石川秀美3
[1]
名前:名無しさん
:2019/12/09 (月) 01:47:03 No.3657
[79]
名前:名無しさん
:2022/02/11 (金) 00:54:42 No.7846
[80]
名前:名無しさん
:2022/02/11 (金) 00:59:04 No.7847
[81]
名前:名無しさん
:2022/02/26 (土) 15:32:06 No.7938
月刊明星の82年5月号には、事務所の先輩アイドルをおんぶするという、
変なコーナーが載っています。これまで先輩アイドルが、事務所を支えてきたので、
これからは、新人アイドルが事務所を支えて(おんぶして)行けよ。という意味でしょうか。
確かに82年組は粒ぞろいだったので、実際に事務所を支える存在になる人が、多くいました。
秀美の事務所は、83年におんぶされている西城秀樹が独立しましたが、
秀美が、河合奈保子と共に、事務所を支える存在になりました。
おんぶされているのが男性なのは、沖田浩之(おんぶしているのは三田寛子)と、
西城秀樹だけです。沖田浩之は軽そうなので、身長が高く、重そうな西城秀樹を
おんぶしている秀美は、さすがスポーツ万能で、体を鍛えている感じがします。
[82]
名前:名無しさん
:2022/03/14 (月) 23:22:00 No.8034
月刊平凡の82年6月号の、1ページ目の下です。
スポーツ・ウーマンだった秀美は、芸能人運動会でも活躍していました。
100m競争でも、優勝の常連だったのでしょう。
この前、テレビで86年正月用に85年秋に収録された、レコード会社対抗運動会が写っていて、
その100m競争では、スローモーションで判る僅差の2位だったのに、
1位の国生さゆりが無視され、当然の如く秀美が1位になっていました。
ゲストで出演していた国生さゆりも、この頃は無名なので、誰も私の1位は見たくないだろう。
と、言っていました。国生さゆりは強気なイメージでしたが、
意外に自分に立場が分かっていると、思いました。
[83]
名前:名無しさん
:2022/03/31 (木) 20:49:31 No.8115
月刊平凡の82年6月号の、2ページ目です。
「秀美が帰ってくると、家の中がパッと明るくなるから不思議。」とお母さん。
そのぐらいのオーラがないと、競争の激しい82年組新人の中で、生き残る事は出来ません。
「どうしても私の側にいると甘えちゃうから、独立させて、みんなに鍛えてもらった方が、
本人の将来のためにいいんでしょうね。」まだ幼く見える娘を、
東京に送るのを反対する親が多い中、秀美のお母さんの考え方は、立派だと思います。
夫を交通事故で亡くし、女手ひとつで育てたので、将来を見越した考え方が出来るのでしょう。
3歳年上のお姉さんも、立派です。婦人警官になる事は、知っていましたが、
「お父さんを死亡させた交通事故を、少しでも無くすため。」
という理由なのは、初めて知りました。
[84]
名前:名無しさん
:2022/04/17 (日) 03:13:54 No.8190
月刊平凡の82年6月号の、3ページ目です。
スポーツ万能の秀美は、中学でもバスケット部のレギュラーでした。
瀬戸市内でも、1、2位を争う強豪チームのバスケット部だったので、
スポーツ万能にもなるのでしょう。事務所の大先輩の西城秀樹の後を継ぐように、
芸能人運動会では、毎回、大活躍しました。
酒井法子は、中学のソフトボール部で、福岡の県大会2位の強豪チームのレギュラー、
浅香唯も、中学の時は、バレーボールやバドミントンで大活躍しましたが、
スポーツ万能と言われませんでした。80年代終盤には、芸能人運動会が衰退し、
芸能人水泳大会ですら、女の子だけの、水着を見せる大会みたいになっていたからでしょう。
[85]
名前:名無しさん
:2022/05/04 (水) 20:42:19 No.8271
月刊明星の82年6月号の、1ページ目です。
現在、ハワイ在住の秀美が、初めてハワイに行った時の記事&グラビアです。
この頃は、まさか将来、ハワイに住む事になるなんて、思ってもいなかった事でしょう。
英語が苦手で、悪戦苦闘した事が、書いてあります。
秀美と優は、デビュー日が同じという事もあり、デビュー当時から仲が良かったので、
英語を優から習っていたかも知れません。それにしても、スポーツ万能で、
色白で、脚が太い(本人曰く)秀美と、実はスポーツが苦手で、色黒で、脚が細い優が、
親友になるのは、自分とは正反対の部分があったからでしょう。
性格も、細かい気遣いが出来る秀美と、オープンな性格の優は、正反対です。
[86]
名前:名無しさん
:2022/05/21 (土) 06:56:44 No.8353
月刊明星の82年6月号の、2ページ目です。
(1ページ目の続き)
「3日間CMの撮影をして、1日お休みをもらいました。」
これが伝説の、アイドルの海外ロケにおける1日休暇ですね。
忙しいアイドルにとって、この休暇が、唯一のホッとする時間になりました。
海外だから、人の目を気にする事なく休めるので、評判が良く、恒例になったのでしょう。
80年代のトップアイドルは、CM撮影を海外ロケで行う事が多かったので、
最近、早見優がテレビに出て、「90年代に入ってCM撮影に行ったら、日本のスタジオだった。
どういう事? これが、バブルが弾けた影響なのね。」と、言っていました。
[87]
名前:名無しさん
:2022/06/06 (月) 20:59:36 No.8428
近代映画の82年6月号から、2ページ目を先に載せます。
構図からいって、その方がいいからです。
満面の笑みの表情には、デビュー時(6月号は、4月21日発売で、秀美のデビュー日と同じ)
の素朴な一面が、良く出ています。
[88]
名前:名無しさん
