
[4] 名前:名無しさん :2019/04/12 (金) 18:59:32 No.2509
2509.jpg (416KB)
BOMBの84年4月号の、2ページ目です。

(1ページ目の続き)
今度はホームドラマを演じてみたいと言っていますが、「スチュワーデス物語」の千秋のイメージが
強すぎるためか、実現しませんでした。千秋のイメージを拭うため、1年間は歌手業に専念し、
大ヒットを連発します。その後、「スタア誕生」「花嫁衣裳は誰が着る」と、
再び大映テレビに主演します。気持ちが沈んでる時でも大声でしゃべる、千秋のセリフの言い回しを
避けるため、特に「花嫁衣裳は誰が着る」では、沈んだ演技が目立ちました。
まるで山口百恵が演じていたような耐えしのぶ役柄は、元気一杯のちえみのキャラに似合いません。
山口百恵でさえ、大映テレビの赤いシリーズは早く降板したいと訴えていました。
ここに書いてあるような西田敏行と共演するホームドラマや、田原俊彦と共演するコメディが
実現していたら、ちえみの新たな魅力がお茶の間にも浸透したかも知れないと思うと、残念です。
[5] 名前:名無しさん :2019/04/12 (金) 19:02:50 No.2510
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DUNKの84年6月号(創刊号)に、見開き2ページで、
「稲妻パラダイス」の歌詞が載っています。
ディレクター談話では、昨年(83年)までの青春路線から、今年はガラッと変えようと思ったら、
「スチュワーデス物語」の大ヒットがあり、千秋のイメージで作ったのが「白いハンカチーフ」。
その「白いハンカチーフ」は、オリコン最高位7位止まりと、
千秋人気が曲のヒットに結びつかなかったようです。
そこで、ファン層を大きく広げる意味で、今までのマイナーコードの青春ポップス路線から、
ガラッと変わったメジャーコードの弾けるような明るいポップス
「稲妻パラダイス」をリリースしました。
「ベスト5入りは確信しています。」と言う通り、オリコン最高位5位まで上がりました。
元来ちえみには、弾けるような明るいポップスが似合うと思うのですが、
「スチュワーデス物語」の大ヒットが、リリース時期を遅らせてしまいました。
[6] 名前:名無しさん :2019/04/12 (金) 19:05:45 No.2511
2511.jpg (493KB)
DUNKの84年8月号には、3つ折りピンアナップで、「東京Sugar Town」の歌詞が載っています。
11thシングルのこの曲は、7thシングル「夏色のダイアリー」と同様、
爽やかで口ずさみやすい夏ソングです。前作「稲妻パラダイス」で勢いに乗ったちえみは、
この曲で、オリコン最高位3位まで上がりました。
ミニミニ情報には、髪を伸ばしたい事と、ホリプロの寮を出たい事が、書いてあります。
ちえみは、キョンキョンとほぼ同じ83年2月頃、ショートカットにしました。
伊代もその頃、ショートカットにしようと思っていたそうですが、キョンキョンとちえみが
先にショートカットにしたので、真似してると思われたくなくて、時期を遅らせました。
84年春にキョンキョンが刈り上げにした後、その夏にはちえみもベリーショートにしています。
仲の良い二人は、髪型まで仲良かったです。寮は85年に出たようですが、
「髪を伸ばしたい」心境が変化したのは、夏だったから?
[7] 名前:名無しさん :2019/04/21 (日) 23:19:03 No.2565
2565.jpg (466KB)
DUNKの85年1月号の、折込カレンダーです。
夏が似合うちえみは、7月に載っています。
[8] 名前:名無しさん :2019/04/21 (日) 23:21:48 No.2566
2566.jpg (494KB)
DUNKの84年8月号から、LP紹介のコーナーです。
シングルでは、口ずさみやすくて覚えやすい曲をリリースし、
セールスを伸ばしていったちえみですが、アルバムでは、
テクノポップやラップ風の曲を取り入れ、前衛的な内容になっています。
翌85年夏のシングル「Wa・ショイ!」では、このアルバムの方向性を取り入れ、
お祭り風の曲にサンプリングされた声が乗っていましたが、セールス的にはイマイチでした。
本人も、「ちょっと先取りしすぎた」と言っていたそうです。
(ちえみファンの浅香唯が、ちえみから聞き、「おしゃべりDJ」で言っていました。)
[9] 名前:名無しさん :2019/04/21 (日) 23:26:20 No.2567
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MOMOCOの84年5月号の、記事です。
2月15日の17歳のバースディパーティと、その前後の仕事が載っています。
誕生日前後は、「スチュワーデス物語」の撮影追い込みで、大変だったようです。
その忙しい合間を縫っての期末試験も、午前中しか受けられない状態。
「試験勉強なんかできっこない。」頭にハチマキ締めている千秋の姿にすらなれなかったとは。
堀越を1年遅れで卒業するのも、無理はありません。
それでも、「短大へ進学出来るぐらいの学力は身に付けさせてくれる。
今思えば親切な学校だった。」と、後に振り返っていました。
下に載っている4月のスケジュール表から、4月3日に、第2回ちえみちゃん祭りが開かれています。
調べたら、第1回は83年5月28・29日でした。
百恵ちゃん祭りは、夏休みの終わり頃でしたが、この時期はファンが
夏休みの宿題の追い込みに入るので、時期をずらしたのでしょう。
[10] 名前:名無しさん :2019/04/21 (日) 23:28:03 No.2568
2568.jpg (495KB)
DUNKの84年10月号の、1ページ目です。
84年夏のコンサート「TAKE OFF」の、京都での公演の模様がレポートされています。
1ページ目は、開演前の準備が載っています。
忙しいトップアイドルにとって、1日2回公演は当たり前。
ピンクレディーの最盛期には、1日3回や4回の公演もあったそうです。
アイドルのコンサートが春や夏に集中するのは、学校が休みになって、
昼の部でも学生が行けるからでしょう。
[11] 名前:名無しさん :2019/04/21 (日) 23:32:06 No.2569
2569.jpg (487KB)
DUNKの84年10月号の、2ページ目です。
ステージ上を飛び回っているような、このポーズも、テレビでの「稲妻パラダイス」の歌唱を
見ていると、違和感が無くなります。少なくとも、コンサートツアー中のちえみは、
「ドジでノロマなカメ」のイメージから脱却しています。
「ヒーロー」等の英語の歌詞の歌は、クラスメートの早見優から、発音を教えてもらったのかな。
[12] 名前:名無しさん :2019/05/01 (水) 00:35:01 No.2619
2619.jpg (497KB)
DUNKの84年10月号の、3ページ目です。
前半と後半は、それぞれ同じ衣裳で通し、真ん中の外国曲を歌うコーナーで、
1曲づつ衣裳を早変わりする構成です。ステージ脇の衣装部屋も大活躍していた事でしょう。
コンサートで、外国曲を歌うコーナーを設けていたのは、ちえみ達の82年組が最後かも知れません。
第一部と第二部の間に、遅い昼食を食べています。
緊張の連続で、第一部と第二部の間には、食事も喉を通らないアイドルも多かったですが、
アイドルは体力勝負なのを良く知っているちえみは、しっかり食事を取っています。
第二部の前に、握手会もあるので、本当に人気アイドルは大変です。
なお、4ページ目はスレ画です。
[13] 名前:名無しさん :2019/05/01 (水) 00:41:24 No.2620
2620.jpg (155KB)
