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岩崎良美

[1] 名前:名無しさん :2019/04/11 (木) 19:37:50 No.2504
2504.jpg (491KB)
2006年5月10日発売のアイドルデビュー伝説(1980〜82年編)から、
近代映画の80年3月号の、表2グラビアです。
表2グラビアとは、近代映画の表紙の裏で、当時注目の新人アイドルを紹介するページでした。
ちなみに、下の文字の左が歪んでいるのは、私のスキャンが悪いのではありません。
「アイドルデビュー伝説」というムック本を近代映画社が作る時に、
雑誌「近代映画」をバラさずにスキャンしたためであり、原稿自体の問題です。
[31] 名前:名無しさん :2020/06/11 (木) 04:26:11 No.4576
4576.jpg (479KB)
週刊明星の80年6月1日号の、グラビアの4ページ目です。
このページだけ、モノローグが載っています。
仕事が忙しく、若いから体は大丈夫でも、精神的に疲れるので、電話魔になる。と言っています。
同期で同い年の松田聖子や香取洋子と仲が良かったですが、二人とも新人で忙しかったので、
藤谷美和子と仲良くなったのでしょう。この頃の藤谷美和子は、歌をまだ歌っていなかったので、
人気が高く、月刊明星等の人気投票で上位に入っている事は、後から知りました。
[32] 名前:名無しさん :2020/07/06 (月) 04:04:45 No.4677
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週刊明星の80年6月1日号の、グラビアの5ページ目です。
メルヘンチックな背景が、目がクリッとして可愛い良美と似合います。
80年の歌手デビューの際、岩崎宏美の妹だという事をアピールするため、
本名のままデビューする事になりました。ヨシリンは、芸名を付けて欲しかったそうです。
元気キャラと歌唱力で売っていたヒロリンとは違い、可愛いヨシリンの顔はアイドルにピッタリです。
もしアイドルらしい芸名を付けて、アイドルらしいキャッチーな曲でデビューしていたら、
同期で親友の松田聖子の、良きライバルになっていたかも知れません。
[33] 名前:名無しさん :2020/11/27 (金) 23:58:12 No.4773
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月刊平凡の80年2月の、記事です。
この頃は毎月、歌手デビューする新人特集のコーナーがありました。
歌手としては、初めて月刊平凡に載っている記事ですが、その前に女優として活躍してたので、
その頃の記事も、見つけたら載せます。
[34] 名前:名無しさん :2020/12/15 (火) 02:14:39 No.4898
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月刊明星の80年2月号の新人特集のコーナーでは、2ページにわたって紹介されています。
東京国際音楽祭と言えば、海外のシンガーが出演したり、
日本人では、しばたはつみ等の実力派歌手が出演する音楽祭でした。
その音楽祭に、いきなり新人のヨシリンが出演するのだから、
並みの新人とは桁外れの歌唱力が、既に認められていた事が判ります。

体重4000gもあジャンボサイズの赤ちゃんだったヨシリンは、デビュー時に、
姉のヒロリンより体重がある事を告白します。(夜のヒットスタジオで、言っていました。)
ヒロリンよりボインなので、その分だけ重いのかな?(冗談です。)
[35] 名前:名無しさん :2020/12/28 (月) 04:17:29 No.4999
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月刊明星の80年2月号の、2ページ目です。
幼少の頃の岩崎3姉妹が写る時は、良くこの写真が使われるけど、このヨシリンを始め、
3姉妹がみんなお祭り好きだったからなんですね。
歌手になる気はなくても、小学1年の時から、先生に付いてレッスンを受けていたのは、
幼少の頃から、ヒロリンと一緒に歌うのが楽しかったからでしょう。

