中森明菜3
[1]
名前:名無しさん
:2021/09/03 (金) 21:27:28 No.6860
[31]
名前:名無しさん
:2021/11/03 (水) 21:36:57 No.7225

アイドルデビュー伝説(1980〜82年編)から、近代映画の83年3月号の、4ページ目です。
スタ誕の特番で、山中湖に行った時の事が、書いてあります。
(「少女A」は、1位になっていません。オリコン最高位5位です。)
なお、山中湖に行った時の写真は、小泉今日子5スレの13
(
https://gakinko.net/bbs2/80nen35/img/6924.jpg)
の左下に載っています。こちらは、河口湖と書いてありますが。
同じページの右中央にも、中野美紀とのスタ誕同期3ショットが載っています。
[32]
名前:名無しさん
:2021/11/07 (日) 21:02:12 No.7247

2ndシングル「少女A」のジャケットです。
デビュー曲「スローモーション」は、テレビ出演があまり無かったので、
スローモーションなチャート・アクションでしたが、有線を中心にジワジワと
売れて行ったのでしょう。私は、「スローモーション」を聞いた時、
ニューミュージック系にアーティストが歌っていると思いました。
これに対し、「少女A」は、山口百恵や三原順子が得意としていたツッパリ歌謡路線だったので、
アイドルの曲だと判り、すぐに中森明菜の顔と曲が一致しました。
山口百恵引退直前にデビューした三原順子は、顔の雰囲気まで山口百恵にソックリで、
なおかつツッパリ歌謡路線の曲ばかり5曲連続でリリースしたので、
新鮮味が無くなり、飽きられました。
中森明菜は、ベビーフェイスの表情とツッパリ歌謡路線とのギャップ、
山口百恵の引退から2年経っている事から、山口百恵とは異なる若いファン層が付き、
トップアイドルに駆け上がったと思います。
[33]
名前:名無しさん
:2021/11/07 (日) 21:36:57 No.7248

3rdシングル「セカンド・ラブ」のジャケットです。
3枚目にして、中森明菜最大のヒット曲になりました。「少女A」のヒットから、
当然3枚目も、ツッパリ歌謡路線になるだろうというファンの期待を裏切って、
デビュー曲「スローモーション」と同じスロー・バラードにした事。
「スローモーション」がヒットしかけていたのに「少女A」をリリースし、
「スローモーション」の好きな人が、消化不良を起こしていたので、その人達の支持を集めた事。
中森明菜自身が、アイドルとして上昇気流に乗っていた事。この3要因が重なって、
中森明菜最大のヒットに繋がったと思います。
制作サイドでは、3曲目を「スローモーション」と同じ路線の「セカンド・ラブ」に
決まりかけていた時、「少女A」がヒットし始めていたので、3曲目もツッパリ歌謡路線に
しようとの動きがあり、大論争の結果、「セカンド・ラブ」に決まりました。
このジャッジは、大正解でしょう。もし、ツッパリ歌謡路線を続けていたら、
三原順子の二の舞になっていたかも知れません。
[34]
名前:名無しさん
:2021/11/12 (金) 19:30:27 No.7270

2004年12月20日発行の「ザ・ベストテン」のムック本から、
4thシングル「1/2の神話」の歌唱シーンと記事です。
次回、レコードジャケットを載せるので、その前に載せておきます。
このムック本では、「セカンドラブ」〜「ミ・アモーレ」まで、
9曲連続して歌唱シーンが載っています。
これだけ連続して載っているのは、明菜だけでしょう。
[35]
名前:名無しさん
:2021/11/12 (金) 19:41:44 No.7271

「ザ・ベストテン」のムック本から、
5thシングル「トワイライト」の歌唱シーンと記事です。
オリコンでは、薬師丸ひろ子「探偵物語」に1位を阻まれ、2位止まりでしたが、
レコード売り上げだけではなく、有線リクエスト・ラジオ番組へのリクエスト・
ザ・ベストテンへのハガキリクエストの総合順位で決まるザ・ベストテンでは、
常連の明菜が、1位に輝いています。
[36]
名前:名無しさん
:2021/11/15 (月) 10:06:54 No.7290

