小泉今日子7
[1]
名前:名無しさん
:2022/02/09 (水) 23:36:30 No.7839
[31]
名前:名無しさん
:2022/03/05 (土) 18:03:31 No.7975

デラックスマガジンの84年7月号の、ピンナップ表です。
10万人を動員した夏のコンサートツアーのスケジュールが載っています。
刈り上げカットのキョンキョンが、素顔に近いナチュラルメイクで、珍しく澄ました表情を
していて、整った顔立ちや大きな瞳に、うっとりしてしまいます。
ビデオ「Timeless World」でも、澄ました表情を見せていますが、紫のアイシャドーを
入れています。自分で、派手なメイクをして楽しむ事が好きな頃のキョンキョンでした。
[32]
名前:名無しさん
:2022/03/05 (土) 18:05:33 No.7976

デラックスマガジンの84年7月号の、ピンナップ裏です。
こちらは刈り上げカットの定番の、爽やかで可愛いキョンキョンスマイルです。
アイドル全盛期のキョンキョンは、刈り上げカットのイメージが強いですが、
実際は、「渚のはいから人魚」「迷宮のアンドローラ」を歌っていた半年間ぐらいしか、
刈り上げカットはしていませんでした。次の「ヤマトナデシコ七変化」の頃から、
少しずつ髪を伸ばし始めています。
キョンキョンの影響で、他のアイドルも聖子ちゃんカットからショートカットに
変更していった頃であり、皆と同じになる事を嫌ったキョンキョンらしい髪型の変更です。
[33]
名前:名無しさん
:2022/03/05 (土) 18:08:29 No.7977

BOMBの84年8月号から、スターご近所情報のコーナーです。
バースディパーティは、19歳までしか行っていないので、
ファンにとっては貴重なパーティーでした。
20歳になる時、誕生日プレゼントに何が欲しい?と事務の人に聞かれ、
休みが欲しいと答えたキョンキョン。それ以来、誕生日を休日にしてもらい、
アイドルとしてのキョンキョンを俯瞰で眺めている小泉今日子が、
アイドル・キョンキョンの心や体の痛みを分かち合い、
自らプレゼントを贈って祝う日になりました。
[34]
名前:名無しさん
:2022/03/09 (水) 20:43:33 No.7992

DUNKの84年8月号から、「迷宮のアンドローラ」誕生に至る記事です。
80年代のキョンキョンのシングルで、最大のヒットとなった9th「迷宮のアンドローラ」は、
長嶋茂雄と長岡秀星(アース・ウインド&ファイアー等のジャケットイラストで有名)
とのコラボで生まれました。それまで「艶姿ナミダ娘」「渚のはいから人魚」と、
企画っぽい歌を歌っていたキョンキョンは、この曲を聞いた時、
「やっと真面な歌が歌える」と感激したそうです。
この曲が収録されているビデオ「タイムレス・ワールド」のメイキング部分で、
長嶋茂雄と初対面したキョンキョンは、チョー緊張したそうです。
「微笑物語」の中でも、ダンゼン巨人ファンと言っているから、当然なのでしょう。
[35]
名前:名無しさん
:2022/03/09 (水) 20:46:12 No.7993

DUNKの84年8月号から、素人が撮った写真です。
この頃(アイドル人気絶頂期)は、胸元を素人にフォーカスされるだけでなく、
群がるファンの群れを抜ける時に、胸を触られていたそうです。
他にも、電車の中でお尻を触られたり、暗闇で露出魔に出会ったり、
卑劣な事を体験していました。(パンダのアンアンより)
[36]
名前:名無しさん
:2022/03/09 (水) 20:56:53 No.7994

