↑11の訂正:本編の5ページ目の上→6ページ目の上
ビッグアイドル・オンパレード(近代映画社)から、本編の5ページ目です。
文章に書いてある、ステージから転落して入院したのは、「スマイル・フォー・ミー」が
大ヒットし、新曲「ムーンライト・キッス」がリリースされて1か月後の、
81年10月の事です。大ヒット曲が出た後、転落事故で入院したというアクシデントは、
7年半前(74年春)の、麻丘めぐみの事を、連想してしまいました。
麻丘めぐみの場合は、スタッフの焦りから、直ぐに復帰させようとして、
怪我が更に悪化して、復帰まで6か月もかかってしまいました。
その間、前年デビューした山口百恵・桜田淳子が、人気上昇し、
麻丘めぐみは、人気アイドルの座から落ちてしまう事になります。
河合奈保子とそのスタッフは、麻丘めぐみの事故後の処理の教訓を活かし、
大事な時期であるからこそ、2か月間怪我の回復に専念させるという処置を取りました。
人気絶頂期に2か月間休養させるというのは、勇気ある決断だったと思います。
その優秀なスタッフに感謝したのか、復帰の新曲「ラブレター」では、
奈保子が一生懸命歌唱し、楽曲の良さもあって、素晴らしい曲になりました。
もし麻丘めぐみと同様、復帰まで6か月もかかっていたら、花の82年組の
デビューラッシュ時と重なってしまっていたので、奈保子のその後の活躍に、
影響があったかも知れません。