4thシングル「1/2の神話」のジャケットです。
先日、明菜と山口百恵と美空ひばりの再現ドラマを中心とした2時間番組を見ました。
明菜が、2ndシングル「少女A」に対して、あれほど拒否反応を起こしている事は、
初めて知りました。ディレクターは、負けず嫌いの明菜の性格を見抜いていて、
「少女A」のレコーディングを押し付けるディレクターに対する、明菜の猛烈な怒りが、
あの鋭い目つきで歌う、テレビでの歌唱に繋がったのでしょう。
(後には、どうして私はあんなに怒って歌っていたんだろう。と言っていましたが。)
「1/2の神話」は、「少女A」の延長線上にある歌なので、鋭い目つきで歌う姿が、
明菜のイメージと完全に一致し、そのカッコよさが女性から圧倒的支持を受けました。
山口百恵が、2ndシングル「青い果実」を渡された時も、こんな曲を歌わされるなんて、
と拒否反応があったそうですが、まだ14歳という事と、時代背景から、
歌わざる負えない状況に追い込まれたそうです。
[37]
名前:名無しさん
:2021/11/15 (月) 10:31:32 No.7291

5thシングル「トワイライト-夕暮れ便り-」のジャケットです。
デビュー曲「スローモーション」、3rdシングル「セカンド・ラブ」に続く、
明菜の大好きな、来生えつこ・来生たかお姉弟による作詞・作曲のバラードです。
当然、「セカンド・ラブ」・「1/2の神話」に続き、オリコン1位を取ると、
誰もが予想していたはずです。しかし結果は、「せーラー服と機関銃」から1年半後の
インターバルを空けてリリースされた、薬師丸ひろ子「探偵物語」に、1位を阻まれました。
84.1万枚ものセールスを記録した「探偵物語」が相手だったので、1位を阻まれたのも、
仕方ないでしょう。明菜はこの後も、強力な曲とぶつかって1位を取れなかった
(その曲の時に書きます)事もあり、曲のリリースの巡り合わせが悪いです。
これに対し松田聖子は、強力な曲とぶつかって1位を取れなかった事が無く、
曲のリリースの巡り合わせが良かったので、24曲連続1位という快挙を達成出来たのでしょう。
[38]
名前:名無しさん
:2021/11/19 (金) 22:37:57 No.7311

「ザ・ベストテン」のムック本から、
6thシングル「禁区」の歌唱シーンと記事です。
この曲を歌っていた頃、83年の年間ベストテンの発表があり、
前スレ46に書いたような、山田チーフと明菜のせめぎ合いがありました。
「ザ・ベストテン」のCSでの再放送は、今まで11回分ありましたが、
その内2回は、年間ベストテン(79年と80年)の発表があった回でした。
年間ベストテンの発表の回は、再放送の確率が高いので、
83年の年間ベストテンも、是非再放送して欲しいです。
「当時のせめぎ合いまで画面に見えるから」と明菜が言っている、
せめぎ合いを確認したいですね。
[39]
名前:名無しさん
:2021/11/19 (金) 22:50:42 No.7312

「ザ・ベストテン」のムック本から、
7thシングル「北ウイング」の歌唱シーンと記事です。
オリコンでは、わらべ「もしも明日が」に1位を阻まれ、この曲も2位止まりでしたが、
ザ・ベストテンでは、常連の明菜が、1位に輝いています。
文章に書いてある、「で〜〜〜」が、どこまで伸びるんだろう。と思いながら、
私も見ていた記憶があります。キョンキョンが明菜に、
「声が伸びるじゃん」と言っていたのは、素直な感想だと思いました。
[40]
名前:名無しさん
:2021/11/23 (火) 19:29:30 No.7338

6thシングル「禁句」のジャケットです。
「禁句」は、オリコン1位を取りましたが、すぐに杏里の「キャッツ・アイ」に抜かれ、
前作「トワイライト-夕暮れ便り-」は、1位を取れませんでした。
バラード路線とツッパリ路線を交互にリリースしていく戦略にも、陰りが見え始めました。
なお「禁句」の作曲は細野晴臣です。大瀧詠一の懐古番組で、細野晴臣が、
大瀧詠一は日本の音楽シーンのブライト・サイドを、私はダーク・サイトを担ってきた。
と言っていましたが、細野晴臣が、聖子やキョンキョン・伊代に提供した曲は、
ブライト・サイドにしか聞こえませんでした。明菜の「禁句」が、細野晴臣に提供曲としては、
ダーク・サイトの代表曲かも知れません。
[41]
名前:名無しさん
:2021/11/23 (火) 20:11:51 No.7339