DUNKの84年9月号には、第一図鑑に4ページのLP特集が載っています。
その1〜2ページ目です。松本隆・筒美京平のゴールデンコンビは、
「迷宮のアンドローラ」が初めてのシングルで、他に「魔女」や
「水のルージュ」があります。筒美京平は、70年代のレコード大賞を除き、
マスコミにあまり姿を見せませんが、このページでは珍しく載っています。
70年代は、筒美京平以外にも、アイドルのヒットメーカーとして、都倉俊一や森田公一等が
いましたが、80年代になってからは筒美京平一色になった感じです。70年代は編曲もした
筒美京平ですが、80年代は膨大な数の作曲をこなすため、作曲に専念しました。
筒美京平が、キョンキョンのシングルに初参加したのは、
キョンキョンがブレイクするきっかけになった「真っ赤な女の子」です。
しかし、大ヒットした「艶姿ナミダ娘」や、「渚のはいから人魚」が馬飼野康二の作曲
だったので、満を持して「迷宮のアンドローラ」を作曲したと思います。
80年代にキョンキョンのシングルを8曲も作曲した筒美京平ですが、
キョンキョンが自己プロデュースするようになってから、担当しなくなりました。
95年、久しぶりに筒美京平が作曲したシングル「BEAUTIFUL GIRLS」に、
小泉今日子自身が作詞する事になり、とても緊張したと、テレビで言っていました。
[37]
名前:名無しさん
:2022/03/09 (水) 21:09:33 No.7995

DUNKの84年9月号の、第一図鑑の3ページ目です。
キョンキョンの1stアルバムは、オリコンチャートで2位になりました。
同期では、中森明菜でさえ、1stアルバムは5位止まりでした。
過去に、松田聖子が1stアルバムで2位になりましたが、
大ヒット中の「青い珊瑚礁」が収録されていたからです。
デビューシングル「私の16才」22位、2ndシングル「素敵なラブリーボーイ」19位が
収録されている1stアルバムが、何故2位になるほどヒットしたのでしょう。
飯田久彦制作部長が、「正直言って、今日子にどのような歌が一番似合っているのか、
自信がなかった。」と言っています。この不思議な人気に、スタッフが戸惑っている事が、
分かります。当時の歌謡ポップスっぽいシングル路線だけでは表現出来ない
キョンキョンの魅力が、1stアルバムに詰まっていたのでしょう。
強豪ひしめく82年組は、それぞれ自分の個性を出そうと必死でした。
そんな中、オーソドックスで口ずさみやすい曲が中心の1stアルバムが、
まだ色がついていない初期のキョンキョンにピッタリだったのでしょう。
「素敵なラブリーボーイ」で、キャンディーズのラインと言っているのは、
作曲した穂口雄右が、キャンディーズのヒット曲を多く作曲しているからです。
[38]
名前:名無しさん
:2022/03/09 (水) 21:21:15 No.7996

DUNKの84年9月号の、第一図鑑の4ページ目です。
2ndアルバム「詩色の季節」のB面企画が好評だったためか、
3rdアルバム「Breezing」では、A面をガールサイド、B面をレディサイドと分け、
4rhアルバム「Whisper」では、A面をビギナークラス、B面をミドルクラスと
分けています。しかし、全曲を筒美京平が作曲・船山基紀が編曲した
5thアルバム「Betty」は、トータルアルバムの色合いが強くなっています。
大ヒットシングル「艶姿ナミダ娘」「渚のはいから人魚」を収録して、
売上を伸ばしたいと考えるのが普通ですが、トータルアルバムの完成度を優先させるため、
シングルは収録されていません。それでも上昇気流に乗っているキョンキョンなら、
売れると判断したのでしょう。実際に、シングルを収録しなくても、
売上が落ちる事はありませんでした。
松田聖子がユーミンの曲を、河合奈保子が竹内まりやの曲を、柏原芳恵が中島みゆきの曲を、
松本伊代が尾崎亜美の曲をと、メイン作曲家をニューミュージック系のアーティストに
依頼するアイドルが増える中、キョンキョンはあくまでプロの作曲家が中心でした。
「最近思うんだ。〜」のコメントは、アイドルの歌唱力に合わせた曲作りをしない
ニューミュージック系のアーティストの曲を歌いこなした上記4人のアイドルが言うのなら
理解出来ますが、キョンキョンが言うのは?な感じです。
それだけスタート時点のキョンキョンの歌唱力が未熟だったのかも知れません。
[39]
名前:名無しさん
:2022/03/13 (日) 21:16:41 No.8021