スーパー写真塾の85年8月号から、素人が撮った写真(その1)です。
[14] 名前:名無しさん :2019/05/01 (水) 00:43:41 No.2621
2621.jpg (256KB)
DUNKの84年11月号から、アイドルが乗る車を紹介するコーナーです。
「スチュワーデス物語」で、後ろ向きに立っているシーンでは、立ちながら眠っていたというちえみ。
それほど睡眠時間が取れないちえみにとって、安眠出来る車は、必需品だった事でしょう。
ちなみに、アイドルを電撃引退し、大阪の実家に戻った時は、
家に着くなり36時間眠り続けていました。
アイドルとしては、限界まで頑張っていたのでしょう。
[15] 名前:名無しさん :2019/05/01 (水) 00:44:36 No.2622
2622.jpg (107KB)
スーパー写真塾の85年8月号から、素人が撮った写真(その2)です。
[16] 名前:名無しさん :2019/05/01 (水) 00:47:25 No.2623
2623.jpg (481KB)
DUNKの84年12月号から、スター出没ショップのコーナー(見開き2ページ)です。
ちえみが焼肉好きというより、夜遅くまで仕事をして、その後食事する場所は、
焼肉店しか開いていなかったから、焼肉ばかり食べていたそうです。
当時の人気アイドルは、ちえみを始めそう言っていたアイドルが多かったです。
ちえみの事務所の1年後輩の大沢逸美は、身長170cmと14cmもちえみより高く、
1歳年上だったので、とても後輩という感じがしなかったそうです。
その分、同じ事務所の2年後輩の田中久美を可愛がっていたのでしょう。
[17] 名前:名無しさん :2019/05/11 (土) 00:26:49 No.2680
2680.jpg (90KB)
スーパー写真塾の85年8月号から、素人が撮った写真(その3)です。
[18] 名前:名無しさん :2019/05/11 (土) 00:28:28 No.2681
2681.jpg (481KB)
DUNKの84年12月号の、1〜2ページ目です。
初めて時代劇に出演したちえみの姿が、4ページに渡って載っています。
風間杜夫主演の時代劇に1話だけゲスト出演した回で、「教官」との久々の共演になりました。
[19] 名前:名無しさん :2019/05/11 (土) 00:29:28 No.2682
2682.jpg (472KB)
スーパー写真塾の85年8月号から、素人が撮った写真(その4)です。
[20] 名前:名無しさん :2019/05/11 (土) 00:31:10 No.2683
2683.jpg (492KB)
DUNKの84年12月号の、3ページ目です。
ちえみ→ドラマ→あとは言わなくてもわかってる。そんな方程式が出来たちえみの、
初の時代劇挑戦は、かつらやゴムぞーり等、撮影中はドジしていても、
出来上がりは良かったのでしょう。「いい勉強になった。」と言っています。
[21] 名前:名無しさん :2019/05/11 (土) 00:32:23 No.2684
2684.jpg (136KB)
BOMBの84年12月号から、85年のカレンダー紹介コーナーです。
文章には、ファンクラブの入会特典等が書いてあります。
「スチュワーデス物語」は、CSまで含めると、一体何回(何十回か?)
再放送されている事でしょう。
[22] 名前:名無しさん :2019/05/19 (日) 21:56:07 No.2732
2732.jpg (492KB)
DUNKの84年12月号の、4ページ目です。
「教官」(風間杜夫)に、「お土産売り場の人形みたい」と笑われた、時代劇の町娘姿です。
「あんみつ姫」で、既に時代劇経験済みのキョンキョンは、かつらが重いと言っていましたが、
(明菜が、テレビでキョンキョンの発言をバラしていた。)
ちえみも重かったのか、頭が痛くなったと言っています。
[23] 名前:名無しさん :2019/05/19 (日) 22:15:24 No.2733
2733.jpg (444KB)
DUNKの85年1月号から、脚線美人マルチ・コンテストのコーナーです。
「モモから足首まで太さが変わらないサリーちゃん足」といって、
サリーちゃん足仲間のキョンキョンとなぐさめあっている、
ちえみの脚がクローズアップされています。
[24] 名前:名無しさん :2019/05/19 (日) 22:23:31 No.2734
2734.jpg (487KB)
BOMBの84年11月号の、1ページ目です。
84年夏のコンサート「TAKE OFF」からのカットです。
ちえみらしい原色の派手な衣裳が似合いますね。レオタードまでハートマーク入りです。
[25] 名前:名無しさん :2019/05/19 (日) 22:26:12 No.2735
2735.jpg (166KB)
DUNKの85年1月号から、ドッキリ・ワクワク・ステージ10のコーナーです。
ちえみは6位にランキングされています。
[26] 名前:名無しさん :2019/05/19 (日) 22:29:45 No.2736
2736.jpg (494KB)
BOMBの84年11月号の、2ページ目です。
オリビア・ニュートン・ジョンの大ファンと書いてありますが、70年代と80年代では、
オリビアのイメージが違います。70年代は、「ジョリーン」や「カントリー・ロード」が
大ヒットしてしていた頃で、ポップスとカントリーを合わせた感じです。
70年代のアイドルでは、桜田淳子が大ファンと言っていました。
杏里の「オリビアを聴きながら」も、70年代のオリビアのイメージです。
80年代は、「フィジカル」が大ヒットしてからなので、
ロックとダンス・ミュージックを合わせた感じです。
ハチマキ(バンダナではない)をしたオリビアのプロモビデオのイメージが、ちえみにピッタリです。
10月17日に発売と書いてある「クレイジー・ラブ」と両A面となった「愛のランナー」が、
ここに書いてあるアンコール曲に代わり、新しいアンコール曲になりました。
[27] 名前:名無しさん :2019/05/27 (月) 22:53:46 No.2773
2773.jpg (205KB)
オリコンウィークリーの85年2月15日号から、素人が撮った写真です。
このトレーナーをあげている、一番下の妹・堀美矢子は、後に芸能界デビューしましたが、
今は引退しているそうです。真ん中の妹・堀一美は、元近鉄バッファローの中根仁と結婚し、
結婚式場で初めて会った中根仁の先輩である金村義明とちえみが、
大阪の番組で一緒に仕事をしてから、意気投合したそうです。
[28] 名前:名無しさん :2019/05/27 (月) 22:55:21 No.2774
2774.jpg (486KB)
BOMBの85年1月号の、1ページ目です。
シングル「クレイジーラブ」が好評と、書いてあります。
ちえみのシングルの中で、一番好きな歌です。
ちなみに、好きな歌のベスト5は、以下の通りです。
1、クレイジーラブ
2、リ・ボ・ン
3、稲妻パラダイス
4、青い夏のエピローグ
5、夏色のダイアリー
[29] 名前:名無しさん :2019/05/27 (月) 22:57:39 No.2775
2775.jpg (277KB)
熱写ボーイの85年7月号から、素人が撮った写真(その1)です。
[30] 名前:名無しさん :2019/05/27 (月) 23:00:40 No.2776
2776.jpg (483KB)
BOMBの85年1月号の、2〜3ページ目です。
ちえみの二つのお願い。一つ目の歌の大ヒットは、
「クレイジーラブ」「リ・ボ・ン」の連続大ヒットで叶いました。
二つ目のシリアスなドラマは、同じ大映テレビの「スタア誕生」で叶いました。