7thシングル「北ウイング」のジャケットです。
陰りが見え始めた路線を止め、明菜が初めて自己プロデュースしたシングルです。
(作詞・作曲者の選定。曲にタイトルを付ける、等。後には衣装や振り付けも自己プロデュース)
サビ以外のメロディは、今までのバラード路線を継承しながら、キャッチーなサビ先の
曲の構成に新鮮さがあり、サビの終わりの良く伸びる声に、明菜の魅力が凝縮されています。
これだけ売れ線の曲なら1位は確実と思いましたが、「トワイライト」の時と同様、
わらべ「もしも明日が」に1位を阻まれました。97万枚も売れては、相手が強力過ぎた
と、言わざる負えません。明菜は、連続15曲、通算18曲1位を取っていますが、
強力な2曲に1位を阻まれなければ、連続20曲、通算23曲1位になっていました。
[42]
名前:名無しさん
:2021/11/27 (土) 19:23:00 No.7362

アイドルデビュー伝説(1980〜82年編)に戻って、
近代映画の83年3月号の、5ページ目です。
36で書いた2時間番組で、デビュー3か月前の、初々しいテレビ初出演の映像が流れました。
その6か月後の、中野サンプラザでの初コンサートでの、堂々たる歌いっぷりに、
大物の予感が感じられます。右下の、両手を大きく上げたカットでは、
細いウエストによって、バストの豊かさが目立ちます。
[43]
名前:名無しさん
:2021/11/27 (土) 19:34:59 No.7363

アイドルデビュー伝説(1980〜82年編)から、近代映画の83年3月号の、6ページ目です。
「レストランでジュースがこぼれて衣装がパー」
これは、自分が悪いんだら、ウエイトレスに恐縮するのは、当然です。
明菜がエライのは、まだ無名のとんえるずと一緒の楽屋だった時、
貴明が出前のラーメンを食べようとして、ゴムで止めていた上のラップを取る際に、
ラーメンのスープが飛んで、明菜の衣装にかかった事がありました。
恐縮する貴明に、明菜は、優しく「いいんですよ」と言ったそうです。
これは完全に貴明が悪いので、明菜の人柄の良さが良く分かるエピソードです。
[44]
名前:名無しさん
:2021/12/01 (水) 20:26:37 No.7385

BOMBの83年10月号から、3つ折りピンナップです。
この雑誌には、このピンナップ以外に、明菜の記事やグラビアがありません。
[45]
名前:名無しさん
:2021/12/01 (水) 20:47:33 No.7386

アクションカメラの84年2月号には、3ページの記事・グラビアが載っています。
その1ページ目です。レオタード姿から、この時期の明菜は、身体からムダな脂肪が落ち、
理想的体重である、47キロが続いていた頃だと思います。
身体が痩せても、豊満なバストは健在で、プロポーションにますます磨きがかかっています。
[46]
名前:名無しさん
:2021/12/05 (日) 21:23:15 No.7413

アイドルデビュー伝説(1980〜82年編)から、近代映画の83年3月号の、7ページ目です。
右上のゴーカートで走るカット。マッチの影響を受けて、明菜もスピード狂になった?
まあゴーカートなら、スピードにも限界がありますからね。
右中央のライブ・カット。明菜は倒れるまで歌ったそうです。嫌いだった「少女A」のヒットで、
テレビ出演が急増し、明菜の歌の上手さが一般に浸透したので、明菜の好きなスロー・バラード
「セカンド・ラブ」は、空前の大ヒット。倒れるまで歌いたくなる気持ちも、分かります。
でも、「スローモーション」「少女A」のPRをするため、全国を営業で回り、
コンサートで、倒れるまで歌えば、いくら歌の上手い明菜でも、声がかすれてくるのは、
当たり前の事です。好きな「セカンド・ラブ」なのに、自分の思い通りに歌えなくて、
一番悔しがっていたのは、明菜本人でしょう。
[47]
名前:名無しさん
:2021/12/05 (日) 21:59:15 No.7414

アクションカメラの83年5月号から、アルバムの紹介記事です。
83年3月23日リリースの3rdアルバム「ファンタジー<幻想曲>」を、紹介しています。
82年7月1日リリースの1stアルバム「プロローグ<序幕>」、
82年10月23日リリースの2ndアルバム「バリエーション<変奏曲>」に続くアルバムで、
アイドルのオリジナル・アルバムとしても、ハイペースのリリースです。
(普通は、6か月に1枚がトップアイドルとしては、標準的。)
アルバム・タイトルが、カタカナ(英語の綴りではなく)で続いているのは、
岩崎宏美が、デビューから4曲連続で、カタカナをシングのタイトルにしていたのを、
意識していたと、当時は思っていました。
ちなみに、「ファンタジー」は、岩崎宏美の4曲目のシングル・タイトルにあります。
[48]
名前:名無しさん
:2021/12/09 (木) 22:26:55 No.7437