:2022/06/23 (木) 16:29:07 No.8511
近代映画の82年6月号の、1ページ目です。
2ページ目と繋がります。
食欲モリモリ体重増加と書いてあるように、デビュー当時の秀美は、まん丸の顔でした。
トップアイドルとなり、仕事が多岐にわたって忙しくなるにつれて、
顔が卵型になり、20歳以降は、面長の顔に変遷していきました。
[89]
名前:名無しさん
:2022/07/08 (金) 21:05:26 No.8585
近代映画の82年6月号の、3ページ目です。
デビュー時が、一番食欲旺盛で、体重も増加したところは、
同期で、同じ誕生日(1学年上)の、中森明菜と、似ています。
[90]
名前:名無しさん
:2022/07/23 (土) 21:41:43 No.8656
近代映画の82年6月号の、4ページ目です。
西城秀樹・岩崎宏美・河合奈保子と、先輩のトップアイドルが揃っている事務所に入った
秀美は、恵まれています。同期のアイドルは、一の宮はじめの弟子だった三浦了の振り付けが
多かったですが、秀美は、西条満の振り付けでした。大先輩にあたる西城秀樹は、
一の宮はじめの振り付けからブレイクいたので、同じく一の宮はじめか、弟子の三浦了かと
思っていましたが、違いましたね。
同期のアイドルの中で、一番振り付けが激しかったのが、秀美です。西条満が、
スポーツ万能の秀美なら、激しい振り付けにも、ついていけると判断したからでしょう。
[91]
名前:名無しさん
:2022/08/08 (月) 12:34:21 No.8727
↑90の訂正:一の宮はじめの弟子だった三浦了→西条満の弟子だった三浦了 でした。
同期のアイドルは、弟子の振り付け。秀美は本家の振り付けでした。
月刊平凡の82年7月号の、1ページ目です。
青春アイドルというイメージを前面に出していたのが、70年代では、桜田淳子と岡田奈々、
80年代では、秀美と菊池桃子でした。秀美には、スポーツ万能、健康美という
アピールポイントがあるので、忘れがちですが、何事にも一生懸命、全力で取り組む姿勢が、
桜田淳子と似ている感じがしました。そのまんま東が、桜田淳子と似ている。と言っていたのは、
青春アイドルというイメージだった事に、気づきました。
当時は、歌声の事と勘違いして、全然似ていないと思ったのですが。
ちなみに、岡田奈々と菊池桃子は、知的で大人しいイメージが、似ているのかも知れません。
[92]
名前:名無しさん
:2022/08/23 (火) 20:47:58 No.8797
月刊平凡の82年7月号の、2ページ目です。
仕事に慣れてきて、明るさを取り戻した秀美の様子を、犬との仮想会話の形で、
書いてあるのが、面白いです。東京の地理はすっかり分かると言いながら、
実は、テレビ局周辺しか分からないのでしょう。でも、気が強い秀美は、
分からない多摩川を、犬に案内されるように、案内しています。
[93]
名前:名無しさん
:2022/09/09 (金) 20:03:25 No.8856
月刊平凡の82年7月号の、3ページ目です。
お母さんやお姉さんから離れて、寂しくなった秀美が、メス犬のチコちゃんと、
楽しい会話(という設定)をしている文章が、いいですね。
[94]
名前:名無しさん
:2022/09/26 (月) 23:46:12 No.8921
月刊平凡の82年7月号から、口絵の定期入れポートです。
[95]
名前:名無しさん
:2022/10/13 (木) 12:16:19 No.8990
月刊明星の82年7月号の、1ページ目です。
デビュー当時は、明大付属中野高校夜間部に通えている事が、分かります。
PM5:30から学校なので、事務所が、夜の仕事をあまり入れていなかったのでしょう。
二年前には、事務所の先輩の河合奈保子が住んでいた、事務所専務の家に下宿しています。
奥さんから、「歌手は体力が大事よ。」と言われ、奈保子並みの大量の食事を食べていましたが、
太らなかったのは、スポーツ万能の秀美が、良く動いていたからでしょう。
デビュー日に立てた5つの誓いが、面白いですね。
@太ももを細くする事は、細くならなくて良かったです。
Aこれは、いつもニコニコの奈保子先輩を見習って、良く頑張りました。
B日記は、忙し過ぎて挫折。当時の人気アイドルなら、当然です。
Cベストテン番組に出る事。翌年から常連になりました。今年の新人賞レースは厳しそうです。
と、本人が自覚していました。その後みんなで切磋琢磨して、ステップアップして行きました。
[96]
名前:名無しさん
:2022/10/30 (日) 10:55:43 No.9061
月刊明星の82年7月号の、2ページ目です。(左側は、違う人なのでカット)
秀美の特技の2番目に書いてある「料理」。同期アイドルの中でも、秀美の料理好きは有名らしく、
後にママになってから、伊代と優を呼んで、料理教室を開いたそうです。
また、キョンキョンが「はなまるマーケット」に出た時は、薬丸と秀美の結婚について聞かれ、
「秀美ちゃんは、ホントに家庭的な人なので、結婚は当然と思った。薬丸君の見る目は確かだし、
私が男だったら、結婚したいタイプでした。」と、語っていました。
[97]
名前:名無しさん
:2022/11/15 (火) 15:29:45 No.9122
月刊平凡の82年8月号の、1ページ目です。
ビキニにならなかったのは、海が苦手なだけじゃなく、水着姿を見せるのが恥ずかしいので、
頑張ってワンピースだったからなんですね。
あきらめの気持ちも強いワンピースでも、これだけ似合います。
[98]
名前:名無しさん
:2022/12/01 (木) 22:17:43 No.9187
月刊平凡の82年8月号の、2ページ目です。
初水着と書いていますが、85で着ているので、月刊平凡としては初水着という意味でしょう。