ちえみのシングルのセールスのベスト5は、以下のようになります。( )は最高順位
1、さよならの物語(8位):83年1月リリース
2、クレイジーラブ(2位):84年10月リリース
3、青い夏のエピローグ(7位):83年7月リリース
4、リ・ボ・ン(2位):85年1月リリース
5、夕暮れ気分(8位):83年10月リリース
1位が「さよならの物語」というのは、意外でした。この頃は、年々シングルの総売り上げが
落ちていった頃なので、最高順位と売り上げが比例していません。アイドルにとっては、
ザ・ベストテンやザ・トップテンがあるので、最高順位の方が大事でしょう。
[31] 名前:名無しさん :2019/05/27 (月) 23:01:44 No.2777
2777.jpg (202KB)
熱写ボーイの85年7月号から、素人が撮った写真(その2)です。
[32] 名前:名無しさん :2019/06/08 (土) 22:20:53 No.2826
2826.jpg (495KB)
BOMBの85年1月号の、4ページ目です。
「年末は紅白のためにスケジュールをあけてあります。」
その甲斐あって、紅白初出場を果たします。
ちなみに、花の82年組の紅白出場は、以下の通りです。
83年〜 中森明菜(6回連続)
     早見優(3回連続)
84年〜 小泉今日子(5回連続)
     堀ちえみ(1回のみ)
85年〜 石川秀美(1回のみ)
なお、松本伊代は出場なし。 
[33] 名前:名無しさん :2019/06/08 (土) 22:22:05 No.2827
2827.jpg (113KB)
熱写ボーイの85年7月号から、素人が撮った写真(その3)です。
[34] 名前:名無しさん :2019/06/08 (土) 22:24:54 No.2828
2828.jpg (498KB)
DUNKの85年1月号から、「クレイジーラブ」と「東京Sugar Town」の
歌詞が載っているページです。
私がなぜ「クレイジーラブ」が一番好きかと言うと、ちえみの覚えやすい曲調のシングルの中で、
最も激しい曲調であり、ちえみの歌い方に、長所である一生懸命さが、一番出ているからです。
ママドルになってからは、「リ・ボ・ン」を歌う事が多いちえみ。
「リ・ボ・ン」には、普遍的な曲の良さがありますが、「クレイジーラブ」は10代だからこそ
歌える歌だと思います。ちえみもそう考えたのでしょう。
[35] 名前:名無しさん :2019/09/07 (土) 23:56:49 No.3242
3242.jpg (310KB)
しゃんばらの最後のスレ(何度も落ちた)に貼った画像は、34で終わりです。
ここからは、しゃんばらで前のスレに載せた画像を中心に再アップします。

これは、2000年4月25日発行の、20世紀アイドルスター大全集・80年代編から、
堀ちえみの1ページ目の右上です。下に、プロフィールが載っています。

87年3月に一度引退するまで、正統派アイドルとしての活動は5年間しかありませんでしたが、
花の82年組の中では、明菜・キョンキョンに続く3番手として、人気がありました。
[36] 名前:名無しさん :2019/09/07 (土) 23:59:02 No.3243
3243.jpg (215KB)
20世紀アイドルスター大全集から、堀ちえみの1ページ目の左上です。

85年1月23日リリースの13thシングル「リ・ボ・ン」(最大のヒット曲だと思う)を始め、
「とまどいの週末」「さよならの物語」「青い夏のエピローグ」といった、
ちょっと懐かしい感じのマイナー調のアップテンポの曲が好きでした。
「白いハンカチーフ」「クレイジーラブ」も、カッコいいアップテンポの曲でした。
明るさを全面に出した「稲妻パラダイス」も、覚えやすくて、いい曲でした。
堀ちえみの曲は、キャッチーで覚えやすい曲が多いのが魅力でした。
[37] 名前:名無しさん :2019/09/08 (日) 00:00:42 No.3244
3244.jpg (212KB)
20世紀アイドルスター大全集から、堀ちえみの1ページ目の右下です。

大ヒットした「スチュワーデス物語」を始め、「スタア誕生」「花嫁衣裳は誰が着る」と、
2クールもある大映テレビに3本も主演していました。
70年代の大映テレビの顔が山口百恵なら、80年代の顔は、同じ事務所の堀ちえみでしょう。
花の82年組の中では、最もドラマ出演に力を入れていたアイドルです。
[38] 名前:名無しさん :2019/09/08 (日) 00:02:52 No.3245
3245.jpg (237KB)
20世紀アイドルスター大全集から、堀ちえみの1ページ目の中央下です。

ハードスケジュールには定評のある大映テレビに3本も主演しながら、アイドル歌手としての活動、
堀越学園での学業と、体がいくつあっても足りないほどの忙しいスケジュールをこなしていたので、
過労で倒れたのがきっかけとなって、一度引退したのも無理はないでしょう。
堀越学園への出席日数が足りないため、卒業式に出席した後、
1年間の補習授業を受けたそうです。
[39] 名前:名無しさん :2019/09/08 (日) 00:06:20 No.3246
3246.jpg (389KB)
20世紀アイドルスター大全集から、堀ちえみの1ページ目の左下です。

あまりの忙しさのため、「スチュワーデス物語」の撮影中に、後ろ姿で写っている時は、
立ったまま眠っていたそうです。後に教官役の風間杜夫がバラしていました。
風間杜夫は、眠っている堀ちえみの顔を、はにわのように可愛いと、褒めているのか、
けなしているのか、分からないコメントをしていました。
堀ちえみの顔は、目鼻立ちがハッキリしている正統派のアイドル顔でも、
面長の美人顔でもありませんが、愛らしさがある可愛い顔です。
多くの人気アイドルが出た80年代の中でも、異色の存在だったと思います。
[40] 名前:名無しさん :2019/09/13 (金) 00:51:03 No.3261
3261.jpg (156KB)
20世紀アイドルスター大全集から、堀ちえみの2ページ目の右上です。
「パリンコ学園No.1」で共演したキョンキョンとのカットです。
同じ82年3月21日にデビューした二人は、同じく3月21日にデビューした三田寛子と共に、
3人一緒にキャンペーンで全国を回ったそうです。
普段は大阪弁の堀ちえみと、京都弁しか喋れない三田寛子と一緒だったので、
関西弁が移ったとキョンキョンが言っていました。
3人姉妹の長女のちえみはお姉さんが欲しく、3人姉妹の末っ子のキョンキョンは
妹が欲しかったので、ちえみとキョンキョンは、大の仲良しになりました。
(キョンキョンの方が1歳年上)
[41] 名前:名無しさん :2019/09/13 (金) 01:01:00 No.3262
3262.jpg (190KB)
20世紀アイドルスター大全集から、堀ちえみの2ページ目の右中央です。