アクションカメラの84年2月号の、2ページ目です。
ゲーノー界の年末年始は10月から始まる。いわゆる「芸能界季節」も、
今となっては、古き良き時代だったなあ。と思います。
音楽番組も、ただ歌手を沢山出して歌うだけでは、イマイチ盛り上がりに欠けるし。
「ザ・ベストテン」の年間ベストテンを、年末だけ復活させるのも、
黒い霧が入り込む余地がないので、いいと思うのですが。
花の82年組では、明菜と伊代とキョンキョンが同学年、秀美と優とちえみが1学年下です。
デビュー当時は、一番デビューが早い伊代が先輩格でしたが、83年からは明菜が姉貴格に
なったのでしょう。キョンキョンは、後輩でも同じ目線で接するタイプなので、
実は姉貴格ではなかったです。当時の明菜の事を良く知っている優やちえみが、
5年以上も表舞台に出なくなった明菜の、アイドル時代の話を、良くテレビで話しています。
[49]
名前:名無しさん
:2021/12/09 (木) 23:05:55 No.7438

アクションカメラの84年2月号の、3ページ目です。
「明菜ほど誤解されるタレントも珍しいですね。」ホントは、低姿勢で、後輩の面倒見が良く、
細かいところにも気配り出来る、良い性格です。福岡で歌番組に出演した時には、
バックで踊っていたスクール・メイツにも、差し入れを持って行ったそうです。
(当時、福岡のスクール・メイツにいた森口博子が言っていました。)
「北ウィング」のタイトルが、始めは違うタイトルだった事が書いてありますが、
「北ウイング」というタイトルを提案したのも、明菜自身です。
作曲の林哲司が、証言しています。
[50]
名前:名無しさん
:2021/12/13 (月) 21:23:17 No.7459

BOMBの83年10月号から、スターご近所情報のコーナーです。
去年の8月と書いてあるので、「少女A」のPRで全国を営業で回っていた頃です。
「少女A」がヒットし始めた頃、明菜の周りは、既に多くのファンで囲まれていた事が分かります。
既に女の子のファンもいて、投稿者もその一人でした。
[51]
名前:名無しさん
:2021/12/13 (月) 21:57:15 No.7460

MOMOCOの84年5月号から近況コーナーです。
MOMOCOでは、トップアイドルは1ページの、トップアイドル手前の人は、
3分の1の近況コーナーを、レギュラーで持っていました。
もちろん明菜は、トップアイドルなので、1ページです。
当時は、CM撮りでも、歌番組でも、グラビア撮影でも、海外ロげが当たり前だった時代。
グァムが初めてという明菜は、きっと水着グラビアの撮影が少なかったのでしょう。
海外ロケがあると、数日のロケ中、最後の1日はオフになるのが慣例でした。
毎日殺人的スケジュールを日本でこなすトップアイドルにとって、このオフが、
唯一のオアシスで、今でも語り草になっています。この時の明菜も、最後の日はオフでした。
ちなみに早見優は、バブルが弾けた後に、CM撮影を日本で行うと聞き、
なんで海外じゃないの?と、バブル気分が抜けない発言をしていたそうです。
[52]
名前:名無しさん
:2021/12/17 (金) 20:07:22 No.7482

デラックスマガジンの84年3月号の、1ページ目です。
「明菜一世」いい言葉ですね。では「明菜二世」は、誰に相当するでしょう。
荻野目洋子、本田美奈子、工藤静香あたりでは、明菜に近づく事は出来ても、
「明菜二世」と呼べるほどの迫力も、カリスマ性もありません。
80年代アイドルから「明菜二世」を探すのは無理だと思うので、明菜に負けず劣らずの
歌唱力とカリスマ性を持った、安室奈美恵が、「明菜二世」と呼べるかな?と思います。
「聖子二世」は、作品のクオリティの高さから宇多田ヒカル。「キョンキョン二世」は、
ファッションリーダーとしての一面もある浜崎あゆみ。というのは、どうでしょう。
[53]
名前:名無しさん
:2021/12/17 (金) 20:51:36 No.7483