DUNKの84年9月号には、ビデオ「Timeless World」の特集も、
7ページに渡って、載っています。その1ページ目です。
キョンキョン念願の初ビデオでは、「ラブコールをアンコール」が流れる時のシーンで、
このカットのような可愛いキョンキョンの表情が、沢山見られます。
[40]
名前:名無しさん
:2022/03/13 (日) 21:18:52 No.8022

DUNKの84年9月号の、ビデオ特集の2ページ目です。
ビデオ「Timeless World」は、ライヴビデオや新曲用のプロモーションビデオだけだった
アイドル・ビデオ界に、オリジナル・ビデオという新ジャンルを確立しました。
[41]
名前:名無しさん
:2022/03/13 (日) 21:22:50 No.8023

DUNKの84年9月号の、ビデオ特集の3ページ目です。
オープニングの「迷宮のアンドローラ」のシーンで、ロケットから上半身を出しているカットです。
6曲入ったオリジナル・ビデオの後、メイキングが収録されています。
ロケットが滝の中を通る時はその中にいて、ロケットに当たる滝の水の音が凄かったと、
メイキングの部分で言っていました。
[42]
名前:名無しさん
:2022/03/13 (日) 21:26:09 No.8024

DUNKの84年9月号の、ビデオ特集の4ページ目です。
「迷宮のアンドローラ」は、イントロがロングバージョンになっています。
このカットのような笑顔が無かったのは、「かなり不安げ」を表していたんですね。
興味深そうに周りを見ている表情に見えました。
当時のキョンキョンのキャラクターからは、「かなり不安げ」な感じには見えませんでした。
動物の世界では、本物の象に触った印象について、メイキングで興味深く語っていました。
[43]
名前:名無しさん
:2022/03/13 (日) 21:30:11 No.8025

DUNKの84年9月号の、ビデオ特集の5ページ目です。
「ラブコールをアンコール」は、間奏がロングバージョンになっています。
可愛いキョンキョンの表情が、たっぷり見られるミクロの世界です。
機械の国では、「夜風にコールミー 素肌にコールガール」が流れ、
天使の国では、「素敵にNight Clubbing 」が流れます。
最後の「天然色のロケット」も、ロングバージョンになっています。
大昔のサイレント映画に出てくる月をバックに、キョンキョンが楽しそうに踊る、
このビデオで1番好きなシーンです。
[44]
名前:名無しさん
:2022/03/17 (木) 22:28:46 No.8042

DUNKの84年9月号の、ビデオ特集の6ページ目です。
インタビュアーが、「去年の秋頃から、自分のビデオを作りたいって、言ってたもんな。」
と言っています。DUNKが創刊される半年以上前の事なので、
このインタビュアーは、その前から集英社でコイズミ番をしていたのでしょう。
「居眠り姫のわたしが、三日三晩、ほとんど徹夜の状態に耐えてきたんだから。」
キョンキョンは自分が夢中になれる仕事なら、ハードスケジュールは気にしません。
後にコイズミ・イン・モーションで、「ビデオ撮影で36時間仕事した後、
CM撮りに行ったら、「いい顔してるね」と言われ、私の体はどうなっているんだろう。」と
言っていましたが、このビデオの事だったのでしょう。
DVD−BOXに収録された時に、レーザーディスクより綺麗に見えたのは、
35ミリフォルムを使っているためだと分かりました。
[45]
名前:名無しさん
:2022/03/17 (木) 22:32:18 No.8043