花の82年組は、本人同士は仲が良かったですが、粒ぞろいで競争が激しいため、
水着カットも多かった感じがします。伊代と秀美はワンピース中心でしたが、
ちえみを始め、キョンキョン・明菜・優と、ビキニ中心で楽しませてくれるアイドルも、
沢山いました。
[42] 名前:名無しさん :2019/09/13 (金) 01:04:49 No.3263
3263.jpg (160KB)
20世紀アイドルスター大全集から、堀ちえみの2ページ目の右下です。
堀ちえみは、この大全集では2ページしか載っていませんが、その半分の1ページがビキニ姿です。
[43] 名前:名無しさん :2019/09/13 (金) 01:08:38 No.3264
3264.jpg (275KB)
20世紀アイドルスター大全集から、堀ちえみの2ページ目の左上です。

堀ちえみは、ザ・ベストテンに出演した際のインタビューで、
「アイドルは、夢を売る商売です。」と答え、「商売」と言う言葉がアイドルらしくないと、
批判されましたが、仲良しのキョンキョンが、
後に「アイドルが商品である」事を、証明して行きました。
[44] 名前:名無しさん :2019/09/13 (金) 01:11:06 No.3265
3265.jpg (245KB)
20世紀アイドルスター大全集から、堀ちえみの2ページ目の左下です。

二度離婚し、三度結婚したちえみ。生死に関わる手術も乗り越えて、
自ら産んだ5人を含めて7人の子供の母となりました。
波乱万丈の人生を送っていますが、今度こそ幸せになって欲しいものです。
[45] 名前:名無しさん :2019/09/15 (日) 22:15:12 No.3279
3279.jpg (385KB)
85年10月1日発行のアイドル40年から、堀ちえみのページの右上です。

堀ちえみの連ドラの代表作は「スチュワーデス物語」ですが、
私は「花嫁衣裳は誰が着る」が一番好きでした。
TBSの大映テレビに連続出演し、主演級にまで達した伊藤かずえや松村雄基が、
初めてフジテレビの大映テレビに出演し、主演の堀ちえみを上手くサポートしていました。
70年代アイドルだった岡田奈々は、大映テレビで女優として復活しましたが、
TBS時代のどの大映テレビ作品よりも、「花嫁衣裳は誰が着る」の方がカッコ良かったです。
[46] 名前:名無しさん :2019/09/15 (日) 22:26:19 No.3280
3280.jpg (330KB)
アイドル40年から、堀ちえみのページの左上です。
帽子が似合うちえみが、初主演ドラマ「メチャン子・ミッキー」で被っていた帽子のカットです。

堀ちえみ主演の大映テレビでは、「スタア誕生」も、大映テレビのお約束を理解しながら見れば、
波乱万丈で、結構面白いです。最初に見た時は、堀ちえみ演じる突発性心筋症を抱える主人公が、
あまりにも激しい動作をするので、荒唐無稽に思えましたが、大映テレビのお約束の範囲内だと
割り切って見ると、「スチュワーデス物語」と同じように楽しめます。
[47] 名前:名無しさん :2019/09/15 (日) 22:32:22 No.3281
3281.jpg (314KB)
アイドル40年から、堀ちえみのページの右下です。
左下は、同じ写真が大きく載っている雑誌のカットを載せます。

3年ぐらい前のCSの、松本伊代・早見優と対談した番組で、
「今日子ちゃんとしばらく会ってないな。」と言うと、
松本伊代が「うちのダンナ(ヒロミ)は、会っているよ。」と言っていました。
子供が全員独り立ちしたら、まだ一度もしていない、舞台をやってみたいと言っていたので、
体が治って完全復活した後、舞台のプロデュースを始めた小泉今日子が
協力してくれたらいいですね。
[48] 名前:名無しさん :2019/09/15 (日) 22:35:51 No.3282
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80年代アイドルデビュー伝説から、近代映画の82年5月号の表2グラビアです。
表2グラビアとは、表紙の裏で、当時注目の新人アイドルを紹介するページです。
47で書いた、左下のカットと同じ写真です。

「微笑み天使」と大きく書いてあります。
堀ちえみは、キャッチフレーズはもうダサイから付けなかったそうですが、こういう時に困ります。
仲良しのキョンキョンのキャッチフレーズ「微笑少女」を文字ったのでしょうか。
文章に書いてある「メチャン子・ミッキー」は、評判がいいらしいのですが、
なかなか再放送されないので、見ていません。
[49] 名前:名無しさん :2019/09/15 (日) 22:43:55 No.3283
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80年代アイドルデビュー伝説から、近代映画の82年4月号の1ページ目です。
新人賞レースもス〜イスイ走って、レコード大賞新人賞5名の中に入りました。
この5名に入らなかったのが、キョンキョンと明菜です。
後の明菜曰く「これだけ有望新人が揃ったら、事務所の力が強い所が行く。」と名言(迷言?)を、
言っていました。シブがき隊(ジャニーズ事務所)、伊代(ボンド企画)、ちえみ(ホリプロ)、
優(サン・ミュージック)、秀美(芸映プロ)と、5人とも大手事務所です。
キョンキョン(バーニング・プロ)も大手ですが、キョンキョンには力を入れていなかったのかな?
[50] 名前:名無しさん :2019/09/20 (金) 00:19:32 No.3301
3301.jpg (489KB)
80年代アイドルデビュー伝説から、近代映画の82年4月号の2ページ目です。
2年後には「スチュワーデス物語」で、ドジでノロマなカメのイメージが付いてしまうちえみですが、
この頃は、スポーツが得意な事をアピールしています。
ちえみの表情は、普通っぽいので、スポーツ選手のようにも見えます。
[51] 名前:名無しさん :2019/09/20 (金) 00:23:25 No.3302
3302.jpg (493KB)
アイドル40年から、水着グラビアのコーナーです。

BOMBの松田聖子特集の中で、堀ちえみのコメントが印象的でした。
仲良しのキョンキョンと同じように、松田聖子の曲が大好きなだけでなく、
「歌は上手いし、しぐさはとても女の子らしいし、素敵です。」とコメントしています。
「アイドルは、夢を売る商売です。」と言って、実践しているちえみにとって、
松田聖子のアイドルとしての表現力そのものが、目標なのだと思いました。
もちろんスカウトキャラバンで歌ったのは、聖子の「白いパラソル」です。
ちえみ・キョンキョンに限らず、花の82年組アイドルは、松田聖子に憧れていた人が多いです。
聖子と同じ事務所の早見優だけが、ハワイに住んでいたので、
松田聖子の事を知らなかったとは、皮肉な話です。
[52] 名前:名無しさん :2019/09/20 (金) 00:29:12 No.3303
3303.jpg (215KB)
89年9月20日発行の、近代映画のムック本「女神の肖像」からのカットです。