デラックスマガジンの84年3月号の、2ページ目です。
花の82年組を中心とする他のアイドルは、ドラマや映画、歌を歌わないバラエティー、
トーク番組にも積極的に参加しましたが、明菜だけは、歌を歌えない番組への参加を拒否し、
アイドル・明菜よりも、歌手・明菜の方を大切にしました。だからこそ、
自分が歌った姿を、必ずチェックしていたのでしょう。
そんな明菜は、バラエティー番組(歌もあり)で見せる、コントやギャグの時に見せる、
楽しそうな笑顔と、歌っている時の真剣な表情とのギャップが魅力でした。
70年代では、野口五郎が、コントやギャグの表情と、歌っている時の表情の違いが、
際立った存在でした。その野口五郎が出演し歌った、明治製菓のチョコレートのCMを、
明菜が引き継いでいるのも、何かの縁かも知れません。そして野口五郎は、
明菜が憧れる山口百恵と仲が良かったです(あくまでも仕事の面で)。
[54]
名前:名無しさん
:2021/12/21 (火) 22:12:47 No.7507

MOMOCOの84年6月号から、しんちゃんのみんなの歌謡曲のコーナー(その1)です。
このコーナーは、しんちゃんのヒット予測等が書いてあって、結果が分かってから読むと、
ツッコミどころ満載です。ちなみに、しんちゃんは本田美奈子イチ押しなので、
この連載でも、本田美奈子に関する記事が多くなります。
花の82年組は、デビュー3年目なので、アイドル3年目組と言っています。
3年目組が、後に語り継がれる80年代アイドルの全盛期となったのは、予想が当たっています。
84年の後半から、伊代が脱落し始め、85年後半〜86年のおニャン子クラブの
大ブレイクの波に押し流されて、優・ちえみ・秀美が脱落して行きました。
おニャン子クラブの波を乗り越えられた、明菜とキョンキョンだけが、その後も活躍出来ました。
下の表も、詳しくは書きませんが、ツッコミどころ満載の内容です。
[55]
名前:名無しさん
:2021/12/21 (火) 22:15:30 No.7508

MOMOCOの84年6月号から、しんちゃんのみんなの歌謡曲のコーナー(その2)です。
引退劇は実質的には、キャンディーズの解散が78年、ピンクレディーの失速が79年、
山口百恵の引退と石野真子の失速が、80年です。聖子と明菜のブレイクに、
百恵の引退が関係している事は、書いてある通りです。
でも、この記事には、何故81年組ではなく、82年組だったのかの観点が抜けています。
82年組は、聖子の成功のノウハウを参考にしながら、
それぞれのアイドルが個性を競ったから、成功しました。
81年では、期間が短く、聖子の成功のウハウを吸収出来ませんでした。
[56]
名前:名無しさん
:2021/12/26 (日) 01:32:17 No.7530

シュガーの85年5月号からのカットと記事です。
「明菜って、孤立している人たちに、すごく優しいんですよ。楽屋でも、新人の女の子とか、
ポツンと一人でいる女の子に、話しかけたりして、フレンドリーなんですよ。」
つい最近も、浅香唯が新人時代に、「明菜さんに優しく接してもらった」事を、話していました。
その時、司会の人が、おニャン子の人とは違いますね。と言っていたので、いつも集団でいる
おニャン子クラブや、同期の人たち(集団でいる事が多い)には、話しにくかったのでしょう。
キョンキョンも、孤立している人たちに、声をかける事が多かったそうです。
水泳大会の楽屋で、孤立しているダンプ松本や、国生さゆり(この時は他のおニャン子は
いなかった)に、「一緒に飲もう」と声をかけていたそうです。
そんな明菜やキョンキョンだからこそ、同じスタ誕出身の後輩の、岡田有希子の自殺については、
「何かしてやれる事はなかったのか。」と後々まで後悔していました。
[57]
名前:名無しさん
:2021/12/26 (日) 02:02:28 No.7531

アクションカメラの84年5月号の、記事です。
4月下旬発売予定のシングルは、私の大好きな「サザン・ウインド」ですね。
「サザン・ウインド」については、その画像を載せる時に詳しく書きます。
去年の暮に痛めた右脚のために、暑い南国へ行ったり、春のコンサートツアーを
止めたそうなので、それほど右脚の怪我は、大きかった事が分かります。
その怪我をしたまま、38や前スレ46で書いたように、ザ・ベストテンで歌ったのだから、
ザ・ベストテンには、特別の愛着があるのでしょう。
[58]
名前:名無しさん
:2021/12/30 (木) 02:29:53 No.7554