スポーツが得意なのも、ヒロリンと同じです。ヨシリンの場合は、テニスが特に得意で、
同じくテニス部だった榊原郁恵と、対戦しています。テニスをきっかけに仲良くなった
榊原郁恵とは、共通の目標であるダイエットを、一緒に始めました。親友の松田聖子とも、
テニス対決していますが、いつもヒロリンの圧勝で、聖子が悔しがっていました。
[36] 名前:ヨシリンのファン :2021/01/10 (日) 18:22:33 No.5101
アップロードしていただけて、ありがとうございます!しかし実は領土紛争には興味がございませんので
[37] 名前:名無しさん :2021/01/13 (水) 00:42:55 No.5125
5125.jpg (484KB)
月刊平凡の80年3月号の、1ページ目です。
初めてのレコーディングの様子が載っています。
ヨシリンがレコード制作に関して、しっかりと意見を述べ、意志の強い一面がある事は、
有名でしたが、デビュー当時から、自分自身でダメ出しを出す、
几帳面で完全主義者だった事が、分かります。
[38] 名前:名無しさん :2021/01/28 (木) 02:58:05 No.5244
5244.jpg (457KB)
月刊平凡の80年3月号の、2ページ目です。
体重を4kgぐらい減量と書いてあります。
34に載せた月刊明星の80年2月号には、身長158cm、体重49kg、B85・W59・H86
と書いてあるので、そこから4kgぐらい減量したのかな?
でも、アイドルの体重49kgは、本当は50kg以上あっても、本当の体重を公表すると
ファンが逃げる心配があるので、お約束の49kg表記が多かったですが。
[39] 名前:名無しさん :2021/02/12 (金) 04:46:25 No.5366
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月刊平凡の80年3月号の、「これがスターのバッグだ」のコーナーからです。
付き人を付けず、大きなバッグを自分で抱えて楽屋入りしていたキョンキョンは、
大成しましたが、ヨシリンはどうだったのでしょう。
大きなバッグを自分で抱えて移動すれば、ダイエット効果には役立っていたでしょう。
[40] 名前:名無しさん :2021/02/27 (土) 03:17:55 No.5488
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月刊明星の80年3月号の、1ページ目です。
ヨシリン流シェイプアップ法が、2ページに渡って載っています。
食事ダイエットは、高校1年の時から2回試みたけど、リバウンドするので、
シェイプアップ(体操)に切り替えました。

ヨシリンは、右上の写真を見れば分かるように、バストも大きいし、脚も長いのに、
それでも痩せたがるんですねぇ。親友の聖子が細いからでしょうか。
でも食事ダイエットより、シェイプアップの方が体にいいので、続けたのでしょう。
[41] 名前:名無しさん :2021/03/14 (日) 01:41:57 No.5625
5625.jpg (492KB)
月刊明星の80年3月号の、2ページ目です。
「風と共に去りぬ」のスカーレットは、子供を産むと、ウエストが49cmに戻らないと、
言われながら、メイドにギュウギュウ締め付けられていました。
キュッとくびれたウエストが、女の子の憧れでも、ウエストを49cmまで締め付けたら、
苦しくって、ヨシリンの得意な歌唱力が損なわれてしまうでしょう。

ぶら下がり式細腕育成体操は、太い木の枝を選ばないと、体重で折れてしまいそうです。
やっぱり、デビュー当時のヨシリンは、ちょっと太めで、
ここに載っているシェイプアップを続けて、中肉中背の体型になったのでしょう。
[42] 名前:名無しさん :2021/03/28 (日) 21:24:53 No.5743
5743.jpg (494KB)
月刊平凡の80年4月号の、1ページ目です。
成城学園の小・中学校時代の親友2人を呼んで、楽しいひな祭りをしています。
[43] 名前:名無しさん :2021/04/13 (火) 01:56:16 No.5858
5858.jpg (492KB)
月刊平凡の80年4月号の、2ページ目です。
成城学園の小・中学校時代の親友2人とは、すごい喧嘩をしてから仲良しになったそうです。
大人しそうな印象があるヨシリンにも、意外な面があったんですね。
[44] 名前:名無しさん :2021/04/29 (木) 04:17:23 No.5980
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月刊平凡の80年4月号から、ヤングスターの受験テクニックのコーナーです。
ヨシリンの場合は、姉のヒロリンと同様、成城学園の初等学校→中学校→高等学校と、
エスカレーター式に進学し、堀越学園に転校したので、受験の苦労とは縁遠かったと思います。
それでも、「勉強は毎日の積み重ね」と言って、不得意科目のレポートを作るあたり、
真面目なヨシリンらしいです。
[45] 名前:名無しさん :2021/05/13 (木) 10:59:18 No.6110
6110.jpg (485KB)
月刊明星の80年4月号の、1ページ目です。
この頃は、私もコーヒーミルで豆を挽いて、ドリップで入れていました。
お気に入りは、トアルコ・トラジャでした。
友達の、コーヒーサイフォンを、羨ましく思っていました。
今じゃ、牛乳の半額で売っている、ペットボトルで済ませています。