この雑誌には、80年代末までのアイドル史が書いてありますが、その中から抜粋します。
「82年デビュー組は、松田聖子の成功を横目に睨んでからの戦略だけに実にシッカリとしている。
 有力新人たちのデビュー曲のヒットチャートでの最高順位を並べてみれば良く分かるはずだ。
 堀ちえみ「そよ風の少女」27位、小泉今日子「私の16才」22位、
 北原佐和子「マイ・ボーイフレンド」 25位、三田寛子「駆けてきた処女」21位、
 石川秀美「妖精時代」31位、早見優「急いで!初恋」36位、
 中森明菜「スローモーション」30位となっている。
 各々のアイドルの実力・人気・曲の善し悪しには関係なく、
 見事なまでに一定のラインに並んでいる。これがシスティマティックと言っている理由である。
 (何故なら30位以内に入ると、ザ・ベストテンのスポットライトのコーナーに
 出演出来るからである。)」
アイドルを送り出す事務所側も、松田聖子の成功を色濃く反映している事が分かります。
[53] 名前:名無しさん :2019/09/20 (金) 00:31:01 No.3304
3304.jpg (496KB)
BOMBの82年8月号の、1ページ目です。
ピップエレキバンを足から取るのを忘れる所までは、単に忘れちゃったで済みますが、
倉庫に閉じ込められるとは、後の「スチュワーデス物語」を彷彿とさせるエピソードです。
ちなみにキョンキョンは肩こりで、ピップエレキバンを肩に貼ったまま歌っていたそうです。
[54] 名前:名無しさん :2019/09/20 (金) 00:32:24 No.3305
3305.jpg (492KB)
BOMBの82年8月号の、2ページ目です。

(1ページ目の続き)
「下着のプレゼントの感想は?」「経済的でうれしいです。」
大阪出身のちえみの、経済観念に優れている一面が垣間見れるコメントです。
デビューして3ヶ月弱で、1日に4千通もファンレターが来る人気アイドルになりました。
これじゃ読むのもほんの一部なので、返事を書く事など出来ないでしょう。
[55] 名前:名無しさん :2019/09/23 (月) 23:17:29 No.3322
3322.jpg (492KB)
BOMBの82年11月号の、3つ折りピンナップです。
カラーで見ると、当時の顔は、トシちゃんが言っていた通り、日焼けしている事が分かります。
先輩に対して「トシちゃん」「聖子ちゃん」と、ちゃん付けで呼べるちえみは、
大阪人独特のフレンドリーさを身につけていたのでしょう。
キョンキョンは、先輩・松田聖子と話す時は、未だに緊張するそうです。
[56] 名前:名無しさん :2019/09/23 (月) 23:19:39 No.3323
3323.jpg (493KB)
BOMBの82年11月号の、1ページ目です。

花の82年組は、アイドル同士の仲が良かっただけでなく、ファン同士も協力し合っていました。
地方公演で、ちえみの親衛隊の数が足りない時は、
キョンキョンや明菜の親衛隊に助けてもらっていたそうです。
[57] 名前:名無しさん :2019/09/23 (月) 23:23:52 No.3324
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BOMBの82年12月号の、1ページ目です。
2キロ痩せたけど顔から痩せて行くと言っています。人に見られる所から痩せて行くと
良く言われているので、アイドルは顔から痩せていきます。
サリーちゃん足は露出していないので、痩せなかったのでしょう。
セミヌードとヌードを区別せずに断るのは、やはり15歳の若さなのでしょう。
先輩の山口百恵は映画「潮騒」でセミヌードになっていますが、
ちえみの唯一の主演映画であるリメイクの「潮騒」では、セミヌードになっているのでしょうか。
見た記憶はあるのですが、覚えていません。今度見たら、チェックしておきます。
[58] 名前:名無しさん :2019/09/23 (月) 23:26:41 No.3325
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BOMBの82年12月号の、2ページ目です。

(57の続き)
「そんなことないですよ。そういうふうに感じるのは、年をとっているからです!」(3段目)
ビシッと言うちえみに、若さと意志の強さを感じます。
ちえみもキョンキョンも肩こりでした。他にもトップアイドルに肩こりの人が多いのは、
やはり周囲に気を配る仕事だからでしょう。
[59] 名前:名無しさん :2019/09/23 (月) 23:28:43 No.3326
3326.jpg (493KB)
BOMBの82年11月号の、2ページ目です。
人気アイドルは、食事時間にまで取材が入って、ちゃんと食事すら出来ないという大変な仕事です。
学校に通うと、そんな目まぐるしい時間から開放されるのでしょう。
ちえみは、その学校にもなかなか行けなくなるほど、更に忙しさが増して行きます。
[60] 名前:名無しさん :2019/09/26 (木) 20:42:29 No.3334
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BOMBの82年6月号の、1ページ目です。
デビュー当時の堀ちえみを、40ページに渡って大特集しています。
キャッチフレーズを付けなかったちえみに対し、伊代や優が「デビュー曲の「潮風の少女」が
キャッチフレーズのようなもの」と、最近の同窓会番組で言っていました。
1ページ目のタイトルでも、「潮風の妖精」と書いてあり、「潮風」がキーワードになっています。
[61] 名前:名無しさん :2019/09/26 (木) 20:47:49 No.3335
3335.jpg (490KB)
カラーグラビアと、モノクロの記事を、なるべく交互に載せて行きます。
BOMBの82年6月号の、9ページ目です。
ここからモノクロページに入ります。
元気一杯のVサインが光るカットです。
キョンキョンは控えめにVサインを出す事が多かったですが、
ちえみは、「アイドルは夢を売る商売」がモットーなので、元気よくVサインを出しています。
[62] 名前:名無しさん :2019/09/26 (木) 20:49:57 No.3336
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BOMBの82年6月号の、10ページ目です。
歌手デビューしてすぐ、「メチャン子ミッキー」でドラマ主演しています。
アイドル歌手のドラマ主演といえば、午後7時代の30分枠が主流であり、
事務所の先輩・榊原郁恵も、「メチャン子ミッキー」と同じ枠で「ナッキーはつむじ風」
「愛LOVEナッキー」に主演していました。その源流は、アイドル歌手という存在すら無かった
70年の「おくさまは18歳」(岡崎友紀主演)まで遡るのかも知れません。
[63] 名前:名無しさん :2019/09/26 (木) 20:52:40 No.3337
3337.jpg (442KB)
BOMBの82年11月号の、3ページ目です。