「ザ・ベストテン」のムック本から、
8thシングル「サザン・ウインド」の歌唱シーンと記事です。
初の1位を取った時の写真と記事ですが、今年CSで再放送された回は、
2回目に1位になった時でした。この時も、鳥カゴのセットで、
「明菜ちゃんは鳥に縁のあるセットが多い」と、久米宏が言っていました。
最近のオーディション番組で歌われる曲は、1位が「禁句」になる等、明菜ちゃんの曲が多い。
明菜ちゃんの曲は、一見歌いやすそうだが、実は高度な曲作りがなされていて、
素人が簡単に歌いこなせるモノじゃない。という作曲家の宮川泰のコメントを紹介していましたが、
「禁句は、同じ音符が並ぶので、私の歌の中では1番歌いやすい。」と、
明菜自身が反論していました。せっかく歌唱力を間接的に褒めてくれたのに、
正直に反論するあたりが、明菜らしいです。
[59]
名前:名無しさん
:2021/12/30 (木) 03:05:23 No.7555

MOMOCOの84年6月号から、近況コーナーです。
57の記事の最後の段に書いてある。全国の何か所かの遊園地を貸し切りにして、
ファンとの交流を図る明菜ランドをやりたい。という事が実現した事が書いてあります。
有言実行型の明菜らしいです。2か所目の熊本では、4万人もファンが集まり、
明菜の「みなさん、危ないから座って下さい。」の一言が無かったら、中止になっていたでしょう。
東京や大阪等の大都市圏ではなく、人口50万人程度(当時)の地方都市で、
これだけのファンを集められる明菜人気の凄さが、良く分かります。
[60]
名前:名無しさん
:2022/01/03 (月) 00:57:30 No.7585

DUNKの84年6月号(創刊号)から、2つ折りピンナップです。
実は「サザン・ウインド」は、明菜の曲の中で、一番好きな曲です。
明るくてアップテンポの、アイドルらしい曲が大好きな私にとっては、
明菜の曲は暗い曲も多く、好きになれない曲が多いのですが、
この曲を聞いた時は、一回聞いただけで好きになりました。
明菜らしい振り付けも、軽やかな曲にピッタリです。(早見優も、同じ事を言っていた)
当時の担当ディテクターだった島田雄三の話が、下に書いてあります。
「北ウィング」が、インターナショナルの出発点だとすると、「サザン・ウインド」を始め、
「ミ・アモーレ」「SAND BEIGE」「ジプシー・クイーン」「TANGO NOIR」「BLONDE」と、
世界各国を飛び回る明菜のイメージが定着し、完全に山口百恵を抜いたと思いました。
[61]
名前:名無しさん
:2022/01/03 (月) 02:43:00 No.7586

84年4月11日リリースの8thシングル「サザン・ウインド」のジャケットです。
私の、独断と偏見に満ちた明菜の曲ベスト5は、
1.サザン・ウインド(軽やかなリズムが最高。)
2.ミ・アモーレ(ラテンとフュージョンのミックスが最高)
3.TerminalまでのEve(84年の企画LP「SILENT LOVE」に収録。86年の夜ヒットで歌った
人気曲。明菜の説得力ある歌い方で、可愛らしさ倍増。)
4.BLONDE(ビートの利いた分厚いアレンジに負けない明菜の歌唱が魅力。)
5.十戒 (1984)(この曲で、ツッパリ路線の明菜は百恵を超えた。)
ちなみに、90年のテレビのビデオ・レターコーナーで、キョンキョンは、明菜の
「飾りじゃないのよ涙は」を、トップに挙げています。「私は泣いた事がない」という
歌詞に「ドキッ」としたそうです。キョンキョン自身も人前では泣かない人です。
明菜は、キョンキョンの「私の16才」を、トップに挙げています。今日子ちゃんは、
「えー」と思うかも知れないけど、この曲を聞くと、スタ誕で、今日子ちゃんが
審査員の隣の席で見ている光景が頭に浮かび、先輩と思ってしまうそうです。
[62]
名前:名無しさん
:2022/01/06 (木) 20:41:43 No.7618

アクションカメラの84年6月号の、1ページ目です。
左上の写真から、この頃からマッチと付き合っている事が、分かります。
[63]
名前:名無しさん
:2022/01/06 (木) 21:04:13 No.7619

アクションカメラの84年6月号の、2ページ目です。
テレビ局は、明菜主演の連ドラを狙っていたけど、忙しい事と、
歌を歌えないテレビには出演しない事をモットーにしていたので、
ドラマ出演はしばらくなく、代わりに?マッチと共演した映画「愛・旅立ち」が、
85年初に公開されました。
[64]
名前:名無しさん
:2022/01/10 (月) 20:33:12 No.7645

デラックスマガジンの84年7月号の、1ページ目です。
「聖子を超えた」。80年代の女性アイドルで、年間シングルセールスでは、
80〜82年の3年間は、聖子が1位。83年は明菜が1位。
84年は聖子が1位。85〜87の3年間は、明菜が1位。
88年は、南野陽子が1位。89年はWinkが1位でした。
聖子と明菜が、トータルで4年ずつ1位を取り合い、互角の勝負という感じです。
[65]
名前:名無しさん
:2022/01/10 (月) 20:56:55 No.7646