如何にも太りそうな、甘いものが大好きなヨシリンですが、ダイエットを頑張っていたので、
アイドルとして成立する体型を維持出来ました。水着になる事が無かったので、
アイドルの中でも、意外にスタイルがいい事は、あまり知られていません。
顔の肌が綺麗なのは、刺激物が嫌いだからでしょう。
[46] 名前:名無しさん :2021/05/29 (土) 00:37:05 No.6229
6229.jpg (474KB)
↑45は、1ページだけでした。

月刊平凡の80年5月号は、構図からすると2ページ目を先に載せた方が良いので、そうします。
岩崎姉妹は、お父さんが剣道7段なので、みんな剣道を習っています。
姉のヒロリンは、オテンバだったので、剣道姿になってもサマになっていますが、
妹のヨシリンは、可愛くて大人しい性格なので、剣道姿が板についていない感じがします。
よく言えば、ミスマッチな魅力でしょうか。
[47] 名前:名無しさん :2021/06/13 (日) 00:13:40 No.6332
6332.jpg (488KB)
月刊平凡の80年5月号の、1ページ目です。
ヨシリンが、剣道姿でCFに出る。という情報が書いてあります。
資生堂なので、シャワーコロンのCFでしょう。
「4年間、剣道で汗を流し身体をいっぱい動かしたから、
 大きな声も高い声も出るようになったのかもしれない」

ヒロリンは、「高い声を褒められるけど、あなたの魅力は中低音にある」と、
筒美京平先生からアドバイスされ、今は実感しているそうです。
ヨシリンの場合も、中低音と、あの透き通る高い声を、
自由に行き来する声の魅力にあると思います。
[48] 名前:名無しさん :2021/06/27 (日) 16:31:34 No.6437
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月刊平凡の80年5月号には、剣道繋がりで、こんな記事も載っています。
普段は大人しいヨシリンも、剣道姿になると、活発になるのかな?
平凡のベテラン記者が、ヨシリンの剣道の相手をして、打たれ放題打たれて、
ヨシリンの後援会の名誉会長に収まりました。
[49] 名前:名無しさん :2021/07/12 (月) 23:03:46 No.6533
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月刊平凡の80年5月号から、初恋の人を取り上げるコーナーです。
ヨシリンは、幼稚園の頃に初恋を経験した、おマセさんでした。
幼稚園の頃に初恋を経験した、おマセなアイドルは、理想が高くなり、
結婚が遅くなる場合が多い印象があります。
[50] 名前:名無しさん :2021/07/27 (火) 18:54:14 No.6634
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月刊明星の80年4月号の、2ページ目を載せるのを、忘れていました。
「最近、ヒロリンとじっくり話す時間がないんです。
 前はよく相談に乗ってもらったのに。」
もし、ヨシリンがヒロリンと同じ事務所に所属していたら、もっと相談に乗ってもらったり、
事務所から「姉のレコードは聞く」とも言われなかった事でしょう。

でもヒロリンが所属する芸映プロは、この頃「秀樹の妹・弟募集」で忙しかった事、
合格した人(結果は、河合奈保子)の売り出しに忙しくなるので、
ヨシリンは所属させてもらえなかったのだと思います。
[51] 名前:名無しさん :2021/08/12 (木) 20:38:08 No.6730
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月刊明星の80年5月号から、堀越学園の卒業式の写真です。
80年歌手デビューのヨシリンと聖子は、スカウト組で、
78年デビューの石野真子と渋谷哲平は、「スター誕生」出身です。
スタ誕出身が主流だった70年代アイドルから、80年代アイドルは異なって行くのが、
象徴されているように見える4人です。
[52] 名前:名無しさん :2021/08/27 (金) 22:21:05 No.6824
6824.jpg (487KB)
月刊平凡の80年6月号の、1ページ目です。
テレビ(歌番組)でのデュエットは、84年の「ミュージック・フェア」出演まで、
無かったヒロリン・ヨシリン姉妹ですが、
雑誌では、ヨシリンの歌手デビューの頃に、何冊かで共演しています。