(62の続き)
フジテレビに、月曜ドラマランド枠(83年〜)が出来てからは、その90分枠が、
アイドル主演ドラマの登竜門になりました。
[64] 名前:名無しさん :2019/09/26 (木) 20:53:46 No.3338
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BOMBの82年6月号の、11ページ目です。
13ページ目に書いてある、川の中に落ちちゃうシーンでしょう。
[65] 名前:名無しさん :2019/09/30 (月) 21:06:05 No.3355
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画像は、BOMBの82年11月号の、4ページ目です。
プロフィールに書いてある「パリンコ学園No.1」再放送して欲しいですが、
少年隊が出ているので、無理そうですね。
[66] 名前:名無しさん :2019/09/30 (月) 21:07:30 No.3356
3356.jpg (487KB)
BOMBの82年6月号の、12ページ目です。
「返事や礼儀がとてもしっかりしていた。」「ロケバスの中でカバンまるごと忘れたり。」(東八郎)
優等生的な面と、ドジな面を併せ持っているから、スタッフにもファンにも愛されたのでしょう。
[67] 名前:名無しさん :2019/09/30 (月) 21:10:18 No.3357
3357.jpg (491KB)
BOMBの82年6月号の、13ページ目です。
「メチャン子ミッキー」のストーリーが、少し書いてあります。
「セリフなんかもとってもむずかしいんだけど...」
一話分だけ動画がアップされていたので見ましたが、セリフ棒読みでした。
デビュー直後なので、無理もありませんが。この後の大映テレビは、3作とも見ていますが、
だんだん演技が上手くなって行ったように感じました。
左の上から3番目のカットでは、仲の良いキョンキョンと談笑しています。
二人とも笑い上戸なので、その間にいる新井薫子(だと思う)が、
目を白黒させていたかも知れません。
[68] 名前:名無しさん :2019/09/30 (月) 21:13:03 No.3358
3358.jpg (491KB)
BOMBの82年6月号の、2ページ目です。
ちょっと懐かしい感じのマイナー調のアップテンポのシングルが多いちえみですが、
詩の世界では、潮風や夏をテーマにしたシングルが多かったです。
デビュー曲「潮風の少女」に始まり、「真夏の少女」(以上82年)、
「夏色のダイアリー」「青い夏のエピローグ」(83年)、
「稲妻パラダイス」「東京Sugar Town」(84年)、
「Wa・ショイ!/風のサザン・カリフォルニア」(両A面:85年)
「ジャックナイフの夏」「夏咲き娘」(86年)
と、年4枚のシングル中、2枚は夏がテーマになっています。
[69] 名前:名無しさん :2019/09/30 (月) 21:14:20 No.3359
3359.jpg (495KB)
BOMBの82年6月号の、14ページ目〜15ページ目の右端です。
(15ページ目の右端を結合させないと、写真に説明が別画像になってしまうため。)
@生後6ヶ月のオールヌード?も可愛いけど、
A1歳と2ヶ月の頃の笑顔は、まさにゴキゲンという笑顔です。
Cの三輪車は、仮面ライダーのデザインっぽいです。
[70] 名前:名無しさん :2019/10/04 (金) 21:59:38 No.3373
3373.jpg (496KB)
BOMBの82年6月号の、15ページ目です。
ちえみは、産婦人科で第一号の赤ちゃんでした。
可愛い顔でしたが、「眠り姫」と言われるほど、いつも寝ていたそうです。
アイドル時代に、立ったまま寝る事が出来たのも、赤ちゃん時代の「眠り姫」所以でしょうか。
実は、夜になると元気になる夜行性だったようで、夜のドライブでゴキゲンになりました。
[71] 名前:名無しさん :2019/10/04 (金) 22:02:47 No.3374
3374.jpg (315KB)
BOMBの82年6月号の、3ページ目の上です。

(70の続き)
自転車やゴーカートで暴走したり、車の運転席が大好きでしたが、
家電製品には弱い事を、ママドルになってから打ち明けていました。
母親に言わせると内弁慶だったちえみですが、家族に対してズケズケ言えるのは、
仲がいい証拠だと思います。
[72] 名前:名無しさん :2019/10/04 (金) 22:10:41 No.3375
3375.jpg (495KB)
BOMBの82年6月号の、16ページ目です。
小学校時代の4カットが載っています。
D・Eは、17ページ目にあります。
[73] 名前:名無しさん :2019/10/04 (金) 22:17:46 No.3376
3376.jpg (310KB)
BOMBの82年6月号の、3ページ目の下です。

昨年春に「極上空間」というトーク番組に出演し、大ファンだったという石野真子との対談を
しています。キョンキョンも石野真子の大ファンでしたが、スタ誕の司会や、
歌のトップテンの司会を石野真子がしている時に会っています。
ちえみは、スカウトキャラバン出身なので、スタ誕のゲストには呼ばれず、
歌のトップテン(86年4月〜)の時には、トップテンに入っていなかったので、
アイドル時代には会っていないかも。と思っていましたが、
実は主婦をしていた当時の石野真子に会っていたそうです。
[74] 名前:名無しさん :2019/10/04 (金) 22:24:39 No.3377
3377.jpg (496KB)
BOMBの82年6月号の、17ページ目です。
水泳が得意なちえみが、「スチュワーデス物語」で浮き輪を付けて廊下を泳ぐシーンを、
台本で読んだ時は、思わず「?」マークが頭の上にいくつも浮かんでいた事でしょう。
誰とでも仲良くなれるちえみなので、みんなと遊べる球技に夢中になったと思います。
[75] 名前:名無しさん :2019/10/04 (金) 22:28:03 No.3378
3378.jpg (495KB)
BOMBの82年6月号の、6ページ目です。

(74の続き)
修学旅行は、クラスメートと深夜まで一緒に無駄話や枕投げが出来る夜が楽しいのですが、
1日早く、いとこの子と朝方まで家族全員でワイワイ騒いでいたので、こんなドジ話が生まれました。
巻き添えを食らった親友も可哀想ですが、疲れているのに鳥取までの往復運転をしたお父さんには、
感謝しなければいけませんね。
[76] 名前:名無しさん :2019/10/09 (水) 00:11:18 No.3393
3393.jpg (494KB)
BOMBの82年6月号の、18ページ目(中学校時代)です。
Aのおさげ姿は、あまり見た事がないので、新鮮です。

石野真子との対談番組「極上空間」の内容です。ちえみは、中学2年(80年)の夏に、
たまたま出かけた大阪のデパート?で、石野真子の握手会がある事を知り、握手してもらった時、
なんて可愛い人だろうと思って、たちまちファンになったそうです。
そして石野真子に会う事を目標にして、スカウトキャラバンで優勝。82年3月にデビューしますが、
既に石野真子は、結婚・引退していました。(81年8月31日)
[77] 名前:名無しさん :2019/10/09 (水) 00:15:56 No.3394
3394.jpg (491KB)
BOMBの82年6月号の、7ページ目です。