デラックスマガジンの84年7月号の、2ページ目です。
歌番のリハーサル中、5分しか居られないのに、往復3時間もかけて清瀬に行く明菜。
前ページに書いてあった、お母さんとの長電話と同じく、お母さんが大好きなのでしょう。
スタ誕のテレビ予選に3回も出場し、史上最多出場となった明菜。
(テレビ予選に行く前に落ちた回数では、もっと多い人がいますが。)
3度目の挑戦では、審査員に復帰した中村泰士が、最高点の99点を付けます。
2度目の挑戦の時には、審査員の松田トシに「幼いので、童謡を歌った方が似合うんじゃない」
と言われ、「スタ誕では、童謡を歌う事が認められていないんじゃないですか」と反論する
明菜でしたが、母親から「やめなさい」と注意され、素直に従うエピソードからも、
母親が大好きな事が、分かります。その母親の教えは、「自分が正しいと思ったら、
相手がどんな偉い人であっても、自分の正しさを貫け。」でした。この言葉が、
妥協を許さない明菜の歌手人生を貫いて行ったと思います。
[66]
名前:名無しさん
:2022/01/15 (土) 00:02:41 No.7669

デラックスマガジンの84年7月号の、3ページ目です。
左上のシングル売り上げ枚数は、オリコンでは、「スロー・モーション」が17万枚。
「少女A」が40万枚。「セカンド・ラブ」が77万枚。「1/2の神話」が57万枚。
「トライライト」が43万枚。「禁区」が51万枚。「北ウイング」が61万枚。
「サザン・ウインド」が54万枚。(端数は四捨五入)となっています。
(オリコン調べ)と書いてあるのは、順位の事で、枚数は出荷枚数かも知れません。
ビキニの項で、「スタイルよくないもン」と、明菜に言われては、他のアイドルは、
誰もビキニを着る資格が、なくなってしまいます。
友だちの項で、「世渡りがヘタなんですね。」これは、これまでの明菜の人生を見ていると、
良く分かります。「一番親しいのは、早見優ちゃんかな。」優も、笑顔を作るのが苦手で、
正論を言うタイプだったので、気が合うのかも知れません。
[67]
名前:名無しさん
:2022/01/15 (土) 00:40:38 No.7670

デラックスマガジンの84年7月号の、4ページ目です。
指輪騒動の件は、マスコミの暴走らしいです。70年代の芸能レポーターには、
鬼沢慶一とかのまともなレポーターがいましたが、80年代に入って、
梨本勝が台頭してきた頃から、スクープ合戦が始まった印象です。
根津甚八とは、明菜の方が、キョンキョンより前に会っていたようです。
キョンキョンは、「夜ヒット」のマンスリー・ゲストに根津甚八が登場した時、
初めて会ったと言っていたので。(マンスリー・ゲストは、85年4月以降)
明菜はキョンキョンに、会った事を報告したのかな?
[68]
名前:名無しさん
:2022/01/18 (火) 22:07:37 No.7693

DUNKの84年6月号から、明菜のファッション史です。
過去1年間の、私服ファッションの歴史が載っています。
ステージ衣装は、黒っぽい地味な色が多い印象の明菜ですが、
私服は、様々な色な形のファッションを着こなしています。
体の線が出ない服なのは、私生活の時まで男の視線を浴びたくないからでしょう。
流行にとらわれないのが、明菜ファッションの特徴です。
[69]
名前:名無しさん
:2022/01/18 (火) 22:11:33 No.7694

DUNKの84年8月号には、表紙・ピンナップ以外に、
15ページの巻頭特集が載っています。その表紙です。
BOMBの巻頭特集と違うのは、圧倒的にカラーグラビアが多い点です。
[70]
名前:名無しさん
:2022/01/23 (日) 00:56:45 No.7725

MOMOCOの84年7月号から、近況コーナーです。
明菜は晴れ女と書いてありますが、デビュー当時に、野外で歌っていた時、
どしゃぶりの雨に見舞われたそうです。それでも、びしょぬれになりながら
キャンペーンで歌う明菜を、堺正章が見ていて、「この娘は大物になる」と思ったそうです。
堺正章だから、ザ・トップテンの中継でしょうか。
最後に書いてある中原めいこも、実は82年デビュー組です。デビューの頃から知っていて、
2ndアルバム「2時までのシンデレラ -FRIDAY MAGIC-」は、何度も繰り返し聞いていた
記憶があります。当時は、貸しレコード店の全盛時代で、LPを借りてカセットに録音する
事を繰り返し、気にいったLPだけ買うという時代でした。
[71]
名前:名無しさん
:2022/01/23 (日) 01:09:49 No.7726