DUNKの84年9月号の、ビデオ特集の7ページ目です。
「迷宮のアンドローラ」のシーンで、子供達が一人づつアップになるのですが、
その中に、スタン・ハンセンの子供みたいに見える子が出てきて、思わず笑ってしまいました。
右下のカットの、キョンキョンより背の高い、真ん中のの子供です。
メイキングの中で、長嶋茂雄に会って緊張したと言っているのは、
前ページ右下のアイスクリームを食べている時です。
このインタビューのラストでも言っていますが、「デートの楽しさも、
このビデオ撮影の楽しさと比べたら、負けちゃうんじゃないかな。」と言って、
メイキングを締めくくっています。
[46]
名前:名無しさん
:2022/03/17 (木) 22:40:39 No.8044

BOMBの84年12月号から、カレンダー紹介コーナーです。
BOMBは、色々なトップアイドルの巻頭大特集をしていますが、
キョンキョンだけはありません。ライバル誌DUNKのイメージガールになったのが
84年6月号からなので、82〜83年は巻頭大特集があってもいいように思うのですが。
同系列の事務所の中山美穂も、巻頭大特集はデビュー2年後だったので、
事務所の関係があるのかも知れません。
[47]
名前:名無しさん
:2022/03/18 (金) 00:01:57 No.8045

ハリコに載せた画像の再アップをしていますが、ここに再アップしていない画像は、
明和に再アップしています。85年2〜3月(4月に一部を含む)の雑誌の再アップは、
明和に、今後する予定です。
これは、平凡パンチの85年4月1日号から、素人が撮った写真です。
紅白初出場時の、有名なパンチラです。
[48]
名前:名無しさん
:2022/03/18 (金) 00:05:10 No.8046

デラックスマガジンの85年4月号の、1ページ目です。
85年のコンサートツアー「KYON2 PANIC 85」の初日の模様が、
3ページに渡って載っています。
[49]
名前:名無しさん
:2022/03/21 (月) 23:49:26 No.8061

デラックスマガジンの85年4月号の、2ページ目です。
コンサートツアー「KYON2 PANIC 85」の初日の模様です。
ファンの予想の上を行くハデハデの衣装も素晴しいですが、何といってもキョンキョンの
コンサートの醍醐味は、キョンキョンと客席との絶妙のやりとりです。
石野真子の引退記念コンサートで、ステージとファンが一体になった姿に感動し、
いつか自分もそんなコンサートを実現したいと思い、このコンサート
「KYON2 PANIC 85」で、ついに実現した感じです。
[50]
名前:名無しさん
:2022/03/21 (月) 23:52:11 No.8062

デラックスマガジンの85年4月号の、3ページ目です。
ステージとファンが一体になったコンサートが実現出来たのは、
小泉今日子が理想とするアイドル像であるキョンキョンのキャラクターが
確立していったからでしょう。最後に声をつまらせてナミダ娘になったのも、
理想が実現した感激の現れだと思います。
後に、荻野目洋子・南野陽子・工藤静香といった後輩アイドルも、
キョンキョンのコンサートを見に行き、参考にしていました。
[51]
名前:名無しさん
:2022/03/21 (月) 23:59:55 No.8063

DUNKの85年5月号から、3つ折りピンナップです。
シングル「常夏娘」と、両A面となる「哀愁小町」の歌詞が載っています。
「常夏娘」を最初聞いた時は、同じ厚木出身の先輩、
榊原郁恵が歌いそうな曲だいう印象がありました。
既にシングル候補曲として「魔女」が用意され、キョンキョン自身も気に入っていましたが、
当時の事務所の社長が強引に「常夏娘」に変えたので、文句を言ったそうです。
(90年頃のFM番組「コイズミ・イン・モーション」で、告白。)
[52]
名前:名無しさん
:2022/03/22 (火) 00:01:42 No.8064

DUNKの85年6月号の表紙です。
創刊1周年記念号として、創刊号と同様に、表紙・ピンアップ合わせて
18ページのキョンキョンの特集が、載っています。
[53]
名前:名無しさん
:2022/03/22 (火) 00:04:14 No.8065