「いつの日か、デュエットできれいなハーモニーを聞かせてくれるのを、楽しみにしている。」
ヨシリンが、歌手に復帰してから、200年代後半には、姉妹コンサートを行った二人。
最近でも、ヒロリンのカバーアルバムで、デュエットが必要な時は、
ヨシリンが駆けつけるという、仲の良い姉妹です。
[53] 名前:名無しさん :2021/09/12 (日) 14:01:14 No.6916
6916.jpg (484KB)
月刊平凡の80年6月号の、2ページ目です。
生まれ故郷の深川で、ガンバロンとミルミルを抱いて、談笑しているヒロリン・ヨシリン姉妹です。
ヒロリンの方がガンバロンで、ヨシリンの方がミルミルかな?
[54] 名前:名無しさん :2021/09/28 (火) 22:05:02 No.7016
7016.jpg (494KB)
月刊平凡の80年6月号の、3ページ目の上です。
東京でも下町は、地方都市と同じような風景が残っていて、いいですね。
金魚すくいは、今でも残っているのかな?
コロナ禍が終わったら、お祭りで再開するかも知れません。
[55] 名前:名無しさん :2021/10/15 (金) 12:47:13 No.7112
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月刊平凡の80年6月号の、3ページ目の下です。
「ヒロリン」「ヨシリン」と呼び合う岩崎姉妹。
姉の宏美は、他のアイドルに対しても、ゴロリン(野口五郎)、モモリン(山口百恵)、
ジュンリン(桜田淳子、ちょっとゴロが悪いけど)などと、読んでいました。

妹の良美は、宏美ほど開放的な性格ではないので、他のアイドルには使っていませんでした。
ちなみに、親友の松田聖子に対しては、ノリ(聖子の本名の法子から)と呼んでいました。
でも、ドラマで共演して仲良くなった榊原郁恵の事は、イクリンと呼んでいました。
本当に仲良くなると、言えるのでしょう。
[56] 名前:名無しさん :2021/10/31 (日) 22:43:18 No.7210
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月刊平凡の80年6月号の、4ページ目の上です。
妹のヨシリンに、「若秩父関の恰好をしてみて」と言われ、気軽にするヒロリン。
ヨシリンのデビュー時、夜ヒットに出演した時、姉のヒロリンと、
どっちが体重があるかと聞かれ、自分の方が体重がある。と答えています。

当時は、ヒロリンの方が体重があると思っていたので、意外に思えましたが、
ヒロリンは、若秩父関のマネを気軽にするから、そういうイメージがあったのでしょう。
夜ヒット等の再放送でヒロリンを見ると、自分のイメージより痩せていました。
[57] 名前:名無しさん :2021/11/16 (火) 18:33:27 No.7298
7298.jpg (492KB)
月刊平凡の80年6月号の、4ページ目の下です。
せんべい屋さんの他にも、ヒロリンは、きんつば屋さんにも良く通っていて、
コロッケを連れて、きんつば屋さんに行ったテレビ番組がありました。
ヨシリンは、最近あまりテレビに出ないので、ヒロリン・ネタで勘弁です。
[58] 名前:名無しさん :2021/12/02 (木) 20:35:32 No.7394
7394.jpg (147KB)
月刊明星の80年6月号から、ファンクラブのインフォメーションです。
[59] 名前:名無しさん :2021/12/18 (土) 20:28:29 No.7490
7490.jpg (185KB)
近代映画の80年6月号から、口絵のブロマイドです。
この時点(発売日は、80年4月下旬)では、80年代アイドルは岩崎良美のみで、
他は、石野真子・山口百恵・渋谷哲平・久保田早紀・藤谷美和子が載っていました。
[60] 名前:名無しさん :2022/01/05 (水) 00:26:01 No.7606
7606.jpg (478KB)
近代映画の80年6月号の、1から2ページ目です。
4ページ目まで、ヒロリン・ヨシリンの2ショットが続きます。
これは、8に載せた小さな画像が、2ページ連結で大きく載っています。
[61] 名前:名無しさん :2022/01/19 (水) 23:28:00 No.7703
7703.jpg (493KB)
近代映画の80年6月号の、3ページ目です。
ヒロリンが赤い車、ヨシリンが白い車です。
この頃のヒロリンは、大人っぽい歌を歌っていたので、赤い車にしたのでしょう。
まだ新人のヨシリンは、まだ色(個性)が付いていないという意味で、白い車にしたのでしょう。
でも、帽子は逆にしている事から、仲の良い姉妹である事が分かります。
[62] 名前:名無しさん :2022/02/04 (金) 22:07:49 No.7815
7815.jpg (492KB)
近代映画の80年6月号の、4ページ目の上です。
ヒロリンは、最近ゴロリン(野口五郎)とデュエット曲を出しています。
70年代に噂が立った、伊藤咲子と城みちるも、デュエット曲を出しています。
80年代アイドルは、女性同士がグループを組んで歌う事はあっても、
男女のデュエットは、まだないようです。
ヨシリンだったら、男女のデュエットも、違和感なく出来そうが気がします。
[63] 名前:名無しさん :2022/02/20 (日) 14:29:40 No.7906
7906.jpg (414KB)
近代映画の80年6月号の、4ページ目の下です。
仲の良いヒロリン・ヨシリン姉妹ですが、ヨシリンの事務所が、
姉と声質が同じなので、歌い方も同じにならないよう、姉の歌を聴くな。と禁止令を出します。
ヒロリンの曲が大好きなヨシリンは、この禁止令で、かなり落ち込んだようです。
84年頃、ミュージック・フェア(だと思う)で、テレビでの姉妹デュエットはありましたが、
姉妹コンサートは、2008年頃、ようやく実現しました。
[64] 名前:名無しさん :2022/03/08 (火) 23:13:31 No.7990
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近代映画の80年6月号には、渋谷哲平との対談が、6ページに渡って載っています。
その1ページ目です。
51に載せた4人は、堀越高校の80年卒業生です。石野真子だけ、1歳年上で、
他の三人は同学年です。でも、歌手デビューは、渋谷哲平と石野真子が78年で、
ヨシリンや聖子より2年先輩になります。渋谷哲平と石野真子は、同じスタ誕出身という事もあり、
スタ誕の先輩の城みちる・伊藤咲子にように、噂になったカップルでした。