(「極上空間」の続き)
どうしても石野真子に会いたいちえみは、月刊平凡の石野真子担当記者にお願いして、
83年初に、主婦をしている石野真子に会う事が出来、感激しました。
ちなみに、堀ちえみの親衛隊の中心メンバーは、石野真子の親衛隊から移動し、
親衛隊の心得を新入りメンバーに教えたそうです。
[78] 名前:名無しさん :2019/10/09 (水) 00:32:44 No.3395
3395.jpg (496KB)
BOMBの82年6月号から、19ページ目です。
中2の時に、初恋の相手から「何とも思ってないから」と言われて、ふられた事を告白しています。
人気アイドルになる人たちは、容姿もそれなりに良かったので、初恋の相手とは自然解消のパターンが
多いですが、ふられるというのは珍しいです。それでもすぐに立ち直り、
友達のチョーチン持ちをするあたり、浪速のど根性娘って感じです。
キョンキョンと同じく、ちえみも中学時代が一番楽しく充実していた事が分かります。
スカウトキャラバンに誘った友達ではなく、誘われたちえみが合格するのは、よくあるパターンです。
[79] 名前:名無しさん :2019/10/09 (水) 00:35:26 No.3396
3396.jpg (496KB)
BOMBの82年4月号の、1ページ目です。
この頃は、大好きな真子ちゃんカットで受けたスカウトキャラバンの時の髪型のままです。
この後すぐに、後ろ髪を伸ばしながらブローして、他の花の82年組と同様、
聖子ちゃんカットにして行きました。

(78の続き)
書いてある内容から、「ママはアイドル」の後藤久美子がオーディションを受ける回を、
思い出しました。ちえみやキョンキョン等の花の82年組の世代は、松田聖子ではなく、
榊原郁恵や石野真子が、憧れのアイドルだった世代です。
[80] 名前:名無しさん :2019/10/12 (土) 23:53:45 No.3410
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BOMBの82年6月号の、20ページ目です。
21ページ目とともに、旅行の写真を集めたページです。
Bでは、小学校5年の時から、真っ黒に焼けている事が分かります。
Cは、次ページに書いてありますが、36で遅刻したと書いてある修学旅行の時です。
Dは、京都の丸山公園へ遠足に行った時。お弁当をほおばる姿を撮ったちえみらしい写真です。
[81] 名前:名無しさん :2019/10/12 (土) 23:55:18 No.3411
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BOMBの82年4月号の、2ページ目です。
原色の黄色の服が似合う、15歳になったばかりのちえみです。
でもこの頃から、安産タイプの大きなヒップなのが分かります。
[82] 名前:名無しさん :2019/10/13 (日) 00:02:02 No.3412
3412.jpg (498KB)
BOMBの82年6月号の、21ページ目です。

(78、79の続き)
石野真子の親衛隊と言えば、応援の凄さで有名でした。スター誕生の最終回(83年9月)の時も、
芸能界に復帰したばかりの石野真子の応援の声が、既にトップアイドルに駆け上っている
キョンキョン・明菜の応援の声より大きかったです。
ちえみは石野真子ファンになってから、髪型も石野真子のように肩までの
ストレートヘアにしていた、と言っていました。B〜Dの写真からも、その事が分かります。
キョンキョンもちえみと同じ頃、石野真子のファンになったので、
スター誕生テレビ予選の時は、同じストレートヘアでした。
[83] 名前:名無しさん :2019/10/13 (日) 00:04:10 No.3413
3413.jpg (482KB)
BOMBの82年4月号の、3ページ目の上です。
81の黄色の服を前から撮ると、ツナギなのが分かります。
ちえみが着ると、ツナギでも原色の鮮やかな黄色によって、可愛く着こなしています。
色々なタイプの服や帽子等を、可愛く着こなす事が出来る才能によって、
アイドルとしては、ごくフツーのタイプの顔が、可愛く見える事が、
ちえみのアイドルとしての魅力だと思います。
[84] 名前:名無しさん :2019/10/13 (日) 00:06:09 No.3414
3414.jpg (491KB)
BOMBの82年6月号の、22ページ目です。
小・中学校の時のクラスメート達へのインタビューが載っています。
「いつもチョコチョコ歩き回ってたなあ」。キョンキョンも同じくチョコチョコ歩き回ってたので、
近所のおばさんが「キョンキョン」と言うニックネームを付けました。
キョンキョンと仲良くなったのは、性格で似ている部分もあったからでしょう。
[85] 名前:名無しさん :2019/10/13 (日) 00:09:02 No.3415
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BOMBの82年4月号の、3ページ目の下です。

(84の続き)
でも、愛称が「ボーリー」じゃアイドルっぽくないし、「ちーちゃん」では古臭い感じがします。
「チェミィ」は、同じ事務所の2年先輩の甲斐智枝美が先に使っていたので、
結局、名前「智栄美」をひらがなにした芸名「ちえみ」が、そのまま愛称になりました。
[86] 名前:名無しさん :2019/10/13 (日) 00:23:23 No.3416
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BOMBの82年6月号の、23ページ目です。(クラスメート達へのインタビューの続き)
当時の録音は、ラジカセが主流だったので、見つかりやすかったです。
今はスマホで録画も出来るので、コンサートのチェックの時は、どうしているのでしょう?
先生の証言から、石野真子のファンになるまでは、榊原郁恵のファンだった事が分かります。
パリンコの3人は、伊代ちゃんがドラマで榊原郁恵と共演、キョンキョンが榊原郁恵と同じ出身地、
ちえみが榊原郁恵のファンでスカウトキャラバンの後輩と、みんな榊原郁恵と関係がありました。
[87] 名前:名無しさん :2019/10/13 (日) 00:26:26 No.3417
3417.jpg (490KB)
BOMBの83年6月号の、1ページ目です。
キョンキョンがショートカットにした後、ちえみも夏に向かってショートカットにしました。