DUNKの85年6月号から、3つ折りピンナップ(裏)です。
DUNKの3つ折りピンナップ(裏)は、プレゼントコーナーになっていました。
[54]
名前:名無しさん
:2022/03/26 (土) 08:47:04 No.8080

DUNKの85年6月号の、1ページ目です。
20年代風ファッションのキョンキョンです。
60年代ファッションはキョンキョンは大好きで、良く着ていますすが、
20年代風ファッションは珍しいです。既に2020年代になっているので、
20年代風と言っても、1920年と書かないと、分からなくなりますね。
[55]
名前:名無しさん
:2022/03/26 (土) 08:50:12 No.8081

DUNKの85年6月号の、2〜3ページ目です。
これも20年代風(1920年代風)ファッションのキョンキョンです。
「花迷宮・昭和異人館の女たち 」という戦前?を舞台にした久世ドラマで、
24歳の頃、こんな髪型をしていました。
[56]
名前:名無しさん
:2022/03/26 (土) 08:51:27 No.8082

DUNKの85年6月号の、4ページ目です。
大好きな60年代ファッションです。
「自信を持って勝負出来るのは、素顔のフツーの小泉しかないの。」
自分の気持ちに素直になれるファッションの時、小泉は輝いて見えます。
[57]
名前:名無しさん
:2022/03/26 (土) 08:58:33 No.8083

DUNKの85年6月号の、5ページ目です。
60年代ファッションが好きな理由について、私は1966年にこの世に誕生した。
そのせいか、1960年代って、私の憧れの時代。ファッションとか、家具とか、
アクセサリーとか、映画とか、流行とか、とにかく全部カッコイイ。
ヘア&メイクさんが、60年代風アイラインを引いてくれた瞬間、
私はタイムマシーンに乗ったみたいに60年代にトランスしてしまう。
私の頭の中は、60年代でいっぱいになって、心だけいろんな所に飛んでいってしまう。
と、パンダのアンアンで言っていました。
アイドル界に革命を起こしたコイズミが、カウンターカルチャーか流行った60年代を、
無意識に好きになっている感じが伝わる文章です。
[58]
名前:名無しさん
:2022/03/26 (土) 09:01:30 No.8084

DUNKの85年6月号の、6〜7ページ目です。
デビュー当時、電話魔だったキョンキョンの、電話をかけている姿です。
次ページのインタビューで言っているように、スッピンです。
[59]
名前:名無しさん
:2022/03/30 (水) 13:00:57 No.8102

DUNKの85年6月号の、8ページ目です。
キョンキョンのインタビューが面白いのは、本人が大好きで、ノリノリで喋っているからでしょう。
後には、インタビューされる事によって、自分の考えが整理されるからと、言っていました。
17歳になったばかりの時の手記では、「早く大人になりた〜い」と言っていましたが、
19歳になると、その願望が背伸びに見えない事を、
客観的に見つめる小泉今日子が判断したのでしょう。
デビュー曲「私の16才」を素直に受け入れられるほど、性格が丸くなったのは、
小泉今日子が目標としている理想のアイドル像であるキョンキョン像が、
達成されつつあるからだと思います。
残るは、コンサートが大好きなのに歌が下手なのがつらい事でしたが、
コンサートを重ねる度に、歌も上手くなって行きました。
[60]
名前:名無しさん
:2022/03/30 (水) 13:03:13 No.8103

DUNKの85年6月号の、9ページ目です。
ロックが大好きなキョンキョンは、この後すぐにKYN2名義の12インチシングル
「ハートブレイカー」をリリースし、テレビで歌う時は、別人格を演じていました。
親友のさちよが、キョンキョンのファンクラブを取りまとめていた事は知っていましたが、
この頃一緒に住んでいた事は、このインタビューを読んで初めて知りました。
「でもあたしって、クールだから、恋をしても仕事は仕事、恋は恋って、割り切っちゃう。」
永瀬正敏と離婚した1年半後、さんまのまんまに出演した時も、
離婚した理由について、「クールなんだ。燃えるような恋してないでしょ。」
とさんまに突っ込まれ、そうかもしれないと言っていました。
[61]
名前:名無しさん
:2022/03/30 (水) 13:04:19 No.8104