歌手デビューが2年早い渋谷哲平でも、無事卒業出来たのに、ヨシリンは歌手デビュー前に、
ドラマや舞台の仕事をしていた事と、歌手デビュー時が卒業試験と重なった事で、
卒業が危ぶまれていたんですね。石野真子のように留年しなくて良かったです。
[65] 名前:名無しさん :2022/03/10 (木) 00:18:05 No.7998
今現在、どうしているのかな?
[66] 名前:名無しさん :2022/03/25 (金) 06:17:46 No.8079
8079.jpg (482KB)
近代映画の80年6月号の、渋谷哲平との対談の、2ページ目です。
渋谷哲平って、中身は結構三枚目で、面白い人なんですね。
サン・ミュージックの1年先輩の太川陽介みたいな感じでしょうか。
サン・ミュージックと言えば、女性アイドルばかりが目立ちますが、70年代後半には、
男性アイドルにも力を入れていたようです。渋谷哲平は、レッツゴー・ヤングでは、
川崎麻世と一緒に、ジョイントコーナーまでありました。

ヨシリンも、ヒロリンや渋谷哲平のように、アイドルが多い大手事務所に入っていれば、
もっとブレイクしていたかも知れません。でも、水着撮影はダメとか、
LPをシングルより優先して制作するとかの自己主張は、通らなかったと思います。
自己主張を通すために、アイドルとは無縁の六本木オフィスを選んだのでしょうか。
ヨシリンは、それほど行動力があるタイプではないので、たまたまスカウトしてくれたのが、
六本木オフィスで、ドラマ制作もやっていたので、ドラマ出演の後、歌手デビューしたのでしょう。
[67] 名前:名無しさん :2022/04/10 (日) 22:15:39 No.8161
8161.jpg (486KB)
近代映画の80年6月号の、渋谷哲平との対談の、3ページ目です。
(対談は、全部で4ページの間違いでした。)
私も、渋谷哲平が言う通り、ヨシリンには明るい曲が似合うと思いますが、
ヨシリン自身が、しっとりした曲調が好きなので、デビュー曲から、
しっとりした曲と、明るい曲を、交互にリリースしたのでしょう。