MOMOCOの84年10月号から、しんちゃんのみんなの歌謡曲のコーナーです。
この時点で、明菜が百恵を超えられないと思われていたのは、理解出来ます。
「スタッフの戦略には芸がないなぁ」と思っていたのは、明菜本人も同じでしょう。
84年から自己プロデュースを始めた明菜は、85年以降、百恵とは全く異なる、
明菜独特の世界観の開拓に成功し、唯一無二の存在となりました。
[72]
名前:名無しさん
:2022/01/26 (水) 19:26:42 No.7756

DUNKの84年8月号の、ピンナップ表です。
巻頭グラビアを飾るアイドル恒例のプレゼント・コーナーです。
[73]
名前:名無しさん
:2022/01/26 (水) 19:30:29 No.7757

DUNKの84年8月号の、3つ折りピンナップ裏です。
90度回転させました。カレンダーを兼ねたピンナップでは、
明菜が斜め上を向いています。得意の仰け反るポーズでの顔のアップかも知れません。
[74]
名前:名無しさん
:2022/01/30 (日) 00:44:05 No.7776
現在が気になる…
[75]
名前:名無しさん
:2022/01/30 (日) 22:08:54 No.7780

「ザ・ベストテン」のムック本から、
9thシングル「十戒(1984))」の歌唱シーンと記事です。
「ザ・ベストテン」は、レコード売り上げ・有線放送リクエスト・全国ラジオ番組のランキング・
番組へのハガキリクエストの4部門のランキングをトータルします。各部門のランキングに、
タイムラグがあるので、初登場1位という事は、当時ほとんどない事でした。
この曲が、初登場1位になったという事は、如何に明菜人気がピークに達していた頃か、判ります。
この曲を、「ザ・ベストテン」の名・迷場面集で使われる時は、明菜が駅で停車している
新幹線の中で歌い、1番を歌った後、新幹線が発車し、動いている新幹線で、
2番を歌うシーンが、良く使われます。テロップに、歌詞の「冗談じゃない」が被さります。
[76]
名前:名無しさん
:2022/02/03 (木) 23:32:42 No.7806

DUNKの84年8月号の、1ページ目です。
明菜のイメージカラーは、黒髪と白か黒の服という、モノトーンです。
[77]
名前:名無しさん
:2022/02/04 (金) 01:18:51 No.7807

DUNKの84年8月号の、2〜3ページ目です。
好きなタイプの人に「矢沢永吉・松田優作・根津甚八」の名前を挙げていますが、
この頃から、既にマッチと付き合っていたようです。(62を参照)
[78]
名前:名無しさん
:2022/02/07 (月) 21:45:47 No.7827

MOMOCOの84年10月号から、近況コーナーです。
この頃でも、アイドルのコンサートでは、まだ洋楽を歌っていたようです。
洋楽を歌っていたのは、82〜83年デビュー組ぐらいまでかな?
80年代までは、洋楽だけではなく、邦楽を含めて、他の人の曲を歌うのは当たり前で、
カバーという言葉は、90年代に入ってから使われるようになった印象です。
多分、著作権の扱いが厳しくなり、気軽に歌えなくなった事も、関係していると思います。
冷房のない神奈川県民ホールでのコンサートは、大変だったでしょう。
その後、ツアーが帯広・札幌と、北海道に移ったのは、幸いでした。
コンサートの年齢層や男女比が変わってきているのは、この頃が、
アイドルからアーティストへ変わっていく過渡期だからでしょう。
[79]
名前:名無しさん
:2022/02/07 (月) 22:31:16 No.7828

BOMBの84年12月号から、アイドル・タイムスのコーナーです。
マッチとの仲が噂されたのは、84年初からなんですね。
明菜は、初めての映画で、映画に詳しくないので、「ハイティーン・ブギ」を撮った
舛田監督という事で出演を決めたようですが、大作映画は監督よりプロデューサーの権限が
大きくなるので、思ったような作品にはならなかったと思います。
(山本又一朗プロデューサーは、傑作と駄作の差が激しい人。この映画は駄作。)
現実的数字として配収20億円を目指す。と言っていますが、結果は11臆7000万円でした。
[80]
名前:名無しさん
:2022/02/11 (金) 21:57:22 No.7848