DUNKの85年6月号の、10〜11ページ目です。
「50ccでダイコン買いにって」と明るく言っているキョンキョンですが、
殺人的スケジュールの中、普通人のような生活をするには、
かなりの努力が必要だったと、後で語っています。
[62]
名前:名無しさん
:2022/03/30 (水) 13:09:20 No.8105

DUNKの85年6月号に戻って、12ページ目です。
「KYON2 PANIC 85」のレポートです。
「歌がぐーんとうまくなった。」
キョンキョンは、「アイドルの歌は、上手い・下手ではなく、歌うアイドルの個性が出ている事が
重要。」が持論で、発声練習が大事とレコーディングディレクターに言われても、
積極的にはレッスンしませんでした。
しかしここでは珍しく、「歌のレッスンなんか柄にもなくやっちゃおー」と言っています。
59に載せた8ページ目のインタビューで、
「歌、ヘタなのがつらい。」と言っているからでしょう。
[63]
名前:名無しさん
:2022/03/30 (水) 13:10:28 No.8106

DUNKの85年6月号の、13ページ目です。
「KYON2 PANIC 85」における、コイズミらしいハデハデの衣装です。
[64]
名前:名無しさん
:2022/04/03 (日) 19:02:05 No.8125

DUNKの85年6月号の、14ページ目です。
「KYON2 PANIC 85」で着た、色々な衣装のカットです。
サイコロ帽子も、コイズミらしい奇抜なアイデアです。
太もも筋の所で書いてあるように、ステージ上で駆け回っていました。
[65]
名前:名無しさん
:2022/04/03 (日) 19:07:06 No.8126

DUNKの85年6月号の、15ページ目です。
「最近は女の子のお客さんが、ぐおーんと増えて、ホントうれしい」
84年に、ananに初登場したのが、女の子のファンが増えたきっかけですが、
女の子の目線が気になるようになり、やがてファッションリーダー的存在になります。
この頃、親友の幸代は、着替えの手伝いもしていました。
そんな二人の仲の良さに対し、「芸能人にくっついて仕事している」と、
中学時代のクラスメートに揶揄され、かつてのクラスメートにまで、芸能人扱いされて
寂しかったと、コイズミ・イン・モーションで言っていました。
[66]
名前:名無しさん
:2022/04/03 (日) 19:14:12 No.8127

GOROの85年6月12日号に載っていた、ビクターの広告の1ページ目です。
CBSソニー(松田聖子)、ビクター音産(小泉今日子)、ワーナーパイオニア(中森明菜)は、
親会社(SONY・JVC・Pioneer)がAV機器を作っていたので、
80年代を代表する3大アイドルが、各親会社のCMを担当していました。
[67]
名前:名無しさん
:2022/04/03 (日) 19:16:57 No.8128

GOROの85年6月12日号に載っていた、ビクターの広告の2ページ目です。
コンポにレコードプレイヤーが付いていますが、CDプレイヤーに置き換えるタイプもあります。
アルバムはCDに置き換えられつつある頃ですが、シングルはまだレコードしか無かった時代です。
[68]
名前:名無しさん
:2022/04/03 (日) 19:27:50 No.8129

写真少年の85年4月号から、素人が撮った写真の右上です。
スッピンが好きだった人は、菊池桃子へ流れて行ったのかな?
[69]
名前:名無しさん
:2022/04/07 (木) 21:51:49 No.8144

写真少年の85年4月号から、素人が撮った写真の右中央です。
この頃は、髪が少し伸び始めていたので、美容院に行っていますが、
刈り上げカットの時は、持参のバリカンを使って、毎日のようにカットしていたそうです。
[70]
名前:名無しさん
:2022/04/07 (木) 21:53:44 No.8145