もっと明るい曲で、ガンガン行けば、姉のヒロリンとの差別化が出来たでしょうが、
そうすると、親友の聖子とバッティングするので、難しい判断だった事でしょう。
ヨシリンの、あっけらかんとした性格は、小学〜高校の途中まで成城学園で育ったから
だそうです。堀越でも、寝起きのような髪型で通っていましたが、仕事では、
さすがに髪の毛は本番までには綺麗にしています。(当時は、自分でヘアメイクする時代)

堀越の卒業がギリギリだったので、その時の大学進学は諦めましたが、
昨年、大学院の修士課程に進学したそうなので、その前には大学へ進学しているはずです。
[68] 名前:名無しさん :2022/04/28 (木) 10:42:07 No.8237
8237.jpg (480KB)
近代映画の80年6月号の、渋谷哲平との対談の、4ページ目です。
音楽に合わせて踊るのが好きと言っているので、2曲目「涼風」の後は、
4曲目「I THINK SO」や、7曲目「ごめんねDarling」のような、弾んだ歌を連発し、
ダンサブルに踊れば、姉のヒロリンとも、親友の聖子とも違う、独自に道を進めたと思います。
渋谷鉄平が言うように、ヒロリンとは違う、ヨシリン独自の声で。
ドジをしても、憎めないキャラとも、上手くマッチ出来たでしょう。

ダンスと言う点では、渋谷鉄平は、川崎麻世と共に、レッツゴーヤングで、
ジョイントで良く歌い、踊っていました。ヨシリンには食われませんでしたが、
たのきんトリオに食われました。ちなみに、渋谷鉄平や川崎麻世は、
田原俊彦より若いんですけどね。
[69] 名前:名無しさん :2022/05/14 (土) 21:47:20 No.8322
8322.jpg (490KB)
近代映画の80年6月号には、「スターダッシュNo.1」の記事も、載っています。
その1ページ目(半ページ分)です。
歌手デビュー当時に、榊原郁恵と共演したドラマであり、このドラマ撮影がきっかけで、
ヨシリンは郁恵ちゃんと仲良くなりました。

出演者には、ヨシリンと同期の中山圭子もいます。中山圭子は、サンミュージック所属で、
ヨシリンと親友の聖子よりも、大々的に売ろうとしていた存在です。
でも、デビュー曲のCMタイアップが、商品の欠陥が見つかった事で無くなり、
聖子をプッシュするように変わりました。その頃の出演番組なので、
ヨシリンは、聖子からその事を聞いているかも知れません。
[70] 名前:名無しさん :2022/05/31 (火) 18:36:09 No.8400
8400.jpg (488KB)
近代映画の80年6月号の、「スターダッシュNo.1」の記事の、2ページ目です。
両親が離婚し、さみし気な感じの女の子を演じるヨシリンは、
「私はニギヤカな女の子だし、両親とも仲が良いから」と言っていますが、
姉のヒロリンと比較すれば、さみしがり屋で、ロマンチックなところがあると思います。
[71] 名前:名無しさん :2022/06/17 (金) 04:19:21 No.8479
8479.jpg (491KB)
近代映画の80年7月号には、親友・松田聖子との比較グラビアが、
3ページに渡って載っています。その1ページ目〜2ページ目の右端です。
90度回転された方が、見やすいので、回転させました。
このカットは、7に載せたカットの、オリジナルになります。
三原順子が売れ始める80年末を除くと、80年は、良美と聖子が、世間ではライバル関係でした。
[72] 名前:名無しさん :2022/06/30 (木) 17:11:23 No.8541
8541.jpg (476KB)
ここからは、ハリコの時に載せた画像のレタッチ版を貼って行きます。
これは、81年12月4日リリースの4thアルバム「心のアトリエ」のジャケット裏です。
(ジャケット表は、次スレのスレ画にする予定です。)

姉の岩崎宏美に声が似ている事や、歌唱力が高い事により、
デビュー当時からハイブローな楽曲を多く歌っていました。
しかし、このアルバムに収録されている7thシングル「ごめんねDarling」で
尾崎亜美に出会い、ポップな魅力が開花しました。
私がファンになったのも、この頃です。

デビュー当時からこの路線を歩んでいれば、もっと売れたと思います。
ちなみに、このアルバムには、クリスマスソングを収録した
17cmドーナツ盤が付いていて、お得でした。
[73] 名前:名無しさん :2022/06/30 (木) 17:16:41 No.8542
8542.jpg (472KB)
↑72の訂正:81年12月4日→81年12月5日