(86の続き)
「スポーツは何をやらせても得意でしたね。」と言うちえみが、
ドジでノロマな亀の役を演るのは皮肉な話ですが、「おっちょこちょいなところがあって、
何かやる時に見当はずれな事をしても、その結果が憎めないんですよね。」という部分では、
ちえみでなければ出来ない役だったと思います。
[88] 名前:名無しさん :2019/10/13 (日) 00:28:26 No.3418
3418.jpg (497KB)
BOMBの82年6月号の、24ページ目です。
スカウトキャラバンは、スター誕生と違って、予選会の時は観客がいない事が分かります。
決戦大会で、初めて大観衆の前で歌うのだから、あがるのが当たり前。
「もし優勝せんかったら、漫才師になるか。」と紳助が聞いて、
「ハイ」と答えたのが受けたのでしょう。
明るい性格のちえみらしいエピソードです。同じ関西出身なので、
後に、紳助の過去をバラすとちえみが脅すほど、仲が良くなったと思います。
[89] 名前:名無しさん :2019/10/13 (日) 00:30:28 No.3419
3419.jpg (498KB)
BOMBの82年6月号の、25ページ目です。
上京してから2ヶ月半で、ファンの集いを開くほど、早くアイドルのしてのスタートが出来ました。
スター誕生の合格からデビューまで、1年かかったキョンキョンとは好対照です。
地元の中学で、良く歌っていたからだと思います。
今もファンクラブ(親衛隊かな?)が残っているのは、デビュー前に何度もファンの集いを行い、
熱心なファンが出来たからでしょう。
[90] 名前:名無しさん :2019/10/16 (水) 23:45:19 No.3447
3447.jpg (483KB)
BOMBの83年6月号の、2〜3ページ目です。
ショートカットの妖精、ボーイッシュな妖精と書いてあります。
花の82年組6人(伊代・キョンキョン・ちえみ・秀美・優・明菜)は、
みんな聖子ちゃんカットでデビューしました。
その内、キョンキョンに習ってショートカットにしたのは、ちえみ・伊代・優です。
パリンコの3人がショートカットにしたのは分かりますが、優も仲間に入りたかったのかな。
秀美と明菜は、逆に髪を伸ばして行きました。本格的アーティストを目指していた二人と、
アイドルとしての進化を目指していた上記4人の違いなのかなと、思います。
[91] 名前:名無しさん :2019/10/16 (水) 23:48:45 No.3448
3448.jpg (495KB)
BOMBの82年6月号の、26ページ目です。
豊島園で行われたデビュー日のファンの集いの模様が載っています。
野外ステージなので、中止になるかも知れないと思いながらも、集まったファンの人達。
その熱心さに答えて、野内ステージに場所を移して行ったコンサート(ファンの集い)。
ちえみとファンの人達との絆が、ますます深くなった出来事だと思います。
[92] 名前:名無しさん :2019/10/16 (水) 23:51:40 No.3449
3449.jpg (493KB)
BOMBの82年6月号の、26ページ目です。
全国キャンペーンの様子が載っています。
キョンキョンが、「デビューが同じちえみちゃんと三田寛子ちゃんとは、
3人一緒に全国キャンペーンに回りました。」と言っていますが、それは、
ここに載っている大都市ではなく、もっと小さな地方都市のイベントや、ラジオ局回りなのでしょう。
スタッフの意見では、「どこか少年っぽい魅力のある子で、元気な妹みたい。」と言う
作詞・作曲の松宮恭子は、デビュー当時のちえみの魅力を言い当てていると思います。
「変に奇をてらった作品じゃなく、背伸びのない素直なメロディーの曲にしたんです。」
と言うキャニオンレコード宣伝部の人の言葉から、
アイドルの王道を歩ませようとする意図が感じられます。
[93] 名前:名無しさん :2019/10/16 (水) 23:54:27 No.3450
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↑92の訂正:26ページ目→27ページ目

BOMBの83年6月号の、4ページ目です。
プロフィールに書いてある、新宿コマの「ちえみちゃん祭り」は、
70年代の「百恵ちゃん祭り」を継承したコンサートでした。
山口百恵の引退コンサートのラストで、ステージに置いたマイ・マイクも、堀ちえみが継承しました。
デビューして少し経ってからと言っていたので、この頃かも知れません。
[94] 名前:名無しさん :2019/10/16 (水) 23:57:12 No.3451
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BOMBの82年6月号に戻って、28ページ目です。
ちえみのドジ・イタズラ体験を、イラストで紹介しています。
何で車の中ではなく、満員電車なのか?
きっと車だと渋滞に巻き込まれるので、忙しいちえみは、満員電車の中で食事していたのでしょう。
[95] 名前:名無しさん :2019/10/26 (土) 00:03:21 No.3466
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BOMBの82年6月号の、29ページ目です。
ドアと間違えられたスタッフの人は、めちゃんこ体格が良かったのでしょう。
スタッフがいたずらの対象にされるのは、忙しいアイドルのストレス解消の手段なので、
売れている証拠だと思って、我慢していたと思います。
ねむり魔ちえみの、車・階段・トイレと、何処でも寝られる特技がエスカレートし、
「スチュワーデス物語」では、本番中に背中から映っている時、立ったまま寝ていたそうです。
[96] 名前:名無しさん :2019/10/26 (土) 00:06:36 No.3467
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BOMBの83年12月号の、1ページ目です。
「スチュワーデス物語」が放送されて、話題が沸騰し始めた頃です。
[97] 名前:名無しさん :2019/10/26 (土) 00:17:15 No.3468
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BOMBの82年6月号の、30ページ目です。めちゃんこQ&A(その1)です。
「ちえみは歌ってなくても歌ってるような女の子だから、さらに歌え」岩本先生の名言ですね。
2005年頃、久しぶりのライブを行うので、練習を兼ねて子供の前で歌っていました。
ミニ・ライブと称しならら、90分も歌いまくるちえみママに付き合っていたのは、
当時5歳ぐらいの末娘のみ。上の男の子4人は、付き合いきれず、呆れていたそうです。
これだけコケていても、大ケガしなかったのが、不思議です。よほど強運の持ち主なのでしょう。
小6の時の、「うるさいから立ってろ」→「廊下にたってろ」→「下駄箱で立ってろ」
→「職員室で立ってろ」。それでもめげずに、喋るちえみのガッツ?は、さすがです。
[98] 名前:名無しさん :2019/10/26 (土) 00:19:00 No.3469
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BOMBの82年6月号の、4〜5ページ目です。
今度生まれ変わるとしたら、絶対に女の子。キョンキョンは、男の子と言っていたので正反対です。
何度も出演している徹子の部屋の、黒柳徹子も女の子と言っていました。
その徹子の部屋に、3回目の結婚をする直前に出演した時は、
それまでの2回の結婚相手とは違い、両親も大賛成してくれたと言っていました。
「好きな人につくしたい」タイプのちえみなので、子供も成長してきた今度こそ、
旦那さんにつくしているのでしょう。
[99] 名前:名無しさん :2019/10/26 (土) 00:28:30 No.3470
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BOMBの82年6月号の、31ページ目です。めちゃんこQ&A(その2)です。
「ズバリ当てましょう」懐かしいです。調べたら、ちえみのデビュー当時の82年3月27日が、
最終回でした。最後あたりの回に出て、欲しいステレオが当たるとは、やがり強運の持ち主です。
ビデオは、この頃から急激に安くなっていったので、多分買ったでしょうが、上手く予約録画
出来たのかな。ママドルになってから、家電製品に弱く、番組表予約が出来ないと言っていました。
「私の場合、好きな人が出来ると、そのまま結婚まで考えちゃう。」
3度結婚したちえみだから、間違いないでしょう。
「20歳すぎたら考えてみます。」20歳の時に一度引退してから、じっくり考えたのでしょう。
二度離婚しても、再々婚したちえみは、76・77で書いた「極上空間」で、
同じく二度離婚した石野真子に、再々婚を勧めていました。
[100] 名前:名無しさん :2019/10/31 (木) 00:09:29 No.3485
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BOMBの82年6月号の、8ページ目です。
ミニスカートを履いているカットです。キョンキョンと、サリーちゃん足仲間として、
お互いになぐさめあっていると言っていた頃でしょうか。
モモから足首まで太さが変わらないのが、サリーちゃん足ですが、
さすがに足首は細くなっています。モモからふくらはぎまで太さがあまり変わらないのが、
自称サリーちゃん足と言っている所以でしょう。

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