写真少年の85年4月号から、素人が撮った写真の右下です。
美容院で、髪をカット中のキョンキョン、珍しい写真です。
長く伸びた髪をバッサリ切った時の様子を、アンアンで公開した事はありましたが。
[71]
名前:名無しさん
:2022/04/07 (木) 21:55:09 No.8146

写真少年の85年4月号から、素人が撮った写真の左上です。
野外ステージのキョンキョン、開放感一杯で似合っています。
特に刈り上げカットの頃は、文章のように輝いています。
[72]
名前:名無しさん
:2022/04/07 (木) 21:57:37 No.8147

写真少年の85年4月号から、素人が撮った写真の左下です。
メイクを落とさなかったのは、次の仕事場へ向かうからでしょう。
[73]
名前:名無しさん
:2022/04/07 (木) 22:07:12 No.8148

投稿写真の85年7月号から、素人の撮った写真の、1ページ目です。
仕事に向かう時の普段着です。視力はいいので、変装用のメガネでしょう。
さすがに待ち伏せするファンがいるコンサートに出かける時は、
変装用のメガネをしていた事が判ります。如何にも変装というサングラスではなく、
大きいメガネなのが、キョンキョンらしいです。
当時は、アラレちゃんメガネが人気で、明菜も愛用していました。
[74]
名前:名無しさん
:2022/04/12 (火) 00:07:27 No.8163

投稿写真の85年7月号から、素人の撮った写真の、2ページ目の右上です。
コメントは、かめら小僧を褒めていますが、スーパーアイドルのキョンキョンが、
こんな暗い場所でも、カメラ目線で撮らせてくれるサービス精神の方を褒めて欲しい。
[75]
名前:名無しさん
:2022/04/12 (火) 00:12:34 No.8164

投稿写真の85年7月号から、素人の撮った写真の、2ページ目の右下です。
顔のアップが、決まってます。
顔の輪郭は卵型なのに、鼻や顎が鋭角的に突き出ている点がアクセントとなって、
他のアイドルにはないキョンキョンらしさを感じさせる表情をしています。
[76]
名前:名無しさん
:2022/04/12 (火) 00:14:20 No.8165

投稿写真の85年7月号から、素人の撮った写真の、2ページ目の左上です。
コメントの、「コイズミ」という呼び方は、キョンキョンが自分の事を言う時に、
使っていましたが、トンガったイメージが定着するにつれて、
ファンもコイズミと言うようになりました。
[77]
名前:名無しさん
:2022/04/12 (火) 00:18:33 No.8166

投稿写真の85年7月号から、素人の撮った写真の、2ページ目の左下です。
(76の続き)
「コイズミ」という呼び方の由来は、中学の頃、矢沢永吉が「YAZAWA」と言っていたので、
友だち同士で、苗字で呼び合う遊びをしていた事から、来ているそうです。
[78]
名前:名無しさん
:2022/04/12 (火) 00:20:21 No.8167

投稿写真の85年7月号から、素人の撮った写真の、3ページ目です。
ステージ衣装は、どんどん過激に、奇抜になって行きました。
[79]
名前:名無しさん
:2022/04/16 (土) 00:38:28 No.8182

熱写ボーイの85年7月号から、素人が撮った写真の1ページ目の左です。
紅白初出場の時の衣装を着て、「渚のはいから人魚」を歌っているキョンキョンです。
紅白は、素人のカメラ持参OKだったのでしょうか。
それとも入場時のチェックが甘いのでしょうか。
[80]
名前:名無しさん
:2022/04/16 (土) 00:43:51 No.8183

熱写ボーイの85年7月号から、素人が撮った写真の1ページ目の右上です。
紅白初出場時、この衣装でパンチラ全開になったのは、スカートを止めている金具が、
本番の時に壊れて、スカートを止められなかったから。と、後に話していました。