82年6月21日発売の5thアルバム「Cecile」ジャケット表です。
岩崎良美の魅力は、何といってもアルバムの完成度の高さです。
アイドル歌手としては、前例のないアルバム先行で製作されました。
私も、アルバムばかり買っていて、シングルは買いませんでした。
ファンがこれでは、シングルチャート上位にはいきませんね。
「タッチ」3部作のみ異質に感じるのは、ヒット狙いのシングル作りだったからです。
[74] 名前:名無しさん :2022/06/30 (木) 17:20:20 No.8543
8543.jpg (324KB)
5thアルバム「Cecile」ジャケット裏です。
完成度が高いアルバム展開の中で、4thアルバム「心のアトリエ」から
ポップな魅力が開花し、6th・7thアルバムに受け継がれました。
その中で、5thアルバム「Cecile」は、ある意味異質です。
ヨーロピアンサウンドを取り入れながら、後の荻野目洋子やWinkのユーロビートとも異なる
作品群は、どれも新鮮で、覚えやすい曲ばかりです。

「愛してモナムール」「どきどき旅行」「バカンス」と、覚えやすい曲調のシングルを、
3曲も収録しながら、他の曲もシングル候補に出来る曲が揃っています。
特に「想い出Rainbow」「私の恋は印象派」は、一度聴いたら、サビの部分が耳から離れません。
岩崎良美のアルバムを1枚だけ選ぶとしたら、これが断然お勧めです。
[75] 名前:名無しさん :2022/06/30 (木) 17:22:14 No.8544
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83年3月21日発売の6thアルバム「唇に夢の跡」のジャケット表です。
4thアルバム「心のアトリエ」の続編とも言える、
ポップなチューンが連続するアルバムに仕上がっています。
[76] 名前:名無しさん :2022/06/30 (木) 17:24:27 No.8545
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5thアルバム「唇に夢の跡」のジャケット裏です。
12thシングル「恋ほど素敵なショーはない」から始まるポップな曲の連続の中に、
11thシングル「化粧なんて似合わない」は、収録されていません。
例え尾崎亜美作品でも、ミディアムテンポの曲は、アルバムの趣旨に沿っていないので
収録しない、というアルバム重視の考え方が貫かれています。
その代わり、尾崎亜美のアルバムに収録されている「WHO?」をカバーしています。
[77] 名前:名無しさん :2022/07/04 (月) 15:59:12 No.8561
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ハリコの時の、他の方が貼った画像」も、載せて行きます。
これは、アニメ「タッチ」の主題歌第三弾となった、86年6月5日リリースのシングル
「チェッ!チェッ!チェッ!」の、レコードジャケットです。
私は、アニメ「タッチ」関連の曲では、その前の主題歌第二弾「愛がひとりぼっち」が、
一番好きでした。ヨシリン唯一の、オリコントップ10に入ったヒット曲にもなりました。
[78] 名前:名無しさん :2022/07/04 (月) 16:03:27 No.8562
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ハリコの時の、他の方が貼った画像です。
81年のカレンダーから、3月がヨシリンです。
多分、12人が載っている雑誌付録のカレンダーだと思います。
[79] 名前:名無しさん :2022/07/04 (月) 16:14:28 No.8563
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ハリコの時の、他の方が貼った画像です。
スコラの84年8月9日号の、1〜2ページ目です。
オシャレ娘と書いてあるように、デビュー当時のハマトラ・ファッションから始まり、
いろいろなファッションを楽しんでいました。
[80] 名前:名無しさん :2022/07/04 (月) 16:32:15 No.8564
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ハリコの時の、他の方が貼った画像です。
スコラの84年8月9日号の、3ページ目です。
プロフィールに書いてある、ドラマ「真夜中の匂い」は、3年前にCSの再放送で見ました。
紺野美沙子・中村久美とヨシリンの同世代女性3人が主役のドラマです。
同世代女性3人が主役のドラマは、「想い出つくり」のヒットをきっかけに、
当時流行っていました。

ヨシリン出演のドラマでは、「スクール・ウォーズ」のマネージャー役が、好きでした。
牛乳配達をしながら、ラグビー部員たちの洗濯や、各部員の長所・欠点をノートに纏める、
一生懸命なマネージャー役を、自然な演技でこなしていました。

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